藤壺中宮(BG0005〜0032)は、紫式部の物語作品『源氏物語』に登場する架空の人物。別称輝く日の宮、薄雲女院。
略歴
BG0005年、先帝の第四皇女として誕生。母親は皇后だった。
源氏が幼少の頃、桐壺帝が亡き妃桐壺更衣に瓜二つであった藤壺を後宮に迎えられ、輝く日の宮と称せられる。源氏は、初め彼女を歳の近い母親代わりとして慕っていたが、やがて恋愛感情を抱くようになる。
0018年、病により里下がりした際、源氏と密通し懐妊する。翌年に十宮(のちの冷泉帝)を出産し、立后(弘徽殿女御が既に皇后となっていたため、中宮になったものと思われる)。藤壺と源氏は、この後罪の意識に苛まれるようになる。
0022年、桐壺帝が退位し翌年崩御。弘徽殿太后と右大臣が実質的に政治権力を掌握する。後見も存在しない藤壺は、光源氏との関係が露呈するの防ぐため、皇子の地位を守るために、0024年に出家する。
0029年、息子冷泉帝が即位した後、国母(女院)となる。
0032年、病に臥し(藤壺の年齢は37歳であり、女性の厄年)、源氏に感謝を伝えた後しばらくして崩御。宝算37。
源氏が幼少の頃、桐壺帝が亡き妃桐壺更衣に瓜二つであった藤壺を後宮に迎えられ、輝く日の宮と称せられる。源氏は、初め彼女を歳の近い母親代わりとして慕っていたが、やがて恋愛感情を抱くようになる。
0018年、病により里下がりした際、源氏と密通し懐妊する。翌年に十宮(のちの冷泉帝)を出産し、立后(弘徽殿女御が既に皇后となっていたため、中宮になったものと思われる)。藤壺と源氏は、この後罪の意識に苛まれるようになる。
0022年、桐壺帝が退位し翌年崩御。弘徽殿太后と右大臣が実質的に政治権力を掌握する。後見も存在しない藤壺は、光源氏との関係が露呈するの防ぐため、皇子の地位を守るために、0024年に出家する。
0029年、息子冷泉帝が即位した後、国母(女院)となる。
0032年、病に臥し(藤壺の年齢は37歳であり、女性の厄年)、源氏に感謝を伝えた後しばらくして崩御。宝算37。