ペカウニーヌス・ヴァム・エンシェルンブラウド
白語: Pekownienus wam Ensjermbraud
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ペカウニーヌス・ヴァム・エンシェルンブラウド
生年月日 1656年15月9日
出生地 ヴァーン・惑星ゼウィフェン
民族 ボルガード人
最終学歴 家庭教師による教育のみ
所属組織 ハルゼイ陸軍
最終階級 大将
勲章
渾名 ゾラック皇道派

 ペカウニーヌス・ヴァム・エンシェルンブラウド(白: Pekownienus wam Ensjermbraud)は、ハルゼイ帝国の将校。ハルゼイの名門一族・エンシェルンブラウド家の生まれで、1683年の8月クーデターを主導したことで知られている。


経歴

幼年・青年期

 1656年15月9日、ハルゼイ帝国の首都・ヴァーンにて生まれる。彼の祖父はトラヌス・ヴァム・エンシェルンブラウド、父はズルヌス・ヴァム・エンシェルンブラウドであり、両者共に後に皇帝の扶政官を務める、名門一族である。ハルゼイ帝国が建国されてまだまもない不安定な時代に生まれたため、深い寵愛を受けて育つ。また、旧ボルガード領を経験していないという劣等感から生まれた、惑星ボルガード周辺の旧ボルガード領回収の夢も、この頃に萌芽したものである。

8月クーデター

 1680年、祖父のトラヌスが扶政官代表に就任、皇帝に次ぐ権力者となる。トラヌスが真っ先に皇帝に進言したことは、惑星ゾラックへの介入だった。1679年に勃発したダーケフオス危機の影響も冷めやらぬ中、不況に苦しむベリオン共和国は、旧ボルガード領の中立惑星・ゾラックを国際社会の承認を得ぬまま占領し、開発を断行。これに不満を抱いたゲルデン諸国、とりわけグロストラフカ社会主義共和国連邦は、これを、旧ボルガード領についての国際的取り決めであり、ベリオンも署名していた「ゾラック会談の趣旨から逸脱する」とし、批難。グロストラフカの主導の下、ゾラック星代表政府が成立した。
 外交的友好国が少なく、ゾラックの占領について国際的な理解を得られなかったベリオンは、ハルゼイ上層部と密談し、ゾラックで親ベリオン政権を成立させることで了承。そこで白羽の矢が立ったのが、ペカウニーヌスであった。1680年からペカウニーヌスは帝国諜報院?とともにゾラックに潜入し、多くのシンパを集めた。
 1683年8月に、「グロストラフカの帝国主義的支配から脱却する」として、ゾラックのボルガード人が蜂起。事実上ペカウニーヌスが指導する運動であったが、あくまで形式上、視察に行っていたペカウニーヌスが担がれたという形であった。ベリオンの武器を持った蜂起軍は、グロストラフカの援軍が到着する前に代表政府を屈服させ、軍政ゾラックを成立させた(8月クーデター)。
 これを契機にして第一次グロストラフカ・ベリオン戦争?が勃発。1989年には、ブラーメル終戦協定の中で、軍政ゾラックがベリオンおよびハルゼイの傀儡政権であることを事実上認め、同地から撤退した。第一次グロストラフカ・ベリオン戦争としては、事実上のベリオンの戦勝であったが、ハルゼイとしては得るものがほとんどない結果となったため、ペカウニーヌスは改易させられた。エンシェルンブラウド家全体としての没落は防いだが、結果として凋落の一歩を作る結果となった。
最終更新:2025年02月15日 17:35