リュドスカヤ連邦共和国 Federal Republic of Lyudskaya
概要
リュドスカヤ連邦共和国は、1990年に成立した、連邦共和制国家である。
世界最大の国土面積を持ち、リュドスカヤ王国の継承国とみなされている。
首都はペトロスク(Petrosk)。世界最北端の地、ウリヤーナを有し、北は北海に囲まれている。
国名
リュドスカヤの国名の意味については未だはっきりとわかっていない。
古伝記に記述されている農民を救った英雄、「リュドスカーミュール」という人物の名前が起源という説が有力とされるが、現在も研究が進められている。
歴史
古代・中世
4世紀始め頃、現在のリュドスカヤの領地の大半は、ベレスネフ地方と呼ばれていた。べレスネフ地方では国と言える国が無く、国と名乗っていても現在でいう村程度の物しか無かった。
ある程度発展した村は別の発展途上の村に対し略奪を行い、どんどん規模を大きくしていった。
規模が大きくなり、国となった国々は、互いに争いあうようになり、この時代は「混沌の時代」と呼ばれている。
そういった状態が約300年も続き、無数にあった国は次第に数が減っていき、最終的にペトロスク、ブラギンスキーの2国となった。
ペトロスクとブラギンスキーの戦争は15年にも及び、互いに消耗しきってた時にブラギンスキーで革命が起き、その隙を狙ってペトロスクが一斉に攻撃、15年間の戦争は幕を閉じた。
620年、勝利したペトロスク側の長、レオン・ポルトノフがポルトノフ朝を成立させ、以降1370年も長い間続くことになるリュドスカヤ王国が成立した。このころの領土は、現在のリュドスカヤ連邦共和国の領地の6割程度の面積である。
建国から間もなく行われたものは、要塞を造ることであった。あまりに領土が広いので、一つのまとまりとして防衛することが不可能である為、東西南北と中央で5つの要塞を構築することが決定された。
同時に軍の編成も行われ、それぞれヴォストーチノブルグ(東部軍)、ザーパドナブルグ(西部軍)、ユジノブルグ(南部軍)、セヴェロブルグ(北部軍)、ミッテルブルグ(中央軍)の5つの要塞に配置されていった。
それぞれの要塞の特徴として、
中央軍 |
王都周辺の防衛を担当するミッテルブルグでは、実力のあるエリート兵士が優先的に配置されていった。 |
西部軍 |
西の海に面しているザーパドナブルグには軍艦などの海上勢力が配置された。 |
北部軍 |
一番攻められ難いセヴェロブルグには、新兵育成所など、訓練所が多く建造された。 |
東部軍 |
ヴォストーチノブルグは防衛範囲が一番広いので、全兵士の4割がヴォストーチノブルグに配置されることとなった。 |
南部軍 |
様々な国境と面しているロルクスタン地方とアストラル地方を防衛するユジノブルグには、機動力を生かして敵陣を掻き回す、騎兵が重点的に配置され、エリート兵もミッテルブルグに並ぶ程の数が配置された。 |
このユジノブルグへの配置が、今後のリュドスカヤを大きく左右することになる。
防衛体制も整い、国情も安定してきた8世紀あたりから、リュドスカヤは頻繁に他国へ攻め入るようになっていった。
主に東側へ領土を延ばしていき、南側には現在のファーニケスの北半分や
アカトルイスの西側一部まで領土として保有していた。絶頂期には現在の領土の2.5倍の面積を誇り、世界最強の国家であった。
攻めて攻められ、領土を失うこともあったが、それでも5つの要塞の構成では他国が攻め入るのはなかなか難しかった。そういった状態が1400年頃まで続いた。
衰勢
王国は、1451年に記録的な冷夏により農作物が育たず、食糧危機に陥る。
王政はその食糧危機に対し特に対策もとらず、国民の怒りのボルテージは高まっていくこととなった。
さらに、まだ食糧危機の爪あとが残る翌年に税率を引き上げたことが引き金となり、1452年、ユジノブルグを抱えるアストラル地方で、大規模な独立運動が起きる。
独立運動を抑圧すべく、中央軍をアストラル地方へ派遣したことで、南部軍の一部、アストラル軍と住民が中央軍に対抗、リュドスカヤ内戦が勃発する。
アストラル軍が抵抗したことで、アストラル地方の西に位置するロルクスタン地方でも独立運動が起きる。アストラルとロルクスタン、つまりユジノブルグに配置された南部軍全てが王国と対立することになった。
しかし間もなくロルクスタン地方は中央軍に制圧され、残ったロルクスタン軍は手も足も出せない状態にいた。そこにアストラル軍が駆けつけ、中央軍を追い払うことに成功する。
当時別の二カ国と交戦状態だったリュドスカヤ王国は、内戦の制圧に力を割く余裕もなく、9度に渡り討伐軍を送り込むが全て敗北している。討伐軍を送り込む際、同じく王政に不満を持っていた兵士たちが反旗を翻すことも少なからずあった。
周辺諸国はこの機会を逃さず、宣戦布告、一斉にリュドスカヤ王国へ侵攻した。
アカトルイス連邦はアストラルとロルクスタンを包囲するようにリュドスカヤ西部と東部へ攻めていき、リュドスカヤを消耗させていった。
そしてリュドスカヤ王国は1453年6月21日、アストラル地方とロルクスタン地方の独立をそれぞれ認め、後の
ルスラン共和国の前身となる、アストラル帝国とロルクスタン公国が誕生する。
このころには、アストラル帝国の南に位置する
アカトルイス連邦においても独立運動が起き、結果として
アカトルイスは領土の3分の2を失い、西側にファーニケス公国が誕生する。
ファーニケス公国も弱ったリュドスカヤ王国に追い討ちをかけるように、北東側へじわじわと領土を延ばしていった。東側の諸国も次々とリュドスカヤへ侵攻していった。
ファーニケスの侵攻により、西側に存在していたザーパドナブルグ要塞はファーニケス領となり、以降ファーニケスの重要拠点の一つとなった。そしてリュドスカヤの面積は現在のほぼ3分の2まで縮小された。
その後幾度か、アストラルおよびロルクスタンを奪還しようと兵を送るも全て防がれ、世界最強の王国が衰勢したことが諸外国に知れ渡るようになった。
8年戦争
南部が独立して約500年の間、小さな戦争はいくつかあったものの、国境は少ししか変化しなかった。リュドスカヤの国境がまた大きく動くことになったのは、1940年である。
かつての栄光を取り戻したかった王政は1935年、大国となったファーニケス公国と軍事同盟を結ぶ。王政が考えていたのは、南部、東部の奪還で、主にファーニケスと共同で現在の
ルスラン共和国領を取り戻すことだった。
1940年3月3日、ファーニケス公国とリュドスカヤ王国は、まずアストラル帝国に対し宣戦布告。
宣戦布告と同時に攻撃受けたアストラル帝国は一気に国境を突破され、わずか一週間で首都であるユジノブルグまで攻め入られることとなった。アストラル帝国と、かのルスラン騎士団にとっては始めての敗北となった。
ユジノブルグに攻め入られた際、皇帝の一家は極刑に処され、500年続いた皇室は途絶えてしまった。
アストラル帝国を援護すべく、ロルクスタン公国が二国に対し宣戦布告した。南の
アカトルイス連邦はアストラル帝国とロルクスタン公国に宣戦布告した。
アカトルイスは同盟関係ではないものの、連合側に参加し、これでアストラルおよびロルクスタンを完全に包囲することができた。
しかし、連合軍が枢軸側領地に対する略奪行為を行うようになり、次第にその行為が目立っていくことになる。
だが、枢軸軍の怒涛の抗戦によって、1942年には宣戦布告時の国境線まで後退することになった。
だが、アストラル、ロルクスタンは包囲されているため、ライフラインが絶たれており、次第に資源が足りなくなっていくことになる。
ファーニケスとリュドスカヤでは、既にジェット戦闘機の開発が進んでおり、1947年、遂に戦場にジェット戦闘機が現れることになった。
ファーニケスとリュドスカヤがそれぞれ開発したF-86、Mig-15両機はその速さを生かし、弱った枢軸軍に追い討ちをかけていき、その戦力差は明確になっていった。
さらにリュドスカヤは東側に向けても侵攻を開始し、領土を一気に広げていき、現在のリュドスカヤとほぼ同程度まで領土を回復することになった。
1948年4月2日、ついに枢軸軍は降伏し、8年に及んだ戦争に終止符が打たれた。
近年
戦後、アストラル帝国はリュドスカヤ王国と
アカトルイス連邦で分割占領、ロルクスタン公国は
ファーニケス連邦にそれぞれ占領され、皇帝が失われたアストラル帝国は消滅した。
アストラル帝国の元領地の空軍基地にはMiG-15が並び、ロルクスタン公国の元領地の空軍基地にはF-86が並んだ。
その後、ロルクスタン公国の君主、アンドレ・ベルンハルト公が戦犯として処刑された為、ロルクスタン公国は消滅、両国は再び"地方"へと戻る。
各兵士はリュドスカヤ王国軍、ファーニケス公国軍、
アカトルイス連邦軍にそれぞれ転身していくことになった。
しかし1983年、アストラル帝国の首都であったユジノブルグにおいて、8年戦争時のルスラン騎士団パイロットの息子であり、リュドスカヤ空軍所属のオスカー・エールリヒ中佐を筆頭とする大規模なクーデターが発生した。
彼らは「ルスラン騎士団」を名乗り、リュドスカヤ軍人、ファーニケス軍人が多数参加した。旧アストラル帝国領地であるレーク空軍基地を占拠し、同時に旧ロルクスタン領地であるフリッグ空軍基地を占拠。
領土を統治していた三国は同時に内戦状態へと陥る事態となった。
「ルスラン騎士団」は奪取した航空戦力を用いて、次々と旧同盟側領地の陸軍駐屯地などを占拠、次々と戦力を大きくしていった。三国の各軍内部からも決起するものが現れ、精鋭部隊全員が決起するという事態も起き、混乱を極めた。
3年後の1986年、「ルスラン騎士団」は旧同盟側領地内全ての軍事基地を掌握し、「ルスラン騎士団」と両地方住民は、三国側に対し国家として独立することを承認するように求めた。
戦場の真っ只中であった両地方の住民のほとんども「ルスラン騎士団」を支持するという、クーデターという事柄においては稀に見る事象であったため、時代の流れもあり、過去のように無闇に手を出し難いという状態だった。これらは地域に残る文化の根強さを証明している。
そしてリュドスカヤ王国は、今まで奪取、破壊してきた兵器等を追々賠償することを条件に、国家として独立することを承認し、ファーニケス、
アカトルイスもこれに同意、クーデターは終結した。
1987年、アストラル、ロルクスタンを領地とした、「
ルスラン共和国」が成立した。
さらに1988年、8年戦争時の連合軍による国家ぐるみの略奪行為を非難する運動が世界規模で活発化し、ファーニケスでは過激派がテロを起こし、
アカトルイスとリュドスカヤでは王家の人間が暗殺されるなど、事態は過激になっていった。
結果的にリュドスカヤ、ファーニケス、アカトルイスの三国は、君主が統治する体制から国民主権の体制へ移行、1990年には連邦共和国制国家、「リュドスカヤ連邦共和国」が誕生した。
現在
1990年以来、リュドスカヤと周辺諸国では特に大きな動きはない。ただ、2003年首都ペトロスクで地下鉄爆破テロが発生した。
犯人はテロ組織の一員だったとされているが、テロへの動機は未だ不明である。
しかし、犯人の身元はジバール戦争に従軍した元アル=シオン連合兵士であることが判明し、統合任務部隊の必要性が格段にあがることとなった。
この事件はリュドスカヤや周辺諸国の軍備を再強化させる一因となった。
最新鋭ステルス戦闘機、T-50 PAK FAを開発中であり、2016年から運用開始を予定している。
軍事
リュドスカヤ連邦共和国軍は、陸軍、海軍、空軍の3つの軍種で構成されている。軍管区は、王国時代の中央軍、東部軍、北部軍をそのまま継承し、北部軍の一部が西部に移され西部軍となった。
陸軍
現在約40万人の人員を抱え、戦車を約15,000両保有している。ルーツは東部軍で、現在の本部も東部に存在する。
海軍
リュドスカヤ海軍の歴史は長く、ルーツは建国間もない頃の西部軍である。正式に創設されたのは、1530年で、以来現在の2014年まで続いている。
海軍内に海兵隊組織が存在する。
空軍
人員は約21万人。世界で最も多く人員を有していることで知られる。Su-27やSu-35、MiG-29等を装備している。
建国者:Kinzie
Founding of a country by Kinzie
最終更新:2015年01月13日 04:07