2
天井が病院を訪ねてたのは、意外にも早い時間だった。
「学校は? 天井さん」
まだ時計の針は九時を指しておらず、今日は平日、そして天井は学生。近くの共学高校に通う現役女子高生である。本来ならば学校に登校していないとおかしい時間である。
「病院に行ってから行くって連絡してある」
しれっと、答える天井。いつもの藍色の髪は今日もぼさぼさ。朝から同居人と一暴れしたせいで髪を整えてくる余裕が無かったからだ。
「天井さん風邪? おっかしいなぁ」
「いや、違うけど。病欠じゃ無いから、ほら」
天井は左手に持った自分の学生鞄を見せた。ちゃんと学校には行くとアピールのつもり。もっとも黒革の学生鞄は果てしなく薄く、そして軽い。
その中身は、教科書の最初の一文字分ですら詰め込まれていない。ついでに言えば朝のドタバタのせいで弁当も無い。同居人はその点をぶーぶーと文句垂れていたが、原因はほぼお前だ、と諭したところ『いいです、当麻君から強奪します』と天井同様に薄っぺらい鞄を持って先に登校してしまった。
多分、天井が昼までに登校すれば、そこまで大事にはならないと思う。
多分。
……多分。
「ですよね、おかしいですもんね」
火燈が口元を押さえているのは何故だろう。背中が震えている火燈だが、こちらから表情は伺えない。
だとしても、予想はつくものなのだ。
「何だその、天井さんは風邪なんて引きませんよねーぷふふ、みたいな顔」
カマをかけただけの言葉に答え、
「え、そんな顔してましたか? いやぁ、まいったなぁ、つい顔に出ちゃ――いや、でも学校は行っておいた方が良いですよサボってると後で大変な事になるんですから」
わざとらしく話の方向を変更する火燈。
「サボりじゃ無い。どうせ一時限目は一端覧祭の出し物を決めるLHRなんだから、別に遅れて行ったって構わないんだよ」
どうせお約束の喫茶店か、面倒な劇か、はたまた退屈な研究発表と相場は決まっているのだ。
正直、あまり興味は持てない。
学生がやる喫茶店なんてたかが知れてるし、劇なら迷わず裏方に立候補する。
(大道具係とか良いな、目立たなくて)
そして、今更一般高校レベルの研究発表なんて、それこそ興味が持てない。
「いやいや、果たしてそうですかねー。学園都市の一端覧祭ではなかなかぶっ飛んだ出し物を出す学校もありますよー、あとで自分も決めとけば良かったなんて事になったりねー」
「そういうのはやりたい奴にやらせとけばいいんだよ。張り切ってやりたい連中もたくさんいるんだし」
「天井さんは素直じゃないですねー、本当は参加したくて堪らないくせに、ぷふふ」
まだ時計の針は九時を指しておらず、今日は平日、そして天井は学生。近くの共学高校に通う現役女子高生である。本来ならば学校に登校していないとおかしい時間である。
「病院に行ってから行くって連絡してある」
しれっと、答える天井。いつもの藍色の髪は今日もぼさぼさ。朝から同居人と一暴れしたせいで髪を整えてくる余裕が無かったからだ。
「天井さん風邪? おっかしいなぁ」
「いや、違うけど。病欠じゃ無いから、ほら」
天井は左手に持った自分の学生鞄を見せた。ちゃんと学校には行くとアピールのつもり。もっとも黒革の学生鞄は果てしなく薄く、そして軽い。
その中身は、教科書の最初の一文字分ですら詰め込まれていない。ついでに言えば朝のドタバタのせいで弁当も無い。同居人はその点をぶーぶーと文句垂れていたが、原因はほぼお前だ、と諭したところ『いいです、当麻君から強奪します』と天井同様に薄っぺらい鞄を持って先に登校してしまった。
多分、天井が昼までに登校すれば、そこまで大事にはならないと思う。
多分。
……多分。
「ですよね、おかしいですもんね」
火燈が口元を押さえているのは何故だろう。背中が震えている火燈だが、こちらから表情は伺えない。
だとしても、予想はつくものなのだ。
「何だその、天井さんは風邪なんて引きませんよねーぷふふ、みたいな顔」
カマをかけただけの言葉に答え、
「え、そんな顔してましたか? いやぁ、まいったなぁ、つい顔に出ちゃ――いや、でも学校は行っておいた方が良いですよサボってると後で大変な事になるんですから」
わざとらしく話の方向を変更する火燈。
「サボりじゃ無い。どうせ一時限目は一端覧祭の出し物を決めるLHRなんだから、別に遅れて行ったって構わないんだよ」
どうせお約束の喫茶店か、面倒な劇か、はたまた退屈な研究発表と相場は決まっているのだ。
正直、あまり興味は持てない。
学生がやる喫茶店なんてたかが知れてるし、劇なら迷わず裏方に立候補する。
(大道具係とか良いな、目立たなくて)
そして、今更一般高校レベルの研究発表なんて、それこそ興味が持てない。
「いやいや、果たしてそうですかねー。学園都市の一端覧祭ではなかなかぶっ飛んだ出し物を出す学校もありますよー、あとで自分も決めとけば良かったなんて事になったりねー」
「そういうのはやりたい奴にやらせとけばいいんだよ。張り切ってやりたい連中もたくさんいるんだし」
「天井さんは素直じゃないですねー、本当は参加したくて堪らないくせに、ぷふふ」
で、頭に出来立てのたんこぶ一つ乗っけた火燈を先頭に、歩いて数分で院長室。
割かし整頓されている潔癖空間の中央に執務机が鎮座している。
件の品。つまりそれっぽい物品はすぐに見付かった。普通に置いてあった。
……でも。
「さて困ったぞっとな」
机の前で、火燈は可愛らしく唸った。
唸った次の瞬間に、火燈の顔の横を閃光が突き抜ける。
火燈が振り返ると『不機嫌ですよ、マジで』みたいな顔をした天井亜衣が右手でピストルの格好を作って火燈に向けていた。
閃光は彼女の能力である電子同調によって制御されたいわば電子を集めた弾丸。ただの電気なので、壁などの構造物に当たっても、せいぜいが焦げ目が出来たりするぐらいで大した威力は無いが、人体や機械など、電気の影響を受けやすいものなら話は別。
もし当たればスタンガンに相当する電撃が火燈を襲った事だろう。
「びっくりしたじゃないですか」
毛ほどもびっくりしていない表情で火燈。
「びっくりした、で済まそうとするお前に私の方がびっくりするわ……」
と、薄紅色に頬を膨らませ、まるで瞬間湯沸かし器の様に、頭からピーピーと湯気を沸かす天井。
まったく、この人は冗談が通じないなぁ、と火燈はずれてしまったナースキャップを調整。こだわりの向きとかあるらしく、念入りに直している。
「ほんの冗談じゃないですか、病院を出てからカルシウムとかちゃんと取ってますか? 天井さんって自炊てんで下手なんですから、どうせいっつもコンビニ弁当とかでしょ。それは駄目だって言ってるじゃないですか。栄養が偏ってるから怒りっぽいんですよ、きっと。うん、多分。何故かここに良いものありますけど……一丁かじっとく?」
言って火燈は、おもむろにナース服のポケットから何かを取り出した。
開かれた手のひらに乗っているのは、
「……煮干し?」
割かし整頓されている潔癖空間の中央に執務机が鎮座している。
件の品。つまりそれっぽい物品はすぐに見付かった。普通に置いてあった。
……でも。
「さて困ったぞっとな」
机の前で、火燈は可愛らしく唸った。
唸った次の瞬間に、火燈の顔の横を閃光が突き抜ける。
火燈が振り返ると『不機嫌ですよ、マジで』みたいな顔をした天井亜衣が右手でピストルの格好を作って火燈に向けていた。
閃光は彼女の能力である電子同調によって制御されたいわば電子を集めた弾丸。ただの電気なので、壁などの構造物に当たっても、せいぜいが焦げ目が出来たりするぐらいで大した威力は無いが、人体や機械など、電気の影響を受けやすいものなら話は別。
もし当たればスタンガンに相当する電撃が火燈を襲った事だろう。
「びっくりしたじゃないですか」
毛ほどもびっくりしていない表情で火燈。
「びっくりした、で済まそうとするお前に私の方がびっくりするわ……」
と、薄紅色に頬を膨らませ、まるで瞬間湯沸かし器の様に、頭からピーピーと湯気を沸かす天井。
まったく、この人は冗談が通じないなぁ、と火燈はずれてしまったナースキャップを調整。こだわりの向きとかあるらしく、念入りに直している。
「ほんの冗談じゃないですか、病院を出てからカルシウムとかちゃんと取ってますか? 天井さんって自炊てんで下手なんですから、どうせいっつもコンビニ弁当とかでしょ。それは駄目だって言ってるじゃないですか。栄養が偏ってるから怒りっぽいんですよ、きっと。うん、多分。何故かここに良いものありますけど……一丁かじっとく?」
言って火燈は、おもむろにナース服のポケットから何かを取り出した。
開かれた手のひらに乗っているのは、
「……煮干し?」
俺、カルシウムなら誰にも負けませんよ。牛乳? ボッコボコにしてやんよ。
と、なんだか妙な幻聴が聞こえてきそうなくらいに煮干し。
「頭からバリバリいくといいらしいです。カルシウム抜群」
猫でもあるまいし、頭からバリバリいくと多分苦い。
天井、今度は学生鞄を飛ばす。鞄はくるくると回転して飛んで行き、「はぅぁ」と火燈の額にヒットし、煮干しがばらばらっと床に散らばった。
「誰が朝っぱらから煮干しかじるか。大体なんで煮干しを生でナース服のポケットに忍ばせてるんだ」
朝食は食べていないが、煮干しで朝食を済ませたくも無い。
「生の煮干しってなんですか……」
「知るか! 大体なんで煮干しなんて持ち歩いてるんだ……」
カルシウムを取りたいのなら、サプリメントでも良さそうなものだ。実際、天井はカルシウムの錠剤を持ち歩いてる人物を一人知っている。
それどころか、該当人物のポケットからはビタミンだの唐辛子だのいろいろと出てくるらしい噂を聞いたことがある。なんでも全部通信販売らしいが。
拾い集めた煮干しを握り、どこか遠くを見て火燈は答える。
「えっへへへ、なんか患者さんの中に猫好きな子が居ましてねー」
何がえっへへへ、なんだろうかという意味を込めて、天井は机の上を一瞥。位置が悪い、と小さく呟く。
「その子って、天井さんみたいな発電能力者でしかも常に微弱な磁場が出てるらしいんです、電磁波がどうとか、いや良く分からないんですけどね、他人の『自分だけの現実』なんて説明されても」
私もお前だけの現実って奴が良く分からないよ、という意味を込めて、天井は来客用の黒いソファーと、帽子掛けを一瞥。手で小突いて、こいつでいくか、と小さく呟く。
「だから猫みたいな敏感な生き物は磁場を感知する感覚が人間よりも数十倍鋭いんで、彼女の磁場を嫌ってピューって逃げちゃうんだって話ですよ、でもそれだと餌もあげれないから遠くで見てる事しか出来ないって彼女、落ち込んでまして――」
「……、」
天井、無言で足踏み。タイミングはチャー、シュー、メンで行こうと決める。
紺色のセーラー服と同色のスカートをはためかせて一歩、二歩、三歩。力強く床を蹴る。
目指すのは来客用ソファー。その肘掛、背もたれの順に乱暴な勢いで踏む。背もたれがバインッと揺れた。
超小柄な影が華麗に宙を舞う。
照明を遮り、火燈の上空を取ると、天井は両手をバッテンに交差させ叫んだ。
「――昨日休み時間に三馬鹿がやってたのを真似して! 飛翔垂直降下ストライク!」
「天井さん、いつの間にルチャドーラに!? まさか通信講座『一ヶ月でマスターシリーズ』――発売中止だって聞いていたのに」
飛翔垂直降下ストライク。かの有名なフライングクロスチョップチックな技を完全垂直方向に行う荒業である。重力を味方につけた一撃は火燈の脳天へと叩き込まれる。
「へりゅぶ――」
チャパ王とか関係ない。多分関係ない。
そして着地。
天井は、少し落とした声色で尋ねる。
「で、『どれ』が私の荷物なんだ?」
いい加減、目つきがやさぐれてきている感があるこの少女。イライラしているボルテージを示すかのように、前髪がバチンと帯電しだしている。
机の上には小包と銀色のアタッシュケース、それに紙袋が置いてあった。
「えーとですね、それはですね」
のろのろと起き上がり、机のへりに手をかけ、火燈も顔を出す。
マナーモードがONになった携帯電話みたいに『ヴー、ヴー』と妙な擬音語を発し、視線を左右に泳がせている。
(こいつ……さては……)
やがて、三つの荷物の上をうろうろしていた火燈の人差し指は高らかに掲げられた。
振り向き、火燈は言う。
「はい! ここで問題です! 三つのうち、天井さん宛の荷物は一体どれでしょう!? 一番小包。二番紙袋。三番アタッシュケース! 制限時間は三秒、ぴっぴっぴっはい時間切れ、失格ぅー!」
虚しく。ひたすら虚しく間が開いた。
「あ、あれ? 駄目? 実はどれが天井さんの荷物とか聞いてなくて。冥子さんも教えておいてくれれば良かったのにねー、冗談じゃ無いですよねー、本当、困ってしまいますよねー、あっははははは」
釣られて天井も、あはははは、と笑い、院長室にの空気が和んだ――――りはしなかった。
残念な事に。しなかったのだ。
「頭からバリバリいくといいらしいです。カルシウム抜群」
猫でもあるまいし、頭からバリバリいくと多分苦い。
天井、今度は学生鞄を飛ばす。鞄はくるくると回転して飛んで行き、「はぅぁ」と火燈の額にヒットし、煮干しがばらばらっと床に散らばった。
「誰が朝っぱらから煮干しかじるか。大体なんで煮干しを生でナース服のポケットに忍ばせてるんだ」
朝食は食べていないが、煮干しで朝食を済ませたくも無い。
「生の煮干しってなんですか……」
「知るか! 大体なんで煮干しなんて持ち歩いてるんだ……」
カルシウムを取りたいのなら、サプリメントでも良さそうなものだ。実際、天井はカルシウムの錠剤を持ち歩いてる人物を一人知っている。
それどころか、該当人物のポケットからはビタミンだの唐辛子だのいろいろと出てくるらしい噂を聞いたことがある。なんでも全部通信販売らしいが。
拾い集めた煮干しを握り、どこか遠くを見て火燈は答える。
「えっへへへ、なんか患者さんの中に猫好きな子が居ましてねー」
何がえっへへへ、なんだろうかという意味を込めて、天井は机の上を一瞥。位置が悪い、と小さく呟く。
「その子って、天井さんみたいな発電能力者でしかも常に微弱な磁場が出てるらしいんです、電磁波がどうとか、いや良く分からないんですけどね、他人の『自分だけの現実』なんて説明されても」
私もお前だけの現実って奴が良く分からないよ、という意味を込めて、天井は来客用の黒いソファーと、帽子掛けを一瞥。手で小突いて、こいつでいくか、と小さく呟く。
「だから猫みたいな敏感な生き物は磁場を感知する感覚が人間よりも数十倍鋭いんで、彼女の磁場を嫌ってピューって逃げちゃうんだって話ですよ、でもそれだと餌もあげれないから遠くで見てる事しか出来ないって彼女、落ち込んでまして――」
「……、」
天井、無言で足踏み。タイミングはチャー、シュー、メンで行こうと決める。
紺色のセーラー服と同色のスカートをはためかせて一歩、二歩、三歩。力強く床を蹴る。
目指すのは来客用ソファー。その肘掛、背もたれの順に乱暴な勢いで踏む。背もたれがバインッと揺れた。
超小柄な影が華麗に宙を舞う。
照明を遮り、火燈の上空を取ると、天井は両手をバッテンに交差させ叫んだ。
「――昨日休み時間に三馬鹿がやってたのを真似して! 飛翔垂直降下ストライク!」
「天井さん、いつの間にルチャドーラに!? まさか通信講座『一ヶ月でマスターシリーズ』――発売中止だって聞いていたのに」
飛翔垂直降下ストライク。かの有名なフライングクロスチョップチックな技を完全垂直方向に行う荒業である。重力を味方につけた一撃は火燈の脳天へと叩き込まれる。
「へりゅぶ――」
チャパ王とか関係ない。多分関係ない。
そして着地。
天井は、少し落とした声色で尋ねる。
「で、『どれ』が私の荷物なんだ?」
いい加減、目つきがやさぐれてきている感があるこの少女。イライラしているボルテージを示すかのように、前髪がバチンと帯電しだしている。
机の上には小包と銀色のアタッシュケース、それに紙袋が置いてあった。
「えーとですね、それはですね」
のろのろと起き上がり、机のへりに手をかけ、火燈も顔を出す。
マナーモードがONになった携帯電話みたいに『ヴー、ヴー』と妙な擬音語を発し、視線を左右に泳がせている。
(こいつ……さては……)
やがて、三つの荷物の上をうろうろしていた火燈の人差し指は高らかに掲げられた。
振り向き、火燈は言う。
「はい! ここで問題です! 三つのうち、天井さん宛の荷物は一体どれでしょう!? 一番小包。二番紙袋。三番アタッシュケース! 制限時間は三秒、ぴっぴっぴっはい時間切れ、失格ぅー!」
虚しく。ひたすら虚しく間が開いた。
「あ、あれ? 駄目? 実はどれが天井さんの荷物とか聞いてなくて。冥子さんも教えておいてくれれば良かったのにねー、冗談じゃ無いですよねー、本当、困ってしまいますよねー、あっははははは」
釣られて天井も、あはははは、と笑い、院長室にの空気が和んだ――――りはしなかった。
残念な事に。しなかったのだ。
「ひぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁ、天井さんのおこりんぼうーッ!!」
直後、院長室のガラスを突き破って中庭へと落下していく看護婦。
尾をひいた悲鳴が、秋の空に悲しく木霊した。
直後、院長室のガラスを突き破って中庭へと落下していく看護婦。
尾をひいた悲鳴が、秋の空に悲しく木霊した。