第29話「鳥籠の守護者《スクールデェフェンサー》 後編」
11月2日 昼頃 警備員五九支部
成瀬台高校から300m離れた場所に位置する3階建ての事務所。そこが警備員第五九支部だ。割と近いようで遠い様な気もするこの距離は不良生徒の多い成瀬台で何かあった場合、車で即座に駆け付けられ、同時に有事の際に簡単に学生に装備を奪われないようにするために徒歩やランニングでは少し遠く感じる距離にしてある。
1階は専用のパトカーや護送車、2階が事務室、3階に装備が保管されている。
その2階でその日の授業を終えた酉無は趣味で集めているプラモデルの埃を取りながら、パソコンの前でメールが来るのを待っていた。
ちなみにプラモデルは1/200スケールのHsB-02である。
パソコン画面に「You got Mail」と表示が出た。
「お!来たでありますな!」
酉無はひとまずプラモを置き、パソコンに向かう。
送られてきたのは警備員総合鑑識所からのメールだ。
ブラックウィザード残党と界刺の事件で現場に残されたブーツの足跡から、元のブーツの照合結果が出たそうだ。
(例のブーツは…ヴェンゼン社が一般販売している軍用ブーツでありますな。これは随分と大手ですな…。お、購入者と大量購入した企業の一覧も添付してくれたでありますか。さすが総鑑。仕事が早いであります)
添付ファイルを開き、ズラリと並べられた購入者リストを眺める。
この学園都市の通貨は日本と同じ“円(YEN)”である。しかし、学園都市内で流通する紙幣、硬貨には超小型のICチップが内蔵されており、1円も逃すことなく都市内の金の流れを把握することが出来る。露店や個人間でなければ、誰がどこで何を購入したかすぐに分かるため、学園都市内でのマネーロンダリングは理論上不可能とされている。あくまで都市内では…の話である。
画面をスクロールして購入者リストを舐めるように眺める。大手の人気商品ではあるが、足跡から靴のサイズ、使用者の体重もある程度は予測できる。それだけで人数はかなり絞ることが出来る。
リストを一通り眺めたが、それらしい人物を見つけることは出来なかった。あの事件を引き起こせる高レベルの能力者も見つけられず、軍隊蟻のメンバーなど尚更の話だった。
次にこの商品を一括購入した団体のリストを見る。安価で丈夫なこともあって、幾つかの企業や大学の
サークルが購入している。
その中で、酉無は一つだけ気になる団体を見つけた。
“頃月大学 アウトドアサークル”
「これは何か…怪しいでありますな…」
酉無はこの団体の名前に覚えがあった。そして、すかさず詳しい人物へと連絡を取る。
「あ、黒岩殿でありますか?お久しぶりであります。酉無です」
『おう!誰かと思ったら銃に詳しいあんちゃんか!どうした!?』
電話越しに聞こえる威勢の良い声。若い学生では絶対に出せないであろう年季の入った威厳は酉無の鼓膜を轟かせる。受話器越しでも耳がキンキンする。
「あ…はい。実はちょっと調べている物がありまして…9月の頃月大学のアウトドアサークルの事件って、黒岩さんが担当でありましたか?」
『ああ!あの女誘って乱痴気騒ぎ起こしたバカ共のことか!?ああ!覚えとるわい!』
「実はちょっとお尋ねしたいことが――――」
『ああ!?何じゃ!?はよ言ってみい!』
「あ、はい。実はアウトドアサークルのサークル棟への強制捜査に入った時でありますが、そこの大量の軍用ブーツは無かったでありますか?今年の8月に20足ほど大量購入した記録があるのでありますが…」
酉無の質問を聞いた途端、電話口の向こうが静かになった。おそらく、当時のことを思い出しているのであろう。3か月前のことなのでそれほど昔のことでもないし、黒岩もボケるような歳ではない。
『ああ…。いや、軍用ブーツなんて無かったわい。そもそもあそこはアウトドアサークルの皮を被ったナンパサークルで本格的なアウトドアらしい活動はしとらんかったからのう…』
一度、思い出そうと黙り込んだのか、黒岩の声のトーンは下がっていた。
「では、ブーツがどこに行ったのかは分からないでありますか?」
『いや、当時はブーツのことなんかワシら気にしとらんかったからのう。その事に関しちゃサークルのリーダーにでも聞いた方が早いじゃろ。どれ、刑務所の方にでも便宜を図ってやるわい』
「あ…いえ、そこまでは…」
『年寄りの施しは素直に受け取るもんじゃ。それにあそこの刑務所長とは酒飲み仲間だから電話一本で気軽に頼める』
「では、お言葉に甘えて…」
* * * *
神谷稜がいなくなった。
風川からその一報を受けた一七六支部は騒然とし、大忙しとなった。
病院で加賀美から電話を貰った
鏡星麗と斑孤月もすぐに病院から飛び出して稜を探し回った。
しかし、ゆかりのバックアップもありながら誰も稜を見つけることは出来なかった。おそらく、監視カメラの死角を潜りながら病院から離れたのだろう。風紀委員である彼ならば監視カメラの設置場所の法則とその死角の傾向は理解していただろう。
「あー!もう!仕事増やしてー!正美ちゃん泣かせるとかマジ最低!だからあいつはイケメンじゃなくて“逝けメン”なのよ!」
―――と大声で愚痴を撒き散らしながら麗は稜の捜索を続行した。
狐月も病院から飛び出して別ルートで稜を探していたが、病室に荷物を置きっぱなしだったのと「これ以上は闇雲に探しても無駄だろう」とある程度の見切りをつけて病院へとUターンしていった。
見切りをつけたのは単に薄情だからではない。一七六支部が一丸となり、より効率的に捜索する時の為に体力を残しておく必要があったからだ。いざとなれば自分と加賀美が稜を止める為の主戦力になるかもしれない。
狐月は歩いて病院へ引き返し、1階ロビーへと辿りついた。
《斑先輩。聞こえますか?1年の
南光美羽《ナンコウ ミワ》です》
女の子の声が直接脳内に響き、感覚器官を介さずに直接脳に言葉が伝わる。
学園都市ではそれほど珍しい現象ではない。念話(テレパス)系の能力による干渉であり、互いに思念するだけで会話ができる能力だ。
狐月に語りかける能力者・南光美羽は映倫中学1年生で支部は違えど風紀委員であることから何度か顔を合わせたことがある。
《南光ですか。聞こえています》
《それは良かったです。警備員の紫崎先生に伝言を頼まれたのでちょっと聞いてもらって良いですか?》
《構いませんが、どうして念話で?》
《先生がどうしても念話でやって欲しいとのことでしたので…》
(他の人にはどうしても聞かれたくない内容ってことでしょうか…)
《良いですよ。伝言をお願いします》
《はい…。『14時から5分間、病院の正面入り口付近で“昨日の男を思い出せ”』とのことです。あの…これってどういう意味ですか?事件か何かなら…》
《いえ、貴方は気にしなくて大丈夫ですよ。ちょっとした私用です》
《では、私はこれで失礼します》
ブチッと何か回線が切れる音と共に南光との念話が切れた。
「さて…14時ですか。随分と急な話ですね」
狐月が時計に目を向けると、時刻は13時50分を指していた。
自分が入り口付近で昨日のあの男の顔を思い浮かべる。この行動はおそらく自分の脳内の記憶にしか存在しない“あの男”を能力者を使って引き出すことを目的としているのだろう。学園都市には人が頭に浮かべた画像を読み取る能力者がいて、警備員によく協力していると聞いたことがある。
どうして念話で極秘作戦のようにしなければならないのかまだ分からないが、昨日の男が使っていた武器からして、簡単な事情ではないことは分かっていた。
(私が直接、あの男の姿を描いた方が…いや、認めましょう。自分に絵心がないことを)
狐月は病院のロビーにあった雑誌を手に取り、入口に一番近いソファーに座る。
そして、雑誌を読むふりをして昨日の朝の男のことを思い出す。自分の中にある記憶は自販機の前のやり取りで見た光景、そして気絶するかしないかの瀬戸際を彷徨いながら必死に目を開けて見ていた稜と戦う光景だ。
時刻は14時10分を過ぎた。狐月はソファーから立ち上がり、退院の手続きと荷物をまとめるために自分の病室へと戻った。
病院の駐車場にある1台の車に一人の制服姿の女子高生が乗り込んだ。
車の中では運転席に紫崎、後部座席に緑川と橙山が座っており、女子高生は助手席に座った。
「彼の思い浮かべたものは見えたか?」
「大丈夫です。今、スケッチに描きます」
そう言って、女子高生はカバンからスケッチブックを取り出し、鉛筆でスラスラと狐月の思い浮かべた光景を描いていく。その絵はまるで写真のようにリアルで狐月が見た光景をそのまま映したかのようだあ。
1枚目は自販機の前でやり取りした際に振り向いた男の顔、2枚目は謎の伸縮する刀を持って稜と戦う姿だ。
「ふぅ~出来上がりました」
「随分と早いな。ありがとう。もう帰っていいぞ」
「いえいえ。どういたしまして。ところで何の事件ですか?」
「悪いが、まだあまり多くを語れる事件じゃない。だから、こうして秘密裏に行動している」
今回の一件で警備員、風紀委員が介入できないようにATTが犯人に関する情報を遮断している可能性がある。犯人の顔を目撃している稜や狐月にATTがマークを付けていて、接触できないようにしているかもしれない。
「まぁ、悪用じゃないなら良いですよ」
女子高生はスケッチブックの描いたページを切り離して紫崎に渡し、車から出て行った。
紫崎は受け取ったページを眺め、緑川も身を乗り出して背後からそれを見る。橙山はまだ二日酔いが残っているのか、座席でぐったりとしたままだ。
「これが紫崎の言ってた件のテロリストか。欧州で活動するテロ組織と話には聞いてたから、てっきり白人かと思ってたが…どう見ても東洋人だな」
「ああ。名前とかまでは分からないが、とりあえず似顔絵をゲットしただけでも大きな進歩だ」
紫崎がキーを廻し、車のエンジンをかける。電気自動車の静かなエンジン音と意識しないと気付かない微かな振動だ。
「ちょっと支部に寄るぞ。こいつをコピーしておきたいからな」
紫崎がアクセルを踏もうとした時だった。
「うぅ…」と呻き声を上げながら、ぐったりしていた橙山が挙手する。
「家に…帰らせてください…二日酔いが…」
「もう14時だぞ。どれだけ飲んだらこんな時間まで二日酔いが残るんだ?」
「そもそも昨日、紫崎から事情は聞いただろ?夜は自主パトロールするって3人で決めたじゃねえか。なんで泥酔してんだ?この野郎…じゃなかったこのアマ」
「だってぇ~。しょうちゃん(
唐茶話菖蒲)とみう(
破多野三海)が~誘って来るんだも~ん」
「あーはいはい。分かった分かった。お前はもう家で休んでろ。第七学区のどこだ?」
「この駐車場から東に500m…おおなぎコーポ201号室」
「けっこう…近いんだな」
* * * *
学園都市 第十学区
周囲を高い塀で囲まれた巨大な刑務所。第十学区という土地柄のせいで陰鬱な雰囲気が漂うが、刑務所の周囲になる監視カメラや有刺鉄線のせいで更に窒息しそうな閉塞感が漂う。
敷地内にある最大の施設、その中の面会室で酉無は例のサークルのリーダーと向かい合っていた。
互いに広いスペースの部屋が与えられ、ぶ厚いガラスで互いの空間がさえ切られている。しかし、ガラスは透明そのもので視界はクリアだった。酉無はパイプ椅子に座り、リーダーの方は手錠をかけられた状態で同じく椅子に座っていた。向こうは傍らに看守が立っていた。
そこそこ規定がフリーな刑務所なのか、彼の髪は大学生だった頃のうなじまでかかる長い茶髪のままだった。
「頃月大学アウトドアサークルのリーダー、月見くんでありますな?」
「“元”な。あんた誰だ?」
「自分は警備員五九支部の
酉無沢雄であります」
「警備員が今更何の用だ?余罪なんてもう叩いたって出てこねぇぞ」
「いえいえ。君の犯罪歴についてはもう何も言わないであります。自分が聞きたいのは、8月頃にサークルの方で大量購入されたブーツについてであります」
「ブーツ…?ああ、あれのことか」
「やはり、ご存知でありましたね?そのブーツなのですが、あれは一体、どこにいってしまったのでありますか?」
月見は目線を逸らし、しばらく口を噤んだ。
「ほぅ…そこはだんまりを決め込むのでありますか」
「いや、ちょっと話そうか否か考えてただけだ」
「で?話してくれるのでありますか?」
「ああ。洗いざらい全部話してやるよ。別にバレたところでもう得るものも失うものもないからな。確かに8月頃に俺とサークルの名義でブーツを買った。けど、俺らは一度も使っちゃいない。すぐに譲渡したよ。元々、そういうことを前提に買ったものだからな。俺らはブーツの購入代+50%の金額を受け取った」
「要は名義貸しということでありますな。それでブーツの行方は?」
「……軍隊蟻だよ。そこの樫閑って女から話を持ちかけられた」
その言葉を聞いた途端、酉無は心の中でほくそ笑んだ。これだけでは軍隊蟻を犯人と断定できないが、事件直前の密会やブーツの件も考えると容疑者として樫閑を拘束するには充分な証拠が揃った。
(これで犯人が軍隊蟻であるなら、事件は早々に解決できて御の字でありますな。捕まえて、色々と吐いてもらうであります!)
「そう思っていた時期が、自分にもあったであります」
11月3日の朝。警備員第五九支部の机で酉無は突っ伏していた。彼の身体に溜まっていた疲れがオーラのように溢れ出て、ただでさえ醸しだされている負のオーラが更に強くなっていた。
結論から言えば、上層部から令状が下りなかった。それどころか、夕方頃になってATTとかいう対テロ部隊がズカズカと支部に入り込み、鎖部から受け取った界刺と樫閑の密会の証言が書かれているレポート、ブーツの足跡が残っていた瓦礫の破片や足跡の照合データ等、事件に関わるありとあらゆるものを徴収(強奪)し、更にATTではない別の警備員が何時間もかけて捜査状況を根掘り葉掘り聞いて来て、昨晩の10時に解放された。ここまで露骨に軍隊蟻を擁護するような行動に出られたのは酉無にとって意外だった。
(ここまで露骨にされると、ますます軍隊蟻が犯人ではないかと怪しく思えてくるのであります…が、残念ながら自分はタイムリミットであります)
酉無が壁にかけられているカレンダーに目を向ける。
11月3日 定期訓練 11月4日 防空出勤
酉無は学園都市の防空部隊に所属しており、教員・通常の警備員と兼業している。防空部隊所属のパイロットには年間飛行時間の最低限度が定められており、特別な理由もなく1年間の飛行時間がこれを下回ると審議会にかけられてパイロットを降ろされてしまう。(逆に飛行時間が長すぎると強制的に休暇を取らされる)
酉無は兼業していることもあって飛行時間が少なく、更に第三次世界大戦ではインフルエンザにかかって休んでいたため、防空出動で飛行時間を稼ぐことが出来なかった。
(口惜しいでありますが、この事件は唐茶話殿と鎖部殿に引き継ぐしかないでありますな。引き継ぐものを全部、上層部に奪われたでありますが…)
* * * *
11月3日 朝10時
多数の的が並べられ、鋼鉄の壁に囲まれた空間。ひんやりとした金属特有の冷たさが漂う。人間がほとんどいないこともあって、静寂が更に冷たさを感じさせる。
張り詰めた空間を突き破るように銃声が鳴り響く。他に雑音などなく、純粋に弾丸が発射される音、弾丸が的に命中する音、命中したことを知らせる機械音だけが純粋に聞こえる。
朝早い時間、誰もいない警備員射撃訓練場で橙山は一人黙々と引き金を引く。
結局のところ、橙山、紫崎、緑川の3人の捜査は徒労に終わった。似顔絵を入手し、そこからコンピュータで骨格データを作成、学園都市中の監視カメラのスキャンデータに照合させたが、見事に該当0件。更にオービタルホールで発生した事件の増援として駆り出されてしまった為、途中で捜査の中断を余儀なくされた。
昨日は踏んだり蹴ったりの一日だった。その鬱憤を晴らすために橙山は訓練と称したストレス発散をここで行っていた。
一通り装填されていた弾を撃ち終え、橙山は一息ついた。
「あ、もう誰かいるし。私が超絶一番乗りだと思ってたんだけどなぁ」
背後から男勝りな女性の声が聞こえる。聞き覚えのある声であり、橙山は銃を置いて振り返った。
視線の先には波多野二海がいた。パーカーにジャージという部屋着とも運動着とも取れるラフな格好だ。
「おはようございます!橙山先輩!あ、あと先日は妹(三海)がご迷惑をおかけしました」
二海が来てから射撃訓練場は一気に五月蝿くなった。声が何度も壁を反響する。
「そこまで頭下げなくて良いよ。こっちも楽しくてお酒を飲んでたから」
「そうですか。ところで、先輩も射撃訓練ですか?」
「まぁ、訓練と言う名のストレス発散かな。ちょっと厄介な問題を抱えていてね。昨日は踏んだり蹴ったりな一日だったわ。そっちは?」
「私は射撃訓練のノルマ達成率がちょっと危なかったので、そろそろ弾を消化しておこうかなと思いまして」
「そっちが良いなら訓練に付き合おうか?自慢ってわけじゃないけど、射撃には自信があるから」
「おお!ありがとうございます!三海から話は聞いてはいたので、超絶嬉しいです!是非ともご教授お願いします!」
二海は玩具を前にした子犬のように目を輝かせる。橙山が射撃訓練に付き合ってくれることがよほど嬉しいようだ。
それもそのはず、橙山は射撃の達人として警備員の間ではちょっとした有名人であり、狙撃から早撃ちまで銃に関することなら何でもこなすテクニックを持つことから「力の緑川、技の橙山」と言われている。
銃を選び、二海は的に向けて一心不乱に弾丸を撃ち込む。その傍らで橙山は彼女の射撃の姿勢や撃つ時の癖などを観察している。
二海が撃っている銃が弾切れになった。撃ち方をやめ、マガジンを取り外してまた新しいマガジンを装填する。
「橙山先輩。そういえば、厄介な問題ってなんだったんですか?」
「ああ。これよ。これ」
そう言って、橙山はズボンの尻ポケットから1枚の紙を取り出し、4つ折りだった紙を広げて二海に見せる。
昨日、能力者の女子高生に書いてもらった絵で最も犯人の顔が鮮明に描かれたものだ。
「昨日からこの男を探しているんだけど、断片すら掴めなくて困っているんだよな。見た事あるか?」
「いや、見たことないですね。もしかして、“元カレ”とかですか?」
“元カレ”というキーワードが二海の口から出た途端、橙山は膝から崩れ落ち、全体重を壁に投げだした。昔のコントのようなリアクションから二海はすぐに悟った。
(あ…地雷踏んじゃったな)
「“元”…カレねぇ…。人生=彼氏いない歴更新中の私には縁遠い言葉だよ…」
「あ…えっと、何かすみませんでした。で、この人は何なんですか?」
「“とある事情”としか言えないよ。とにかく、見つけたか何か手掛かりでも掴めたら早急に私か紫崎、あと緑川に連絡お願い」
「わ、分かりました」
「じゃあ、訓練の続きをしようか」
午後1時ごろ
テロ騒ぎで野次馬が集まる地下街の入り口。
ゲームセンターで遊んでいたユマ達を香ヶ瀬が襲撃して30分が経つ。
通報を受け、それを能力者によるテロだと認識した警備員は武装して突入した。
二海が地下街入口付近で外国人女性(ユマ)と中学生(智暁)を保護、地面を破壊して地下鉄に逃走した犯人(香ヶ瀬)を別動隊が逮捕したことで幕を降ろした。
警備員として地下街に突入していた
破多野二海は犯人が逃走する際に開けた巨大な穴から暗闇を見下ろしていた。この真下には地下鉄が通っているのだが、かなり深いところを通っているのか、中々見えない。
下が見えないことが分かると、今度は穴の周辺を見回す。
穴の縁は一部が液状化しており、超高温の物体で切断(溶解)させられたかのような跡だった。
(通報では念動力で固体を射出するって聞いたんだけど…。溶かす兵器でも持ってたのか?それにこの高さ…普通は死ぬよな?)
『おい。破多野。聞こえるか?』
インカムに上司から連絡が入る。
「はい。大丈夫です」
『作戦は終了だ。指令車まで戻れ』
「了解」
二海は惨状となった地下街を後にした。気がかりなことは解消されないままだったが、脳筋の自分が考えたところで答えは出ないことは分かっていた。
自分が突入した入口に指令車が待機している。自分が通った道を戻ればいい。
作戦中の緊張を解すためになんとなく覚えているCMソングを鼻歌で歌いながら歩くが、気分は晴れなかった。自分が歩く道に沿って血の痕が点々と続いているからだ。
自分が保護した外国人女性、彼女に背負われた中学生の血が連綿と続き、大きな血溜でそれ終わっていた。
出入口の階段付近に辿り着いた。階段の上から真昼の太陽の光が差し込んでくる。
(シャワー浴びたら、ちょっと様子でも見に行くか)
クシャッ・・・
何かツルツルした紙のようなものを踏んだ。瓦礫や大理石とは違う感触が足に伝わる。
二海が足元に目を向ける。彼女の足は裏向きに落ちていた写真を半分ほど踏んでいた。
(写真?もしかして、あのラテン系のねーちゃんのか?)
二海は写真を拾い、ひっくり返して表面を見た。その瞬間、彼女の脳に電流が走り、新鮮な記憶が呼び起された。
* * * *
11月3日 夕方
スキルアウトが跋扈する学園都市で一番治安の悪い第一〇学区。しかし、この学区に集められている研究施設は学区の治安とは裏腹に厳重な警備が敷かれ、外観も中身も清潔に保たれている。少なくとも使用されている建物に亀裂や綻びは見られない。
この第一〇学区には原子力や細菌の研究所、少年院や墓地など人から避けられている施設が集中している。その中で原子力や細菌は放射線・細菌などの流出を防ぐ必要があるため、設備は常に万全の安全対策でなければならず、同時にテロリストやスキルアウトにNBC兵器が渡らないようセキリュティも厳重にするのだ。
その中で一つ、周囲を鉄柵で囲み、駐車場や出入り口付近を武装した警備ロボットが動き回る施設がある。
“湯川原総合研究所”
第一〇学区の研究施設としては小振りで規模も小さいが、施設の外観や警備状況は他の研究施設と比べて遜色ない。
内装は白色が中心としたもので清潔感が溢れる。今年新築でまだ誰も使った事が無いようにも思えるほど汚れがなく、同時に人間がいた形跡が感じられない。
誰もいない静寂に包まれた研究所内。使用されている機器や監視カメラの駆動音だけが静かに聞こえる中で、足音が鳴り響いた。
「んっふふー♪どうよ!この充実した設備!」
そう衿栖は甲高く声を挙げ、大手を広げていた。
律子も研究所にある設備、実験機器を眺めて目を輝かせる。
「驚いたわ…。よくここまでの代物を用意できたわね。予想以上というか予想外というか…。どうやって手に入れたのかしら?貴方の財力?」
「さすがに私でも無理だよ。ここは1年間のレンタル契約。契約だと使えるのはこの研究所の一部のフロアだけなんだけど、他のフロアは誰も使っていないから、事実上、研究所は貸し切り状態。ぶっちゃけ、他のフロアから機材をちょろまかしてもバレないでしょ」
「恐ろしいくらいに太っ腹ね」
「“レベル6”って言葉に魅了されたパトロンがたくさんいるからね」
「そのパトロンを信用していいのかちょっと不安なんだけど…まぁ、そういうのは後にするわ。とりあえず、これで設備と“踏み台”が揃ったわね。メインのレベル6候補の方は、選定は終わったのかしら?」
「もっちろ~ん!!栄えあるレベル6候補に選ばれたのは~」
衿栖は自分の口でドラムの音を再現しながら発表を溜める。律子は彼女のノリについていけず(&いかず)、少し冷めた目で彼女を見つめる。
「ジャジャーン!
毒島帆露ちゃんに決定いたしましたぁ!おめでとう!私達の莫大な利益と科学技術への貢献のために犠牲になってね!」
律子が少し不思議そうな表情を衿栖に向け、彼女はそれを感じ取った。
「あれ?どうしたの?何か不満?」
「いや、ちょっと意外と思っただけよ。貴方のパソコン履歴を見たら
風川正美って子にご執心だったから、てっきり彼女にするのかと…」
「ああ。あれのこと?あれはちょっと懐かしい気持ちになったからちょっと調べただけよ。ほら、部屋を掃除している時に卒業アルバム見つけたらついつい見ちゃうでしょ?それと同じ。ってか、人のパソコン勝手に覗かないでよ!」
「ロックをかけない貴方が悪いのよ。とりあえず、彼女になったのね。木原に使い潰されて能力レベルが心配だったけど、貴方が“真面目に”選定してくれたのなら信用するわ。けど、どうやって彼女を連れて来るつもり?あれの周囲には軍隊蟻がうろついていて、傍には振動支配もいるのよ。容易じゃないわ」
それを聞いて、衿栖はフフンと鼻で笑いながら指で○のマークを作る。
「振動支配はともかく、軍隊蟻の方は問題無いよ。ちょっと調べたんだけど、今は別件に力を注いじゃってて、もしこっちが動いたとしても突然の事態でそんなに兵は出せないよ。振動支配については…まぁ、数の暴力でどうにかなるでしょ?」
「随分楽観的ね。その“数”とやらはどれくらいまで揃えたのかしら?」
「え~っと、
テキストから横領した死人部隊が4人、そこから盗んだ技術で私が独自に作った死人部隊が19人。合わせて合計23人ってところかな?そっちは?」
「こっちは刑務所から連れ出した7人しかいないわ」
「随分と少ないね」
「仕方ないじゃない。捨て駒として利用する筈だった奴らのほとんどが2日前に全身複雑骨折で入院してるんだから」
「まぁ、多過ぎると今度は輸送手段で悩むからね。これくらいで丁度いいよ」
「決行はいつにするつもりかしら?」
「決行は今夜、実験自体も明日には始めたいかな。『膳は急げ』って言うし、軍隊蟻に気付かれたりしたら厄介だからね。そうなる前に済ませたいかな」
「異論は無いわ」
笑莉と律子は不気味な笑みを浮かべる。数年前から画策していた研究が実行できることに心が躍る。例えその過程でいかなる犠牲が出ようとも2人は気に留めることはない。衿栖は利益、律子は学術的興味に対して狂的なまでに純粋であり、2人の興味関心の暴走列車にブレーキなど存在しないのだ。
それは、2人の科学者人生における鬼門である
木原一族のように―――
* * * *
11月3日 夜9時
消灯時間となり、寝静まった第七学区のとある病院。
月明かりだけが頼りの暗い廊下で足音が響く。
足音の主はユマだった。誰にも気づかれず、巡回の医師や看護師の目を盗み、抜き足、差し足、忍び足で慎重に、周囲に警戒しながらゆっくりと病院の中を進んでいた。
身体はまだ本調子じゃない。香ヶ瀬との戦いからまだ8時間しか経っておらず、身体の各所に包帯が巻かれていた。手には霊装「イツラコリウキの氷槍」が握られている。
「こんな夜、女性が一人とは危ないですね」
ユマの進む先の暗闇から聞こえる若い男の声。セリフはユマのことを案じているように受け取れるが、声や鼻につくような話し方から高い自尊心、エリート意識、自分に向けられる蔑みが容易に窺える。ユマが一番嫌いな種類の人間だ。
カツカツと高そうな靴の足音を立てながら、奥の暗闇から声の主が姿を現した。
風紀委員一七六支部の
斑狐月だった。体の傷は癒え、地震の周囲に風の壁を作る。完全に臨戦態勢だ。
「送りましょうか?留置所まで」
「エスコートはいらねぇよ。腕っぷしには自慢があるんでね」
ユマは目の前のエリート野郎にイツラコリウキの氷槍の刃先を向けた。
学園都市の風力使いとアステカの魔術師
普通なら決して出会うことのない2人が対峙する。
最終更新:2013年12月28日 12:20