世界はそれでも変わりはしない(3)◆gry038wOvE




【『探偵』/希望ヶ花市】



 おれのもとに穏やかな眠りをささげてくれないままに、朝はやって来た。
 結局、床の上に座ったり寝転んだりしながら惚けて考え込んでいたばかりで一睡もしていない。かといって、花華の邪魔をしては仕方がないので、物音を立てぬようにしていたから、作業を続ける事もなかった。
 花華の静かな寝息は、誰もいないこの家にそっと響き続けていたし、彼女は眠りにありつけたのだろうと思う。尤も、その日の夜の蒸し暑さからすれば、クーラーのない部屋では「穏やかな眠り」とは行き難かった事は容易に想像できた。
 外で一晩中うるさく鳴いていた猫どもは、いまだ喧嘩を繰り返しているらしい。

 おれは、眠れなかった事を口惜しく感じる事もなく、鳴り響いた六時半のアラームに合わせて動き出した。少なくとも、おれは眠らずに三日は動ける。もともと眠りの浅いほうだ。だから飽きもせず探偵をやっていられるのだ。
 どしどしと音を立てて動き出したおれの近く――花咲つぼみの部屋があったらしい場所で、ドアの向こうからうなり声が聞こえた。花華が目を覚ましたらしい。おれとは違い、即座に動き出すわけでもなかったようだ。
 女が朝起きてから男の前に顔を出すまで、無数の準備がある事はよく知っている。おれは黙ってそのドアの前を去った。

 おれはその部屋に背を向けて、物置部屋に立ち寄った。
 カーテンが閉じられたその部屋は、朝にも関わらず真っ暗で締め切られている。おれは、その部屋のカーテンを豪快に開けてみせた。部屋はすっかり明るくなったが、西向きの窓は、瞼に悪い朝日の光を見せなかった。
 元々花屋である手前、陽の向く場所に花を、陽の当たらない場所に資料を、という構造になっているらしかった。

「よし」

 おれは早速日記探しに取り掛かった。膨大な本や資料の山から、欲している日記を探すのはなかなか時間のかかる作業だ。纏まりのない小さな図書館と言っていい。
 どうにか掘り起こす為に時間がかかりそうだった。
 小さなため息が出そうになった。

「お、おはようございます! ……早いですねっ!」

 おれの背中に挨拶が向けられた。
 それは花華の声に違いなかった。が、おれは一瞥もせずに、探し物を続けて、「ああ、おはよう」と答えた。感じは悪いかもしれないが、それはおれなりの配慮だった。
 何せ、彼女が下階の洗面所まで降りた気配がない。どうせ水道も止まっているので、台所や洗面所に行って蛇口をひねったところで何も出ないが、そのためにペットボトルに水を入れて用意してある。トイレだって流せるくらいの量だ。
 髪を手で梳かして歯を磨き口をゆすいで顔を洗っただけのおれに比べ、彼女にはその数倍の労力でパーフェクトの自分を作り出すのだ。さすがに中学生なので化粧まではしないと思うが、それでも髪形を決めるだけでも異様な時間をかける。それを待つくらいの時間、わけはない。
 彼女はそのまま「ちょっと顔を洗って来るので失礼します」と声をかけて、すぐに階段を降りて行った。少々急いでいるようだったが、そんな性格なのだろう。朝くらいマイペースに準備しようが責めはしないというのに。

「さて」

 おれは、もう一度部屋全体を見た。
 おれには進度がいまいち実感できなかった。確かに進んではいるのだろうが、元の量が多いぶんだけ嫌に時間がかかる。
 しかし、案外今日中には終わるだろうという確信もあった。午前中に起きてから先は、時間が妙に短く、それでいて捗るのだ。
 このまま調子よくいけば気づかぬうちに正午を迎えるだろうし、その頃には部屋の半分はすっかり片付いているだろうと思った。

「……おや?」

 と、脇に目をやり、おれはその瓦礫のような本の山の隅に――「×××ぼみ」の文字列を見つける事になった。
 その上には結構な本の束が重なってタワーになっているので、これをどかす労力を想像すれば目をそらしたくなるが、手書きの筆跡がおそらく花咲つぼみと同じ物なのは間違いない。そこに花咲つぼみの名前があるからには、おれはそいつを探らなければならないのだ。
 ……こいつもスカだろうか、とあまり期待せずにそれを掘り起こして見せた。これまでも何度も花咲つぼみという名前にぬか喜びして、関係ない数式の羅列や漢字の練習が載っていたのを見流してきたのだ。
 今度は何だろう。教科書か、ノートか、それともただのポエム帳か。おれは、そんな想像をしながらそちらに一歩だけ足を動かし、手を伸ばした。

「ったく」

 上に乗っかっている本の山を、おれは順に片づけ始めていた。本の束を降ろしながら、そちらもチェックしていた。どれかがまたつぼみのものかもしれなかっただ。
 しかし、園芸誌のバックナンバーや、大昔の陸上競技誌なんかがビニールの紐で束ねられているだけで、どうやら手がかりではないらしい。これこそもう読まないと決められたうえで、捨て損なったもののようだった。
 そうして乗っかっているものを降ろしていくと、そいつはバランスを崩しておれの方に寄りかかってきた。結構な重みのある本の山がおれのつま先の上に雪崩れのように落ちてきた。

「痛てっ!」

 鈍い痛みのする左足を抑え、おれは無様にぴょんぴょんと跳ねる。あんまりな事に、思い切り跳ねようにも周りもすっかり足の踏み場がなく、これ以上余計な動きをしようものなら、そのまま倒れてしまいそうだった。
 無感情におれの足を攻撃した本の山に、おれは一瞬、怒りさえ感じ、本の山を一瞥した。
 すると、――そんな痛みとやり場のない怒りが襲い掛かってはいたものの――そんな苦難に見合うだけの報酬がおれの目に映ったようだった。
 腹立たしい量の零れ落ちた古雑誌の向こう、「花咲つぼみ」の名前が書かれたそれは、まぎれもなくおれがさっき目にした「×××ぼみ」のノートだ。
 どうやら、そこに花咲つぼみのノートが、そこにまとまって置いてあったようだ。

「――これは……日記帳、か?」

 手に取り、めくってみると、日付は2010年ごろだ。
 おれは、ちょうどそれは彼女が殺し合いに参加させられた前後のものであるという事を悟る。少なくとも、プリキュアとしての活動を行っている時期の日記であるのは間違いのない事実である。
 左から右へと、ざっと流し込むように読んでいき、次々とページをめくる。彼女の人生の起点となる頃の物語が生々しく、彼女自身の筆で書かれていた。想像した通り、読める字で書いてくれてはいるが、それは丁寧な達筆というより、普通に女の子らしい字であったのが少々意外であったかもしれない。

「こいつは……どうやら、お待ちかねの品だ」

 しかし、やはりその年頃にしては非常に読みやすく、字が判別できないだとか、文章の意味が伝わらないだとか、そういった事態は発生しないだろうと安心できた。うちの三代前と二代前が書いたらしい報告書よりは出来がよさそうだ。
 おれはそいつを純粋に興味深く読んでしまっていた。

「――」

 そこにはまず、プリキュアとしての戦いについて、書いてあった。
 それから、数日が飛んで、殺し合いからの生還。脂目マンプクの逆襲。
 ここまでは、鳴海探偵事務所の一員たるおれも教養として把握している範囲の事だった。いわくのある探偵事務所にいるのだから、そのいわくも人並より詳しくは把握しているつもりである。

 だが、それから先は、おれの知らない様々な花咲つぼみの姿が――全世界に中継された殺し合いのなかで生き残った少女が暮らした一日一日と、その心のうちが嘘偽りも誇張もなく記されていく。



 響良牙の恋人・雲竜あかりとのファースト・コンタクト。
 時空管理局側で保護される事となったオリヴィエに再会した事。
 なにやら同級生たちから結構な数のラブレターが届いたらしいという事と、その返答への悩み。
 佐倉杏子と再会し、意見の食い違いから些細なトラブルが生じたらしいが、すぐに和解したなどという私事。
 孤門一輝が恋人を連れて訪問した事や、すぐあとに開かれる彼らの集まりへの誘いがあった事。
 殺し合い終了から一ヶ月が経ち、生還者全員と再会するも一人だけが特別の仕事で来られなかったという事。
 当時の志葉家当主――志葉薫より、血祭ドウコクおよび志葉丈瑠(外道としての彼の事だろう)のその後の動向に関する調査について話を聞いたという事。
 都内の大学で開かれた異世界移動技術に関する一般向けの学会に密かに参加したが、現段階の彼女ではまるで何もわからなかった事。
 来海家の三名が別の街へと引っ越す決意を固め、自分の中の来海えりかとの思い出が遠ざかるのが心の底から寂しかった事。



 ……日記は殺し合いから生還してからも、毎日とは言わないながら結構な頻度で書かれており、ほとんどはそういった極私的な事や周囲の観察から始まっていた。
 詳しくは伏せるが、必ずしもポジティヴな事ばかりではなかった。
 戦いによりプリキュアとしての力を失った彼女は只の人間となったが、完全な一般人と違うのは、「世界に名の知れた有名人になった」という点であった。
 それは称えられるという事と同時に、誰かに利用されるという事であり、嫉妬されるという事であり、彼女を無自覚に傷つける言葉を人は想像しえないという事である――鳴海探偵事務所の左翔太郎が辿った運命と同様だった。しかし、彼女の場合は彼よりも、もっとずっと若い少女だったのだ。
 その分、とりまく社会は違うし、心はナイーヴでもある。
 悪意のない人間が時に彼女を傷つける言葉を放ったらしく、それを憎み切れない孤独なども赤裸々に書かれていた。蒼乃美希や高町ヴィヴィオとはメールのやり取りを頻繁に行い、そこで双方で――傷のなめ合い、と言っては流石に失礼だが、同じ立場ゆえの悩みを吐き出し合ってもいたらしい。他に理解者はいなかった。

 おれは、それらに目を通しながら、少し息をついた。
 おれもこうして彼女のプライベートを勝手に覗いてしまっている。好奇心や善意で彼女に妙な事を言った連中責められる立場にはない。――「生きて帰れてよかったね」という一言にさえ悩んだ彼女の心境はおれにだって理解できないのだ。
 だから、日記を読むのをやめてしまおうかと、少し悩みかけた。
 ……尤も、おれはそんな干渉は、即座に殺した。

 そいつは、紛れもないおれの探していたものだった。
 おれの目的は興味を貪る事でもなければ、花咲つぼみのプライベートを尊重する事でもない。
 花咲つぼみがあったからこそ、鳴海探偵事務所は存続し、その場所でおれは働かせてもらっている。その恩義を、彼女の曾孫が求める形で返還する事なのだ。
 そのために、おれはこうして有給を使ってまでもゴミ山と格闘し、見つけた資料から手がかりを探っているわけだ。上記の日記だけでも、雲竜あかり、他の生還者、志葉薫などと遭遇しており、このうち孤門一輝と志葉薫はこの家に上げたらしい事だって書いてある。万が一にでも、彼らの荷物に紛れたのなら――という可能性だって否めはしまい。
 それを詳しく考えるのが、おれの役目だ。

「――数年分は纏まってるな」

 日記は何年分もそこに重なっていた。おれはそれを花咲つぼみの部屋に移動させる事もなく、ぺらぺらとめくり始めていく。
 なにやら、この世界の西暦で云う2016年ごろまで、この場所にすべて纏まっていた。
 日記は続いていく。



 異世界同士がつながって以来初めて起きた「異世界間戦争」のニュースへの、怒り。
 相羽兄弟らが生きたテッカマンブレード世界を始めとする他世界の超技術がこの世界に本格的に転用され始め、相互補完的に技術革新が認められた事実への、歓喜。
 高校入試と、その結果。
 卒業式にて、卒業生代表としての挨拶を求められ、来海えりかや明堂院いつきがここに立てなかった事実を受け止めた事。
 佐倉杏子も中学生としてきっちり卒業した事。それと同時に鳴海探偵事務所でアルバイトを始めたのを聞き驚いた事。
 かつて信じた「響良牙が生きている」という事実への自信が、自分の中から毎日少しずつ失われていく事への恐怖……。



 おれは、佐倉杏子が鳴海探偵事務所で助手として働く事になった経緯や詳しい時期も、この日記を通して初めて知る事となった。彼女の中でも、同じ年頃の杏子が通信制高校に通いながら殆ど探偵業メインで活躍している事実は刺激的だったらしく、結構な文量がそこに費やされていた。
 おれは、それが間もなく「左翔太郎に依頼を行った日」に近づきつつあるのを、日付から逆算していた。
 少し期待は高まったが、一つ気になった情報があった。
 おれはそちらの事をもう一度少し考えた。

 響良牙――という名前が、この日記にはよく出てきていた事だ。あのRyogaの名前の元ネタの男だ。出来事としてはまったく絡まないのに、唐突に彼女は響良牙の名前を出す事もあったくらいだった。
 それこそ、この世界での友人以外では、生還してコンタクトを取っているはずの左翔太郎や佐倉杏子よりも、その名前が頻出しているようにさえ思えた。蒼乃美希や高町ヴィヴィオはメールで度々話す調子のようなので、そのメールデータが残っていないと比較はできないが、彼女を動かしている強い影響力の一つなのだろう。
 無理もなかった。
 殺し合いのさなかで行動を共にし、あらゆる場面で双方助け合った名コンビと謳われた響良牙と花咲つぼみ。あらゆる場面で花咲つぼみは響良牙に助けられ、響良牙は花咲つぼみに助けられていた。
 あるいは、ふたりの間には――良牙に恋人がいた事から考えるに花咲つぼみが一方的に、想いを寄せていたとも邪推できた。実際にはわからない。探偵特有の下卑た考えなのかもしれない。

 だが、どうあれ――この日記の八十年後という時間を生きるおれは、彼女が信じ続けている明日が来ないのを知っている。
 何故、彼女は「響良牙が生きている」と仮定しているのかさえ、おれにはわからない。論理的に動いたうえでの事なのか、感情的に動いての事なのかさえわからないが、端から見れば明らかに後者を疑う状況だった。

 いずれにせよ、それはラスボスを倒せるほどの純粋な想いだった。しかし、彼女がその想いをどれだけ叶えようとしても、彼女にとってのゴールはなかった。
 彼女の生きた八十年――その過程で名誉ある賞を受けたとしても、その原動力となった響良牙への何かしらの想いが叶う事が決してないというのなら、それはあまりに残酷な結末であると思える。

 ……いや、それを除いても、だ。既に彼女を取り巻く環境は、見る限り成功者の幸福と呼べるものには見えなかった。
 彼女に付きまとったプリキュア、生還者、ノーベル賞受賞者といった肩書は――こういう生き方を選ばされた事が、はたして彼女の人生にとって歓迎される事象だったのか、おれは当人でないからわからなかった。
 しかし、どうしても靄がかかる。

 本当に、それは「青春」なのか。
 いまベッドの中で病魔と闘う彼女が振り返る人生は、まさしく茨の道――不幸の連続でしかないのではないか。

 おれには、あの殺し合いは、彼女の中でいまも続いているように思えた。
 彼女の周囲が――確実に、変わってしまった事実。これを見て、おれは、あの殺し合いがない彼女の人生というのを考え、友と笑い合って成長する一人の少女を浮かべた。
 そこにある苦難や戦いの数と、殺し合いから生き残って、その先を生きる少女に強いられたそれの数とは、秤にかけるまでもないだろうと思えた。そして、その世界の彼女の方がよっぽど、幸せに生きているような予感があった。そこに名誉の賞はないかもしれないが。
 世界は、殺し合いに参加させられた彼女の人生は、あの時定められた運命から変わっていない。





 ――もし、彼女が殺し合いに巻き込まれなかったとするなら、その方が、ずっと幸せだっただろうと、おれは確信できてしまった。





「――改めて、おはようございます。探偵さん」

 ふと、おれは、背後からかかった声に不覚を取られた。
 それは、咄嗟にそちらを振り向いた。花咲つぼみの事を考えていたおれは、何だか花咲つぼみの亡霊にでも呼びかけられた気分でいたのだが、そこにいたのは、すっかりパーフェクトな自分を作り出した桜井花華であった。
 用件は、単なる朝の挨拶だった。

 今日は、頭に花飾りをして、白いワンピースを着ていた。はっきり言って、こんなところよりも森のなかが似合いそうな恰好だった。
 おれは、その恰好が全くもって、この埃だらけのゴミ部屋で探し物する恰好ではないのに呆れつつも、再度挨拶を交わした。

「ああ。ほんとうに改める必要があるのなら、おはよう」
「それは――挨拶は、相手の目を向いてするものですから」
「悪かったな。おれとしては、『レディの寝起きの顔を見ないように』という配慮のつもりだったんだが。……いや、すまない。こちらも探し物に気を取られていたんだ」
「いえ、私を待ってくれているのも、何となく察してはいました。……ですから、それを責めてるわけじゃなく――とにかく、個人的にはそれではすまなかったので、もう一度正式な挨拶という事で」
「ああ、わかった、わかった」

 彼女は面倒になるほど生真面目だ。おそらくそこが曾祖母との決定的な違いだろう。
 控えめなタイプに見えたが、その反面で芯があるというか、むしろ、厄介なほどに自分の在り方を曲げない。それとも、世間の情操教育に忠実すぎるのか。
 そのうえ、花咲つぼみが運動神経に自信を持たなかったのに対し、彼女はそれと対極的に「家族に心配されない」ほど、男でさえ撃退する自信があるほど、強い。
 いずれにせよ、おれに言わせてもらえば、ハードボイルドに近い存在だ。

 いや――そうだな、ハードボイルドと云っては失礼かもしれないので、ここは「委員長タイプ」とでも呼ぶのがいいか。
 おれは委員長少女に言った。

「――それよりか、聞いてくれよ、花華。きみの曾祖母の日記が見つかったんだ」
「えっ!?」

 彼女は、大きく口を開けて驚いていた。
 おれが手に持っている日記に目をやり、横に重ねられたおれの日記と、ものが雪崩れ落ちた形跡のある床を軽く見やった。何があったのかは察してくれたらしい。
 そんな彼女がおれの顔を向いた時、おれはしゃべり始めた。

「時期もちょうど、プリキュアになった頃のもの、殺し合いに巻き込まれた頃のもの、あとは以後数年のものだ。手がかりがあるとすれば、この辺りで間違いないだろうと思う」
「ああ、良かったです。私ももっと早く見つけて読みたかったのですが……」
「……花華。これだけの事を一人で勝手に見てしまって、済まないな」
「――それは、別に構いませんし、その為に来てくれたのだから全部読んだって全然良いんですけど」
「いや、きみが先に読んでくれた方が良かったのかもしれないな。もし機会があるのなら、きみもぜひ詳しく読んでみてほしい。曾祖母が、どんな風に生きたのかがわかってくるよ」
「えっ」
「……勿論、おれの方は、あまり詳しくきみの家族のプライベートは詮索しないつもりだがね。少なくともきみには、彼女の心境も含め、これを熟読できる資格があるだろう」

 こうは云うが、おれはむしろ、彼女はしっかりと読むべきだろう、それは資格というより義務なのだろうと思っていた。
 彼女が自分の行きたい道を――プリキュアとして活動する道を選んだうえで、花咲つぼみというひとがそれを阻もうとしたのなら、そのひとが花華を止めた理由をきっちり見つめておかなければならない。

 それが、間違いなくこの日記には書いてあった。
 生きるうえで不必要なまでの苦難、暴力的なまでの精神的負担、ともすれば自分で命を絶ちかねないほどの絶対の孤独やトラウマ、帰ってきた場所に友のいない寂しさと後悔。あらゆる物が襲ってきたであろう事は、言うまでもない。
 それを次代に継がせようとする者がいるだろうか。

「……」

 おれにもまた、かつて探偵という道を選ぶにあたっては、周囲からの反対も無数にあったし、それを振り切って、探偵になる覚悟を決めて、一人になった。
 それ以来、両親や家族とは、普通の家庭からすると驚かれるほどに、すっかり会ってもいないし、他の手段で近況を話す事さえない。家族も同じ風都という箱庭に住んでいるのだが、すっかり疎遠になっており、お互いの情報も交わされないまま、冷戦が続いているような状態だ。
 べつにそんな関係になった事には未練はないのだが、一つだけ言っておくと、おれはかつて、探偵の道を阻まれた時に家族の心情と向き合う覚悟だけは、全くした覚えがなかった。
 家族は、おれがおれの意思で決めた生き方を阻もうとするノイズとして、まったく無視していたのだ。――それを思えば、こうして機会が訪れた彼女は、おれとは違う選択肢を持てる状況だと云える。
 ただ、それを促すのも年寄り臭いし、おれは説教好きな年寄りは昔からきらいだった。どうあれ、どうするのが正解とも一概には言えないので、おれはただ彼女に「資格がある」と云うだけだった。

「……わかりました。後でちゃんと持ち帰って目を通します。興味も、ありますから。――それより、肝心の内容ですが、左翔太郎さんに依頼を行った際の事とかは書いてありますか?」
「いや、悪いが、そこはまだ読めていないんだ。しかし、逆算すると、間もなくというところに来ている。彼女はその時点で、どう受け止めたのか――それは気にしておきたいところだな」

 そういいながら、おれはページを捲った。
 一ページ一ページが、花咲つぼみの中の苦難の一日を経過させていく。それは、文の量に比べてあまりに重々しく感じられた。

 花華が、傍らの、おれがもう読み終えた日記の方に手をやった。
 まだおれの読んでいないものを読んでくれたところで、話の筋が見えないだろうから、こうして既読のものを読んでもらった方が効率は良い。ここから先、別々の立場から共通の情報を議論できる。
 彼女がそこまで考えているとはさすがに思えないが、とにかく都合が良かった。

 しかし、だ。
 そんな折、花華の腹がぐぅ~~~と長い音を立て、朝飯を欲しがる合図を送った。
 彼女が恥ずかしそうに腹を撫でるのを、おれは思わず笑った。尤も、先に笑ったのは、花華だったが。

「……まだ、朝飯を食べていなかったな」
「ええ、そうでしたね」
「まずは、そちらを食べてしまおう。最大の手がかりももう見つかった事だし、一日に習慣を優先した方がいい」

 おれはそんな提案を口にした。

「……でも、良いんですか? これを読む為にわざわざ来ていただいたのに」
「資料として、続きが気になるのは確かだ。だがな、こうして作業をすると、時間を忘れる。良いところだ良いところだと言って、永久に読み進めてしまうのが人情だ。キリがなくなるより前に食事にありつこう」
「――そうですね。後からでも読めますし」
「ああ。それに、おれも朝飯はともかく――コーヒーが、まだだった」

 おれは、苦いブラックコーヒーを飲みたくて仕方がなかった。
 それがおれの朝の文化で、休める日の寝起きの時には欠かせない習慣だった。
 うまいかはわからないが、朝飯の食える気の利いたカフェが、この辺りにある。おれは、一度この日記を持って、そこへ向かおうとしていた。
 ……こんなものを読みながら朝飯を食おうものなら、この少女は「ご飯を食べながら読書は行儀が悪いですよ」と言ってきそうだが。






 ――ここは希望ヶ花市内のカフェだ。
 創業百年という当時からのアンティーク・カフェ。コミュニケーションを嫌ってそうな店員と、木彫りの奇妙な人形が並べられたそこらの戸棚のレイアウト。ファンシーとは対極な店だが、一押しはパンケーキらしい。勿論、俺は頼まないが、向かいの中学生はそれを言われるがまま頼んだ。
 おれは、ベーコンエッグサンドイッチとコーヒーだけを頼んだ。花華はパンケーキにハーブティーだ。大した量ではないがほどほどに高い。
 肝心のコーヒーの味はそこそこだった。おれは、差し出された砂糖とミルクも入れない。こんな不純物を入れてしまえば、“そこそこ”ですらなくなるからだ。どちらかといえば、このベーコンエッグサンドイッチはうまかった。パン生地や焼き加減に拘りがあるのだろう。来た時点でもうまい匂いがした。
 流れる音楽も良い。心を癒すクラシック・ミュージックだ。
 だが、少なくとも、おれは、この店が嫌いだった。理由は単純だ。あそこに書いてある――『全席禁煙』。

「――失礼を承知で云いますけど。ご飯を食べながら本を読むのは行儀が悪いですよ、探偵さん」

 おれがベーコンエッグサンドイッチを租借しながら日記を読んでいると、案の定、想像した通りの言葉を言われた。当然ナイフとフォークは皿に置いている。おれは次の一口までのわずかな隙間の時間を有効活用しようと資料に再度目を通しただけなのだ。
 しかし、言い返す言葉もなく、おれは日記を置いた。

「悪いな、思わず先が気になって」

 ともかく、飯を食う時は飯に集中するのが礼儀、との事だろう。おれの中で通すルールの中には、その発想はない。情報を得られるだけの時間は利用しておきたいし、人生の空いている時間はすべて無駄にはしたくないのだ。意見は食い違う。
 尤も、ここで話が拗れるほうが人生の無駄な時間が繰り広げられるだろうと汲んで、おれは我慢をする事にした。

「いえ、こちらこそ……。それにしても、良いお店ですね」

 そう恐縮しながらおれと合わない意見を告げたのを横目に、おれはさっさと食べ終えた。
 食事に時間をかけすぎてしまうのも良くはない。健康や美容の為にどうかは知らない。おれが朝飯にありつきたかったのは、缶以外の温かいコーヒーを飲むくらいの余裕が欲しかったのと、一応の朝飯が食べたかったためだ。
 それが案外、コーヒーが美味くもなくまずくもなく、むしろパンの方が美味かったので、どこか調子の外れた気分になる。そんな日もある。
 花華はまだパンケーキを食べているが、食事については急かされる事もなくマイペースに食っている。何にでも時間をかけるのは女の性だ。
 おれは、その待合時間ならば見事に利用してみせようと思った。

 ……おれは、再び日記を手に取る。
 ページをぱらぱらとめくり、まだ目にしていないページへ。そこには、遂に左翔太郎に依頼を行った日の事が記されていた。
 ……未解決ファイルに記された公的な記録とともに、こうした個人での記録が残っているのは見事な事だ。日付は7月の終わりごろ。高校生となった彼女の夏休みであった。
 前後には、高校で出来た友人の事も書いてあるが、必然的に量が多くなるのは長期休暇を利用した『かつての友人』とのふれあいだ。
 おれは、それを花華に見せてやろうかと思ったが、それより先に自分で一度目を通して見せた。



『7月30日
 今日は、風都にお邪魔しています。翔太郎さんや杏子、それから亜樹子さんのいる鳴海探偵事務所へ、ある依頼に伺いました。本当は美希も連れて行きたかったのですが、今月も忙しいようで、私だけで向かう事になりました。
 (中略)
 久々に会った杏子は、すっかり風都に詳しくなっていて、いくつかの名所を案内してくれました。――ところで、依頼の方はどうなんでしょう……?
 それでも風都の人たちは温かく、びっくりするほど巨大なナルトの風麺のラーメンはおいしく、相変わらずとても良い街でした。
 希望ヶ花市も良い街なのですが、私は翔太郎さんほど自分の街に詳しくはありません。街を愛する事もとても素晴らしい事なんですよね。(後略)』



 ……まあ、外から見て、事件に遭わなけりゃ、あの街も良い街に見える事だろう。人口も多く活気はあって明るい。だが、当時から犯罪都市には違いなく、ガイアメモリなんていう恐ろしい実験が繰り広げられていたような場所だ。
 住めばわかる。便利な街だが、必ずしも「良い」だけの街とは言い切れない。おれが個人的に気に入っているだけだ。少なくとも、少女には向いていない。

 とにかく、最初はほとんど観光同然の内容だった。
 当然だ。今のように、探偵がその日すぐにでも依頼に向かえるほど暇ではあるまい。この探し物の依頼も、風都を出なければ調査する事はできないし、左探偵はアクティヴな性格だったようだが、街から出るのは嫌う。調査はしばらく後になるだろう。
 おれは、そんな想いを抱えながら、花咲家に二人が訪問する記述を待った。



『8月3日
 杏子と翔太郎さんが私の家にいらっしゃいました。用件は、以前依頼した件についての調査です』



 ……数日後だった。
 案外、当時からこの事務所は暇だったのだろうか。
 その日の日記は当然、そこから先も続いている。



『様々な事を聞かれ、室内も多少探したようですが、結局見つからなかったとの事でした。それから、10日には私が生まれた実家の方を調査してくれるとの話でした。
 確かにあの件の後も私の手元にあったはずなんですが……。
 しかし、そこまでしてくれるのは本当にありがたく、二人とも二歳になったふたばとを楽しそうにあやしていました。
 ただ、翔太郎さんが抱えた時には突然大泣きしてしまい、翔太郎さんのスーツに粗相をしてしまったので……(後略)』



 先々々代の恥は読まなかった事にしておこう。
 万が一、佐倉探偵がこのくらい頻繁に日記を書く性格であったなら、おれは相当数の左探偵の恥を目の当たりにする事になったかもしれない。
 おれは、続けて、依頼に関する記述を探してまたページを捲っていく。
 その間も、花華は食事を続けており、おれが一足先に重要な事実に触れている事など気づいてもいないようだった。



『8月15日
 鳴海探偵事務所の方から、調査報告書が届きました。未解決にせざるを得ないとの事で、非常に残念な結果でした。
 翔太郎さんからの直筆で、「但し、未来、君が必ず果たせる」とだけ書いてありましたが……私が果たしてどうするんでしょう。
 それとも、翔太郎さんの事だから、回りくどい言い方をしただけで、何か意味があるんでしょうか?
 試しに杏子にもメールで聞いてみましたが、何の事だかさっぱりとの事。ただ、翔太郎さんは無念の様子ではなく、やはり何か知っているみたいだそうです。
 ……それならそれで言ってくれればいいのに。
 とにかく、この件については、おばあちゃんがかけてくれた言葉を思い出して、前向きに捉えようと考えています。
 依頼の方は残念だったかもしれませんが、私の依頼に協力してくれた鳴海探偵事務所や風都の皆さんには感謝でいっぱいです。久々に会えた事も嬉しかったし、またいずれ会えたらと思います。
 何より、私はこの件を未来で果たさなければならない、と励まされています。そこにもし意味があるのなら、まずは私自身が今取り組もうとしている事をがんばらないと!』



 そうか……。――やはり、左探偵は何かを掴んでいたと見えた。
 しかし、日記上でここまではっきりとその事を書かれてしまうと、近づいたようで遠ざかったような気分にならざるを得なかった。
 たかがこれだけの依頼の真実を、どうして勿体ぶったのか。
 おれにはそれがわからない。裏組織の闇に繋がる事実や、国や大企業が抱えている癒着や不正の記録に辿り着くような内容でもなければ、そこに辿り着くようなプロセスをたどっていたわけでもなかったはずだ。
 それを、何故彼は意味深に放り出してしまったのか。
 その理由を知るには、おれはまだ早すぎるようだった。

 おれはそのページに指を挟みながら、更に日記をぱらぱらと捲っていった。
 そこからしばらく、左翔太郎や佐倉杏子と直接のコンタクトを取る事はなく、具体的にこの件について触れる記述はないまま――そして、再び彼らの名前が挙がったのは、この記述だった。



『3月29日
 とてもショックな事がありました。私も、まだ気持ちの整理がつけられていません……。
 この日の日記はもう読み返す事がないかもしれませんが、今の私が落ち着くために書く事にします。
 今日、風都×丁目の道路脇で、翔太郎さんが亡くなったそうです。男の子をかばって車にひかれてしまったとの事で、病院に搬送されて間もなく息を引き取ったと聞いています。
 詳しい事はわかりません。
 ただ、それを教えてくれた杏子に返す言葉も浮かびません』






 ――この後、おれは日記の続きと、それから花咲家に保管されていた調査報告書を見る事によって、すぐにすべての意味を知った。
 そして、それは極めて美しくもあり、時が過ぎた後となっては残酷で、桜井花華という少女にとっては縋りたいはずの奇跡を潰してしまうような結論だと云えた。
 尤も、「結論」の意味をおれはこの時、全くはき違えていたのかもしれないが――それは、まあいい。
 ……さて、そんな御託よりも、肝心の手がかりの方を振り返る事にしよう。






 左翔太郎の死、という記述より後は、彼女は思い出に耽るようにして殺し合いに巻き込まれた時の事を回想している。そこでまた、響良牙に関する記述は頻出し、この頃にはすっかりノスタルジックにその話を思い出すようになっていた。
 おれにとって、それが幸せな事なのかはやはりわからなかった。
 再び花咲家に戻ったおれと花華は、二人で調査報告書を探したのち、日記の先まですべて確認していた。調査報告書の方は、すぐに見つかった。

 とにかく、まずは、順を追って振り返ろう。

「――調査報告書は、鳴海探偵事務所に未解決ファイルとして保管されているものと同一の内容だ。ただ、二点を除く」

 おれは、こう花華に告げた。
 結論から言えば、この事件の調査報告書は、思わぬ収穫だった。
 内容は事務所で目の当たりにしたデータとまったく同じながら、そこには日記に書かれていた通りの「但し、未来、君が必ず果たせる」という左翔太郎の肉筆が残されていた。何度か見た彼の肉筆だが、それが強い意味の言葉に感じられたのは初めてだった。
 大概は、おれからすればどうでもいい格言やメモ書きだったのだが、その一言には妙に強い感慨が込められていたのである。



 ――但し、未来、君が必ず果たせる。 左翔太郎より



 そして、その下にもう一つある。
 佐倉杏子が再調査した際に刻まれた言葉だ。



 ――この件の調査は、本日再び終了する。
 ――しかし、私も待っている。花咲つぼみの友達として。
 ――2017.8.7 佐倉杏子



 そんな遠い昔の日付の記録とともに、この依頼は『終了』していた。
 妙な納得感を筆に乗せていた佐倉探偵の言葉とともに、探偵たちは自分たちの職務を放棄していったのである。それは敗北や妥協というには、あまりにも小気味の良い言葉であった。
 おれは未解決ファイルにこの事件を見た時、この意図のわからない『終了』に、不気味な、そしてネガティヴな意味合いを感じ取っていたが、むしろ事実はその反対なのである。

「この記述は、いずれも花咲つぼみへの個人的なメッセージだ。それも、探偵としてでなく、左翔太郎として、佐倉杏子として書かれたもので――事務所に保管すべき資料には、残っていない」
「こんな言葉を残してたんですね……一体、どういう意味なんでしょう?」
「――つまり、このメッセージは、彼女への『信頼』の意味だよ。彼女こそが最もそれを見つけるに値する人物だと、彼らは結論づけた。そして、佐倉探偵がそれを告げた時に、彼女はそれに納得したんだ」
「……」

 何しろ、おれに言わせてもらえば、これは明らかに報告書ではない。――友人二名から宛てられた私信であり、三人だけが理解した暗号かポエムだ。
 いまだ鳴海探偵事務所に残されていたあの報告書も同様だ。当人たちしかわからない意味合いが乗っかっている。その時点で――先代やおれがまともに引き継げない時点で、あれはプロの報告書ではないのだ。
 しかし、彼らは「プロ」としてでなく、青い感情を伴ったまま、「友人」としてあれをファイルに綴じた。
 あの戒めと無念の羅列が綴じ込められたファイルの中で、この一つの報告書だけは、きっと彼らにとっても――読み返す事で、花咲つぼみと繋がれる感傷的な手紙としてしまい込まれていたのである。

「それなら、素敵ですね」
「――いや。信頼というのは、その信頼に応えられなかった時が残酷なんだ」

 だから、おれは、答えられない依頼は受けたくないのだった。依頼人たちが希望を受けてしまうのは、おれを信頼しているからに違いない。悪戯な信頼を受けても、それに応える事ができないのなら、受けないに越した事はない。
 今回の場合、私的手伝い、と言い換えて金を受け取らないとしても、おれは桜井花華という少女から信頼されつつあるのが少々嫌ではあった。
 おれならば見つけてくれるのでは、と思われているかもしれない。だが、残念ながらその信頼には答えられない事がわかりつつあった。
 そう、この時――結論まで悟ってしまっていたのだから、なおさらだ。

「信頼は、祝福と呪いの両方を兼ね持っている。信頼される事で人とつながり、心は満たされるが、その代わりにそれを果たさなければならない呪いがかけられ、死ぬまで心を縛る。きみくらいの年頃だ、いくらでも心当たりがある事だろう」
「……」
「勿論悪い事ではないし、それがもし、信頼に応えられるのなら、あるいは応えられなくとも許されて報われるのなら良かったんだが――今回の場合は、ちょっと、な」

 そういうと、彼女はおれの方を向いた。
 驚いているようだった。今回の話の結末を既に読んで、それを踏まえておれが信頼を論じた事を、彼女はすぐに悟ったのだった。

「何かわかったんですか?」

 おれは、答えもせず、ただ花咲つぼみの日記を見やった。
 花咲つぼみの日記には、佐倉杏子がメッセージを送った同日、こんな記述がされてあった。



『2017年8月7日
 以前の依頼の件で、杏子から調査報告書が届きました。あの件について杏子から聞いた推理は、思いがけないものでしたが、報告書の杏子の言葉は励みになりました。
 私は、二人の探偵さんの言葉を信じます。だから、自分を信じて進む事にします。
 それより、杏子も仕事がすっかり板について、以前とは見違えるほどしっかりしたカッコいい探偵さんになっていました。
 美希だって今はモデル業と並行してデザインの勉強に必死です。
 ヴィヴィオはいま、大きな大会を目指して特訓中。
 孤門さんもすっかり威厳のある隊長さんで、それと同時に良いパパみたいです。
 零さんについては詳しく書けませんけど、相変わらず凄い活躍しているようです。今はどこにいるんでしょう。
 みんな良いところはそのまま、それでも立派に変わりました。
 ……でも、私も皆さんに負けられません!
 だって、お二人が私に託したように、私が未来、必ず果たさなければならない事があるんだから!』



 おれの中で、もう謎は謎ではなくなっていった。






 ――そう、彼らだけがわかる共通言語があった。誰かがそれを、他人が読めるような言葉として書き記す事はなかったのだった。
 特に、彼女の日記の中にある――「探偵の言葉を信じ、だから自分を信じて進む」なんていう一行だって、彼らの共通言語の中でしか意味を成しえない。
 だが、因果関係の不明慮なこの文が、彼女たちには強い説得力を伴っているのだ。その行間を見なければ、事実は見えない。

 彼らが何を思っていたのか。
 この意味を解きたいものは――彼らの共通言語から推理しなければならないのだった。
 そして、それは、この時のおれにはある程度推測が立てられていた。


キーワードは次の通りだ。
  • 響良牙
  • 左翔太郎と佐倉杏子のメッセージ
  • 8月15日の日記
  • 8月7日の日記
  • 左翔太郎の事故死
  • 『信頼』


 そして、おれが推理した結論と、それをまるっきり裏返すかのような、植物園での出来事は、この後の事だった。
 人生は本当に何が起こるのかわからないゲームだ。



 これから先、おれがどうなるのかだってわからない――以前、花華にそう頼んだように、彼女に『死神』と呼ばれる事にもなった、いまのおれとしてはだ。






【『死神』/花畑】



 おれはあれから先――少しばかり長い時間をかけて、遂に記憶のすべてを思い出す事になった。

 すべてを思い出したのは、奇妙な怪物に襲われ、頭を打った時の事だった。

 かつての事、そして、いまの事、何もかもが頭に浮かんだ。

 そして、すべてを思い出すとともに、自分があまりに長い地獄の中に閉じ込められている事に気づいてしまった。

 ここは、まさしく真っ当な人間には住まう事のできない地獄だったのだ。

 人間も動物もいないが、時折、怪物だけが這って現れた。

 おれはなんとかそれを潰していったので、今ではすっかりそいつらが現れる事もなくなっていた。

 それから、食えるものを探すのにもかなり時間がかかった。……尤も、おれに本当に必要なのは、食い物などではなかったが。



 ――あれからまた相当な時間が経っている。

 今のおれを癒すのは、傍らで鳴り響いてくれる音色だけだった。

 しかし、おれと違ってこの音色ばかりはいつまでも響かない。

 昨日まで傍にいてくれたあいつのように、これもいつか壊れ音を発しなくなるだろう。

 本当の孤独はそれから先にある。

 それでも、おれはこれからも永久にこの煉獄の中で生き続けるのだろう。



 いつかの事を思い出した。

 いつかの少女を思い出した。

 いつかの――――いつか……いつか…………。

 気づけば、おれの両目は、涙であふれていた。







時系列順で読む

投下順で読む



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2018年02月18日 23:19