真夏の界聖杯に、春が盛る。
季節を無視して木々の色が変わる。
盛夏もたけなわの新緑の枝先が、寿命短いはずの薄紅の桜に変わる。
そのような非常識を、精々ついでのように齎した
皮下真の通過跡を見て。
しかし、
リップ・トリスタンはそこに場違いさではなく、見覚えの方を感じていた。
概念系UMA、春夏秋冬。
己が支配する季節を押し付ける、憎き神のお気に入るたる魔獣だち。その中の一体。
人を、建物を、全てを桜並木へと塗り替えてしまう鬼がいたことを、思い出す。
もっとも、愛する女性に由来するものを『神』の手先になぞらえられるなど。
それは極めて皮下の本意でないところだろうとリップは先刻に知ったばかりだったが。
しかし、納得もあった。
それが自対象であれ、他対象であれ。
己でさえ好まない理不尽な枠組みを世の中に押し付けながらでなければ生きられない。
皮下が語っていた最愛の人もまた、否定の業を背負った『不死』の女であり。
不死と不治が不均衡となるのは、相性として必然だったのだと。
――もっとも、不死と不治の間で天秤になっていた『不運』の女を、売り渡してきたリップに皮肉る資格がないことも確かだが。
先刻まで酒を酌み交わす場として使っていた廃屋を、架かっている時計でも確認するような頻度で見上げては顔を背ける。
一時はあの出雲風子とも重ねるところのあった少女が、その一室で不可逆に余命を削り落とされているところだった。
委細を承知の上で、顔は合わせない。
形骸化した見張りにのみ徹する。
どちらの船に乗るかを定めた時点で、合わせる顔も、二度と逢う謂れもないと縁を切除したからこそ。
見張っていたとして、もはや逃げ出す余地も助かる目もない状態ではあったが。
捨て駒としてぶつける前に、第三者に踏み潰されたり介錯されるのは、打算としてそれなりに困る。
リンボらの潜伏しているおよその座標はシュヴィが探知した邪気の出所によって特定できるので、目覚めた後でぶつけるには困らないものだったが。
もしも
古手梨花が覚醒を果たすようであれば、それをもって直ちにお役御免を被りたい程度の雑用ではあったが。
百獣海賊団は大看板の捕食を持って船から降りきった。
墜落に呑まれた虹花たちも、大犬神の少女が立ち去った時点で完全消失となった。
皮下は開戦を告げると宣った上で渋谷区方面へと向かってしまい、であれば残ったのはリップたちのみとなる。
古手梨花を自らのサーヴァントに拾わせた上でリンボらに突撃してもらうためのアテはあり、その仕込みを見届ける為だとも言っていたけれど。
ソメイニンの残滓と、桜の開花とを撒き散らしながら瞬間移動によって移動している皮下の痕跡から、この廃屋にたどり着くことは容易でないのも、また確かだったし。
もしも、梨花の目覚めの方が先に訪れるようであれば、そのまま
北条沙都子の元へと嗾け、その騒動を持って自然合流は果たされるので結果は同じことだった。
その上でなお古手梨花のセイバーらが、先にこの廃屋に駆け付けるようであれば。
その時は依然として『不治』による梨花の即死装置と、武蔵への命令権とを獲得しているリップの方が上手く仕切れるだろうという段取りを組まれていた。
主従揃って前線に出られることを強みとするリップたちにとって、マスターがしばらく足止めされるのは本意ではなかったけれど。
――暗号法則――解析了。磁場制御――試行済。双方向映像通信――成立
その穴埋めとして、リップの手元には『シュヴィが見ている光景』をリアルタイムで共有している端末がある。
正確には、元からリップが持っていたそれに、シュヴィが干渉した結果がある。
機鎧種にとっての視覚機能から観測した映像情報を、現代の携帯端末に対応する動画として転送する。
それは現代の通信技術に一か月かけて習熟したシュヴィであれば、生じさせることは難しくない補助機能だった。
横長の画面になるよう傾けられた液晶には、災害現場を飛ぶ報道班のような画角からの空撮映像が映し出されている。
中央区から西方向へと飛翔することになれば、否が応でも黒ずんだ瓦礫に変わった一帯を幾つも目にする、そういう光景がある。
それは予想するまでもないことだったが、リップとしては『実際にこれを見ているサーヴァントの心痛』については予想した。
かといって『大丈夫か?』なんて言葉は、今さらお為ごかしでさえ使えない。
もはや心ある機械は、その災害へと心を痛める側でなく、振り撒く側としてのリップに従ったのだから。
より厳密には、『従った』という言葉を使うことさえ、シュヴィの覚悟を表すには足りないのだろう。
現状の行動は、他ならぬシュヴィの方から提案されたことなのだから。
カイドウが荒らしに向かった地点から適度に距離をあけてマークし、討ち漏らした主従がいないか、逆に誘き出された主従がいないかを俯瞰する。
どんな戦況に転んでいても、観測衛星の役割だけは維持して全体を俯瞰できる位置どりに居続けるのはこれまでと同じ。
それは今までがそうだったように、正面から戦っては分が悪い皮下一派を奇襲する機会は変わらず狙っていくという方針にも繋がる。
ただ、先の戦闘とはっきり違えているのは『適当に相手をしながら』ではなく『積極的に相手をしながら』戦場を荒らすという空襲の姿勢で臨むことだった。
遅滞ではなく攻勢を。
日和見ではなく早期決着を。
これまでのようにシュヴィの負担に配慮が混じったサーヴァント相手の遊撃ではなく、無差別の攻撃を。
――もし……逃げてきたサーヴァントや……マスターが、いたら……シュヴィが、殺すね……
マスターが、いたら、と。
シュヴィはその単語を、敢えて強調した。
それは、覚悟を決めた聖杯狙いとしては当然の明言だった。
いざ最後に勝ち残るためにカイドウの体力を削ってくれる当て馬としての他主従がいること自体は悪くはない。
だが、追われ立てて逃げ出してきた残存主従をそのまま放置する戦略上の理由はどこにもない。
だが、戦争に招かれて間もない時期のシュヴィを知っているリップからすれば、『そこまで言い出すのか』と思わずにはいられなかった。
マスターは、なるべく殺したくない。
その明言があり、その想いを抱くに至ったシュヴィの生前の重さを知っていればこそ。
リップはシュヴィを運用する上で、その心が傷つかぬ形になるよう配慮してきた。
その上で、マスターを殺せと命令したことは初めてではない。
実現には至らなかっただけで。
だが、シュヴィの方から申し出る形で、かねての想いをきっぱり反故にすると口にしたのは初めてのことだった。
そして、惨劇に向かう航路に付き合うと告げた、シュヴィの覚悟を疑うつもりは、断じてないが。
古手梨花のサーヴァントに深手を負わせた時。
そして、先の戦線で、シュヴィは深く語らなかったが『何か』が起こったのだと確信した時。
シュヴィがどのような様子だったのかは、忘れていない。
『サーヴァントを倒そうとする時』でさえ、あんな風になってしまう有り様だったのだ。
――リクからもらった心を大事にしてきたお前が、その心に鍵をかけるのか。
リクじゃない男(オレ)のために、と。
飛び立つ前のシュヴィに、そう聞き返していた。
その手段を取った時に、シュヴィの『心』は最後まで自壊せずにいられるのか。
『心無いことができるようになった心ある機械』という自己欺瞞(つよさ)は、やがて自滅という敗因にならないのか。
リップの方もまた『罪悪感を抱かないと決めた以上、あくまでパフォーマンスを不安視しているに過ぎない』と言う自己欺瞞で覆った上で、追及した。
――シュヴィ……マスターが思うほど、いい子、じゃないよ。生前も、悪いこと……いっぱいしてる。
――それは……
そんなもん、俺に比べりゃ悪事の内に入らないだろう、という反論がこみ上げ。
しかし、それは反論として成立しないというロジックも分かっていた。
遺言という絶対に断われない形で、愛する人の口から『シュヴィは道具だから犠牲者に含まれない』という欺瞞を吐かせ。
結果として、シュヴィの同族数千騎や、多数の異種族が犠牲になる戦いの、戦端を開かせた。
それが、リクをどれほど苦しめる願いなのかを承知した上で。
シュヴィの背負ったそれらを、罪でないと否定するならば。
伴侶にその手を汚させ、罪悪感で苦しませたことなど大したことはないと否定することになり。
じゃあお前はラトラを巻き込んだことが後ろめたくはなかったのか、という反射に刺される。
じゃあお前がシュヴィのマスター殺しに口を挟むことは何もない、という論理になる。
――リクに嘘をつかせて、無理させて……神殺しをやらせた……『リクを泣かせない』約束も、破った。
誰も死なせず大戦を終わらせたこと。
それは機鎧種の骸を『道具だから数えない』と解釈して、防戦した天翼種の死屍を視なかったことにして。
あまつさえ、『神殺し』という奇跡にさえも、『殺し』には違いないと胸を痛めてしまう青年を虚偽報告でごまかした、見せかけの結果だ。
リップにとって、それは罪科どころか世界全てを救済した英雄(ヒーロー)達の戦いだ。
否定者もそうでない者も平等に救う、きれいごとを唱える組織(ユニオン)のような。
どんな人間だって彼らの成し遂げたことを知れば絶対に否定できやしない偉業だと、はっきり保証して擁護する。
しかし、過去夢における功労者たち、成し遂げた機械たちには、罪悔が残ったことも知っている。
愛する人を、裏切り、騙して、その果てに護れなかったと。
機鎧種がそういう真面目で、不器用で、純粋で、一途な生き物だとするなら。
『死後がある以上、機鎧種も命である』と認めた今のシュヴィが思うことも、また彼らの不器用さと違わない。
――人類種≪イマニティ≫は……ずっと、こうやって悩んできた……リクの世界でも……この世界のみんなも。
――みんな……すごい…………シュヴィだけ、向き合わないのは……不公平、だから。
英霊の生前の罪は、サーヴァントとして成立した後までとやかく引きずられるものではない。
けれど、悔恨が残る結果だったと省みることはある。
その上で、これまで出会ってきた主従の多くが、あの世界では最弱位だった人類種であることに驚かされた機鎧種は。
誰かのために戦う人間の営みを改めて、たくさん、たくさん見せられた
シュヴィ・ドーラは。
――だからシュヴィも……同じように、背負うよ
飛び立つ間際に、そう言って微笑みさえした。
その微笑みと、柔らかい言葉には、機械としての硬さはどこにもなかった。
さっと風が吹いたように、酒宴がもたらした酔いの残りさえも、冷めていくようだった。
人類種≪イマニティ≫。
その言葉を聴くのはもう何度目だろうかと、本物の突風――飛翔が巻き起こす風圧に吹かれながら、思い出す。
その『イマニティ』ってのは何だ、と。
そう尋ねたのは、まだ予選期間の内のことだっただろうか。
シュヴィのぽつりぽつりとした返答でも、それが彼女の故郷における人類への呼称だということは分かった。
だが、それを説明するにあたって『十六種族』云々という言い方が混じったことで、察した。
シュヴィの生きた世界で、人間が人類種≪イマニティ≫と呼ばれるようになったのは大戦終結後だ。
あらかじめ過去夢が伝えた『大戦』の歴史と、シュヴィの生涯を知っていたからこそ、想像がついた。
大戦が終わるまでの人間は、どうやら獣の一種、猿の亜種ぐらいの存在価値だったらしく。
多種族世界において『神の子』や『知性体』という定義で括られる一種族としては、認められていなかった。
リップの半生は医学と共にあった。イマニティという言葉の意味が分からないはずが無い。
その意味が人類全体を指すようになった謂れも、分からないではない。
immunity(免疫)という単語に相当する音で呼ばれているのだとすれば。
そう呼びならわすようになった者達は、知っていたのだろう。
シュヴィの夫とその同胞が完遂した、人間が人間だったからこその戦いを。
星の生物進化から生まれた上で、大戦を終結させ、星そのものを蝕んでいた病理を切除したことで。
人類は『免疫(イマニティ)』という名付けを賜り『知性ありしと認められた十六種族』の仲間入りをした。
そんな、史実としては把握していたのかもしれない呼称をシュヴィが使っているからには。
生前は口にしたことのないはずの、言い慣れない呼び方を、敢えて使っているのだとすれば。
心優しい性格、というだけではない。
シュヴィ・ドーラという機械の少女は、人間を愛している。
星ひとつを救った免疫という名付けの真意を察して、己もそう呼びたいと使い続けるほどに。
その人間達を殺す、という葛藤に一か月の時間を置き、哀しみと敬意の入り混じった想いを抱くほどに。
『補足……あった』
声はもはや届かない上空へと消えてから、念話だけが遅れて繋がった。
これだけは言い忘れてはだめだった、という後付けのように。
『シュヴィが会いたいのは……リク一人、だけど。
シュヴィが守りたい人は……二人、いるよ?』
それは、リクじゃない男のためにと、呟いた言葉を受けてのことなのだろう。
何も、一か月の付き合いが軽かったとは思わないけれど。
『俺はリクじゃないのに』と軽く扱うような発言をしてしまったことには、恥じ入るものがあった。
『そうだな……それは、忘れるわけにいかないよな』
心を獲得してからも、機械の正論が非の打ちどころない正論であることには変わりなかった。
リクという男もこんな風に日々、やりこめられていたのだろうか、と想像する。
それほどまでに反論しようがない解答だった。
リップ・トリスタンにとって全てを捧げられる女性は一人しかいないけれど。
命を懸けて守りたい女性は、二人いる。
もしかしたらこの一か月で、三人になろうとしているのかもしれない。
シュヴィもそれと同じだと言われたら。
その事実は、どうしても否定できないからだ。
◆◇◆◇◆
『見つけた』
杉並区、という固有名詞を持った区画が黒き灰の焦土と、瓦礫の丘陵に変わっていく地上。
そこに、いつかの忌まわしき『リクの故郷を滅ぼしてしまった記憶』が連想されるのは避けられなかった。
すべての始まりの日。
まだシュヴィがそこに痛みを検知しなかった頃。
今では、その光景が意味することを悟るしかない。
シュヴィが加担しているのは、かつてリクが膝をつき、もう止めてくれと憎悪や懺悔を発露していた営みと、同じものだ。
その自覚(ノイズ)を抑えつけるには、膨大な神経伝達回路の軋みと、冷却の間に合わぬ熱暴走が伴ったけれど。
伴った上で、己を制御すると決めた。
そして、いつかと近似した景色において龍精種の『崩哮』を放つ役割にいるサーヴァント、皮下真のライダー。
その相対から離脱しようとするサーヴァントの存在を、シュヴィは二騎と特定した。
一つは、ライダーの金棒に討たれて高層建築に激突した、魔力探知に反応しないサーヴァント。
危うく撃墜されそうになったという脅威のほどは、記憶の新しいところに保存されている。
すかさず追撃を仕掛けるならこちらだとシュヴィは断じ、しかしライダーの機嫌を損ねぬような形を考慮している間にその人影は焦土の黒煙へと消えた。
その男が魔力に由来する方法で追跡できないことは、経験によって知っている。
しかし、魔力ではなく視覚情報や熱源といった物質面の情報から辿ろうとしても、周囲一帯の炎上による煙幕や熱などがノイズとなった。
さらにただの人類種と変わりない男を辿ろうとするつもりで探索した場合、付近に大勢いる『焼かれている最中の人間』の反応も拾ってしまうことが予測された。
いくら殺戮に加わる心づもりをしたとて、その人々を精査することはあらゆる意味で至難となるものだった。
リップも念話で『流石にそこまではいい』と言った。
こうしてシュヴィの注意はもう一騎のサーヴァント、ライダーに倒されると予測していた方に向けられた。
令呪による転移がなされた以上、それはいくらライダーであっても追跡を諦めるに十分な条件であり、その場を去った判断に瑕疵はなかったけれど。
シュヴィの視点からのみ、拾えていた情報があった。
令呪の発動は、マスター側にも魔力反応が発生する。
それは魔術の心得があったり、自らも異能を宿しているマスターであれば、『魔力回路を閉じる』という自発的な予防を講じられるものだったが。
そのサーヴァントのマスターがそういった術理に心得のない一般人であることを、シュヴィとリップは知っていた。
まだ大きな戦端が開かれるよりも前、もう一人の海賊の元へと視察に赴いた際に。
その男はシュヴィが診た時点で気を失っていたし、中途からシュヴィは霊体化していたので向こうからは初対面に等しいけれど。
生態反応を確認し、古手梨花のような特異性はない――ただ、生命力がひどく目減りしている一般人であったと把握している。
そして、戦場からやや距離を置いて俯瞰していたシュヴィにも、戦線においてそのマスターの憔悴を目の当たりにしていたリップにも。
『サーヴァントに直前まで保護される形で、マスターが近くにいる可能性』を疑うだけの余裕があった。
かろうじて同区内において、マスター側の小さな令呪反応があると気付く余地があった。
そして念話で『見つけた』と伝えたのは、かろうじて火の手が及んでいない緑地公園を眼下にしてのことだった。
『なんだありゃ――消え損ないか?』
同じ景色を、動画によって共有するリップが疑問を伝えてきた。
そう思いたくもなるような、奇妙な形のサーヴァントが、マスターたる男性の正面にいた。
頭部か心臓。
サーヴァントであっても、そのいずれかを破壊されれば致命傷となる。そこには霊核が紐付けられているから。
尋常ならざる生命力を担保するスキルや宝具があったとしても、頭部の亡い姿を維持するのは奇特と言っていい。
頸を亡くしたままの姿で、しかし頸以外をそこから摩耗させるでもなく、立ち姿を晒しているサーヴァントがいた。
『妖魔種(デモニア)……?』
先刻まで同じ陣営にいたことは知っている。
その上で、変容を遂げた上でなお生とも死ともつかぬ狭間の状態にある不可解さ。
そして、海賊陣営で見定めた時から人類種のサーヴァントではないことが明らかだったことを踏まえて。
シュヴィが類例として挙げたのは、もっとも多種多様の生態を持つ不定種族の総称だった。
幻想種(ファンタズマ)の特異体、『魔王』によって生み出された世界のつまはじき者たち。
その中には人の形に近い『魔族』と呼ばれる個体もあり、当該サーヴァントは『強いて言えば』という予防線付きで、それに近い容姿だった。
だが、容姿よりもむしろ。
印象の不可解さ、不穏さ、不明瞭さといった感性による連想こそが。
幻想種という『命を持った天災』が生み出した尖兵としての種族。
世界(みんな)を滅(ころ)す幻想(かいぶつ)という
絶対悪から産み落とされてしまった生き物。
その枠組みがもっとも近しいのではと、心の副産物たる直観によって思った。
『なるほどな。けど、特殊な種族だからって実は『不死』だったってことも無いだろ。
不死身なら、そもそも貴重な令呪をつかって逃がしたりすることもない』
『霊基の、変質は感じる……でも、疑似的な仮死、あるいは休眠状態と仮定』
だが、その直観が当たっていようと外れていようと。
シュヴィたちにとっての関心事は一つであるべきだ。
そのサーヴァントを、ここから完全消滅させることは容易いのかどうか。
『半端な火力や切断で再生されるかもしれないなら、全部抉り取ってしまえばいい。
お前の『天移』とかいうのは、そういう攻撃への転用もできたはずだな?』
『できる……サーヴァント一体程度なら、粉砕……再生可能部位を残さない』
偽典・天移は元をたどれば天翼種の『空間転移(シフト)』から設計された武装だが、天翼種にとって転移とは攻撃手段でもあった。
三次元の空間を抉り取ることで距離を縮めるために、敵に向けて放てば全てを粉塵に帰す広範囲の空間歪曲として機能する。
あくまで本来のそれより劣化した形で設計されているために、本家本元のように機鎧種の数十体を鉄屑に変えるような代物ではないけれど。
あくまで固定標的と化したサーヴァントに向けて威力を絞れば、再生されるか否かに悩まず『消失させる』には足りると予測された。
一時期は曲がりなりにも協力者だったサーヴァントにトドメを刺すことを、両者はもう迷わない。
まず、すでに皮下真のライダーがもう組む理由はなしと切り捨てて始末にかかったこと。
陣営戦をやっていた頃のように『密かに恩を売っておけば皮下の背中を刺すために利用できるかも』と言った膠着を持てる戦況ではなくなったこと。
そして、これまで彼らを殺しにくくしていた『人質がいるからこそ方舟陣営は脱出しない』という防波堤に、さほど拘泥しなくてもよくなったことがある。
たとえ古手梨花の語った『脱出宝具はもうすでに使えるが、人質が抑止力になっている』といういつかの脅迫が、たとえ今さら真実だったところで。
陣営単位での監視や密告がなくなった今、ここで誰にも見とがめられず人質を仕留めたところで、方舟には伝わらない。
まだ人質は生きているかもしれないと敵陣が思っているなら、実際に人質が生きているか死んでいるかによって影響は生じない。
さらにそこに、リップ側の理由を追加するとすれば。
鏡世界を出入りしていた乱戦において、『この男はおそらく余命長くない』という印象を持ったことも根拠だった。
『サーヴァントの方を天移で刈り取ってから、マスターの方はこっちに連れて来い。
いちおう、鏡世界で別行動になった後にそいつはそいつで情報を拾ってるかもしれないからな。
不治で拷問すんのはこっちでやるからお前は連行が終わったら、また――』
さほどのことは無いと言うように告げられていく命令を、しかしシュヴィは遮った。
『マスター……シュヴィに気を使わないで、いいよ』
『何のことだ』
『ここでどっちも……殺した……方が、早く再出撃できる。
ライダー達に、連行を視られたら……色々言われそうだし、そっちの方がお得』
殺し、という言葉を使うのはまだぎこちなかったけれど。
リップの思慮をシュヴィは正しくくみ取り、その上で『自分が殺す』と請け負った。
航路を決めたリップはもはや、シュヴィの心の痛みに配慮するより、他の主従を殲滅することを優先するだろう。
しかし、その為の汚れ役をリップが担うかシュヴィが担うかの二択ならば、できるだけ前者であろうとする。
だから『殺せ』ではなく、『自分が殺すから連れて来い』という言い方をした。
そういう男だと、シュヴィはよく知っている。
『…………なら、任せた。謝らないぞ』
『了解……それで、いい』
突き放した言い方に対して、頷いてみせる。
首を縦に振ったことで、視覚映像も上下にぶれただろうからリップにも頷きは伝わるだろう。
一転して、想いを重く、厳しく、眼下に向けた。
身を重力に委ねるのと遜色ない速さで、急降下を遂げる。
着地の風圧だけで標的を吹き飛ばさないように、勢いは加減した。
初めてのマスター殺しなら、せめて相手の顔から眼を反らしたくはなかったから。
リクは、自らの言葉で死兵になれと命令をしていた時にも。
一切のおためごかしや責任逃れをせず、相手をまっすぐ見て『死ね』と命じていたのだから。
ずどんという着地音を鳴らして公園の地を踏めば、やつれた顔の男性がただ驚愕を露わにしていた。
ただ驚くので精一杯の、大戦下で異種族の戦闘に行き会ってしまった人類種(イマニティ)の顔だった。
ああ。
これまでの戦いとは違うと実感を持った。
持ってしまった。
それは感情移入(ノイズ)の始まりだと、分かっていたのに。
やらなければやられると言い聞かせられた今までと違う/もうそんなことは言ってられない
衝撃(エラー)
これほどに脆弱な身で、今まで生き延びていたのか/リクを見出すな
二律背反(エラー)
雷霆のアーチャーの時もリクを重ねないようにしたけど無理だった/リクに似ているのはマスターの方だ
心が二つ(エラー)
それでもリクならきっと、方舟の方に行くことを選んでいた/知ってる
懐古強襲(エラー)
シュヴィたちはこれから、『リクに似たヒト』を殺していく/古手梨花の犠牲と間近にある焦土が、その証だ
それは数秒にも満たない実時間だったのだろう。
だがその間に、眼前の男性から読みとれる心拍が急加速した。
まだ死ねないという想いの証に他ならないそれに対して、心がかき乱される。
それでも、機鎧種とは対応する種族だ。
必要とあれば、必要なように自己進化を促せるし、霊基という枷が嵌められていてもその根本は変わらない。
だから胸を埋め尽くす感情の奔流は故障(エラー)ではない、自己改造の痛みであるはず。
大丈夫、動ける、やれるという確信とともに、『天移』を翳すべく男性達へと片手を伸ばす。
マスターもきっと、同じように苦しかったはずだから。
皮下主従の魂食いという虐殺を幇助した時も。
古手梨花を死なせるのと同義の決断をした時も。
それから――
――天移の対象範囲を目視したことで、付近に『あの女の子』と同年代の、血濡れた少女の遺体があるのを視た。
それから――雷霆のアーチャーのマスターだった少女を、リップが殺した時も?
そのわずかな気付きは、手を震わせるきっかけだった。
何かがおかしいと露わになる、きっかけだった。
フラッシュバック――ヒトの生理現象として、知識だけは持っている。
それが体感として初めて、シュヴィの瞳(レンズ)に展開された。
再生された記憶は二つ。
思い出したのは同時。
同じ領域に同じタグで保存されていたように、二重写しの映像が繋がった。
一つは、左の瞳(レンズ)に焼き付いていた血の赤。
先の戦線において、令呪で撤退を促された後。
アーチャーから流入した謎の謡(ウタ)によって集中を削がれ、霊体化に身を委ねる中で。
リップの持つ医療用小刀に血が付いていたことと、同じ血だまりの遺体がそこにあることを知った。
いま一つは、穿たれた右眼に焼き付けられた、シュヴィの記憶ではない鮮血の光景。
先ほどリップが殺した少女――違う、また別の少女の遺体を抱え上げ、慟哭する自分。
違う、自分ではなく『蒼き雷霆』という断片情報をもたらした少年だ。
守とうろして駆け付けたはずの少女を守れなかったと、泣いていた。
彼(リク)のことを守りたかった/彼女を最期まで守れなかった
次があれば、もう二度と手を離さない/今度こそ手を離さないと決めていたのに
僕はまた、大切なものを取り零してしまった/違う、それは貴方を足止めしたシュヴィの、せい――
ああ、そうか。
シュヴィはとっくに彼を足止めしたことで、人ひとりを、彼の大切な人を、殺していたのか。
そう悟ったのが、混線(ジャミング)の始まりだった。
己の内から生じた感傷(エラー)や障害(バグ)ではない。
少年も意図しないところで謡(ウタ)の感染(ウイルス)がすでにあったと、自覚した時には遅く。
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【解けないココロ溶かして 二度と離さない貴方の手】
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もうシュヴィの中にもあると、主張するように。
先刻もシュヴィにだけ聴こえた、意味を解せない謡(ウタ)。
それが再び集音機に届き、機体温度が上昇していくのを感知した。
シュヴィは困惑とともに、片手で右眼を抑える。
そこに、熱をもたらす幻痛、雷霆に穿たれた破損がまだ残っているように思われて。
『――どうしたシュヴィ? 負担が大きいのか? それとも不測の事態か?』
いざ手に懸けねばならない相手を眼前に、悠長に躊躇うような挙動。
それだけではなく、念話のほかに現場の音を拾えないリップには、何が起こっているのか判別できない。
ゆえに、早く仕留めろという叱咤よりも、困惑が念話にのった。
そう、眼前には無抵抗とはいえ、まだ敵性サーヴァントがいる。
理性的な思考がそう促し、シュヴィは無理やりにでも典開(レーゼン)を再起動して。
【いつの日か世界が 終わる時も】
標的たる男性の、顔つきが変わっていた。
ひどく焦っている生理反応があるのは、変わらないままに。
その瞳に、たった一枚だけ切り札を携えたような熱を宿して。
たった一言の、コミュニケーションが放たれた。
「君の中には、アイドルがいるのか?」
意味不明だった。
意図不可解な会話選択だった。
(アイドル……?)
言った当人も、何を言ったのかを整理しきれてない様子だった。
アイドルの意味は分かる。
というより、皮下もリップも昨晩からその言葉を多用していた。
何なら、殺そうとしている男が、その『アイドル』に関係する所属を持つことも知っている。
だが、何故それがシュヴィを指す言葉になる。
偶像、スター、芸能人、業界人、歌手……字義のどれもがシュヴィとはかけ離れているのは確かであり。
『電子の謡精(サイヴァ―ディーヴァ)』/『歌姫(ディーヴァ)プロジェクト』
『蒼き雷霆』とともに、意味を刻まれた言葉を思い出した。
驚きを声に出すところだった。
(この人は……ウタが、聴こえて、る?)
◆◇◆◇◆
蒼き雷霆と、心ある機械の間に起こった記憶混濁。
本来なら契約関係のないサーヴァント同士で過去が繋がることは有り得ないという例外を引き起こしたのは、互いのサーヴァントの特性にあった。
記憶さえも電気信号に変換し、『イマージュパルス』という他者が共有可能な力として具現化した逸話を持つという彼の第七波動。
かつて歌姫の力の因子を移植されてそれを模倣した人工知能のように、『受けた攻撃を解析して自己学習する』という彼女の種族特性。
いずれも『電子機器の制御』『解析と再現』という逸話を持つ英霊同士の特性が噛み合った結果。
二騎のアーチャーは互いの過去を断片として入手し、GVだけの『謡(ウタ)』をシュヴィが共有するに至った。
そして、GVの第二宝具によって降臨する謡精の謡声とは当人にしか知覚できないものではあったけれど。
かつて、雷霆のイマージュパルスという形で『生前の再現』として現出した電子の謡精は、万人に見える姿と声を持っていたように。
かつて、実体を持つ人工知能が謡精の力を取り込んだ時、その歌声は万人に聴こえるヴァーチャルアイドルの形態をしていたように。
シュヴィが感染した『謡声』の、二度目の発露は。
かつてアイドルの
プロデューサーだった男の耳にも聴こえるものとして届いた。
【解けないココロ溶かして 二度と離さない貴方の手】
そして確信する。
どういう事態が生じているのかは飲み込めず。
現状が命の危機であることは理解しているなりに。
膜を一枚隔てたように、少女の口からではなく不可視のスピーカーから聞こえてくるこの歌声は。
これは、本物の偶像(アイドル)が持つ歌唱の力だと。
国民的ヴァーチャルアイドル・モルフォ。
シュヴィの中にいる歌姫は、かつて間違いなく一国の全土で一世を風靡した偶像だ。
たとえ、輪廻の歌をうたっている時は、たった一人の為だけのアイドルなのだとしても。
むしろたった一人の為に歌うことが、彼女の心願であればこそ。
そのプロデューサーの持論は、『アイドルはやりたいことをやらせている時にこそ輝く』というものだった。
【いつの日か世界が 終わる時も】
奇しくもつい先刻、思い出してしまった。
櫻木真乃をスカウトした時に、単なる歌唱力に留まらない、確かな『魅力』を歌に見出したことを。
ましてや、すでに頭角を現している、一国すべてを魅了したことがある『輝き』にならば、目が留まらないはずはなかった。
「君の中には、アイドルがいるのか?」
その上で、その歌声を『サーヴァントたる少女自身のもの』だとは思わない。
これほどの『歌の力』を持ったアイドルが眼前に降り立ったのに、ひと眼でピンとこない、というのは有り得ないのだ。
その男自身も、長らく忘れていたことだが。
これまでに彼自身がスカウトした全てのアイドルの『輝き』を、彼は初対面の印象のみで看破している。
たった一人の、普通の女の子に出会うまでは。
そのたった一人は、内面と外部に現れる輝き方が、一致していなかった。
飾らない素顔を見ていると、みずみずしい『何か』があると思えなくもないのに。
パフォーマンスと言う外付けを被った途端に、くすんで何かのコピーになる子だった。
少女のサーヴァントは、その女の子とは対照的だった。
外付けで植え付けられた、再現であるらしき『何か』の方が、表現者のそれをしている。
その輝きは、まるで恋の歌をうたう翼のようだった。
幼き容姿をしたサーヴァントの少女が、心なしか驚愕を突かれたように挙動を硬直させて。
やがて、その眼光を鋭いものへと変じさせた。
心を向けるまいという目線から、要警戒対象を見る眼に変わるように。
瞳孔の周りにいくつも金色の円環を輝かせて、眼の焦点を精密に合わせるように。
(何かを……覗かれている……?)
連想したのは、審査員の眼線を受けることだった。
ステージの上で一挙一同を凝視する分析官。
にちかも怯えていた、『空っぽですね。何も感じません』『それじゃダメ可愛くないわ』という死刑宣告の数々。
今回はそんな痛罵は飛んでこない代わりに、死神の鎌を振り下ろされることは予想できたけれど。
(こちらを知った風に見敵必殺で襲ってきたのに、観察するような眼をしている。
……一方的に俺たちを知っている?)
自分たちがどういう者かを知っている上で、分析能力を持つらしきサーヴァント。
そういえば皮下が以前、『気絶している間に、リップのアーチャーに診せた』と言っていなかったか。
であれば、彼女のマスターは。
「俺はもう、方舟達と一緒に逃げようとか、まして見逃そうなんて考えていませんよ。その逆をする。
……と君のマスターに伝えても、心変わりは望めないのか?」
どうせこのままでは死ぬという当てずっぽうは、図星をあてたらしく。
推定・リップのアーチャーは「どうして」と小さく口を動かし、マスターに念話を送るかのような一拍を置いて。
――――――ドン!!!!!
その一拍で、紡いだ言葉は時間稼ぎになったと証明される。
公園中の土地を揺るがすほどの地鳴りが、背後にいるランサーの足元を震源地として響き渡った。
同時に、これまでともに闘ったどの時よりも苛烈な闘気に己の背が押し倒される。
結果的に庇われるように伏せ倒された中で、頼もしさとは別種の畏怖が背中に刺さったことを感じていた。
それは闘気というよりも、ガムテのライダーが場を圧倒していた際の『意志力』に近い、形ある刃のような。
その刃を纏ったランサーが、頸のないまま己を助けるために動いている。
それだけは、庇うように前に出た頭部のない背中を見て理解したところで。
――俺は誰よりも強くなって、必ず……
記憶に蘇ったのは、過去夢で交わされたランサーの約束だった。
サーヴァントたちの動きを眼で追えないまま、かろうじて目撃したのは、『花火』だったからだ。
『黒い火花の閃きが集った花火』が、ランサーと少女との激突しようかという境界にて、大輪の花を咲かせた。
◆◇◆◇◆
知っていた。
彼女が望むのは、人を呪う黒い火花でも、まして地獄に咲く曼荼羅でもない。
ただ、来年も再来年も当たり前のようにそこにある、二人見上げる花火だということは。
知っていた。
狛治という男の妻が、父の素流によって罪なき人が血を流すところなど見たくない心根の女だということは。
知ってはならなかった。
その彼女が、ずっとこれまでのことを見ていたなどと。
かつての伴侶の陰法師が、再び不名誉として狛犬の二つ名を冠して修羅と化す光景には、胸を痛めたに違いなく。
それでも止まってほしくない、負けないでほしい。
なぜなら、どうか貴方が報われないまま終わってほしくないのだから、と。
それは、祈りだ。
辛く苦しい景色さえも見届ける覚悟を持って。
あなたの幸いの為に寄り添わせてほしいと伝えて。
誰かの為の、幸せの形がしかと見えるまで、見守るというのは。
知ってしまったのなら。
祈りながら見ているというのなら。
恥を抱かないのかと問答した上弦の壱に対して語った通りに。
鬼としての上弦の参は、結局のところ敗者でしかなかったけれど。
それでも貴方が『誰か』の為に戦うならば見守ると、英霊としての生を赦されたのなら。
たとえ生き恥のように頸を斬られた上で足掻こうとも、『誰か』の為には求めることを止められない。
その『誰か』は、まだ迎えたい終わりがあるのだと言う。
同じ女を愛した男と対峙して、正しいやり方を選び取れていた可能性を知りたいのだと。
――終わらせ方が分かったよ、ランサー
当代の主は、そう言った。まだやり残したことがあると。
はじめは独り言として、続けて念話として。
――俺がこの聖杯戦争で、最期に対峙するのは、きっと『彼』だ
もしもその彼が正しい導き方を、祈り方を見失わなかったのだとすれば。
それと対話した上で、しかし方舟に乗ることはせず、己が聖杯に対して祈る願いとして定めたいと。
それこそ、『鬼の王』とでも名乗るべき妄執の強さ、恥知らずの発想には違いない。
つまるところ聖杯にすがって願いを叶えるというのであれば、方舟が出航したり聖杯の権能を糺したりする結末は潰すということであり。
貴方たちの営みは尊い、その想いこそが何より大切なものだったのだと賞賛しながら、それを踏みにじる手段を講じるのだから。
自分たちは勝利を得られないサガを持っているけれど、それでも残したい願いがあるから、やり方を倣わせろと。
己はそんなやり方で、願いを叶えて消えるけれど。
貴女達はどうか幸せな世界をやり直せと祈る、やはり己に似ている主には報いたい。
消滅することを宿痾として定められた鬼が、それでも太陽を克服した鬼/蝋翼の現われることを希うように。
他の上弦たちをも立ち塞がるなら血戦でもって番付を覆し、地上最後の、鬼の王として振舞おう。
数百年の研鑽の累積と、明王の波動に触れたことは、闘気だけではないたしかな意思の力を宿し。
呪力(のろい)の黒き火花に愛された拳は、その意志力に属性の色を上塗りする。
ここから先は、貴女を最期まで苦しめた、吐血の赤と、呪(どく)の黒しか見せてやれないけれど。
そんな修羅の道行きにさえ、生前の花火を技の名に関してしまう愚かさにだけは、せめて目を瞑ってくれ。
――――――武装色・黒閃光万雷――――――
◆◇◆◇◆
転移術式によってまさに捻じ曲げようとしていた、手を伸ばした先の空間。
その術式の着火場所と、ランサーの拳が神速で激突した――とシュヴィは観測した。
空間が歪曲している端緒と、ランサーの持つ拳撃、魔力が0.000001秒に満たぬ誤差を持って衝突。
着火した魔力の火花はそこに留まらず、海賊たちが『覇王色』と呼称していた圧力と類似した気圧の後押しにより威力を増大。
気圧の纏っていた『色』が火花のそれを帯び、晴天の下に『黒い光の花火』という現象を結実させた。
そんな現象を引き起こした頸から上の無い妖魔を、シュヴィは距離を開けた上空にて念話でリップに報告する。
退避したのは、怖気に駆られてばかりのことではなく。
気圧を感知した皮下真のライダーが引き返して来ないかどうかを、上空に対して警戒するためでもあった。
『龍は……戻ってくる気配、無し……討滅を、続行』
『いや、ここは退いていい。それより、さっきの不調について確認がしたい』
『マスター……それは、ちゃんとお仕事、した後でも………シュヴィは大丈夫、だよ?』
『今さら、お前がちゃんとできないんじゃないかと疑ったりはしてない。そうじゃなく、殺す理由がいったんなくなった』
戦況が変わり、シュヴィとしても標的を改めて解析したことや黒き花火への対応などを経て、歌唱はまた聴こえなくなっていた。
それが他の出来事に集中を割いたことによる、意識の変化によるものだったのか。
あるいは、対応する種族としての機鎧種の身体が、感染した異物への抗体を覚えつつあるのか、その両方か。
いずれにせよ、もう己を躊躇わせるものはない、殺しを履行できるとアピールすれば、リップはそこを疑ったわけじゃないと否定した。
『さっき鏡の世界で見た時とは、眼の色が変わっていた。あいつが言っていたことは、たぶん嘘じゃない』
『うん、シュヴィも……嘘をついてる反応は、見えなかった』
――俺はもう、方舟達と一緒に逃げようとか、まして見逃そうなんて考えていませんよ。その逆をする。
『あれは……方舟を、倒す……という意味?』
戦線で別離する前は、曲がりなりにもアイドルの犠牲者が少なくあってほしいと願っていた風だった男が。
宗旨替えをしたかのように『方舟を看過しない』と言い出し始めた。
シュヴィにとっては不可解だったそれを、しかしリップはおよそ正しく汲み取っている様子だった。
『さっき別れた時はすぐにでも死にそうな顔だったのに、お前の映像ではそうじゃなかった。
もうひと踏ん張りするかって腹は据わってたようだが……否定された側の眼は、変わってなかった』
これまでの人生で、何度も鏡を見るたびに向き合ってきた眼だった。
最後に協力し合った時のそいつは、衝動的に頸を斬ろうとして片目になった日の顔を思わせた。
シュヴィに向かって時間を稼ごうとした時の顔は、ループした後にラグナロクが起ころうと知ったことかと割り切った日のそれになっていた。
あれは決して、気力を取り戻したからといって方舟に迎え入れてもらおうとする者の顔ではない。
その確信と、『方舟の者に何らかの執心を抱いているのは事実らしい』というこれまでの感触で、リップはおよそのスタンスを察する。
また、古手梨花や皮下を経由してリンボのマスターについて幾らか聞き出していたこともある。
『愛着を抱いており決着を望んでいるけれど、共に脱出する気はない』という関係性を閃くのは、難しいことではなかった。
『何らかの決着は付けたいけど、願いに妥協はできないから向こうのサーヴァントはむしろ倒す……ってとこじゃないか。
そうなったら方舟側も力づくで取り押さえるかもしれないが、サーヴァントの方も火薬庫みたいになってる今の有り様だと簡単じゃないだろ』
未知の黒き火花と、覚醒を迎える前段階のような休眠を加味した上でなお、戦闘力としてシュヴィに届くかというほどの危機感はなかったけれど。
完全復活を果たしてどれほど力の桁が上がっているかは不確定にせよ、それでも捕縛によって無力化を図るにはあまりに殺気が強く。
それならむしろ、まだ残しておいた方が勝手に潰し合ってくれる方の目がでかいだろう、と。
その判断を説き、リップはシュヴィが上空へと離脱した頃合いで別の質問に移った。
『それで、さっきはどうした? 単に躊躇ってただけじゃないよな。
治ってるはずの右眼が塞がったみたいに、映像がぶれたんだが』
念話以外の音を拾えなかったがゆえに感じ取れなかった、ウタに伴う不調について。
『シュヴィ………アイドル、やらないかって、言われた……』
『は?』
それは、相当に語弊もあり、また細部も違う言い回しから始まるものだったが。
◆◇◆◇◆
もしシュヴィが取り込んだ記憶に、雷霆の相容れぬ仇敵だった復讐者の紅き少年や、その傍らにいた生体ユニットの情報でもあれば。
シュヴィは『P(フェニック)ドール』という概念を把握し、これから己の身に生じるやもしれぬ変化を、具体的に思い描けていたかもしれない。
だがシュヴィはそれを知らず、ゆえにその自己診断は推測が入り混じるものとなった。
『原因……シュヴィと、あのアーチャーの……能力の近似と、推定。
電子機器の解析、および制御(ハック)。
それに、心や脳の活動を、情報(データ)として同期するもの。
……、記憶、戦闘経験を蓄積する宝具の所有も同じ。
全て、アーチャーから受けた攻撃と定義づけられる以上、機鎧種として解明は可能。
解析が進行すれば……ノイズは沈静化すると、推測』
シュヴィの機体は、そもそもが防魔・防毒・防呪・防精霊仕様だ。
であれば、それが歌声であれ『感染』もまた対応すべき攻撃の一環だと認識できる。
そういった説明に、しかしリップは言葉だけで説かれても納得しきれない懸念を示した。
『未知のウイルスに感染した割には、ずいぶんと楽観的じゃないか?
沈静化するだろうって根拠でもあるのか?』
『ある』
『その根拠は?』
『解析能力が……戦闘前と戦闘後で改善されていた。
雷霆の類似能力を、模倣して……アップデート、実現した』
先刻の男性の言葉に動揺し、伏せられていた異能でも無かったのかと再解析をしたことで、それが判明した。
初めて目にした時、皮下から診てくれと言われて検分した時は、『生命力の低下した一般人マスター』という程度の所見に過ぎなかった。
それが改めて目の当たりにした時は、『魂に該当する存在情報の九割損失』というところまで、情報として汲み取れるようになっていた。
シュヴィ生来の解析能力に、『歌姫』の精神感応力と、雷霆の制御(ハッキング)能力が上乗せされた結果。
それが決して悪い変化ばかりではないと、シュヴィはその機体を持って体感していた。
『何というか……助けられてるな。お前が腹を括ってくれたことに』
『解析の成功に、じゃなくて……?』
『いや……こればかりは、分からないでいい』
シュヴィに詳しく解説するつもりはなかった。
なぜなら、『お前が覚悟を決めてくれて助かった』という、より直接的な言葉選びができなかったから。
どんな悪役に落ちても、シュヴィのことを己の都合本意に動いてほしい道具のように扱うのは、やはりできなかった。
元の世界でも、リップはずっとそばにいてくれた相棒に対して、そういう態度しか取れなかったのだから。
『……さっきは、やれたんだな?』
『マスターの命令変更があれば、今からでも殺せる』
『いや、それはいい……でも、殺すかどうかの判断は、俺の指示を仰げ。
お前が俺の殺しに片棒を担ぐっていうなら、逆もそうなんだからな』
『マスターは……棒なんて、持ってない、よ? でも、了解』
けれど、シュヴィがどこまでも共に行くと巻き込まれてくれたことで、リップは『脱出派の手に渡れば重宝される力』を憂慮せずに済んでいる。
今のリップ達にとって『シュヴィの権能の拡大』は、聖杯狙いにのみ用立てられるべき活路として見据えられるようになった。
ではこのまま、皮下やそのライダー、周辺にいる者の位置取りを報告するようにとリップは改めて促そうとして。
シュヴィではなく、己のいる場に異変が起こっていると、風の音によって気付いた。
夏風が吹きつけると同時に、リップの背後でざわざわとたくさんの植物が擦れるような音がしていた。
明らかに気配を変えている廃屋の様相にリップは振り向き、そして片目を驚きで見張る。
監禁部屋の窓を越え、壁を無視し、屋根に至るまで。
わずかな壁のヒビ割れに根や枝を張るように、桜の花弁がその一室から吹きこぼれていた。
さながら皮下真が移動した跡と、ほぼ遜色ないほどに。
桜の精どころではない、夜桜の魔女がじかに寝所へと降臨したかのように。
視界には、監禁場所の壁を越えて感染するように狂い咲きを広げる桜花。
聴覚には、耳に張り付くような盛夏の蝉の声。
それはまるで、秋と冬の概念が滅ぼされた世界で。
春(サクラ)と夏(ひぐらし)とが、喧しく喧嘩をしているかのような光景だった。
そしてもう一つ、リップは気付く。
聴覚と視界だけではなく、嗅覚も様相を変え始めていた。
風に吹かれ、恵みの枯れ落ちた錆の混じる曇天の空気ような。
それを嗅いだ覚えは、たった一度だけ、無いではなかった。
遡ること、もう丸一日になるだろうか。シュヴィが電車の屋根上でわずかに交錯したという、あどけなき少女のことを。
彼女に根源的恐怖を齎したサーヴァントのことを、どうしてか思い出した。
【杉並区(中野区付近・杉並区立蚕糸の森公園)/二日目・午前】
【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(大)、疲労(大)幻覚(一時的に収まった)
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×8枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。だが―――。
0:――ありがとう、ランサー。
1:………きっと最期に戦うのは、『彼』だ
2:次の戦いへ。どうあれ、闘わなければ。
3:もしも“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
[備考]プロデューサーが見ている幻覚は、GRADにおけるにちかが見たルカの幻覚と同等のものです。あくまでプロデューサーが精神的に追い詰められた産物であり、魔術的関与はありません。(現在はなりをひそめています。一時的なものかは不明)
【
猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:頸切断、全身崩壊、覇気による残留ダメージ(極大)、頸の弱点克服の兆し(急激な進行)、霊基の変質
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:――――――――
[備考]※頭部が再生しつつあります
※武装色の覇気に覚醒しました。呪力に合わせて纏うことも可能となっています
【杉並区→移動開始/二日目・午前】
【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:頭部損傷(修復ほぼ完了)、右目破損(修復ほぼ完了)、『謡精の歌』(解析が進行中)
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:――もう大丈夫。手を汚せる
1:戦場を監視し、状況の変化に即応できるようにしておく。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:セイバー(
宮本武蔵)を逃してしまったことに負い目。
※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。
※梨花から奪った令呪一画分の魔力により、修復機能の向上させ損傷を治癒しました。
※『蒼き雷霆』とのせめぎ合いの影響で、ガンヴォルトの記憶が一部流入しました。
※歌が聞こえました。GVのスキル、宝具の一部を模倣、習得しつつあります。現在は解析能力の向上などに表れています
【中央区・廃墟/二日目・午前】
【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、
峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
0:もう迷いはしない。
1:シュヴィに魂喰いをさせる気はない。
2:敵主従の排除。
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。
時系列順
投下順
最終更新:2023年07月29日 04:19