アカトルイス連邦 Federal of Akatlouis
概要
世界屈指の海洋国家として成長し、世界中に植民地を拡大したが、1453年のファーニケス独立によって海洋国家ではなくなり、実質的にそこで海洋国家としての成長はストップすることとなったが、植民地を拡大していくことは継続された。
国名
ヴァローカ神話における五大神の一つ、平和と豊穣を司る神、「アカト=ルイス」から名付けられた。
歴史
古代・中世
紀元前5世紀ごろから紀元前4世紀ごろにかけてコルタ系民族が移住してきた。現在の首都、エポナ周辺に大規模な集落群を構成したと言われている。
202年頃、エポナ周辺の集落が合併し、エポナ王国が成立する。これに習い次々と集落が合併、その地域にエポナ王国を中心とする、小国家が成立していった。
小国家自体も次第に合併されていき、エポナ王国を中心として、トータティス国、タラニス共和国、エスス共和国、ルゴス国、スッケルス共和国、ケルヌンノス国の、7つの王国が形成された。この7ヵ国は後にアカトルイス7国と呼ばれる。
832年、620年に建国してから破竹の勢いで国力を付けていくリュドスカヤ王国がエポナ王国に宣戦布告し、王都が戦場になったことがあったが、特に同盟等を組んでいたわけでもないエポナ王国を除く6カ国が、揃ってエポナ王国へ援軍を送った。
予想外の事態にリュドスカヤ軍は退却せざるを得ず、結局国境線が動くことは無かった。この事から当時の7カ国の関係は非常に親密だったことが分かる。
連邦の形成
832年のエポナ侵攻から、7カ国において同盟を結ぶ、もしくは連邦を形成したほうがいいのではという声が高まっていき、834年、アカトルイス7国の君主が集結して会議が開かれた。
この会議は円卓を囲んで行われ、後に円卓会議と呼ばれるようになる。上座下座のない円卓が用いられたのは、卓を囲む者すべてが対等であるとの考えからである。
結果として、連邦を形成することが決定され、現在でも続くアカトルイス連邦が形成された。首都はこの頃からエポナである。
そして850年頃から、海に面しているケルヌンノス国の海軍力増強計画によって、アカトルイス連邦の海洋国家としての道がスタートしていった。
植民地の拡大
900年頃からアカトルイスは他国に対して攻め入ることも増えてきた。時には海を越えて侵攻し、植民地を増やしていった。その頃にはリュドスカヤ王国に肩を並べる大国として世界を動かしていた。
さらに軍の規模も大きくしていき、軍事の分野ではリュドスカヤを超えて、世界一の軍事国家となる。
1423年、アカトルイスの商船「レッド・ホーカー号」が、現在の
グレートレリア王国の領土となるグレートレリア島を発見し、海軍はその島に侵攻するが、原住民の反撃が想像以上に激しく、多数の戦死者を出した。
この時期、アカトルイスは過剰な植民地拡大により、戦費や、植民地に派遣している軍の費用を賄えなくなりつつあったが、それをエポナ王国を除く6カ国への増税で解決しようとし、各王国の怒りを買うことになった。
ファーニケス公国の独立
1451年の記録的冷夏の影響で、1452年、隣国のリュドスカヤ王国で独立運動が起きると、アカトルイスを含む周辺諸国はチャンスと捉え、一斉にリュドスカヤへ侵攻することになる。
この侵攻の影響でアカトルイスでは、戦費を賄うためにさらなる増税を余儀なくされ、冷夏で影響を受けた上での増税に各国の首脳、国民は激怒。
1453年、ケルヌンノス国、トータティス国、エスス共和国、ルゴス国の4カ国が独立し、ファーニケス公国が成立した。
各国が所有していた植民地もファーニケス領となり、結果的にアカトルイス連邦は領土を3分の2も失うこととなった。
ファーニケスへの侵攻
1630年、領土を取り戻すことを目的とし、ファーニケス公国に対して宣戦布告、侵攻するも、逆に東に位置する芹華国に攻撃を受けてしまう。
実は1615年にファーニケスと芹華は、アカトルイス国にどちらかが攻撃を受けた際、逆側から攻撃することを条約とした密約を交わしており、芹華の行動はそれに従ったものだった。
この侵攻によってファーニケス公国の領土を一部奪還することができたが、皮肉にも東側領土を大きく失ってしまうこととなった。
近年
1940年3月3日にファーニケス公国とリュドスカヤ王国がアストラル帝国に宣戦布告、8年戦争が勃発し、アストラル帝国に侵攻すると、アストラル帝国とロルクスタン公国を占領した次は、ファーニケスとリュドスカヤがこの勢いのままアカトルイスに攻め込んでくる可能性は否めなかった。
実際、ファーニケスとリュドスカヤにはそういった案もあった。それを恐れ、領土も欲していたアカトルイス連邦はアストラル帝国、ロルクスタン公国に対し宣戦布告、連合軍に参加する。
ただ、予想に反してアストラル、ロルクスタン率いる枢軸軍の抵抗は激しく、連合側は多大な被害を被ることとなったが、枢軸軍は1940年当時の国境線以降の領土には侵攻してこなかった。結果、同盟軍側は資源が尽きて連合側が勝利、アカトルイスはアストラル帝国の半分を占領した。
しかし1983年、アストラル帝国の首都であったユジノブルグにおいて、8年戦争時のルスラン騎士団パイロットの息子であり、リュドスカヤ空軍所属のオスカー・エールリヒ中佐を筆頭とする大規模なクーデターが発生した。
彼らは「ルスラン騎士団」を名乗り、リュドスカヤ軍人、ファーニケス軍人が多数参加した。旧アストラル帝国領地であるレーク空軍基地を占拠し、同時に旧ロルクスタン領地であるフリッグ空軍基地を占拠。
領土を統治していた三国は同時に内戦状態へと陥る事態となった。
「ルスラン騎士団」は奪取した航空戦力を用いて、次々と旧枢軸軍領地の陸軍駐屯地などを占拠、次々と戦力を大きくしていった。三国の各軍内部からも決起するものが現れ、精鋭部隊全員が決起するという事態も起き、混乱を極めた。
3年後の1986年、「ルスラン騎士団」は旧枢軸軍領地内全ての軍事基地を掌握し、「ルスラン騎士団」と両地方住民は、三国側に対し国家として独立することを承認するように求めた。
戦場の真っ只中であった両地方の住民のほとんども「ルスラン騎士団」を支持するという、クーデターという事柄においては稀に見る事象であったため、時代の流れもあり、過去のように無闇に手を出し難いという状態だった。これらは地域に残る文化の根強さを証明している。
そしてリュドスカヤ王国は、今まで奪取、破壊してきた兵器等を追々賠償することを条件に、国家として独立することを承認し、ファーニケス、アカトルイスもこれに同意、クーデターは終結し、1987年、アストラル、ロルクスタンを領地とした、「
ルスラン共和国」が成立した。
さらに1988年、8年戦争時の連合軍による国家ぐるみの略奪行為を非難する運動が世界規模で活発化し、ファーニケスでは過激派がテロを起こし、アカトルイスとリュドスカヤでは王家の人間が暗殺されるなど、事態は過激になっていった。
現在
リュドスカヤの首都ペトロスクで、2003年におきた地下鉄爆破テロが発生して以降、対テロリストを目的とした特殊部隊が創設されるなど、対テロ組織に関して意欲的であり、リュドスカヤ、ルスラン、ファーニケスと対テロ包囲網を展開するなど、周辺諸国との関係を強めている。
軍事
アカトルイス連邦軍は、陸軍、空軍の二兵科で構成されている。近年では統合任務部隊であるJTF109にも参加した。
1941年から実戦投入されている陸軍の特殊部隊、AAS(Akatlouis Air Service)は非常に優秀な特殊部隊として有名である。
陸軍
約10万人の兵員で構成されており、近年ではファーニケス軍などの周辺諸国との連合作戦が慣例となっている。
空軍
航空機の黎明期より機体開発・研究を行っており、近年退役したジャギュア・トーネードは周辺国で広く使われていたほか現代に入っても設計の大部分を担ったEF-2000がJTFの主力機の一角として運用されるなど、産業として国家ぐるみで力を入れている。
建国者:Kinzie
Founding of a country by Kinzie
最終更新:2019年07月27日 16:47