汎 ハン
- 生没:? 本貫:? 官:?
- 老渠帥達亡き後の、青州黄巾賊の指導者。若く美しい大女。正史・演義に名はなく、「蒼天航路」オリジナルキャラクターと思われる。
- 黄巾の女に乱暴を働いた曹操軍兵士たちを無造作に首切り、これを手みやげとしてはじめて曹操に面会を求めた。
- 張角存命中から、次の黄巾の指導者たる指名を暗に受けていたらしい。なぜ幼女である彼女が選ばれたかは不明。張角の例の超人的な心眼で資質を見込まれていたのか、あるいは張角と血縁があったか、明確にはされていない。
- 一介の黄巾兵としての武技ではなく、教団を宰領できるよう、教義教典を頭に詰め込むような教育を受けていたようだが、本人はそれに反発していた。
- 100万の非戦闘員ごと曹操に帰順した後も、青州黄巾党の指導者として一同を宰領していたと思われる。
- そのわりに、降伏からしばらく、曹操とは一面識も無かったようだ。制度としては、教団を代表する立場などではなく、あくまで「黄巾の子ら」の一人だったのだろう。
- …以上のことを、曹操に乳を含ませながら喋らされる。
- 「土の匂いがする」と度々曹操が呟いているが、黄巾衆は宗教という無形の浮遊物に寄りかかって生きるのではなく、この大地にしっかりと足を踏みしめ農民として自立せよ、ということなのだろうか。
- 事実、曹操は「教典を棄てよ」と言う。なんか契約違反のような気もするが、「黄巾の民とは究極のところ大地に還る民なのだ」という説明で納得。これは曹操がまだ一県令であった時代、はじめて太平道信者を目の当たりにした瞬間に感じた事なのだろう。
- とはいうものの、汎自身は青州軍団の主将として各地を転戦し、呂布・袁術・袁紹らと激戦を繰り広げている。夏侯惇が褒めるほどだから、相当に用兵も長けていたと思われる。
- 舞台が南征に移ってからは登場せず。青州の農民たちを指導しているのだろうか。
- 曹操薨去にともない、青州兵たちは契約終了ということで曹操軍を去ってゆくが、その際も登場せず。
万億 ばんおく →李通へ
卞玲瓏 べんれいろう
- 生没:160~230年 本貫:徐州琅邪郡開陽県 官:皇太后
- 曹操の正室。先妻丁氏の離縁による、繰り上げ正夫人である。
- もともと歌妓であったのを、曹操が落籍させて妾とした。このとき、二十歳。曹操は二五歳である。
- 性情は穏和、その生活は質素そのものだったといい、要するに丁夫人の正反対であった。この「癒し系」愛妾に、丁夫人はとっても辛く当たっていたらしい。
- しかし卞氏は恨みを抱くこともなく、丁夫人に終生懇ろに接した。離縁後の丁夫人に対してもしばしばご機嫌をうかがい、曹操が居城を留守にしているときなど、こっそりと夫人を招待して供応していたという。
- 曹操二五男ありといえども、まともに魏武の血を受け継いで成人したのはこの卞氏の腹だけ。長男・曹丕、次男・曹彰、三男・曹植などは、それぞれに曹操の息子として恥ずかしくない出来であった。
- 曹植が生き延びることができたのも、母の救いがあったため。わが子同士の骨肉相食む惨劇をどういう心境で眺めねばならなかったのだろう。息子より長生きし、孫の曹叡の代、蜀漢による北伐騒ぎの中、七十年の生涯を終える。
- 唯一、実弟の卞秉を可愛がりすぎて曹操に嫌みを言われた以外、まさに完璧な后ぶりであった。曹家三代がまずまず安泰だったのも、この後宮の「女帝」の遺徳があったからだろう
蒼天卞氏
- 「北の歌姫」として曹騰の葬儀に参列。妖艶、という語彙そのままの肢体、濡れっぽい下唇、そして挑発的な双眸。一種の迫力を帯びた女野心家として登場した。
- しかも、所あろうに曹騰の地下霊室で「この世の官能の全てを持って死者を弔う」として、曹操を誘い、交わった。
- もともと董卓の寵愛を受けていたらしい。が、董卓よりも「若い」覇王の卵として曹操を選んだという。彼女の野心とは、その「覇王」の子を産み、歴史に名を残すことであった。
- 曹操の側妾におさまって後、特に丁夫人に邪険にされている描写はなく、曹操と仲良く三人で湯殿につかっていた。夏侯惇・夏侯淵が湯殿へ入ってきたときも悠然たるもので、「♪」と夏侯兄弟の裸身を凝視していた(丁氏は指の間から隠れ見ている)。
- その後、だ~~~~いぶ間をおいて、はじめて「曹一族」に焦点が当てられる一九七話「乱世のディーバ」で再登場。すでに往年の凄艶さはなくなり、かわりに悠揚たる威厳を備えた穏やかな正夫人になっていた。だいたいこのころ曹操五十歳、卞玲瓏四五歳。それぞれ円満な熟年カップルとして落ち着いている。
- ベストパートナー然としている二人だが、こうなるには随分と時間がかかったらしい。
- 若い頃から、曹操は卞玲瓏の前では言葉の代わりに、楽曲を用いたという。万言を費やすよりも、その音色と余韻にすべての感情を込めて、曹操は卞玲瓏に語りかけた。子が無いのを焦り、他の妻妾への嫉妬に苦しむ卞玲瓏もまた、曹操の楽曲に併せて箏を爪弾いて、自らの心情をあらわす。そうして奏でられる和音こそが、この二人の会話であった。
- だから卞玲瓏は言う。「いつも私の体の中には、曹操孟徳の音が鳴っているの」
- しかしながら、息子のことで気苦労は絶えない様子。曹植が兄・曹丕の妻にただならぬ感情を抱いたと見るや、ひそかに家宰をやってそれを阻止したり。「大奥様」も大変である。
鮑信 ほうしん

- 生没:152~192年 本貫:州泰山郡平陽県 官:斉北国相
- 曹操より四つ年上。父が高官であった事と、代々学者の家柄(袁家もそうだが、この当時の名門とは家学を持つ儒門が殆ど)であるため、彼もまたエリートコースを約束されていた。鮑信自身、若くして沈着剛毅、節義をわきまえ為人寛容、知謀も抜群であったという。大将軍・何進はその声名を慕い、彼を騎都尉に任じて募兵の任を与えた。
- ところが大兵力を揃えて帰還する直前、何進と宦官は揃って自滅し、洛陽は董卓軍の支配するところとなっていた。鮑信は密かに袁紹に会って董卓襲撃を持ちかけるが、袁紹はビビってこれを拒否。やむなく故郷に戻り、打倒董卓の機会を待つ。
- 曹操の旗揚げに呼応して、弟・鮑韜とともに反董卓連合に参加。常に盟主の袁紹ではなく曹操を評価し、曹操が何をするにも兵団ごとついて回った。突出した曹操が徐栄軍に蹴散らされたときなど、兄弟ともども曹操の撤退を援護。結果、鮑信は重傷を負い、鮑韜は戦死。このとき陳留の有力な曹操ファン衛茲(名臣・衛瑧の父)も同じように戦死している。やはり曹操には、この時から命を擲つに相応しいカリスマがあったようだ。
- ちなみに「三国演義」では弟の名は鮑忠となっており、孫堅を出し抜いて華雄を襲撃、戦死している。う~ん?
- 曹操が東郡の太守になるのと同時に、なかよく斉北の相(太守)に就任。その直後、よせばいいのに兗州刺史・劉岱が青州黄巾賊と戦端を開き、戦死してしまう。鮑信はお隣の陳留太守張邈らとともに曹操を推戴する。
- 兗州の主となった曹操は、劉岱の路線を引き継いで青州黄巾賊と対立。ところがある日のこと、鮑信とわずかな馬廻りのみを連れて前線へ視察に出た曹操は、不幸にも黄巾の斥候部隊と遭遇してしまう。例によって一目散に逃走する曹操を守るべく、鮑信はその場に踏みとどまった。
- 生来、儒学者として剣を帯びなかった鮑信だったが、この時ばかりは鬼神のように働き、部下ともども壮絶な戦死を遂げた。
- 辛くも逃げ延びた曹操は、わざわざ黄巾首脳に使者を送って鮑信の遺骸を求め、別に賞金を出して遺骸を捜索させたが、ついには発見されなかったという。仕方なく木像をつくって棺に納め、これに哭して死者を弔った。
- …ちなみにこの一連の「いい話」を、曹操一流の茶番劇とするテキストも。脚本・主演曹操だそうだ。
- 享年、四一。長子の鮑劭が跡を継いだが、弟の鮑の方が名声において上であった(後、曹丕により処刑、世を悲しませること甚だしかった)。
蒼天鮑信
- 張奐もそうだったが、「蒼天」あればこそ21世紀の日本人にも名を認知される人物といえよう。
- バリバリの豪傑として登場。やや惑う心を部下の于禁に指摘されたとき、「迷いは戦の後に置くのが武人であったな!」と豪快に笑い飛ばす。
- あくまで「漢帝国」の将という意識があるようで、自軍を黄巾軍に比するとき「官軍」という言葉を用いている。
- 曹操の良き支持者であったが、理解者にはなれなかったようだ。「わからぬままについていった」ためか、曹操の新しい戦にはついに順応できず、うち崩された城壁を護るべく単身、亀裂へ躍り込んでしまう。すぐ後ろでは、最初からこれあるを予測して、たちどころに城壁を修復するシステムがあったにもかかわらず、である。
- 「于禁、曹操殿に仕えて乱世の勇将となれェい!」と最後の命令を遺し、戦死。物凄い速さで積み上がってゆく土嚢の中、「俺の目の前は開けておくぞ!曹操殿の勝ちっぷりを見届けてやるわ!」と凄絶な最後を遂げる。彼の僚友・張邈ともども、生きていれば曹操の佳き友として、さぞかし活躍していただろうに(´;ω;`)