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朝日がサンサンと降り注ぐ中庭は、ちょっとした小さな陽だまりだった。
涼しくなってきた風に肩で切りそろえられたアンバーブラウンの髪がふわりとそよぐ。
火燈刹生《かとうさつき》。
ちょこんと頭に乗せた白いナースキャップが示すとおり、彼女は学園都市のとある病院に勤める看護婦だ。最近は看護婦と呼ぶと男女差別だと騒がれるので、正式には女性看護士という事になるのだろうか?
手に持つ水やり用ホースのノズルからは、霧状になった水が勢い良く吐き出されていた。先のノズルにあるダイヤルを回す事で全一三種類の噴射方法を変更可能の優れもの。ホースを巻き取るドラムリールには火燈専用と防水ラベルが貼ってあった。
今は日課の水やり中。“最近”特にストレスが溜まり気味の彼女にとっては貴重な癒しの時間である。
吐き出される水流は、赤レンガで囲われた花壇へと降り注ぐ。色とりどりの秋の花が二酸化炭素を吸収、酸素を吐き出す。
ストップ地球温暖化。さようならCO2。こんにちはO2。いわゆる光合成。どんどんやって欲しい。
「んっふー、今日も綺麗ですねジョセフィーヌ。カトリーヌも負けずに美人さんですね。ああ、慌てなくてもフランソワーズにもちゃんとお水をあげますよー、たっぷり飲んでください」
花は良い。心を癒してくれる。
癒しなのだ。マイナスイオンなのだ。お花さん萌えーなのだ。
まったく絞まりの無い顔で、中庭の花壇に水をやる彼女の姿を、入院中の患者が見たらきっとみんなこう言うだろう。
関わらない方が良さそう、と。
もしくは、しっ、見ちゃいけません、かも知れない。
実際、いつもよりちょっと早起きをしていた茶髪でちょっと儚げな印象の女の子の患者は、見なかった事にして足早に歩き去っていてしまった。
ミサカには理解できません、と言われても気にしない。気にしたら負けなのだ。
「おや、朝早くから、精が出るね? 火燈君」
後ろから声。振り向くと後ろに一人の女性が立っている。
スラリとした長身と同じくらいに長いポニーテール。首には聴診器。左耳に人気マスコットキャラクターのカエル型アクセサリー。だらしなく着こなした白衣の前は開いており、レディースの白ワイシャツに暖色系のネクタイ、黒のタイトミニ+黒茶のストッキングに中庭用サンダルといった格好。ワイシャツ程度では到底抑え切れない全女性の憧れ的膨らみは一体何カップなのだろうか。
(はぁ~、これがFのプレッシャー……戦力差は歴然ですね……)
思わず自分の胸部をぺたぺたとしてしまう。
「いきなり溜息ついてどうしたんだい?」
「いぇ、こっちの事情ですんで、気にしないで下さい。それより、おはようございます、院長先生」
「ん、おはよう、だよね?」
「おはようでいいですよ、朝の七時ですし」
「うん、最近急患が多くてね。昨日も徹夜だよ。僕も歳かな? 日付を跨ぐと感覚がおかしいなるよ。医者の仕事なんて少ない方がいいんだけど?」
どう見ても二十台にしか見えない肌でそんな事を言うと、世の女性団体が騒ぎを起こしますよ、と目で伝える。一応言わないでおく。
学園都市最高の腕前の医者。
それが目の前で、ハンドポケット状態のまま大きな欠伸をしている人間の肩書きだ。
冥土返し。
彼女は畏敬の念を持って、そう呼ばれている。死んでさえいなければ、どんな重症患者でも治す、ともっぱらな評判。
そして、この病院の院長だったりもする。
肩書きが多いなぁ、もう……とか思ってても決して言わない。よくありがちな変な人体実験なんて展開に巻き込まれでもしたら大変だ。
「これからお休みですか?」
「いや、これから早朝回診さ。朝は患者さん達の所を回らないと、どうにも心配でね。仮眠はその後にでもゆっくり取らせてもらうよ。それに最近は物騒だろう? 患者さん達も不安がってるからさ、僕が顔を見せるだけでも、安心できたって笑って貰えるなら、僕も嬉しいじゃないか?」
「はい」
医者だって人間だ。徹夜明けなら誰だってベッドに倒れこみたいだろう。
こと医療に関して、妥協と言う言葉を知らないその姿は火燈の目標であり、一種の誇りだ。
「それじゃ僕は行くから、火燈君も程々にね」
「はい」
朝から院長先生に褒められてしまった。なんと良い朝だろうか。火燈の心は今、まさに絶好調。張り切って背筋を伸ばし、元気の良い返事を返す。
「それと、後で天井君が訪ねてくると思うから、僕の机の上にある物を彼女に渡しておいてくれるかな。特装研からの試作品らしいんだ、彼女にテストしてもらうよ」
だから、くれぐれもよろしく頼むよ、と念を押し、病棟へと消えていく冥土返し。
「わっかりましたっ! 机の上にある物ですね!」
ビシィ! と背筋を伸ばし、白衣の後姿に元気良く答える。
偉大なる冥土返し先生が、中庭から消えた後に、火燈はふと首をかしげた。
――はて、渡す物ってなんだろう? と。
「ま、いっか。天井さんに渡す品物だから、どうせロクな物じゃ無いんだろうなぁ、あはははは」
ともあれ、楽観的に疑問を押しのけて、火燈は水やりを再開した。
涼しくなってきた風に肩で切りそろえられたアンバーブラウンの髪がふわりとそよぐ。
火燈刹生《かとうさつき》。
ちょこんと頭に乗せた白いナースキャップが示すとおり、彼女は学園都市のとある病院に勤める看護婦だ。最近は看護婦と呼ぶと男女差別だと騒がれるので、正式には女性看護士という事になるのだろうか?
手に持つ水やり用ホースのノズルからは、霧状になった水が勢い良く吐き出されていた。先のノズルにあるダイヤルを回す事で全一三種類の噴射方法を変更可能の優れもの。ホースを巻き取るドラムリールには火燈専用と防水ラベルが貼ってあった。
今は日課の水やり中。“最近”特にストレスが溜まり気味の彼女にとっては貴重な癒しの時間である。
吐き出される水流は、赤レンガで囲われた花壇へと降り注ぐ。色とりどりの秋の花が二酸化炭素を吸収、酸素を吐き出す。
ストップ地球温暖化。さようならCO2。こんにちはO2。いわゆる光合成。どんどんやって欲しい。
「んっふー、今日も綺麗ですねジョセフィーヌ。カトリーヌも負けずに美人さんですね。ああ、慌てなくてもフランソワーズにもちゃんとお水をあげますよー、たっぷり飲んでください」
花は良い。心を癒してくれる。
癒しなのだ。マイナスイオンなのだ。お花さん萌えーなのだ。
まったく絞まりの無い顔で、中庭の花壇に水をやる彼女の姿を、入院中の患者が見たらきっとみんなこう言うだろう。
関わらない方が良さそう、と。
もしくは、しっ、見ちゃいけません、かも知れない。
実際、いつもよりちょっと早起きをしていた茶髪でちょっと儚げな印象の女の子の患者は、見なかった事にして足早に歩き去っていてしまった。
ミサカには理解できません、と言われても気にしない。気にしたら負けなのだ。
「おや、朝早くから、精が出るね? 火燈君」
後ろから声。振り向くと後ろに一人の女性が立っている。
スラリとした長身と同じくらいに長いポニーテール。首には聴診器。左耳に人気マスコットキャラクターのカエル型アクセサリー。だらしなく着こなした白衣の前は開いており、レディースの白ワイシャツに暖色系のネクタイ、黒のタイトミニ+黒茶のストッキングに中庭用サンダルといった格好。ワイシャツ程度では到底抑え切れない全女性の憧れ的膨らみは一体何カップなのだろうか。
(はぁ~、これがFのプレッシャー……戦力差は歴然ですね……)
思わず自分の胸部をぺたぺたとしてしまう。
「いきなり溜息ついてどうしたんだい?」
「いぇ、こっちの事情ですんで、気にしないで下さい。それより、おはようございます、院長先生」
「ん、おはよう、だよね?」
「おはようでいいですよ、朝の七時ですし」
「うん、最近急患が多くてね。昨日も徹夜だよ。僕も歳かな? 日付を跨ぐと感覚がおかしいなるよ。医者の仕事なんて少ない方がいいんだけど?」
どう見ても二十台にしか見えない肌でそんな事を言うと、世の女性団体が騒ぎを起こしますよ、と目で伝える。一応言わないでおく。
学園都市最高の腕前の医者。
それが目の前で、ハンドポケット状態のまま大きな欠伸をしている人間の肩書きだ。
冥土返し。
彼女は畏敬の念を持って、そう呼ばれている。死んでさえいなければ、どんな重症患者でも治す、ともっぱらな評判。
そして、この病院の院長だったりもする。
肩書きが多いなぁ、もう……とか思ってても決して言わない。よくありがちな変な人体実験なんて展開に巻き込まれでもしたら大変だ。
「これからお休みですか?」
「いや、これから早朝回診さ。朝は患者さん達の所を回らないと、どうにも心配でね。仮眠はその後にでもゆっくり取らせてもらうよ。それに最近は物騒だろう? 患者さん達も不安がってるからさ、僕が顔を見せるだけでも、安心できたって笑って貰えるなら、僕も嬉しいじゃないか?」
「はい」
医者だって人間だ。徹夜明けなら誰だってベッドに倒れこみたいだろう。
こと医療に関して、妥協と言う言葉を知らないその姿は火燈の目標であり、一種の誇りだ。
「それじゃ僕は行くから、火燈君も程々にね」
「はい」
朝から院長先生に褒められてしまった。なんと良い朝だろうか。火燈の心は今、まさに絶好調。張り切って背筋を伸ばし、元気の良い返事を返す。
「それと、後で天井君が訪ねてくると思うから、僕の机の上にある物を彼女に渡しておいてくれるかな。特装研からの試作品らしいんだ、彼女にテストしてもらうよ」
だから、くれぐれもよろしく頼むよ、と念を押し、病棟へと消えていく冥土返し。
「わっかりましたっ! 机の上にある物ですね!」
ビシィ! と背筋を伸ばし、白衣の後姿に元気良く答える。
偉大なる冥土返し先生が、中庭から消えた後に、火燈はふと首をかしげた。
――はて、渡す物ってなんだろう? と。
「ま、いっか。天井さんに渡す品物だから、どうせロクな物じゃ無いんだろうなぁ、あはははは」
ともあれ、楽観的に疑問を押しのけて、火燈は水やりを再開した。