概要
横浜大学は、1932年に
横浜市出身の骨董商で篤志家として知られる
松浦健三郎が私財を投じて設立した
「私立横浜英語学校」に起源をもつ。松浦は、その後も私財を投じて
「私立横浜女学園」(1934年設立)や
「私立横浜工業学校」(1937年設立)を設立した。しかし、1944年12月の
横浜空襲で学校施設が焼け落ち、
練兵場として軍に徴収されることになる。松浦もその後、
台湾や
北海道に自身の収集した骨董品を分配して終戦まで生き延びることになる。1945年8月の終戦直後、焼け野原の横浜に即行政らの力を借りていち早く校舎を建設し、1945年12月に
文部省の審査を待たず、
「横浜大学」を開学。1946年2月に、旧知の官僚を呼び寄せて開学審査を終えさせ、同年4月から新入生を受け入れた。
1947年公布の
教育法人法に伴って、「学校法人横浜大学(現在の
学校法人横浜アカデミー)」が運営母体となる。1949年から
神奈川県大学スポーツ連盟の幹事校を一貫して務めており、スポーツ科学の研究にいち早く予算を割り当てた。1953年に、元オリンピック金メダリスト(水泳)の
井手山光格を学科長に招聘した、
文化学部スポーツ体育学科を発足。日本初のスポーツ科学研究専門学科となる。1955年には、
東京オリンピック招致に向けた施策の一環として、
スポーツ科学部を日本で初めて発足させた。学部内には、体育学科、スポーツ健康学科、スポーツ医学科、人間科学科を設置した。1968年には、スポーツ科学部専用キャンパスとして国内の最先端技術を結集させた「横浜大学湘南キャンパス」を開校。1975年に、
ミュンヘンオリンピックでマラソン女子金メダルを獲得した
影山ゆいかを理事長とした、
「横浜大学スポーツ教育振興基金」を立ち上げて、スポーツ推薦入試制度を日本の大学として初めて採用した。
教育
・国文学科(1946年~)
・英文学科(1946年~)
・歴史学科(1955年~)
・日本文化学科(1946年~)
・人文社会学科(1949年~)
・スポーツ体育学科(1953年~1955年)
・体育学科
・スポーツ健康学科
・スポーツ医学科
・人間科学科
最終更新:2026年05月30日 14:09