世界はそれでも変わりはしない(2)◆gry038wOvE




【『探偵』/希望ヶ花市】



 希望ヶ花市――というと、それはプリキュアなる伝説の戦士が活躍した世界の有名な街である。おれは初めて訪れるが、近未来的な――というよりは西洋的な街並みがおれの前に広がる。あまりの清潔さに、おれは少々頭が痛くなった。
 多量の風車を設置して風力発電事業を強化し自然共生を謳ったつもりの風都だが、所詮は人工物の詰め合わせである。対して、希望ヶ花はどうも建物や人工物の占める割合は少なく、街の半分は木々や花や植物にまみれていた。それでいて、何故か田舎臭さとは程遠い。田畑だらけで見渡す限り山、というわけでもないからだろう。
 かれこれ百年、人類が必死に云い続けている「自然との共生」やら「エコロジー都市」やらに、見た限り最も近づいている都市に見えた。大概、どちらかに偏るものである。
 皮肉抜きに素敵な事だ。色んなしがらみを突破しなければ実現できない理想が、ほとんど目の前に来ている。結局のところ、それが一番良い。
 だが、その強いしがらみがあるから、おれのようなやさぐれ者が世に生まれるのだ。

 尤も、だ。
 最初から犯罪都市に生まれたおれである。自ずとそこに馴染むような顔つきになっていったおれは、もっと汚い路地裏のようなところでなければ、サマにならない――ような気がする。おれの無精ひげが世間にどう映るかは、とうに承知しているつもりだ。
 世間が想像する「立派な社会人像」、「清潔感のあるさわやかな男性像」には、ここ十年ほど全く歓迎されていなかった。元の風都でもそれは同じ事かもしれないが――あちらにはまだ、おれとウマの合うタイプの奇人は多かった気がする。

 おれは、ふだん通り薄汚い黒のテーラードジャケットを着て、褪せた中折れ帽子を被っていた。どうもシャツも皺だらけに見えた――ふだんからアイロンをかけるのが下手だから当たり前か。指で圧をかけて少し伸ばしてみせるが、指で少し挟んだ程度で皺などなくなるわけがない。すぐにあきらめた。
 ……これでもおしゃれに決めたつもりだったんだが、どうやらおれのセンスはこの街では通用しないらしい。
 道行く人は大昔――1980年代――の2D映画を見せられているようだ。心なしか、そいつらがおれを笑っているような気がした。

「……」

 おれは、辺りを見まわして喫煙所を探したが、それもどうやらハードルが高いようだった。この都市にあまり馴染めないおれの心を、穢れが癒してくれる事はなかった。先ほどまでの花華と、立場がすっかり逆になっている。
 カプセルホテルも見当たらず、おれは一体どこで寝泊まりすれば良いのかさえも不安に駆られていた。
 が、そんな後の事を考えても憂うつになるのは目に見えていた。――おれは、色々な感情を押し込め、ひとまずは花華お嬢の探し物の話に集中する事にしよう。

「――心当たりのある場所を手あたり次第、というやり方では三日の期限に間に合わない。だからといって、それ以上の日数を休んでしまえば、流石にあの事務所も依頼人も現れてしまう。今までの探し方や、既にないと言い切れる場所を教えてもらえると助かるんだが、どうか」

 花華に言った。
 現場に来たなら、まずは彼女の指示・報告通りに動かなければ意味がない。おれと彼女、どちらが情報を多く持っているかと言われれば当然、彼女だ。
 おれのやり方よりも、まずは彼女の直感や心当たりに頼らせてもらう。

「あ、ちょっと待っててください」

 すると、花華は、そういって、ポケットの中の自前の携帯端末を取り出した。鮮やかな手つきでそれを少し弄ると、彼女は空中に立体映像を浮かべてみせた。
 映されたのは、この街の地図と経路を四次元化した図面だった。
 彼女が端末で設定を弄ると、立体映像はこの付近の街並みと同様のARを表示し始めた。おれが中学生の時にはもう少し出来の悪いARを流す地図アプリが流行った覚えがあるが、どうやらそれよりも技術は進化しているらしい。
 映像が、極めて鮮明で本物そっくりだった。

「こいつは……」

 そう、こいつは、アップルが開発した電子立体地図アプリ――『Ryoga(リョーガ)』とかいう代物だった。
 目的地までの経路や状況がリアルタイムで立体表示され、こちらの位置情報をもとに道案内をしてくれるアプリである。
 仕組みは簡単だ。過去のマップデータや街頭監視カメラの映像等から、その瞬間の街や目的地の現状をサーチし、リアルタイムでARとして立体映像に映すだけ。
 その中から人工知能が、人間視点で目印になりそうな看板などを立体映像上で光らせて注目させ、どこを曲がればいいのかをわかりやすく案内してくれる。
 地図が使用者の目に映っている光景を想像・理解し、次に見るべき光景や次に取るべき行動をすべて適格に案内してくれるのである。
 少なくとも、おれの頃に流行ったアプリは利用者にはわかりづらい目印で案内してきたし、数か月前の道路情報を前提に案内してくる事がやたら多く使いづらかったが、あれからどう進化したのかは使ってみてのお楽しみだ。

 ちなみに、このシステムは、人間が決して立ち入らないような山中や海上さえもカバーしている。遭難した際には現実世界側の海中や山中に設置された信号を光らせる事で、現実のマップそのものに目印を作ってくれるのである。そこが地球の表面である限り、ほとんどの場面で使用可能というアプリで、海産業務や探検家にも重宝されるようになった。
 そして、世界的に有名な男性から名を取って、『Ryoga』という名がつけられ、「どんな方向音痴でも確実に目的地にたどり着く」を広告に売り出した。

 無論、それは変身ロワイアル会場における最後の死亡者、響良牙の事だった。
 直接的に親玉を葬った英雄でもあるが、それと同時に「生きて帰ってくる事がなかった男」である。功績上、その当時活躍した人物の中でも人気は高いため定期的に特集はされるが、徐々にその名はアプリの知名度に乗っ取られつつある。
 かく言うおれも、最近あの本をめくるまではすっかり彼の動向を忘れてしまっており、今ではこのRyogaの由来という印象しか持っていない。
 そのせいか、「方向音痴」という負の側面ばかりが記憶に残ってしまった。当人にとっては偉く迷惑な話だろう。
 ……しかし、だ。そのRyogaが花咲つぼみの曾孫と、左翔太郎の曾孫弟子を案内するとは、なんという奇縁だ。

 そんな花華のRyogaには、二か所の行き先登録があった。

「この街なら、ひいおばあちゃんの実家か植物園が残っています。あるとすれば……もしかすると、そこかと」

 立体映像で点滅している二つの地点。これがその実家と植物園らしい。実家経由での植物園という形で、現在地からの歩行距離は2.4km。大した距離でもない。

「もう探したのか?」
「いえ。他に探した場所は結構ありますけど……」
「それなら、何故ここは訪れなかった?」
「単純に心当たりがある場所は多くて、私なりに優先順位を決めて探しました。……とは行っても、手近なところから探したんです」
「それで、後回しになったと?」
「……はい」

 彼女が頷いた。無理もない。
 考えてみれば、交通費も少なくないし、思い切って一人で来るには、彼女の住まいからだと遠い場所だと考えられる。そこに来て見つからないというのはあまりにも徒労だ。そのリスクが見えないわけでもあるまい。

 ……しかしながら、一応の最有力候補は間違いなくこの場所である。何しろ、ちょうど失くした頃の花咲つぼみが住み、紛失物を保管していた場所なのだから。
 実際、左探偵の未解決ファイル上でも調査を行った場所の一覧はすべて記載されていたが、そこには既に希望ヶ花市内の花咲家や植物園内は記されている。とりわけ、男性である左探偵は花咲つぼみの私物をかき乱さぬよう植物園を優先して捜索、その後に佐倉探偵が花咲家の方もかなりくまなく探したようだ。
 ほかにも中学校内を捜索、友人宅も聞き込みをしているが情報なしだったらしい。
 もっと言えば、彼らは、その交遊関係から花咲つぼみの実家(希望ヶ花市は転居によって中学二年生の時に移住している)まで電車を走らせて聞き込みまでしており、さすがは友人同士なだけあって入念な捜索がされたと見えた。
 そんな事を思い出していると、花華は付け加えた。

「――それに、もしここにあったらもう見つかっているはずだとも、思いました」

 これもまた同感だった。
 今になっておれが見つけられる可能性は極めて薄いとも思う。何せ、八十年前に左探偵と佐倉探偵が探しているし、そうでなくとも花咲つぼみは何度も家中を探してみせただろう。
 そこにあるのなら、誰よりもその骨董品を探していて、誰よりもこの家で生活していたはずの花咲つぼみが見つけられないはずがない。

「……どうする? そう思うのなら、他を探るのも良いし、てっきり複数の心当たりが残っているからこそ、わざわざおれを雇おうとしたものだとばかり考えていたんだが――」
「いえ、曾祖母の住んでいた家は探偵さんと一緒に確実に探したいと思っています。……それに、私もこれ以上多くの心当たりなんて、正直浮かんでないんです。だから、探偵さんに手伝ってもらおうと考えているというのも正直なところです」
「それはどういう事だ?」

 さすがに、おれも首を傾げた。
 この少女の云いたい事が、即座にはわからなかった。

「……私にとって心当たりのある場所とは言っても、寝たきりのおばあちゃんから聞いたものばかりで、その話だってごく一部の事だと思います。心当たりなんて、本当に少ないんです。私が知っているのはすべて八十歳、九十歳のおばあちゃんとしての曾祖母で、中学生だった頃の曾祖母の事を知ろうとしても、あまり実感がなくて。――だから、探偵さんならそこからヒントを得られるかもしれないと思って聞いたんです」

 ……なるほど。
 おれは、今ようやく依頼時の彼女の心情を察する事が出来たのだった。
 考えてみれば、親族とはいえ、本人でなければ中学時代の事などそんなに詳細に知る筈もない。――彼女ならば聞き出せているかとも思ったが、それは流石に女子中学生以上のキャパシティを求めすぎというものだ。
 彼女は、おれにこれから「必ず見つけてほしい」とまでは望んでいないし、「家のものをひっくり返して物を探す力仕事を手伝ってほしい」とも考えていない。彼女は見つかりそうな場所をより多く知りたい――つまり「曾祖母の訪れた場所から、曾祖母が行きそうな場所の手がかりをより多く見つけてほしい」のだ。
 おれの役目は、彼女と一緒に花咲つぼみの情報の集積地を調査し、その場で見つけた情報をもとに更なる推理に繋げてくれる事なのだ。
 おれは彼女の情報を頼りたかったが、彼女はおれが情報を広げてくれるのを待っている事になる。

「だが、花咲家にはどの程度、花咲つぼみの当時の所有物が残っているんだ?」
「……たぶん、曾祖母の当時の生活の跡は、花咲家に結構残っているはずです。家具は、確かそのまま。研究資料になる物や大事な物は持って行ったかもしれませんけど、中学時代や高校時代の勉強道具や本、小物は残ったままだって、母も言っていました」
「なるほど。内容次第だが、それなら良い。――まあ、昔の貴族のように日記でもつけていたのなら、手がかりも見つかるかもしれないが、流石にそう上手くも行かないだろうな……」

 冗談で口にしてみたが、ある筈がない。
 花咲つぼみが生きた2010年代ごろといえば、インターネットでウェブログやフェイスブックなるネット日記文化が始まった頃合いである。ソーシャルネットワーキングシステム、だったか。サーバーにもデータは残っていないだろう。
 おれのように、タイプライターで紙媒体に文字を起こす決まりの残る奇妙な探偵事務所の探偵が仕事で資料を残すのならともかく、私的な日記を紙に書く人間など八十年前でもいるはずがない。

「あ、それなら大丈夫です」
「何がだ?」
「曾祖母は、毎日日記をつけていました。私も今日帰ったら日記を書く予定ですし、うちは母も祖母も日記を毎日つけていますよ」
「冗談だろ」
「……ちょっと古めかしいかもしれないですね。だけど、私はノートとペンで書いた方が楽しいんです。書いている時も一日に何があったか頭がまとまるし、ちゃんと残って読み返せますし。……あ、だから、たぶん、曾祖母の日記帳も捨てられていなければ花咲家に残っていると思います」

 なんという古風な娘だ。昭和時代からやって来たのかもしれない。
 しかし、この話については随分と都合が良い事だった。本当に良い習慣を持つ一家である。日記をつけるのがノーベル賞の秘訣だとでも言っておけば、日記帳で一儲けできるかもしれない。
 ……無論だが、おれはそんなロジックで人を踊らせるつもりはない。単に日記を継続できるマメな性格の人間が、その性格を活かして成功しただけである。日記を買っただけの人間が成功したのじゃない。

「だが、仮にそれが捨てられていないとして、他の場所には移してないのか?」
「ええ。以前、今の家で興味があって読もうとした事はあったんですが、その時に曾祖母の日記は、二十歳より以前のものはほとんど残っていなかったので」
「読んだのか?」
「一応、途中までは読みました。大学での生活なんかも書いてあって、結構不思議な気持ちになりましたね。特に、曾祖父との出会いに関する――」
「で、手がかりは?」
「――あ、えっと、そちらには手がかりになりそうな物はないと思います。その時は、単純に興味があって読んだだけだったので」

 ふと、おれの胸に何か思うところが湧いた。

「――そうか。他人の日記を読んでみせるというのも、なかなか、何とも言えないな……」
「え?」
「いや、その件について、ふと思ったんだ。きみならまだ構わないかもしれないが、プライバシーの観点からすると、赤の他人であるおれがきみの曾祖母の思い出の品をあさってしまうのもどうかとは思うところがある」

 考えてみれば、あまり他人に日記を漁られるのは、当人として気持ちが良い事とは限らない。少なくとも、おれがそんな私的な日記を書いたなら、他人に見られるのは勘弁だと思ってしまう。
 これまでの探偵人生でも、紙の日記を手がかりにした事など一度もなかったので、あまり想像が及ばなかったが、ネットで大勢に公開しているわけではないデータという事は、内容を秘匿したうえで記録したい心理があるかもしれない。
 他人に知られたくない胸中までも書ける――いわば、プライベートの機密情報だ。

 おれには、果たして紙文化の日記とネット文化の日記がどう違うものなのか、いまいちわからず、本当にそれを見ていいのかさえよくわからなかった。
 少なくとも、自分の意思で外部に公開しているわけではないのなら、あまり見るものでもないと思えてしまう。
 果たして、八十年前を生きた人間の感覚はどういうものなのだろうか。
 探偵という職業柄、誰かの秘密を見てこなかったワケではないが、依頼ですらない私的活動でそれを行うのも、この内容で花咲つぼみの許可なく行うのも、気が引けるところがあった。

「……それは、そうですけど。でも、おばあちゃんが生きているうちに、このお願いは叶えてあげたいですから――絶対に」

 彼女としては、なりふり構わないつもりのようだった。
 考えてみればそれも合理的であるといえば合理的だ。彼女の曾祖母が亡くなった時、遺品は整理される宿命にある。結果的に、おれが忌避した手段を多くの遺族や関係者が行うだろうし、そこで手がかりが見つかったとして手遅れだ。
 少し強硬的、かつ、非道徳的だが、今更モラリストを気取れる立場でもあるまい。
 彼女がこういう以上、彼女に従うのが得策だ。

「オーケー、わかった。きみの曾祖母には本当に申し訳ないが、きみの云う通りにしよう」

 頷いた。
 先に反対はしたが、その日記に対して、おれ自身の中に湧いている興味は極めて強い方だった。
 今回の探し物や変身ロワイアルについての手がかりは勿論、左探偵や佐倉探偵について知れるものもあるだろう。未解決ファイルに残された謎の中に、八十年前の変身ロワイアル参加者にしか知りえない情報が関わってくるのはほとんど間違いない話だと思っているから、それが記載されているかもしれない日記は興味の対象の一つである。
 花咲家にはそれを示すヒントがあるかもしれない。

 同時に、おれは、ごく、個人的な、封印すべき好奇心も伴っている。
 八十年前の記録を、その時代のひとりの女性のプライバシーを覗きたいという、くだらない情が全くないわけでもない。
 おれの中にはそんな葛藤があったが、これは仮に日記を見てしまった後も心の底に閉じ込めておこう。――それは当然の流儀だ。

「いま現在は、その家は空き家なんだったな」

 おれは余計な事を考えるよりも、もっと別の事を聞く事にした。
 これから尋ねる場所がどういう状態にあるのか、だ。
 行けばわかる事だが、行く前に色々計画したい事もある。

「ええ。もともとは花屋を営んでいて、二階に部屋を借りていました。そこも曾祖母が継いでいたので、祖父母が住んでもいたのですけど、結局街を越してしまって、いまは――実際、持ち主はいても空き家です。鍵も祖母から預かったものです」
「なるほど」

 そんな場所、風都ならすぐに悪党どものたまり場にされそうだ。
 あの街では、すべての空き家と廃墟に、悪意と欲望が棲みついている。

「植物園の方はどうだ?」
「植物園の方は、はっきり言ってどうかわかりません。理事としてうちの名義が残っているので、ある程度の権限はありますけど、実際ほとんど営業や管理を外部に委託している形ですから。他のお客さんもいるかもしれませんし、改装はしていないにしろ、おばあちゃんの私物が残っているかどうかは……なんとも」
「わかった。だが、折角来たんだ。一応、行ってみよう。――ただ、その場合、そこの従業員の方が詳しいだろうから、そちらは聞き込みで十分と思えるな。スタッフがほとんど触れない場所、あるいは、関係者に心当たりを訊けば良い話だ。そうだな、やはり、調査は花咲家を優先しよう」

 後の方針が簡単に決まり、わずかばかりの安堵とともに、おれは花華と町を歩いた。
 花咲家の住所を選択すると、Ryogaは極めて正確におれたちの視界とほぼ同一の立体映像を表示した。それが曲がるべき場所の目印になる看板や標識を教えてくれるし、曲がった先の状況もワイプで表示してくれる。

 迷子の名前がつけられているわりには、正確性は極めて高いアプリだった。
 折角だ。おれも後で端末からダウンロードして喫煙所探しとカプセルホテル探しに使わせてもらおう。






 ……花咲家には、それからすぐに着く事になった。
 そこは、シャッターで閉じられていて、廃墟のような風体だった。シャッターの裏はおそらくガラス張りになっている。明らかに個店を営んでいた建物だったし、その上の階を住まいにしていたのは間違いなかった。
 建物としては古い。八十年、おそらくこのままの形で残っている建物だろう。
 その間、ちょっとしたリフォームはしたかもしれないが、部屋の中身を全部退いて改築するような大仕事はしていないと見えた。

 考えてみれば、風都にもよくあるようなタイプの家屋だった。
 我が鳴海探偵事務所も、八十年前から、ある建物の二階をずっと借りている。かつては一階がビリヤード場だったのが、パチンコ屋に変わり、リサイクル屋に変わり、いまは中小IT企業のオフィスだ。
 何度か多忙で事務所に寝泊まりした感覚だと、これらの経営者がうちの事務所を買って住まいにするのも案外居心地が良いだろうと想像させる。
 おれとしても、出勤が楽なのは最高である。所長の後継者が決まり、あの所長が召された暁には、ぜひともおれの住まいをあの探偵事務所にして頂きたいくらいだ。

 ただ、正直、おれは当初、花咲家がこういう家だとは思っていなかったのだ。
 花咲つぼみが研究者として有名になった後の事や八十年前の建物である事を考えると、やたらに広い豪邸だとか、あるいは別に倉庫や物置があるとか、そういった想像をしていたのだが――あまりにもふつうである。
 ここから始まった、と言い換えて見れば、情の厚い連中には感慨深いのかもしれない。

「ここがひいおばあちゃんの昔の家です」
「ああ」

 漏れたのは、間抜けな生返事だった。
 確かにここならば、「家の中を探すだけ」なら探偵が必要ない。
 むしろ、既に個人が家中のものをひっくり返して探しているのがふつうである。見たところ彼女も賢い部類の少女だ。本当にこの中から探し物を見つけたいなら、自力でやった方が効率は良いと気づくだろう。
 尤も、おれとしては、賢くない依頼人にそういうなんでも屋のような雑用係を依頼される事も――そして引き受けざるを得ない事も、珍しくはない話だが。

「開けるのでちょっと待っててください」

 彼女が、祖母から預かったという鍵を取り出した。旧式の施錠だ。
 この程度のセキュリティで何年も空き家にしたなら――風都なら、開けた瞬間に間違いなく愛する我が家のぐちゃぐちゃに荒らされた後の光景を目にする事だろう。

「……はい、どうぞ」

 しかし、数年分の埃をかぶりつつも、案外綺麗な玄関がおれを迎えた。
 暗い玄関に正面の小さな窓から注ぐ夕焼け。それは廊下に反射して、家の中をきわめてノスタルジックに映した。まるでおれもどこかへ帰ってきたような気持ちにさせられる。
 家族が住んでいたような一軒家に入るのは、何年ぶりだろうか。
 昔の恋人に誘われた家に、よく似ていた。

「ん?」

 ――ふと、奇妙な胸騒ぎがした。
 何年か人間に置き去りにされたこの家は――事件の香りがした。
 それはおれが何度か関わるハメになった血、暴力、欲望、狂気の事件とはまた違う類の、もっと得体の知れない何かがこの先にあるような気がした。
 おれの背筋を最も凍らせるもの……そう、謎という闇。
 おれの想像できる他人と、実際の他人の心の神秘を結びつける、ある種の精霊的なエネルギー。――それがこの先に、ある。
 数メートルの距離を無限に見せる不気味な光りと伴った廊下の、この先に。

「花華」
「え? どうかしましたか?」
「いや……。過去にこの家に来た事は?」
「え、一度か二度だけありますけど、ほとんど来た事はなくて――」
「そうか。いや、それなら、良い」

 花華の痕跡は、おそらくこの家にはない。曾孫であるとはいえ、それは必ずしもこの家を訪れなければならない理由にはあたらないだろう。
 しかし、それにしては、彼女がここに立つのは不気味なほどに似合ってもいた。いまになってみると、彼女もまた不気味に思えるほど、精霊的な存在にさえ思えた。

「別にいいんだ」

 八十年前――下手したら、百年前の人間が想像するような、奥ゆかしさという伝説を秘めた美少女。
 この時代には、決していないような、古風の魅力を体現した、そんな日本らしい娘。
 彼女もまた、何かおれの知らぬ闇を抱え、おれの知らぬ秘密をどこかに隠している。――そんな一抹の予感を覚えさせた。






「――曾祖母の部屋は上です。色んなものが保管されている場所があると思うんですが……」
「あ、ああ」

 それにしても、警戒心の薄い少女だと、思わされた。
 この家の無防備さも心配だが、花華もどうしてここまで無防備に男と二人きりになってしまうのか、おれには理解不能だった。今日会ったばかりの他人、それも間違いなく力でねじ伏せられるだけの体躯を持ったこのおれに、背中を平然と向けて振り向きもせずに階段を歩いていく。
 おれは少女性愛者ではないからまだ良いと云えるが、いくら児童ポルノが規制されていった世の中でも、少女性愛者や性犯罪者――あるいはそうなるだけの不甲斐ない男が存在してしまう事実ばかりは、どうにもならない。
 そんな事実がある以上、世の中が消し去らなければならない最大の問題は、こうして犯罪が起こりうる場所や状況が完成されてしまっている事なのだ。

 嫌な喩えではあるが、いま現在、おれがこの少女を力ずくで犯す事件が発生した、と仮定するのなら、そこには複数の直接的要因がある事になる。

 まず、この場合の「おれ」がそういう欲情を持ち、犯罪しうる危ういメンタリティの人間である事が事件の最大の要因になるはずだ。
 尤も、少女性愛のニュアンスで語るのは、おれとしては少々疑問が残るかもしれない。彼女はそれなりの背丈や体つきに成長した美少女である。
 角度によって赤く美しく光る髪、無垢で整った顔立ち、スレンダーだが肉のつきつつある体。まっすぐストレートに伸ばしつつ、毛先にウェーブのかかった髪は、写真の中の曾祖母と違い、ヘアゴムでは結ばれていない――それだけがかつての生還美少女との違いだった。そんな彼女は、間近で見るとさながら、出来のいい人形のようだ。
 もし少女性愛が日本の法律や現代の価値観のうえで禁止されていなかったのなら、男はこのくらい綺麗な少女を愛する事がないとは言い切れないし、このくらいの年の少女が相手なら一概に異常とまでは言い切れない。いまだ合法的に十代の少女と結婚する文化の国はあるし、日本も大昔はそれが当たり前だったわけだ。さすがにそれ以下となると特殊であると思わざるを得ないが、おれの感覚では法律や文化の規制がなければ、すでに多くの男に求婚されていてもおかしくはないのではと思えてしまう。
 そうすると、「おれが法律や世代の価値観といった抑止力が働かない、あるいはそれを無視できるほど、欲情が強いか図太い人間であった事」とするのが、本来正しいのかもしれない。
 そこに「おれ」の持つ先天的な知能・精神の疾患や、少女幻想を刺激するコミック、錯綜した家庭や教育環境が影響しうるかもしれないが、それはあくまで間接的な原因だ。

 次に、このように人気がない場所があるという事だ。家屋の中だから仕方ないというのもあるが、犯罪の最大のトリガーはそれが起きてもおかしくない「管理されていない場所」が存在している事だと思っている。上の犯罪者がむらっと来たなら、それはもう抑えられる事がないだろう。それが出来ると感じさせた瞬間が訪れる、その原因は場所だ。
 このネットワーク社会の中でも、いまだ盲点は膨大に存在する。犯行が行われた後には、防犯カメラや衛星写真をきっかけに事件は解決に導かれるとしても、犯行を未然に防ぐには、まだ足りないのだ。
 理想は、犯行が行われる直前、あるいは、その瞬間には被害者は守られなければならない。しかし、その壁を取り払う決定的な発展はないまま、時間はいたずらに過ぎていく。犯罪抑止の歴史は、おそらくこの壁を前に、しばらく止まり続けるに違いない。
 たとえば、プライバシーエリアであるこうした家屋の中では、結局彼女が被害者となった後でしか事件は発覚しないし、強姦魔になるまでにおれを逮捕する事もできないのだ。

 三に、彼女の無警戒さだ。すべての事件において、最も悪いのは当然ながら加害者だが、たとえば今この瞬間のように、被害者が行動に気を付ければ防げるケースにあたる。二人きりにならない、家にあげないといった警戒をすれば、間違いなく襲える状況ではなくなる。
 当然、それが出来ない精神状態になる被害者も多いのは実感として知っているが、彼女の場合そうではなく、本当の天然のようだ。
 だからこそ、怖い。
 おれからすれば、却って隙がない少女に思えるが――それがわからないほど感覚の鈍い男は、あるいはそれを察しながらも欲望を抑えきれない男は、おそろしいほどに多いのだ。

「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。ちょっとした事をきっかけに考えてこんでしまう、発作のような癖が出ただけさ」
「……?」
「だが、きみも、今日はまだ運が良いが――明日からは、人気につかない場所で男と二人きりになるのは避けた方が良いな。夜を前に、こんな男と二人きりで無人の民家にあがりこむのでは、きみの家族も心配するだろう」
「確かにそうかもしれません。ただ、これでも一応空手や護身術は習っていますし……」
「――そういう問題じゃないな」

 語調を強めたおれに、彼女は少し驚いて振り返った。
 こういう態度を取るのなら、彼女の今後の為にも、ある程度の教育はしなければならないと思ったのだ。
 本来それは、今日出会った男ではなく、彼女をふだん取り巻いている環境でもっと身近にいる大人がしなければならない事だが、それがされていないのならば、おれは彼女の親や教師を軽蔑しながらお説教をしておかなければならない。

「おれは、空手やら何やらのきみの実力はまったく知らないがね――きみにいかに相手をねじ伏せられる自信があるとしても、たとえば相手が道具を持っていたら? 複数だったら? 同じく拳法の素養があったら? 仮にきみが全世界一強い女性だったとしても、それを崩す力や手段は、いくらでもあるとおもう」
「……それは……えっと」
「忘れちゃいけない事だ。危険を防止する力と、犯罪や災害を可能とする力とは、いまも同時に進化し続けている。おれたちの前では『昔の犯罪』は起こらなくなっていったかもしれないが、常に『いまの犯罪』が起こる。――この稼業をやっているおれの前に、何人それに巻き込まれたやつが現れたのかは記憶にないほどだ」

 ましてや、いまだ稀代の犯罪都市として欲望の渦巻く風都では、珍しい事ではない。おれのいた以前の事務所よりもはるかに凶悪な犯罪に巡り合う事だってあるのだ。
 そんな心がけがありうる世界と、その心がけが薄い世界とが、今そっとまじりあった。

「もっと言えば、異世界の人間同士、それもその世界では特殊な能力を持った超人同士が戦ったバトルロワイアルがあった事も、きみにはなじみ深いだろう。……あの中で、当時のその世界の『最強』たちが殺されたのも、生きるなかでは忘れちゃいけない。いまは、ああいう力を持った人間たちが――ああいう力に影響を受けた人間たちが、あれから八十年、世界中でずっと共存している。おれも、そうだったなら?」
「……」

 彼女はすっかり黙ってしまった。
 これも、おれの悪い癖だ。おれにとって正しいと思っての行動は、常に他人が引いてしまう原因を作り出す。こうして、ぐうの音も出ないほど一方的に話をさせるという事は、みごとに恨まれる結末に至るという事だ。
 まったくといっていいほど、彼女に対する申し訳なさというのは出てこないし、自分の行動に対する悲観もほとんどない。

 しかし、心ない正論で相手を無自覚にねじ伏せてしまう――この嫌な体質から逃げるのが、将来的な目的だ。
 前のように泣かれたら困るので、まずはフォローでもしておこう。

「……悪いな、花華。べつに説教が好きなわけじゃないが――いや、少し言い過ぎた。ただおれは、きみの曾祖母にとって――もっと言えば、きみに関わるひとにとって、最も喜ばしいのは、きみが危ない目に遭う事もなく、安全に生きられる事だろうと思う。おれが言ったのは、その為の手段の一例だ。守ってくれとは言わないが、参考にしてもらえると嬉しいな」
「そ、そうですよね……」

 花華の顔がはっきりと歪んだ。
 嫌な予感がした。

「ひっく……ひっく……いえ……ありがとうございます……全部、探偵さんの、云う通りです……私が、間違っていました……」

 ……冗談だろ。
 いまのお説教で本気で感動して泣かれるなんて。






 花華が泣き止むまで、十分もかかりやがった。
 いまは、その次の一時間半が経過して、おれは必死に作業していた。

 おれの胸ポケットには、早く火をつけてほしいと泣いているはずのマルボロがいる。さっさと吸い込んでやりたいが、残念ながら肝心の作業の方がまったくできていない。この部屋でタバコを一服するのも常識がないし、はたしておれはいつこいつにありつけるのだと思いながら――六畳ほどの物置部屋で資料探しをしている。
 他の部屋がやたらと整理されていて花咲家の性格を感じさせるにも関わらず、この部屋はすっかりガタガタだった。侵入されて荒らされたのかと思ったが、他の部屋の様子がしっかりしているのを見ると、単にここ数年に発生した地震等の振動で書物の山が崩れたのだろうと思う。
 どっちにしろ、ゴミ部屋だ。

「これは……なんだよ、理科の宿題か」
「こっちは、ただのノートみたいですね」
「じゃあこの日記は――『花咲ふたば』、またご家族の日記だ」
「なかなか見つかりませんね……」
「これじゃあ確かにな」

 確かに、花咲つぼみの所持品が残っている。それは先ほどから確認している。
 段ボールに入れられていたり、ヒモで縛ってあったり、保管の方法は様々だ。段ボールの多くはすっかり壊れて、持ち上げるだけで中身が底から落ちてきたりする。お陰でおれにかなりのストレスをぶつけてくれている。
 中には、彼女の母のつけたらしい家計簿、彼女の妹の日記、彼女の娘のノートと、この家のものが様々ある。もっと後になると、花華の母の所持品もあるらしい。ここだけで四代の所持品が残っているというわけだ。
 個人事業主として保管していた花屋の営業資料もこの部屋にだいぶ残っていた。……おれも、この意味のない資料を残し続けさせられる気持ちはわかる。

 だが、肝心の日記がどこにあるのかわからなかった。
 探せば探すだけ、絶望がある。
 おれと花華は、掘り起こしたうち、花咲つぼみと関係のあるものだけ花咲つぼみの部屋(のちには彼女の孫が使ったのでいまは彼女の部屋ではないが)へ、それ以外をまた別の部屋へと仕分けて、一度この部屋のものを全部空にしようと計画していたが、思いのほか量が多い。
 それが今日の夜までにまったく終わりそうにないから、おれは絶望に瀕しているのだ。

「これなら、途中でジュースでも買ってくるべきでしたね」

 花華が汗だくで言った。電気も通っておらず、クーラーもない部屋で必死の力仕事だ。夏も近づいている今、彼女ひとりなら、おそらく途中で折れていただろう。
 挙句に、さきほどは隙間から現れたゴキブリに驚いて悲鳴を挙げて逃走している。いまも物置部屋に入るのを明らかに嫌がりながら、ドアの近くにあるものだけを取っては別の部屋に置いているような有様だ。
 彼女ひとりだったらどうなっていたかと思わされる。

 ……とにかく、だ。水の準備がないのはまずい。
 電気はまだ携帯端末のLEDライト機能を光源にしてなんとかなるとしても、冷房設備がないいま、水分補給ができないのは、案外危険な状態だ。

「……そうだな。おれが何か買って来よう。このまま探し続けるのは、体力的にも非常に危ない。それに、もうすぐ二十時だ。きみも夕飯を食べていないだろう。用意がないなら、それもおれが買って来るが――何が良い?」

 花華にそう言ってみせると、彼女は渋い顔をした。
 このままおれだけが去ると、ゴキブリのいる部屋に一人で閉じ込められる……とでも言いたげな不安を見せている。
 おれよりもゴキブリが怖かったらしい。

「それとも、一緒に行くか?」

 こう言うと、それはそれで渋っているようだった。
 2.4kmを歩いた後、一時間半もの遭難者捜索活動だ。しかも、涼しくもない部屋で、重いものを持って移動を繰り返しながら、すっかり汗をかいてフラフラである。水分補給がなかったのも痛手だろう。
 加えて、この後でまた近くの店まで水や食べ物を買いに行くのは、ちょっとハードだ。
 さすが空手に自信のある花華も、さぼり時というのが正直なところだろう。

「――いいか。じゃあ、少し休んでろ。おれ一人で行ってくる」
「……すみません」
「構わないさ。ただ、戸締りだけはしてくれよ。鍵はおれが持っていくから、ちょっと貸してくれ」

 そう言って、おれは花華と、少しだけ会話をしてからそっと外に出た。

 外の空気は極めて冷ややかだった。
 近くのコンビニでも行って、飲み物と紙コップと適当な弁当やおにぎりでも買って来よう。おれの好みで選んでしまうが、訊いても特に食べたいものを指定されなかった以上、おれが悩む必要はどこにもない。
 さて、ここまで来る途中にどんなコンビニがあったか――などと考えた。
 思わず、マルボロの箱を取り出して考えそうになったが、いけない。路上喫煙は厳禁だ。おれはタバコを胸ポケットに戻し、歩いて行った。



「――ちょっと」

 ……と、数歩も歩かぬうちに、おれの前に、年を食った警官が胸を張って構えて立っていた。まさか、先ほどからここにいたのだろうか。
 おれの、背筋に嫌な予感がした。

 おれはいままでも探偵として、どういうわけか毎度怪しまれて、警察に何度とない事情聴取を受け、ひどい時はいわれのない冤罪で逮捕されかけている。今回もその時と同じパターンであるような気がした。
 疑われるような心当たりは、有り余る。
 そして、これまでのパターン通り、彼はおれに向けて口を開いた。

「近隣住民から通報があったんだよ。空き家のはずのあの家から、女の子の鳴き声や悲鳴が聞こえると――」
「おい、ちょっと待ってくれ、話を聞いてくれよ、おれは何も……」
「ダメダメ。とにかく話は、向こうで伺うから。ね、だからこっち来いこっち。――――あー、こちら、××、応援、頼む」

 そう言って、警官はマイク越しの誰かに応援を要請し、おれは交番に連れていかれる事になった。
 思いのほか、この世界も公僕はしっかり動いているようだ。






「冗談だろう」

 紆余曲折あって帰ると、花華がすっかり笑っていた。
 笑い事ではないが、とりあえず容疑が落ち着いたという事で、なんとか釈放されている。もうすっかり二十二時を回り、探し物は全くはかどっていない状態にある。

 彼女も喉の渇きを感じながらこれだけ待って、相当イラついてもいただろうし、警察に突入されて何の事だかわからないまま事情を説明したのも相当手間のかかる事だったろうと思う。
 結局、おれの身分をすべて警察に提示させられ、嫌な気分のままカツ丼を食っている。おれをひっとらえた警官が、最後に爆笑しながら、小遣いでコンビニ弁当のカツ丼を奢ったのである。極めてみじめである。
 いかれている。警官でなければ殴っている。

「――まったく、職務でおれを連行したまではわからないでもないが、やつにおれの話を聞くだけの理解力がなかったのは厄介だった。その挙句に、おれの名前を聞けば笑い、職業を聞けば笑い、所持金を見ては笑い、最後には服の皺で笑い、言葉を発しただけでさえ笑いやがる」
「災難でしたね」
「ああ、極めてな。だが、それでもきみには、本当に悪かった、遅くなって。喉も乾いていただろうに、なかなか長引いちまった。うまく説得できなかったおれの不手際だ」
「いえ、仕方ない事です。……それより、いま気になったんですけど、探偵さんの名前って、何ていうんですか?」

 藪から棒に花華が訊いてきた。
 ずっと、「探偵」と呼んでいた彼女だが、それを気にはしていたらしい。ふつう、探偵業でも名刺でも渡して名乗るものだが、おれはそれをしなかった。それは、探偵である以上の事を問われたくないおれの拘りであり――同時に、触れられたくない話であった。
 だから、下手に名前の話題など出さない方が良かったのかもしれない。迂闊だった。
 とはいえ、彼女にとっては、名前のない相手と過ごすのは少々不安な事だったのかもしれない。その気持ちもわからないでもない。



「不破だ。不破夕二(ふわ・ゆうじ)」



 おれは、咄嗟にいつもの名前を答えた。

「そんな名前だったんですね……。でも、笑うほどの名前じゃないような……」
「ああ、まあな」

 当然ながら、これは偽名だ。
 本名は、出来るのなら伝えたくはない。彼女を騙したい気持ちはないが、出来ればすべての人間に伏せたいと思っている。

 人には、そうしなければならない事情があるのだ。
 ついて回る名前さえ語れない事情――というのもある。それは珍しい事じゃなかった。おれの依頼人の多くも、名前を名乗れないほどの訳あり者は少なくない。
 おれだって、ちょっとした事情を抱えている。

「……だが、花華。おれを呼ぶときは、これまで通り、『探偵』で良い。おれはそっちの方がおれの好みだ」
「え?」
「おれには、名前なんてどうでもいいんだ。おれには、役職だけあればいい。おれは、その役職に誠実である事で、初めて自分自身に誇りを持つ事ができるんだ。今回は私的手伝いとはいえ、その時でもおれは『探偵』と呼ばれた方がずっと気持ちが良い」
「それって、なんだか、かっこいいですね……」
「よせ。照れる」

 おれは、まんざらでもなく、薄くはにかんで見せた。
 だが、役職に誠実であるという事は――その役職で呼ばれるという事は、決して良い事ばかりではない。『探偵』という一見恰好のよろしい役職でない時も、おれは自分の役職を手放せないという事だった。
 おれは殺人鬼になったのなら、『殺人鬼』と呼ばれるしかない。
 悪魔になったのなら『悪魔』と、死神になったのなら『死神』と、そういう風に呼ばれるべきだ。気に入らない役職になっても、その呼び名から逃げる事は許されない。
 それが、おれの決めたルールなのだから、最後までそのルールを守り通さなければ、おれは極めて狡くて都合の良い人間になってしまう。
 これからどんなカードが配られたとしても、おれはその役割に誠実でなければならない――それが、名前を捨てた男の宿命なのだ。

「とにかく、だ。おれの事は、『探偵』と呼んでくれ」

 それが、おれの拘りでもあり、――そして、不破などという偽名で呼ばせ続けたくはないという、おれの良心だった。






 さて、作業に戻りたいところだが、あの警官のせいですっかり夜になった。
 おれたちは、ひとまずはここから1.1km離れた大型のスパ施設に向かって――風呂だけ浴びて帰ってきている。
 少なくともどこかで寝泊まりするつもりではいたから、何枚かのシャツやパンツを持ってきていた。これまでの白いシャツから紅いシャツに着替えて、おれの様相は余計にやくざ者っぽくなった。
 おれは、そこからカプセルホテルを探そうとしたが――そう行かなかった。

「本当にここに泊まっていいのか?」
「ええ。行く宛がないなら――」

 Ryogaを使って調べてみたが、喫煙所はまだしも、カプセルホテルは全くなかったのだ。おれのような根無し草には絶望的な立地だ。
 ネットカフェも相当に遠く、原付なしには行ける場所ではない。
 風都に閉じこもりすぎて、世間の不便さをまったく甘く見ていたというところである。地方都市と呼ばれるからには、もう少し住宅街と繁華街とかが近いと思っていたのだが、地方都市の正体は、結局、半分田舎まがいな都市であった。
 ……いや、考えてみれば、風都も同じか。
 あそこも結局は、本当の都会から見れば、「都会」を自称すれば笑われる。そんなダウン・タウンなのだ。――だからといって、「田舎」と言ってしまえば、今度は本当のクソ田舎から顰蹙を買うが。

「……」

 しかし、それはそれとして、先ほど同様、彼女が安易におれを泊めるのには、大きな問題ばかりがあった。
 あれほど説明し、彼女は泣いたくらいだというのに――何ゆえにここまで、平然と危険な状況に在れるのだろう。
 おれは我慢できず、また余計な口を開いてしまった。

「一応、訊いておきたいんだが、きみはべつに家出をしているわけじゃないよな?」
「えっ」

 こうした反応はすっかり慣れてしまった。
 おれの咄嗟の一言は、相手にとって即座に理解し得るものではない。
 おれは続けた。

「――いや、おれは、きみが親に探し物の旅について、どういう風に話しているのかさっぱりわかっていないんだが――ふつうの親は、電気も通らない空き家に年頃の少女を一人泊まらせる状況なんて作らないと思うんだ。付き添えとは言わないまでも、ここに泊まらせる事なんてあるか?」
「――」
「まして、きみの場合、ここに来たのは一度か二度ほどだと言っていただろう。それで祖父母が中学生の孫に快く貸すとは思えない。この近辺に泊まれる場所がないのは、祖父母だってわかりきっているだろうし、嘘を言って泊まったとしても無警戒が過ぎる。……勿論、放任主義の家もあるだろうが、きみの様子を見るにそうは思えない」

 何しろ、だ。
 彼女はこれまで非常に淑やかに敬語を使いこなし、年不相応なまでに立派な大和なでしこをやってのけている。その挙句に、毎日日記をつけているだとか、空手や護身術を習っているだとか、あまり放任されるような家の習慣ではない。
 おれとは対照的な、ハイソサエティーな空間で生きてきた香りがする。当たり前だ、花咲つぼみというあらゆる意味で著名な人物の家柄に生まれたくらいなのだから。
 そのうえ、その環境に対して息苦しさだとか苦痛だとか倦怠感だとかを覚えている様子もなく、今日一日彼女はぼろを出す事もなく、良い娘で居続けている。
 だが、無警戒で世間知らずなお嬢様、と呼ぶには――あまりにも聞き分けはなく、大胆でさえあった。
 彼女は、何なのだ。

「おれには、理由があるように見える」

 そうストレートに告げた。
 それは、彼女の、言葉を抑え込むような表情を見て、それが図星なのを悟っていた。
 惚けようという様子ではないし――それが出来る性格ではないのはとうにわかっている。

「――……」

 彼女は、そんな不安定な表情を一変させ、ふと意を決したような顔立ちへと変わった。――その瞬間を、おれは見た。

「……仕方がありません。そこまでわかっているのなら、あまり誤解の生まれないように、こちらも身分を明かしておきます」

 何かある――その想いは、間違っていなかったようだ。

 次の瞬間、意を決した彼女はおれの予想を超えた言葉を発した。



「私、これでも――時空管理局所属の、プリキュアなんです」



 それが、彼女の答えだった。
 そう、まったく予想はしていなかった。つまりは、彼女もまた変身者――あの花咲つぼみと同じようにプリキュアとしての姿を持ち、人並以上の能力を発揮できる、超人的な戦士。
 特別えらばれた人間の、一人だったのだ。

「なる、ほど……な」
「……実は、何の因果か、私も曾祖母と同様にココロパフュームを得る事になりました。それは、ずっと以前にこの街に訪れた時の事です。――それから先は、時空管理局と共同して時空犯罪者の制圧のため、時に協力を仰ぐ事になっています」

 時空管理局。あらゆる時空の秩序を安定させる為の、いわば国際警察のような組織――彼女はその一員だというのだろうか。
 入局の経緯が様々ある事を踏まえると、必ずしもその所属はエリート中のエリート、とは言えないが、いやはや、曾祖母の経歴を考えれば納得もできる話であった。そちらの人間とのコネクションは既にあるわけだし、彼女の場合、奇しくも曾祖母と同様のプリキュアの力を得たというのだから、更に入りやすくもある。

「そのせいか、この頃は家族にもあまりこの程度の事で心配されるようにはならなくなりまして……」
「そうは言うが、……いや、まあ良い。おれには実際どうなのかわからん」

 特殊な家系なのだろう、としか言いようがない。これ以上止める言葉もないくらいである。
 おれには娘はいないが、もしいるのなら中学生活と並行してそんな危険な副業をやらせるのはあんまりにも危険だと止めるだろう。
 ある意味、彼女が信頼されているという証かもしれないが、それでも――彼女への放任は、違和感のあるレベルに思えた。
 そんな疑問を知ってか知らずか、彼女はすぐに答えた。

「ただ、探偵さんの言ったように、私が安全でいてくれる事が家族の願いだというのも――、ずっと前、何度も言われた事です」
「言われた事があるのか?」
「ええ、父にも、母にも、祖父にも、祖母にも、特に――曾祖母にも……何度も言われました。でも、それでも、当たり前に変身して、当たり前に戦って、私はやめなかった」

 そうか、曾祖母――花咲つぼみは、自分の曾孫がプリキュアとなる事を誰より止めたのだろう。
 それは当たり前の事だ。
 花咲つぼみにとって、プリキュアとしての生き方が悪い事ばかり運んだわけではないのは、おそらく間違いない。プリキュアは、彼女にとっての青春であり、彼女にとっての誇りであり、彼女がいまの彼女であるためにとってなくてはならない成長の通過儀礼だったのだ。

「特に曾祖母は、一番心配していました。今も心配しているかもしれません。ずっと、ずっと……申し訳ないって思ってるんです。――だから、そんなおばあちゃんの願いは……私がきっと叶えなくちゃいけないんです」

 ……しかしながら、彼女はそんな力を持ったゆえに、変身ロワイアルという殺し合いに巻き込まれるハメになり、彼女と同じ力を持った友人たちが次々と亡くなった。
 力を持ち続けたがゆえに誰かに目をつけられ、そこでまた、これまでの戦い以上につらい想いを何度もした。
 親友・来海えりか、明堂院いつきの死と――それから、いまでは名前も伏せられている、闇に堕ちたプリキュア『少女A』の事(おれはその名前を知っているが)。他にも何人も、それまでの友人や、殺し合いの中で出逢った友人との別れを経験している。
 そんな凄惨な事実に直面したせいで、彼女の場合は帰ってから、何度とないPTSDやメンヘルに罹ったなどと、噂で聞いているし、おそらく事実だろう。
 それを思えば――愛する曾孫には、何があってもそんなリスクを負ってほしくないというのが、正直なところだ。

 ……だが、結局その反対を押し切って、彼女は今、プリキュアをやっている。
 だからこそ――彼女は、曾祖母の願いをひとつひとつメモに残して、わざわざ世界を移動してまで、おれに依頼をした。
 彼女の事情が、徐々に浮かんできたようだった。

「だが、そうであるとしても……いくらきみが返り討ちにできるとしても、おれのような素性の知れない男を泊めるのは、やはり良くないな」

 無論、おれはきっぱりと言った。
 彼女がプリキュアである事と、その無防備さは別の問題にあたる。おれは彼女の無防備さの恩恵で宿にありつけるわけだが、それでも彼女を預かる身として――それから、おれの主義として、必ずそれは教えておかなければならない話だ。
 そう言うと、そこで彼女は反論した。

「いいえ。それは、また違います」
「何?」
「探偵さんが、悪い人ではないのをわかったうえでの判断です」
「――」
「――それは、今日一日、一緒に話していて、それがとてもよくわかりましたから」

 花華は、そう言って、おれににこりと微笑みかけた。
 外では、野良猫の鳴き声が、うるさく響いていた。

「ったく……」

 そう。
 だから、子供は好きになれないのだ。
 ちょっとした一面ばかりしか知らないくせして、御世辞を言いやがる。






 ――さて、一日が終わった。

 おれは結局、夜までまったくタバコを吸えないままに、もやもやしたものを頭に抱えながら床に就く事になっている。猫の鳴き声もうるさく、間近にある手がかりの山も気になって、眠ろうにも眠れなかった。
 もともと、夜は遅くまで起きて、翌日の昼まで眠ってしまう事の多い生活だ。
 あんまりにも、無駄な夜だった。

 しかし、今日一日を通し、桜井花華という少女には、思いのほか好意的に接されているようだった。
 彼女のような年頃の少女におれの言葉や態度が通じるケースは珍しい。大概は、わけのわからない不都合な事を言って来るおっさんとしか見ず、一方的な嫌悪を見せておれの言葉に理解を示さないからだ。
 ……まあ、世の中そんなもんだろう。
 人の話を聞かない奴は徹底的に聞かない。おれをひっ捕らえたあの老害警官も、おれの説明を一切聞かず、話をするだけで相当な体力を削られた。
 それに比べると、彼女との話はスムーズで、会話の相手としてはひどく肌に合う。

 尤も、おれは別に彼女と親しくなろうとは考えていない。この手伝いが終わったなら、お互い別々の世界でまったく干渉する事なく過ごすだろう。人間関係など、そのくらいがちょうどよいのだ。
 だが、彼女のようなやさしい少女と知り合えてよかった。それは本心だ。

 さて、ちょうど頃合いのところで情報をもう一度整理しようと思う。



今回出たキーワードは次の通りだ。
  • Ryoga
  • 花咲家
  • 花咲つぼみの日記
  • 植物園
  • 不破夕二の本名
  • 桜井花華というプリキュア

 実をいえば、今回は――ヒントこそあるが、この事件にとって、大した話ではない。
 本当に事が進展を見せていくのは、明日の朝の話だ。

 ……そう。
 明日の朝、おれたちは遂に花咲つぼみの日記と、二人の探偵が残した奇妙なメッセージを見つける事になる。八十年前の生還者の肉筆にして、彼らがおれの代まで残した本当の、殺し合いのエピローグだ。
 そして、その後、おれたちは、植物園に向かい、そこで――――……と、残念だが、この先は言えない。



 あまりしゃべりすぎると、楽しみが減ってしまうだろう?






【『死神』/深い森の中】



 おれは、ふらふらと歩いていた。
 あの死体から逃れようと必死に走り、気づけば何が潜んでいるか知れない森の中を歩き続け、更に深いところへ迷い込んでいった。そのうちに、体中が痛んだ。
 単に疲れたのではない。見れば、おれの身体はひどく血まみれだった。ぼろぼろの身体を癒すものがなかったのだ。

 何かがあって、それからずっと気を失って――そして、おそらくそれまでの記憶も、その時になくなった。



 ――ここは、どこだ……? 俺は、誰なんだ……?



 ――それに、どうして、あんなところに死体が……?



 さきほど見た建物の中に……死体があった。
 おれは、それが眠っている人間なのではなく、死んだ――それも殺された人間のものなのだと、即座に知る事が出来た。
 もしかすると、おれはかつて死体を見慣れるほど見た男だったのかもしれない。
 逃げながらも――それは決して、別に、珍しい物だとは思わなかった。勿論、恐ろしいものだとおもったから逃げてきたのだ。

 殺された人間がいるという事は、殺した人間がいる。

 だが、どこに……?

 おれは、ここまで誰にも会っていない。
 誰にも会っていないどころか、人の気配さえ見かけていないのだ。
 それはつまり……ここには、この世界には――もうおれ一人しかいないという事なのかもしれない。



 ――――……そうか。



 おれの頭を、ある答えがよぎった。



 ……そう。そういう事なのだ。



 ……………おれなのだ。



 ここまで、死体以外の何を見た? この街、この森、道が続くどこにも人がいないではないか。
 まるで、この世界からすべての人間が消えてしまったかのようだ。
 この森の中には、動物さえいない。
 おれとあの男だけが、世界に残されていたのだとしたら――あの男を殺したのは、おれだったという事になる。


 血まみれのおれ。
 殺された男。
 記憶の無いおれ。



 ――――そう、おれこそが、『死神』なのだ。






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最終更新:2018年02月18日 23:09