切間忠次

切間忠次(きりまただつぐ)〈1962.5-〉は、日本の科学教育者。「サイエンスナビゲーター」を自称している。

来歴

1962年5月、徳島県出身。両親は、地元の県立高校教諭、祖父も2人とも高校教諭。
徳島県立徳島北高等学校卒業後、2浪して京都大学理学部へ進学。天文学に関心を持ち、沢渡浩一郎の研究室に学んだ。1987年3月に京都大学理学部天文学科を卒業。教員免許(高校理科)を取得し、徳島県の県立教諭試験にも合格していた。学部卒業後、両親を説得できたため、京都大学大学院理学研究科で天文学を専攻し、修士課程に学んだ。1989年に京都大学大学院修士課程を修了。

就職

1989年4月、大学院修了後、天宮サイエンス財団に就職。事務局留学生支援課で、日本人学生の海外留学に関する助成金や支援サポートなどに従事した。1992年に宇宙開発公団が主催した宇宙飛行士日本選抜試験に受験するも、3次試験で不合格となる。この経験から宇宙に関心を持ち、副業として日本全国の天文館で解説員として活動する。

国連職員・作家

1994年、国際連合国際科学研究支援機構に国連職員として入職。ニューヨーク本部、東京事務所で、科学者の卵に向けた国際サポート活動を担当した。1996年、東洋書房で発行していた生活雑誌「里の輪」に、里山生活と宇宙を題材とした連載「里の夜空」を寄稿。1999年、エッセイ「夜空を見上げて」を発表し、江川朝子エッセイ大賞を受賞。2000年に国連を退職して専業作家となる。東洋書房の認定教科書「高校地学」編集委員などへも参加した。

サイエンスンナビゲーター

2003年、宇宙開発公団の宇宙科学教育推進アドバイザーに就任。同年4月から、幕張科学技術大学客員教授(科学教育支援講座)に就任する。2006年8月、宇宙開発公団宇宙教育推進センターの設立に伴い、同センター・総合理科学教育部門客員プランナーとなる。2007年4月、宇宙教育推進センター・総合理科学教育部門教育モデル編成室長、埼玉先端科学技術大学宇宙学部招待教授(宇宙教育学)、幕張科学技術大学理科教育センター長兼学長付特別補佐に就任する。
2008年から東洋書房少年社で連載が始まった、白石遼の「銀河の余白」で科学考証を担当。この時期に、全国の小中学校を回って理科教育、特に天文学を伝える教育家として活動を開始。
2010年8月から、東都テレビの人気番組「科学バラエティ!ナゾラボ」の2代目サイエンスナビゲーターに就任。この縁もあって、NHKラジオ夏休み少年科学相談室東京テレビジョン激論!討論などへの出演機会が増えることになる。2012年10月より国立科学館宇宙航空部門サイエンスプロフェッサーに就任。2014年から2年間の特別展「夜空を見上げた日本人」の展示総監督を担当する。2018年にオープンした、徳島県徳島市徳島市科学館の科学総監督を務める。

晩年

2028年、山陽理科大学副理事長・客員教授・小中高大連携教育本部長を専任する形で就任。2031年から、理事長となる。2039年から兵庫大学医学部附属病院に入院。同年中に急逝する。
最終更新:2025年09月05日 13:03