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【初出】 [[禁書SS自作スレ>>833-837>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/6947/1138517735/833-837]] ----  十三年前。  ロシアの片田舎に暮らす彫金師の夫婦が、金の髪とサファイアの瞳を持った赤ん坊を授かった。  その子に与えられた名は、サーシャ。  少女は両親の愛情を一身に受け、何の問題も無くすくすくと成長していった。  しいて問題だった点を挙げるならば、幼児用の娯楽が少なかったことだろうか。  彼女の生まれた町では昔からロシア成教の影響力が強く、特に『幽霊(ゴースト)』の発生原因に成りうる童話や迷信の類は厳しく制限されていたのだ。  人形などの玩具も、形状、モチーフ、魔術的符号の有無など幾重にも審査がなされた物しか持つことを許されず、夜眠る前にベッドの中で寝物語をすることすらままならない。  この村の出身者であるサーシャの母は多少の残念さを感じながらも当然のことと受け止めていたが、しかし父は外から来た人だった。そして、幼い頃両親に絵本を読んでもらったことを覚えている人だった。  ゆえに彼はこう思った。この子には、自分が読んで聞かせてやりたいと。  それから父は他の町に行く都合が出来るたびに、本屋を巡って何冊もの絵本を買いつけた。  ロシア語のものはシスター達に見つかりやすいと思ったので、知人のつても頼って出来るだけ外国の絵本を求めた。  当然書かれている文字は全て外国語だ。仕事一筋で生きてきたせいで学のなかった父には、一冊を読むために三冊は辞書が必要だった。  それでも、父は来る日も来る日も愛する娘に絵物語を語って聞かせた。  初めは古くからの風習を破ることへの躊躇いや世間体から否定的だった母も、だんだんと夫の想いを理解し、家事の合間を縫っては丁寧なロシア語訳を作るようになる。  毎夜両親が語ってくれる幻想世界に、幼いサーシャは夢中になった。  それはまるで『絵に描いたような』、幸せな家族の肖像。  四歳になる頃には、サーシャはすっかり夢見がちな女の子になってしまっていた。  ガラスの靴を履き、ピーターパンに手を引かれ、天空の城にたどり着き、人魚やカボチャが祝う輪の中、王子様とダンスを踊る――  一日の大半をそんな空想に費やすようになっていた。  両親も変わらずに可愛い娘を愛していた。  そして、サーシャの五歳の誕生日。  両親が死んだ。  サーシャが殺した。                    ◇   ◇  すれ違う人の体に触れぬよう、触れられぬよう、注意して走る。  腕の中、気を失っている少女の顔は安らかに眠っているようにも見えた。  しかし、サーシャは覚えている。ガラスを砕いた時と、当身を入れる寸前の二度、少女の表情が恐怖に歪んだのを。 「……お父さん(パーパ)みたいには、いかないね」  感傷は一瞬。それ以上は、心が耐えられない。  もう二度と、父が自分を寝付かせてくれることはないのだから。                    ◇   ◇  誕生日プレゼントは新しい絵本だった。  主人公が悪い竜や魔女を倒し、恋人と結ばれるというありがちなストーリーだったが、この絵本ではお姫様側が主人公で、助けられるのが王子様だった。  イラストのお姫様がちょっぴり自分に似ている気がして、サーシャはその絵本をとても気に入った。 「めでたしめでたし」と父が言って、物語は終わったが、サーシャはまだまだ物足りない。母に読んでもらい、もう一度父に読んでもらい、二人で同時に読んでもらい――  そして、お姫様が五回目の魔女退治に挑もうとしている時、 「あれ?」  ページをめくってくれていた父の手が止まっていた。 「パーパ? どうしたの?」  幼いサーシャは背後の父に振り向いた。  その時、彼女は父が組んだ胡座の上に座っていた。父の大きな腕に抱かれていると、吹雪もおばけも怖くなかった。  ――あかい、にじ?  真っ赤な、気が遠くなるほど真っ赤な円弧が空中を横切っている。  最初はワインの栓が開いたのかと思った。  次は手品かと思った。  ぐらっ、と父の体が傾いで、ようやく、  おびただしい量の血液が、父の首から噴き出しているのだとわかった。 「ひっ」  悲鳴は喉の奥で詰まり、外には出てこない。  仰向けに倒れた父の膝から転がり落ちても、まともに息をすることもできなかった。 「……ひゃっ……はっ…………お、おくすりだっ。ほうたい、まかなきゃ! マーマ! マーマ!」  流出した血液は致死量をとっくに超えていたのだが、五歳になったばかりの子供にそれを判断できようはずもない。  膝小僧をすりむいた時や、はさみで手を切ってしまった時のように、母が薬を塗ってくれれば大丈夫。  そう思った。  けど。  ――ドサッ。  小麦粉の袋が床に落ちるような音。  見ると、服の胸の部分を深紅に染めた母が倒れていた。 「……マーマ?」  返事はない。  ――もう。 「マーマ! マーマ! パーパ! パーパ!」 “それ”を理解できない幼子は、幾度も幾度も物言わぬ両親の肩を揺らす。  怖い、とか、悲しい、とか、そんな単純な感情さえ湧いてこなかった。  あまりに唐突で。  意味が分からなくて。  泣くことも出来ない。  ねえ、どうしたの?  なんで起きないの?  疲れてるの?  そっか。わたしが何回も絵本を読んでとせがんだから、二人とも疲れちゃったんだ。  じゃあわたしも寝よう。  明日になったら、きっと元気になってるよね。  また絵本を読んでくれるよね。  わたし、この絵本とっても気にいったよ。  パーパ。マーマ。  大好きだよ。  そうして壊れかけた心を抱いて、眠りにつこうとしたサーシャは、 「………………え?」  見た。  部屋の中央。  誰もいなかったはずの場所に、たたずむ人影。  夜の闇より暗い黒衣。  手には肉を切るのに使うくらいの大きな包丁。  赤く塗られた刃。  まるで絵本の中から抜け出したかのような、「悪い魔女」の姿を――                    ◇   ◇  走って、走って、走って、着いた。  校内で唯一、邪魔が入らずに魔術が行える場所。 「――ふう」  少しだけ肩の力が抜ける。  何とか『灰姫症候(シンデレラシンドローム)』を逃がさずにここまで来れた。サーシャの魔術師としての感覚が、自分と言祝の間で交互に転移を続けている存在を感知している。  後は予定通りに―――― 「………………っ!」  目の前に“何か”が立っている気がして、サーシャは首を跳ね上げた。  しかし、確かに“何か”がいたはずのそこには、ただ氷のように冷たい風が流れているだけだった。                    ◇   ◇ 『幽霊』は人間を殺さない。  これは魔術世界では常識として知られている事柄だ。  当然と言えば当然だろう。外からの認識によってのみ存在を維持できる『幽霊』が観測者を殺すということは、比喩でもなんでもなく身を削る行為だ。  しかし、だからと言って彼らが無害な存在であるという訳では決してない。  逆説的に、“彼らは自分を広めるためなら殺人以外はなんでもするのだ”。  家具や建物の破壊、それらによる負傷者の発生はとても軽んじられるものではない。少し知恵をつけた『幽霊』ならば、あえて半死半生で見逃し、自分の恐ろしさを大勢の人々に伝えさせることもする。  その中で、『幽霊』の目的に関係なく死者が出る事態になることも珍しくない。大体は、パニックという形で。  ゆえにロシア成教『殲滅白書(Annihilatus)』は三大十字教宗派最強の誉れ高い物理威力を持って、日夜彼らと戦っているのだ。  閑話休題。  常識には必ず抜け穴があるものだ。 『「幽霊」は人間を殺さない』ということについても例外ではない。  彼らによる能動的な殺人が行われるケースが、たった一つある。  その『幽霊』が“成体”となっている場合だ。  数百人規模で数百年単位、誤認が凝り固まって信仰にまで昇華された場合、『幽霊』は成体になると言われている。  成体はそれ以上の成長を求めない。むしろ、現在の純度を維持するために自分を認識していない生命体を駆逐しようとする傾向があった。  つまりはそれが、『幽霊』による能動的な殺人が行われるたった一つのケースなのである。  条件上、都会部よりも外界から切り離された辺境地域で発生する可能性が高く、古い土着信仰にある土地神や守り神のいくつかはこの『成体幽霊』であると判明している。  異邦人を遠ざけ、執拗な厳罰をもって古代より君臨してきた神様の有り難みのかけらもない正体だ。  ただ、前述した通りこれには数百人規模の観測者と数百年単位の観測時間が必要になる。 “たった一人の五歳の少女によって”同じことが引き起こされたなんて、誰も信じられなかった。  ゆえに、半ば冗談のような形で、少女にはある符丁が与えられることになる。  空想の中から『幽霊』を超える災厄を招く者。  最も愛する者を最も愛する物によって失わせた愚者。 『悪魔憑き』の二つ名を。                    ◇   ◇  言祝の体を固い足場にそっと寝かせる。  左手は彼女の右手を握ったままだ。まだ放すわけにはいかない。  片手で儀式の用意をするのは面倒だが、やれないことはないだろう。  むしろ少しくらい時間をかけたほうが、気持ちを落ち着けるのに役立つ。  しかし、人間、落ち着いてしまうと、余計なことにまで考えが及ぶようになってしまう。  ――ああ。  何をしているんだろう、私は。  今日は皆で劇をする。  たったそれだけでよかったはずなのに。                    ◇   ◇  両親を失い、サーシャは天涯孤独の身の上になった。  そんな彼女を引き取ったのは、彼女の村に駐在していたロシア成教の司祭アレクセイ=クロイツェフだった。  サーシャ=クロイツェフ。  それが彼女の名前になった。  その後、当初は物盗りの犯行と思われていた両親の死が、教団の調査により実はサーシャの呼び出した『悪魔』の仕業だったとわかると、アレクセイは少女に一つの問いかけをする。  ――ご両親の所に、行きたいかい?  要は、これからも生きるか、ここで死ぬかを決めさせようとしたのだ。  サーシャの親を殺した『悪魔』は、まだ彼女の中に眠っている。天賦の才によるものか、絵本に心身ともに密接して育ったことによるものか、サーシャの精神には完全な『悪魔』の設計図とでも呼ぶべきものが刻み込まれていると判明した。  数百人数百年分の模範解答(ショートカット)だ。  その設計図通りに天使の力(テレズマ)が組み合わさったとき、『悪魔』は現実に出現し、サーシャ以外の人間を手当たり次第に殺そうとする。  単純な話、そんな物騒な“怪物”はすぐに殺してしまえという声がロシア成教の上の方で挙がったのだ。  しかしそれに対して、『悪魔憑き』を貴重な能力と見て彼女を聖人に指定し、綿密に調査・研究すべきだという声もあった。  両者の意見は永遠に平行線を辿るもの。よって、最終的な判断は『悪魔憑き』の現在の保護者である司祭アレクセイに委ねられることとなる。  そして彼は、本人の意思をまず尊重しようとした。現在の彼女の周囲を取り巻く状況、彼女自身の危険性などをじっくりと長い時間をかけて説明した。  心苦しくはあったが、両親の死の真実も、出来る限り分かりやすく説明した。  だが――サーシャは、本当に、ただの五歳になったばかりの女の子だった。  いきなりこの身に『悪魔』が宿っているなんて言われても、そいつが両親を殺したなんて聞かされても、そのせいで大人達が自分をどうこうしようなんて企んでると語られても、  理解しきれるはずがなかった。  でも。  ――ご両親の所に、行きたいかい?  死ぬ、ということが。  カリンカの花の色に身を染めた両親に繋がることだというのなら。  そんなのは御免だと思った。  大好きな両親に会いたくなかったわけではない。  だがその時のサーシャは、ただただ死ぬのが怖かった。  少女の意思を聞き届けたアレクセイは、まず、サーシャにロシア成教内での仕事を与えることにした。  第一の理由は、彼女の能力を調べたいと思っている連中に手出しさせないようにするため。  例えどれだけの宗教的魔術的意味があろうとも、サーシャを功名心と知識欲に凝り固まった狂信者どもの慰みものにするつもりは、アレクセイにはさらさらなかった。先んじて責任のある役職につかせ、確かな成果を出すことが出来れば、連中も強引な真似はやりにくくなるはずだから。  第二の理由は、サーシャの現在の状態を見るに見かねたため。  最後にもらった絵本を抱きしめ、しかし決して開きはせずに、一日中部屋の隅でうずくまっている。誰かが言わなければ食事も摂らない。元々小柄だったのが一層やせ細ってゆく。  無理もないことではあるが、一生そうして生きていくことも出来るはずがない。無理にでもなんでも体を動かすことが必要だった。   第三の理由は、『悪魔憑き』を押さえるため。  今は姿を潜めていても、またいつどこでサーシャの『悪魔』が具現化するかはわからない。万が一の備えは絶対不可欠だった。  シスターとしての修行は、この上ない精神修練になる。  幸いというべきか、アレクセイの持つパイプですぐに回せる上、精神修練も出来る仕事が二つ見つかった。  サーシャにはまた二つの道が与えられることになる。  ゴーストバスターとなり様々な迷信や『幽霊』を打破し続けることで、『悪魔憑き』に呑み込まれない強さを求める道。  彼ら用の武器・道具を作成する魔術技師(エンジニア)になり、「想像力」を「創造力」に転化することで『悪魔憑き』を弱めてゆく道。  迷わず彼女が選んだのは前者だった。  彫金師だった父の仕事によく似た魔術技師というものに心引かれはした。  けれども。  世界中にはいろんな迷信や童話があって、それらが『幽霊』として現実に出てきているのなら、一つくらいは“自分を救ってくれる物語”があるかもしれないと思ったから。                    ◇   ◇  寒い。  震えるほど寒い。  温もりを与えてくれるものなんて何一つない。はるかかなた、決して届かない所にしか。  ここは幸福からの最遠点。  そんな場所に自分は望んで来たのだと思うと、少し笑えた。                    ◇   ◇  結論だけ先に言えば、そんなものありはしなかった。  殲滅白書に入り、訓練を終え実戦に出るようになって三年。  出逢った『幽霊』はひどいものばかりだった。  子供をさらうピーターパン。  呪いを唄う人魚姫。  火を点けて回るマッチ売り。  小人も妖精も、兎も狐も、ネズミも小鳥も、花も人も、あらゆる『幽霊』は他人を傷つけて自分を広めることしか考えていなかった。  そんな「物語」に絶望して、否定して、破壊して――繰り返し。  次は、次こそはと意気込んで出向いて、それでも得たものは落胆のみ。  父に読んでもらった絵本の登場人物と戦うのは特に辛かった。でもそれ以上に、読み聞かせてもらっていた時には幸福な結末(ハッピーエンド)だったお話が無残な最低の結末(バッドエンド)に変わってしまっているのを見るのが苦しかった。  どんなに頑張っても、待ち受けているのは最悪のエンディングで。 「めでたしめでたし」と、それだけが聞きたかったのに、出来なくて。  だから。  そう、だから。  サーシャ=クロイツェフは、一度でいいから、誰かに「めでたしめでたし」を言ってもらいたかった。  幸福な結末が、見たかった。                    ◇   ◇ 「――――けど」  気付いてしまったんだ。  目を背けていたことに。 「私だった」  幸福な結末を壊していたのは。  彼女さえいなければ、両親が死ぬことはなかった。  彼女さえいなければ、義父が厄介者を抱え込むことはなかった。  彼女さえいなければ、『悪魔憑き』が生まれることはなかった。  彼女さえいなければ、何事もなく今日の演劇を行うことが出来た。 「悪い魔女」は私だった。  被害妄想と。子供の僻みと。笑はば笑え。  きっと何があっても、どんなに頑張っても、自分はこんな風にしか生きられないのだから。  彼女は知らない。  はるか彼方で息切らせ走っている者がいることを。  そんなことはないなんて優しいだけの言葉じゃない、本当の幸福な結末をくれる人がいることを。  しかし、彼はあまりに遠く。  最後まで間に合う奇蹟は起きずに、儀式の準備は整った。

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