『食うため。』
「ハァ…………、ぐっ………。ハァ、ハァ………………」
世の中ってのは本質上『奪い合い』だ。
受験戦争や社会では相手を蹴落とし、詐欺師はバカから金を捲き上げ、肉食動物は草食動物を喰らう。
略奪された敗者に待っているものは破滅、底辺……最悪は、死。
どんな偽善を吐こうとも、『奪うか奪われるか』で世界が形成され回っている事実は変わりがない。
だから、俺は竹本を追い詰めたことに一ミリも後悔してねェ。
悔いは、全くなかった。
「…いっでえ…………。畜生ッ…………、ハァ、ハァ………………。滑川………クソ野郎がッ………ハァ………」
俺は歩いた。
ギシギシッと痛む腰を抑えながらも歩き続けた。
…その抑えてる手も、腕も骨折まみれで呼吸するたびに悲鳴を上げやがる。
「ハァ…ハァ………、ハァ………………。獅子谷………、熊倉のクズも……………、…ざけやがって…………」
ヤクザ同士のくだらねェ内輪揉めが起点となり、三年近く。
肩を撃たれ、反社野郎には死体損壊や強盗の片棒をかつがされた挙げ句耳を切られ、…義理だか何だか知らねェが糞ヤクザ滑川には現在進行型で散々だ。
至る所激痛を背負わされているが、何より左太腿の状態が酷い。
片足だけ電気水風呂に浸かってるような──足の感覚なんかほとんどなく、引きずりながらも、俺は歩き続けた。
「ハァハァ………あぁ…………。ハァ、………ハァ………………ハ……………ハァ……………………」
…やっべぇ。
視界がだんだんぼけてきやがる。
身体中の外傷もだが、かれこれ三日三晩寝ずに過ごしてきたから、体力面も調子がおかしい。
極度の疲労を感じるとナチュラルハイになるっつうが、ここまで長丁場だと流石に披露が勝るみてェだ。
頭がズキズキと、バファリンを欲している…。息ができねェ……。
「ハァ…………………………。……………ハ、ァ……………………………………」
いや、何よりも。
何よりも、─────空きっ腹が一番苦悶すぎる。
なにも食えねェし、飲みも許されねェ。
殺し屋くんがミネラルウォーターに毒注入しやがったお陰で、滑川と対峙する予定日まで食い物全部疑心暗鬼だ。
クソがっ……。
「…………ハァ………ァ………………ぁ、ぁ………………………」
「………………………………………………メシ………」
──────────────。
ドタリッ、
という音で自分が今ぶっ倒れてることに気付く。
地面の冷たい感触…、激突した時の痛みだろう──じわりじわりと頬のにぶい内出血感がやってくる。
…こんな状態のときに……、殺し合いとか呼び出しやがって。
「………やるなら………………、もっと前の……ときに、…………参加さ……せろ……………っつーの…………………」
…やはり、一番効いたダメージは空腹だった。
血、肉、骨に蓄えられたエネルギーが一秒ごとに消費され、頭も視界も徐々に白銀世界で埋め尽くされる。
俺は息をすることも忘れ、そのまま気を失っていった…………………。
◆
……
………
バチッ………、バチバチ……
グツグツ……、グツグツ……
ショリ、ショリ
トントントントン、ザッ
グツグツグツグツ……
…
「うむ、これくらいで良かろう」
…火花が…、飛び交う音が聞こえる…。
何かを煮沸している音が、ガサゴソと物をいじくる音が…。
そして、老人の声が、すぐそばから…………。
「…あッ??」
「む。目が覚めたようだな。メガネの若者よ」
『参加者野郎』の声で俺は飛び起きた。
────妙に香ばしい臭いが鼻に届いて目覚めた、ってのもある。
目を開いた先に広がっていたのは、暗くて汚くてどんよりとそびえる壁。
見上げりゃ闇夜の空、地面は一部分だけ芝生に覆われており俺はそこで体を横にしていたようだった。
──同じく芝生にてあぐらをかく『髭面』と共に。
「ぐっ……!!! …く、くぅっ…………………」
飛び起きた衝撃でズタボロの腰に激痛が走る。
脂汗がじんわり自然発生する程の痛みだ。
飛び出そうな骨の感覚に、歯を食いしばって表情凄まないと耐えそうにもできねェ。
「…痛むか。まぁ暫くは安静にすることだな」
「………………あ?」
「わしは医者ではない。それゆえ、お前の怪我についてどうこう言えないのは確かだ。ただ、今はお前は休むべきなのもまた確か。…案ずるな、時間はまだたっぷりある」
グツグツグツ……
焚き火にて温められる黒鉄鍋から、ドロドロ何かを掬いながら。
髭面は、腰を抑える俺を傍目にそう言った。
──…最も目に付くチャームポイントから隣のジジイを髭面と呼んだが、こいつの容姿はあらゆるところ異様だ。
ホームレスと言うには少し違う………。
低身長な割にやたら硬化な筋肉を『鎧』で纏い、頭にはツノの生えた兜を装置……、腹あたりまで伸びる剛毛はヒゲなんだか胸毛か知らんが不潔感極まりねェ。
奴の近くにはバカでかい斧が鎮座しており、完全に奇人異人の部類だった。
俺がジロジロ観察することを察したのか、髭面とふと目が合わさる。
「それにしてもお主、えらく青白いな…。これは暫し何も食べていない様子と見える。エネルギー不足の表れだ」
「…………………なに…──、」
「いいや、事情は聞かぬ。話さんでもいい。………さて、出来上がったぞ。食うとしようか」
…別に事情説明する気はなかったが。
髭面は茶色いお椀に汁物を注ぐと、俺に、
「ほれ」
と、岩みたいにゴツゴツの手で渡してきた。
アツアツの湯気が立ち上るソレは、一見にしてクリームシチュー。
緑の葉物やら鶏肉が白い餡に包まれ、よく見れば米が沈む。雑炊かなんかを調理したのだろう。
クリーミーな香りだがチキンの油香ばしさも邪魔しないくらいに際立つ。
腹が減って仕方ねぇ俺は、普段ならば速攻受け取り、ガツガツと飲むように箸を進めたことだろう。
それくらい食欲そそらせる料理だった。
だった、が。だ。
「…うむ美味い。………ん? どうした? 食いたくないのか」
…この汁物が髭面の『支給武器』だとするんであれば……、偉く人の苦しみに漬け込んだものだぜ。
若虎会のヤクザ共ならともかく、こんなホームレスじみた奴に俺を殺す理由や動機なんか普通に考えてあるわけがない。
が、今『殺し合い中』となると話は別だ。
戦争中、全く恨みもねェ、顔も知らん他国の若者を撃たなきゃいけないのと一緒で、理由もなく殺人が行われる現状下にある。
要は、この料理に毒薬を混ぜてる可能性が十分あるわけだ。
「…ガツ、ガツガツ。ハフハフ…ガァツガツ……。ちと塩気が足りんかな」
──厳密に言えば俺に手渡したお椀、いや箸に塗ってあるだろう。
俺が食うのを待たずして、髭面はガツガツと口に流し込んでいるのだから、毒が含まれるとしたら間違いなくお椀だ。
自ら率先して口にし、料理の安全性と信頼を示してるのだろうが……、猿芝居も良いものだ。
俺は橋を汁へチョポン、と一瞬突っ込んだ後、食いもしないで中身を鍋へと戻す。
「…ガァツガァツ………。…何をしている? お主」
口では俺の行動へ反応を示す髭面だが、その表情はひょんひょうとしてやがる。
全く食えねェ野郎だ。
俺は、お玉で中身を入念にかき混ぜ、ちょうど空になった奴のお椀に注ぐと、一言脅した。
「食ってみろよ…? これでもよ…」
一瞬、面を食らった顔をする髭面。これは果たしてどういう感情を示したわけか。
仮に毒が入ってる場合は、これで奴は口にすることができなくなった。
無論言い訳なんか吐かせるつもりはねェ。
なんらかアクションを取ろうとした時点で、腰元のチャカをぶち抜くまでだ。
正直こんな奴無視して立ち去ることもできたが、何より毒物で狡猾に俺を殺そうという卑劣さが気に食わねェ。
やれよ。どうすンだ。…テメェ。
たっぷり入らされた汁物を呆然と眺める野郎に、俺は警戒心を高めながら注視し続けた……。
「…まったくやれやれだな」
「あ?」
「コイツに毒が入ってるとかそう勘ぐってるようだが……。疑心暗鬼は仕方ないといえど、少しは考えてみろ」
「わしがお前を殺そうと目論んでいたら、この斧で気絶してる間に闇討ちをしたろうに。違うか?」
「………」
そばにあった大斧をカチャカチャさせながら、奴は続ける。
「別に斧に限らず、わしの周りには包丁だのなんだのと豊富だ。それだというのに、わざわざ回りくどく毒殺を選ぶとは。理に適ってないと思わんか?」
「………テメェが、よりもがき苦しむ死に様を見たい異常者って場合もあるだろ……………」
「ふんっ、わからぬ奴だ……。まぁ良い。口で説明できないとなれば、実践で納得させるまでだわい」
そう言うと、髭面は呆れた素振りをした後、ガツガツガツガツガツと盛られた雑炊をかき込み始めた。
…食いやがったのだ、こいつは………。
ガァツ、ガァツ、ガァツ、ガツ………
あっという間に平らげた髭面は、食い足りない様子でまたお玉から汁物を器に入れる。
気づけば、鍋にはあと少ししか入ってねェ。
野菜はほぼ溶け込み、肉は僅か。鍋底が見えそうなくらい米と汁も残ってなかった。
……空腹が理由で、体力も同様に残り僅かしか保たなかった。
「…………………チッ、」
気づけば、俺は鍋ごと奪い取り、わずかばかりの汁物に箸を突っ込んでいた。
久しぶりに口にするまともな食事。
大して味わず、勢いのままに喉へ流し込んだつもりだったが……、あまりの美味さに舌が光悦しそうだ。
味付けは塩コショウのみだろう。
参鶏湯に似た味付け、『優しい味』が嫌いで普段ジャンクばかり食っている俺だが、米の甘みと温かなスープに箸を止められずにいる。
こいつは、本当に俺のためを思って飯を作ってくれていたのだ……。
二日ぶりの飯は身に留まらず、心まで染み渡っていった────。
ガァツ、ガァツ、ガァツ、ガツ………
ガァツ、ガァツ、ガァツ、ガツ………
「……………」
「……………」
二つの咀嚼音が、ただ共鳴するだけの静けさ。
その黙食が暫くこのビル裏を支配していった……。
「こらっ! 野菜を残すなっ! 全く…いい大人がなにを好き嫌いしとるんだ……」
…バクバク………。
「……うるせェ。俺は体内で食物繊維が自動生成されるからいいンだよ」
「愚か者め…。いいから野菜を食べなさい!」
「…うっせェつってンだろ…………」
◆
空になった鍋。焚き火は消え、チリチリか細い煙だけが昇る。
…髭面曰く、肉や野菜はこの渋谷から『採れた』食材らしい。
「このシブヤ…。何たる素晴らしい場所ではないか! あらゆる食材が並んでおり、しかも加工済み…! この世の楽園とはまさにここを指すわい」
「…『お金』って知ってるか?」
「…………………あの建物は店だったのか?」
「……一応そこらへんの一般常識はあるンだな……」
寸胴で青い鳥が看板の建物で、『採れた』と話す。
俺はハナっから法を遵守する気はないし、第一万引きなんかよりもやべェ重犯罪をさせられる今だから、どうでもいい話だけどもな…。
髭面は現在進行型で、ギコギコギコと近くにあった木から何かを作っている。
俺の支給武器はチャカ一つだというのに、奴は斧にナイフにノコギリ…一体何本武器を渡されたっつーのか。
謎格差っぷりがきになるところではあるが、今はただ胃もたれの冷める頃合いを待つだけだ。
タバコを吸いながら、夜空を黄昏れ眺めた。
「…『ミノタウロス』という魔物を知っているか?」
「あ? 何だよいきなり」
「まぁ食後の軽い雑談だ。…ミノタウロスとは、四足歩行直立の牛。蹄はあれど、人間のように歩き、そして人間のように意思を持ち、冒険者に出会ったらこれまた人間のように拳で戦いに挑んでくる…。言わば牛人といった魔獣じゃな」
「は?」
「さて若者よ。ここでわしは問いたいわけだ。…お主、ミノタウロスの肉があったとして。──食おうと思うか?」
「……。…『食人じゃないのか?』とでも言いてェのか……?」
「うむ。察しが良いな。問題はそこだ。わしはちょいと数日前、ひょんな機会からそのミノタウロスの肉を舌鼓んだものじゃったが。妙に引っかかって味なんかあまり分からなかったものだ」
「………」
「いや、味覚が衰えた料理人振る舞いの為、実際に味はなかったのじゃが…まぁそれはどうでも良い。若者よ、言わずもがなカニバリズムは禁忌。無論司法も重罪と定めておる。…例え法律なんて物に記載がなくとも、わしは食人は絶対しないつもりじゃった──」
「──だからこそ引っかかるのだ。わしが口にした、あの肉汁の化身であるステーキは…人肉なのか、魔物食なのか。さて、お前はどう結論を出す?」
「………あっちの世界の話過ぎて返す言葉がねェよ…」
「…ふむ。お前はさしずめ、これまでダンジョンにも魔物にも縁がなかった一般庶民…というわけか。幸福とも云えるが、不幸とも云える。ミノタウロスに限らず、魔物飯には得難いものがあるぞ」
「それ食うくらいなら野菜食うっつーの……」
こいつ、『根はいい人なんだけど…』の典型例だな…。
つか普通にやべー奴だろ。ポン中か?
つーかさっきから何をDIYしてるんだ?とも思う。
紐やら木の枝やらガチャガチャ、妙に器用な手つきで作って、何をしたいのか皆目予想がつかねェ。
髭面は一体なんなんだ…────。
カチカチ、ギュッ
「よしっ、出来たぞ」
だなんて考えていたら、タイミング良く奴は完成品を差し出してきた。
手当された木の棒、それはどう見ても──────松葉杖…。
「不格好なのは分かる。だが今はプライドを捨てそれを片手に動こうぞ」
「…これを俺に、か」
「……その怪我では歩くにも不自由だからな。さて、そろそろ行くとしようか。若者よ」
髭面の指示の元、奴に共音するかのように俺も立ち上がった。
杖越しとはいえ、立つだけでも激痛がえげつない。
…別にこの場で居残り、我道を行くことだってできる。
だが、名前も素性も不明瞭な俺にここまで尽くしてくれた髭面に、行動を共にしねェだなんてそこまで俺も人間として落ちぶれてない。
「…あぁ」
…
……
カツ、…カツ、…カツ、…カツ
……
…
俺等は街を出てひたすらに歩き続けた。
行き先は…、面倒で聞いてないから分からねェ。
ただ、
「わしはどうにかしてこの殺し合いから脱出したいと考えている。…その点、首輪がちと厄介だがな」
と、髭面が言う限り、バトル・ロワイアルから優勝せずして生還……脱走を最終目標に目指してるようだ。
確かに、手を汚さずして無事帰宅なんてできりゃあ誰もが万々歳だろう。
俺が考える限り、まるで塗り固めたように『ルールの穴』なんか見つからないのだから、脱出なんて容易くない。
むしろ不可能とまで言える。
だが、奴もその点は理解しているようで、それでいてどこか自信満々そうに道を進んでいった。
どこまでも、歩いて歩いて。
俺は奴を信じ、進み続ける。
カツ、…カツ、…カツ、…カツ
────だが、脱出成功したとして、『俺』はどうなる?
「……………」
────逃げ切った場合、他の参加者共は平穏な毎日を過ごせるようになるが。
────…俺は何か日常が変わるのか?
────渋谷から出て、待っているのは滑川共腐れヤクザ共の追いかけっこだ。
「………」
────加納が死んで、マサルもいなくなり。…柄崎や高田までヤクザに命を狙われている、今。
────脱出することが俺にとっては『最適解』なのか? …本当に。
「……」
────主催者は言った。「最後の一人まで殺し合え」と。そして、「優勝した者には願いを叶える」とも。
────脱走とはよくいったもので、俺は『逃げ走る』ことが正解じゃないのではないか………?
────それは滑川相手にも。そして、殺し合いを相手にもだ。
「…」
────俺は。俺は。
カツ、…カツ、…カツ、…カツ
「………………………」
目の前には髭面の硬質な背中。
…そういえば、コイツの名前……、まだ聞いてなかったな。
「……どうした? 立ち止まったりして、痛むのか?」
「…今更だがよ…、あんた名前…まだ言ってないよな?」
「なんだそのことか。わしの名はセンシ。ドワーフ語で探求者という意味だ。…そう言うお前は何と呼べばいい」
「…あ?………………俺の名……か………」
自己紹介を求められたとき。
…いつもなら『田嶋』と偽名を使って、その場を凌ぐものだった。
闇金業者でのうのうと本名使うなんてバカのやることだからな。
………だが、今は違う。何もかも、世界観も常識も全てが違ェ。
俺の本名──。それは──、
─────────────丑嶋馨だ。
カチャリッ
「……………………………」
「…………………………撃つのか、わしを」
自分がこれから何をされるか、奴は察しているだろうに振り向くことはなかった。
俺は、鎧に包まれていない首へ目掛けて、拳銃を構える。
「…俺にも優勝しなきゃいけねェ理由ってモンがある。…あんたに恩義を感じてないわけじゃねェ……。そしてあんたと意見反するわけでもない。だが、だ──」
「──だが、世の中は奪い合いだ。弱い国は強い国から奪い、資本家は労働者を奪う」
「…………」
「奪るか、奪られるかなら。────俺は奪う方を選ぶ。そして、俺は『願い』で消さなきゃいけない人間がいる」
「悪ィな。センシさんよ」
チャカを握る左手が異様に揺らぐ。
…精神的な動揺が理由だろう。
俺は、今、命を救ってくれて、そして見知らぬ俺を仲間として受け入れてくれた人を殺そうとしてるのだから。
遠い昔に捨てたはずの人情とか罪悪感とかが俺を揺らぎ止めようとしやがる。
だが、情は必ず自分自身のみを滅ぼす。
俺は滑皮秀信、そしてうざってェ極道全員まとめて、楽に消滅させなきゃいけない。──ボンクラ主催者の力を借りて。
仕方ない、が免罪符にならねェのは分かっている。
だが、撃つしかねェ。徹底的にやるしかもうねェんだ。殺し合いに。
丸腰の背中を向ける髭面の戦士に向かって、俺は何も考えないようにしながら、引き金をゆっくり引いた────…。
「撃ちたいなら撃てばよいだろう。お前の人生だ。仮に、わしが命乞いをしようともお前は曲げんだろう」
「……………あぁ、じゃあな──…、」
「だがこれだけは言わせろ。野菜をこっそり捨てた時から思っていたが、わしはお前が心配でならん」
「……………あ?」
「お前は自由な気質だから好きなものしか選ばないだろう。それはよい。しかし覚えておけ──」
「──その気質がお前の自由を狭める可能性もあるのだとな」
「…………………」
「よいか? お前は自分が嫌いだからって食いもせずホウレンソウを捨てたが、あれはビタミンB1が豊富で栄養価が希少野菜なのだ。…忘れるなよ、──」
「──損得ばかり行動したとき、最後に待っているのは一番の苦しみだけだ。それだけを肝に銘じて、よく考えてから殺し合いをしろ。分かったか?」
…
……
──人は損得で決めすぎる。見返りばかり求めていたら究極…。自分の為になるコトしかしない心の狭い人間になるよ。
──カオルちゃん………。
……
…
チャカを持つ手が金縛りみたいに動かない。
引き金にかける指が死後硬直みたいに固まる。
指の先の、内部……。骨と、肉と、血管が緊張したみたいに動いてくれない。
俺は………、
優勝しなきゃ安全はないっていうのに。
この糞みてェな人生の危機こそが一番のチャンスだというのに。
俺は………………、
「…………………………………竹本」
チャカを握る手が、しんなりと力を無くしていった。
「………やめたか。…少なくとも、わしはその方がお前の為になると信じておるぞ」
センシは、殺されるだろう寸前までいっても最後までこちらを振り向きはしなかった。
奴は俺と顔を見合わせて話していない。
それだというなのに、見えないはずの奴の凄む目つきに俺は心から負けて、行動に移せなかった。
ドンキホーテへと入っていく奴は、最後、久しぶりに顔をこちらに向けて。
そして、光の中へと消えていった。
「わしはさっきの分の会計を済ませてくる。わしを待つも、勝手に動くも自由だ」
「ただし、わしはお前を待っているぞ。…なにせまだ名前を聞いておらんのだからな! ふはははっ!」
「それじゃあ、一旦は一区切りだ。さらば、若者よ…」
◆
カツ、…カツ、…カツ、…カツ
俺は歩いた。
ギシギシッと痛む腰を抑えながらも歩き続けた。
松葉杖のお陰か、引きずり歩いても支障はなく、つい殺し合い開幕当初よりもスムーズに歩を進め続けた。
「………………ハァ、ハァ…」
未遂とはいえ、あんなことをしたというのにセンシとついて行くなんて面の皮の厚さは俺にはなかった。
だが、一つ。ヤツの代わりとして、持ってきたものがある。
それはセンシの魂こもった熱意…、心だ。
こんなこと言うのもガラじゃねェが、あいつの想いはしっかり身に纏って、俺は歩く。
行き先、ゴールなんか決めてねェ。
だが全ては『ゲーム脱出』の為に。
俺は、歩いて、歩いて、身体に鞭を打ち続けた。
「………ハァ、…ハァ……………」
「おい豚ァ!!」
「………………………あ?」
ふと背後から声がした。
一瞬センシに呼び止められたかと思ったが、間違いなく違ェ。
男の野太い声が俺に向けられたので、痛みを堪えつつも仕方なく振り返った。
「………あっ??!!」
──────ゴッガアァッッッッツ
…それがいけないことに気づいたのは、振り返る途中だった。
が、そのときにはもう遅かった。
「ぐっ、がゃぁあぁっ!!!!!!!!」
振り返った矢先、飛んできたのは顔面を簡単に覆い尽くす掌。
掌ってのは普通柔らかい部分があるものだが、『奴』の鍛え抜かれた異常筋肉では、地面に叩きつかれたも同然。
眼鏡が割れ、破片が、目玉中至るところにぶっ刺さり瞼を突き抜ける。
「…がぁっ!!! うぐあっ!!!! がぁあ……あががあっ……………」
目が破裂しそうなくらいに腫れる感覚で…、とにかく開けれねェ。
やべぇことは分かりきっているのに、うずくまり目を抑えることをやめられない。
ガシッ──────
「ぃっ!!!!!!!!!」
そうこうせぬ内に、『奴』は俺を思いっきりヘッドロックし、軽々と持ち上げる。
奴の荒い息が耳に流し込まれる。
その度に血管中がバカみたいにバクバク流れて吐き気を催した。
目は開けられねぇ。
突拍子もない攻撃だから、襲撃者の顔すらもわからない。
だが、俺はコイツを……。知っている…………。
会ったのはたった二回だが、声からしてコイツの恐ろしさをよく知っている……。
「大せい~か~い!」というように、ヤツは耳元で口を開き始めた。
「丑嶋ァ!!! 車で轢いたせいで……腕また折れたンだぞッ?! 俺がアナル駅弁どンだけ苦労したか分かってんのかッ??!!」
「に、にぐ……………『肉蝮』………………っ!」
畜生ッ……。
コイツもいやがったのかよっ……!
「テメェはただじゃ殺さねェ! 俺様がこの二年近く、山程思いついたお仕置きの数々を──」
「──六時間生放送SPでお披露目してやる! ゲヒャヒャヒャーッ!!! …きつくても歯食いしばれよ!!? 丑嶋ァアァア!!!!!!」
どこに連れてかれるのか。
借りてきた猫のように引きずられる俺は、この時意外にも脳内は冷静だった。
頭の中に思い浮かぶ言葉、それは、
(うーたん…、うさこ…、うさみ…、うーくん…、うさきち…、うさこっつ…、うさお…、うっう………)
ペットのウサギ達の名前だけだ。
──要は、もう八方塞がりだった。
あれから二時間後。
たっぷりの激痛と悶絶で心底絶叫した俺は、それだけ時間を経てやっと死ぬことができた。
◆
「…う、うわぁああぁぁあぁぁあ!!!!! 死ぬなァ──────────ッ!!!! 生きろッ、丑嶋ァアァ────────ッ!!!!!!!!」
ドンッ、ドンドン、ゴシュッゴシュッ、グチュッグチュッ
丸眼鏡の大男が心臓マッサージを受ける。
…否。
心臓への暴力行為と行ったほうが正しい。
肉蝮は、靴底で男の胸を思いっきり何度も踏みつけていく。
その反動からポンプのように、男の口から血が吹き出す。虚を見つめていた眼球──真っ黒な瞳孔が、一発ごとに上へ上へと瞼に隠れていく。
「ウッシジマ!!! ウッシジマ! …ウッシジマ!! 頑張れ!!! 諦めンじゃねェエエ!!!! 生きるンだ!!!!」
とうとう、眼球が完全な真っ白──といっても傷片だらけだが、白目になっても、まだこの心臓マッサージは続けられた。
心臓はもう、他の臓器同様潰れたトマトのようにへしゃげたというのに。
「俺の拷問はまだ1/3も終わってねェぞ??!! どうしてくれンだよッ!!!」
「…貴様はァ~~~~~~~~~~……弱者かッ!!!」
芸人のツッコミが如く、死体の頭をはたき、肉蝮はようやく落ち着きを取り戻した。
奴は、死体をぬいぐるみ扱いといった具合で引きずりながら、夜の街を歩いていく。
この場が平穏になるまで、三時間以上も費やしていた…。
死体の男────舌を出して首をグッタリ傾ける丑嶋馨を、俺は暫く眺めていた。
俺の名は、丑嶋馨…。
もうどこも痛みはない、苦痛さえもなく、手足もこのとおり五体満足だ。
俺は、自分の死体を、呆然と眺めるしか行動が思いつかなかった。
たらればをほざくのも野暮なことだが、…あの時センシを殺そうとしなければ。
損得だけで考えず、協力を優先していれば、こんなことには絶対ならなかった。
だが、そんなこと俺にできたか。という話だ。
このバトル・ロワイヤルはただの下衆ゲームであるが、同時にこれまでの人生〈チュートリアル〉の出来を試す集大成ともいえる。
これまで自分の為だけに、奪い裏切り、食っていった俺が、そんな偽善ともいえる行動を取れるはずがなかった。
すなわちは、もうゲーム開始時点で完全に死亡が決まっていたんだ。
なら、俺の人生って、一体なんだったんだ………………?
「………………!」
うさぎが一匹、俺の足元に飛び込んできた。
…糞殺し屋に首を切られて、天国にいった筈のうーたん…だ。
同時に、俺の背後から気配が催す。
『そいつ』との距離は五メートルほどだろう。
奴は何を思ったか、一言も話さなかった。
「…………………………」
ならばだ。
…『あの時』、突き放した分。
今度は、俺から奴に話しかけることにした。
急ぐ必要はもうない。
ゆっくり振り返り、俺はあいつへと一歩、一歩。歩み寄っていく…。
「………死んだうさぎ達の分も面倒を見てくれたのか…」
「………………本当に……、本当にすまねェ…………………………………。……────なァ…、」
【丑嶋馨@闇金ウシジマくん 死亡確認】
【残り67人】
【1日目/C5/街/AM.3:01】
【センシ@ダンジョン飯】
【状態】健康
【装備】斧、料理セット一式
【道具】鍋、干しスライム@ダンジョン飯
【思考】基本:【対主催】
1:殺し合いから脱出
2:メガネの若者が心配
【肉蝮@闇金ウシジマくん】
【状態】健康
【装備】???
【道具】???、丑嶋の死体
【思考】基本:【マーダー】
1:全員ぶち殺して楽しんでやるッ!!!
2:丑嶋を殺せたがやや消化不足……
※肉蝮の参戦時期は復讐くん編以降です。
最終更新:2025年08月05日 22:49