概要
網膜音楽について
従来の網膜音楽は「網膜音楽に関する論考」にて指摘されているように、原典のある楽曲を翻案した上で画像として提示し、鑑賞者がそれを視認することでその旋律の再現を試みる芸術という性質が強かった。網膜音楽の記事によればその課題はおもに次の2点である。
①如何に「共通言語」を画面に配置し再現度を高められるか。
②網膜音楽の新曲を生み出せるか。
②網膜音楽の新曲を生み出せるか。
先述の論考では網膜音楽を「個々人の音楽的な創造性をかき立てるアート」まで高めることができれば、もはや「共通言語」を用いる必要もなく、鑑賞者ひとりひとりの解釈に委ねることができると説いている。
網膜ボカロについて
「網膜音楽と網膜ボカロに関する論考」では、網膜音楽が解読の芸術であったのに対し、網膜ボカロは解釈の芸術であると指摘されている。
前者は芸術家が「共通言語」というコードを用い、鑑賞者にそれを解読させた上でメロディーを再現させるものであった。一方後者において芸術家が行うのは、「ボカロ曲」というやや普遍的かつ強力なコンテクストを付与した、原典のないいわば「ボカロの新曲」を提示することである。鑑賞者はそれを好きに解釈し、自由な旋律を享受できる。
網膜ボカロは「網膜音楽に関する論考」にて言及されていた、「新曲」を生み出すハードルを格段に下げた。そして網膜音楽を「個々人の音楽的な創造性をかき立てるアート」へと昇華させたのである。音楽の素養がなくとも「音楽」を作ることができる時代の幕を開けたこの芸術は、サウンド・アート界に大きな衝撃を与えることだろう。
前者は芸術家が「共通言語」というコードを用い、鑑賞者にそれを解読させた上でメロディーを再現させるものであった。一方後者において芸術家が行うのは、「ボカロ曲」というやや普遍的かつ強力なコンテクストを付与した、原典のないいわば「ボカロの新曲」を提示することである。鑑賞者はそれを好きに解釈し、自由な旋律を享受できる。
網膜ボカロは「網膜音楽に関する論考」にて言及されていた、「新曲」を生み出すハードルを格段に下げた。そして網膜音楽を「個々人の音楽的な創造性をかき立てるアート」へと昇華させたのである。音楽の素養がなくとも「音楽」を作ることができる時代の幕を開けたこの芸術は、サウンド・アート界に大きな衝撃を与えることだろう。

網膜ボカロの「VOCALOID™」風キャラクター
「ボカロ曲」というコンテクストを付与されたことにより、モカロ特有のキャラクターが生まれることになった。
関連リンク
添付ファイル