概要
本人曰く、網膜音楽とは「目で見て音を感知する音楽」であるとのこと。名称の着想源は「隣り合った色を網膜で混ぜ合わせる」とも説明される印象絵画特有の描画法、筆触分割に由来すると考えられる。
解説
網膜音楽の試みは、ある特定の楽曲を連想させる絵を提示することで、その独創性が浮き彫りとなる。鑑賞者は視覚から得た情報が脳へと伝播した途端、聴き馴染みのある旋律が頭の中へと流れてくるかのような体験をすることとなる。


いとととの代表作ともいえる「ベートーヴェンの4コマ」を例に挙げる。縦に4つ並んだベートーヴェンの肖像画は、コラージュのように切り取られたり、縦横比を大きく歪められたりしている。ここで画像中に記されたタイトル「運命を思い付いた瞬間」を見ることで鑑賞者の思考はベートーヴェンと一体となり、その脳内には交響曲第5番「運命」の冒頭、「ジャジャジャジャーン」という印象的な旋律が想起されることだろう。聴いていないのにメロディーが流れてくるこの体験を得られることは、「目で見て音を感知する音楽」たる網膜音楽の神髄に他ならない。
またこの芸術は、音楽クリエイターは楽譜を見ることでその曲のメロディーを把握できる可能性があるという事実─言い換えれば彼らは音楽記号を網膜の中で混ぜ合わせ、音を知覚しているということだ─を思い出させてくれる。網膜音楽において、楽譜や歌詞は別のモティーフへと高度に置き換えられている。これによりクリエイターほどの知識と技能を持たない者でも、「見て音を感知する」という体験の機会を得ることができる。網膜音楽はサウンド・アートの次なる段階への移行を告げる、画期的なイリュージョニズムとなるだろう。
またこの芸術は、音楽クリエイターは楽譜を見ることでその曲のメロディーを把握できる可能性があるという事実─言い換えれば彼らは音楽記号を網膜の中で混ぜ合わせ、音を知覚しているということだ─を思い出させてくれる。網膜音楽において、楽譜や歌詞は別のモティーフへと高度に置き換えられている。これによりクリエイターほどの知識と技能を持たない者でも、「見て音を感知する」という体験の機会を得ることができる。網膜音楽はサウンド・アートの次なる段階への移行を告げる、画期的なイリュージョニズムとなるだろう。
網膜音楽は「サウンド・アート」か?
実際には音など発していないものが「サウンド・アート」たり得るのか? という疑問をお持ちの方もいるかもしれない。しかし考えてみてほしい。もとより言葉や文字、そして音楽は何か特定の「もの」や「こと」の形象を持たざるとも、それを見聞きした鑑賞者が表現者の「伝えたい『もの』や『こと』」を知覚するための媒体、いわば「言語」ではないだろうか。
「りんご」という文字列は実際のりんごと同じ形象を持たないし、ベートーヴェンの「運命」という題が指す事象にはかたちすらないだろう。絵画においても同様のことが言える。先に触れた筆触分割は、パレットではなく鑑賞者の網膜で色を混ぜ合わせるよう仕向けることで、塗られているものとは違う色を知覚させるものだ。これは絵のモティーフが、表現者と他の人との「共通言語」となっているからこそ可能となる。
人間は得てして都合の良い知覚、そして錯覚をする生き物だ。恣意的な文字列や旋律から「運命」を感じ取ることができるし、「絵の印象」から描かれた風景の雰囲気を認識できる。網膜音楽は人間の知覚におけるメカニズムを巧みに利用した、「言語」の新たな形態なのである。
「りんご」という文字列は実際のりんごと同じ形象を持たないし、ベートーヴェンの「運命」という題が指す事象にはかたちすらないだろう。絵画においても同様のことが言える。先に触れた筆触分割は、パレットではなく鑑賞者の網膜で色を混ぜ合わせるよう仕向けることで、塗られているものとは違う色を知覚させるものだ。これは絵のモティーフが、表現者と他の人との「共通言語」となっているからこそ可能となる。
人間は得てして都合の良い知覚、そして錯覚をする生き物だ。恣意的な文字列や旋律から「運命」を感じ取ることができるし、「絵の印象」から描かれた風景の雰囲気を認識できる。網膜音楽は人間の知覚におけるメカニズムを巧みに利用した、「言語」の新たな形態なのである。
網膜音楽の課題
楽譜を見て旋律を知るには音楽を学ぶ必要があるのと同じく、「言語」が鍵となる網膜音楽は鑑賞者がそれを知らないと伝わらないという問題がある。またひとつの「言語」を見聞きした全員が同じ思考の経路を辿るとは限らない。モティーフの選定やその表現方法には芸術家の技量が問われる。
また網膜音楽に関する論考で取り上げられているように、現時点での網膜音楽は原典のある音楽を再現する芸術に留まっている節がある。ゆえに網膜音楽の「新曲」を生みだす必要があるだろう。
また網膜音楽に関する論考で取り上げられているように、現時点での網膜音楽は原典のある音楽を再現する芸術に留まっている節がある。ゆえに網膜音楽の「新曲」を生みだす必要があるだろう。
動画投稿サイトへの進出
2024年2月27日、網膜音楽がニコニコ動画の地を踏んだ。投稿者はいととと。
「ベートーヴェンの4コマ」の静止画を8分5秒間にわたり、無音で映し出す作品となっている。「ジャジャジャジャーン」以降の旋律も引き出さんとする意欲が感じられる。この作品の視聴により緊張感溢れるハ短調のメロディーすべてが想起されるのか、あるいは「ジャジャジャジャーン」のみがリフレインするのか。485秒続く動画(?)の中に散りばめられた「言語」を理解できるか、と聴き手の技量をも問うてくる極めて挑戦的な試みである。
この作品を視聴してあなたが感じたことはぜひコメントに残していってほしい。その言葉は次なる鑑賞者への指針となり、網膜音楽をより総合的な現代音楽へと進化させることに繋がるだろう。
なお第1楽章の演奏時間について検索すると、多くの場合約7分程度と記載されている。いとととの作品において8分を超えているのはなぜか? その意図ととは不明となっている。
この作品を視聴してあなたが感じたことはぜひコメントに残していってほしい。その言葉は次なる鑑賞者への指針となり、網膜音楽をより総合的な現代音楽へと進化させることに繋がるだろう。
なお第1楽章の演奏時間について検索すると、多くの場合約7分程度と記載されている。いとととの作品において8分を超えているのはなぜか? その意図ととは不明となっている。
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