その光景を目の当たりにした時、
リップ=トリスタンは言葉を失った。
咄嗟に臨戦態勢を取った
シュヴィ・ドーラも同様だ。
神が差し向けるUMAや敵方の否定者と命の削り合いに明け暮れたリップ。
盤上の世界の全てを覆う《大戦》を識るシュヴィ。
彼らをしてなお理解不能の事態だった。
その人物の顕れ方も、最後に見た姿との変わりようも。
「よ。悪いな、ちょっとバタついてて遅れちまった」
男は一秒前までリップ達の周囲に間違いなく存在していなかった。
リップの視界には映らず、シュヴィの解析にも引っ掛からなかったのがその証拠だ。
瞬間移動(テレポート)という魔法にも匹敵する芸当を、リップ達の知る彼は有していない筈だった。
しかし今、現実として彼…
皮下真は二人の目前であの軽薄な笑みを浮かべ立っている。
シュヴィの有する各種解析機能も、其処に立つ男が自分の知る"皮下真"と同一人物であるとそう告げていた。
“…妖精種(フェアリー)……?”
愛神アルラムによって創造された、"花"の種族をシュヴィは連想した。
彼の立つ地点。
其処から、コンクリートを土壌にして突如咲き誇り始めた桜の花。
植物学のセオリーを全て無視した自然現象は閑散とした街の中ではひどく場違いな華やかさであった。
「――何があった? お前は死んだものだと思ってたが」
「俺もだよ。ただまぁ、腐っても医者として人命救助に努めてきたからかな。最後の最後でまだ幸運が残ってたらしい」
「はぐらかすな」
リップが前に踏み出し首筋に刃を突き付ける。
不治は勿論有効状態だ。
後少しでもリップの手が動けば皮下の命脈は治療不能の斬閃によって断ち切られるだろう。
そして今、リップには彼の命を奪う事に毛程の躊躇もなかった。
皮下という協力者を失う惜しさよりも、得体の知れない覚醒を果たした彼に対する警戒心の方が勝っていた。
不治は再生の開花を持つ皮下に対して特効だ。
この状況であればまずリップが遅れを取る事はない。
リップ自身そう分かっている。
分かっているのに、何故か背筋を焦燥が這う。
何なら足元を見れる相手の筈の皮下に、初めて相対した時以上の強烈な戦慄を覚えている――
「落ち着けよ。心拍数が上がってる」
「…ッ」
「運が良かったってのは事実だよ。切り捨てたと思ってた人脈に助けられた。それが無かったら、今頃は膾切りにされて渋谷に散らばってたろうな」
リップとそしてシュヴィ。
不用意な行動を起こせば即座に斬り殺されるか消し飛ばされるか、そんな状況。
にも関わらず皮下は饒舌だった。
高揚でもない。自棄でもない。
では其処にあるのは何なのか。
それを知るのは彼のみである。
「とはいえいよいよ後も無いんでな。そろそろ俺も必死に頑張ってみようと思ったんだよ」
「じゃあ何だ。気合と根性でそうなったとでも言う気か?」
「間違っちゃいないかもな。斜に構えて気取ってばかりの大人より、なりふり構うのをやめたガキの方が強いって事もあるんだとこの歳になって分かったよ」
この生物は何だと、リップはそう思った。
元々人間離れした奴だというのは知っていた。
ソメイニンなる物質を体内に宿し適合させた人造の超人と。
だが、今の彼を果たして人と呼称して良いものか判断が付かない。
人ではなく、何かもっと大きな力の塊を相手にしているような錯覚を大袈裟でなくリップは覚えていた。
「霊地争奪戦は大失敗に終わった。ウチの総督は仕損じた上、因縁の消化にも失敗して傷心中と来てる。
鬼ヶ島の墜落で戦力もほぼほぼ全損、せっせと溜め込んだ葉桜の備蓄もパーだ。
笑えないぜ。盤石に見えた海賊同盟が蓋を開けてみれば一番の負け組に終わっちまった」
「何が言いたい。命乞いか?」
「そうだな…。俺としては正直、もうどちらでもいいんだが。
ビジネスパートナーとしてやって来た相手を放っぽり出して新しい事始めるのも不義理だろ」
どちらでもいい。
その言葉の意味を理解しリップは眉を顰める。
首に突き付けた刃が皮膚を一枚裂いた。
そう思った――だが、そこからひらりと散ったのは桜の花弁一枚。
「そろそろ本気で聖杯を取りに行こうと思うんだ。悠長なのは流石に、もう良いだろって思ってよ」
「良い度胸だ。落ち目の皇帝を今すぐこの場に呼び出すってか?」
「言っただろ? 俺は、どっちでもいいんだ。少なくともお前らに関してはな」
此処で叩き潰してもいい。
今後とも宜しくするでもいい。
皮下は、どちらでもいいのだ。
どの道これ以上悠長な社会戦や陣営戦に興じるつもりもないのだから。
万花繚乱という力は皮下にとって、どれだけ永い時間を費やしても会得する事の出来なかった代物だ。
それを今になって漸く会得出来た。
それの意味する所はこれまでの自分との訣別、呪われた生涯からの解脱である。
故に彼は今や、目前の同盟関係の行く末にさえ頓着していない。
「例えばだが…知ってるか? 峰津院財閥の御曹司、あのクソムカつく大和も多分終わったぞ」
「…東京タワーの霊地が"崩壊"で潰された事は知ってる。だが何故断言出来る?」
「
カイドウでさえ対応出来ない事態だぞ? 鋼翼が生きているなら令呪で呼ばない理由がない。
そして聞いた所、龍脈の力は土地に宿る力だ。対して土地そのものを汚染し破壊する死柄木の異能は、さしずめ化学兵器みたいなもんだな。
力の大小以前に源泉を汚されちまったんだ、もうそれは猛毒の沼と変わらない」
一応方舟のお人好しが拾ったそうだが、もう脅威とは呼べないだろう。
皮下はそう語る。
「私見を聞こう、リップ先生。峰津院が落ちたなら次に警戒するべきは?」
「命が惜しければその不快な呼び方は止めろ。…方舟と連合だろ」
「つれないな、元を辿れば同じ医局の人間だってのに…ご明察だ。
脅威度で言えば連合だが潰す重要度だと方舟が勝つ。お前が鞍替えするか悩んでるのもこいつらだ」
空気が張り詰める。
リップとしては、現状方舟は無し――という考えだ。
だがそれでも、万一の時の保障として
古手梨花を抱え続けている側面がある事は否定出来ない。
それを皮下に見透かされているという事はどう考えても穏やかでない意味を孕んでいた。
「ま、それも今やどうでもいい。決めるのはお前で、俺じゃない」
「何が言いたいんだお前は。先刻からどうも酔っ払ってるように見えるが」
「俺が今最も警戒してるのは、方舟でも連合でもないって事だよ」
「…何?」
一触即発。
リップだけでなくシュヴィまでもが、常に何かあった時の為の備えを取っているそんな状況。
そこで話は俄に予想外の方へと転換した。
聖杯戦争を破綻させかねない方舟勢力。
今や最大の脅威と言っても過言ではない敵連合。
彼らを差し置いて警戒すべき存在が居ると皮下はそう言うのだ。
「この体になってからどうにも肌感覚が鋭くなってね。アーチャーちゃんなら、もう気付いてるんじゃないかと思ったんだが」
「――どうだ、アーチャー?」
水を向けられたシュヴィはやや逡巡した後、小さく頷いた。
「…数分前から……大気に、妙な魔力反応が混ざってる………」
数分前。
つまりちょうど皮下がこの場を訪れた辺りで、シュヴィはそれを観測していたという事になる。
続けてくれ、とリップは彼女に説明を促した。
「最初は、霊地の崩壊で溢れ出したエーテルだろうって…そう、思ってた……。
解析上でも、概ね間違いとは、言えない……。でも………すごく、妙な波長……」
「妙?」
「…なんていうか、とっても……」
「禍々しい。だろ?」
口籠るシュヴィに助け舟を出すように、皮下が口を挟む。
リップは彼を睨んだが止めはしなかった。
機凱種であるシュヴィの解析能力は優秀だが、その分人間的な感性や感覚には乏しい部分があるのは否めない。
その点腐っても人間である皮下の方が、リップに意味を伝える上では適している。
「…そう。例を挙げて言うなら……」
シュヴィはそこまで言ってもう一度口籠った。
しかし今度の中断は先刻のとは意味が異なるようだ。
リップの顔色を少し窺って、それから意を決したように続ける。
そんなしぐさの意味を、リップはすぐさま理解する事となった。
「ゆめで、見た――マスターの世界の空気に、すごく……似てる………」
「――オレの、世界に?」
刹那リップの脳裏を駆け抜けたのは記憶。
良い思い出等ではない。
汚泥のような悔恨と哀切と、そして憎悪で溢れた追憶だった。
運命に玩弄され続けるばかりの人生。
否定という名の呪いが舞い降りた生涯。
誰の所為でもない、望みもしなかった祝福(ギフト)により歪められた幸福。
大いなるものの意思と悪意に躍らされる者達の嘆きと怒りを、リップは確かに覚えている。
神の箱庭。永劫に繰り返す、運命のゲーム盤――
「そうかよ。なら確かにお前の言う通りだろうな、皮下」
禍々しいという形容は言い得て妙だ。
確かにあの世界を表現する上で、それ以上の言葉はない。
美しいものもあった。
尊い日常があった、守りたい誰かが居た。
リップにとって帰るべき世界はあの箱庭だけだ。
その存在を否定し拒絶するつもりは毛頭ない。
だが、だとしても…彼処にはそれを穢すモノが居た。
遥か天の高みから、嗤いながら艱難辛苦を寄越す存在。
リップのその手を永遠に拭えない血と罪と後悔で紅く濡らした神の影が、あった。
ワインの樽に一滴の泥水を垂らせば、それだけでどれほど上等な酒も泥水の評価を受けるように。
あの邪神の存在一つだけで、リップの故郷(せかい)は糞の海と呼ぶべき地獄だった。
醜悪な神が愉悦のままに人の運命と命を弄び、あった筈の未来を否定する実験場。
「アーチャー。――それは、"神"か?」
その禍々しい世界と似た波長を感じるとシュヴィは言う。
ならばリップに思い付く可能性は一つだった。
誰かの運命を弄ぶ醜悪なる神。
盤上の支配者と呼ぶに等しい上位存在が、この界聖杯に現出しようとしているのかと。
そう考えて口にした可能性に、シュヴィはおずおずと頷いた。
リップの眼光が更に鋭く険しくなる。
それは間違いなく、彼にとって最大の地雷であったから。
「《大戦》で、相対した……」
正確にはシュヴィが、ではない。
彼女の同族が、文字通りその存亡を懸けて相対し討ち滅ぼしたとある種族の戦神。
創造と破壊を繰り返し、地上全てを覆う大戦の中にあってさえ強勢を誇り続けたモノ。
それと分類を同じくするとある種族に酷似した気配をシュヴィは感じ取っていた。
「…《神霊種(オールドデウス)》の気配に、よく似てる……」
ガリ、と音が鳴った。
リップが頬の内側の肉を噛み潰した音だった。
口端から一筋の血を滴らせながら、青年はこれまでに無い程の形相を浮かべる。
神霊種、それはかつて盤上の世界に《大戦》という厄災を齎した元凶の種族。
一つの概念が神髄を得て実体を結んだ不条理の産物。
神の称号を冠するに相応しい権能を秘めたる――規格外の中の規格外。
「恐らく"そいつ"はまだ完成しちゃいない。要するに今のこれは嵐の前の静けさって事だ」
「何故言い切れる。アーチャーは兎も角として…お前は何の根拠を持って語ってるんだ」
「アルターエゴ・リンボ。窮極の地獄界曼荼羅…聞き覚えはあるな?」
その言葉を聞いた瞬間。
リップの中にも理解の線が一本はっきりと通った。
その名は知っている。
海賊同盟に与し暗躍を繰り返していた存在。
窮極の地獄界曼荼羅なる、聖杯戦争の大前提を忘れ去ったかのような馬鹿げた計画を構想していたという不幸の売人。
女帝は堕ち明王は沈み海賊の君臨は打ち破られた。
では――地獄の曼荼羅を築くのだと豪語したかのアルターエゴは何処へ消えた?
「俺には正直、神だの何だのと言ったふわふわした話はよく分からない。
只こんな碌でもない真似をしでかす奴となればな。話に伝え聞く例のアルターエゴ以外にはちと浮かばん」
「動き出した、って事か」
「全陣営が平等に削られた所だし、まぁタイミングとしては妥当だろ。
もう連絡は途絶えてるが虹花の一人から連合側のサーヴァントが一騎落ちたって報告も受けてる。
皆の嫌われ者をキッチリやり通して、ゲームを自分の土俵に持ち込んだ。全く立派なもんだよ、もっと早く切っとけばよかった」
連合でさえある程度の削りを受けている状況だ。
此処で自分の目的の成就へと無理矢理にでも持ち込めたリンボは、ある意味では先の抗争における真の勝者とすら言えるかもしれない。
曰く神の如き何か。
推定、窮極の地獄界曼荼羅。
胎動するソレを皮下は警戒しており、当初は懐疑的だったリップもシュヴィの所感を聞いた今では苦い顔をする他なかった。
理屈はさっぱり分からないし、実像もまるで見えていないというのが正直な所ではあるが。
この先、目前の二人が訴えている不穏の気配は最悪な形でこの世に現出するだろうと察せてしまった。
リップ=トリスタンは、この界聖杯に存在する誰よりも神の脅威と悪辣さを知っている人間だから。
「…話は分かった。で、結局お前は何を狙ってんだ? リンボの撃滅まで手を結んでくれって事か」
「似てるけど少し違うな。リンボの跳梁が目障りだってのはあくまで俺の主観的な感想だよ。
これまで何だかんだ組み続けてきた相手へのちょっとした義理で教えてやっただけさ」
俺が本当に言いたい事は少し違う。
廃墟に放置された椅子に腰掛け、笑う皮下。
「なぁリップ。この戦い、そろそろもういいと思わねぇ?」
「派手な姿になって脳まで蕩けたか」
「もう随分長い事戦ってきただろ、俺達。予選も含めれば1ヶ月以上だ。
本戦自体はまだ始まって30時間って所だが、馬鹿がこぞって派手に暴れたせいで戦況の加速が酷い。
それだけなら良いが、俺達も含めて同盟を組んで生き抜こうって輩が多いから加速する戦況も苦い顔しながら何とか乗り切れちまってる。
そう――乗り切れちまってるんだよ」
本戦だけを切り取って一つの聖杯戦争と見るならば、この界聖杯を巡る戦いは異常なペースで進行していると言えよう。
交戦の勃発ペースからマスター及びサーヴァントの脱落ペース、どれを取っても異常に速い。
その理由は今皮下が説明した通りだ。
無軌道に暴れ回り、都市機能への影響や社会への秘匿を知った事かと無視した大火力を撒き散らす手合いの存在。
峰津院大和ひいてはそのサーヴァントが皮下医院へ襲撃を仕掛けたあの時から今に至るまで、聖杯戦争はほぼ休みなく加速し続けている。
「こうなるともう消耗戦だ。大きな戦いが起こる度、皆少しずつ手持ちを削られていく。
それは手札であり、手足であり、もっと大きなものかもしれない。しかしなかなか減りはしない。
集まって固まってるから、摩耗しても欠損しても立て直しが利くんだよ。
誰も彼もが痩せ細り衰えながら、腹ペコの野犬みたいに目をギラギラ輝かせて殺し合い続ける。まさに地獄絵図だ」
「えらく饒舌だな。戦争に造詣があるとは聞いてたが」
「…若い頃にちょっとな」
皮下は遠くを見るような表情を一瞬見せたが、咳払いを一つしてそれを振り払う。
「兎に角だ。俺が言いたいのは――こうなっちまったらもう、真面目に付き合ってやるだけ損だって事さ」
誰もが失い続ける。
しかし死なない。
誰もが強力な基盤と寄り合いを持っているから滅びはしない。
失いながら、磨り減りながら、それでも生き続け戦い続ける。
そうして戦いの起こるペースとは裏腹の緩やかさで役者が徐々に減っていき…やがて静かに最後の一人が決まる。
年月の経過で石が風に溶けるように。
土の奥底に埋もれた骸が、いつか石になるように。
滴り落ちる雫が、一本の柱に変わるように――。
「先刻言ったように…お前達に関してはもうどちらでも構わない。敵になろうがどうしようが、好きにしなって感じだ」
最強の脅威であった海賊同盟でさえ欠落した。
東京を襲撃の恐怖で支配した割れた子供達でさえ滅亡した。
絶対の強者だった峰津院の鋼翼改め混沌王でさえ、討たれた。
そんな長く痛みの多い戦いにこれ以上付き合う義理など微塵もない。
「だけどそうだな。最後の最後だしせめてお互い腹を割ろうぜ、リップ」
だからこそ皮下真は此処で、最後の商談をリップ=トリスタンという好敵手へと持ち掛けるのだ。
「聖杯戦争を終わらせよう。俺と一緒に――界聖杯を奪りに行かないか?」
◆ ◆ ◆
「悪いなお前ら。身の程知らずの馬鹿が、俺を焚き付けやがったもんでよ」
穴の底から立ち上がり、灰の丘…宿敵の墓標と化した旧霊地で四皇は燻る。
胡座を掻いた彼の目前に立つのは一枚欠けた大看板。
"火災"のキングと"疫災"のクイーンの姿がある。
鬼ヶ島は墜ちたが、元より彼らは他の幹部とは一線を画する最強戦力。
かの"旱害"と同様に魂喰いと掃討の役目を果たし続けていた。
もう少し時間があれば、彼らが弟分を討った仇の前に並び立つ事もあったのかもしれないが…
「ジャックはどうした。死んだのか」
「どうもそのようで。チッ、あの野郎! こっちに来てからも変わらずのズッコケっぷりだぜ」
「いいいい、言ってやるな。今おれが此処で生きてられるのはアイツの努力のお陰でもあるだろうしよ」
光月おでんとの戦いの中でカイドウが受けた傷はまごうことなき致命傷だった。
そこに
死柄木弔の崩壊を浴びたのだ。
如何に彼が特殊な肉体を持つ怪物であると言えども、本来ならば消滅するのが自然だったに違いない。
それを免れさせた理由の一つには大看板、その他百獣海賊団の兵卒達の魂喰いによる霊基強化が間違いなくあったろう。
ジャックは戦死したが仕事は果たした。
カイドウはそう認識していた。
「なァ。お前ら…」
酔おうにも今は酒すらない。
消沈し傷心した渇き切った心と死に体の巨体。
そこから紡ぎ出された言葉は、皮下の命令通りのそれだった。
「おれの為に今から死ねるか」
大看板達はカイドウの力そのものだ。
彼らの存在を喰らい、その魂を取り込む事が出来ればカイドウは魂喰いとは比較にならない効率での霊基増強を見込む事が出来る。
そうすれば恐るべき皇帝は真の意味でこの地に再臨を果たす。
海賊という終わった筈の脅威が再び産声をあげる時が来る。
そんなカイドウの言葉に、即答したのは火災のキング。
「あんたがそうしろと言うのならすぐにでも」
「即答かよ…! テメェキング! この期に及んでゴマすりに余念がねェなァ!?」
「このバカの首もすぐにでも」
「なんでお前がおれの回答権も持ってんだよォ~!? こちとらまだ現世のスイーツも女も味わい足りねェんだぞ!?」
漫才じみたやり取りから始まる火災と疫災のどつき合い。
絵面も漫才同然だが、一般人が間に巻き込まれれば一秒の後には全身の捻れた変死体に変わるだろう。
そんなお馴染みの光景を眺めながら、カイドウは嘆息して言った。
「おれは…どっちでもいい。皮下のバカが息巻いて求めて来たってだけだ」
彼は元より感情の乱高下が激しい性格の持ち主だ。
上機嫌に笑ったかと思えば次の瞬間には激怒する。
それはいわば百獣海賊団の日常茶飯事であったが、今の彼のそれは違った。
心の底からの落胆とそれに伴う無気力状態。
光月おでんとの再戦という最大の念願の成就を横槍で終わらされた事実が、彼の中から全ての気力を奪い去っていた。
「下らねェ。何もかもが、つまらねェ」
思えばずっとこうだ。
麦わらの海賊はカイドウの失意を乗り越えて再び目の前に立ちはだかってくれたが、原初の因縁であるおでんはこの結果。
結局の所あの男の中には自分という討つべき敵よりも、守り生かすべき誰かの存在の方が大きく在ったのだと理解したからこそ虚無感は深い。
今、カイドウの目に世界は無味乾燥とした茫漠の荒野のように見えた。
望まない卑劣で宿敵に勝ったあの日よりも虚無の度合いは遥かに深く、出てくるのは溜息のみで泣き上戸にもなれやしない。
いっそこの体に物を言わせて令呪に抗い枯死してやるのも悪くないかと考えたカイドウだったが、そんな彼に異を唱えたのは意外な男であった。
「それでいいのか? あんたは」
火災のキングとそう呼ばれた男。
かつてカイドウにそう名付けられた男。
鉄仮面を外し、褐色肌の素顔を露わにした彼が言う。
「どういう意味だ」
「あんたは此処で腐る男じゃないだろう。世界の破壊を掲げた男が枯れて死ぬなんて俺に言わせれば笑い話にもなりゃしない」
大看板はカイドウの走狗だ。
彼に従い、彼と運命を共にするだけの兵隊だ。
しかしそこには確かな過去がある。
地獄のような時代を生き、そして最強の生物に魅入られた男達。
中でも最古参の古株であるキングは特にそうだ。
かつてアルベルと呼ばれていた男は今、その素顔を晒して主君と向き合っていた。
「世界を変えられると豪語する男だ。あんたなら当然、可能だろう。あんたの宿敵を奪い去ったこの街(せかい)を更地に変えるくらいの事は」
アルベルは思い出していた。
自分が如何にしてこの男と出会ったのか。
只切り開かれ、試され、使い潰されるばかりだった己の人生が充足した忠義の日々へと変わったのかを。
『お前は世界を変えられるか?』
『おれにしか変えられねェ!!』
燃え盛る島で聞いた言葉は今も彼の胸に響き続けている。
この残響が消える事はない。
そう心得ているからこそ、彼は龍の枯死を許さなかった。
戦って死ぬのならば認めよう。
敗れて消え去る事は不服だが共に歩もう。
あの"麦わら"のような、新たなるジョイボーイが現れたとしても立ち向かおう。
だが戦わずして死ぬ事だけは認められない。
それは、アルベルの得た救いと憧憬の否定だ。
「おれの命はあんたに貰ったもんだ。あんたの好きに使えばいい。
だが一つだけ、あんたの船員(クルー)として頼みが許されるなら――」
あの日自分を救い上げた言葉と姿。
数十年の年月を捧げて仕えた日々。
その財宝を穢される事だけは、忠臣たるキングも許さなかった。
「どうか再起を。あんたの力を見せてくれ」
「おれに…戦えと命じるのか?」
「たかだか都市一つ潰せば手に入る宝なんて、あんたにとっちゃ朝飯前だろう?」
たかだか都市一つ、たかだか強豪十数体。
それらを蹴散らせば手に入る宝など、一つの時代を相手に戦った皇帝にとってはどうという事もない相手だろうと。
仮面を付け直しながらキングは呟いた。
仮に皮下が同じ事を言ったならばカイドウはすぐさま激昂しただろう。
しかし男は今、只沈黙していた。
小さく息づきながら、静謐を湛えた瞳で腹心を見下ろしていた。
「悪いな。お前ら」
カイドウは王だ。
王道とは死にあらず。
記憶の片隅で誰かの喝破が再生された。
生きてこそ叶えられる、死しては叶えられない望みというのがこの世にはごまんとある。
好敵手も城も部下も全て失い、王は孤独に成り果てるが。
それでも、彼だけはそこに居る。
徹頭徹尾最強にして無敵。
一つの時代におけるトップランカーとして全ての海賊に恐れられた怪物の姿がそこには残る。
それは百獣海賊団という群体の真髄。
極論カイドウさえ存在すれば成立するのだ。
全ての爪牙を奪われ、飛び六胞も大看板も潰され、それでも尚討ち入った逆賊達を単身で追い詰め続けたように。
「謝らないでください。それでこそ、おれの惚れ込んだあんただ」
「あァ~もう! 勝手に話進めやがってェ~! おれはまだこの世への未練消えてねェんだぞォ~!!」
「ん? なんだ、お前まだ居たのか」
「ずっと隣で聞いてたわ! ネジ切るぞこのボケ鳥野郎が!!」
鬼ヶ島が墜ち、手下が全て潰れても。
大看板が身を挺しその結果カイドウが一人になっても。
彼はそれでも勝利に向けて邁進出来る。
皇帝は依然変わりなく。
生物としての次元が違うその生物は――界聖杯を手に取れるのだ。
「やるからには勝ってくれよなカイドウさん! で、おれに今度こそキャバクラ行脚の旅をさせてくれェ~!!」
「後は頼みます。…ま、あんたなら勝つでしょう。そう何度も奇跡が起こっちゃ"ジョイボーイ"の名も褪せちまう」
跪いて首を晒した二人の部下。
その姿が黄金の粒子に変わって消えていく。
英霊の座ではなく、海賊カイドウの霊基の内側へと還っていく。
途端に王の肉体を苛んでいた致命域の手傷が只一つを除いて塞がり、数十秒の時間を掛けてカイドウはその玉体を取り戻した。
胸に刻まれた一筋の新たな刀傷。
再会した宿敵の赫刀で刻まれた一太刀。
鼓動するように痛むそれに手で触れ…カイドウは無人の荒野の只中で嘆息した。
「どいつもこいつも…手前勝手に、おれを置いていきやがって……」
背負わせてんじゃねェよ、青二才が。
遠くを見つめながら発した言葉にももう誰も返さない。
キングは散った。喧しいクイーンの軽口も此処にはない。
光月おでんもこの地平線上には今や存在しない。
なのに自分は戦えと、世界を壊せとそう求められている。
背負いたくもないのに、背負ってしまった。
「誰に物、言ってやがる…おれを……このおれを………誰だと思ってやがる…………」
完全復活には至らねどそれはあくまで肉体の損耗度の話。
その全身に漲る覇気は、彼の力が微塵たりとも衰えていない事を示している。
いやそれどころか、かつての時分よりも明らかに上を行っていた。
未遂に終わりはしたもののしめて数百人以上を虐殺した百獣海賊団による魂喰い。
そして大看板二人の献身――それが最強を更なる最強として成立させた。
「おれは、おれは!」
希望の時、これまで。
安息の時、それまで。
地獄の顕現なぞ待たぬ。
龍が起きてしまったなら、天変地異がやって来る。
「おれは――! "百獣のカイドウ"だぞォォ――――!!」
「おおぉおぉおぉおおおおおおおおぉぉぉおおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおぉおおおおおおぉおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおぉおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおぉおおおおおぉおおおおぉおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおぉおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおぉおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおぉおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおぉおおおぉおおおおぉおおおおおぉおおおおぉおおぉおぉおおおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおおおおおぉおおおぉおおおおおおぉおおおおぉおおおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおおおおおおぉおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォオオオオオオオオオ――――――───!!!!!!!」
最後の皇帝が此処に独り立つ。
その咆哮を以って、大戦争の開幕は告げられた。
◆ ◆ ◆
「で、その女と来たらもう俺の事も覚えてんだか忘れてんだか分かんねぇの。
酷ぇと思わねえ? 百年近く甲斐甲斐しく世話焼いて裏から根回ししてって忙しなく動いてたのは誰だって話だよ本当に」
「お前の所業を知っているからかな。微塵も同情出来ないし、むしろ当然の報いだろって感想が込み上げてくる」
「うげー正論かよ。俺正論って嫌いなんだよね…時たまそいつのイカれた毒親が顔出す事もあってよー、こんな甘いマスクしてるけど常に胃薬が切らせないような生活してたんだぜ」
「胃薬なんて効くのか? その体で」
「当然自作の特別品です」
「……、まぁ。やっぱり自業自得だろ」
時が飛んだのかとそう見紛おう。
首に不治の刃を当てられた一触即発の状況は、しかし男二人が並んで廃墟の床に座り缶ビールを傾ける光景に一変していた。
酒は皮下が持参していたものだ。
持っている風には見えなかったが今の彼にとってその程度の手品は呼吸のようなものであるらしい。
シュヴィは彼らの姿を見守りながら、皮下が用意した紙パックのオレンジジュースを啜っている。
しかし彼女は言葉を挟もうとはしなかった。
男二人の語らいに自ら入って行こうとは、思わなかった。
「そら、俺のは話したぜ。次はお前の番だ」
皮下真が明かしたバックボーン。
彼が全てを捨ててでも聖杯を狙うと決めたその理由。
呪われた血。
完全なる生物。
玩弄されるばかりの運命を呪った女とそれに魅入られた愚かな男。
屍を積み上げ、悲しみを失くすのだと豪語しながら嘆きを生み続ける旅路。
全ては――神木だ何だと崇められ続けた一本の桜を終わらせるべく。
皮下真という男は只それだけの為に、この世界へ集った全ての命と全ての願いを踏み躙るのだとそう知った。
「…別に。酒の肴にするような話じゃない」
彼の言っている事もやっている事も最悪の一言だ。
長生きすると、初恋すら取り返しが付かなくなっちまうのか。
そう思いながらもしかし、リップは彼を笑えなかった。
糾する事も出来なかった。
それは彼とは真反対の覚悟であり…だからこそ己が望みを成就させる上では避けて通れない障害であると理解したから。
この冗談のような酒盛りに付き合う事を決めたのも、ひとえにそういう理由だった。
「患者を死なせた。それだけだ」
「医者なら誰もが通る道だな」
「医療に完全はない。医者だって人間だ。どれだけ手を尽くしたって、神のようにはなれやしない。
最善を尽くしに尽くして熟慮を重ね慎重に執り行われたオペでだって、患者は死ぬ。
医術は妥協だって言う教授も居たよ。俺もそれが間違いだとは思わない。全員の死に馬鹿正直に向き合ってたら医者なんてたちまち廃業だ」
現実と理想の線引きが最も求められる職業。
それが医者だ。
全ての病める人を救う事は出来ない、自分の手で切り開いたクランケが目前で死んでいく光景を幾度と見て彼らは成長する。
リップも…皮下だって決してその例外ではない。
死をありふれたものとして受け入れる事は医者として最初に遭遇する関門だ。
「ただ」
しかし。
それが最善を尽くし、熟慮を重ね、慎重に慎重を期し。
想いの全てを込めて臨んだ結果、成功の公算が確定的だったオペだったなら?
「アレは治せる命だった」
救えると確信した命を――人の手とは異なる何かの介入によって奪い去られたならどうか。
結果はこの通りだ。
その冗談みたいな命題の回答こそが、今この場で安物の缶ビールを傾けている眼帯の男だ。
神に嘲笑われ踏み躙られた最愛の命。
弄ばれ、つまらぬ娯楽の為に消費された絆。
かの日の運命に対する呪わしいまでの怒りと後悔が、今日の日に至るまでリップ=トリスタンを突き動かし続けている。
「だからやり直すんだ。界聖杯を使い、オレはあの日失った命を取り戻す」
彼は止まらないだろう。
何を殺してでも救う。
何に頼ってでも帰る。
この世界で選ぶ道はどちらか一つしかない。
中間は無いのだ。
それを選ぶ事を許される身であったなら、リップの体に全ての命を否定する力は宿っていない。
「…成程ね。漸く合点が行った」
「不治の出処がか。この通り、只の呪いだよ。それ以上でも以下でもねぇ」
「それもそうだが、どちらかって言うとお前のロールの方だな」
――リップ=トリスタン。
――"医療ミス"で自ら医師としての職を捨て、自暴自棄の末に社会の闇へと身を落とし、今では非合法薬物を売買して生計を立てている。
「お前の話を聞いてみて一つ分かった事がある」
「聞いてやるよ。言ってみろ」
「上位種気取りで見下してくるデカい奴ってのはおしなべてクソだって事さ」
「――は。あぁ、そうだな。まさしくそうだ」
皮下もそういうモノなら知っている。
リップの運命を玩弄した神(それ)に比べればいくらか地に足の着いた存在では有るものの。
神のように"彼女"を扱い、我が物のように手繰ろうとした悍ましい男を知っている。
だからこそこの一点においてはリップへ素直に共感出来た。
何を犠牲にしてでも生かす。
何を犠牲にしてでも殺す。
正反対の願いを抱く二人だが…全ての始まりを作った元凶たる上位者への嫌悪だけは共通していた。
「とはいえ清濁併せ呑むって言葉もある。界聖杯が本当に全能の願望器だってんなら喜び勇んで靴でも何でも舐め回すさ」
「やはりお前とは殺し合うしかないらしいな。俺がどっちの道を選ぶにせよ、お前とぶつからずに終われる未来は無さそうだ」
「全くだ。俺は方舟を許せないし、界聖杯に手を伸ばす競争相手も許せない。笑えてくる程呉越同舟って訳だ、俺達は」
尤も、舟をいつ降りるかはお前の自由だがね。
そう言って皮下は最後の一滴を飲み干した。
酩酊はない。
つぼみの血と細胞、その原液を宿しながら繚乱へと至った彼の肉体は…本家本元の夜桜以上に太源(つぼみ)に近い。
皮下の計画に紛れ込む砂粒たる夜桜十代目の伴侶の少年。
汚名を背負い終わらぬ夢に身を窶した九代目の伴侶。
いずれも及びも付かない領域へと彼は到達しつつある。
「この際率直に言うけどな。オレはお前が嫌いだ」
「だろうね。じゃなきゃもうちょい穏当な扱いするだろ普通」
「オレもオレで、お前の過去を聞いて納得したよ。
馬が合う筈なんて無いんだ。生かしてしまったヤツと、殺してしまったヤツとじゃ」
皮下が白ならリップは黒。
リップが光なら皮下は闇。
彼らの道は何処まで行っても正反対。
始まりも目指す終わりも、決して重なり合う事はない。
「勝つのはオレだ。それは絶対に譲らない」
だからこそ歩み寄りもまたない。
彼らがどちらかの夢に少しでも歩み寄る、そんな事態は有り得ないのだ。
形だけの握手も最早終わった。
二人は酒を酌み交わしたばかりだというのに、既に互いに互いを滅ぼす未来を見据えている。
「…最初は何をトチ狂ったんだコイツはと思ったけどな、お陰で取り敢えずどっちを選ぶかは決まったよ」
「そりゃ何よりだ。火事場泥棒でビールを調達してきた俺も報われる」
航路は決まった。
乗る舟も決まった。
リップもまた缶を傾け、最後の一滴を嚥下する。
缶を握り潰しながら呟いたその眼はもう二度と逢わない相手への感傷にも似た、そんな色彩を宿していた。
「悪いな」
◆ ◆ ◆
廃屋の一室。
人質である彼女が押し込まれた其処の扉が開いた。
建付けが悪いのか、骨の髄が軋むような耳障りな音が響く。
その先から姿を現した男の顔を見て、古手梨花はハッと笑った。
「運命に嫌われるのは慣れてる。けど…此処まで来たら筋金入りね、私も」
「そう腐るなよ。敵として言うが、君の強かさにはちゃんと意味があったぜ」
扉を開いたその男は綿毛のような頭をした、薄笑いの男だった。
忘れるべくもない相手。
梨花を今の身分に落とし、彼女の目前で"生きたい"と願った人々を殺めた男。
桜の花弁をはらりはらりと舞わせ佇む皮下真が其処に居た。
「君がリップ相手に上手く立ち回ってなかったなら、アイツは恐らくもっと派手に動いてた。
霊地争奪戦のゴタゴタに乗じて海賊同盟(おれたち)にとっての最適解で動かれてたらどうなってたと思う?」
「…は。あんたに褒められても、生憎そんなに嬉しくはないわね」
「おいおい本心だぜ? リップのアーチャーはブッたまげる程のチートスペックなんだ。
君の存在が彼女の最適運用を行う上でブレーキになっていなかったと言ったら嘘になるだろうさ」
皮下が何を言おうが、梨花にとってそれは意味のない言葉だった。
たった今目の前の扉が開いて、そしてその向こうからリップではなく彼が入ってきた。
その時点で古手梨花は賭けに負けたのだ。
一世一代の大勝負に命を含めた全てをベットして、見るも無残に敗れ去った。
彼が此処に立っている事はその事を酷薄なまでに物語っていた。
「けど残念だったな。リップは腹を括った。アイツは方舟に乗らず、より確実性の高い理想の成就を選んだ」
「酒臭いわよ。慣れない説得に随分頑張ったみたいね、皮下」
「おいおい、株を下げるような事言わないでくれよ。俺達は只語り合っただけだぜ、腹を割ってさ」
リップがもしも海賊側から鞍替えする事があれば、それだけで梨花達の陣営は信じられない程の前進を遂げる事が出来たろう。
梨花は正確に把握している訳ではなかったが、シュヴィ=ドーラはまさしく
アシュレイ・ホライゾンが求める条件を全て満たすサーヴァントだ。
機凱種としての演算能力と解析能力。
界聖杯への干渉を行った実績だって既にある。
その彼女ならば、アシュレイの界奏の最適なパートナーになる事が出来たのは間違いない。
だからこそ、これは梨花にとってまさしく大勝負だった。
既にその丁半は示されてしまったが。
「人が誰かを想う気持ちは狂気だ。これを拗らせるとな、人間は何処まででも行けちまう。何にでもなれちまう」
「だから貴方はそう成ったのかしら。皮下真」
「如何にも。んで、アイツもそうらしい。つくづく救えない話だと思ったよ、お互いな」
リップ=トリスタンの選んだ答え。
それは、宿敵との約束された決裂を受け入れながら今の舟に乗り続ける事。
これ以上の摩耗と遅延が生まれる前に聖杯戦争を終結させ界聖杯へと至る事。
古手梨花の言葉には熱があった。
願いの為に覚悟を決めた男をさえ傾がせる想いがあった。
だとしても――誰かを想う熱という無二の共通点には敵わなかった。
「次は俺から質問させてくれるか」
「好きにしなさい。今更意地悪をする気はないわ」
「君と沙都子ちゃんの事なんだけどよ。君ら、ホントは見た目通りの歳じゃないだろ」
梨花と視点を合わせるように身を屈めて皮下は問う。
「どうにも体と心がチグハグだ。仕事柄年齢離れしたガキってのは腐る程見てきたが、お前らのはどうもそれとは質が違う気がする。
俺も人の身を超えて長生きしてる身だからかな。何となく親近感みたいなもんを感じるんだよ」
「…ふ、っ。笑わせないで――百年の死も超えてない若造が、魔女と同じ視座に立ったつもり?」
「一応百歳は超えてるんだけどな。ま、答えが聞けてスッキリしたよ。にわかには信じ難い話だが…まぁそういう事もあるんだろう」
百年の死を超えた魔女。
やはり、見た目通りではなかったのだ。
そうだろうと思っていた。
皮下の野望に正面から向き合い、腕を切り落とされても絶望するどころか闘志の火を燃やせる子供など常識的に考えて居る筈がない。
魔女とはよく言ったものだ。
人の身を超え魔へと至ったならば…人間の道理や限界など容易く超克出来るという事か。
「アーチャーちゃんの念話阻害はちゃんと生きてるな。良し良し」
古手梨花が鬼ヶ島を離れて尚念話を使用出来ずに居る理由は、シュヴィが施した念話へのジャミング処置とリップの不治の合わせ技だ。
これが無ければ怒髪天を衝いた女武蔵が飛んで来ている所と考えると皮下としても生きた心地はしない。
とはいえ、逆に言えば今に至るまで武蔵の音沙汰が無いのはそれが正常に効いている事の証明だ。
リップとシュヴィはよくやってくれた。
引導を渡すのは皮下だが、梨花の逃げ場と逆転の目を封じ続けたのは他でもない彼らだと言って間違いない。
「これで勝ったと思わない事ね」
皮下を睨み梨花は言う。
口元に浮かぶ笑みはこの期に及んで尚も不敵。
リップと道を分かつ事になったのは残念極まりないが、だとしても負けはしないとその目はそう誓っている。
「これが運命だと言うのなら…私は、この命が尽きる最期の一瞬まで抗い続けるわ。
知ってるかしら、皮下? 運命なんてね、金魚すくいの網よりも簡単に打ち破れるものなのよ」
「…お前らの所の連中が、必ずそれを成し遂げるってか?」
梨花は笑い。
皮下も笑う。
笑みと笑み、不敵と不敵が交差する――が。
「それには及ばない。お前が自分で成し遂げてくれ、古手梨花」
「…え?」
皮下の口にした言葉。
そして起こした行動は梨花の予期せぬものだった。
首を切り飛ばすのだと思っていた手は少女の右腕へと静かに触れるのみで。
拍子抜けとも違う、呆気に取られたような声が漏れる。
皮下の指が皮膚を破り、筋肉へと沈み込むのは一秒と経たぬ内の事だった。
「ッ、あ…!? な、にを……!」
「君達の会話の内容は聞いてる。で、沙都子ちゃんは現在進行形でお供のクソ坊主と悪巧み中だ。
俺らとしてもわざわざ討伐に向かうのは面倒でなー。手間を省けるなら是非ともそうさせて戴きたいんだよ」
「さ、とこ………」
北条沙都子。
その名前に梨花の眉が動く。
生きているだろうとは思っていた。
それは予感ではなく、半ば確信に近い悟りであった。
だが彼女の名前が此処で皮下の口から出て来るのは全くの予想外。
ましてや手痛い敗北を味わった筈の沙都子がもう既に動き出している等、梨花にとっては全くの寝耳に水だった。
尤も皮下らの認識は正確ではなく、魔女の目覚めにはまだ幾許かの猶予があるのだったが――
「とはいえ…ま、そのままじゃ勝てないだろ。俺が言うのも何だがアレは怪物の類だ。
人の身で真っ当に渡り合おうとするのは無理がある――そこで、いつかの腕の償いをさせてくれ。皮下先生から梨花ちゃんへのプレゼントだ」
瞬間、梨花は目を見開いて悶えた。
声にならない声をあげた。
皮下の手から自分の体内へと"何か"が流れ込んで来るのを感じたからだ。
雛見沢症候群の女王感染者として薬物を注射される事には慣れている。
今でこそ頻度は減ったが、昔は副作用の強い検査薬を投与される事もしばしばあった。
だがこれはそのどれとも比較にならない程猛悪で、苛烈なまでの効能を以って少女の肉体をすぐさま蹂躙し始めた。
「ぁ、あぁああッ……!? ッぐ、ぃあっ、あああああああああ……!?」
「ソメイニン。俺の体を満たしてるのと同じ細胞さ。
虹花のアイを覚えてるか? アイツの体に投与してた"葉桜"よりも遥かに濃くて有毒で、その分よく効く原液だよ」
それは呪われた血、呪われた細胞。
人間を人間以上の何かへと進化させる夜桜の血潮。
用法を守れば万病に効く妙薬にもなり得るが、原液の投与なんて本来は言語道断だ。
夜桜の血は人間が扱うには強力過ぎる。
筋肉は爆ぜ骨は拉げ臓器は形を忘れたように自壊し脳は萎縮と変形を繰り返し、すぐさま患者を死に至らしめよう。
忽ちにだ。
原型を失うまでで数秒、命を失うまでで更に数秒が関の山。
だが古手梨花は未だ悶絶と絶叫を繰り返しながらもこの生き地獄に耐え続け命を保ち続けていた。
その事実を目の当たりにして、皮下は満足気に頷き笑う。
「ははは、やっぱり耐えるか。問診の甲斐があったな」
先の会話は単なる興味本位のそれなどではない。
皮下は医者だ。医者が薬を投与するとあっては、当然問診は避けて通れない。
古手梨花は人であって常人ではない。
人の限界を何かしらの形で超えた存在である。
その前情報を以って皮下というドクターはソメイニン投与の決断を下した。
ソメイニンを流し込めば只では済まない。
しかしすぐさま死にもしない。
そう確信したから、彼は梨花という敗者を単に潰すのではなく活かす方向を選んだ。
「拒絶反応がキツいだろうがあと数時間の辛抱だ。それが終わればお前は、宿命を清算するに足る力を得るだろう」
――これは皮下の与り知らぬ話だが。
古手家の先祖は、鬼と人の混血であるという。
まだ鬼ヶ淵と呼ばれていた頃の雛見沢へ降り立った神。
それが人と交わり生まれた娘から連なる血脈。
その末裔こそが古手梨花。
長い時は鬼の血を薄れさせたが、しかし完全に消え去った訳ではない。
彼女が古き神の姿を認識し、神と通じ合い世界を繰り返していたのがその証拠。
桜花から連なった血筋の末裔は桜の細胞に対し部分的ながら持ち堪える奇跡を実現させた。
とはいえそれも永遠ではない。
以って数時間が良い所。それが、彼女の余命。
始祖と末裔では比べ物にならず。
じき、古手の血は途絶えるだろう。
「リンボは兎も角、沙都子ちゃんは君をご所望だったみたいだからな。残り少ない命、友達との大喧嘩の為に存分に使うがいいさ」
北条沙都子が神となるのなら。
もう片方の魔女もまたそれに近付くしかない。
魂を削り命を投げ捨ててでも。
そうでもしなければ、絶対の運命に辿り着いた魔女へは及べまい。
神楽の準備は整えられた。
梨花の体表で咲いては枯れてを繰り返す桜の花が、それを残酷なまでに物語っていた。
◆ ◆ ◆
「責めてもいいぞ、シュヴィ」
「…どうして……シュヴィが、マスターを責めるの……?」
古手梨花の終焉を聞きながらリップはシュヴィへ言った。
どうして、とシュヴィは聞く。
それに対してリップは足元の缶を屑籠に放り込み答える。
「お前はオレにあっちに行って欲しいと思ってただろ。もう短い付き合いでもないんだ、見てれば分かった」
「……そっか」
「悪い。オレは、古手梨花の手は取れなかったよ」
悪くはなかったかもしれない。
そうしていた方が明るい未来が待っていたのかもしれない。
今でもリップはそう思う。
だが、かと言って改めて彼女の手を取りに行く気にはもうなれなかった。
不確定な未来なのはどちらも同じ。
であれば後はもう、リップ=トリスタンという一人の人間がどちらを選ぶかの究極的な違いでしかなかったのだ。
そしてリップは未来に託す事をやめた。
自分の手で全てを掴み、全てを終わらせる事を決めた。
それだけでそれまでの話なのだ。これは。
「シュヴィは…マスターの、サーヴァントだから……マスターがそう決めたのなら、最後まで一緒に戦うだけ……だよ」
「…お前には、本当に心労を掛けてばっかりだな」
「そんなこと、ない……マスターは、頑張ってるよ……シュヴィは、それを知ってる………」
シュヴィは優しいサーヴァントだ。
彼女は誰かの血が流れる事を望んでいない。
リップもその事は知っている。
だからこそ詫びるのだ。
すまない。オレは、お前の願いには応えられない――と。
これから先、己は数多の血を浴びるだろう。
心優しい機巧少女を兵器として振り翳し、願いを摘み取り命を潰して回るだろう。
そうと決めたからにはもう頭は下げない。
これが最後の…彼女への罪悪感だ。
「オレの願いを――叶えてくれるか、シュヴィ」
「…う、ん……。マスターが、シュヴィにそう願うのなら……。
シュヴィ、も……大切なひとを想う気持ちなら、知ってるから…………」
以上をもって主従の語らいは終わる。
その刃、その砲火は聖杯戦争を終結へと導く為に。
彼方の地で産声を上げた龍の王と共に彼らは戦火を振り撒き続ける。
全ては只一つ。かの日、必ず掴むと決めた過去の為に。
【中央区・廃墟/二日目・朝】
【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:万花繚乱
[令呪]:残り一画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:つぼみの夢を叶える。
0:聖杯戦争を終わらせる。
1:クソ坊主の好きにさせるつもりはない。手始めに対抗策を一つ、だ。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
虹花の主要メンバーや葉桜の被験体のような足がつくとまずい人間はカイドウの鬼ヶ島の中に格納しているようです。
※ハクジャから
田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は
星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※ドクロドームの角の落下により、皮下医院が崩壊しました。カイドウのせいです。あーあ
皮下「何やってんだお前ェっ!!!!!!!!!!!!」
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。
※キングに持たせた監視カメラから、沙都子と梨花の因縁について大体把握しました。結構ドン引きしています。主に前者に
※『万花繚乱』を習得しました。
夜桜つぼみの血を掌握したことにより、以前までと比べてあらゆる能力値が格段に向上しています。
作中で夜桜百が用いた空間からの消失および出現能力、神秘及び特定の性質を有さない物理攻撃に対する完全な耐性も獲得したようです。
"再生"の開花の他者適用が可能かどうかは後の話にお任せします。
【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
0:もう迷いはしない。
1:シュヴィに魂喰いをさせる気はない。
2:敵主従の排除。
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。
また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。
【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:頭部損傷(修復ほぼ完了)、右目破損(修復ほぼ完了)、『謡精の歌』
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:――そんな顔、させてごめんね。マスター。
1:戦場を監視し、状況の変化に即応できるようにしておく。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(
ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない
6:セイバー(
宮本武蔵)を逃してしまったことに負い目。
※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。
※梨花から奪った令呪一画分の魔力により、修復機能の向上させ損傷を治癒しました。
※『蒼き雷霆』とのせめぎ合いの影響で、ガンヴォルトの記憶が一部流入しました。
※歌が聞こえました。
【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:右腕に不治(アンリペア)、ソメイニン過剰投与による肉体の変容及び極めて激しい拒絶反応、念話使用不能(不治)
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:――――――――――――――――――――
1:沙都子を完膚なきまでに負かして連れ帰る。
2:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
3:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
4:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
5:
櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。
7:私の、勝利条件は……?
[備考]
※ソメイニンを大量に投与されました。
古手家の血筋の影響か即死には至っていませんが、命を脅かす規模の莫大な負荷と肉体変容が進行中です。
皮下の見立てでは半日未満で肉体が崩壊し死に至るとの事です。
※拒絶反応は数時間の内には収まると思われます。
※念話阻害の正体はシュヴィによる外的処置にリップの不治を合わせた物のようです
【港区・東京タワー跡/二日目・朝】
【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:孤軍の王、胴体に斬傷(不可治)、霊基再生
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:皆殺し
[備考]
※火災のキング、疫災のクイーンの魂を喰らい可能な限りで霊基を再生させました。
なお、これを以って百獣海賊団の配下は全滅した事になります。
時系列順
投下順
最終更新:2023年07月17日 21:40