◆◇◆◇
タクシーの後部座席。
窓の外では夜の灯りが過ぎ去っていく。
新宿からそう遠くないこの場所だったが、幸いにしてそれほど交通網は乱れていなかった。
その男――
吉良吉影と同乗者は、会話を交わすこともなく目的地への到着を待ち続けている。
時おり腕時計を確認したり、ワイシャツの襟などの身嗜みを整えたり。
他愛もない行為で、過ぎゆく時間を潰す。
黙々と車を走らせる運転手の背中を見た。
物静かな壮年の男だった。
彼は何も話しかけてこない。その方が気楽で良い。
余計な社交辞令など、ただのストレスでしかない。
吉良はそれを改めて認識して、ふぅと安心するように一息をつく。
視線を落とす。
運転席の“背中”には、リーフレットの広告が幾つか備え付けられている。
育毛剤の宣伝だの、肥満治療の案内だの、胡散臭い健康食品の広告だの。
どれもこれも下らないものばかりだ。
食指は特に唆られない――しかし、自分もいずれはこういうものに頼らざるを得ない時が来るのだろうか?
そんな不安が吉良の脳裏にふとよぎったが、すぐに心の中で嘲るように笑った。
『そうなりたくない』と喚くような凡人は幾らでもいるが、肝心なのは『そうならないよう』に努力することだ。
『幸福』とは『健康』であり、『健康』とは『努力の賜物』である――吉良吉影はそう思っている。
余計なことばかりが脳裏をよぎる。
下らない思考が寄り道を繰り返す。
吉良は、視線を更に落とす。
自分自身の手元ヘと。
―――爪が伸びている。
そのストレスを、こうして紛らわせている。
そして、視線が再び動く。
自身のすぐ隣。後部座席の左側。
一人分の間を開けて、彼女は隅に寄るように座っていた。
仁科鳥子――『手』の持ち主。愛おしき女性だ。
窓から指す夜の灯りに、金色の髪が照らされている。
その表情は、何か思いに耽っているかのようで。
どこか浮世離れしたような美しさすら感じてしまう。
されど、こちらへと視線を向けることも無ければ、気を許すような素振りも見せていない。
頬杖をつく左手は――手袋で覆い隠されている。
ふと、吉良の右手が泳ぐ。
ふらふらと、抑圧された幽霊のように。
左側に座る同乗者には気付かれないように、さり気なく。
行き場を求めた吉良の指先は、彼が腰掛けている座席――ドア側に位置する右腰の直ぐ側へと向かい。
優しく撫でるような手付きで、座席のシートに触れた。
敷き詰められた白いレース生地の手触り。
然り気無く、繊細に――その感触を味わう。
たまに摘んだり。伸びた爪を軽く立てたり。
人差し指で、愛でるように弄んだり。
座席の僅かな空間を、何度も擦る。
この行為にさしたる意味などない。
ただ、思い出すのだ。
女性を追跡し、帰宅直後の家に押し入り。
そして、無理やり押さえつける瞬間。
抵抗する“彼女達”の服を掴むときの手触りを、思い出す。
そうやって、昂る衝動を紛らわせつつ。
吉良は首を傾け、バックミラー越しに映る運転手へと呼びかける。
「すみません。ここでお願いします」
未だに目的地には着いていない。
にも関わらず、吉良はその手前にて降りることを選んだ。
いいんですか。タクシードライバーがそう問いかけてくる。
吉良は「ええ、大丈夫です」と返し、懐の財布を取り出し――予選期間中に購入したグッチの長財布だ――運賃を渡す。
降りた場所は文京区――本来の目的地である豊島区との境目手前だった。
仁科鳥子は特に驚いた様子も見せなかった。
彼女のサーヴァント、フォーリナーも吉良と同じように“それ”を察していたのだから。
吉良は
田中一の座標をスキルによって察知し、それを追跡すべく仁科鳥子らと共に豊島区へと向かっている最中だった。
別にスキルを使えば『相手は××区の○○にいますよ』と分かる訳ではない。
『相手が何キロ離れた地点にいるのか』『どの方角、どの高度にいるのか』をリアルタイムで極めて正確に読み取れるだけ。
あとは『自身の現在地』と『東京23区の地理』を照らし合わせれば、標的の居所は分かるということだった。
アルターエゴ・リンボの座標は、未だに曖昧だ。
“写真のおやじ”が対象を補足した場合にも効果を共有できる『追跡者』スキルが正常に機能していない。
恐らくだが、最初に田中を勧誘したリンボが分身の類いであり。
二度目の接触ではスキルの効果が発動する前に親父が即座に封印されたか。
そのような形で、理由は推測できる。
ともあれ鳥子たちには『わがマスターを押さえることがリンボの尻尾を掴むことに繋がる』と伝えて、共闘を成立させている。
渋々と言った様子だったがね――吉良は回想する。
さて、問題は――父である吉廣からの報告。
そして、自身が察知した魔力の気配。
吉良は自らを取り巻く状況を整理する。
親父からの連絡が復活した。
アルターエゴ・リンボに行動を封じられていたが、奴が田中の元から離脱したことによって効力から逃れられたらしい。
本体である自身の接近によって魔力的な繋がりを取り戻したか。
あるいは、元より『一時的に連絡を断てればいい』という程度の処置だったのか。
理由は吉良にも定かではないが、ともあれ無事を確認できたのは何より――そう考えることにした。
封印から解き放たれた吉廣は『鞍替え先』の拠点へと必死に向かう田中の隙を突き、彼の懐から密かに脱出したらしい。
元より気配遮断スキル備え、かつては川尻早人の懐に潜り込んで『空気弾』の援護も行った吉廣のことだ。
この程度の隠密行動は造作でもないらしい。
改めて話を戻そう。
なぜ吉良が豊島区に入ることを躊躇ったのか。
答えは単純――『下手に踏み込めばこちらが詰む』と悟ったからだ。
田中一が向かった先。
豊島区の方面から、莫大な魔力の気配が放たれていた。
まるで爆弾が叩き落されたかのように、激しく。
巨大な竜巻が街を襲ったかのように、荒々しく。
その魔力の衝突は、異常なまでに強大だった。
否、それ以上に――妙な胸騒ぎがする。
故に吉良は、踏みとどまった。
此処から先に行くべきではないと、直感してしまった。
そして田中のもとから離脱した吉廣は、徹底的に破壊された池袋にて『聖杯戦争の主従の集団』を目撃した。
その首領と思わしき男が田中一を引き連れていく姿も、確かに目にしたという。
連中の数は――サーヴァントが3騎、マスターが4人。
確認はできていないが、近くにはもう1騎の気配もあったと言う。
順当に考えればその1騎も加えて4主従が行動を共にしているということになる。
あるいは、あの中の一人がリンボのマスターという可能性も否定はできない。
それともリンボは様々な主従の狭間で蝙蝠のように暗躍しているだけなのか。
集団とリンボがどのような利害関係を持っているのかは判然としないが、『厄介なことになっている』のは間違いない。
吉良はそう悟った。
去っていくタクシーを見送り。
人通りの少ない路上にて、鳥子らと共に街灯に照らされ。
吉良吉影は――指の爪を、一噛みした。
同行者達には気づかれないように、自らの鬱屈を静かに噛み砕いた。
――田中一。
――君ひとりなら、造作もないと思っていたがね。
――随分と大層な『お仲間』を見つけたそうじゃあないか。
今は、平静を取り繕っているが。
此処から先――正念場かもしれない。
吉良は苛立ちを抑えながら、覚悟する。
人生というものは、常にストレスの連続だった。
家庭環境。人間関係。学業や就労。
世間との折り合い、日々の些細なトラブル。生まれ持ってしまったサガ。
そして――平穏な日常に紛れ込む、悪魔のような輩ども。
いつだってそうだ。
幸福とは、勝ち取らねば得られない。
勝ち取るためには、戦わねばならない。
戦いは嫌いだ――ストレスを運んでくる。
不毛な争いの連鎖。愚かな行為だ。
吉良はそう考えていた。
それでも、この聖杯戦争へと参じた。
されど――大局的な立ち回りは、常に避けてきた。
仮初の肉体を得た高揚感。
満たされることのない殺意。
そして、無意識の慢心。
それらに駆られるように、吉良は界聖杯内の社会へと溶け込んだ。
まるで生前の逸話をなぞるかのように。
日常に潜む“殺人鬼”として、街を彷徨う影となった。
1ヶ月。ささやかな時間だったが、吉良はそれなりに満たされていた。
抑えきれない欲望との折り合いには苦しめられたが、それでも久々に自由を楽しむことができた。
そのツケを払う時が、やってきたらしい。
これまでの“充実”を“過ち”とは思わない。
それでも、これは自身が招いた結果でもあることを、吉良は省みた。
苦しい戦いが待ち受けている。
安穏とした時間はとうに終わっている。
それでも、吉良吉影は自らの幸福を諦めない。
ピンチの時こそ最大のチャンスが訪れる。
訪れたチャンスは、“勝ち取らねば”ならない。
ああ―――生き延びてやるさ。
どんな手を使ってでも。
◆
タクシーの中で、会話は殆ど無かった。
夜の街を背景に、揺られること数十分。
窓越しに映る景色は、鮮やかな輝きを放ち。
街道から見える都会の灯りは、閃光のように過ぎ去っていく。
微睡むような一時に、安らぎはない。
淡々と流れる静寂の中で、気を緩められない。
裁判にでも向かう前のように、感情が張り詰めていた。
気まずさにも似た緊張感の中。
時間が過ぎゆくのを、静かに待ち続けていた。
隣に座る同乗者――アサシンの方を、鳥子はほんの一瞬だけ横目で見た。
時間を持て余している様子の無感情な横顔には、相変わらず妙な気品が漂っていた。
薄手のワイシャツに、随分と洒落たスラックス。片手には高そうな腕時計。
“何処にでも居そう”と言うには随分と垢抜けているけど。
少なくとも、サーヴァントにはとても見えない。
都会の駅で見かけて、何気なくすれ違いそうな――そんな風体の持ち主だった。
夕方からはこの男と行動を共にしているものの、未だに何とも言えない違和感を感じてしまう。
上品な雰囲気と、柔らかな物腰と、その陰に隠れた物々しい気迫。
その出で立ちからはGS研の汀曜一郎を思い出す部分もある。
違いがあるとすれば。
目の前にいる男は、もっと掴み所がなく。
落ち着き払った態度で、飄々と振る舞い。
それ故に、奇妙な胸騒ぎがするということ。
“人間味”があるのに、どこか“無機質”で。
だからこそ“気を緩めてはいけない”と、仁科鳥子は直感していた。
考えることも、目を凝らすことも、今の鳥子には必要だった。
こんなとき。
ふいに鳥子は、自覚してしまう。
大切なものが欠けている今を、俯瞰してしまう。
だからこそ、地に足が付いていない――そんな感覚に囚われてしまうのだろう。
ぎゅ、と膝の上に置かれた右手を握った。
無意識の行動だった。
握り返してくれる相手は、ここにはいない。
たった一人の相棒。たった一人の共犯者。
過去へと頑なに囚われた壁を壊してくれた、愛する人。
◇
空魚と出会うまで、一時は独りで裏世界を探索していたのに。
この一ヶ月の間、あの娘がいない日々を過ごしていたのに。
今になって――ひどく心細くて、不安になる。
月は人の心をおかしくする、なんて聞くけれど。
この夜の下に佇んで、ふいに恐怖を思い起こしてしまったのだろうか。
胸の奥底。淡い想いが、浮かび上がってくる。
こんな空の下で。
争いたくなんてないけど。
戦いたくなんてないけど。
蹴落とし合うのだって、絶対に嫌だけど。
それでも、ここに居てほしい。
空魚に、そばに居てほしい。
空魚に、手を握ってほしい。
そう思ってる自分がいることに、鳥子は気づいていた。
一人しか生き残れない。
最後は戦わなくちゃいけない。
そんな理不尽さえも、あの娘となら覆せてしまう気がする。
立ちはだかる無理難題も、聖杯戦争さえも、いつも通りの“冒険”になる。
“私達”は、二人でひとつ。
掛け替えのない“共犯者”。
いっしょに居れば、何だってできる。
空魚は、かわいくて、強くて。
頼りがいがあって、放っておけなくて。
かっこ悪いところも、意地悪なところも。
あの娘の全てが、いとおしく感じてしまう。
気が付けば、もう1ヶ月も会えてない――。
冴月がいなくなった時のことを、鳥子は思い出した。
身体が張り裂けそうな感情を抱え込んで。
胸の内に生まれた、喪失という大きな穴を隠して。
「まだ彼女が生きているかもしれない」という希望に縋って、たった一人で裏世界へと赴いていた日々。
でも、冴月は。どこにもいなかった。
閏間冴月という“人間”は、帰ってこなかった。
“再会した冴月”は、大好きだった“あの冴月”とは違う。
冴月は、もういない。
その事実を受け入れるまで、ひどく長い時間を費やしたけれど。
それでも、空魚が隣に居たから。
空魚が、私の世界を照らしてくれたから。
だから、もう大丈夫―――鳥子はそう思っていた。
そして、だからこそ。
空魚がいない。空魚と会えない。
空魚なしで、見知らぬ世界に佇んでいる。
その事実が、鳥子の心に呆然と伸し掛かる。
“お母さん”。“ママ”。そして、冴月。
大切な人達は、いつも遠くへ行ってしまう。
空魚。ねえ、空魚。
今、どこにいるの?
もしも、ここに居るのなら。
この空の下にいるのなら。
今すぐにでも、会いたい。
空魚に触れたい。温もりを感じたい。
私も、空魚を探すから。
だからさ、空魚―――――。
『―――マスター』
孤独へと沈みかけた意識を引き止めるように。
鳥子の頭の中で、念話による声が響いた。
◇
『アビーちゃん?』
鳥子の意識は、目の前の現実へと引き戻され。
そうして、念話によって返事をした。
空魚がいないこの世界で、いつも側に居てくれて。いつも案じてくれて。
この日々の中で寄り添ってくれる、鳥子の“大切なサーヴァント”の声だった。
“何かあった”ことを物語るように、その声色は低かったけど。
それでも鳥子は、仄かな安心を抱いてしまう。
傍にこの娘がいるという事実に、ホッとしてしまう。
こんな気持ちを空魚に知られたら、きっとやきもちの一つや二つ焼かれるだろう。
だけど、彼女の存在が鳥子にとっての支えになっていることは、確かだった。
『……どうしたの?』
『サーヴァントの気配……それも、信じられないほど大きいわ。
此処から先に行くのは凄く危険だって、分かってしまうくらい』
信じられない程に大きな魔力の気配。
それは一体如何なる規模のものなのか、サーヴァントと対峙した経験に乏しい鳥子には漠然としか掴めなかったが。
それでもアビゲイルの声からは、確かな警戒の色が伝わった。
『もしかして、私達が向かってる先?』
『ええ。多分だけれど、沢山のサーヴァントがぶつかり合ってる。
もしかしたら、あの新宿の事件のようになってるかもしれない』
『……それ、ヤバくない?』
『多分、アサシンも気づいてると思う』
そうやって、互いに念話で情報を共有していた矢先。
―――すみません。ここでお願いします。
ふいにアサシンが運転手へとそう伝えて、タクシーを停めさせた。
そうして運賃をアサシンが支払い、そのまま二人は人通りの殆ど無い夜の路上へと降りた。
当然のようにタクシー代を向こうが全額払ってくれたので鳥子は申し訳無さを感じつつ。
周囲に人の気配がないことを確認した吉影が、口を開いた。
「すまないね。少々予定が変わった」
「……あの子から話は聞きました。
あっちの方で、凄い魔力の反応があったって」
「そういうことだ、飲み込みが早くて助かるよ」
恐らくは大規模な交戦――それも複数のサーヴァントが入り乱れる程のものだろう。
マスターひとりを制圧するだけならともかく、我々だけで鉄火場に飛び込むのは危険すぎる。
アサシンはそう語りつつ、腕時計で時刻を確認する。
「今日はひとまず、追跡は中断するとしよう」
「……大丈夫なんですか、貴方のマスターは」
「なに、私の使い魔から“連絡”が入ってね。
何とかなるアテが出来たというワケさ」
アサシンの主従関係を心配する義理など鳥子には無かったが、それでも疑問はあった。
しかしアサシンは相変わらず飄々と隙を見せない。
どんなアテなのか――悠々たるアサシンの態度を前にして、そこまで踏み込むことは出来なかった。
「それに、もう夜更けだ。
ホテルでも探して一旦休息を取るべきだろう。
今から自宅に戻るのは危険だろうからね」
無論、“同盟者”である以上は私もすぐ傍に控えているさ――アサシンはそう付け加える。
吉影に主導権を握られるのは複雑だが、彼の言う通りだろう。
リンボは各地でアビゲイルのことを触れ回っているかもしれない懸念がある。
そうなれば、マスターである鳥子の存在へと辿り着く主従が現れても不思議ではない。
現に目の前のアサシンは、まさに鳥子の自宅を特定してみせたのだ。
それと同じように。
リンボからアビゲイルの存在を吹き込まれた他の主従が、自宅へと襲撃を仕掛けてくる可能性は否定できなかった。
リンボに悪用される前に、アビゲイルを始末すればいい――そう考える者が現れても無理はないのだから。
下手をすれば、リンボ自ら鳥子の居場所を探り当てて始末しに来るかもしれない。
故に、自宅に留まり続けることにリスクはある。
「……わかりました」
だからこそ、鳥子はアサシンに従った。
その上で一言、釘を刺す。
「言っておきますけど、ホテルに泊まるとして。
霊体化して同じ部屋に泊まるとか、そういうのはしないで下さいね」
「フフ……私がそんな不躾者に見えるかい?」
――いや、勝手にうち入り込んできたじゃん。
心の中に浮かんだツッコミを抑えつつ、鳥子は無言のまま訝しげな視線を向けた。
胡散臭い微笑を浮かべる吉影には、やはり何とも言えない感情を抱いてしまう。
サラリーマン風の怪しい男と二人きりで夜道を歩く――改めて奇妙な状況だと思った。
尤も、ムードというものは感じなかったし。
鳥子の心中には、相変わらず吉影への警戒心が根付いていた。
『あの、マスター』
『どうしたの、アビーちゃん?』
『アサシンが勝手に入ってきたら――今度こそ、私がビシッと追い払うわ!』
そんな矢先に、アビゲイルが念話を飛ばしてくる。
意気込むような、ちょっとズレた一言。
それを聞いた鳥子は、思わず僅かな笑みを零してしまう。
こういうとこがやっぱ可愛いんだよなぁ――そんなことを思っていた。
◇
近場のホテルへと向かいながら、鳥子は思いを巡らせる。
アサシンのサーヴァント。
彼は一体、どんな英霊なのだろう。
今は共同戦線を張っているとはいえ、いずれは離別して“敵対”へと至る可能性が高い。
故に、相手の情報について目を向ける意味はある。
アビゲイルは言うなれば“歴史上の人物”であり、それ故に彼女の存在を知る者が居た。
だが、アサシンは“過去の人物”にも見えなければ“神話の英雄”にも見えない。
サラリーマン風の男が“古今東西の英雄”と当然のように並んでいる、という意味では――寧ろ“裏世界の怪異”のような異質さがあった。
リンボは陰陽師を思わせる能力を操っていた。
遥か過去の秘術を使うという点では、ある意味で実に英霊らしい存在だった。
全身から滲み出していた禍々しさは別として。
あの男と比べても、アサシンは異彩を放っていた。
これらの疑念を、アビゲイルとは念話で共有した。
彼女もまたアサシンが如何なる英霊なのかを読み解くことは出来なかったが。
―――“界聖杯”が様々な世界を経由している以上、一概には言えないけれど。
―――仮に、近現代の人間が“英霊”になるとすれば。
―――余程の偉業を成し遂げた人物か。
―――あるいは、反英霊。
―――何らかの悪行で名を上げた人物である可能性が高い。
アビゲイルは、そう推測を語った。
反英霊。悪名を背負う存在――。
それに関して言及したとき、彼女の声色は震えていた。
罪の意識を思い起こすように。
過去を背負う自分を、苛めるように。
それに気付いたからこそ、鳥子はそれ以上の追求をしなかった。
アサシンは依然として変わらず、警戒すべき存在である―――今はそれだけで十分だった。
鳥子にとってアビゲイルは、妹のような存在であり。
そして、空魚のいない自身の側に寄り添ってくれる、大切な存在だった。
彼女を疑うことなんてしない。
責めることも有り得ない。
健気で優しくて、いつだって直向きで。
そんなアビゲイルのことを信頼していた。
しかし、だからこそ気になることもあった。
―――外なる神。虚空の叡智に傅く巫女。
―――深淵なるセイレムの落とし仔。
―――このような降臨者を呼び寄せてしまうのもまた道理か!!
日中、リンボはそんなことを言っていた。
そしてアサシンによれば、アビゲイルには聖杯戦争を地獄に変える程の力があるのだと言う。
降臨者。地獄の鍵を開く存在。
この聖杯戦争を覆す力を持つ鬼札。
幼い身体に“深淵”を宿す、一人の少女。
彼女は、それについて触れられるのを嫌っていたけれど。
それでも鳥子は、ずっと考えていた。
空魚がここにいるかもしれない。
その可能性と共に、ある考察をしていた。
この界聖杯は、裏世界とは違う。
少なくとも、見てくれはそうだった。
朝に見上げる空の青さは、あの深淵には程遠くて。
目の前で広がる社会も、現実と何一つ変わらない。
だからと言って、この世界を“怪異ではない”と定義するにはまだ早い――と思う。
鳥子の“透明な左手”。
それはかつて“くねくね”と対峙した際に得たものであり、裏世界に関わる“あらゆるもの”の本質を掴み取る力を持つ。
怪異自体は勿論のこと、形無き異能の類いですら干渉することが可能だった。
そう、裏世界に由来するならば――種類は問わない。
そして、この界聖杯において。
アビゲイルの頭へと“触れた”時のように。
あのリンボを一度は撃退した時のように。
鳥子の透明な手は、サーヴァントへと干渉することが出来た。
そこから、鳥子はある推察へと至る。
聖杯戦争の“神秘”。
裏世界の“怪異”。
これらは、本質的に近いものではないか。
この二つには、似通ったロジックがあるのではないか。
もし、この仮説が正しいとすれば。
聖杯戦争という“未知”は、自身にとっての“既知”へと変わる。
見ず知らずの場所に放り込まれるという異変が、“見慣れた冒険”へと移り変わる。
つまり、こういうことだ。
裏世界の怪異が、“認識”というフィルターを押し付けることで此方へと“干渉”を仕掛けてくるように。
聖杯戦争に対して、鳥子の側が“認識”を押し付けて―――“干渉”を行う。
ただ、生きて帰りたい。
出来ることなら、他者を蹴落としたくもない。
それでも最悪の場合、戦いを受け入れる必要も出てくるだろう。
それがたった一組しか勝ち抜けない、聖杯戦争というものなのだから。
しかし、仮に戦わずして生還する手段を本気で模索するならば。
それを実現するために必要なことは―――“聖杯戦争のシステムへの干渉”に他ならない。
そして、それを果たす為には、聖杯戦争を“こちら側の戦場”へと引きずり下ろす必要がある。
尤も、鳥子一人では机上の空論に過ぎない。
確かな具体性も、展望もない。
仮に可能性を掻き集めたとしても、万に一つの勝ち目もないかもしれない。
それでも、諦めたくは無かった。
こんな空の下で。空魚と引き離されたままで、黙っていられない。
だから鳥子は、屈するつもりなんて無かった。
この作戦を実行するために、必要な存在がいるとすれば。
一つは、
アビゲイル・ウィリアムズ。
リンボ達の言葉が、本当に正しいのならば。
アビゲイルの力は、聖杯戦争を覆せる。
それがもし、根幹のシステムさえ破壊するほどの規模だとすれば。
この戦いの盤面自体を、引っ繰り返せるかもしれない。
例え鳥子の死を引き金にせずとも、令呪などの手段を使えば――それを引き出せる余地はあるだろう。
そうすれば、鳥子にとっては何よりも心強い力になる。
そして、もう一つ。
聖杯戦争の攻略における“鍵”があるとすれば。
それは―――怪異の本質を視る、
紙越空魚だ。
空魚の目があれば。空魚と共に、この世界を調査できれば。
聖杯へと至る道筋や、界聖杯から逃れるための足掛かりを掴めるかもしれない。
彼女がこの世界にいるかどうか。
言ってしまえば、それさえも分からない状況だ。
だけど、もし空魚が此処にいれば。
この聖杯戦争は、間違いなく“乗り越えられる壁”と化す。
怪異を見通す目を持つ、紙越空魚
怪異へと干渉する手を持つ、仁科鳥子。
そして――聖杯戦争すら呑み込む強大な力を持つ、アビゲイル・ウィリアムズ。
これらの手札が揃えば、もしかすれば――。
『アビーちゃん』
だけど、それは。
アビゲイルという少女に対し。
“無理をさせる”ということに他ならない。
何故ならば。これらの推察を現実に行うためには、アビゲイルの力を引き出すことが前提となるからだ。
念話を飛ばして、鳥子は言葉を紡ぐ。
『もしも嫌だったら、苦しかったら、本当にごめん』
鳥子は知っている。
アビゲイル・ウィリアムズという少女の在り方を、すぐ側で見つめている。
年相応にあどけなくて。
褒められた時には、無邪気に喜んで。
好きなものを食べるときには、可愛らしい姿を見せて。
そして、マスターを守るときには、健気に立ち回ってみせる。
そんなアビゲイルのことを、鳥子はずっと見てきたのだ。
『言いたくなかったら、言わなくてもいいから』
だからこそ、鳥子は思う。
“地獄を顕現させる力”を行使することを、アビゲイル自身が望むはずがないと。
鳥子はそれを分かっている―――否、“そう信じていた”。
『それでも、今はアビーちゃんの手も借りなきゃいけないかもだから。
大丈夫なら、どうか教えてほしい』
そのうえで、踏み込まなければならなかった。
この世界から、生きて帰るために。
未来を掴む可能性を、手繰り寄せるために。
そのためにも、手札を確認しなくてはならなかった。
ごめん。ごめんね、アビーちゃん。
鳥子は心の中で謝罪を続ける。
アビゲイルは、ただ何も言わず。
鳥子の言葉を、聞き届けている。
そして鳥子は、一息をついて。
『アビーちゃんには、どんな力があるの?』
アビゲイルへと、そう問い掛けた。
彼女が内に宿す“可能性”。
未だ知らぬ“外なる神”の巫女としての力。
鳥子は―――深淵へと踏み込む。
【文京区(豊島区の区境付近)/ニ日目・未明】
【仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]基本方針:生きて元の世界に帰る。
0:アビゲイルの“真の力”について知る?
1:アサシンのことは信用しきれないが、アルターエゴ・リンボの打倒を優先。
2:ただし彼への不信が強まったら切る。令呪を使ってでも彼の側から離れる。
3:私のサーヴァントはアビーちゃんだけ。だから…これからもよろしくね?
4:この先信用できる主従が限られるかもしれないし、空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
5:出来るだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
6:もしも可能なら、この世界を『調査』したい。できれば空魚もいてほしい。
[備考]※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。
※透明な手がサーヴァントにも有効だったことから、“聖杯戦争の神秘”と“裏世界の怪異”は近しいものではないかと推測しました。
【フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康、決意
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスタ―を守り、元の世界に帰す
0:鳥子に自身のことを話す?
1:アサシンのことは信用しきれないが、アルターエゴ・リンボの打倒を優先。
2:マスタ―にあまり無茶はさせたくない。
3:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。
【アサシン(吉良吉影)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:健康、殺人衝動
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(一般的なサラリ―マン程度)
[思考・状況]基本方針:完全なる『平穏』への到達と、英霊の座からの脱却。
0:田中一の制圧。切り捨てるにせよ、従わせるにせよ。
1:アルターエゴを追跡、および排除。フォーリナー(アビゲイル)の覚醒を阻止する。
2:アルターエゴのマスターを探して“鞍替え”に値するかを見定めたいが――。
3:あの電車で察知したもう一つの気配(
シュヴィ・ドーラ)も気になる。
4:社会的地位を持ったマスターとの直接的な対立は避ける。
5:鞍替え先を見つけ次第、田中一に落とし前を付けさせる。
[備考]
※スキル「追跡者」の効果により『仁科鳥子』『田中一』の座標や気配を探知しやすくなっています。
リンボは式神しか正確に捕捉出来ていないため、スキルの効果が幾らか落ちています。
※仁科鳥子の住所を把握しました。
※フォーリナー(アビゲイル)は「悪意や混乱を誘発する能力」あるいは「敵意を誘導する能力」などを持っていると推測しています。
ただしアルターエゴのような外的要因がなければ能力は小規模に留まるのではないかとも考えています。
※田中の裏切りを悟りました。
◆◇◆◇
“悪のカリスマ”。
吉良吉廣はそれを知っていた。
そう呼ぶに相応しい者と、かつて会っていた。
まだ一介の人間に過ぎなかった頃。
彼はエジプトで魔女エンヤ婆と出会った。
あの魔女は吉廣の素質を見抜いた。
“矢”に選ばれし才能を看破してみせた。
そうして吉廣は彼女が崇拝する“ある男”へと謁見し、その才能を認められ――スタンドという“洗礼”を授かった。
その男は。
誰よりも強く。
誰よりも大きく。
誰よりも美しく。
誰よりも恐ろしく。
誰よりも禍々しく。
誰よりも崇高で――。
それは息子である吉影さえも知らない。
吉廣だけが目の当たりにした、圧倒的な存在だった。
その男を評する呼び名は、数多存在する。
帝王。支配者。教祖。救世主。カリスマ。
あるいは―――神“ディオ”、と。
焦土と化した池袋の一画。
まるで嵐が過ぎ去ったかのような惨状。
都市も、人間も、すべて瓦礫の山に飲まれ。
言うなれば、それは――宵闇の墓標だった。
この世界を葬り、そして“弔う”。
“そこに立つ一人の青年”が、それを打ち立てた。
田中一の懐から密かに逃れ、気配遮断スキルによって遠目から――被害を受けていないビルの屋上だ――その様子を眺めていた。
“崩壊”した街を背にし、虚無を思わせる白い髪を靡かせ――瓦礫の山に君臨する青年。
その姿は、吉廣の目に焼き付けられた。
魔力の気配は殆ど感じられない。
サーヴァントではない。生身の人間だ。
だというのに。
不敵に立つその男は、余りにも禍々しく。
余りにも恐ろしく――そして、余りにも大きく見える。
その男に田中が率いられる姿を監視しつつ、吉廣は直感してしまった。
―――あれは、同じだ。
―――悪の救世主。悪のカリスマッ!
―――邪教の教祖のように!
―――大衆を煽る独裁者のように!
―――他者の上に立ち、悪の道を敷く存在!
その男、
死柄木弔は。
紛れもなく、魔王だった。
故に吉廣は、戦慄する。
かつてエジプトで目の当たりにした“邪悪の化身”――それに匹敵するやもしれぬ“覇者”が、そこに居たのだから。
奴は複数の主従を率いていた。
確認できる限りでもサーヴァント3騎、マスターと思わしき人間が4人。
更に近くにはもう1騎サーヴァントの反応がある。
4つの主従が同盟を組んでいるのだろう。
地獄を思わせるような“殺意”と“魔力”を纏うあのチェンソー頭のサーヴァントも、間違いなく別格だった。
近くに迫るもう1騎――まるで“鬼”を思わせる魔力の気配にも身の毛がよだつ。
されど、真に恐るべき敵は彼らではない。
あの白髪の魔王こそが“最悪”と呼ぶに値する。
悪を制し、悪を飲み込み、破壊の果てに君臨する。
アレは、そういうモノなのだ。
戦いにおける“強さ”もまた、スタンド能力と同じ。
どんな敵と相対しようとも己を貫き通す精神力。
自らの願いや欲を渇望するハングリーさ。
この戦争において、あの男は最も恐るべき力を持っている。
ヤツの存在は紛れもない脅威。
そして、見過ごせないことはもう一つ。
田中一が集団に与したということだ。
田中は吉良吉影を脅せない。
田中は吉良吉影を切れない。
結局のところ、サーヴァント抜きであの若造に出来ることなど高が知れているのだから。
吉廣はそう考えていた。
だが、あのような大集団がバックに付くとなると――先が読めなくなる。
仮に奴らが、田中の“鞍替え”に手を貸すというならば。
あるいは、奴らという“後ろ盾”の存在が、田中の令呪使用――吉影の支配へと踏み切らせるとしたら。
その時点で、吉影は今度こそ追い詰められる。
殺人鬼・吉良吉影への恐怖がより強大な暴力によって塗り潰された時、“田中を制圧するのは容易である”という前提は崩れる。
それだけではない。
“リンボのマスターへの密告”による計画の阻止、そして田中一からの鞍替えも怪しくなってきた。
仮にそのマスターがリンボの計画を容認していなかったとして。
傍にいる田中が“地獄”を望んでいるのなら、リンボは早々に奴へと主従契約を切り換えればいいだけの話なのだ。
しかし、リンボは何てこともなしに田中の下から離脱した。
それどころか、“鞍替えする先を斡旋する”と言わんばかりに田中をあの集団へと導いたのだ。
“自身と思惑が一致し、なおかつ契約中のサーヴァントを切りたがっているマスター”という実に都合のいい共闘者をわざわざ捨て置いたのだ。
つまるところ、リンボは“マスターの乗り換えをわざわざ考えていない”可能性が高い。
無論、これらの懸念は念話によって吉影と共有している。
“田中一は吉良吉影を切り捨てられない”。
“吉良吉影はリンボのマスターへと鞍替えできる余地がある”。
これらの仮定が崩壊しつつある今、やらなければならないことは唯一つ。
田中を早急に無力化すること。
主従契約の乗り換え、令呪によるサーヴァントへの縛り。
それらへと踏み切る前に、奴を何としてでも封じなくてはならない。
隠密行動による力尽くの拉致か。
連中との交渉による奪還か。
あるいは、他の手段か。
どんな手段を取るにせよ、リスクは極めて高い。
仁科鳥子との局所的な同盟関係ならまだしも、あのように徒党を組んでいる集団との接触だ。
暗殺を得手とするアサシンが、複数の主従から捕捉されるかもしれない状況へとわざわざ踏み込む。
それは無謀と言っても過言ではない。
しかし、“そうしなければ我々は今度こそ詰むかもしれない”。
吉廣は焦っていた。
建ち並ぶビルの屋上から数メートルほど上空を浮遊しながら、思考を続けていた。
平穏を望む息子・吉影は、更なるリスクを背負わねばならない段階へと進んでいる。
どうするか。どう出るか。
吉影もまた――苛立ちを滲ませている。
念話からも吉廣はそれを読み取っていた。
息子が背負う負担は少しでも減らさねばならない。
そのためにも息子の動向に合わせ、こちらも行動を続けねば―――。
その矢先だった。
突如として“視線”を感じた。
こちらの存在を捉える“気配”を感じた。
吉廣は気配遮断スキルを発動している。
NPCやマスターは愚か、通常ならばサーヴァントにさえ容易には捕捉されない。
しかし、相手はこちらを“視ている”――それも魔力の気配を感じられない。
実体化したサーヴァントであるならば、常に魔力の匂いを纏っているものだ。
だが、相手は一切の無臭。魔力というものが微塵も感じられない。
にも関わらず、吉廣はその“異様な気配”を察知した。
何だ、これは。一体何者だ。
吉廣は咄嗟に周囲を見渡す。
気配の主を、探る―――。
「―――誰じゃッ!?」
そして、一瞬。
そう、一瞬だった。
吉廣の視界が、回転した。
咄嗟に逃れようとした。
その場から離れようとした。
しかし、身動きは取れなかった。
気付いた時には、既に“制圧”されていた。
何だ。何が起きている。
刹那の合間、思考が動転する。
何かが、瞬時に動いて。
ビルの屋上から、跳躍し。
そして己へと迫った。
それだけは理解できた。
吉廣の意識は、辛うじてそれを察した。
暫しの混乱と、動揺。
そうして彼は、ようやく状況を飲み込む。
疾風のように速く。
稲妻のように鋭く。
ほんの一瞬。
何も認識できなかったほどの瞬発力で。
ただ――“掴み取られた”だけだったのだ。
そして相手は跳躍した際の慣性と共に。
曲芸のような動きで、別のビルの屋上へと着地していた。
吉廣が、視線を上げた。
強靭な右腕が、写真ごと自身を握っていた。首筋を締め上げられているかのような力。
今すぐにでも縊り殺されると錯覚してしまう程の威圧。
分厚い掌に掴まれ、吉廣は戦慄する。
「――見回り、ご苦労さん」
剣呑な眼差しで、男は吉廣を見下ろした。
その口元には、不敵な笑みが浮かぶ。
死神。仕事人。あるいは、殺し屋。
吉廣はその男を見て、そんな印象を抱くしか無かった。
アサシンのサーヴァント――
伏黒甚爾。
吉廣は意図せずして、敵との邂逅を果たしてしまったのだ。
「貴様……ッ!離せ!このッ!」
「余計なことはするな。
まだ成仏したくねえだろ」
必死に甚爾の手から逃れようとする吉廣。
しかし、ピクリとも動じることはない。
超人な筋力を持つ甚爾の拘束を解くことなど、出来る筈が無い。
――甚爾は、気配遮断スキルを発動した吉廣を察知していた。
強大な力と引き換えに何かを喪うという生来の現象、天与呪縛。
彼はあらゆる呪力を代償に圧倒的な感覚と身体能力を得た“フィジカルギフテッド”だ。
呪縛によって極限まで研ぎ澄まされた五感は、本来呪力無しでは捉えられない呪霊さえも感じ取ることを可能にした。
呪霊は、人間の負の感情が形を成した存在。
それは純粋な異形に留まらず、死者が思念によって怨霊という亜種へと転じることもある。
甚爾の五感は、吉廣を感じ取った。
息子への偏愛によって現世へと留まった“幽霊”――吉良吉廣は、“怨霊”に近い性質を持つ。
それ故に、呪霊を感じ取る超感覚を持つ甚爾が吉廣の感知へと至ったのだ。
吉廣もまた、本来ならば悟られるはずのない甚爾の存在を察知していた。
"サーヴァントでありながら一切の魔力を持たない霊体"。
それがこの聖杯戦争に召喚された伏黒甚爾という英霊が持つ特性だった。
呪力を持たない体質がサーヴァントとして再定義され、霊体化や令呪などの恩恵を一切受けられない。
その代わりに、あらゆる魔力感知を擦り抜けるという体質を持つ。
されど、吉廣は甚爾という男が潜んでいたことを見抜いてみせた。
息子である吉良吉影――彼もまた“サーヴァントとしての気配や魔力を一切悟られない”という同じタイプのスキルを持つが故に。
吉廣は半ば直感のように、甚爾の気配を嗅ぎ取っていた。
「手短に聞く、お前の“主人”は誰だ。
そして目的は何だ。さっさと言え」
「誰が貴様なんぞに―――うげェッ!?」
「身体は労っとけよ、ジジイ。もう歳だろ」
徐々に力が込められていく甚爾の指先に、吉廣が目を見開いて慄く。
あと一息、相手がその気になれば。
写真ごとグシャリと潰される。
吉廣がそう理解するには十分だった。
――テメエごとき、いつでも殺せるんだ。
甚爾は吉廣に対し、そう言わんばかりの冷淡な眼差しを向ける。
「き、貴様も見ただろうッ!
焦土と化した池袋に居た連中を!
ワシは奴らの様子を窺ってて……!」
「そうか、なら尚更野放しには出来ねえな。
一応は“付き合い”のある連中でね」
苦し紛れの言葉を吐く吉廣。
共通の敵を提示することで、場を切り抜けようとした。
だが、無様な老人を見下ろす男の目は酷く冷ややかだった。
墓穴を掘った。
冷静に状況を俯瞰する甚爾とは対照的に、吉廣は汗を垂らしながら歯軋りをしていた。
恐れるように唸り声を上げ続け、眼前の“暴君”を見上げる。
このままではマズい。
息子の手助けをしなければならないのに。
よりによって、こんな輩に掴まるとは。
吉廣は、焦燥の中で思う。
何とか逃げ出した所で、相手はこちらの気配を探ってくる。
後は身体能力の差で再び追い詰められるだけだ。
身の安全を確保するためには、此処で情報を吐くしかない。
―――出来るハズがあるか。
息子・吉良吉影の不利益になるような行為を、父親である吉廣にやれるものか。
殺人さえも幇助し続けるほどに溺愛した我が子を売るような真似を、吉廣が行えるものか。
故に、吉廣に打つ手はない。
ただ口を塞ぎ、始末される瞬間を待つ他ない。
しかし、吉廣がそんな結末を納得する筈が無かった。
息子が窮地に居るというのに、親が何の役にも立てないなど、あってはならないことだ。
どうする。どうすればいい。
動揺と焦燥で雁字搦めになる感情を、吉廣は必死に抑え込む。
甚爾の眼差しは、変わらない。
お前程度なら、いつでも殺せる――そう訴えかけていた。
沈黙によって時間稼ぎをすれば、気まぐれに殺される。
何かを吐かなければ此処で消される。
しかし、吐けば吉影への不利益となる。
必死に頭を回転させた。
この場を切り抜けるための言葉を、自棄糞に思考していた。
どうする。どうすればいい。
どうにかして、この男の矛先を逸らさなければ。
吉影はただでさえ苦難に直面している。
田中一との対立も、アルターエゴの抹殺も―――。
「そ……それだけではないッ!
ワシは『アルターエゴ・リンボ』を追っている!」
そうして、吉廣は咄嗟に吐き出した。
“標的”を逸らした。
甚爾が警戒すべき新たな矛先を提示した。
「ヤツはこの聖杯戦争を破壊する『地獄』を齎さんとしている狂人ッ!
その為に、フォーリナーのサーヴァント―――アビゲイル・ウィリアムズ!
リンボはその“真の力”とやらを引き出そうとしているのだ!」
尋問に根を上げた容疑者のように。
吉廣の口から、アルターエゴの凶行が訴えられる。
「無論、ワシの主はそれを望んでおらんッ!
ワシらはリンボを始末するべく動いている!
だからヤツの気配を追跡し、この池袋まで来たのだ……!」
界聖杯に齎される“地獄”。
フォーリナー、アビゲイル・ウィリアムズという“鍵”。
吉廣はそれらの存在を告発した。
敵連合を共通敵に仕立てるという初手が通じなければ、次の手を。
それは策というには杜撰な、苦し紛れの足掻きであり。
だが、しかし。
その瞬間に、甚爾の反応は変わった。
目を細めて、吉廣をじっと見据えていた。
沈黙が場を支配する。
吉廣は緊張に苛まれながら、汗を掻く。
相手側の態度が、明らかに変化している。
今の情報によって、何かが相手に引っ掛かった。
この男にとって“価値ある情報”を、運良く引き当てた。
それに気付いた吉廣は、次第に頭を落ち着かせ。
やがて心の中で、静かにほくそ笑んだ。
◆
池袋に潜んでいる“協力者”からの連絡が途絶えた。
デトネラット周辺の監視と偵察を任せていたNPCであり、近辺での情報を可能な範囲で報告させていた。
在籍する大学の特定によって“仁科鳥子の行方”を探る際、その“協力者”にも連絡を入れる手筈だった。
既に他のコネやパイプには連絡を入れて、鳥子の所在やこの街での素性を探らせている。
じきに報告は来るだろうが――池袋の“協力者”の消息が途絶えたことに関しても、この目で様子を確かめたかった。
言うなればそれは、虫の知らせ。
伏黒甚爾が抱いた直感だった。
そうして甚爾は、サーヴァントの身体能力を以て池袋へと急行した。
そうしてビルの屋上に立ち、惨状と化した一区画を目の当たりにした。
天与呪縛の体質を再現された彼に、正攻法で魔力を探知する能力は無い。
しかし異常発達した五感によって、その場に残された気迫や殺気を“感じ取る”ことが出来る。
デトネラット本社が存在していた筈の地点も、凄惨な状況と化していた。
大規模な衝突が発生した、というのは明白だった。
恐らく“協力者”は、これらの大破壊に巻き込まれて“不運な犠牲者”となったか。
偵察を続ける過程で、“連合”らしき連中の姿も確認した。
サーヴァント3騎とマスター4名。
近くにもう1騎の反応、そして彼らへと合流するマスターも1人。
“M”が率いる“連合”の実態を知らないが、彼らこそがそうだろうと既に当たりを付けていた。
集団の中には連合と直接同盟を結んだ
星野アイとそのライダーの姿を確認できたのだから。
敵連合の存在を嗅ぎ付けた連中が襲撃を行い、一帯が焦土と化したという所か。
本社周辺に居座っていることからして迎撃には成功した様子だったが、デトネラット本社の喪失などの少なくない手傷を負っている。
尤も、あのMならば有事に備えて次の拠点を用意していることだろう。
甚爾はそう判断した。
引っ掛ったことは、ひとつ。
あれだけの大破壊を齎した戦闘において、彼らが“敵の迎撃を果たしていた”ということだ。
甚爾は“連合”を烏合の衆と見ていた。
Mという稀代の策士によって運用されているが、逆を言えば“それ以上の手段を持たない”集団。
策謀によって狡猾に立ち回っているのは事実。
しかし、恐らくは“そうせざるを得ない”というのが実情だろうと踏んでいた。
Mが蜘蛛の巣を張り巡らせることで、初めて連合が成立している――戦力そのものはさしたる規模ではない。
そう考えていた。
だが、見誤っていたかもしれない。
少なくとも連中は、あれだけの大規模戦闘を生き残れるだけの実力がある。
それが奴らの実力なのか、あるいは何らかの“奥の手”によるものが――未だ判断はできない。
しかし、警戒には足る。
あの状況もそうだが。
伏黒甚爾は、もう一つ。
身構えるべきものがあった。
あの中に佇んでいた、チェンソーの悪魔。
特級呪霊すらも凌駕しかねない、地獄の匂いを放つ“怪物”。
曲がりなりにも、忌まわしき禪院に生まれたが故に。
呪術師の御三家と呼ばれる家系を出自に持つが故に。
伏黒甚爾は、理解してしまった。
あれは―――本物の“呪い”だと。
連中を率いる白髪の男も、恐らくはMの正体と思われる老人も、警戒には値する。
しかし、あのチェンソーの怪物は、全く次元の異なる殺意を纏っていた。
あれほどの逸物を隠し持っていたとは。
あのような怪物を抱えていたとは。
甚爾は、連合への評価を改めた。
そして―――否応無しに、いずれは奴らを切り崩さねばならない必要性を悟る。
恐らくこの先、連合は再び立て直し。
この界聖杯を巻き込む混乱に乗じながら、戦い抜くのだろう。
なればこそ、奴らの“一人勝ち”を許す訳には行かない。
グラス・チルドレンや新宿事変を起こした連中などの“強豪”共々、確実に削らねばならない。
その為に一つ、有用な武器があるとすれば。
――紙越空魚。
――お前には、“切り札”があるんだろ。
自ら呪われることを選んだマスター。
あの女に憑いた呪い、仁科鳥子。
そのサーヴァントであるアビゲイル・ウィリアムズは、聖杯戦争すら覆す力を持つのだと言う。
それほどの破滅的な可能性を、鳥子との縁によって“切り札”にすることを選んだ。
紙越空魚は、己の呪いさえも力へと変えることを宣言した。
さて。
その呪いは、道を切り拓くのか。
あるいは―――破滅へと導くのか。
真夜中の月を見上げ。
甚爾はふいに、“気配”を察知した。
同時に、相手が此方の存在も認識していることに気付く。
五感を研ぎ澄ませ、その匂いの先を辿る――。
数十メートルほど離れた地点。
忙しなく移動する気配が在った。
それは、写真だった。
写真が空中を浮遊していた。
その中から顔を覗かせていたのは、怨霊か何かを思わせる老人だった。
◆
「―――おい」
そして、思わぬ形で情報が飛び込んだ。
写真の老人―――吉良吉廣が吐いた言葉。
それはアルターエゴ・リンボの打倒を目指すという思惑であり。
同時に吉廣は、アビゲイル・ウィリアムズの存在と聖杯戦争を覆す程の“真の力”のことを知っていた。
故に甚爾は、問い質さなければならなかった。
「フォーリナーの行方を知っているか」
「……わが主が直に押さえている。
“透明な手”を持つマスター共々な」
先程まで動揺し続けていた吉廣が、冷静に言葉を紡ぐ。
この情報を使えば、相手方に対して優位に立てることを悟ったのか。
その口元には、徐々に不敵な笑みが浮かび始めていた。
「そいつらは何処にいる」
「ただでは教えんよ」
静かに、威圧するように言葉を紡ぐ甚爾。
しかし吉廣は、不遜な態度を隠さなくなり。
「ヤツらに“用がある”というワケじゃな」
そして、甚爾の思惑を見抜くように。
そう突き付けてみせた。
「貴様はあのリンボに与するバカには見えん。
少なくともワケのわからん地獄に乗るような輩ではないだろう」
勝ち誇るようにほくそ笑みながら、吉廣は黙々と言葉を紡ぐ。
目の前の男、伏黒甚爾は“殺し屋”の類いであって“愉快犯”などではない。
吉廣はそう感じ取り、言及を続ける。
「だからこそ気になったのだ。
なぜフォーリナーどもが『取引の材料として使えたのか』とッ!
貴様はリンボの情報よりも先に、そちらへと意識を向けた!」
そうして甚爾へと向けて畳み掛けられる言葉。
なぜリンボの計画ではなくフォーリナーに食い付いてきたのか。
なぜフォーリナーの所在を確かめるような真似をしたのか。
リンボの計画を含めてフォーリナーについて知っているのならば、何故切り捨てようとしなかったのか――“リンボへと明け渡す前に始末すべきだ”と考えても不思議ではないのに。
吉廣の悪足掻きは、偶然とはいえ甚爾へと刺さり。
それに感付いた吉廣は、自らの持つ情報を利用しに掛かった。
尋問する者が、逆転した。
沈黙する者が、入れ替わった。
伏黒甚爾は、口を噤み。
脳裏に、数刻前の言葉がよぎる。
己自身が吐いた言葉が、追憶される。
―――こいつは『縛り』だ。
―――俺が、星野アイが、連中が、お前をいいように操れる『縛り』。
ああ。
そういうことだよ。
そして、これは。
空魚が鳥子への執着をアピールして、足元を掬われたのと同じだった。
フォーリナーの主従を追わねばならない。
自らの弱味となり得る情報を、甚爾はほんの僅かにでも、相手に見せてしまった。
それ故に彼は、吉廣から付け入られる隙を与えてしまった。
生前の伏黒甚爾ならば、この状況を前にしても動じなかっただろう。
何故なら―――“殺し屋”としての彼は、“他者の命”など勘定に入れなかったのだから。
誰かを殺すことだけが能であり、彼の生業だった。
だが、今は違う。
今の彼は、仁科鳥子の命を背負っている。
甚爾は無意識のうちに、写真を握る手の力を強めていた。
苛立ちか。あるいは、足掻きか。
それが脅しであると解釈した吉廣は、更に捲し立てる。
「よいのか!?ここでワシを消したのならば最後ッ!
わがサーヴァントはそれをすぐに察知する!
そうなれば最早フォーリナーどもを始末することも厭わんだろうッ!」
なあ、ジジイ。
じゃあ何でお前らも、フォーリナー達と行動を共にしている。
何故リンボに手を付けられる前にそいつらを始末しない。
これは大方の予想だが。
そっちにも、マスターを殺されたら困る事情があるからだろ。
甚爾は、そう言おうとした。
しかし。喉を通りかけた言葉を、押し込めた。
―――仁科鳥子はおまえにとってもう呪いになってる。
―――ここで潔く、綺麗さっぱり祓っとけ。
あのとき甚爾は、そう忠告した。
他人のために、呪いを背負うな。
誰かを尊ぶ生き方で、自分を縛るな。
そうやって釘を差した。
それでも。それでも、あの女は。
「貴様にはフォーリナーや仁科鳥子を殺されては困る理由がある。そうじゃろう?」
―――私の目的は、あくまでも鳥子を助けることです。
目の前の老人の言葉と、紙越空魚の言葉が、重なった。
いまの伏黒甚爾にとって、確かなこと。
彼は空魚のサーヴァントであり。
空魚の依頼を引き受ける仕事人である。
それ故に、空魚の“望み”を蔑ろには出来ない。
例えそれが呪いだとしても。
空魚/依頼人は、背負うことを選んだ。
たった一人の相棒の手を取った。
だからこそ、例え敵側にもフォーリナー達を生かす理由があると推測できたとしても。
“仁科鳥子が始末される可能性”という極大のリスクは、踏み倒せない。
それが万に一つの確率だとしても、仁科鳥子の命を賭け金に乗せることはできない。
空魚にとっての勝利が、鳥子と共にあるのならば。
空魚にとっての敗北も、鳥子と共にあるのだ。
故に、甚爾は―――そこで足を止めた。
敵を捕らえたのは、甚爾であり。
情報を得たのも、甚爾であり。
そして、道を縛られたのも、甚爾だった。
なあ、空魚。言ったろ。
生かすのは得意じゃねえって。
夜は、相変わらず深々と。
この街を見下ろしている。
何かを得ようとした時も
何かを捨てることを選んだ時も。
何もかもを諦めて、掃き溜めで生きるようになってからも。
呆然と横たわる空に、代わり映えは無い。
◆
“田中一”。
それは、“写真のおやじ”の主人であるサーヴァントと契約した男であり。
つい先ほど、連合へと合流を果たしたマスターだった。
甚爾は吉廣と連絡先を交換し、“取引”を交わした。
吉廣達は仁科鳥子達に危害を加えない。
要求に従えば、鳥子達との合流も仲介する。
その見返りとして――田中一を奪還、あるいは無力化する。
連合とのコネを持つと言及したが故に、甚爾はそれを依頼された。
連合へと接触し、田中が吉廣達を切り捨てる前に彼の動きを封じる。
最低でも田中の令呪使用や鞍替えに対する牽制。
可能ならば連合盟主との交渉による田中の引き渡し。
場合によっては吉廣やその主であるサーヴァントも対応する。
最悪、田中を拉致することも手段に含めてほしい。
それが吉廣からの要求だった。
吉廣は田中との決裂に関する言及を渋っていたものの、甚爾はあくまで「依頼遂行のための情報」として話を引き出した。
イニシアチブは吉廣の側に握られている。
ならば甚爾はせめて相手に関する最低限の情報だけでも獲なければならなかった。
吉廣が信用に足るか否かは、別として。
仁科鳥子の安全は、幾らか保証される。
甚爾はそう考えていた。
何故ならば、吉廣達にも“余裕がない”ことが推測できるからだ。
袂を分かった自分達のマスターを、他主従の集団によって押さえられ。
剰えその命運を見ず知らずのサーヴァントとの取引に委ねている。
ただこれだけでも、吉廣達がいかに異常な状況に身を置いているのかが分かる。
それに空魚の方針からして“有り得ない”とはいえ、仮に甚爾が取引を反故にすれば。
その時点で吉廣達は更なる窮地に立たされるだろう。
“仁科鳥子”が取引道具としての価値を失い、彼らは“連合入りした田中一を妨げる障害”として本格的に目を付けられるのだから。
奴らがそのリスクを考慮していないはずがない。
それだけでも、彼らが切羽詰まった状況に立たされてることは容易に読み取れる。
言ってしまえば――正気の沙汰ではない。
奴らは今まで何をしていた。
何故“手遅れ”になるまで事態を放置していたのか。
聖杯戦争は二人一組で戦い抜くのが大前提となる。
馴れ合いをしろとまでは言わないが、主従として最低限でも関係を保つことは当然のはず。
にも関わらず、田中一らの主従はこのような有様と化している。
互いに主従関係の構築に相当無関心だったか、どちらかが余程の無能だったのか。
それとも――そんな関係であっても尚、予選の一ヶ月を生き延びられる“曲者”なのか。
それでも尚、伏黒甚爾は取引に乗る他ない。
これだけ不手際が予想される状況であっても、“仁科鳥子を確保している”という一点で相手に優位を取られているのだから。
己のマスターである紙越空魚を勝たせる。
伏黒甚爾の目的は、それだけだ。
願いなど無い。ただ粛々と仕事をするのみ。
Mの率いる連合とのコネクションも、マスターを勝ち抜かせるための戦略だ。
Mに近づくこと自体は、必要な行動だとはいえ。
“田中一の奪還”という行為は、連合からの不信を抱かれても可笑しくはない悪手だ。
アビゲイル・ウィリアムズの力を連合に売り込むことで協力を取り付けるとしても、賭けに等しいと言わざるを得ない。
仁科鳥子の陣営は、他の主従にとって“空魚を縛ることのできる人質”になりうるのだから。
吉廣達がリスクを背負っているように。
仁科鳥子を選んだことで、空魚達もまたリスクを背負っている。
だが――それでも。
空魚は“鳥子と共にいること”を、自らの勝利として定義したのだ。
ならば甚爾もまた、そうする他ない。
「自分のマスターの命運を他人に握らせる、か。
随分と形振り構わないらしいな」
「フン、やかましいわ。ワシの主を勝たせるためなら手段など選ばん」
「……忠犬だな。お前のサーヴァントは余程の“飼い主”らしい」
「飼い主だと?そんな言葉など生温いわ。
ワシとその主……いや、“あの子”の絆はもっと深い。血の繋がりよ」
ふいに吉廣はそう呟き。
そして―――次の言葉へと繋げた。
「『親』が『子』を想うのは当然じゃ。
貴様のような殺し屋には分かるまい」
吉廣の、何気ない一言。
得意げに嘲笑う、老人の言葉。
それを耳にした甚爾は。
ふいに、“それ”が蘇った。
憶えのない記憶が、脳裏を過った。
知りもしない情景が、朧気に浮かぶ。
誰かと相見える、己自身の過去。
酷く懐かしく、何処か安心したように。
追憶する時間の中で、己は自ら“命を絶つ”ことを選んでいた。
―――■■じゃねぇのか。
―――よかったな。
甚爾は僅かに目を見開き。
しかしすぐに、自らの胸中に湧き上がる郷愁を振り払う。
知りもしない経験だった。
身に覚えのない体験だった。
英霊の座とやらで、何かが“混濁”したのか。
分からない。分かりはしない。
ああ――興味もない。
「……そうかい」
どうせ自分は“ろくでなし”だ。
“あいつ”に何かしてやれたことなんて、一度も無い。
そう考えていた。そう信じていた。
「子への想い、ね」
だから、伏黒甚爾は。
「――知らねぇよ。んなモン」
ただ、そう吐き捨てた。
【豊島区・池袋(デトネラット本社付近)/ニ日目・未明】
【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:健康
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:ああ、結局呪われに行くのか、お前は。
1:仁科鳥子を確保すべく、連合入りした田中一を奪還または無力化する。
2:マスターであってもそうでなくとも
幽谷霧子を誘拐し、Mの元へ引き渡す。それによってMの陣容確認を行う。
3:↑と並行し283プロ及び関わってる可能性のある陣営(グラスチルドレン、皮下医院)の調査。
4:都内の大学について、(M以外の)情報筋経由で仁科鳥子の在籍の有無を探っていきたい。
5:ライダー(
殺島飛露鬼)やグラス・チルドレンは283プロおよび
櫻木真乃の『偽のゴール』として活用する。漁夫の利が見込めるようであれば調査を中断し介入する。
6:ライダー(殺島飛露鬼)への若干の不信。
7:
神戸あさひは混乱が広がるまで様子見。
8:鳥子とリンボ周りで起こる騒動に乗じてMに接近する。
9:あの『チェンソーの悪魔』は、本物の“呪い”だ。
[備考]※櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。
※吉良吉廣と連絡先を交換しました。
【吉良吉廣(写真のおやじ)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:健康
[装備]:田中一のスマートフォン(仕事用)、出刃包丁
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:愛する息子『吉良吉影』に聖杯を捧げる。
0:アサシン(伏黒甚爾)を利用し、田中を無力化または確保する。
1:アルターエゴ(
蘆屋道満)を抹殺すべく動く。
2:息子が勝ち残るべく立ち回る。必要があればスマートフォンも活用する。
3:リンボのマスターが不発だった場合の“鞍替え候補”も探す。
4:『白瀬咲耶の周辺』の調査は一旦保留。
5:あの白髮の青年(死柄木弔)に強い警戒心。
[備考]
※スマートフォンの使い方を田中から教わりました。
※アサシン(吉良吉影)のスキル「追跡者」の効果により『仁科鳥子』『田中一』の座標や気配を探知しやすくなっています。
リンボは式神しか正確に捕捉出来ていないため、スキルの効果が幾らか落ちています。
※フォーリナー(アビゲイル)は「悪意や混乱を誘発する能力」あるいは「敵意を誘導する能力」などを持っていると推測しています。
ただしアルターエゴのような外的要因がなければ能力は小規模に留まるのではないかとも考えています。
※アサシン(伏黒甚爾)と連絡先を交換しました。
彼との取引の内容はアサシン(吉良吉影)にもリアルタイムで伝えています。
時系列順
投下順
最終更新:2022年05月02日 23:35