甲州六家は、甲斐国(現在の
山梨県)の歴史と結びついた名家を指す。
概説
甲斐国は、
中山道における重要な宿場町として機能を果たし、北方物流の拠点として商業や工業の分野が発展した。その中でも甲州六家は、宿場町として発展するはるか以前から甲斐国の政治や経済に結び付き地域の発展に寄与してきた。17世紀以降、
東海道府に属する甲斐国は、独自の商業圏を確立し「東の名都」の名を冠した。1800年代にかけて
東京府の発展を支え、国内の多分野でトップを走る。六家は、「甲州財閥」とも呼ばれるようになる。
六家
甲斐の名君と呼ばれる、
武田信玄公の直系。古くから
藩校の運営を担い、甲斐の
由学館で長らく教育の世界に貢献した。1875年の「旧制高等学校令改正」で、
旧制高等学校の
甲府学院、
開志学園を傘下に収める。教育分野への関与を初め、印刷業界でも重要な地位を占める。
武田家に近く、長きに渡って、
藩の要職に多くの人材を輩出。明治期以降、土建事業に進出。
東京府の設置以降、関東一円に莫大な建設人材を派遣した。近年においては、政界への影響力も強い、
ゼネコン大手となった。
武田家に近い重臣として長きに渡り
藩の金庫番としての地位を確保してきた。明治期以降、金融業者や貸金業者をまとめ上げ、関東金融界に大きな影響力を持った。
日本銀行の設立にも関与。1980年代以降、精密機械産業に進出。
長きに渡り、
藩の工業的な基礎をまとめ、伝統工芸品の製造に関わる職人の家系。明治期以降、宝飾品事業や精密機器(時計事業)に進出。世界シェアを誇る国内最大手の宝飾品関連企業を作り上げた。
代々、藩医を輩出してきた家系。
東京府立療養所の設立に関与。西洋医学が輸入された明治期以降は、医学システムの構築に力を注いで
公立病院の設立にも関与。国内最大の
医療法人を運営する。近年では、リゾート開発にも力を注ぐ。
1800年代初頭から、国際的な商取引に関与。明治期以前から、国内産ワイン醸造業に力を注ぎ、国内トップのワインシェアを誇る。飲料品メーカーとして事業が拡大。飲料を含めた輸入食料品メーカーとして国内最大手。
最終更新:2025年05月08日 23:01