タノランガ Tanoranga
概要
タノランガは、南大海、グレートレリアの南東に位置する島国である。
一番大きな島であり首都が位置するサウスアイランドと、農耕が盛んなノースアイランドの2つの島がある
18世紀頃からグレートレリア人が移り住むようになり、自治領を経て1911年正式に独立し、
タノランガとして成立した。
歴史
先住民アテアロア
アテアロアはタノランガの先住民で、9世紀頃に伝来したと言われているが、その伝来元は詳しくはわかっていない。古くからハワイキと言われる集落を形成し、狩猟を中心とした生活を営んでいた。
18世紀頃に捕鯨船とともに伝来したグレートレリア人と関係を築き、幾度かの戦争の後オークランド条約を締結、和解に至った。
現在においてもタノランガ政府主導のもとアテアロアの文化の保護や継承が続いている
タノランガ島の発見とゴールドラッシュ
17世紀後半、グレートレリアの捕鯨船団が本国の南東に巨大な島を発見した。比較的友好的だった先住民の対応もあってそのおよそ10年後にはタノランガの南西部にあるオークランドが捕鯨拠点として整備され、グレートレリア人の流入が始まった。現在ではオークランドはタノランガ最大の都市となっている。
18世紀の終わり、マンガノイ山で金鉱脈が発見されるとタノランガはゴールドラッシュに沸き、グレートレリア以外からも多くの移民が訪れた。
結果的にこのゴールドラッシュは経済危機を招いてしまうものの、経済、福祉雇用、鉄道などの主要インフラを含め、タノランガの国家の枠組みを作りあげるものとなった。
オークランド条約と議会政治の確立
1841年、第三次アテアロア戦争の集結に伴いタノランガ自治領政府とアテアロア首長はオークランド条約を締結。アテアロア人の文化への不可侵及びその尊重保護を約束した。
1881年、ブライアン・メラーが政治の実権を握ると議会、選挙、政党などの整備が進み、当時としては先進的なレベルの議会制民主主義の導入に繋がった。このことかタノランガは現在でも「民主主義の教科書」と呼ばれている。
独立
1911年 グレートレリアのクライストヒル宣言への調印によってタノランガは正式に国として独立。同時にクライストヒルを正式な首都として定め、現在まで続くクライストヒル憲法とオークランド条約に基づくアテアロア宣言が公布された。
8年戦争
1940年の8年戦争ではグレートレリアの基地として飛行場や港を提供。連合軍の爆撃に晒され大きな被害が出た。
しかし、戦後のファーニケスによる統治と併合は免れ、またグレートレリアに対し経済的な独立を維持していたため、戦争で疲弊したグレートレリアへの食糧支援や経済支援で国際的な地位と戦後の経済体制を確立した。
現代
現在では、精密機械の輸出や、美しい自然やアテアロア族の伝統を活かした観光産業で発展。人気の観光地となっている。
また、広大な牧草地帯を有しており、羊、牛、その他各種農産物の輸出も主な産業となっている
軍事
陸軍、海軍、空軍の三兵科で分かれている。
海軍は8年戦争の経験から比較的強力なものを維持しているが、近隣に脅威となりえる国が存在しない為、陸軍、空軍の戦力は小規模であり、陸軍は輸送車両や装甲戦闘車両、空軍はヘリコプターと輸送機の保有にとどまっている。
2015年、輸送任務を専門として空軍第2航空隊がJTF109への任務へ参加することが決定した。
最終更新:2019年07月27日 18:13