それを、最初武蔵は異世界と見紛った。
黒死牟は、幽世へ迷い出たものかと感じた。
東京都・渋谷区。
一月に及ぶ聖杯戦争の中で、現代より遥か以前の時代に生まれ落ちた彼らも幾度か足を運んだだろう町。
しかしそこは今や武蔵達の知る渋谷ではなくなっていた。
それどころか彼らのマスターを呼び出してこの光景を見せたとしても、誰もが皆一様に言葉を失って沈黙しただろう。
「これは……流石に、壮観と言う他ないわね。何をどうしたらこんな有様になったのか問い質したいくらい」
渋谷で起こったことについては武蔵も聞き及んでいる。
海賊
カイドウの宝具鬼ヶ島による軍勢召喚、そして起こった大虐殺。
更に鬼ヶ島の墜落で難を逃れたわずかな生き残りも圧死の末路を辿り、区一つが新宿や世田谷に続く形で壊滅状態へと陥ったのが数時間前。
そう聞いていた。なのに――今、武蔵らの前に広がっている景色はそんな血腥い経緯を辿った町とは思えないほどに華やいでいた。
比喩ではない。
文字通り、今の渋谷は華/花で満ちていたのだ。
桜が、咲いている。
俗に言うソメイヨシノの特徴と類似した美しい花々が爛漫と咲き誇っている。
アスファルトやコンクリート、果てには街路樹の残骸や瓦礫の木片からさえも木が伸びて花が咲く。
辛うじて倒壊を免れたビルの内から窓を突き破ってあらぬ方向へ茂る桜。
かつて人間だったろう肉片に根を張って咲く、桜。
桜の幹から宿り木のように育ち枝分かれしていく、桜。
兎角ありとあらゆる桜が立ち並び、区全体が一つの桜並木道とばかりの有様を晒していた。
「魔力は……感じないわね。ていうことはやっぱり、これは――」
異常極まりない、異界の美しさ。
目に見えるほどの速度で成長しては拡散していく桜の樹海は、この町で落命した犠牲者達の墓標のようだ。
風が吹く度に薄桃色の桜吹雪が舞う町で、武蔵は眉を顰めながら花弁の一つを手に取った。
手のひらではらりと解けて消えていく花弁。そこから魔力の波長は感じないが……しかし、この匂いには覚えがあった。
思い出すのは痛恨の記憶。
今に至るまで、武蔵の身と心を苛み続けている敗北の景色。
異界・鬼ヶ島で相対し、武蔵とそのマスターに恐るべき真実を突き付けた男。
武蔵を排除して梨花を攫い無力化し、今に至るまで囚われの身に貶めている宿敵の一人。
「皮下、真……」
これは間違いなく、あの男の匂いだった。
相対した時から、妙な男だとは思っていた。
人の形をしているが、間違いなく人ではないと。
人であることを止めてしまっている手合いだと、そう感じていた。
だがそれでも、少なくともあの時は此処までの芸当が出来るほどの力は感じなかった。
単に爪を隠していただけなのか、それとも当時はまだ今ほどの力を振るえる状態ではなかったのか。
真相は定かではないが、今何よりも重要なのは皮下の生死。
「十中八九、生きてるでしょうね。イタチの最後っ屁にしちゃちょっと派手過ぎるもの」
つくづく、悪党ほど死に難いものだとそう実感する。
皮下の生死は未だ不明のままだが、もしも生存しているとすれば――もとい、主従揃って生存しているとすれば厄介だ。武蔵は歯噛みする。
霊地争奪戦の折に東京タワーでわずかな時間だけ邂逅した、海賊カイドウ。
武蔵は数多の世界を放浪し、その中で数多の強敵を相手取ってきた。
怪物超人魑魅魍魎、神仏の類ですらもはや見慣れて始めているほど。
その彼女の目から見ても、あの怪物は上澄みも上澄み。
獣国の雷帝はおろか、ギリシャ異聞帯で目の当たりにした恐るべき神々とさえ比較が容易に成り立つ。
――あれは、武の化身だ。
戦の神、荒ぶる龍(カミ)だ。
もし生きているのだとすれば、誇張なくそれだけで全ての生存者にとって事情が変わる。
単騎で聖杯戦争を終わらせかねない最強の生物。
この界聖杯で、あらゆる
ルールを取っ払って号令と共に殴り合いをさせたなら最後に残るのがあの巨漢海賊だ。
「それにしても。あーあ、この状況じゃなかったら一献洒落込みたいところだったのになあ。
これだけ見事な桜、世界の垣根を飛び越えて回ったってそうそうお目にかかれるものじゃないわよ。
ねえ、お侍さん。あなたもそう思わない?」
いたずらっぽい笑顔を浮かべて、くるりと後ろを振り返る。
後方にて佇むのは、六つ目の鬼。
桜の枝葉の隙間から降り注ぐ陽光を浴びても、灼けも焦げもしない佇まいがそこにはある。
武蔵の言葉に対して、彼――黒死牟は不動だった。不動のまま、ただ呆れたように言葉を紡ぐばかりだった。
「下らぬ………興味など、ない…………」
「ちぇっ。諸々晴れても堅物なところは変わらないのね」
「お前が、特別軟派なだけだろう……」
軽口に殺意が返ってこないようになったことは、進歩と言っていいのだろう。
唇を尖らせ不平を漏らしながらも、武蔵は内心そう悪い気分ではなかった。
聖杯戦争の世知辛さや過酷さを常に矢面に立って受け止めるのが英霊の仕事だ。
それなら、マスター達とも違う何の気兼ねもなく関わり合える相手が多いに越したことはない。
「第一……――休息に耽る前に、やるべきことがあろう」
呟いて、黒死牟は北西の方を見つめる。
そして一足、二足と前へと踏み出した。
その動作の意味は武蔵にも伝わっている。
彼女もまた、黒死牟と同じものを感じ取っていたからだ。
かの方角から漂い、匂う――同族(サーヴァント)の気配。
恐らく新手だろう。形はどうあれ、接触を図らない手はない。
だが自分を連れ立つこともなく一人そちらへ足を向けた黒死牟に対しては、武蔵も多少不満があった。
「ちょっとちょっと。二人がかりでの方がいいんじゃないの?」
「不要だ……貴様に、侮られる筋合いはない………」
「そういうこと言ってるんじゃ――」
「…………それに…………」
黒死牟が一度、その足を止める。
かつては悪鬼と呼ばれ、人を喰らいながら武を語り、妄執を抱いたまま地獄へと堕ちた男。
そして今は、妄執の名残がもたらす痛みを抱きながら尚も生き続けるしかない迷い鬼。
「その有様で、些末な露払いのため身を削るなど……自刃にも似た、不毛であろう…………」
「――、――……驚いた。いつから分かってたの?」
「見縊るな……甚だ不快だ……。骨の髄にまで絡み付いた異界の死毒、一目見ればすぐに分かる…………」
彼は、届かなかった者だ。
至れなかった者だ。
それでもその身は、とうに人の身が辿り着ける武の極致に片足を踏み込んでいる。
明鏡止水。至高の領域。悟り。――"透き通る世界"。
そう呼ばれた眼を持つ黒死牟には、当然のように女武蔵がその身に抱えた毒の色が視えていた。
だからこそ彼は此処で、武蔵を温存する選択を取ったのだ。
毒に侵された身を道半ばで酷使するよりかは、自ら汗を流して未来の"いざ"に備えさせた方が良い。
その思考は一聞すると合理の極みのようだが、しかし自ら以外の何も省みない悪鬼の在り方とは確実に相反したそれだった。
そのことを、果たして黒死牟は理解しているのかいないのか。定かではないし、どちらでもいい。少なくとも武蔵は、そう思った。
「ちなみに、ご意見伺ってもいいかしら。……どのくらいヤバそう、これ?」
「……ただちに死に至るものでは、ない……。だが、既に骨絡みだ……此処で貴様が死するまで、永劫にその身を蝕み続ける………」
「……やっぱりね。延々生殺しにされるってわけか――うーん、清々しいほど最悪。可愛い顔してとんだエグいものぶち撒けてくれたわ、あの絡繰娘」
武蔵の身を蝕む毒。
その名を、霊骸という。
機凱種の動力。
回廊から吸い上げては殺し、その残骸として排出された不純物。
人体であろうが霊体であろうが等しく蝕む、まさに異界の死毒だ。
故に通常の魔術で取り払うことは不可能。ましてや魔術に長ける者のいない方舟勢力では、僅かな希望すら見出し難い。
天元の花は蝕まれている。
そしてそれは、彼女が慮っている気になっていた月の鬼にすら見透かされていたようで――その事実に恥じらいを覚えつつ、武蔵は笑った。
「じゃあ、此処は素直にお任せしようかしら。その方がそっちにとっても良い気晴らしになりそうだし?」
「……抜かせ……。知った風な口を、利くな…………」
他人に頼らないことを美徳と覚えるほど、武蔵は稚くはない。
そこまで見抜かれているのなら、もはや是非もなし。
これ以上の議論は不毛だと踏み、黒死牟の厚意に甘えることにした。
鬼の厚意というのも妙な話だが、その妙さもきっと喜ぶべきことなのだろう。
今はもう亡い天禀の剣士と、鬼に向き合い続けたお日さまの少女の顔を脳裏に過ぎらせながら、武蔵は往く彼の背中を見送った。
「ホント……私も、しっかりしないとね」
体内を蝕む激痛は、あの時浴びた毒がまだ生きていることを如実に物語る。
進行増悪を続けるこの毒は、いずれ必ず自分の行く末を翳らせるだろうと断言できた。
二天一流、大胆不敵の新免武蔵が病に侵され不徳の身などと知れ渡れば笑いものだ。
剣を交わして語り合い、偉そうに説教を垂れた相手に慮られた事実を噛み締めながら、武蔵は桜の舞う道を進む。
怖気立つほど美しい桜吹雪も、むしろ望むところ。
彼方の地から響いた覇の咆哮、その余波を浴びながら――武蔵は思わず苦笑した。
大乱は直に始まるだろう。
いや、ともすれば今のが既に銅鑼だったのか。
どちらにせよ、休まる時は恐らくない。
錆付き病んだこの身で何ができるか、不安でないと言えば嘘になるが……
「上等、よ」
ならば良し。
その苦境すら斬り伏せ、己が研鑽に変えてみせよう。
確かな覚悟と共に呟いた一言は、武蔵の心胆に薬のように沁みていった。
◆◆
蒼雷、迸る。
桜、桜、桜、桜。
美しき幽世の桜が、数多の血を吸って永らえてきた夜の桜が咲き誇る渋谷の街並みを切り裂くように走ったそれを黒死牟は刀身で斬り捌いた。
雷切なぞ、鬼となったその身ではもはやとうの昔に過ぎ去った偉業に過ぎぬ。
振り被った刃を薙ぎ払うなり、雷霆の跳梁を赦さぬとばかりに無数の三日月が現出して都市の残骸を斬り刻む。
現れ攻めるは、蒼き雷霆。
受けて立つは、月の鬼人。
強い、と思う。
出来る、と感じる。
無言のままに互いの力量を見据えるのは、互いの強さ故のこと。
わずか一度の邂逅にして油断慢心の贅肉を削ぎ落とし、次の瞬間には英霊達はまた風と化した。
月の呼吸・陸ノ型――常世孤月・無間。
溢れ出す、月の雨霰。
巻き込まれれば忽ち肉片に変わるだろうそれを、雷霆の彼はしかとその眼で見据えていた。
見切るなぞほぼ不可能。間合いの外に飛び出すだけでも至難。
剣の心得で言えば黒死牟に遥か劣るだろう蒼雷……ガンヴォルトは、そう確信する。
白昼、晴天の空の下に轟く雷鳴。
雷を扱う鬼には覚えがあった黒死牟だが、眼前の彼が繰り出す技の冴えはそのどれをも超えていた。
斬撃の力場をすらねじ伏せながら、雷は響いてその間を縫うようにガンヴォルトが駆ける。
戦闘経験を頼りにして臨めばすぐさま足元を掬われる月の呼吸を、初見で苦しくも乗り越えるセンス。
厄介だ、と黒死牟はそう思う。それと同時に、ガンヴォルトが彼に向けて何かを放った。
「小癪…………」
追尾弾(ダート)の本質を、歴戦の鬼狩りである彼は即座に見抜く。
故に切り捨てる。その隙を縫うように迫った雷霆の一撃は、しかし事もなく異形の刀身によって受け止められた。
ガンヴォルトの怒涛の攻めを、聳え立つ巌のような堅牢さで受け流す黒死牟。
厳しい剣閃の一つ一つが、這うように空を滑って雷を斬る。
同時、それに付随する形で撒かれた月の力場がガンヴォルトの肩口を掠めた。
「(刀の軌跡に合わせて、鋭利な力場を配置しているのか)」
否、それだけではない。
単なる配置型の罠(トラップ)であれば、警戒していれば造作のない障害だ。
敵が作り上げた領域を踏破して打倒を成し遂げる、それはガンヴォルトにとって最も慣れた趣向の戦いだった。
にも関わらず今、掠り傷とはいえ出血を許したのは、つまり敵方の剣は地雷まがいの罠ではなくもっと性悪な仕掛けを宿しているということ。
時間経過と共に、ランダムな収縮/膨張を行う斬撃の力場。
まさに月が満ちては欠けるが如し、この仕組みがガンヴォルトの脳内に浮かび上がる。
舌打ちの一つもしたい気分になった。
面倒などという次元の話ではない――こうも悪辣な仕組みを、これほどまで道を極めた剣士が用いてくるとなれば、難易度は桁違いに跳ねる。
コォオオオオ、という独特の呼吸音が耳を突く。
特殊な呼吸法による自己強化。力場の散布。そして本命の斬撃。
三種の神器を束ねて襲い来るその姿は、ガンヴォルトにはまさしく悪鬼に思えた。
桜舞う町で、陽の光の下で戦っていることの奇妙さを除けば彼はまさしく鬼そのものだ。
展開される次なる剣技。雷雲をも切り裂き輝く月の鬼が、その秘剣を開陳する。
「侮るなよ、セイバー」
月の呼吸・参ノ型――厭忌月・銷り。
桜吹雪を薙ぐ剣を、ガンヴォルトは己が蒼雷で迎え撃った。
その出力はもはや、青龍に遅れを取った時の比ではない。
錆を落とした鬼が、尚も異形の剣を滾らせて舞うならば。
輝くことを望まれた男もまた、己が雷(ねつ)を武器に月光を喰らわんと猛る。
「迸れ――蒼き雷霆よ」
黒死牟の眦が、動く。
出力で彼の剣を上回る熱が、雷霆が吹き抜けてその裾を焦がした。
刹那にして黒死牟は危機を直感する。それと同時に三叉に分かれて肥大化する鬼刀。
迫る稲光を一つ、二つ、いやさ数十と切り捨てながら切り結ぶその表情は厳しい。
手練だ。そう感じた。
技巧ではなく出力と執念、それを寄る辺に戦う手合い。
黒死牟の脳裏へ走ったのは、彼の数百年に及ぶ生涯へ終止符を打った鬼狩りの剣士達との決戦だった。
あの時のことを思い出したその事実をもって、黒死牟は全ての様子見を排除する。
英霊となるに当たりとうに癒えた腹、霞の柱に赫刀で貫かれたそこが疼く幻痛。それが、不吉の予感であると確信したから。
「瞬く月をも撃ち落とす、殲滅の光となれ!」
月の呼吸・捌ノ型――月龍輪尾。
抉り斬る巨大な一閃に、しかしガンヴォルトは退かない。
電磁結界の出力を上げて最大限の防御を実現させつつ、火力と推進力に身を任せて押し通る。
ガンヴォルトが頼ったのは貫通力。ただ一点のみに集約させた、壁に孔を穿って突き破るための力学論。
これを用いて月の薙ぎを超え、遂に黒死牟が彼の雷の届く射程内へと収まった。
響く深い呼吸、それが剣技/血鬼術へと繋がる前に、少年は月を喰うための雷を詠んだ。
「天体の如く揺蕩え雷。
是に到る総てを、打ち払わん……!」
――《 LIGHTNING SPHERE(ライトニングスフィア) 》――
生まれ解き放たれたのは、無数の雷球であった。
その数はしかし、クードスが溜まる前のそれとは比べ物にもならない。
更に今回に限って言えば、これは黒死牟を単に滅ぼすためだけに繰り出したわけですらなかった。
「(――牢か)」
そう、牢だ。
黒死牟を取り囲んで逃げ道を塞ぐ、雷の牢。
彼が剣客である以上、足場と剣を振るうための余白は必要不可欠だとガンヴォルトはそう踏んだ。
月の呼吸は血鬼術であると同時に、剣技という型に縛られている。
足運び、歩法、振りかぶる動作に放つ動作。
厳密に完成されたそれを雷球の檻という障害物で妨害し、反撃の幅を極端に狭くする――ガンヴォルトの狙いはそこだ。
しかし黒死牟は、不動。
焦りはせず、息を荒げることもない。
代わりにもう一度、先の焼き直しとなる言葉を吐く。
「小癪」
浅慮、早合点。
悪鬼が剣の型に縛られ動けなくなると、本気でそう夢想したかと。
ガンヴォルトに対しそう突き付けるように、黒死牟は彼にとって初見の不条理を解き放った。
足、腕、身体の重心、いずれも不動のままに放つ伍ノ型。
月魄災渦――月に招かれた螺旋状の斬撃が、彼の行動可能範囲を無理やり押し広げながらガンヴォルトへ迫る。
そして振り上げる、虚哭神去。
小癪と断じはしたが、実際ガンヴォルトの策は黒死牟にとって予想外のそれだった。
だが、ならば予想の範疇に戻してやればいい。
頭上の余白を確保することで堂々と刀を振り上げ、そして降ろす。
月の呼吸・玖ノ型――
「……ッ!」
降り月・連面。
降り注ぐ斬撃は、決して経験の幅が狭くはない筈のガンヴォルトをして理解不能と言う他ない複雑さに怪奇していた。
どうにか受け止めるものの、腕を這う斬り傷がそれが苦し紛れの対応であったことを物語っている。
そしてその上で、追い打ちのように発生した三日月が彼を取り囲んだ。
直感する、死線。
恐るべき相手だと、改めてそう思った。
人の身を超えて尚、幾星霜の年月をただ剣のみに注いだ者。
その技の冴えが、喉元にまで死を突き付けて来ていることを実感した。
事実、このままであればガンヴォルトは数秒後には無数の力場によって膾切りの憂き目に遭うだろう。
そうでなくとも黒死牟の追撃が来て、首なり胴体なりを泣き別れにされるかだ。
どうしようもない詰み、断崖絶壁の淵――ただしそれは、彼に残りの手札がないならばの話。
「氷の鬼を知っているな、セイバー」
「死んではいないと、思っていたが……よもや貴様が、童磨を屠ったのか…………」
「いいや、違う。ボクとしてもいつか決着を着けたい相手だったが……結局その機会は得られずじまいに終わってしまった」
思うにあの鬼には、どうしようもなく熱量というものが欠けていた。
ガンヴォルトはそう思う。
頭抜けた力を持っているし、その気になればそれを余すところなく解き放つこともできる。
だが、その力を額面の数値以上にする能力を……炎を、あの童磨という鬼は持っていなかった。
それが、彼が上弦血戦の唯一の敗者として放逐された理由。
彼と何処か似た気配を感じる月の鬼と相対しながら、ガンヴォルトはそう所感を抱いた。
哀れな。それでいて、愚かな男だった。奴がしょうこに対してしたことを許すつもりなどは、毛頭なかったが――
「一時とはいえ轡を並べて戦った相手だ、弔う義理もなくはない。剣鬼よ――その首、貰い受けるぞ」
地獄の観覧席に、知人を送る程度の義理はくれてやろう。
宣言すると共に、ガンヴォルトが灯す雷霆の出力が突如数倍にまで上昇した。
次に驚愕するのは黒死牟の方だ。あまりに急激な数値の上昇。不測の事態が、剣鬼の試算を狂わせる。
計七騎分に相当するクードスの蓄積。
ミラーピースを介して継承した、"彼女"の遺志。
それは、ガンヴォルトの霊基を次の運命へと飛翔させた。
霊基再臨。その上で今、行使したのは――霊基の強化。
魔力の消費が大きい以上易々と使えるものではないが、試しておかなければ有事に備えられはしない。
だからこそ、ガンヴォルトは踏み切った。彼は眼前の"上弦の鬼"を、力の試運転に使うことを決めたのだ。
雷鳴、ひとつ。
次の刹那――ガンヴォルトの姿が、消えた。
「……!」
いや、違う。
黒死牟にだけは、その認識が誤りだと分かる。
至高の剣に及ばんとし、双眸の数を三倍にまで増やした彼の超越的な動体視力であれば目視ができた。
まさに雷霆そのものと化す芸当。高速を超えた、雷速での高速吶喊!
それが事の次第の正確なる実像であると、理解した時にはしかしもう遅い。
「――が」
腹部に食い込んだそれが拳であると理解した時には、既に黒死牟の身体は吹き飛ばされていた。
景色が線へと変わる。虚哭神去を杭代わりにして強引に止めなければ、何処まで飛ばされていたことか。
口元から垂れた血を拭う暇はない。月の剣戟を振るい、迫る雷霆を堰き止めんとする。
その猛攻を引き裂きながら差し迫るガンヴォルトの姿は、さながら雷の化身の如しだった。
次いで叩き込まれる雷撃の応酬。
捌き切れなかった分が身を焼く。鬼の再生能力でも瞬時には賄えないだけの熱傷が、黒死牟の痩身を焦がしていく。
明確な不快さに瞳が歪んだ。黒死牟は退くのではなく、前へと踏み出す。
灼く。灼く――か。
「貴様、ごときが………」
我が身を前に、熱を名乗るか。
苛立ちのままに放たれる剣は、明らかに先ほどまでと比べて威力が増していた。
雷という自然現象を相手に刀一本で挑む代償は、些末なものとして切り捨てる。
頸を落とされる前に、頸を落とす。
ごく単純な理屈のままに押し寄せる月の剣技を、しかし今のガンヴォルトの眼は正確に捉えていて。
――《 VOLTIC CHAIN(ヴォルティックチェーン) 》――
走る鎖が、月の呼吸が災禍を呼ぶ前に中空で刀身を絡め取った。
同時に、かの"旱害"にすら膝を突かせた雷が黒死牟の全身を駆け抜ける。
奥歯が砕ける。それどころか顔面の骨そのものが砕けそうなほど牙を噛み締める黒死牟だったが、しかし彼はあくまでも冷静だった。
脳裏をよぎる光景があるのだ。
悪鬼・黒死牟の今際のそれではない。
数時間前。朝日の中に消えていった、忌まわしい顔。
追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて。
それでもついぞ追いつけない、黒死牟にとっての永遠の壁であり、そして■■である存在。
――ああ、そうだ。
この身には、この身を滾らせる熱がある。
炉心のように魂を灼き続け、動かし続ける熱がある。
誓いは破られ、妄執は朝日に消えた。
あの男が、あの弟が自分よりも先に英霊の座へと退去して逝ったその事実が、黒死牟の剣を、それを振るう腕をかつてない領域に高め上げる。
そうして起きた現象は、ヴォルティックチェーンの縛鎖を素の膂力と剣の冴えのみで断ち切るという異次元の所業だった。
かつてならばいざ知らず、今の黒死牟を捕らえるのに鎖の一つ二つではあまりに役者不足だ。
宿業という呪わしき縛鎖から解き放たれた彼にとって、他の鎖が一体どれほどの障害になろうか。
侮りの報いに放つ、拾ノ型――穿面斬・蘿月。雷と、月とが、轟音と閃光を奏でながら激突する。
「……ボクの判断は、間違いではなかったようだ」
温存も出し惜しみもとんだお門違い。
ガンヴォルトは事此処に至り、改めてそれを確信する。
恐るべき鬼だ――そして恐るべき剣客だ。
喉元まで差し迫る刃の冷たさに、心胆から魂が冷えるのを感じずにはいられない。
強い。伊達にあの大戦を生き延びて此処に立っているわけではない。
「(場合によっては……此処で)」
"この先"を遣うことも、視野に入れるべきだ。
ガンヴォルトはそう考えながら、電磁結界が爆速ですり減る現状に眉を顰めた。
剣が奔る。応えるように、雷が躍る。
互いに回避よりも攻撃に重きを置いた、光と光、物理と現象の応酬。
ただ、わずかにガンヴォルトの方が優勢ではあった。
根本的な出力の差が、両者の間に存在する差を徐々に徐々にと広げていく。
展開された三日月の減る速度が増している。
それは即ち、黒死牟が敷いている防衛線が少しずつ後退していることを示していた。
このまま行けば遠からぬ内に押し切れる。
その頸を、取ることができる。
そう確信しているにも関わらず安堵を覚えさせないのは、黒死牟の剣に滲む文字通りの"鬼気"だった。
宿業からの解放。
それはしかし、彼の歩む道を安穏に変えはしない。
むしろ逆だ。黒死牟は今も、自身を悪鬼と謗る全ての声を遥かに超える自傷めいた覚悟と執念を自身に課し続けている。
縁壱。己が眼前で消えていった、あの男。
彼が死んで、自身が生き残ったこの現実。
此処でこの剣が、この業が遅れを取るような体たらくを晒すことだけは罷り通らない。決して、許されない。黒死牟はそう信じる。
その思考こそが、彼の剣を縁壱に対する妄執のみを糧にしていた頃のそれより遥か上の領域へと高め上げ。
有利に立ち回り続けている筈のガンヴォルトにさえ焦燥感を抱かせるほどの、鬼気迫る殺陣を実現させていた。
強い。だがそれ以上に、恐ろしい。
知っていた筈だ。過小評価をした試しなど、誓って一度もない。
それでも、こうまで響くものか――譲れぬ何かを抱えた者との戦いというのは。
・・
「月の呼吸・拾漆ノ型――――」
――――呼吸、鳴動。
月輪、胎動――――。
錆の落ちた魂という名の刀身が、新たなる境地へ鬼を到達させる。
忌まわしいほど晴れ晴れとした視界の中で、黒死牟は雷霆を断つための剣を練り上げた。
数百年。止まっていた時計の針が動き出し、詰まっていた澱みが外れたのを皮切りにしたように。
打ち止めとなっていた剣技が、未だ誰も知ることのない型を新生させる。
それを受けたガンヴォルトもまた、最大の力をもって敵を排撃するべく力の真髄を覗かせた。
「GLORIOUS(グロリアス)――――」
雷剣、抜刀。
掲げし威信を切っ先に変えて、月の昇る夜天を切り拓こう。
雷刃極点此処にあり。聖剣をも超えて輝く栄光を齎すべく、ガンヴォルトが咆哮した。
小鳥の献身、遺志。
数多の激戦、邂逅。
その全てが、ガンヴォルトの力に変わって黒死牟を迎え撃たせる。
負けはしない。だから見ててくれ、さとう。
新たな主と彼女の"愛"にそう呟きながら、いざ高らかに雷霆の君は真銘を謳い上げようとして。
「はい、それまで」
そこで――双方の間を取り持つように、この場から逃された筈の女傑が着地した。
銀髪、多刀。
一目見た途端に、ガンヴォルトは彼女を手練れであると理解する。
だからこそ彼は顔を顰めた。面倒な事態になったと、そう思ったからだ。
雷剣の開帳でもろとも消し飛ばすのも"アリ"だが、どうするか。
逡巡する彼であったが、しかし彼以上に激しい不快感を滲ませたのは黒死牟の方。
「何用で、この場へ割り込んだ……事と次第によっては、只では――」
「ちょちょ、タイムタイム!
確かに良いところで割り込んだのは認めるけど、そこは私達が現在進行形で超ピンチだってことに免じてどうか! ね!!」
古今東西、死合の最中に横槍を入れられて怒らない剣客は居ない。
女――武蔵自身、気持ちは分かるからこそ彼女は黒死牟に汗を垂らしながら両手を合わせて平謝りした。
武蔵とて、できることなら最後までやらせてやりたかった思いはある。
とはいえ、だ。背に腹は代えられない。
次の大戦の気配が迫っている以上は、此処で黙って戦いの決着を見届けることはできなかった。
「二人がかりでも、ボクは構わない」
ガンヴォルトは、微塵の気後れもなくそう言ってのける。
実際、"試し"とはいえ魔力の消費の大きい霊基強化を切ったのだ。
多少以上のリスクを抱えてでも、敵を落とす方に舵切りするのは当然だろう。
だがそんな彼に、武蔵は内心の"唆り"を堪えながら言葉を向けた。
「もちろん、戦いそのものを悪し様に思ってるわけじゃないわ。
ただ、ね。貴方も感じたでしょ? 見過ごしておくにはちょ~っと具合の悪い、とんでもなく剣呑な"覇気"」
「……ああ。一度は矛を交えたことのある仇敵だ、当然気付いたさ」
「嘘、貴方アレと戦ったの? 良いなあ、私もこんな面倒臭いことになる前に私的に挑んでおきたかっ――こほんこほん」
青龍は。
四皇カイドウは、生きている。
それだけで今のこの現状は最悪に近いと言ってもいいだろう。
喉から手が出るほど、猫の手も借りたい状況なのだ。今の、自分達は。
黒死牟には後で誠心誠意詫びるとして、今はとにかくやるべきことをやらねばなるまい。
「信じて貰えるかは分からない。何しろ、私は根拠をぽんと出せる身分じゃないの」
「……何が言いたいんだ」
「ただ、話だけでも聞いて欲しいのよ。そして、貴方のマスターにも伝えて欲しい」
それが、今も安否の知れないあの子を救う近道になるとそう信じて。
武蔵は、訝しげに顔を顰めるガンヴォルトに向けて言った。
「みんなで手を取り合って、いっしょに助かる未来があるかもしれない。って」
大戦は近い。
だが、物語は廻る。
時が止まったように、春の風物詩たる桜が咲き誇り続ける渋谷区の只中で。
方舟の理想を聞き、それを素晴らしいと感じた一人の剣士が話を始めた。
◆◆
「……ふぅ、っ」
桜舞う、渋谷区のビルの一つ。
もう内部に人は居らず、廃墟然とした姿形を晒しているそこで、
松坂さとうは息を吐き出した。
肌にはじっとりと冷や汗が滲み、呼吸を整えながら飲み下したスポーツドリンクがやけに美味しく感じた。
「(耐えられないほどじゃないけど……やっぱりアーチャーの言う通り、結構きついな)」
霊基強化/強化形態。
魔力の消費が大きいとは聞かされていたが、此処でどれほどのものか試しておく必要があるというのにはさとうも同意見だった。
だからこそ、ガンヴォルトに判断の全てを委ねた。
その結果彼は力を解き放ち、今、さとうは返し風である魔力消費の反動で息を荒げている。
一発で致命的、というほどではないのは幸いだった。
けれど、短時間で連発したり本来の継続時間以上の使用を命じるのは少し危険だ。
前に従えていた鬼は、上弦血戦で全力を出した時でさえ燃費面は良好だったが、今回はどうもそうもいかないらしい。
ままならないものだ。もうこの世界では慣れっこだが、うまい話というのはなかなか見つからない。
さとうは溜息をつきながら、窓の外の桜を見やり思いを馳せる。
「しおちゃん、元気にしてるかな……」
さっきはああ言ったが、やっぱり心配なものは心配だ。
彼女が連合で誰と出会い、何を学んだのか。さとうは、何ひとつとしてそれを知らない。
ただひとつ確かなのは、もう
神戸しおはお城に閉じ込めて手を引いてあげなきゃいけない"お姫さま"ではないということ。
あの子は、ひとりで歩くことを覚えた。
それが誰のおかげなのかは、知らないけれど。
――しおちゃんが居る。
――この世界には、あの子が居る。
それを踏まえて考えられるようになったことで、さとうの勝利条件は随分とゆるくなった。
自分が勝たなくてもいい。しおが勝てば、それでいい。
最終的にしおが笑える形であるならば、どんな形だってそれは自分の勝利だ。
勝とう、私達のために。
勝とう。あの子のために。
甘い、甘い日々の残滓を鼻腔と口腔に噛み締めながら。
そう改めて誓ったさとうの手に、ひとひらの桜が載った。
それと同時だった――ガンヴォルトからの連絡が、届いたのは。
「……、……」
さあ、どうする。
利用、迎合、敵対。
三つの選択肢を浮かべながら、さとうは足を動かす。
砂時計は、逆さまになった。
◆◆
【渋谷区・製薬会社ビル内/二日目・朝】
【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(小)、ガンヴォルトと再契約
[令呪]:残り1画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:???
1:どんな手を使ってでも勝ち残る。
[備考]
※ガンヴォルト(オルタ)と再契約しました。
※神戸しおと擦れ違ったことに気付いてるのかは不明です。
【渋谷区/二日目・朝】
【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:胴体にダメージ(小)、斬撃の傷跡(複数)、疲労(中)、クードス蓄積(現在8騎分)、さとうと再契約、令呪の縛り
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:札束
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
0:???
1:さとうを護るという、しょうこの願いを護る。今度こそ、必ず。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
[備考]
※"自身のマスター及び敵連合の人員に生命の危機が及ばない、並びに
伏黒甚爾が主従に危害を加えない範疇"という条件で、甚爾へ協力する令呪を課されました。
※松坂さとうと再契約しました。
※
シュヴィ・ドーラとの接触で星杯大戦の記憶が一部流れ込んでいます。
※新宿区に落ちてたミラーピースを回収してます。
[ステータス関連備考]
※クードスの蓄積とミラーピースを介した“遺志の継承”によって霊基が変化しました。
①『鎖環』での能力が限定的に再現されています。
②クードスに関連して解放された能力が『電子の謡精』を除いて自由に発動できます。
これに伴い『グロリアスストライザー』もクードスを消費せず、魔力消費によって行使できるようになりました。
③強化形態への擬似的な変身も可能となりますが、魔力消費が大きいため連続発動は難しいです。
『電子の謡精』による強化形態との差異は現時点では不明です。
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:全身にダメージ(回復中)、武装色習得、融陽、陽光克服、???
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:不明
0:……。
1:私は、お前達が嫌いだ……。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
【セイバー(
宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:ダメージ(大)、霊骸汚染(中)、魔力充実、 令呪『
リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』、第三再臨、右眼失明
[装備]:計5振りの刀(数本破損)
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:マスターである
古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:こっちでも、やるべきことはやらないとね……。
1:渋谷区での気配探知に同行。
2:梨花を助ける。そのために、方舟に与する
3:宿業、両断なく解放、か。
4:
アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
5:アルターエゴ・リンボ(
蘆屋道満)は斬る。今度こそは逃さない。
※古手梨花との念話は機能していません。
時系列順
投下順
最終更新:2023年06月20日 19:49