かくして鉄のような口調で
     自然はその子に問いかける
     その命令で我らを犯罪へ導き
     その甘き行いを───
     愚者だけが裁かれ
     無罪を拒否される行いを
     何と呼ばん


                ───ヤン・シュヴァンクマイエル 「ルナシー」







◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆







───それは、斯くも恐ろしき女帝と悪童が姿を消した頃。

───それは、時間にして8月1日の午後を回った頃のこと。


肘掛け椅子(アームチェア)に腰掛けた若い男がいた。
明かりも点かぬ薄暗がりの部屋の中にあって、英国風の仕立ての良い黒い紳士服(ダークスーツ)に身を包み、細かな装飾の為されたステッキを携える男の顔に張り付いた表情は、僅かな笑みだった。何かに悦ぶわけでもない。何かに安堵するわけでもない。僅かな笑み、冷やかな。笑みひとつ浮かべるごとに部屋の温度が数度ずつ下がっていくかのように思う者もいるかも知れない。確かに人間の表情ではあるのに、どこか無機質を思わせるのは何故か。
麗姿、と呼んでも良かった。
しかし、およそ尋常なる人間のものとは思えなかった。
椅子に深く腰掛け足を組むその姿はまさしく格調高雅と呼ぶに相応しく、神域に至った彫刻家がその生涯の全てを懸けて美の神髄をこの世に降ろそうと作り上げた神の似姿に等しい、人なら誰しもが持つ不完全性とはかけ離れた超自然的な威容として存在しているがために、およそ現実味のない空想の産物であるような印象さえ見る者に抱かせるのだ。
男にしては美しすぎる。女にしては鋭すぎる。人にしては完璧すぎる。
あらゆる他者を惹きつける美の体現として在りながら、同時に死と退廃の気配を色濃く同居させていた。その姿は輝きに満ちて、けれどそれを柔らかな陽の光のようにと形容することはできなかった。闇と血に染まって、青白い肌は尚も昏い輝きを増し、凄絶な美貌は地獄美と言ってもいい美しさで世界を狂わせそうだ。この光に魅せられた者は、例えその末路が自らの破滅であると悟りながらも手を伸ばすことを止められないだろう。あたかも無知な羽虫を惹き付け燃やす誘蛾灯であるかのように。
その笑みの様相を何と言おう。精錬の限りを尽くし限界まで不純物を取り除いた純金を、絹糸さえ及びもつかぬほど繊細に、緻密に編み上げたかのような金糸の髪が微かに揺れるその奥に煌めくのは、何をも映さぬ赤き月の如き双眸である。
一般に赤目とは、色素の欠乏により眼球内の毛細血管が透けることで現れるのだと言う。しかしこの男の両眼を前にして、果たして同じことが言えるだろうか。紅い、朱いのだ。一体どれほどの人の死を見つめ、どれほどの血と惨劇を目の当りにすればこうなるのか。人という種が抱く罪業を、悪性を、負の感情を、悉く煮溶かして血河に沈め、それを眼球の形に圧縮したかのような両眼が、まさか欠乏や欠損などというマイナスの要素によって成り立つものであるはずがない。仮に"罪"というものがカタチを持つとしたら、大理石の内から生まれる紅玉の如く、この青年の瞳になるのかもしれない。
ならばこそ、非現実的であり非人間的でさえある彼の笑みは、まさしく人外のそれであり、毒蜘蛛の笑みに他ならない。
笑うはずのないものが、そうしている。
世界の歪みを感じさせる表情ではあった。

「……なるほど」

暗がりに腰掛ける男。色とりどりの小物や縫い包み、あるいは誰かへの想いを込めた代物に囲まれていたこの一室は、平時ならば人間的な暖かみに溢れたものであっただろう。今は違う。冷やか極まる鋼鉄で構成されたとさえ思わせる重苦しさは、中天に輝く陽光が今まさに降り注ぐ時間帯であるにも関わらず光と暖かさを一切排した空間へと、この空間を変貌させている。
それは何故か。どうしてか。密室にあって暴風の直撃を受けたが如き有り様を晒す惨状であるからか。いいやそうではあるまい。
答える者は誰もいない。あるのはただ、男が辿ってきた厳然たる過去の軌跡であり、その存在こそに他ならない。
すなわち、その名も高き犯罪卿、犯罪相談役(クライムコンサルタント)、狡知の蜘蛛、蜘蛛糸の果てを紡ぐ者。
名を、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ。今はただ一騎の暗殺者(アサシン)として少女の傍らにある者。

「至らぬ我が身とは、斯くも無知であるものか」

嫋やかな笑みを浮かべたまま、男はその手を動かす。
白魚のような繊手。ただ指を持ち上げるだけの些細な動きでさえ、あまりにも様になりすぎていた。どの角度、どの瞬間を切り取ったとて、稀代の芸術家が描く至高の名画にも匹敵するだろうと余人に思わせる完璧な所作。
天上の調べを奏でる御使いの御手さえ、こうも美しくはないだろう。
野に打ち捨てられた白骨の指先さえ、こうも悍ましくはないだろう。
光輝と清廉さを体現しながら、死と不浄をも滲ませる者よ。
お前は何だ。お前は誰だ。二律の背反を身に宿し、矛盾なく両者を調和させたる者よ。
お前の裡にある物は、一体何であるというのか。

「では、証明を始めましょう」

それがどれだけ荒唐無稽な仮説であったとしても。
それがあるいは、マスターとなった少女にとってある種の断絶を証明する結果になるのだとしても。
必要となるならば、彼は実行を躊躇わない。
元よりそれは契約だった。不徳なる我が身に協力を約束してくれた若き猟兵と、そのマスターたる少女との、その善意に報いる誠意だ。
たとえそれが、聖杯戦争の趨勢には一切関係のない、少女ひとりの存在意義(アイデンティティ)の問題だったとしても。アサシンは逡巡しない。
心の在り様は、時に命に匹敵する価値があるということを、彼は知っているから。

取り出した携帯端末の画面を操作し、ひとつの連絡先を表示する。
以前───この事務所に赴くよりも前、猟兵たるアーチャーたちと会談を行ったカラオケルームを発つ直前に、既にメールの文言で一方的な連絡を取っていたそこへ、今度は音声通話のコールをかける。
果たして、無機質なコール音が2つ鳴ったかというタイミングで、通話が繋がり。

「お待たせしました。それでは約束通り、話をしましょうか」
『ああ。こちらもお前を待っていたよ』

聞こえてきた年若い男の声に、彼はその笑みをより深くさせるのだった。







◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆







『1日午前8時20分頃、東京都千代田区九段南1丁目の都道で、タクシーが歩行者をはねた。警視庁や東京消防庁によると、信号待ちをしていた30代の男性が死亡し、タクシーの運転手は無傷だという。目撃者は「婚約者を奪いやがって!」と叫ぶ運転手を見たと証言しており、警視庁は怨恨による犯行の可能性があると見て調べを……』

タップ、スワップ。

『ニューヨーク・ドンキース歴史的大勝。今季イニング11得点、バッター逢魔賀広偉が800本塁打を達成、会場は歓喜に包まれた。同氏には国民栄誉賞の授与も検討されており……』

タップ、スワップ。

『稀代の石油王にして財団創立者であるロバート・E・O・スピードワゴン氏の死去より70年、SPW財団は来年度に行う新規事業内容を発表した。同財団はアメリカの医療・自然動物保護に長年寄与しており、米大統領レジー・ナッシュ氏もおなじみのファックサインと共に期待と賞賛のコメントを……』

タップ、スワップ。

『政府が地域の祭りや郷土芸能などを無形の「登録文化財」として保護対象に加える方針を固めたことが30日、分かった。文化審議会の企画調査会では、先日、東京都中野区で受け継がれる伝統舞踊ヒノカミ神楽の担い手である竈門炭彦さん(15)を例に、広く担い手不足の解消を呼びかけて……』



「うーん……」

「溜息なんかついて、何か見つかったんですかライダーさん?」

ベッド隅に腰掛けるアッシュの背中越しに、肩に顎を乗せて手元を覗き込んで、にちかが尋ねる。返事の代わりに「はい、ありがとう」とにちか所有のスマホを返し、アッシュは何かを考え込むような軽い息をひとつ吐いた。
二人が待ち合わせの為の仮拠点……一般に割と如何わしい意味を含む特定使用目的の為の宿泊施設に入ってから、既にそれなりの時間が経過していた。
理由は言うまでもなく先刻接触したサーヴァント、天元にも例えられよう華のセイバーとそのマスターとの待ち合わせのためであるのだが、はっきり言って何もやることがなかった。何せ密室の中で箱詰めなのである。アッシュ自身、霊体化して周辺を偵察・哨戒はしていたものの、にちかはそうはいかない。
速攻でシャワーを浴び、汗に濡れた服を着替え、ガンガンに効かせた冷房を顔面で浴び「うあぁぁ〜〜〜〜……」と気の抜けた声を上げ、ちょっと落ち着いたらバスローブ姿で備え付けのブランデーグラスを片手に「ふっ……」とか浸ってみたり(ちなみにグラスには持参のスポドリを入れた。指の体温でぬるくなって美味しくなかった)、それにも飽きるとベッドにダイブして予想外の柔らかさと反発力にびっくりして「ライダーさん!このベッドすっごい跳ねますよ!」と丁度偵察から帰ってきたアッシュに笑顔ではしゃいだりした。はしたないからやめなさいと言われた。ぴえん。
暇、暇なのである。命を賭けた殺し合いの最中に何言ってんだと言われそうだが、実際暇なのだから仕方ない。これで何時何分までに来ますよとリミットが決まっていたならまた話は別なのだが、具体的に何時来るかも分からない来客のために無為に時間を過ごすのは予想以上に体感時間が長く感じられるのだ。
幸いにもWi-Fiが繋がっていたのでスマホを弄ってれば良いのだが、それもアッシュの「ちょっと調べものがしたい」との一声でおじゃんになった。覗いてみればニュースサイトを検索していたようで、まあ向こうにいた時とそんなに変わらないのばっかだなー、とか、界聖杯とやらはこんな細かいところまで律儀に再現しているのだろうか暇人すぎないか? とかぽけーっと考えていたのだけれど。
スマホを返したアッシュは、どうも難しい顔をしながら、にちかに尋ねた。

「なあマスター、白瀬咲耶って人のことは知ってるか?」
「え? まあ、はい。一応同じ事務所にいたので」

問われ、きょとんとしながらも答える。
白瀬咲耶、283プロのアイドルユニット「アンティーカ」のメンバーで、立場上はにちかの先輩だった人だ。
個人的な親交はあまりなかったけれど、よく他の人と朗らかに話していたのは覚えている。にちかも頻繁に声をかけてもらったり、レッスン内容でアドバイスを貰ったりしていた。気遣いのできる人なんだなー、というのが彼女の印象である。
だが、はて?

「えっと、ライダーさん? なんでライダーさんが咲耶さんのこと知ってるんですか?」
「……ニュースになってる。一昨日の晩から行方不明らしい」
「は?」

言われ、咄嗟に手元のスマホを操作する。
彼の言っていたものはすぐに見つかった。丹念に探すまでもなく、それは検索サイトのトップに躍り出るほどに、言うなれば「祭り」のように騒がれていたからだ。

「なに、これ……」

"新進気鋭のアイドル、失踪か!?"とデカデカとした煽り、センセーショナルな見出し記事、そんなものが否応もなく目に飛び込んでくる。
気になってSNSを開いてみれば、やはりというべきか。そこでもまさに話題で盛り上がってる真っ最中であり、トレンドにも上がり、好き勝手飛び交うコメントが山のように更新されていた。
知らず、画面を操作する指の関節が固まり、震える。何が一番信じられないかって、にちかが家を出た時、つまり今日の朝方にはこんなものカケラも話題になっていなかったということだ。
今朝方家を出て、セイバーと出会い、この場所に来るまでの数時間。たったそれだけの時間目を離していただけなのに、この変化は一体どうしたというのか。
安全とぬるま湯の中で日和っていた頭に、冷水を浴びせられたような気分だった。
たった数時間もあれば、人は死に、消えてなくなり、そしてそれが大きく取沙汰されるという、そんな現実をまざまざと突きつけられたような心地であり……
何より、多分これは白瀬咲耶が、つまり"そういうこと"だったのではないかと、飲みこみのあまり良くないにちかでも感覚的に察せられて。

「ライダーさん、これって……」
「ああ、明らかにおかしい」
「そう、ですよね……まさか咲耶さんが、そんな……多分これ、聖杯戦争に関わって……」
「だよな。普通そう思う。だからこそ余計にこのニュースはおかしいんだ」

え、とにちかはアッシュの顔を直視する。
アッシュは、件の白瀬咲耶がにちかの知己である事実に顔を歪ませ、絞り出すように言葉を続ける。

「ひとつ聞くけど、白瀬咲耶という人はアイドルとして有名だったか?」
「え……えっと、アンティーカは今絶賛売り出し中のユニットで、人気もあって、ファンもかなり多かったって……」
「それは、国民的なアイドルと呼べるくらいに?」
「や……流石にそこまでは……」

そこまでの知名度はない。当然である。
一体何が言いたいのかと、困惑と衝撃に揺れる瞳に訝しげな色を交えてアッシュを見れば、彼は苦虫を噛み潰したかのような顔で答える。

「すまない、マスターにとってショッキングな知らせだというのは分かってるんだ。だからまず結論から言ってしまおう。
 俺の推論の域を出ないんだが───白瀬咲耶は聖杯戦争に関わる悪意ある他者に利用されている可能性がある」
「利用、って……え……?」

予想もしていなかった方向からショックを受けて、にちかはただ呆けたような声を出すばかりである。
曲がりなりにも顔見知りの、それも決して悪感情を抱いていなかった相手の突然の失踪。状況を見れば聖杯戦争に関わるマスターだった事実に疑いはなく、ならばこそ現実の無常さと死の気配に心身を震わせて。
それら一切が、悪意ある他者による演出であると、提供された情報の多さと唐突さに付いていけない。

「これを最初聞いた時、マスターは言ったよな。"白瀬咲耶は恐らく聖杯戦争に関わってる"と。
 その反応が答えの全てだよ。マスターやサーヴァントの立場でこのニュースを目にしたら、まず真っ先に考えるのはそれだ。狙ったようなタイミングだもんな、いっそ露骨すぎるくらいに」
「で、でも、それだけじゃ……」
「ああ、それだけじゃ単なる状況証拠の暴論だ。でも、このニュース自体おかしなところがたくさんあるんだよ」

たとえば、とアッシュは続ける。

「白瀬咲耶は一昨日の夜を最後に目撃されていない、とある。確かに立場ある人間が何も言わず一日姿を消せば、周りの人間はちょっとした騒ぎになるだろうさ。
 けどそれは、あくまで周りの人間は、だ。ここまで公に騒ぎになるには明らかに時間が足りてないんだ」

夜を最後に姿を消し、明くる朝に連絡がつかなければ、周囲の人間はまず心配をする。
そして追加で連絡したり、様子を見に行ったり。それで姿が見えないとなれば、心配は危惧に代わる。
そこから自分達で捜索したり、心当たりを探ったり、いっそ警察に連絡してしまおうか、いやそれは早計ではと言葉を交わし。
そしてまた一つ夜が明けてみればこの騒ぎであると?

「早すぎる。仮に昨日の早朝の時点で警察に連絡が行ってるのだとしても、捜査を行って失踪事件と断定され、事件の概要がマスメディアにリークされるまでには相応の時間と手順が必要になる。
 今まで発生していた『一般女性の連続失踪事件』を見れば一目瞭然だ」

今、この東京において女性の無差別な失踪が相次いでいる。聖杯戦争に関わる者としてアッシュも当然それを把握していたし、ならばこそそれら事件の概要と発表時期を鑑みて、今回の失踪案件との差異には首を捻らざるを得ない。

「そしてそこにも矛盾点はある。さっきマスターにも聞いたけど、白瀬咲耶は東京の新人アイドルという括りで言えば有名人だが、芸能界ひいては日本人全体で見れば決して知名度のある人物とは言い難い。
 少なくとも、同じような女性の失踪事件が何度も起こっている中で、わざわざひとりだけ実名を矢面に出して全国区レベルで拡散されるに足る人物じゃないんだ」

残酷な言い方になってしまうが、つまりはそういうこと。
仮にこれが国の中枢に関わる著名な政治家であったり、100人に聞けば100人が知っていると答える国民的有名人ならば、この騒ぎにも納得は行く。しかし白瀬咲耶は人気こそあれど、言ってしまえば未だローカルな一アイドルに過ぎない。
今まで何件も失踪事件が起こっているからこその有名人の失踪という、騒ぎの土壌ともなり得る環境は整っているけれど、それにしたって白瀬咲耶の知名度では起爆剤としてはあまりに役者不足だ。

「……世田谷で他殺死体が発見されたってニュースがあった。爆発物でも使ったんじゃないかって荒らされ方がされてて、しかも殺された被害者は銃刀法違反の凶器を明らかに人に向けていた痕跡があり、更にまだ10歳程度の子供だったってさ。
 でもこちらは驚くくらい話題になっていない。凶器を振りかざした子供が、爆弾を食らったような有り様で返り討ちにあって殺されましたなんて、殺人事件を通り越してテロも斯くやってレベルにも関わらず。この国の人間は、そこまで危機意識が低いのか?」

いいや、そんなことはあるまい。この場合おかしいのは殺人事件への反応の薄さではなく、やはり白瀬咲耶失踪に対する反応の過激さにあるのだろう。
そんなショッキングな事件さえ脇に追いやられるほどに、白瀬咲耶失踪事件の盛り上がりが激しいのだ。まるで扇動された狂騒であるかのように、そして実際そうなった。

「最初にも言った通り、これは俺の勝手な推論に過ぎないし、正直杞憂の可能性のほうが高い。一つ一つの要素はグレーゾーンで、今の俺達じゃ確証に足る証拠を掴むことはできない。
 けど張り巡らされた糸を繋いでいくと、何故かピタリと符号してしまう。生前、似たような手合いを相手にした時に同じ感覚があったよ」

アッシュは生前、今回のように再現された都市での殺し合いを強制された経験がある。
巧妙に張られた策謀の罠、あらゆる予測を組み込んで都市とそこに生きる者たち全てを利用して作り上げられた完成系の蜘蛛糸。
それを成したギルベルト・ハーヴェスが、その時は味方であったから事なきを得たものの……仮にあの状況を第三者の視点から見れば、今と同じような光景が見られるのではないだろうか。

「もし……もしもですよ? もし咲耶さんのことがライダーさんの言ってる通りなら……誰が、何のために、こんなことを」
「マスターたちの目を283プロに向けるため、だろうな。事ここに至ってしまえば、"白瀬咲耶は本当にマスターだったのか"なんて真偽はほとんど意味を為さない。
 一度疑惑が生まれてしまえば向けられる視線は止められない。戦う相手は誰でもいい、なんて手合いだって、まず目についたところから手を出すのは当然の理屈だ」

界聖杯が執り行う聖杯戦争は、純粋に力と力をぶつける闘争のみでなく、都市運営とそこに根付いた住人たちの生活という基盤まで内包している。有体に言ってしまえば、まず他陣営を探し出して接触し、敵対なり懐柔なりを行うというプロセスを必要とする。
戦いの舞台を用意してもらい、向かい合って「よーいどん」で殺し合う単純なものでないからこそ、戦場は複雑化し、数多の思惑が交錯するのだ。
ならばそんな戦場の、それも最序盤で特定主従の居場所が事実上バレてしまったらどうなるかなど、火を見るより明らかだろう。
交戦的な者はこぞって大挙し、それを阻もうとする者もまた集まり、流れに便乗したい知恵者は訳知り顔で舞台を引っ掻き回す。
戦場を知らないにちかですら容易に想像可能な未来を予期し、青ざめた顔をして───


「……お姉ちゃんを、助けなきゃ」


震える声で呟きを漏らす。それは半ば無意識的なものであり、だからこそ紛れもない少女の本心であった。

プロデューサーさんに、美琴さんも……多分、まだ283プロにいる……何も知らないまま……」
「……酷い言い方になるが、敢えて言っておくぞ。この東京にいる人間は、マスター以外は全て再現されたNPCだ。マスターのお姉さんは今も元の世界で無事に生きているし、それはプロデューサーや緋田美琴だって同じことだ。ここで見捨ててしまってもそれはマスターの責任にはならないし、マスターが命を懸ける必要だってない」

アッシュはにちかの頭身に目線を合わせ、真っ直ぐに見つめ。

「それでも、君は、彼らの命を助けたいと思うか?」

言葉はなかった。
にちかは、口を開かない。代わりに、肯定の眼差しと共に頷かれるものがあった。

「……分かった。ならまず、マスターのほうから彼らに連絡を取るのが先決だな。メールでも通話でも、コンタクトを取るのが最優先。
 理由は無理に言わなくていい。下手な嘘で取り繕ってもボロが出るだけだし、会って話したいから指定の場所に来てくれってのがスマートかな」
「わ、分かりました! ライダーさんは……」
「俺は今から霊体化して事務所に行く。場所と顔は分かってるし、10分もあれば往復できるからな。ああ、一応念話のチャンネルは開いておいてくれ。状況や彼らの返答次第では、無理にでも連れ帰るから」
「ら、拉致……」
「そうならないよう、マスターの腕の見せ所だぞ」

冗談めかすように言って、「えー」とふてるにちかにアッシュは笑い返す。
……アッシュから見て、七草にちかという少女は明るいお調子者のようでいて、根本的な部分がネガティブな子なのだと思う。だからすぐ悪い方向に思考が飛ぶし、自分で自分を必要以上に追い込んでしまう。
そこで自棄になったり諦めや妥協に逃げ込むことをしないのは、ある種の美徳ではあると思うが……ともあれ確信したのは、この子はひとりにしておくと、どんどん深みにはまっていくということだ。
端的に、放っておけない。だから今のように、無理やりだろうと少しでも明るい方向に意識を向けてやりたいと思う。
恐らく彼女のプロデューサーやユニットの相方も同じような心境だったんだろうな、と。
そんな矢先のことだった。

「……あれ?」
「どうかしたか?」
「あ、いえ……お姉ちゃんからメールが来てまして……それと」

なんか知らない人からも、とにちかにスマホの画面を見せられる。
そこには、確かに彼女の姉である七草はづきからの「危ないから事務所には行かないように」という、アッシュたちの思考を先読みしたかのような内容のメールがあり。


『お初にお目にかかります。願わくば、聖杯戦争の一件についてお話がしたく連絡させていただきました。
 詳しくはまた後ほど、直接声掛けさせていただきます。 from.W』


明らかに怪しさしかない宛先不明のメールが、嫌に存在感を放ってそこにはあったのだった。







◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆







七草にちかという人間の存在自体は、実のところかなり早い段階で把握していた。
283プロダクション事務員七草はづきの実の妹であり、アイドルユニット「SHHis」メンバーのひとりとして同プロダクションに籍を置いていた新人アイドル。
ただし、彼女がアイドルだったのはあくまで過去の話だ。
新人アイドルの登竜門であるコンテスト、通称W.I.N.Gの準決勝で敗退したことを契機に、決して少なくないファンと人気に恵まれていたはずの彼女は、突如としてアイドル業そのものを廃業したのである。
W.I.N.Gに敗退することは、決して珍しい話でも、まして恥ずかしい話でもない。参加人数の分母が相当数に及ぶ大規模コンテストであり、最終的に勝利できるのはたった一組である以上、参加者として名を連ねる少女たちの9割以上は敗退者なのだから。
事実として、今をときめく283の大人気アイドルたちも、かつては何度もW.I.N.Gに挑んでは負けを繰り返し、優勝を掴み取った者は少なくない。むしろ初出場で準決勝まで上り詰めたことは、むしろ快挙と言っても良いだろう。
それでも、七草にちかはアイドルを諦めた。
そこにどんな経緯や心情があったのか、ウィリアムは知り得ない。あるのはただ、彼女がかつてアイドルであり、そして今は事務所を退所したという事実だけである。

七草にちかは283プロの関係者ではない。ウィリアムが敷いた283プロの人員確保の網をすり抜けたのはそういう理由だ。
だからこそ、コネクションを得たアーチャーのマスターとして「七草にちか」が現れた時は、表情には出さなかったが強い驚きがあった。
それも283プロの人名簿に記されていた経歴とは異なる、七草はづきとの関わりもなければ田中摩美々の知る彼女とも全く違う「あり得ざる形の七草にちか」だ。
オリジナルの経歴を設定として付与される界聖杯のNPCシステムが、まさか誤作動でも起こしたのか? それともこれが、界聖杯の掲げる「多様な世界の可能性」なのか。
そしてアーチャーのマスター・七草にちかが、未だ見ぬ元アイドル・七草にちか───紛らわしいので仮に「存在N」と呼称する───を認知し、邂逅を望んだ瞬間から、既に方針は定まっていた。
連絡先は確保済み、使用する端末はこちらの足がつかないよう新たに用意した。
接触するのはウィリアムただひとり、詳細が煮詰まるまではマスター・七草にちかを関わらせることは避けたかった。

理由としてはまず第一に、これらの情報が出揃ったカラオケルームでの同盟締結の時点では、状況に即する不安材料が多かったというのがある。
同盟相手であるにちかにとって、存在Nとの邂逅はまさしく存在意義に関わる案件だ。夢を失くし、家族を亡くし、更には自分が至れなかった……あるいは墜ちなかったifの存在が目の前に現れたという事実。七草にちかは気丈に振る舞い自立した様子を見せていたものの、これらが与える心理的負荷は考えるまでもない。
あの時点において、283プロに迫る火急の事態は一刻を争うものだった。必要なのは、迅速な行動と正しい判断。その双方が失われる可能性がある以上、あの場で情報を公開することはできなかった。
そして事態はウィリアムの描いた通り、ある程度の成果を伴って当座の危機を遠ざける結果となったわけだが……この段階に至ってなお、情報の秘匿を継続するのは、単に「存在Nの持つ危険性の判別がつかない」という一点に絞られる。

NPCであるならそれで構わない。マスターであっても、「七草にちか」としての人間性に既に疑いは持っていない。問題は彼女の引いたサーヴァントの性質である。
そう、例えば───この都市に巣食うもう一匹の「蜘蛛」のような、狡知と悪辣を持つ輩を相手に、ただの少女がそれを御すことはできるだろうか?
令呪の命令さえ跳ね除ける、狂気と暴虐に彩られた殺戮者なら?
存在するだけで呪いや毒素をまき散らすような悪逆の徒なら?
……それはきっと、少女の手を離れ、彼女の意思に関係なくこちらへ牙を剥いてくるだろう。
常人が無作為的に選ばれたサーヴァントを使役する聖杯戦争において、マスター側の善性とサーヴァントとの相関性は、残念なことに全く当てにならないのだ。
そして、ある意味最も軽微な問題であり、同時に最も重大な問題として、マスター側で呼ばれた人間の世界観の同一性が損なわれる可能性が存在する、というものがあった。
マスター・七草にちかと存在Nでは、辿ってきた経歴がまるで違うものとなっている。
オーディションの段階で落選し、母親と姉を相次いで亡くした七草にちか。オーディションに合格し、W.I.N.Gの準決勝まで上り詰めた存在N。更に頭の痛いことに、田中摩美々の語る七草にちかはW.I.N.Gの決勝まで勝ち上がっていたという。
同じ世界・同じ時代から集められたはずの283プロ関係者に限ってさえ、既にこれだけの相違が発生しているのだ。我ながら馬鹿げた、荒唐無稽な仮定ではあるのだが───最悪の場合、「同じ世界から来たマスターは一組として存在しない」可能性さえある。
境界記録帯として高位次元に羅列された結果、時系列を無視して召喚されるサーヴァントと同じように、マスターさえ世界と時系列を無視している可能性。それは聖杯戦争の進行自体には影響を及ぼさないものではあるが、仲間と友人を重んじ元の世界への帰還を目指す田中摩美々たちにとっては、それこそ命と同等の重篤な問題となってしまう。
端的な話、存在Nはあらゆる意味で不確定要素の塊であり、その内実の詳細次第ではマスターたちのアイデンティティや行動方針にまで影響を与えてしまう劇毒と化してしまう余地さえあるのだ。
接触は慎重に行う必要があったし、それはできれば、あらゆる意味で外様の人間であるウィリアムが単独で行うのが理想であった。



『ああ。こちらもお前を待っていたよ』



聞こえてくる年若い男の声。
「意味不明な迷惑メールに対し代わりの対処を頼まれたがための不審と警戒」の感情など全く見えない、毅然とした態度。
やはりというべきか、存在NはNPCなどではない。
これが懸念の具現となるか、あるいは理想通りの運びとなるかは、今から次第だ。

「最初に申し上げますと、我々はあなた方と事を構えるつもりはありません。
 今回連絡を差し上げたのは、確認と提案のためなのです」
『俺達が聖杯戦争に関わっているかどうか。なら提案というのは?』
「その前にまず、我々の身の潔白を示さなければならないでしょう。
 本意ではなかったとはいえ、あなた方とのコンタクトの取り方は些かぶしつけなものでした。
 疑念は晴らしておくべきもの。特にこれから対等の交渉をするに当たっては尚更に」

そしてウィリアムは、一拍の呼吸を置いて。

「私はアサシンとして召喚されたサーヴァント。現在は渋谷区の283プロダクション事務所にてあなた方に電話をかけています」

息を呑む声、数瞬の間。
ややあって、信じられないものを聞いたような口ぶりで端末の向こうの男が返す。

『……驚いたな。そこまで言い切ってしまうあたり、余程自分に自信があるのか。それとも既に数を揃えているのか』
「それはあなた方のご想像にお任せします」

やはり、とウィリアムは得心する。
端末の向こうの彼は、「驚いた」と言った。「嘘だ」や「信じられない」ではなく、だ。
確かに隠密と潜伏を主とするアサシンのクラスが、その所在地を暴露するのは普通ではない。だがこうした面と向かった直球の暴露は、同時にブラフとしての役割を果たすこともできないのだ。
必要に迫られてのことでなければ、そもそも言わなければいいだけのこと。あまりにも致命的な内容故に、相手が信じずバカにされたと思われてしまえば、そこで交渉はご破算。仮に相手が馬鹿正直に信じたとしてのこのこやってきたそいつに確実に勝てる算段が無ければ罠として機能せず、賭けのようなリスクと十分な戦力が保持されている現状とを秤にかければ、騙し討ちを成功させる意義さえ薄い。
端的に言って、ここで嘘を混ぜる理由とメリットはウィリアムの側にはない。その前提を認識しているからこそ、向こう側の彼は「驚いた」という言葉を選んだのだ。

『俺達も、お前たちに対しての敵対は望んでいない。その部分を同じくするなら、俺達もお前を信用したいと思っている。
 だから、一つだけ聞かせてほしい』
「何なりと」
『白瀬咲耶について、お前はどう考えている?』

ウィリアムの口角が、僅かに上がる。やはり、彼らは物事を正確に捉えている。
そう、彼らはウィリアムが現在位置を暴露するよりも遥かに以前、存在Nの端末に連絡が行った時点で既に、その可能性に行き着いていたのだろう。
いくら白瀬咲耶がネット上で炎上し、それが283プロに飛び火しようとも。今の存在Nは市井の一学生。例え283プロの人員を虱潰しに当たろうとも彼女に行き着くには相当な手間と時間がかかる。
ならばそれを可能にするのは、誰か。どの立場にいる人間なら、この早期における接触を実現できるのか。
そして、その立場にいる者がどうして、今の白瀬咲耶の現状を許してしまったのか。
彼らは既にそれを悟っている。恐らくは二者択一に迫ったところまで。ならばこそ、ウィリアムが返すべき言葉は決まっていた。

「仮に、あなたが考えている通りの答えだったなら───あなたはどうしますか?」

敢えて、挑発的な態度で答える。

『……』
「あなたは恐らくこう考えているはずだ、全てを仕組んだ何者かが存在すると。
 ならば仮に、私が"そう"であったなら、あなたは私に何を問い、何を望み、何をもたらしますか?
 "全ては私が企てたことなのです"と、そう嘯く悪意の蜘蛛に。あなたは、どう相対するのか」

そう、ここまでは前提だ。
ウィリアムと相手方、そのどちらもが「これだけの情報を持っており」「ここまでの推測を成り立たせている」という前提の確認が、今までの問答だ。
ならば本番はここからである。
ウィリアムという狡知の蜘蛛を前に嘘は許されない。全ての虚偽は取り払われ、人はその本心を露わにする。
さあ、その答えはなんだ。
怒りか、義憤か。否定か決意か、はたまた疑念や矛盾点の指摘でもいい。それを以て見極め、次の言葉の判断材料とする。
果たして、向こうの彼は変わらぬ口調のままで。

『それに対して、俺が返す言葉はいつだって一つだけさ』

そして、口にするのだ。



『お前の企てに俺達が協力すれば、全ては丸く収まるのだろうか』



……一瞬、ウィリアムは言葉を失った。
いつだとて智謀を回し、思考を止めることはなく、国や時代すらもその頭脳で翻弄してみせたはずの彼は。
なんてことはないそのたった一言に、一瞬ではあるが紛れもなく圧倒された。
何故ならそれは、断じて屈服や恭順、ましてや媚びの言葉ではないからだ。
ひどく単純な二者択一の問い、しかしこれは決してYESかNOで答えてはならない問いである。
そもそもが全面的な降伏ではなく、「全てを丸く収める」ことを対価としている以上、その内実はどこまでも対等な代物なのだ。そしてそれが意味するのは、何もウィリアムが相手方を害しない、というものに留まらず、そもそも他に一切犠牲を出してはならないという非常に厳格なルールの制定である。
YESと答えれば、そもそも互いのスタンスや能力、そして最終的なプラン実現への道筋が定まっていない状態で軽々しく口約束を交わす、軽薄な愚か者という評価が下されるだろう。
NOと答えれば、現状彼らが提示しているものが純粋な協力でありウィリアム側の変化が単純なリソース増加でしかないことを鑑みて、その否定は「ウィリアムは最初から無関係の他者の犠牲を前提とした行動方針を掲げている」ということを証明する結果となる。
この問いにおいて許された答えは、「分からない」という一つきり。ならばこそこの場で明確な答えは出せず、より具体的な方針の策定と直接的な会合に乗り出す他にない。
つまり、向こう側の彼はウィリアムにこう突きつけているわけだ。
"交渉したくばツラを出せ"、と。

知略に翻弄されるだけの弱者ではなく、甘さと弱さを優しさとはき違えた愚か者ではなく。
こちらに一定の協調を示すスタンスを提示しながら、しかし譲れぬ一線だけは決して越えさせない。
事ここに至り、ウィリアムの中の期待は確信へと変化した。
この男は"善人"だ。そしてならば、対応方針も一つに定まる。

「……あなた方を試す物言いをしてしまったことを、ここに謝罪します。そして最初の問いに今度こそ答えましょう。
 白瀬咲耶さんの一件については、とても残念に思います。聖杯戦争に関わる一切のしがらみを度外視して、純粋に私はそう考える。
 全ては私の不徳が招いた結果であり、後悔の念は堪えません」
『本意じゃなかったと?』
「誓って」

交渉事の基本において、まず大事なのは相手が求めるものを提示するというものだ。そして人が交渉で相手に求めるものは、大別すれば二種類に纏められる。
すなわち、「誠意」か「利益」だ。
そして向こう側の彼のような人間への対応スタンスの定石は、とにかく「嘘をつかない」という一点に集約される。この手の善人は意見の相違では心を乱さない。話せば受け入れる、誠実さに弱い。だが逆に、信義にもとる行いには厳しい。例えそれが、相手側の利益に繋がるものだとしても。
嘘、ごまかし、罠……こういった行為を強く嫌う。ならばこそ、こちらが筋を通す限り向こうも筋を通す。
我も人、彼も人、故に対等なのだということ。それを弁え、相手を人と扱う限り、少なくとも手酷い裏切りを初手で画策されることはない。

『信じるさ。それに貴方が全てを仕組んだ毒蜘蛛なら当然放ってはおけないけど、前提が間違ってる以上は無意味な仮定だ。
 あんなものを仕組む人間が、わざわざ身バレの危険まで犯して事務所の人間を逃がすわけないんだから』
「さて、何のことやら」
『とぼけるなよ』

これはブラフ。彼らのメールを送ってからライダー女史が去るまでの間、彼の狙撃範囲に他のサーヴァントが引っ掛かった形跡はない。
恐らくは七草はづきからの個人的な連絡によって283プロの現状を知ったのだろう。計らずもその指摘は事実ではあるのだが。

「さて、ようやく本題に入りますが……実のところ用があるのは私ではなく私の同盟者であり、それはあなたに対してではなく七草にちかさんに対してなのです」
『彼女に?』
「ええ。誓って荒事ではなく、しかし切実な用件でして」
『詳細を聞いても?』
「こればかりは直接お会いしてもらうより他にありません。また後ほど、詳しい日時を伝えましょう」

そして、とウィリアムは続ける。

「これは私の個人的な提案になるのですが、あなた方とは良好な関係を築きたいと考えています。
 具体的には、そう、定期的な情報交換などはどうでしょう?」
『本格的に手を組んで合流する、とは言わないんだな』
「そうしたいのは山々ではありますが、しかしそうも言っていられません。
 時に、あなたは全てを仕組んだ何者かが存在するという仮定のもと私と会話をしましたが、ならばあなたから見たこの東京はどのように映りますか?」

今度は逡巡なく、明確な確信のもとに言葉が返された。

『チェス盤だ』
「ほう」
『他には将棋盤でも象棋でも、連珠でもリバーシでも構わない。差し手は二人。東京は盤上で、マスターとサーヴァントが駒。都市機能やNPCは数多の不確定要素』
「人が人として動く以上、零和有限確定完全情報ゲームにはなり得ませんが、ならばあなたは"どちら"を選ぶのでしょうね」
『少なくとも、駒で終わるつもりはないさ』

都市そのものを盤上と見立てる不遜の輩。その構図を崩すなら、どちらか一方に協力して早々に対決を終わらせるか、あるいは盤ごとをひっくり返す他にない。
そのために必要となるのは情報であり、暴力であり、そして何より人手である。蜘蛛は多腕であるが故に蜘蛛なのだ。

「白瀬咲耶さんは明確な悪意によってその死を利用されました。言うまでもなく私はその輩を許しはしません。
 そのための協力をあなたにお願いしたいのです。現状、私では手が足りない。できるだけ多くの協力者を募る必要があります」
『さっきも言った通りだ。俺はあなたを信じたい。だから最後に一つだけ、"俺達は最終的に何を目指すのか"だけを共有しておきたい』

そして二人は、何を指し合わせたわけでもなく、告げる。

『俺の目的は、マスターを心身無事なまま元の世界に送り届けること』
「私の目的は、マスターを"悪い子"にせず元の世界に送り届けること」

ふ、と微笑がこぼれる。それは相手も同じであったようで、朗らかな口調と共に返される。

『名乗るのが遅れたけど、俺はライダーのサーヴァントだ。貴方のことはアサシンと?』
「ええ。ですが、メールの宛名に示した通り、"W"と呼んでもらっても構いません。
 真名を明かすことはできませんが、しかし私に協調してくれたあなたへの、精一杯の誠意です」

それだけを最後に、二人の通話はぷつりと途切れる。
後に残るのは、静謐の空間に僅かに残る、残響のみであった。







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「やられた、相当手ごわい奴だったぞ」

通話を切り、まじまじとこちらを見つめてくるにちかに対し、アッシュは心底疲れたような顔で答えた。
緊張の糸が途切れたせいか、蓄積した精神的疲労が一気に覆いかぶさってくるような気分だ。堰が切れたように冷や汗が噴出するのを、アッシュは感じた。

「手ごわいって……なんか結構和気藹々とした感じの雰囲気でしたけど、もしかして笑顔の裏で『バカな奴だぜ裏切られるとも知らずによ〜〜〜〜〜』みたいなこと考えてるタイプとか!?」
「いや、そういうのではなかったけど、釘は刺されたな……」

アサシンことWが283プロの関係者、ないし限りなくそれに近い立ち位置にいることは分かっていた。
にちかのスマホに直接連絡が来た時点で、アッシュは自分達の素性の隠匿を即座に諦めた。この段階に来ては単純に意味がないし、それを可能とする者を相手に交渉する際に余計なノイズとしたくはないからだ。
そうして話し合った結果どうなったかと言えば、Wのマスターはやはり283プロ内部の人間であり、恐らくは白瀬咲耶に近い人間であるということ。
つまりは無辜の一般人ということであり、その時点でアッシュはその人間のことを見捨てることはできなくなった。

「あいつ、ここまで計算に入れて話してたのか?」

なら相当に良い性格してやがると、脳裏に似たような計略を打ってくる眼鏡顔の男を思い浮かべ、嘆息する。
ピロン、と鳴る着信音。Wの宛名から送られた、新たな連絡先を記したそのメールを余所目に、にちかとの会話を続ける。

「でもお姉ちゃんやプロデューサーさんたちを逃がしてくれましたし……ううん、やっぱり良い人?」
「良いとか悪いとか、多分そういうとこから外れてるんだろうな。少なくとも外道の類ではなかったけど」

悪人ではないだろう。だが間違っても善人ではない。
ゼファーのように人間の脆弱性に寄り添う落伍者ではなく、ならばギルベルトのような光に焦れる正当性の怪物でもない。
狂人ではなく、むしろ圧倒的なまでの理性で理論武装し、その方向性を善に置いて本人もまたそう在ろうとしているが、根本的な部分、始まりの時点から何かが致命的にズレている。
だから、仮にアッシュがWの人物評を記すならば、それは。

「あれは恐らく、"悪の敵"だ」

かつて仰ぎ見た英雄の背中。
苛烈にして死の光たる男の姿が、あの柔和な紳士の口ぶりに、何故か重なり合って見えるのだった。



【新宿区・パレス・露蜂房(ハイヴ)/一日目・午後】

七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、精神的負担(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]
基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
1:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
2:ライダーの案は良いと思う。
3:私に会いたい人って誰だろ……?
[備考]
聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。
現在新宿区の歌舞伎町でセイバー(宮本武蔵)と待ち合わせている状態です。

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:健康
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
2:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
3:セイバー(宮本武蔵)の存在を認識しました。また、彼女と同盟を組みたいと言う意向を、彼女に伝えてあります。
4:アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)と接触。定期的に情報交換をしつつ協力したい。
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。












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その部屋はやはり静まり返っていた。
男がひとりそこにはいて、しかし空気の揺れ動く音も、外を吹くはずの風の音も、木々の葉がこすれ合う音も、鳥や自動車の出す音さえもがそこにはない。
白貌の男の美しさに、我々は無礼だと音自らが存在を止めたかのように、そこは完全なる静寂の世界であった。

「望外の僥倖、と言えばいいのでしょうか」

ウィリアムがこの聖杯戦争に臨む上で、まず何よりも必要としたのは協力者の存在である。
まず第一に、信頼の置ける相手。それは七草にちかと猟兵のアーチャーのように直接対峙した上でそう判断できた相手であったり、あるいは白瀬咲耶や、これから事務所を訪れるだろう櫻木真乃のようにマスターの親しい知己であったりもする。
そうした相手は共に行動するに当たっては最良のチームメンバーであり、だからこそウィリアムは第二の協力者を求めた。
すなわち、能力的に信用の置ける相手である。
蜘蛛の手足は、極論多ければ多いほど良い。共に行動するチームメイトは当然心強いしありがたいが、ひと塊となっての行動では地盤を盤石にはできても行動範囲を増やすことはできない。
その点、ウィリアムたちから離れた場所で活動してくれるライダーのような存在は、今の彼にとって何より欲しかった人材だ。人柄も信頼が置けてこちらの指示なしでもある程度理想通りに動いてくれるであろう者を協力者として確保できるのは、文字通り望外の幸運であった。

「場合によっては丸め込んでしまおう、とさえ考えていたのですが」

女帝のライダーとガムテープの少年に嘯いたような、「自分こそが白瀬咲耶を陥れた張本人である」という虚実を、当初の予定ではライダーたちにも用いるはずだった。
そうして義憤に走らせた彼らを誘導してもう一匹の蜘蛛をあぶり出し、然る後に「自分とは全く関係ない」という体裁のアーチャーたちに合流してもらう。おおまかなプランとしてはそういうもので、いざこの身は再び悪辣の徒へ落ちるのだと意気込んでいたのだが。

「やはり君はずるい男だ」

それは単に、ライダーが示した態度が、かつてこの手を掴んでくれた無二の親友を彷彿とさせたのだという、ひどく個人的な理由に過ぎない。
今はもういない、かつて共に在ってくれた、彼。
彼の前で嘘は吐きたくなかった。彼の信頼を裏切りたくなかった。
彼は君じゃないというのに。酷く身勝手な話だろう?

「僕は嘘つきの穢れた悪魔であるはずなのに、君を思ってしまってはひとりの人間として誰かに向き合いたくなってしまうのですから」

だから、君は本当にずるい男だ。
そうでしょう? 我が親愛なる名探偵、シャーロック・ホームズよ。



【中野区・283プロダクション/1日目・午後】

【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:健康
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
1:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。その為に盤面を整える。
2:283プロダクションに留まり、近く来るだろう櫻木真乃を出迎える。
3:白瀬咲耶さんの願いを叶えるため、マスターには復讐に関与させない。
4:同盟者を増やす。283プロダクションの仕事報告を受け取る際に噂を拾えた『義侠の風来坊』を味方にできればいいのだが。
5:"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と嫌悪。『善なる者』なら蜘蛛を制するのではないかという読み。
[備考]
ライダー(アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。
七草にちか(弓)と七草にちか(騎)の会談をセッティングする予定です。詳細な予定時刻等は後続の人にお任せします。


時系列順


投下順



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026:侍ちっく☆はぁと 七草にちか 058:霽れを待つ
ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
038:283さんちの大作戦〜紳士と極道編〜 アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ) 040:咲耶の想いと、受け継がれる願い

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最終更新:2021年10月10日 16:17