第2部 序章-第二幕- ブラック・レイン





それから二ヶ月の時が過ぎ、勇者軍各員は
それぞれの暮らしに戻り始めていたが、
白虹騎士・ホワイトナイトの最後の捨て台詞が気になっていた
アーム城ウォルフ=テオ=ザン=アームⅣ世は、
アーム城に多数の監視設備を設置し、情報部予算を増加させ、
世界情勢をつぶさに監視し続けていた。
クソ真面目と自称する彼らしい所業ではある。
そこへたまたま報告書を持ち寄っていたエリック=ルストは、
ウォルフ王子に直接謁見していた。
「どうだい。あれから二ヶ月経つが、その後、変化は?」
「さっぱりです。わざわざ気象観測台まで用意したというのに、
 このままでは、そのままお蔵入りというところでしょうか。
 国民の血税がなまじ投入されているだけに、それはしたくないですが」
「いや、俺は取り越し苦労のがいい。
 あんなおぞましいモノがまた来るなんて、考えたくもない。
 俺としては、出来るだけ奴の負け惜しみだと思いたいよ」
エリックは嘆息する。
「エリックさん、何か気になる事でも?」
「……少しな。だが俺はもう少し様子を見てみるつもりだ。
 確証が取れてから、確実に報告をさせてもらおうと思う」
「……了解です」
疲れたように、ウォルフ王子も嘆息した。

そこで、話題は自分達の上司であるロバートと、
その関係者達の事になった。
「ロバートや、エナ……それからレオナはどうしている?」
「エナさんは一旦、新居に戻ってもらいました。
 ご家族も随分心配しておられたようですし、
 ロバートに関しても然り、総帥が引っ張っていきましたよ。
 しばらくは弟……ジョゼフの顔でも眺めるのでは?
 レオナさんは……修行中だと報告が来ています」
「おかしいな? 俺の方にロバートから連絡が来ているぞ?
 エナとまた旅に出るから迎えに行くって言ってた。
 さては俺にだけこっそり言って、王子には相談無しか?」
「そうかもしれません。クソ真面目なだけの私は
 彼にとっては鬱陶しい人物でしかないでしょうから」
「しかし、旅か。いいものだと思うがな。
 ご両親は心配されるかもしれんが」
「それは無いでしょう。エナさんのご両親は、
 自ら頭を下げて、ロバートに託したと聞いています。
 もうあんなモン、実質嫁入りじゃないですか」
「そこまでシンプルな思考ならむしろこっちも楽なんだがな……
 案外そこまで頭が回ってないと思うぞ、俺は」
「違いないですね」
愉快そうにウォルフ王子が笑う。
勝手知ったる幼馴染みである。当然の態度ではあった。
「男と女が仲良く一緒にいて、結婚という思想に行き着かないのは、
 常識への反逆だからいいんだ、とか言ってそうですからね」
「分かる分かる」
好き放題に笑い合うウォルフ王子とエリックだった。

ヴィーッ! ヴィーッ! ヴィーッ!

と、そのタイミングでけたたましい警報が鳴り出す。
「どうした、何事だ!?」
エリックが警報を出した主を特定し、インターフォンへ向かって怒鳴る。
「こちらアーム城特設気象観測台!
 ザン共和王国内にて異常気象を観測!」
「異常気象では何が何だか分からん、分かるように言え!」
「こちらのカメラで録画している映像をそちらのモニタに出します!」

ぶぉん……

鈍い音を立ててモニタの電源が入る。
そこには、かなり遠い望遠での映像が入っていた。
そして二人が見たものは、通常あり得ないことに、
ブラック・レイン……黒い雨であった。
「黒い雨……まさか、これが全部そうなのか?」
「あの白虹騎士の中身と同じ存在……?」
エリック、ウォルフ王子はそれぞれに呟いた。
「カメラ、地面を映せますか!?」
「無理です、固定カメラです!」
気象観測台の監視員からの応答。
「くそっ、もう少し予算を追加しておくべきでしたか!」
ウォルフ王子は苛立たしげに、予算をケチって
可動カメラにしなかった自らの愚策を悔いた。

ウォルフ王子達の視界に入らない地面に落ちる黒い雨。
すると、地面に落ちた黒い雨は土に吸われる事もなく、
地上で寄り集まり、黒いゲル状の球体と化した。

大きさは、くす玉ほどもあろうか。
以前見た、ホワイトナイトの中身とほぼ同じだった。
黒いゲル状の物体としか言いようもなく、自分の意志で動く。
生物としての概念を真っ向から否定する存在である。
くす玉大の大きさになった黒いゲル状の何かは、
群れを成し、茂みへとこっそり消えていった。
まるで見つかるのを恐れる何者かのように。

その後エリックは急いで妖精の森へと帰っていった。
カメラの向いていた位置が妖精の森に程近い事が原因だった。
家族、特に乳幼児である自らの次男と長女を心配したのだ。
ウォルフ王子も速やかに黒いゲル状の物体の行方を
調査する命令を予備役隊員に出した。
あれの正体をきちんと突き止めなくば、
勇者軍関係者でも被害に遭いかねない。
それほどの脅威だという事を、おぼろげに理解しつつあったのだ。

それから数日――
アーム城に珍しく、一般人が迷い込んできた。
「来客です、ウォルフ王子!」
ソルジャーがぼろぼろの身なりの一般人を運んできた。
「……あなたは?」
「リープ・ヴィレッジだった村から……来ました……ごほっ!」
傷だらけである、リープ・ヴィレッジはここからちょうど
一日ほどかかる場所にある村だ。
「だった村?」
リープ・ヴィレッジは……壊滅しました」
「なっ!?」
ウォルフ王子の予想を上回る答えが返ってきてしまった。
流石に彼も驚かざるを得ない。
「昨日から、動きがどことなく変な人が増えたと思ったら……
 黒い変な物に変わり果て、他の村人を丸呑みにしたんです……
 僕は……ううっ……父と母に庇われて、唯一逃げ延びました。
 お願いです……アレの正体を突き止めて、仇を……!」
だが、ウォルフ王子の思考はその先を行っていた。
「存在を吸収し、人間に成りすまして他者を襲う……
 奴等を以後『イグジステンスサッカー』と呼びます。
 略称は『イグジスター』としましょう、そして奴等は敵です!」
「おお……ウォルフ王子……既に正体をご存知なのですか……」
息も絶え絶えに、希望を見出すリープ・ヴィレッジの青年。
「知っていた、と明言出来るほど理解していたわけでもありませんが、
 来るのに備えて待機していながら、このザマです……
 我が国の国民への虐殺、決して王子として許さない……!
 仇など関係ありません、奴等は我々がいつか必ず叩き潰す!」
「お願い……します……」
空腹と疲労、そして苦痛に耐えていたのだろう。
緊張の糸が切れた青年は気を失い、ソルジャーに搬送された。

生来の生真面目さが災いしているのか、
若干冷静さを失ったウォルフ王子は、端末に向かって怒鳴る。
通信状態は極めて良好、遠距離通信も可能な状態だ。
通信基地局がこの場にあるので当然と言えば当然であるが。
「ロバート、急ぎなさい! エナさんを早く迎えに行くのです!」
「何だよ、ウォルフ。一体何があった!?」
「イグジスターです、ホワイトナイトの言う同胞が来たのです!」
「ンだと!?」
ロバートも散々苦戦させられた相手である。
反骨精神も忘れて、つい驚いてしまった。
「アーム城近辺にあるリープ・ヴィレッジを知っていますか?
 あそこがつい昨日、既に奴等に食い尽くされました。
 奴等は存在を食らい、人間に成りすまして
 更に他者を襲う存在なのですよ。
 彼等は確かに存在する……イグジスターなんです!」
「……だからエナの安全をより確実に確保するために
 俺に急げって言いたいんだろ!? 手前ぇに命令されるのは
 癪だが、愛弟子の命のためだ、ンな事ぁ言ってられねぇ!
 分かった、急ぐぜ! アーム城に呼び出しとけ!」
「はい!」

そこで通信は切れた。
「急いで下さい、ロバート……あなたの力が必要です。
 今、この難局を共に乗り越えるため、信頼に足る将は
 あなたしかいないのですから……!」
そしてその後、可能な限り勇者軍通信網を使って、
出来るだけ多くの現役人員にこの危機が伝わった。
更には各市町村や他国家、冒険者ギルドにも
同様の連絡が可及的速やかに行った。
だが、その間に更に三つの村が犠牲になっていた。
いずれも生存者はごくわずかで、村人に成りすました
イグジスターに襲われた、との証言が得られたのであった。
そこで、メカニックとしての才のある元シャンゼリー王国王女、
アンリ姫にイグジスターの識別装置製造の命令を下す、
そのための具体的なプランも練り始められる。
人間になりすましたイグジスターを識別し、迅速に駆逐するためである。

自らの生命にとっても危機が明確になった以上、
自衛組織である勇者軍が動かない理由はもう無かった。
誰がイグジスターであるかも識別出来ない状況にあって、
迂闊に避難指示なども出せないという泥沼の状況の中、
いよいよ舞台は本格的に幕を上げ始めるのであった。



最終更新:2012年03月11日 21:09