所は港区、東京タワー。
峰津院大和の俯瞰する大地では、飛蝗のように二体の英霊が駆け回っていた。
これがマスター一人が作り出した戦況であるなどと、一体誰が信じられようか。
しかしどれほど荒唐無稽でもそれこそが真実。
今、この地を支配しているのは紛れもなく峰津院大和その人である。
日ノ本に名高き二天一流も、心優しい灰色も、誰もが彼の掌中で踊り足掻く以外の術を持たない。
「――随分と、酔狂な事態になっているようだな」
その証拠に大和の意識は眼前の二人ではなく、彼方で激闘を演じる下僕の方へと向いていた。
大和は決して、スカイツリーに参じた二者を軽視してはいない。
海賊同盟を構成する片割れ。
カイドウと並び立つ女傑、シャーロット・リンリン。
そして昨日
ベルゼバブを斬り伏せた東方の剣聖、
継国縁壱。
激戦になることは必至であるし、ベルゼバブをしても無傷でねじ伏せることは不可能だろうと侮りでも何でもなく事実としてそう認識していた。
だが、事は単なる苦戦の域を過ぎて――どうやら明後日の方へと転がり始めたらしい。
「特異点……確かにあれに相応しい言葉、相応しい称号だ。現実という名の檻では最早、貴様を繋ぎ止めるには足りないか」
現実世界の縛りから解き放たれた彼らの闘争は、果たして何処へ"飛んだ"のやら。
巻き込まれたならご愁傷様だとそう言う他ないが、大和は無論、ベルゼバブの身を案じてなどいない。
彼ら主従は絵に描いたような険悪を地で行っていた。
しかしそれは、何も互いに互いを厭悪し合っている故の不和ではないのだ。
強すぎる"我"は、他の誰かと並び立つことを基本的に善しとしない。
類稀なる自我とそれに見合う能力値で覇道を征く大和。
絶対なる力と、現状で決して満足しない向上心を武器に駆け抜けるベルゼバブ。
彼らが共に微笑みを向け合い、和やかに茶を傾けるなど、たとえ界聖杯の獲得が叶ったその時ですら有り得はすまい。
ベルゼバブは大和に殺意を向け、大和はそんな彼を自らが首輪を繋いで飼う下僕と豪語して憚らない。
だがその一方で――彼らは、時に殺意さえ向ける従僕のことを正しく信じてもいる。
峰津院大和も、ベルゼバブも、強者であるから。
強き者は、己が定めた強さの定義に対してだけは嘘を吐かない。
大和がベルゼバブを侮らないのは、つまるところそういう訳だった。
大和は誰よりも正確且つ明瞭に、ベルゼバブという男の強さを認識している。
だからこそ並大抵の混沌では、あの宇宙の膨張めいた勢いで強くなり続ける男を呑み込めないと――そう信じて疑わないのである。
「独り言なんか溢しちゃって……余裕そうじゃない、お坊ちゃん。
サーヴァント二騎(ふたり)相手取ってるんだから、もうちょっと焦ったり慄いたりしてくれてもいいのよ?」
「気に障ったなら謝ろう。だがそう求めるならば、貴様達の方にこそ先人の威厳というものを見せて戴きたいものだな」
大和は、児戯でこの均衡を破ったりなどしない。
地上は剣士のフィールド、言うなれば狩場だ。
距離というアドバンテージを捨て去れば、即ちその時点で"万一"のリスクに直結する。
自ら優位を捨てて先人の面目を立たせに掛かってやるほど、大和は慈善精神に溢れた青年ではなかった。
「それとも佐々木小次郎は、貴様の身の丈に合わせて剣を振るってくれる腰抜けだったか? 二天一流」
「――まさか。私の知る限り、アレ以上の剣士は後にも先にも一人も居ないわ」
……武蔵の振るう剣技。
異形と呼んでもいいその型を自分の裡にある知識と照合して、補完した結果。
大和は彼女の真名を容易く看破し、諧謔に載せて突き付けるにすら至った。
だが武蔵もその程度で動じるような鈍らではない。
笑みさえ浮かべて答える一方、瞳には冷厳にこちらを見据える少年王への戦意を蒼く燃やす。
そして、彼への道を阻む龍を斬り倒さんとする朱き殺意を。
見果てぬ空にすら手を伸ばさんとするその姿は数奇にも、今は常世ですらない何処かで鎬を削っているだろうベルゼバブのそれに似通っていた。
「邪魔だ」
その一言と共に、蚊でも払うようにして祓われる。
片手で吹き飛ばされた火は、断末魔のように感光しながら空へと溶けた。
命を、過去を未来を――あまねく薪木にして燃える炎ならばいざ知らず。
出力の安定した"優しい炎"などでは、峰津院大和の君臨を脅かすには役者が足りなすぎる。
「教授してやろう、夢見がちな交渉人(ネゴシエーター)。大言壮語を吐くならば――せめてこの程度は用立てろ」
「……ッ、そりゃどうも……!」
刹那、意趣返しのように神罰(メギド)が咲いた。
暴風雨のように吹き荒れる裁きの炎が、アッシュの立っていた座標を粉砕する。
辛くもそこから逃れることには成功したものの、しかしそこは峰津院大和。
たかだか対軍宝具程度の一撃を撃ち込んだ程度でこの男が油断するならば、どれほど話が早かっただろうか。
力場と粉塵を引き裂きながら、不自由な視界の先から現れたのは、此処まで空への君臨を貫いていた龍の顎門(あぎと)だった。
「炎熱の操作と常時の自己回復か。実に小綺麗な異能だが、しかし」
――暴走、及び自傷の危険性。
アッシュ本人の脆弱さ、そして魔力の枯渇という致命的限界。
それらを、世田谷区の一件を経て発現したかの星は完全に解決していた。
限界突破という無茶苦茶が出来なくなったことだけを代償に、アシュレイ・ホライゾンは永久に安定した焔に成ったのだ。
その身体を正面から焼き尽くし削り切るのは、大和ですら容易ではない……が。
「呑み込ませてしまえば、ただの死に辛い木偶でしかない。違うかな」
"死ににくい"程度の異能など、大和に言わせれば脅威の土俵にすら上がれはしない。
龍脈の龍による丸呑み、それで以ってのアッシュの無力化。
紛れもない最適解にアッシュは舌打つが、しかし生憎と今の彼は一人ではない。
彼が今この場で取れる最善の選択肢は、声を張り上げ助けを呼ぶことだった。
「すまない、セイバー――ピンチだ、助けを頼むッ」
「あいよっと! 頼まれました!!」
真横から割り込んだ武蔵。
その剣閃は確かに、龍脈の龍の胴体に確かな手傷を負わせた。
龍の動きが止まる。それを良いことに横っ面を蹴りつけつつ、アッシュの手を引いて安全圏まで離脱させる。
だがそこに殺到するのは大和のメギド。
これだけの火力をほいほいとぶっ放せるマスターが存在する事実に、否応なく界聖杯の不平等さを感じずにはいられなかったが――
「悪い、せっかくのチャンスだったのに……俺の方を優先させてしまったな」
「謝ることはないわ。此処で貴方をみすみす死なせてしまったら、にちかちゃんに何言われるか分かったものじゃないし」
「それは……本当にそうだな。しかし大和の奴、見かけによらず嫌らしい手を使うもんだ」
「たとえ龍が地に降りたとしても、あの状況じゃ私は"斬る"ことを最優先出来ない。どう考えてもそこまで織り込み済みの連携だったわよね、今の」
龍脈の龍は、決して見せかけだけの張りぼてではない。
武蔵ですら、あれを一撃で斬り伏せるにはそれなりの覚悟が必要になる。
少なくともアッシュを救援する片手間で屠るには手に余る相手なのは間違いなかった。
大和はそれを、先の時点で既に見抜いていたのだ。
更に言うなら――武蔵はアッシュを見捨てられないだろうことも、当たり前のように看破していた。
リスクがリスクとして成立し得ない状況を作り上げ、的確に"削り"をかけた。
恐るべき観察力と洞察力、そして策を編み上げる冴えであった。
龍脈の龍が空に昇り直すや否や、カウンターとして地に撒き散らされる炎と突風。
不完全な体勢でそれに晒されたアッシュは吹き飛び、武蔵も流石にたたらを踏むのを余儀なくされてしまう。
「大丈夫?」
「ああ、問題ない。あいつも言ってた通りで、死に辛い身体なんでね」
「あはっ、上等。じゃあさっき言ってた"アレ"、そろそろお願いしていいかしら?」
アッシュは――大和の心を掴めなかった。
彼の征く覇道に、妥協点という横道を作ることが出来なかった。
そのことを口惜しく思わないと言えば嘘になるが、その慚愧をこの修羅場に持ち込むほど彼は青くはない。
こうして相見えて改めて痛感したことが一つある。
峰津院大和は、紛れもなく傑物だ。超人と言っても過言では決してないだろう。
およそマスターとしての強さに限って言うならば、彼は間違いなく此度の聖杯戦争におけるハイエンドの一人に違いない。
それどころか下手なサーヴァントであれば歯牙にもかけずに圧倒できる、それだけのものを持っている。
龍脈の後押しがあることを踏まえても、こうも堂々とサーヴァント相手に立ち回れる人間が他にどれほど居るか。
大和のその才覚を純粋に脅威と受け止め、自分の中での彼に対する認識のレベルを引き上げながら――アッシュは武蔵の問いに迷わず頷く。
そして彼は己の星を鳴動させ……武蔵の注文(オーダー)に応えた。
「さっきはああ言ったけど、舟と呼べるほどスマートには出来そうもない。細部はそっちを信頼して任せることになるから――なんとか耐えてくれ」
「了解っ――大丈夫、こっちもヤバめの修羅場はたくさん潜ってきてるから!」
武蔵の勇ましい返答に応えるように、世界が燃えた。
比喩ではない。アッシュを起点に、撒き散らせる限りの炎が爆ぜたのだ。
ぴくりと大和の眉が動く。それと同時に吠えるは龍脈の龍。
吐き出される火炎が、アッシュの放つそれすら呑み込むように煌々と燃え盛るが。
アッシュはそれを自身の損耗を省みることなく引き裂きながら、文字通り天へ向かって飛翔した。
「煌赫墜翔(ニュークリアスラスター)――」
暁の空へと、蝋の翼を広げ。
最果ての星を目指し飛び立つその姿は――まさにイカロスが如く。
これこそがアッシュが持つ、剣豪武蔵を空へと運搬(はこ)ぶ手段。
スマートとは決して呼べない、新西暦式のロケットブースターであった。
「は――」
考えるものだと、大和は傲岸不遜にそう評価。
多少の手傷なら無視出来る自身の性質をこうまで活かしての滅私は、奇策として十分な出来栄えを持っていた。
「――発動(ブースト)ッ!!」
煌赫墜翔、発動。
引火性を帯びさせた血の燃焼を利用した爆速加速――燃料加速装置の原理を模倣したそれは、しかし出力で言えばその比ではない。
本来であれば天駆翔(ハイペリオン)……偉大な天奏の炎を纏わねば扱えぬ技であるが、己が人生を歩み切った彼ならば。
星の可能性と柔軟性を生涯費やし極め、そして知った彼であれば当然使える。
自壊に至る過剰出力も限界突破も用いない、あくまで理論と只人の視座に収まった煌赫墜翔。
そしてそれだけでも、新免武蔵を峰津院大和の位置/天空まで連れて行くには十二分。
「……グッド。最高よ、ライダー君!」
地に落ちる蝋翼――だが彼が載せてきた女は、空を足場に加速する。
龍脈の龍のその両眼が、自身と同じ土俵にまで上がってきた不遜な女剣士を睥睨した。
血も臓腑も凍るような睥睨に、しかし武蔵は怯みなどしない。
加速の勢いが死ぬ前に、いざ火炎を吐かんとした龍のその身体へと十字に剣閃を刻み込んだ。
それは奇しくも、とある侍がかつて"龍"を斬った時に用いた技と酷似した動きであったが……閑話休題。
『GA――G……ッ!』
「悪いわね、荒ぶる龍さん。初めてじゃないのよ、龍を斬らなきゃいけない状況に立たされたのって」
噴き出す鮮血と、龍の口から漏れる苦悶。
先の軽い斬撃とは比にならないだけの痛手が刻まれたことが、その声から伝わってくる。
しかし武蔵はまだ地へとは下らない、追撃の一太刀を今度は龍の喉笛に向け放つ。
が、不覚を取ったことに怒り狂う龍の突撃が武蔵の目論みをタダでは通させない。
「ふっ――らしくなってきたじゃない、そっちの方が男らしくて格好良いわ」
大質量を活かした突撃(デスバウンド)。
武蔵を喰らい千切らんと猛攻する龍だが、そこは流石の二天一流。
捌く、捌く。空中に躍り出るまでには手間をかけた癖に、一度辿り着いてさえしまえば舞い踊るように剣を駆使する。
そのままひょいと龍の頭上へ飛び上がれば、武蔵はその脳髄を引き裂かんと再び二刀を振るった。
が、龍脈の龍はその巨体をとぐろを巻くように回転させることで武蔵の止めを弾き吹き飛ばす。
代償として尾に大きな裂傷を刻まれたが、忌々しい剣士を払うことには成功した――しかし武蔵は、悔しがるどころか歯を見せて笑い。
「ありがとね。貴方のおかげで――本命のところまで辿り着けそうだわ」
堂々と礼を告げて、龍脈の龍を第二の……今度は地へと向かうための加速器として利用した。
宮本武蔵は型破りの極み。
その剣にも生き様に、一切の作法や決まりきった型は存在しない。
使えるものは何でも使う。たとえそれが敵であったとしても、だ。
自身の中の流儀に悖らない限り、武蔵にとっては戦場のすべてが可能性に満ち溢れた道具なのである。
空から、地へ。
音すら置き去りにしながら、武蔵は大和の許へと迫る。
確かな戦意と漲る殺気を彗星のように尾引かせながら、天眼の剣鬼が若き改革者を斬り伏せにやってくる。
「――歴史に嘘偽りなし、か」
この時ばかりは、さしもの大和も背筋に寒いものを覚えた。
それだけの気迫を持っていた。
自身と対等な視座で相対する二天一流、その恐ろしさを肌で感じた。
認めざるを得まい。彼女は紛れもなく人類史にその名を残した英霊で、剣一本で人智を超克した怪物であるのだと。
「改めて見ると、なかなかとんでもない美形じゃない。あと何年か若かったら、心ぎゅんぎゅん言ってたかも」
笑みを浮かべながら、武蔵は遂に大和を自身の間合いの内側に捉える。
「とはいえ一度相対したなら、美形も醜男も関係なし。
見目の麗しさで刃を鈍らせたら、その日が剣豪の落日なれば!」
「――面白い。この私を斬ると吐くか、新免武蔵」
しかし大和は、肌を粟立たせることはしても冷や汗は流さない。
あくまで不敵。あくまで威風堂々。あくまで、彼を表す二文字は"君臨"。
たとえ神をも畏れぬ英霊剣豪、獣国の異聞帯に王として君臨する雷帝をも斬った大剣豪が相手であろうとも――
峰津院大和は不変。その笑みを崩したいと思うなら、一体どれほどのものを用意せねばならないのか余人には想像すら付くまい。
武蔵が更にもう一歩、踏み込む。
それと同時に放たれた斬撃を、大和は目視出来なかった。
彼ですら、目で追えない。その次元の剣戟なのだ、武蔵が振るうのは。
大和で無理ならば、神でさえ残像で追うのが精々だろう。
恐るべきは二天一流・新免武蔵――峰津院の麒麟児ですら、その本気を前にしては易々と追い付けない。
現代で学べる剣の道を極みまで修めた彼をして絶句せざるを得ない剣の冴えに、大和は確かに英霊の座の果てしなさを見たが。
「……何――」
驚愕したのは武蔵の方だった。
弾かれたのだ、確かに打ち込んだ筈の剣が。
次の瞬間には、武蔵の胴には強烈な大和の蹴撃が叩き込まれていた。
不覚を悟ると共に喀血し、元来た道を逆戻りの形で吹き飛ばされていく武蔵。
「ッ――物理攻撃の、反射……!? 全く、なんてもの持ってるのよ……!」
「備えあれば憂いなしというのが、この国の美徳だろう?」
その姿を微笑みと共に見送る大和も――しかし、無傷ではなかった。
胴体に袈裟懸けに刻まれた刀傷は浅いが、そこからは血が滲んで大和の格調高い衣服を汚している。
物理攻撃に対する反射。それは、この戦いを見越して大和が自らの身に施していた"備え"の一つだった。
サーヴァント、それも剣の極みにまで登り詰めた怪物の放つ攻撃をすら防御する規格外の魔術。
それでも、完全には防ぎ切れなかった。
龍脈によるブーストを加味しても。
最初から回避を考えず、正確な力を推し測るべく敢えて受けた形であったとしても――たかだか近代の剣豪の太刀一つを、無傷で凌げなかった事実。
それを英霊(むさし)と人間(じぶん)の間に横たわる力の差を言い訳にせず、素直に不覚と受け止めながら尚も君臨を続けるは、大和。
「(龍脈の力を引き出していなければ……この程度では済まなかったか)」
龍脈を起動させた自身の選択が間違いでなかったことを確信しつつ、負傷の事実を噛み締める一方で。
どうにか受け身を取って立ち上がった武蔵は、口元から溢れ出た血を拭いながら、彼の想像以上の強さに驚かされていた。
「(なんて威力……! もしまともに受けてたら、霊核までぶち抜かれてても不思議じゃなかったわね――それに)」
恐るべきは龍脈の力、そして峰津院大和という少年が持つ潜在能力の高さ。
武蔵はただ蹴飛ばされただけではない。
彼女をして、痛いとお世辞抜きに言うほどのダメージを受けている。
今の一合に限って言うなら、間違いなく負けたのは武蔵の方だった。
そして打擲のそれに加えて武蔵を蝕んでいるのが、昨日――四皇カイドウの固有結界、"鬼ヶ島"で相対した機巧の少女から受けた"汚染"である。
「(思ったより効くわね、汚染(これ)……。仕方なかったとはいえ、ちょ~っと厄(ヤバ)いの食らっちゃったか)」
古手梨花という少女は、その特異性だけで言うならば大和をすら凌駕するものを秘めている。
百年にも及ぶ時間と、千をも超える世界線(カケラ)巡り。
その果てに、一人の人間が持つには身に余るほどの因果を持つに至った梨花は、傷付き穢された武蔵の身に奇跡を降り注がせた。
それがなければ、此処に辿り着くことなく宮本武蔵は死に果てていたかもしれない。
だが――それでも。
霊骸という未知の概念で汚染された霊基は今も正常には戻らず、常に武蔵を激痛と苦悶で苛み続けている。
嘗めた敗北の辛酸に蝕まれながら演じる大立ち回りは、いつも以上に壮大で危機的な綱渡りと相成った。
「ごめん、失敗(マズ)った! いい太刀入れたつもりだったけど、薄皮一枚しか行けなかった……!!」
「いや、傷を付けられることが分かっただけでも十分だ。
物理攻撃に対する高度な耐性っていう種が割れたのもありがたいよ」
「次は仕損じないわ。ちゃんと目に焼き付けたから」
状況は決して芳しくはない。
龍脈の龍は傷付きこそしたが、未だ健在で。
大和に与えられた手傷と、武蔵が受けたダメージも決して釣り合ってはいない。
場合によっては龍脈の龍を討つために宝具の開帳も視野に入れるべきだが、この身体で放てばそれなりの反動は覚悟せねばならないだろう。
しかし武蔵の言葉は、決して自分を鼓舞するための誇張に裏打ちされたものではなかった。
次は斬る。
・・・
次は――斬れる。
その確信を以って吐いた言葉は、大和をして首筋に刃を突き付けられる感覚を覚えるに足るものであり。
それを及第点だと評価するようにして、彼は傲岸不遜にも褒美という名の試練を抗う二騎へ下すことを決定した。
――龍脈の龍、その顎門がゆっくりと開かれていく。
そこに集中していく炎光の熱は、近付けば骨まで焦げ付く焦熱地獄のそれに他ならない。
これまでのような単なる火炎放射ではないと悟り、武蔵はその背筋に鳥肌を浮かばせる。
どう見積もっても対城級の火力。対軍の域には収まらない、まるで小型の太陽をこの地に転移(アポート)させてきたかのような熱光。
「やがて世界の行く末を担うこの双肩に向かって、肩を貸すと豪語したのだ」
アッシュも、そして武蔵も直感した。
これは駄目だ。まともに受けてはならないそれだ。
荒ぶる龍脈の龍(カミ)が吐き散らすは、誅罰の極み。
人の身の延長線でありながら大いなる龍に刃を向けた人形共への、苛烈にして壮麗なる抹殺宣言。
「もはや決裂した交渉ではあるが、この私が貴様を……貴様らを試してやろう。
これしきの試練にすら耐えられぬ弱者であったならば、視界に留めておく価値もない。そのまま界聖杯の塵と化すがいい」
聖杯戦争という儀式が誕生した大元の世界においては、恐らく影も形も存在し得なかったろう魔術。
神の炎。神の下す罰。君臨を掲げる支配者に背く彼らにこれが向けられる構図は、ある意味では正しいのかもしれなかった。
太陽面爆発にも匹敵しよう純真な熱が解き放たれるまでのわずかな猶予で、アッシュと武蔵は跳ねるように地を蹴った。
言葉は不要だった。いや、言葉を弄している暇すら惜しいと思えた。
ただ一人、峰津院大和だけが笑いながら。
静かに龍が放つ裁きの炎が地上を呑み込むその様を、見下ろしていた。
――メギドラオン。
港区に炸裂した炎は、あるべき歴史の中で日本の国土が浴びた全ての熱の中で最も抜きん出たそれであったに違いない。
焼き尽くす。焼き払う。この霊地に、龍の眠る秘穴に立ち入った全てを浄滅させんと迸る。
再生に長けた星を覚醒させたアッシュですらも、まともに呑まれれば形は保てまい。
彼の炎はあくまで修復の星であって、現世利益の不死を恒久的に担保する代物ではないのだから。
「づ、ッ……! 無事か、セイバー……!」
だが、アッシュは生き延びていた。
余波だけで半身を焼け焦げた肉塊に変えられたが、命さえ残っているならば再生は機能する。
焦げるを通り越して融解した臓器、体表に露出して余熱で炙られ激痛を訴える神経。
それらに意識を割いている余裕は生憎とない――龍が追撃に放ってくる炎をどうにか相殺しながら、同胞の無事を確認せんと叫ぶ。
「何とかね……! ていうか貴方の方がどう見ても大丈夫じゃなさそうなんだけど!?」
「……正直、効いた。でも動けないほどじゃない、まだ闘れるよ」
「了解。私の方は大丈夫、龍と戦った経験はそれなりにあるのよね、実は」
とはいえ全くの無傷ではない。
あれほどの熱になると、直撃しなくても十分すぎるほどの殺傷力が生じる。
気道の焼け付く痛み、熱で悲鳴をあげる体内器官。
霊骸の汚染に蝕まれていることも合わさって、見た目では分からないほどの苦悶が武蔵の身体を苛んでいる。
しかし逆に言えば、その程度だった。
手足の一本も、眼球も鼓膜も無事を保てている。
ならばこれしきで、この程度のことでは新免武蔵は止まらない。
下総国を知り、獣国を知り、神々の息づく都市を知り。
壮大なる"原初"をすら知り、斬った武蔵の足が止まるなどあり得ない。
だが――次の瞬間。
彼女は燃え盛る地上の中で、信じられないモノを見た。
「……本気(マジ)、ッ!?」
「それが必要ならば、機嫌取りのパフォーマンスの一つ二つは弄するが――伊達や酔狂の類で貴様と切った張ったを演じる気にはなれんな」
これまで頑なに距離という優位を保ち続けていた筈の、大和。
龍脈の龍に牽制を任せ、自身は戦況を傍観しながらも適宜行動を起こすだけだった彼が。
先の意趣返しのように、武蔵とアッシュの間近まで距離を詰めていたのだ。
彼らの脳裏に生まれる驚愕。それがもたらす、一瞬の隙。
それは今の大和にとっては、欠伸が出るほど長い"自由時間(フリータイム)"だった。
「カレイドフォス」
弾けたのは、閃光。
アストラルウェポン・ロンゴミニアドの疑似真名解放だ。
光月おでんに対して見せたのと同じ輝きは、英霊の宝具を元に生み出された代物であるのだから――当然武蔵達にも通用する。
とはいえこれはあくまでも目眩ましのスタングレネード。
不自由な視界の中でアッシュは後退を、武蔵は前進を選んだ。
そんな彼らの頭上から――光り輝く無数の悪夢が、雨となって降り注ぐ。
ロンゴミニアド。
ベルゼバブに用立てさせた光槍を、総数にして百本と少し。
東京タワーにミサイル宜しく配備しておいたそれが、この神罰の正体だ。
量産可能な武装であるとはいえ、一本たりとも鈍らや出来損ないは存在しない。
一振り余さずアストラルウェポンの真作である以上、不覚はすぐさま死に直結するのだとアッシュと武蔵はそう理解させられた。
「はぁ、っ……これも、備えあれば憂いなし――ってやつなのかしら?」
「無策で英霊を迎え撃つ馬鹿がどこに居る?」
フェイトレスの刀身で武蔵の剣を受け止めながら、大和は返す。
武蔵と平然と打ち合っていることに、いちいち驚いていては身が保つまい。
大和という規格外を体現するような男を語る上では、という意味ももちろんあるが。
それとは別に――もっと物理的な意味でも、そう。
「(これを……リアルタイムで一本ずつ、全部操ってるってのか……!)」
ロンゴミニアドはただ降り注いでいるのではない。
百本以上もの光槍は、どれ一つとして同じ動きをしていない。
一本一本が独自の軌道で、まるで意思でも持っているかのようにアッシュ達それぞれを狙っていた。
アストラルウェポンとは名ばかり。
実情は、むしろホーミング弾の類にこそ近い。
そしてそれはアッシュの推測通り――峰津院大和の脳により、一本の例外もなくリアルタイムで"操縦"されていた。
「……貴方、本当に人間?」
「如何にも、二十年も生きていない若造だよ」
武蔵はこの時、畏怖を覚えると同時に。
かつて異聞帯オリュンポスを統べていた、"クリプター"の青年を思い出していた。
キリシュタリア・ヴォーダイム。人智を超えた神の企てにすら反旗を翻し、最高神を真っ向から下してのけたという正真正銘の傑物。
今自分が相対しているこの峰津院大和という少年は、間違いなくかの神童の同類であろう。
それどころか凌駕していたとしても、決して不思議ではない筈だ。
そう思わせるだけの能力値を、東京タワーの見下ろすこの戦場で大和は衰えることなく発揮し続けていた。
「(流石に、この状況じゃ分が悪いか……!)」
フェイトレスと打ち合いつつ、武蔵は目的を大和との直接戦闘から迫る光槍を捌くことに切り替える。
試しに一本叩き切ってみて、破壊が可能であることを確認するなり――高速で迫るそれらを次々落としていく、武蔵。
その間一瞬たりとも大和から意識を外すことはしなかったが、しかし彼はそれを承知の上で堂々武蔵に剣で勝負を挑む。
二天一流、五輪の書……宮本武蔵。
日本最強と呼ばれた剣士の逸話を聞いたことのある者であれば、誰もが恐れ知らずと声をあげたろう光景。
大和は剣も極めているが、当然武蔵と正面から張り合える次元には達していない。
場数も、生まれ持ったセンスも――間違いなく彼女の方が上だ。
まともに戦えば至極順当に大和は負ける。
しかし、正面からの正々堂々とした技較べの場でないのなら……話は別だ。
「どうした。二天一流の開祖ともあろう者が、死合舞台の相手から視線を外すのか?」
「――なかなかいい性格してるじゃない、峰津院大和……!」
光槍一本一本の軌道を完全に把握した上で操縦しながら、踊り舞うように剣を振るう。
この状況では、さしもの武蔵も旗色が悪かった。
ロンゴミニアドの暴風雨を打ち落としながら大和と相対出来ている時点で十分に規格外ではあるのだが、この状況では何の慰めにもなりはしない。
「自信を失いそうだ。此処まで状況を整えてすら、こうも凌がれるとは」
「こっちの台詞だっての――!」
「本心だよ。正直、もっと手軽に潰せるものだと想定していたのでな」
継戦を続ける武蔵。
とはいえ、アッシュもこの状況を見逃せはしなかった。
剣士の戦いに横槍を入れるのは気が引けたが、武蔵に万一があれば戦線の維持は途端にままならなくなる。
炎を猛らせて武蔵の援護に向かわんとする彼のことは、しかし忘れてくれるなとばかりに龍脈の龍が阻む。
「それの反撃はたかが知れている。怖じることなく、叩き潰せ」
「ち、ッ……!」
武蔵でさえ、本気で臨まなければ手に余る龍脈の龍。
それを用いた"足止め"は、アシュレイ・ホライゾンというサーヴァントを封殺するには十分すぎた。
炎を炎で焼き殺すとばかりに放たれる火炎放射と、図体のでかさを活かした質量攻撃。
先ほど武蔵に一杯食わされた恨みを発散するように、龍の猛威がアッシュの行く手を阻み続け。
そしてその悪戦苦闘を嘲笑うように死角から迫ったロンゴミニアドの数本が――
「――があぁぁああああッ……!!」
アッシュの肉体を、神々しい槍衾へと変えた。
癒しの星に目覚めていなければ命すら危ぶまれただろう手傷。
そんな中でもしかし、彼は最適解を取る。
この先起こり得る展開を予期して、自分の肉体が引きちぎれるのも覚悟で光槍で地に縫い止められた身体を引き上げた。
肉が裂け、内臓が潰れる。
その凄惨な姿に、大和はふっと小さく笑みを浮かべて呟いた。
「正解だ。それでいい」
刹那、つい一瞬前までアッシュに突き刺さっていた槍が爆散する。
壊れた幻想を応用した確殺技。
生半な傷ならすぐさま癒してしまう彼をどう殺したものかと考えた大和が、戦いの傍らで考え出した戦法だった。
直接肉体に宝具を突き刺し、その状態で炸裂させて――身体そのものを細切れに爆散させてしまえばどうかと。
恐ろしく容赦のない、それでいて現実性のある"不死殺し"から辛くも逃げ延びたアッシュだが、至近距離で宝具の爆散を浴びたその身体は襤褸切れのように宙を舞って地面を転がる。
「づ、っ……お゛、ぉおおお゛おぉ゛おお゛お゛おォ……!!」
血の纏わりついた粘っこい雄叫びをあげながら、アッシュは出し得る限り最大限の火力を放って光槍の追撃を凌ぐ。
幸いにして、大和の中での抹殺の優先度は武蔵の方が彼よりも上だった。
そのため、武蔵に比べて戦闘能力で劣る彼でも何とか"凌ぐ"だけなら可能のようだったが……
結局、大和の意図した通りに戦端は分断された結果であった。
武蔵は大和が。アッシュは、龍脈の龍が。
一対一の状況を作り出すことにより、二度と猪口才な連携を打たせない。
そして本来なら手に余る相手である武蔵に対しても、大和は確かな勝算を有していた。
このロンゴミニアドの雨だけに限らない――複数の勝算をだ。
「カレイドフォス」
起爆のコマンドワードを口にするなり、武蔵は打ち合いの中断を強いられる。
周りを取り囲むように飛来していた光槍が、軒並み感光したのだ。
物理的な破壊力も秘めた眩惑の炸裂に、揺らぎブレる武蔵の視界。
それを無慈悲に突くようにして、聖性すら帯びた槍の数々が今度はアッシュに対して見せたのと同じように爆ぜる。
至近距離の爆裂に灼かれ傷つく武蔵の身体。
いざ命を奪わんと、大和は彼女の喉笛を目掛けて刺突を繰り出すが……
「――侮るなよ、若造」
ぞわり、と。
大和はその時、二度目の悪寒に身を震わせた。
読み違えたと悟った。そして、見誤ったと理解した。
視覚も聴覚も潰し、爆風で触覚での気配探知すら念入りに潰した上での必殺。
だが、それでも不足だったのだ。
剣豪宮本武蔵は、たとえ盲目の聾唖と成り果てたとしても――たかだかそれしきのことでは討ち取れない。
無明の暗闇の中にある筈の、武蔵が。
正確無比な剣を振るって、フェイトレスを一刀のもとに叩き折る。
瞬時に中空のロンゴミニアドを手に取り、即席の迎撃武器とする大和。
しかしそれすらもが、返す刀で彼の手を離れて落ちた。
さしもの大和も舌打ちをする。
その時一瞬、武蔵の眼が見えた。
翡翠色の輝きを放つその眼を見て、大和はこの異常な"冴え"の正体を悟る。
「――魔眼か!」
「正ぇ、解ッ!」
正しくは――天眼。
未来を一つに収斂させ斬り伏せる眼。
対象(なにか)を斬るという目的を成就させる、最適解をもたらす魔眼。
たとえ視界を奪われようとも、この女武蔵は盲目に非ず。
暗闇あるいは白光の中にあろうが、武蔵の存在は常に彼女が斬ると決めた相手に対し投射されている。
ならば止まりなどしない、迷うこともない。
宮本武蔵は必ずや、斬ると決めたその対象を斬り伏せる……!!
「挑んできたのは貴方の方なんだもの。この期に及んで尻尾巻いて逃げ出すとか、そんな無粋はナシにしてよ――!」
大和の心に、恐怖という感情はこの状況に置かれてもなお一切ない。
ただ、実感があった。
二天一流・宮本武蔵――彼女はまさしく、剣を振るって何かを斬ることに生涯を費やした一体の鬼であるのだと。
新たにそう悟りながら、光槍の残機を手繰って武蔵の猛追を迎え撃ちにかかる。
しかし、その一瞬を引き裂くように。
夜闇の中に、一発の銃声が轟いた。
……この戦場に、決して姿を現すことなく。
徹底的に気配を殺し、一瞬を待ち続けた男が居る。
――
メロウリンク=アリティ。
悪意の道化に主を奪われ、復讐の業火を燃やす彼。
その標的はアルターエゴ・リンボ、
蘆屋道満を除いて他にはなかったが。
だからと言ってリンボ以外の全てを無視し、復讐のためだけに全生命を燃やすほど彼は視野の狭い男ではなかった。
霊地争奪戦において283プロダクション勢力(じぶんたち)が勝利を収められなければ、彼女達の目指す結末は大きく遠のく。
メロウリンクは復讐を目指す一方で、今は亡き自身のマスターの友人達が……"今の"マスターである彼女達が望むハッピーエンドに対して惜しみのない力添えをする気でもいる。
だからこそ、彼はこうして今回の戦端においても最善を尽くした。
最良、最高のタイミングで。
あの時撃ち抜いたベルゼバブの、今度はそのマスターの頭蓋へと鉛弾を放ってのけたのだ。
軌道には一ミリのブレもない。峰津院大和を射殺できるだけの状況が、この場には完全に揃っていた。
しかし。
「今度は私から言わせてもらおうか。侮るなよ、人理の影法師風情が」
同じにはならない。
大和は、遥か彼方でスコープ越しに狙うメロウリンクとあろうことか視線を合わせた。
凶弾を指先で掴み取り、そのまま魔力を流し込んで爆ぜさせる。
それと同時にバック宙の要領で空中に身を躍らせれば、メロウリンクの銃撃は即席の散弾と化して武蔵に降りかかった。
さしたる傷にならないのは百も承知だ。
しかしほんの一瞬――コンマ一秒未満の時間でも、武蔵の意識にノイズを紛れ込ませることが出来れば大和としては十分だった。
「スナイパーの警戒など、物心付いた頃からずっと続けているぞ。
私の不意を突きたいのであれば、核地雷の一つ二つは用意しておくべきだったな」
その時間さえあれば、残りのロンゴミニアドが武蔵へ追いつく。
巻き添えを食うことを承知の上で即座に起爆。
大和は武蔵共々爆炎に巻き込まれながらも、確殺の圏内から離脱を果たした。
その上で一本だけ残した光槍を突き出し、彼女の切っ先と激突させる。
恐るべきセンス、頭脳、そして判断力と度胸。
峰津院大和――この男は一体、何を持ち得ないのか。
されど大和は自身の成し遂げた超人技を誇るでもなく、空を見上げた。
そして小さく舌打ちをする。
面倒なことになった、とでも言いたげな仕草だった。
「……光月おでんめ。しくじったな」
武蔵も、そしてアッシュも。
大和と時を同じくして、空を見上げた。
雲の閉ざす天蓋、更にその向こう側から。
この場所へ迫ってくるものがある、落ちてくるものがある。
"それ"は、あまりにも巨大な魔力の塊であり。
そして――
怖気が立つほど純粋で無慈悲な、"強さ"の塊だった。
.
……轟音と共に、天から鬼が降ってきた。
それには角があった。
巌のような筋肉と、そして人にあるべきではない鱗があった。
黒い稲妻を纏って落ちてきた"それ"の金棒が、龍脈の龍を地に叩き伏せていた。
「あァ~~~……頭痛え………。
悪い酒を呑んじまったなァ…………気分が悪い……こんな蛇の一匹も笑って許してやれねェほど、最低の気分だ………………」
その男と実際に対面するのは、少なくとも武蔵とアッシュは初めてだった。
だがそんな彼らも、常にこの鬼の存在を頭の中に入れながら戦っていた。
何故ならこれが此処にやって来る展開は、彼らにとって最悪の展開の代表であったから。
龍脈を起動させ、龍脈の龍を従えた峰津院大和。
彼だけですら骨が折れるというのに――そこにこれが乱入する事態となれば、いよいよ以って先が見えなくなってくる。
しかしこれのことは、光月おでんが食い止めてくれる筈だった。
にも関わらず、これは此処に来て。
そしておでんの姿は、此処にない。
それが意味するところは、つまり……。
「誰の許可を取ってその姿を取ってやがる……!?
ヒョロっちい小僧に顎で使われるような腰抜けのミミズ野郎が……!
このおれの姿を真似てんじゃねェよ……おおぉおおお、情けなくて涙が出てくらァ……!!!
ベガパンクの野郎が做ったまがい物のあの小僧の方が、てめえなんざよりずっと骨があったぜ……!!!」
目元に浮かんだ涙をごしごしと、丸太どころではない太さの豪腕で拭って。
その場に座り込んだ格好のまま、鬼は武蔵、アッシュ、それから大和と順々に指を差した。
「お前。お前。それから、お前。
お前ら三人、今すぐ選べ。おれの軍門に下って、大人しくこの"霊地"を明け渡すか――――」
龍脈の龍を一撃で地に伏せさせたことなど、一切誇らず。
自身の相手を任されながら仕損じた光月おでんのことを、罵りもせず。
「――――死ぬか、よォ……! 選びやがれってんだ、うぉおおぉおおおおォォォォん…………!!!!」
過去を乗り越えた"四皇"、百獣のカイドウは――何処までも傍若無人に、最後通牒を突き付けた。
――今宵の明王は、泣き上戸だ。
最終更新:2023年01月12日 23:43