時は僅かに遡る。
 未だ夜桜の樹海が覆う渋谷の大地を、三人の猛者が躍動していた。
「は――…!」
 月の呼吸 拾陸ノ型――月虹・片割れ月。
 間断なき斬撃の連打にて斬り込むのは黒死牟
 そして彼の作り出す機に乗じて新免武蔵が跳ぶ。
 殺到する鎌鼬の悉くを切り捨てながら、たかがいち剣士とは思えない駆動で距離を詰めていく二天一流。
 身を回転させながら放つ斬撃は牽制でありながら確かに血飛沫を散らしている。
 それは黒死牟にも同じ事が言えた。
 武蔵も黒死牟もこの戦に列席する資格は当たり前に持ち合わせており、そして…
「ウォロロロロロ! キくぜ…!」
「そんな嬉しそうな顔で言われても、説得力無いのよね…!」
「阿呆が、おれァ今楽しんでんだぜ!? 楽しい宴にゃ笑顔は付き物だろうに。まぁ尤も」
 そんな二者の猛攻を単独で喜悦を浮かべながら捌き。
「アレだけ大見得切りやがったんだ…もっと魅せてくれなきゃ困るがなァ!」
 まだ足りん。
 もっと魅せろと吐き捨てながら暴れ狂う存在こそが、剣豪二人が挑む最強生物。
 悪竜現象へと到達した桜花舞台の真打竜王――カイドウである。
「"夜桜八卦"ェ!」
 桜が吹き上がる。
 それと同時に打ち据えられたのは武蔵だった。
 刀越しに伝わる衝撃だけで五臓六腑が悲鳴をあげる。
 マスターである皮下の増長に合わせて高まっていく夜桜の力。
 その影響を貪り食って放たれた一撃は、威力速度共に両手打ちの"砲雷八卦"をさえ超えていた。
「づ、ッ…まだ、まだあッ!」
 とはいえ剛撃も神速も最早見慣れている。
 武蔵もまた凄絶な笑みを浮かべながら、すぐに復帰して刃を振るった。
 銀閃の白と覇王色の黒が混ざり合いながら混沌を奏でる。
 その激突の中で咲き誇るのは花に非ず、月を象った斬撃の大河だった。
「…! まるで曲芸だなァ!」
 それは奇しくもベルゼバブ戦で、彼の弟が見せた芸当。
 月を踏み締めながら足場として敵へ肉薄する掟破りの歩法。
 判断を謝れば一瞬で足が膾切りになる事請け合いだが、黒死牟はそんな事一瞬だって憂慮してはいない。
 彼は天眼の持ち主に非ず。
 然し今、黒死牟は只目前の竜を斬る手段の模索のみに神経を注いでいた。
 六つ目――ついぞ弟を超すには至らなかった強さへの希求の名残を神経が千切れる程強く集中させる。
 一刀一刀に意味を持たせる。
 無意味な剣等この期に及んで放たない。
 全ての刀捌きに必殺の気合を込める。
 そんな黒死牟の意気を買ったように、閻魔の刀身は此処に来て黒死牟が振るった中で最大の冴えを見せつつあった。
「ち…!」
 月の呼吸・拾伍ノ型――虧月・牙天衝。
 黒き閻魔の縦振りがカイドウの肉を裂いた。
 ベルゼバブの時には自分だけが明確に及んでいない自覚があった。
 それに劣等感を覚えもした。
 だが今は違う。
 牛歩ながら確実に、敵の命に迫れていると感じる。
“これが…”
 黒死牟が抱くのは感嘆にも似た感情だった。
 昔は知っていた、然しいつしか忘れてしまっていた感情。
“これが……剣を振るうという事か………”
 それを呼び覚ましたのが誰であるか追及するのは無粋が過ぎよう。
 彼がその魂を背負った弟だったかもしれないし、異国の傾奇者だったかもしれない。
 そうでなければ二天一流の女剣士か、はたまた眩い銀光の娘か。
 誰であろうと黒死牟が今、数百年振りに生を実感しながら剣を振るえている事は動かぬ事実であった。
 一閃刻んだ返す刀に八斎戒で顔面を叩き潰される。
 その痛みさえまるで気にならなかった。
 疾く刀を振るおう。
 次の剣を試し、竜殺しに挑まねば。
 そんな思いのままに立ち上がる黒死牟を余所に新免武蔵が覇を吐いた。
「おおおおおおおおッ!」
「ぜやああああああッ!」
 激突――逃げも隠れも小手先も無し。
 唾を吐き砂を掛け相手を翻弄するのも武蔵にとっては立派な正道。
 だがこれ程の怪物が相手となっては斯様な小技に意味は皆無。
 猪口才に策を弄する暇があるなら斬り込んだ方が遥かに有益。
 結局、あまりに規格を外れ過ぎている相手に対しては正攻法こそが最も適した攻略法となる。
「"軍荼利龍盛軍"――!」
「ッ、く…お、おおおおおッ!」
 まさに流星群が如し連撃。
 全て捌くのは無理難題だ。
 一撃二撃と漏れた分が武蔵の体を打ち据え破壊する。
 人獣化を果たしているが故の速度を前に、日ノ本にその人ありと畏れられた天元の花でさえ付いて行けない。
 そして流星群が降り止めば次に訪れるのは単純無比な薙ぎ払い。
 辛うじて身を屈め掻い潜りつつ、斬り上げて得物を弾く。
 腕の軋む激痛を無視しながら斬り込んだ武蔵に、カイドウが大地を踏み鳴らした。
 震脚。まさに地面へ縫い止める為の技巧。
 カイドウ程の巨体の持ち主が行えば、それは当然気休めの域には収まらない。
 武蔵の歩みを強制的に止め。
 その上で、特上大業物の打擲を確実に叩き込む。
「ッ」
 溢れ出す吐血を拭っている暇も惜しい。
 刀を楔代わりに地へ突き立てて吹き飛ぶ体を抑制する。
 狂笑と共に向かって来る怪物を阻んだのは黒死牟だった。 
 地を這う無数の月閃が矛と盾の役を両立しながら悪竜を阻む。
「恩に着るわお兄ちゃん!」
「…その呼び名は……やめろ………」
 阻めた時間は一秒弱だが武蔵の復帰までには十分。
 月が砕けるなり、剣豪二人が共に閃撃を放つ。
 十字に交差した二刀の剣戟。
 そして玖ノ型、降り月・連面。
 カイドウはこれに対して逃げも隠れもしない。
 振り上げた八斎戒を振り落とす"引奈落"の一撃で対処する。
 武蔵の二刀を力で無力化しながら連面の月をねじ伏せる。
 その上で間近の二人を撃滅すべく居合めいた構えを取った。
 大仰な動作から繰り出されるそれが破壊的な威力を秘めている事は見えていたが、此処で剣豪達は退かずに前へ出る。
「「――――!」」
 負傷は愚か即死も恐れない突撃は成果をあげた。
 それぞれの剣戟が直撃して、カイドウの形相が苦悶に歪む。
「ぐおおおぉッ…!」
 カイドウの肉体は頑強の極みにある。
 だが決して不変ではない。
 刺せれば、斬れれば、ちゃんと血を流すし痛いのだ。
 ならば討てる。
 勝てない相手では決してない。
 その事を改めて確認しながら、次に技を弄したのは黒死牟。
 この好機を無為にしない為にも間断なく剣を繰り出し竜を刻みに掛かる。
 参ノ型――厭忌月・銷り。
「ウグ…!」
 X字に重なった斬撃がカイドウへ直撃。
 これに続けと武蔵が剣の軌道へ飛び込むように踏み込んだ。
「往生なさい――竜王!」
「ぐあああああああッ!?」
 黒死牟が付けた傷を押し広げるように叩き込む斬波。
 誇張なき乾坤一擲は事実、カイドウに相当の痛手を与えていた。
 二十尺を超える巨体がたたらを踏む。
 火祭りの宴は確実にこの怪物を削っている。
「ハァ…ハァ……! 効いたぜ………」
 だが何故だろう。
 どれだけ斬っても、まるで終わりが見えて来ないのは。
 攻撃は確かに通るのだ。
 肉体はちゃんと削れるのだ。
 では具体的にその耐久値を零にする為にどれだけの値が要求されるのか、その答えがいつになっても浮かんで来ない。
 まるで雲海の向こうまで聳え立った霊峰の岸壁を相手に鶴嘴を振るっているような。
 そんな絶望的な徒労感が、劇的な筈の戦果の裏に常に付き纏ってくるのを感じずにはいられなかった。
「侮り過ぎたな、悪かったよ…此処からは多少避けるようにする」
「は…何よそれ。今まではわざと避けてなかったって言いたい訳?」
 挑発とは取らない。
 負け惜しみ等では断じてないと解る。
 この男はそういう生き物だ。
 戦いを楽しむが故に出し惜しむ。
 全ての武力を解放しながらも、此処までカイドウは回避というカードだけは切らずにいた。
 然し事此処に来てその封さえもが解かれた。
 その意味する所は言わずもがな――
「必要ならちゃんと避けるさ。馬鹿じゃねェんだから」
 更なる絶望の具現だ。
 試すように放った武蔵の剣が空を切る。
 それどころか黒死牟の広範囲斬撃さえ一発も当たらない。
 すり抜けるように月海を抜け、気付いた時には雷鳴と共に黒死牟は吹き飛んでいた。
“…馬鹿、な……”
 視えなかった、全く。
 六対の朱眼をして感知不能。
 達人の動体視力を六倍に跳ね上げてそれでも視えない。
 それ程の速度を回避に回す事も可能だと言うのだ、この竜王は。
 戦慄していたのは何も彼だけではない。
 新免武蔵もまた、漸く影を踏めた相手の姿が遥か彼方へ遠ざかっていく錯覚を覚えずにはいられなかった。
「何処まで出鱈目なのよ、貴方――!」
 追い縋る剣がひらりと躱される。
 重ねた二の手は受け止められた。
 剣と金棒の応酬が繰り広げられ、カイドウの勝利で幕が引かれる。
 天空へ武蔵の体をかち上げ、更に今度はカイドウがそれを追った。
 跳躍力のみで浮かぶ武蔵へ追い付き追い越し…奈落行きの片道切符を押し付ける。
「そう何回も…! 同じ手、食うかっての……!」
 然し武蔵も只やられるだけではない。
 放たれた一打に向け剣を振るうのは勿論として、そのまま自らの足で剣身を蹴りつけて離脱を図る。
 無茶の代償に手足は砕けたが夜桜の血がその尻拭いをしてくれる。
 新免武蔵は勝つ為に手段を選ばない。
 その場で使える全てを使って勝利する、そういう剣士だ。
 呪わしき夜桜の血さえ彼女にとっては勝ちへの布石。
 無茶で道理を抉じ開けた武蔵を俯瞰しながら、カイドウはそれでこそだとでも言うように笑い。
「ウォロロロロロロロロ…! またしても宿願に逃げられた時はどうしてやろうかと思ったが、悪くねェ!
 楽しいじゃねェかよ聖杯戦争! 見てるかキング! クイーン! ジャック! 飛び六胞その他バカども!
 お前らも精々おれの霊基(なか)で踊って騒げ! 今日は火祭り、無礼講の宴の日だ!!」
 再び竜へと化ける。
 悪竜は空へ。
 桜の天蓋を背に、哄笑と共にあぎとを開く。
「魔力を回せ皮下ァ! 今のおれは上機嫌だ! 見た事のねェもんを見せてやる!」
 その宣言に偽りはなかった。
 構えは十八番の熱息とまるで同じ。
 だが其処に集まっていく魔力の桁が違う。
 桜の花弁が渦巻き、炎に混ざって彩るという科学法則を完全に無視した現象が発生する。
 花弁は燃焼するどころか更に炎の熱と純度を高めていく。
 武蔵、黒死牟。両者の頭の中にある単語が過ぎった。
 対城宝具、という単語が。
「――――"花嵐竜王"!」
 純粋な熱量は言わずもがな。
 其処に悪竜化を果たした事で沸き上がった魔力が加算。
 その上で皮下経由で流れ込ませた莫大なソメイニンを用いブレスそのものを加工する。
 そうして完成したのは花嵐。
 春に吹く、桜の災禍。
 それがカイドウの口腔から解き放たれた瞬間。
 火祭りの会場たる桜花爛漫の死合舞台が、逃げ場なき炎の波に覆われた。


「…生きてる、鬼さん?」
「…………、……見て……解れ………」
 嵐の過ぎ去ったその後に。
 辿々しい声が二つ響く。
 黒死牟の姿は惨憺たるものだった。
 胴体がごっそりと抉れて消し飛び、残る体も大部分が炭化している。
 それに比べれば武蔵はまだ見れる姿を保っていた。
 たかだか右の脇腹を焼き切られ、内臓が三つ程熱で完全に消失した程度だ。
“リンボの御坊に感謝する日が来るとはね”
 遡る事数刻前。
 龍脈の力を取り込んだアルターエゴ・リンボが繰り出した極大の炎(メギドラオン)を武蔵は見ている。
 あの時に炎の斬り方という物の核心を掴んでいなければ、恐らく今の一撃は凌げなかったに違いない。
 夜桜の血を窶しているとはいえ武蔵が受けているのは所詮梨花経由でのお零れ。
 つぼみと直で接続されている梨花程の再生力を武蔵は持たない。
 手足の破損や内臓の単純損傷ならいざ知らず、全身を広範囲に渡り消し飛ばされでもすればお手上げだった。
 事再生力において武蔵は梨花は愚か黒死牟にさえ遠く及んでいないのだ。
 だからこそ技が必要だった。
 技のお陰で助けられた。
 花嵐の到来を受けても生を保ち立ち続ける好敵手を前にして、人獣に戻ったカイドウは満足気だ。
「素晴らしい。これだから侍は好きなんだ」
 冗談だろうと言いたくなる。
 天に名高き二天一流。
 上弦の壱、その宿命を乗り越えた鬼剣士。
 極上の手練と呼んで差し支えないだろうこの二人が並んで連携まで繰り出し戦っているのだ。
 なのにカイドウの体には未だに致命傷一つない。
 彼の"果て"は相変わらず雲海の彼方。
「お前らは良い。その生き様も死に様も…見る者の心を躍らせる。
 さぁどうした。もっと魅せろよ、覇を吐いたのはてめえらだろうが。
 おれを殺しに来い剣士ども。悪竜(おれ)は此処に居るぞ。此処で生きているぞ」
「…ほんっと……好き勝手言ってくれるわ………」
 認めるしかない。
 結局、何度でも其処に立ち返ってしまう。
 この男は本物の怪物だ。
 生物としての格が違う。
 存在としての次元が違う。
 神とも悪魔とも、何なら竜とさえ違うだろうこの世の何よりも闘争に特化した生命体。
 それがカイドウ。
 この世における最強生物。
 海賊、四皇。
 時代の番人。
「生憎だけど、"侍"じゃあないのよ」
 それを前にやれる事は決まっていた。
 斬るべき者が目前に居て、生きているというのなら是非も無し。
 体は動く。剣は残っている。
 譲れぬものが胸にはある。
 であれば、すべきは一つ。
 為すべきを見据えて天眼が駆動する。
「私達は一人の剣士として此処に立ってる。
 生き様でならいざ知らず、死に様で貴方の心を躍らせる気なんてさらさら無いわ」
 黒死牟も無言のままで剣を構え直した。
 肉体の再生はまだ完了していないが、それは手を止める理由にはならない。
 口に出して同意する事はなくとも、彼の心中もまた武蔵と同様である事を物語っていた。
 そんな黒死牟へ武蔵が言う。
「ねえお兄ちゃん。首級は早い者勝ちなんて言っておいて本当に悪いんだけど、一つ勝手を聞いてくれるかしら」
「貴様が……勝手でなかった時が、あったか……?」
「あの怪物(ひと)と、一騎討ちをさせて欲しいの」
「――何…?」
 黒死牟が眉間に皺を寄せる。
 無理もない。
 共闘しているとはいえ、黒死牟もまたカイドウの首の為に剣を振るっていたのだ。
 そんな中でのこの提案は侮辱を通り越して愚弄にも等しい。
 無言のまま剣を突き付けられても文句は言えない、まさに酷く勝手な発言だった。
 然し武蔵はおどけた様子もなくそれでいて笑みを浮かべた。
「…もう時間が無いみたいでね。それらしく約束はしてみたけれど、やっぱりどうにもならない事ってあるもんですなぁ」
 …新免武蔵の限界については黒死牟も察知していた。
 霊基の急激な変質は不安定さと表裏一体だ。
 今にも消えそうな陽炎のような不確かさが今の武蔵にはあった。
「多分…もって後数分。そのくらいでまず私のマスターに限界が来る」
 梨花に残されている時間は確かに少なかったが、それでももう少しは持ち堪えられるだろうと踏んでいた。
 にも関わらず明らかに刻限が早まっている。
 それだけあちらの戦いが熾烈だと言う事なのだろう。
 只でさえ無理を押して動かしていた幼い体。
 もう直に、古手梨花は己が寿命に追い付かれる。
 そしてそうなれば要石を失った武蔵も終わりだ。
 ましてや彼女は放浪者。
 吹かれて飛んで世界を渡る特異点。
 楔を失った布が風に曝されたらどうなるかなんて解り切った事だ。
「因縁に決着を着けると息巻いてやって来たのに、尻切れ蜻蛉だなんてこれ程格好付かない事もないでしょう?
 だからね。もしもあなたが赦してくれるなら、ちょっとだけあの竜王さまを独り占めしたいなーなんて」
「…、………お前は……本当に、虫の好かない女だ………」
 聞き入れてやる理由はない。
 知るかと突っ撥ね、斬りたければ励めばいいだろうと正論を叩き付けて終わればいいだけの話だ。
 だと言うのにわざわざ嘆息と共に剣を下ろした理由は錆が取れたからか、陽光の少女の好影響か。
 それとも――己が不変の運命と据えていた男に先立たれた境遇が彼にそうさせたのか。
 本当の所は解らないし黒死牟も決して語らないだろう。
 確かな事は、一騎討ちの申し出は聞き入れられたという事。
「好きに、しろ…死に損ないめ……」
「ありがと。でも重ね重ねごめんね、貴方の分はきっと残らないわ」
「戯けが……そうなれば、消える前に貴様を斬り捨てるだけの事………」
「あははっ、おっかない! でもそうね、最後にリベンジのお誘いくらいは受けてあげようかしら!」
「……待て………私がいつ……貴様に敗けた…………?」
 これより新免武蔵。
 幾度目かの死地に入る。
 思い出すのは神々の土地。
 全てを賭して原初神と相対した記憶。
 踏み出す――前へ。
 相対するのは最強の竜王。
 此度己が捕らえるべき極上の蝉。
「話は済んだか?」
「えぇ。聞いてたなら説明は要らないわね」
「ウォロロロロ…生意気な上に強欲か。救いようのねェ女だ」
「あら。鉄火場に生き甲斐を求める人でなしなんて、大なり小なり皆そうだと思うけど?」
「違いねェ。だがこのおれを喰らえると信じてるんなら残念だったな」
 覇王色の覇気が轟き渡る。
「感じるだろ? 皮下の野郎が拵えた樹海がもうじき弾ける。誰にも止められねェ。それに、何よりもだ――」
 神霊の威圧にも劣らない暴性の発露。
 骨身にまで染み入る痺れが不思議と今は心地良い。
「おれは強ェぞ!? 二天一流……!」
「結構結構! 竜殺し承りましょう、今こそ!」
 さあ、いざ――尋常に。
「「――勝負だァッ!」」



 先手は武蔵だった。
 最後と解っているから出し惜しみは一切ない。
 初撃から全ての打算心算を解き放つ。
 剣戟を重ねて十重二十重、縦横無尽そのものの乱舞を見舞って魅せる!
「多少は速くなったか」
 然しそれに平然と適応するカイドウ。
 金棒を振り回すだけに見えるが武蔵には解る。
 其処に一体どれ程の研鑽が介在しているかが見える。
 改めて凄まじい――こうも強く生まれた生物が此処まで自己を鍛え上げる等並大抵の所業ではない。
 闘争の為に生まれたような男が、闘争の為に鍛錬を重ねた末の完成形。
 その一撃を受け止める度に感じる戦の真髄。
 不謹慎は承知で胸が躍るのを禁じ得ない。
 この男を斬り伏せる事が出来たなら、嗚呼一体どれ程勝利の美酒は旨いだろうか。
「"夜桜八卦"!」
 一撃・一閃。
 武蔵は受け止める。
 いや、只受けたのではない。
 流しているのだ――衝撃を。
「――! ほォ…!」
 その両腕は黒く染まっていた。
 見慣れた色だ。
 武装色の覇気……否、敢えてこう呼ぼう。
 竜王に仇成す者の黒腕を指すならばこの言葉こそが相応しい筈だから。
「てめえも其処に達して来たか!」
「なりふり構ってられないので、ね!」
 "流桜"と。
 カイドウの打撃を流しながら、身の丈の小ささを活かして舞い踊る。
 袈裟懸け一閃。
 放った斬撃が竜の体を斬り裂く。
「浅ェなァ!」
 だが最早悲鳴すらあげてはくれない。
 今のカイドウに一切の遊びはなかった。
 武蔵もそれを承知しているからこそ驚かない。
 この竜を真に斬るには、もっとずっと深くへ届く一太刀が必要だ。
「ウォロロロロロロ!!」
「が、ッ――!」
 お返しだとばかりに振るわれる猛撃。
 だがそれは武蔵を打ち、動きを止める為の前座でしかない。
 カイドウが得物を握る力を数倍にまで強めて力む。
 特上大業物の八斎戒ですら悲鳴をあげる"溜め"は特大の不吉さを武蔵に覚えさせた。
 竜王の巌の如き肉体が万遍なく黒雷を帯びていく。
 その上で遂に出力させた"本命"、それは不撓不屈の風来坊をさえ一度は地に沈めた一撃。
「"大威徳雷鳴八卦"ェ――!」
 全力の膂力が振り抜かれ、武蔵は死を幻視した。
 いや、実際に僅かな間だが肉体は死んでいた。
 心臓は脈動を止め脳はあらゆる信号を鎖す。
 体が…本能が死を誤認する程の破壊。
 武蔵は頬の内側の肉を噛み潰して辛うじて、本当に辛うじて意識を復活させる。
 恐るべしは剣豪の生存ならぬ戦闘本能。
 本気の剣鬼は死さえ跳ね除けて剣を振るい続けるのか。
「…天晴! とうに極限ね、その技!」
「敵を褒めるたぁ奇特な事だ。切った啖呵を悔やんでいるのか?」
「まさか」
 武蔵が白い歯を覗かせた。
 悔やんでいる顔ではない。
 臆している顔ではない!
「これから乗り越えるから、褒めてやったのよ――!」
 新免武蔵、堂々の復活!
 放つ剣の冴えにカイドウでさえ眼を瞠った。
 回避が間に合わなかった。
 神の写し身の全力さえ視認してからの回避を可能とする彼が、だ。
“速ェ…! この女、つくづく……!”
 唆るじゃねェか、と。
 歓喜の中でカイドウは斬られた。
 知らず自分が歯を食い縛っていた事に気付く。
 重い。そして痛い。
 一撃浴びる毎に命が削られていく感覚が確かにある。
 この感覚はそれこそあの時以来。
 皇帝の座を追われた、あの戦い以来か。
「お、おおおお、おォ――」
 忘れもしない宿敵の風来坊の顔が過ぎり。
 そして自身へ引導を渡した、白い青年の顔が浮かぶ。
 喜びのままにカイドウは叫んでいた。
 この世界を見限っていたなんて我ながら節穴も良い所だった。
 此処は至高の戦場だ。
 あらゆる孤独を満たす可能性がこの世界には満ちている!
「――"桜流し龍盛軍"ゥゥン!」
 軍荼利龍盛軍。
 カイドウの手の中でも最高レベルの連撃だったそれが当然のような顔をして進化した。
 桜を散らす雨の名を冠した暴力の流星群が武蔵の全てを蹂躙すべく迸る。
 速度、威力、手数全てにおいて先刻見せた物の上位互換。
 臨界を超えようとしている夜桜達の高まりに合わせたような怒涛の桜吹雪。
 此処まで来ると最早全撃に即死の可能性が宿っている。
 恐ろしい――だがあまりに楽しい。
 武蔵は子供のように心を弾ませ流星斬りに挑み掛かった。
「イカれた野郎だ! この数と威力を斬り尽くせると思うのか!?」
「そりゃ、全部は無理でしょうけどね。でも――ッ」
 捌き損ねただけ体が壊れる。
 迫る刻限が早まっていく。
 然し武蔵は挑んだ。
 挑み、少ないながらも星を斬っていく。
 四つ、五つ――六つ。
 其処まで斬った所で武蔵は遂に狙いを遂げた。
「わざわざ全部斬らなくたって、殺し方は幾らでもあるのよッ!」
「…! そう来るかッ、悪戯娘が!」
 流星斬りによって生み出した"連撃の空白"。
 其処に滑り込んで力ずくで抉じ開ける。
 そうして桜流しの雨霰を超える事に成功した。
 まさに発想の妙。
 カイドウやビッグ・マムのような絶対強者には思い付かず、またその必要性もない美しき小手先。
 取るに足らぬ弱者の工夫でしかない筈のそれが今はこうまで心を打つ。
 己の命に迫られているその実感がカイドウを何より充足させていく!
「斬り返せるかッ、カイドウ!」
「阿呆が――誰に物を言ってやがる!」
 今度は此方の番だとばかりに武蔵が動く。
 あらゆる技術を込めた斬撃が降り注ぐ中でカイドウは吼えた。
 そう、目前の剣鬼に出来る事が自分に出来ない筈はないと。
 吼えながら武を奮い、そして実際にそれ以上の芸当を成し遂げてのける。
 武蔵の全撃を八斎戒の巧みな捌き方のみを頼りに防いだのだ。
 その上で剣戟が絶えた一瞬未満の時間を見逃さない。
 鋭く尖った衝撃波が走り、武蔵の腹を貫いた。
「く、ッ――…!」
「"金剛鏑"…!」
 何でもありは今更だ。
 カイドウに出来ない事の方が少ない。
 壁を一つ越えたらまた次が出て来る。
 キリがない――どれだけ歩めばこの大山に登頂出来るのか未だに見当が付かない。
 化物め。
 なんて理不尽。
 ああ腹が立つ!
 必ず斬らなきゃ気が済まない…!
「はああぁあああァ――!」
 欲望を前に武蔵は慎まない。
 腹を穿たれた痛みも忘れて次を放つ。
 カイドウが避けるが想定内だ。
 回避先を事前に予測して、一撃目を放つと同時に振るっていた二振り目の刀が彼を逃さない。
「ぐはッ…!? ……ウォロロロロ! 呆れた奴だ――見聞も無しにこのおれの未来を見やがったのか!」
 武蔵は流桜――武装色の覇気――に開眼している。 
 だがそれだけだ。
 彼女は覇気使いとしては赤子も同然であり、従って未来を読む見聞色の覇気なんて代物は遣えない。
 武蔵は純粋な剣士としての経験と勝負勘に基づいた先読みでカイドウの上を行ってみせたのだ。
 言葉にするのはあまりに簡単。
 然し実際にそれを成し遂げるのがどれ程の難業か。
 皆が皆そんな真似が出来るなら、彼は最強生物等と仰々しい呼び名をされてはいない。
「"徒桜八卦"!」
「上等――来いッ!」
 速度重視、史上最速の雷鳴八卦。
 それを武蔵は真っ向勝負で破りに掛かる。
 あまりに無謀で無策な挑戦の代償は大きい。
 当てたのはカイドウの方。
 全身を粉砕する衝撃の前に武蔵が打ちのめされて拉げ飛ぶ。
 だと言うのに彼女はやはり笑っていた。
 カイドウもすぐにその意味を悟る。
 何という女。
 迎撃は囮に過ぎず。
 武蔵は肉を切って骨を断つ、まさにそのままの行為を実行せんと目論んでいたのだ!
「捕まえ、た…!」
 直撃、後方へ吹き飛ぶ衝撃に逆らって八斎戒を足場にする。
 全身を抵抗に蹂躙されるが構いやしない。
 そのまま躍り出た武蔵の二刀に、カイドウはもう居ない宿敵の影を見た。
 桃源十拳――忘れるべくもないあの技を武蔵は偶然にもなぞっていた。
 偶然なれど使い手が違えど、カイドウに対してかの奥義が響かない訳がない。
 結果、武蔵がこれまで与えて来たどの剣よりも確かな痛手となってカイドウの体に消えない傷が深く刻まれる!
「ぉ"…おおぉお、ォ"……!!」
「――あは。漸くいい顔してくれた」
「ッ、は…! 高くつくぜ、この傷は……!」
「こっちの台詞よ、散々タコ殴りにしてくれちゃって。耳揃えて支払って貰うから覚悟しなさい!」
 血を流すカイドウ。
 血塗れの武蔵。
 どちらも息は荒く乱れている。
 互いに満身創痍なのは明らかだった。
 それでも強いのはカイドウだ。
 然し武蔵も譲る気はない。
 ――嘘みたいな静寂が、二人の間を吹き抜けた。


「時間だ。皮下が勝つ」
「時間って部分だけはその通りね。名残惜しいけど、そろそろ終わりにしないと」
 夜桜の高まりが頂点に達しようとしている。
 臨界点を過ぎた時点で皮下の勝ちだ。
 彼の計画は成就し、聖杯戦争は終幕を迎える。
 其処の部分は武蔵には今更どうする事も出来ない。
 彼方で奮闘する梨花を信じる事だけしか出来ない。
 武蔵に出来るのは、いま目の前に居る敵に勝つ事。
 カイドウを斬り、少しでも梨花の勝利と世界のその後に貢献する事だけだ。
「行くわよ、カイドウ。泣いても笑ってもこれが最後」
「やってみろよ、セイバー。叩き潰して座に送り返してやるよ」
 最後の啖呵が互いに切られる。
 語るのはこれでもう十分。
 後は直接、力と技で語るのみ。
 戻って来た静寂の寿命は然し短かった。
 武蔵が、足を浮かせる。
 カイドウが、得物を握る。
 その次の瞬間――二人の益荒男が風になった。
 疾駆する武蔵。
 それに倣うカイドウ。
 もう技の応酬も一進一退の攻防もない。
 この激突の果てに決着は着く。
 どんな形であれ、戦いが終わる。
 その事を共に理解しているからこそ、余力を残そうとする無粋は互いにしなかった。
「"大威徳雷鳴八卦"――!!!」
 カイドウの咆哮。
 覇気を極めた者の究極が再び解き放たれる。
「この一刀こそ我が空道、我が生涯! しかと見よ、カイドウ!」
 武蔵もそれに呼応する。
 謳うは空洞、零の剣。
 唯一無二の更にその先。
 天元の花が至った極奥の座が体現される。
 概念としての強さならば圧倒的に武蔵。
 だがカイドウは力のみでそれを埋め得る存在だ。
 彼は怪物。闘争の権化たる戦神竜王。
 故に彼は武蔵の零に驚嘆こそすれど、己の敗北等微塵も怖れない。
 勝利の二文字を胸に抱きながら、筋肉から噴血さえさせて全力を込めたその瞬間――
「…!」
「何だと…!?」
 二人の下に、もう一つの戦場の結末が届いた。
 それと同時に枯れ落ち始める夜桜の樹海。
 炸裂を待たずして枯死し始めたその光景こそが、どちらが戦いに勝ったのかを雄弁に物語っている。
“有り得ねェ…! 負けたのか、皮下……!”
 カイドウは驚愕していた。
 どう考えても有り得ない結末だったからだ。
 皮下は怪物だった――化物だった。
 アレを倒すとなれば連合の王やチェンソーの怪人で最低ラインだ。
 よもや単なる小娘が夜桜狩りを成し遂げたなど、到底信じられる話ではなかった。
“…そう。走り切ったのね、梨花”
 一方で武蔵は見送っていた。
 悲しみはない。
 寂しさはあるが、何処か心持ちは清々しかった。
 梨花は勝ったのだ。
 勝って、一足先に旅立って逝ったのだ。
 それを涙に暮れて見送るなんて無粋と言う物だろう。
 武蔵は梨花の生き様を知っている。きっとこの先も忘れる事はない。
 だから――只見送る。
 心優しくそしてとても強い、"あの子"みたいな女の子。
 束の間の泡沫と言っていい短い時間の付き合いだったが、確かに自分には二人目のマスターが居たのだという事実をしっかり魂に刻み付けて。
 そうして力を込め直し気合を入れ直した。
 負けられない――カイドウにもそして梨花にも。
 あの子の生き様に恥じないような勝利が必要だから武蔵は吼えた。
 片や驚愕と動揺。
 片や理解と奮起。
 両者の間に生じた感情の異なりはそのまま差となって拮抗を崩す要因になり。
 更に其処で、夜桜決戦の結果が及ぼす即時的な影響までもが二人の間に降り注いだ。
「…これは――」
 夜桜の力の消失。
 そしてマスターの喪失。
 二つの理由が双方を弱体化させる。
 だが、然しより大きくその存在を揺らがせたのはどういう訳かカイドウの方だった。
“――何故だ!? 何故おれだけが弱くなる…!?”
 カイドウは新免武蔵の境遇を知らない。
 彼女が抱える背景(バックボーン)を知らない。
 武蔵は放浪者。
 世界を渡り歩き、何か為しては何処かへまた流れていく流浪の者。
 本来であればこうしてサーヴァントとして現界する事自体がイレギュラーと言っていい存在。
 彼女はそれ故に、要石の無い状態という物に対して耐性があった。
 単独行動とまで呼んでは大袈裟だ。
 あくまでも僅かな耐性、されどそれはこの状況においては――
「伊舎那――――大天象ォォオオオオオオオオ――――――!!!」
「ぐ、お――――オオオオオオオオオオォオオッ――――――!!?」
 両者の間に優劣を付けるこれ以上ない点として作用する!
 カイドウの一撃が押し返されていく。
 あまりの威力に武蔵の体は砕け散るが力は一切緩めない。
 霊核崩壊。存在の強度の急激な低下――だからどうした。
“梨花! 漸く肩の荷下りた所かもしれないけど、それでも…! それでも、これだけ見ててくれると嬉しいなぁ!”
 天眼は目的を果たす力。
 そんな眼が、これでいいと言っている。
 ならば恐れる事など何処にもない!
 この先に――武蔵(わたし)の求む結末(こたえ)はある!
“これが、私の…!”
 拮抗が、崩れて。
 八斎戒が宙を舞う。
 そして…
“貴女のサーヴァントの、剣よ――!”
 新免武蔵の一撃が。
 長い旅の果てに至った極限の剣が。
 天地神明をも凌駕する最強の生物、悪竜現象"真打竜王"――
 真名カイドウの霊核を、一刀の下に両断した。




「…あは。流石に、疲れたぁ……しんどぉ……」
 やり遂げて地に大の字で倒れる。
 疲労感は凄まじくて今にも眠ってしまいそう。
 なのにそれが途轍もなく心地良くて清々しい。
 さて、次に目覚めたら自分は何処へ出るのか。
 サーヴァントらしく英霊の座とやらに送られるのか。
 それとも…また見知らぬ世界に漂着しているのか。
 定かではないが、それにしたっていい旅だった。
 出来ればもう少し――あの小さなマスターと一緒に過ごしていたかったけれど。
「はあああああああ……」
 笑って空へ手を突き出す。
 桜吹雪の晴れた青空へ。
「……勝ったぞぉーーーっ!」

【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order  消滅】

    ◆ ◆ ◆

 二天一流の去った地平で。
 皇帝は丸腰のまま佇んでいた。
 八斎戒は無事を保ったまま地面に転がっている。
 然し皇帝カイドウの胸には…明確な致命傷の斬痕が走っていた。
「……そうか」
 新免武蔵は消滅した。
 カイドウの一撃が彼女を死に至らしめた。
 だがあの決闘の勝者が彼女だった事に疑いの余地はないだろう。
 カイドウの霊核は完全に両断され、退去の刻限は間近に迫っている。
 最強生物と言えども今はサーヴァントの身。
 要石を失っただけならば未だしも、その上で霊核まで失ってはもう先はない。
 もしも古手梨花の勝利が無ければ。
 黒死牟が彼の体内に打ち込んでいた絶大な損傷が無ければ。
 新免武蔵が放浪者という異常な性質を有していなければ。
 勝ったのはきっとカイドウの方だったろう。
 全ての要素と皆の奮戦が複雑に絡み合って、少しずつカイドウの可能性を削っての勝利だった。
「負けたのか、おれは」
 不思議と敗者は静かだった。
 無念はある。
 界聖杯という巨大な財宝を手に入れる野望は果たせず仕舞い。
 何とも不甲斐ない幕切れではないかと自分に憤る気持ちも勿論ある。
 然しそれ以上にカイドウは満足していた。
 漸く再会した宿敵を取り逃し、全てに絶望していた自分が巡り会えた至高の戦。
「おい。首を取るなら今だぞ」
「……捨て置いても……貴様は、直に死ぬだろう……」
「そうだな。だが今でもその気になりゃ暴れられる。
 消滅するまでにてめえ一人くらいなら道連れに出来るかもしれねェぞ。ウォロロロロ…」
「…あまり……侮って、くれるな………。
 お零れの首を取って、得意気に誇る等………情けがないにも、程があろう……」
「真面目だな。なら精々、次会うまでに強くなっとけ」
 落ち武者狩りもかくやの所業で最強の首を手にしても意味はない。
 最早黒死牟はカイドウに対する興味を失っていた。
 刀を鞘に収め、臨戦態勢を解く。
 先はああ言ったカイドウだが、その油断を突いて仕掛けて来るような事は結局無かった。
「なァ六つ目よ。お前、負けた事はあるか」
 黒死牟は答えない。
 つれない奴だ、とカイドウは唇を尖らせた。
 それから空を仰ぐ。
 奇しくも自身を負かした新免武蔵が最期にそうしたように。
「おれはある。何度も負けてきた。だが、まぁ何だ」
 カイドウは敗北を知っている。
 彼は海賊としても生物としても何度となく負けてきた。
 敗北で終わらずに再起するからこそ彼の危険度は他の追随を許さないのだ。
 世界最強の海賊ならぬ、世界最強の生物。
 それがカイドウ。百獣のカイドウ。
 そんな彼だが、ああ然し。
「負けるってのは悔しいもんだな。幾つになってもよ」
「当然だろう…」
 新たに刻まれた敗北の味は爽やかながらもやはり苦かった。
 この敗北は尾を引くなとそう感じる。
 因縁ばかりが増えていく事に我ながら辟易した。
「敗北を善しと受け入れて、どうする……それは最早、戦士の姿ではあるまい………」
「まァ、な」
 カイドウが八斎戒を拾い上げる。
 体の端々は既に粒子化が始まっていた。
 最強生物カイドウが落ちる。
 聖杯戦争において常に最大の影響力を発揮して来た最後の皇帝が消える。
 皮下真は死に、聖杯戦争の終幕は僅かながら引き伸ばされたがそれも所詮僅かな猶予だ。
 じき、この戦いは終わる。
 結末の定まる時が近付いている。
「で、だ。黒死牟」
「…何だ……敗者は、疾く去れ……」
 戦の終わり。
 桜散った爽やかな凪の中で。
「お前の方こそとっとと消えろ。最悪な事になる前にな」



 カイドウがそう言って覇気を放った。
 黒死牟が遅れて彼の見据える方向を見る。
 その時、彼は確かに――ごく、という音を聞いた。
“……、…………――”
 それが自分の喉に唾液が流れ落ちていく音だと気付くまでに一瞬。
“――――何だ、アレは”
 自分がどうやら戦慄しているらしいと気付くまでに、一秒を要した。
 視界の先に何かが立っている。
 少女の姿をした何かだ。
 黒死牟の眼は。
 透き通る世界を視認する六眼はその内側に至るまでもを詳らかに視認する事に成功――してしまったからこそ彼は絶句した。
 そのあまりの悍ましさに。
 脳までもを侵す冒涜的な内面図を視認して、彼は鬼になってから初めての吐き気を覚えた。
「待て、カイドウ…貴様……!」
「バカ野郎。人が折角気持ちよく満足して死のうって所に水差しに来やがったんだぞ? ブチのめさない理由はねェだろうが」
 アレをサーヴァントと呼んでいいのかどうかも黒死牟には判断が付かない。
 目前のカイドウと比べて、一体どちらの脅威度が上で有るかもだ。
 ましてや今の黒死牟はカイドウ戦を終えて満身創痍。
 骨の髄にまで覇気のダメージが染み渡っている状態。
 この体で相手取れる敵でない事は考えるまでもなく明らかだった。
 そんな彼を余所に、カイドウは消えゆく体で異形の少女へと向かう。
「別に恩を着せるつもりはねェ。そんな義理もねえからな」
「……………」
「これはおれの私闘だ。それに――」
 黒死牟へは背を向けたまま。 
 最後の皇帝はニヤリと笑った。
「――悪くねェ"死"だ。今回はこれで完成としてやる」
 言葉はなかった。
 黒死牟は一瞬の静止の後、霊体化して戦場を後にし霧子の許へと向かう。
 何か予想を超える事態が起こっている。
 その認識と焦燥を抱きながら――駆けた。


「さて」
 カイドウが言う。
 少女が微笑んでいる。
「リンボの野郎、とんでもねェ置き土産をして行きやがって」
「あら。御坊さまの事を知っているの?」
「ブンブン耳障りに飛び回りやがるクソ野郎だ。この手で殺しておけば良かった」
 少女の正体に察しは付いていた。
 ベルゼバブ亡き今でこれだけの力となると、もう候補は一人しか居ない。
 アルターエゴ・リンボが何やら得意気に語っていた怪しい計画。
 窮極の地獄界曼荼羅なる絵空事がどうも成就してしまったらしい。
 実に胡散臭い話だと思っていたが…確かにこれは凄まじい。
 カイドウをしてそう思わせるだけの力が、少女からは抑え切れず溢れ出していた。
「あなた…もうすぐ消えてしまうのね。だったら私も、別な人の所に行った方がいいかしら」
「行けると思ってんのか? ガキが。喧嘩売る前に相手をよく見るべきだったな」
「あら。喧嘩なんて売っていないわ…私は只、あの人の為に頑張っているだけ。
 もう居ない大切な人と、願いを叶えてあげたいあの人の為に、一生懸命なだけなのよ?」
「知るか」
 カイドウの全身が覇気を纏う。
 いや、覇気等というレベルではない。
 青龍へと変わった巨体が炎に包まれていく。
 それを外殻にして竜王は膨張と肥大化を繰り返す。
 平時の青龍形態の十倍はあろうかという巨躯の炎竜が顕現するまで、僅か数秒の出来事だった。
「"火龍大炬"…………!」
 武蔵達との戦いでは使わなかった奥の手。
 カイドウ最大の威力を誇る魔技が今際の際の現在になって初めて開帳される。
 その災厄を前にしても少女は淡く微笑んだままだった。
 微笑みながら、異形の鍵剣を片手に握る。
「ごめんなさい、海賊さん。私ね、やらなきゃいけない事がまだ沢山あるのよ」
 額に会いた孔は鍵穴か。
 其処が妖しく、瞬いて。
 彼女の背からうぞうぞと、この世にあってはならない法則が界聖杯内界に流出を開始する。
「だから…少し痛くさせて貰うわね?」
「そりゃ楽しみだ。来いよ、この最強(おれ)が試してやる……!」
 動き出した時計の針。
 カイドウが空から地に降る。
「――イグナ・イグナ・トゥフルトゥクンガ――」
 少女――アビゲイルが神を放つ。
 最強と最凶、紛れもない最大存在二つが激突して。
 それと同時に…界聖杯で"何か"が起きた。

    ◆ ◆ ◆

 意識を取り戻した幽谷霧子が最初に抱いたのは困惑だった。
 桜の花びらに触れた途端、頭の中に知らない女の人の声が響いて。
 次の瞬間急に意識が途切れた。
 何だかとても気持ちのいい眠りだったような気がする。
 そして突然、ぱちりと眼が覚めた。
 すると目前には"梨花ちゃん"と戦っていた筈の"皮下先生"の姿があって。
 まるで別人みたいに弱った彼が放って置けず声を掛けようとした所で、他でもない彼の手で突き飛ばされた。
 「きゃっ」と短い悲鳴をあげてから尻餅をつくまでの時間の中で。
 霧子は確かに「ぱぁん」という軽い音を聞いた。
「……皮下、先生……?」
 何が、何を、と言おうとして気付いた。
 俯せに倒れた皮下の背中には孔が空いている。
 どうしてか血は流れておらず、ぽっかりと風穴が空いているのみだった。
 まるで人間の形をした空っぽの器に孔を空けたみたいだと霧子は思った。
 理解が状況に追い付こうとしたまさにその瞬間。
 顔を上げて――霧子は、その人物を見た。


 眼鏡を掛けた黒髪の女だった。
 年頃は大学生くらいだろうか。
 女はその手に拳銃を持っていて。
 その銃口からは、白い煙がぽうと昇っていた。
「いいよ」
 女が何か呟く。
 霧子が状況を理解する。
 銃を恐れる前に皮下へ身を屈めた。
 撃たれた。容態を確認しないと。
 恐怖と危機感が目の前で命が消える重大さの前に敗北する。
 彼女にとって幸いだったのは…皮下を撃った女には霧子の殺害よりも優先して実行"させる"べき行動があった事。
「撃て、アビー」
 言葉が響いた途端。
 その手に刻まれた令呪が、光って――

    ◆ ◆ ◆

  世界に、孔が空いた。

    ◆ ◆ ◆

 フォーリナー、アビゲイル・ウィリアムズの宝具『光殻湛えし虚樹(クリフォー・ライゾォム)』。
 人類と相容れる事のない異界へ続く門を開くかの宝具は、無限に通ずる性質を持つ。
 その気になれば界に対する事も可能な銀鍵の権能。
 これが対人扱いの宝具になっている理由はひとえにアビゲイルの認識に縛られているからであり、逆に言えばそれを取り払えればこの前提は崩れる。
 紙越空魚は令呪二画を用いてこれを破棄させた。
 そしてアビゲイルが相対していたのは死を前にしても未だ限りなく最強に近い存在である竜王カイドウ。
 互いの全力同士が激突したその刹那。
 空魚の目論見通りに、暴れ狂う地下茎は世界を破壊した。
 正しくはその"層"を砕いたのだ。
 界聖杯内界と界聖杯の深層部とを繋ぐ壁が粉砕され。
 結果、人外魔境の犇めく大戦場と化していた渋谷区そのものが――世界の"深奥"に消失する。


 聖杯戦争は最終局面。
 残る主従は、僅かに三組。
 既に相棒を失った者達を含めても生存している器と英霊は合計八体。
 世界は終わる。
 戦が終わる。
 これより終幕へと向かう。
「…始めるよ、アビー」
 言葉は淡白。
 然し込めた想いはあまりに、あまりに――
「私達の願いは……漸く叶う」


【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE  消滅】


【渋谷区 消失】


【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ  消失】
【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃  消失】
【神戸しお@ハッピーシュガーライフ  消失】
【ライダー(デンジ@チェンソーマン)  消失】
【紙越空魚@裏世界ピクニック  消失】
【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order  消失】

    ◆ ◆ ◆

【二日目・午後/渋谷区→界聖杯 深層】

【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま、『バベルシティ・グレイス』
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)、包帯・医薬品(おでん縁壱から分けて貰った)、手作りの笛、恋鐘印のおにぎりとお茶(方舟メンバー分、二杯分消費)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:???
1:セイバーさん、大丈夫かな……
2:プロデューサーさんの、お祈りを……聞きたい……
3:セイバーさんのこと……見ています……。
4:一緒に歩けない願いは、せめて受け止めたい……
5:界聖杯さんの……願いは……。
[備考]※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。  
はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
※メロウリンクが把握している限りの本戦一日目から二日目朝までの話を聞きました。

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:武装色習得、融陽、陽光克服、誓い、疲労(大)、全身にダメージ(大)、覇気の残留ダメージ(大)
[装備]:虚哭神去、『閻魔』@ONE PIECE
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:勝利を、見せる。
0:???
1:お前達が嫌いだ。それは変わらぬ。
2:死んだ後になって……余計な世話を……。
3:刀とともに、因縁までも遺して逝ったか……
[備考]※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。
※武装色の覇気を習得しました。
※陽光を克服しました。感覚器が常態より鋭敏になっています。他にも変化が現れている可能性があります。
※宝具『月蝕日焦』が使用不可能になりました。

神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、決意
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:???
1:とむらくんについても今は着いていく。
2:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
3:ばいばい、お兄ちゃん。おつかれさま、えむさん。
[備考]

【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:全身にダメージ(大)
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:しおと共に往く。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:???
1:今は敵連合に身を置くけど、死柄木はいけ好かない。
2:コブ付き……いや、違うよな。頭から眼を六つ生やした奴と付き合いたい女なんているわけねぇよな……
[備考]※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。

【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(小)、覚悟
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ、地獄への回数券
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を取り戻すため、聖杯戦争に勝利する。
0:???
1:マスター達を全員殺す。誰一人として例外はない。
[備考]
※フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)と再契約しました。

【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:霊基第三再臨、狂気、令呪『空魚を。私の好きな人を、助けてあげて』、疲労(大)
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:???
1:さあ、おしまいを始めましょう。
2:空魚さんを助ける。それはマスターの遺命(ことば)で、マスターのため。
[備考]※紙越空魚と再契約しました。


時系列順


投下順


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172:人外魔境渋谷決戦(1) 皮下真 GAME OVER
172:人外魔境渋谷決戦(1) ライダー(カイドウ) GAME OVER
172:人外魔境渋谷決戦(1) 古手梨花 GAME OVER
172:人外魔境渋谷決戦(1) セイバー(宮本武蔵) GAME OVER
172:人外魔境渋谷決戦(1) 神戸しお 177:カーテン・コール(前編)
172:人外魔境渋谷決戦(1) ライダー(デンジ) 177:カーテン・コール(前編)
172:人外魔境渋谷決戦(1) 幽谷霧子 177:カーテン・コール(前編)
172:人外魔境渋谷決戦(1) セイバー(黒死牟) 177:カーテン・コール(前編)
172:人外魔境渋谷決戦(1) 紙越空魚 177:カーテン・コール(前編)
172:人外魔境渋谷決戦(1) フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ) 177:カーテン・コール(前編)

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最終更新:2024年03月24日 16:04