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神尾純
神尾純(かみおじゅん、1938年6月~)
は、指揮者。
1975年から
ベルリン・ハイネクラウン交響楽団
の音楽監督を29年間務め、2008年シーズンから3シーズンにわたって
国立ウィーン音楽堂
音楽総監督を務めた。
日本オーケストラ協議会
理事、
王立音楽騎士団
団員、
ジュン・カミオ高崎音楽コンクール
総監督、神尾音楽塾塾頭、
東邦音楽短期大学
学長。
来歴
学生時代
1938年6月、
群馬県
高崎市
に生まれる。
高崎東邦学園
中等部を経て、
新宿東邦高等学校
に進学。
高校進学と同時期に、
平松洋太郎
の個人塾に入門。特別の寵愛を受けて育ち、この時期の生徒は、
平松組
と特に呼称される。その後、平松が教鞭をとっていた
日本大学横浜校
音楽学部
指揮科に入学する。1961年に大学を卒業。
1961年4月に、
東邦音楽短期大学
に再入学して、平松学長の下で指揮学を修める。
初期キャリア
短大卒業後の1963年から
道民楽団
指揮研究生として2年間学び、その後、日本を飛び出して音楽放浪の旅に出る。1967年の
パリ
滞留中に、
アルカンジュ国際指揮者コンクール
金賞を獲得して、以降欧州各国で客演。
フランスの
リュック・ヴァレシア
に師事。1971年に
タンクベベルスク音楽祭
最優秀指揮者賞、同年に
ウィーン国際音楽祭
国際指揮者コンクール金賞を受賞。翌1972年から1974年までに、国際指揮者コンクールを
ベルリン音楽祭
指揮者賞、
王立音楽フォーラム
指揮者賞、
ニューイングランド音楽祭
最優秀指揮者などを受賞する。
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最終更新:2026年05月19日 22:47