李姫 りき
- 生没:? 本貫:? 官:?
- 曹操の側妾のひとり。曹乗、曹整、曹京という三人の男子を産んだおかげで、姓のみ歴史に残された。
- ちなみに三人の息子とも早死にしている。
- 蒼天では、わずかワンカット登場。丁美湖を離縁した曹操はフラリと李姫の室を訪れたのだが、ピシャリと鼻先で戸を閉められ、
- 「お許し下さいませ。あなたの妻女たちはみな丁夫人の味方でございます」と、涙ながらに言い捨てられる。
- このとき曹操は掌をじっと見つめて呆然とした様子。あるいは親指を挟まれて痛かったのかも(そう見えた人、いません?)。
李典(字:曼成) りてん

- 生没:174年(?)~209年(?) 本貫:州山陽郡鉅野県 官:破虜将軍
- 隠れた名将として、「三国演義」派にも妙な人気がある。敵の策略をいち早く見抜いているのに、上官が無能だから進言が容れられない気の毒な人。曹操軍のジャン・ロベール・ラップとも。
- 「三国演義」では曹操の旗揚げから登場している最古参武将だが、見ようによっては、三人の武将をひとりとして数えていると言えなくもない。
- ひとりめは、李典の従父・李乾。山陽郡の乗氏県一帯を支配していた豪族だったが(もともと兗州一帯の李氏は代々強力な私兵集団を擁する大豪族だった。李乾はその分家だろう)、私兵数千を率いて曹操軍に参加。部将として勇猛果敢で鳴らし、陶謙戦、袁術戦などで度々武勲を上げた。しかし、呂布の謀将、薛蘭・李封らに謀叛を持ちかけられたとき、これを断って殺害される。
- で、この李乾の息子・李整が「二代目李典」にあたる。父に似て丈夫として知られ、すぐさま私兵集団を立て直して呂布軍に逆撃を加え、ついには薛蘭・李封の両将を敗走させた。後、青州刺史にまで累進したが早世。子はなく、従弟が跡を継ぐ。
- こうして、その「従弟」李典が世に出てくる。まだ30前の青年である。
- 李典は、しばらくは地方の県令や太守を歴任。このまま穏やかな内政官として生涯を過ごすかと思いきや、対袁紹戦では独断で兵を動かして大勝を得るなど、存外な武略を見せる。猪突に傾く傾向のある楽進とコンビを組まされるのは、この頃から。
- ちなみに夏侯惇が長生きできたのもこの李典のおかげ。劉備の埋伏計に翻弄され殲滅の危機にあった夏侯惇軍を、李典は間一髪で救い出している(「三国演義」でも博望の戦いで同様の活躍を見せている)。
- 赤壁の後、張遼・楽進とともに合肥に駐屯。三人で対呉方面軍団を預かることになるのだが、当時の曹操軍団の部将はそれぞれに我が強く、お目付約の趙儼が監督しないと作戦行動に支障を来すほど仲は悪かったという。中でも、李典と張遼の仲の悪さは有名だったようだ。従父・李整の仇と見ていたのかも。
- しかしながら、いざ呉軍が攻めてきたとなれば、李典の方から素早く張遼に和解を求め、共に轡を並べて出撃。わずか数百の歩兵で孫権軍十万を潰走させるという大活躍を見せた。
- 以上のように将来が嘱望される青年仕官であったが、おそらくは当時流行した流行病により、三六歳という若さで俄に没す。
- 途中から武官へ転向したものの、生来、儒者を敬うこと篤く、自身も大変な読書家で、また謙虚で長者の風があったといい、彼を知る誰もがその早すぎる死を悼んだという。諡して慇侯。子の李禎が跡を継いだ。
付記
- 魏の人間にしては、珍しく記述に混乱が見られる人物。まず没年209年とあるが、実際は215年の合肥戦でも登場している。享年36、とハッキリ書かれているので、それから逆算すると誕生は180年頃になる。となると官渡の戦いのおり、まだ10代後半かせいぜい20歳くらいの若者ということになり、前述のような活躍ができるかどうか微妙なラインでもある。
- ちなみにこの李典、中国史学的には部将としてではなく豪族として名が高い。曹操が鄴を陥とした直後、李典はわが卷族三千家一万三千名を率いてその鄴へ移住した。これは当時の地方豪族と中央政府のパワーバランスを検証する上でしばしば取り上げられる「事件」なのだ。
蒼天李典
- 「蒼天航路」では、官渡籠城戦の最中の許都で登場。ちょうど曹仁が曹操に亀をぶつけられるシーンで、初のお披露目となった。どうやら、曹操の霹靂車(発石車)設計を補佐していたようで、曹仁のおでこの位置から発石車の射程距離を正確に割り出して見せた。
- 穏やかな儒将…というイメージではなく、顔に凄まじい刀痕を走らせた恐ろしげな武者ぶりである。見た目も三〇そこそこというところだろう。しかしながら、曹操と話しているときの表情は、悪戯を考える子どものように無邪気だった。徐晃あたりと仲がよさそうだ。
- 霹靂車のエピソードでキャラの方向性が定まったのだろう。トンデモ武具を発明・実用したり、「特殊な工法」で手早く土木建築を行う「からくり屋」として描かれている。ゲームであれば間違いなく「発明」スキルの持ち主だろう。
- 合肥では、張遼と個人的に対立していると言うより、楽進を含め「将軍どうしの不仲」という描かれ方をしていた。しかし孫権軍を追撃する策は事前に用意しており、「追撃するなら使うか?」張遼「使ってやろう」と妙な呼吸で連携していた。(もっとも、この追撃で楽進が重傷を負うが…)
- この追撃戦では、猛将甘寧を「実験台」に数々のトンデモ仕込み武器を披露し、散々に翻弄した。背中の翎子(羽根飾り)を切り取っているようだから、李典の圧勝だったようだ。
- だが翌年の戦闘では、「受けた仇は必ず返す」甘寧に襲撃され、あっけなく胸元を刺し貫かれていた。
- お互い、崩壊する砦の建材に巻き込まれながらの形だったため、甘寧も「生死定かならず」として武勲に数えていないようだ。実際李典はしばらく存命していたようだが、その年のうちに没し、許褚が泣きながら曹操に報告している。
- 生前曹操に「討ち死にだけは真っ平でござる。例え深手を負っても、這って城まで戻り、朝服に着替えて果てますぞ!」と、文人たる事に並々ならぬこだわりを見せていた。曹操もその意を汲んで、李典を将軍としてではなく、文官として葬るよう指示を出している。おそらく廟堂でも文官の列に描かれたに違いない。
- 彼の死後も、李典発案のトンデモ兵器は曹操軍によって運用され、特に超大型の弩(李典弩)は戦艦の主砲のごとき活躍を見せていた。また、徐晃は自身李典の仕込み武器の数々を装備し、関羽に挑んでいた。
李通(字:文達) りつう、りとう

- 生没:168年?~210年? 本貫:荊州江夏郡平春県 官:汝南太守
- 意外にも、曹操軍団随一の武勇の人とされる人物。
- とはいえ、ただの武芸者ではない。若くして州一帯に名を響き渡らせる侠客であったが、数千の私兵を率いて乱世の風雲に乗じる。数県を伐り取ったところで曹操に帰順し、その部将となったおきまりのパターン。対張繍戦などで活躍している。
- 曹操は、とりあえず彼に汝南一帯を支配させる。ちょうどこの頃、曹・袁の対決は避けがたい情勢になっており、中原の諸勢力はどちらにつくべきか混迷を極めていた。袁紹もそれを見越して、曹操の後背部にあたる汝南諸県に様々な工作を施していたが、李通のみはそれを頑として撥ねのけ、曹操に絶賛される。当時の曹操からすれば、純軍事的な意味でも、政治的な意味でも、李通のような存在は涙が出るほど嬉しかったに違いない。
- 赤壁の直後、劉備・周瑜同盟軍の鮮やかなカウンターを喰らった荊州曹操軍団は、潰走に潰走を重ねて江陵要塞に逃げ込んだ。しかし主将の曹仁ともども重囲に陥り、その運命はまさに風前の灯火に。
- そこへ救援に駆けつけた李通は、自ら矛を振るい、馬を下りて逆茂木を引き抜くなど凄まじく働き、周瑜の包囲網を外から突き破って曹仁軍を救出したという。
- というわけで曹操軍有数の闘将として名を馳せるのだが、その征旅中にわかに病を発し、陣没。四二歳という若さであった。
- 諡して剛侯。子の李基が跡を継いだ。
- 「三国演義」ではあと数年長生きし、馬超に一撃で突き殺されるという名誉ある役目を担った。黙祷。
- ちなみに名医・華佗の伝でも、彼の妻がクランケとして登場。
蒼天李通
- 蒼天では、謎の青年「万億」として颯爽デビュー。万億とは彼の幼名だが、成人した後も曹操たちは「万億」と呼び慣わしていたようだ。
- 第二次張繍戦での初登場だが、部将というより曹操の馬廻りのようなものだろうか。曹操が声を掛けると、すぐさま少部隊を率い、敵陣に突入する。「これが勝ち戦の快感かあッ!」と、なんと敵縦列をタテにぶち抜き、苦戦中の于禁隊を援護した。
- 官渡にも登場するが、わずかワンカット。官渡に籠もる「兵卒」として、コマの隅っこにいる。さすがに楽進・徐晃なみに兵卒スタイルが板についていた。
- 赤壁の戦いでは、孤軍奮闘する荀攸の応援団として登場。「周家のボンボンの好きなようにはさせん」と啖呵を切っているが、確かに荀攸が築陣した烏林一帯は、李通の故郷にほど近い。
- そのためか、黄蓋の偽降の際も曹操の傍らにいた。直後に始まった火攻と、それに続く周瑜軍の猛攻撃の際は、自ら槍を振るって曹操を護衛。乱戦の中、本営まで迫る凌統と激しく打ち合っていた。
- 以後しばらく姿を見ないと思っていたら、サラっと「万億が病死」とセリフ中で触れられてた(´;ω;`)
劉延 りゅうえん
- 生没:? 本貫:? 官:東郡太守
- 曹操の部将。東郡の太守として袁紹との国境を守った。敵将顔良が渡河してきたときは白馬の県城に入り、防戦を指揮。寡兵よく大軍を防ぎ、曹操の援軍(関羽と張遼)が到着するまで津を守り抜いた。
- 車胄もそうだったが、曹操陣営には存外、こういった無名の名将がゴロゴロ。
- ちなみに「三国演義」では、関羽に救われた恩義を守り、曹操の元を脱する関羽を敢えて阻止しなかったため、斬られずにすんでいる。
- 蒼天航路では、どうにもアゴの長い男。
- 顔良の猛攻に耐えかね、「曹操殿、無念でござる。この劉延にはもはや手の施しようがござらん」と呆然と呟いている。
- そこへ現れた関羽と張遼の人外魔境の強さを見て、ただ「凄ぇ…」と感心だけしていた。