福百の眼前では、先程から帝白と来栖の間で何度もメモの往来が繰り広げられている。メモに記されるヘンテコリンな字体の文字を福百は理解できないが往来速度の速さからそれが重大なやり取りである事くらいは嫌でもわかる。
途中で来栖が文字の意味を理解できずに返答に困る場面が何度か起きたか、その度に帝白が別の文字を書く事で来栖へ理解させる。
10分程経過した頃、ようやくメモの往来はストップした。そして5分程帝白は目を閉じ、扇子で口元を隠しながらずっと沈黙していた。
来栖もまた口を開かない。福百も口を挟む事はできない。『百来軒』から離れた位置でずっと降り続けている雨音が鼓膜を叩き始める。それ程屋台の内側は静寂に包まれている証だ。


「ある程度覚悟はしておったつもりだが、斯くも大それた事になっておったとはの」

「店主。悪いが今夜の席の話は他言無用だ。いきなりこんな事言って悪いのはわかってんだけどよ」

「いや、いいよ。どうやら今夜の席は色々ワケ有りみたいだからね。先生や教え子さんの為になれたなら私はそれでいいよ」

「サンキュ。そう言って貰えると助かる」


福百の返答に感謝する来栖は、チラリと帝白を見る。今日帝白をここへ呼んだのは彼へ『伝説の卒業式』の一件を伝え、元明知生徒会会長である彼の意見を聞きたいと思ったが為だ。
はっきり言って、今回の事件は明知史上前代未聞の大事だ。来栖がすんでの所で犯人を抑えなければ生徒の一人は間違いなく死亡していた。
来栖が緘口令を破ってまで帝白の意見を聞きたいのは、裏返せば部外者の帝白にまで助言を仰がなければならない程危機感を募らせているからだ。


「んで、元明知生徒会会長としてどう思うよ?お前の後釜に就いた明知支部のエースや現生徒会長を軽蔑するか?お前が触れ合った後輩がこの一件の抗争グループに加わった事に失望したか?忌憚の無い意見を聞かせてくれよ帝白」

「…だそうだよ教え子さん?」

「フッ、わしがどうして彼女達を軽蔑しなければならないんですかいの?何故わしが過去に触れ合った後輩に失望しなければならないんですかいの?」


来栖の問い掛けと福百の促しを受けて重い口を開く帝白は、数時間前に喧嘩した誇るべき女性の強がった笑顔を思い出す。
あの裏側にどれだけの悲しみを抱えていたのか、どれ程の苦しみを隠していたのか想像に難くない。
【尊大な羞恥心】、裏面に【臆病な自尊心】と描かれている扇子を広げ、頭上へ掲げる帝白の独白のような返答は続く。


「わしは昔から受動的なタイプの人間でしての。この言動も今は亡くなった祖父のものが移ったもんです。サーカスが好きになったのも祖父に連れて行って貰ったサーカス団との出会いが切欠です。
そして、わしが明知の生徒会長になると決断したのも周囲が…皆がわしの背中を押してくれたからですの。わしは当初生徒会長になる気なんて全く無かったんですから」

「……」

「……」

「そんなわしが、どうして自ら風紀委員となって悪に立ち向かうと決断した彼女を…自らの意思で生徒会長になる事を決断した彼女を軽蔑できましょうや?
わしからすれば、彼女達はいずれも尊敬して止まぬ素晴らしい人間だと思うのです。誰かからの受け売りでは無く、本当に自分の意思で立った彼女達をわしは軽蔑などせん」

「それじゃ、お前が過去に触れ合った後輩は?」

「同じ事ですな。あやつがこのような事件を起こした裏には何か理由がある。やった事は決して褒められません。ですがの、わしの知るあやつがまだ残っておったなら…あやつがこんな行動に走った裏には何か譲れないワケがある。それを当事者でも無い部外者が断片的な情報で結論付ける事にどれだけの価値があるんですかいの?」


帝白の独白に近い返答はいずれも大人の台詞だ。感情的にならず、理知的な受け答えに終始している。
本当は絶対に何か言いたい事はある筈なのに。斗修星羅神輿庭麟子遊臥焔雀達の行動に文句の一つでも言ってやりたくなるのが普通の反応の筈なのにそれを帝白がしないのは、彼が言う能動的と受動的の違いに彼自身が拘っているから…だろうか。






とある高校の中華麺王(ラーメンマスター)異説 「中華麺王と在校生と卒業生」Ⅳ~






「わしは祖父からこう教わりました。『立場は人をどんな風にも育てる』と。故に、わしは周囲の環境や立場に重点を置いております。
もし、今回の事件にわしがあえて注文を付けたいとするならば『何故このような事態になったのか学院や生徒会、風紀委員はその原因をはっきり分析し、二度と同様の事件を起こさぬよう努力する事』…ですかな?」

「随分模範的な回答じゃねぇかよ。俺はそんな回答を聞きたかったんじゃないんだがなぁ」

「わしを過大評価し過ぎですの来栖先生。こんな老いぼれに何が出来ると?わしに各生徒へ会いに行けと…直接動けと言いたいんですか?はぁ…わしのような老兵が出しゃばってどうするんですかいの?本当に明知を変えられるのは、今この時我が母校で青春を送る明知生だけですぞ?」

「う、うん。そりゃそうなんだが…」

「迷える明知生を指導し、導いていくのが来栖先生の役目では?不真面目先生は今も継続中と見ましたぞ?」

「痛ぇとこ突くな…」


痛い所を突く帝白の言葉に顔を引き攣らせる来栖。帝白の言いたい事はわかってる。だが、現状の明知は内部の自浄作用に欠けていると来栖は見ている。
それもこれも、三年前から明知へ着任した蕩魅学院長の影響が強い。あの学院長は親しみやすい口調の割にはやっている事がえげつない。
競争意識を煽るのはいいが限度というものは必ず存在する。そして、今の学院長はブレーキを掛ける気配が全く見えない。来栖家当主として色んな光景を目にして来た来栖だからこそ察せる蕩魅学院長のえげつなさは、明知内部の反抗を絶対に許さないレベルまで引き上げられている。


「ねぇ、教え子さん。難しい話はよくわかっていないんだけどさ、受動的とか能動的とか、そんなに大事なのかな?」

「…大事だと思うが、おぬしは違うのかの?」

「違うね。私は、教え子さんが言うところの能動的ってヤツかな。自分でラーメンが好きになったし、この手でラーメンを作りたいと思ったし、屋台作ってラーメンを販売したいって思ったのも全部私の決断だ」


今まで話の成り行きを黙って見守っていた『百来軒』店主の福百が帝白と来栖の会話に口を挟んできた。
福百は言う。自分のラーメン作りは全部自分が発端で基幹だ。だからこそ、警備員の目を盗んでまでこうして屋台を引っ張って客にラーメンを振舞っている。


「でもさ、もし今後私のラーメンを食べた奴が私のようにラーメンを作りたくなっても私はそれを私と同レベルですごい事なんだと考えるね。
自分で自分の事をすごいだなんて言うのは本当は気が引けるけど、今回は使わせて貰う。能動的が何だ。受動的が何だ。そんな事言ったら、小さい頃に無茶苦茶うまいラーメンを食べた私だって受動的だ。でも、それがどうしたって言うの?そんな事であなたの言う価値は上下するの?私の価値は変わっちゃうの?」

「…ッ!?」

「絶対おかしいよそれ!!能動的だから偉いんじゃない!受動的だから引け目を感じるとかじゃない!純粋に、心の底からやろうと思った事にあなた一々序列を付け始めてるよ!!
本当に凄いっていうのはね。受動的だろうが能動的だろうが、自分が正しいと思う事をずっと、ずっと、ず~~~~っとやり続けてる人の事を言うんだよ!!」


正直自分が本格的にラーメンを作りたいと思うようになった時期の記憶はおぼろげだ。でも、そんな事関係無い。今も福百紀長はずっとラーメンを作り続けている。
それでいい。それだけでいい。昔も今も未来も。ずっと続いていく一本道にたゆまぬ努力を積み重ねながら一歩ずつ歩いていければそれでいい。


「あなたは受動的だって自分の事を引け目に思っているのかもしれないけど、私からすればすごい人だよ。きっと来栖先生も、あなたを信じて選んでくれた人達全員も私と同じ思いだよ。
だから、あなたは言いたい事があればはっきり言うべきだ!その『彼女達』とか『過去に触れ合った後輩』に会ってきちんと物申すべきだ!!
そうする事でその人達も何かが変わるのかもしれない。そして、変わる事に受動的も能動的も無い。だって、その人達はきっと……すごく苦しんでると思うから。自分達の考えや正しさに疑問を抱いてしまった人達だと思うから」

「店、主…ッ!!」

「あなたは楽しそうな事が好きなんだよね?だったら、あなただって放ってはおけないでしょ?具体的なやり方とか事情とかあるからそう簡単にはいかないかもしれないけどさ!」

「…まさしく【尊大な羞恥心】と【臆病な自尊心】を持つ主人公みてぇだな帝白。やっぱお前もまだまだガキだな」

「来栖先生…!!」


福百の捲くし立てに衝撃を受けて硬直している帝白の手から来栖は扇子を取り上げる。扇子の扇面に達筆で描かれている【尊大な羞恥心】と【臆病な自尊心】。
これを持つ主人公が出る小説を脳裏に思い描く来栖は、目を白黒させている教え子に諭すように語り掛ける。


「まぁ件の小説の主人公と帝白は丸っきり違うが…お前風に言うなら人を楽しませてきた【自負】と、受動的だ何だと言って引け目を感じる【否定心】が同居するのが今のお前だ。
カリスマも人の上に立つ資質もロクに無い、自分で自分の事を『選ばれた者なんかじゃない』なんてのたまいやがるお前の生き様にケチを付けるつもりは無ぇよ。
けどな、楽しくなさげにしてる奴の存在を知ったら、誰よりも先に駆けつけて、笑わせて、心の底から楽しませるのが帝白紫天って男じゃねぇのかよ!?」

「ッ!」

「俺が今夜お前に一件を伝えたのはな、正直俺の不甲斐無さを責めて貰いたかったって部分もあったんだ。でも、やっぱ違ぇな。店主の言葉を聞いて思った。
俺には俺にできる事がある。木の上で悩み事を相談しにくる生徒の力になってやれる!…ヘッ、難しく考え過ぎるだなんて俺らしくもねぇ。
帝白!お前にもお前にしかやれねぇ事があんだろ!ホラッ、これが『過去に触れ合った後輩』って奴の今の状態と現在の居場所を記したメモだ」

「来栖先生…!!」

「正直事を起こした側の人間だからよ、処分が下されてからは俺を除くと誰も見舞いにゃ行ってねぇ。俺以外誰も…な。記憶を操作するあいつにゃ迂闊に近寄れないって事情もあるにはあるが。あいつ…そろそろヤベェ。頼む帝白。お前にしかあいつの心は開けねぇ。俺には無理だった。……悪ぃ」


来栖の苦虫を噛み潰したかのような苦渋の表情は、自身の力不足を嘆いているせいか。『過去に触れ合った後輩』、すなわち遊臥焔雀は帝白から見ると繊細なタイプの人間だった。
過去に帝白を貶めようとして能力を暴発させ、仲間に危害を加えてしまった事を遊臥は結構長い間引き摺っていた。思い詰めやすい性格の遊臥の状態は帝白の想定以上にマズかったのか。頭を下げる来栖を見て、何らかの決心を固めた帝白は来栖からメモと扇子を引っ手繰る。


「…人間誰しも心が揺れる生き物という事ですかな。どうやらわしも年相応の揺らぎを持っていたようで、却って安堵しましたわい」

「帝白…」

「『後輩』についてはわしに任せて下さい。その様子なら、事を起こした他の者達の見舞いにも行っておられるのでしょう?
ならば、多忙な来栖先生に代わってわしはわしにできる事をするとしましょう。風紀支部エースにつきましては、わしの誇るべき後輩にとりあえず任せる事にします。
現生徒会長は……また後程ゆっくり考えてからどうするか決めるとします。わし自身何処まで関わるか深く見極めたい…後程その辺の『例外』を先生へ教えます。……店主」

「うん。何だい?」

「おぬしの言葉にわしはいたく感動した。そして、途轍もないやる気を貰った。わしは決意したぞ。ぬしのように小規模ではあるがわしのサーカス団を作る事にした!」


来栖の依頼を引き受けた帝白を体勢を変え、福百と正面から向かい合う。今夜彼女との会話で、自分は新たな境地に立った。
能動的でも受動的でもいい。大事なのは自分が正しいと思ったものを、心からやりたいと思う事を継続する事。それが色褪せぬ価値に繋がると。
今一度原点に立ち返った気分の帝白は、礼の意味を込めて福百へ自らのサーカス団を設立する事を宣言する。


「本当は学園を卒業してからと考えておったが、もう今すぐ作りたいと心が訴え掛けてくるわい。おぬしの影響大じゃな。…きっとこれが良い事なんじゃろうな」

「あぁ。いいと思うよ。サーカス団作ったら、団員連れてまたラーメン食べに来てくれよ!『百来軒』は土日祝日に限り何時でも大歓迎さ!」

「あぁ。ぬしもサーカス団の演芸を見に来てくれ。観覧料は無料にするつもりだからの」

「OK。楽しみにしとく」

「おぅおぅ。こりゃ本格的に帝白紫天が目覚めちまったようだな。その姿…まさに【尊大な羞恥心】と【臆病な自尊心】を持つ主人公が成った虎だな」

「あれ?確かあの小説の虎って『成った』じゃ無くて『成り果てた』じゃなかったでしたっけ?心の内に飼う獣の本能に負けた主人公が本能のまま動く虎に成り果てたっていう……」


帝白と福百の掛け合いに顔を綻ばせる来栖は、俄然やる気を出している教え子を【尊大な羞恥心】と【臆病な自尊心】を持つ主人公が成り果てた虎に例える。
疑問符を浮かべる福百の指摘通り、大本の小説では虎に成ったのは悪い事であると綴られている。


「そうだな。だがよ、獣なら何でも良かったってのに何でわざわざ中国で神聖な生き物である虎に成り果てたのか疑問に思う読者も少なくないんだぜ?」

「へぇ、そうなんですか」

「それに、帝白は大本の小説の主人公とは違う【尊大な羞恥心】と【臆病な自尊心】を持つ奴だ。そんな奴が虎に…人間のような思考を持つ虎になったらヤベェと思わねぇか?」

「わしはどちらかと言うと虎よりゴキブリの方が性に合ってると思いますがの」

「…俺もそう思う。て事は、ゴキブリから虎になるのか。全然想像できねぇな。キメラか何かかよ!?アハハハハ!」

「クスクスッ!」

「フフッ!」

「まぁ、どっかの誰かさんも昼行灯が垂らすゴキブリの触角に扮した虎の尾を踏むような真似だけはしないようにしないとな。後々が恐ぇぜ」


『百来軒』に再び笑い声が溢れる。温かく、和やかな笑みと共に最後の〆としてもう一杯ラーメンを食べる。その味はすごく穏やかな味だったと後の帝白と来栖は語る。
そして。『百来軒』を舞台にした今宵の三者会談が後々に重大な影響を与える事をこの時の帝白、来栖、福百の三者はやはり知る由も無かった。






福百と来栖に別れを告げ『百来軒』を後にした帝白はバイクに装着している傘ホルダーマウントコネクタに唐傘をセットし、しばらく舗装も疎らな道路を走行していた。
しかし、途中から気が変わったのかバイクをウィリー状態にして廃ビルの壁へ車輪を接着させ100メートルを超えるビルの側面を駆け上がり始めた。
言うまでもなく『慣性統御』によるものであり、廃ビルの頂上まで達してからはビルとビルの間を『慣性統御』を使って飛び移り出した。
『慣性統御』の工夫次第ではビルの側面を駆け上がらずとも屋上まで一っ飛びで到達でき、わざわざビルとビルの間を飛び移らずとも空中を飛行する事もできる帝白だったが、ようはそんな気分では無かったというだけの話である。


「これから忙しくなるのう」


内心では興奮冷めやらない帝白は、今後の行動指針を定めるべく活性化させた頭脳をフル回転させる。
明知への関与やサーカス団の設立などどれも手を抜けない事柄ばかりだが、それを嫌だと思う事は無い。
降りしきる雨を唐傘と慣性操作でしのぐ作務衣ライダーは、口笛を吹きながら次々にビルの屋上間を伝っていく。


(そういえば、あそこは唱和園高校があった場所かの?都市伝説が格段に多いと噂だった覚えがあるが)


居並ぶ廃ビルの多くは電気が流れていないようで、その為バイクのライトが闇夜で特段目立つ走行中ふと帝白は首を動かし視線を横へ向ける。
帝白の記憶が正しければ、ここから遠方に存在するとある場所に唱和園高校と呼ばれる学校があった筈だ。
唱和園を発祥とする都市伝説が十数年にも渡って生み出されているという噂は帝白の耳にも届いている。
白帝に通う女子風紀委員が唱和園へ籍を置いていると矯星から聞いた事もある。普段は滅多に第十九学区を訪れる事の無い帝白は、雨と闇夜で視界が悪い中目を凝らして唱和園がある筈の場所を凝視していた。


「んっ!?」


それ等はスローモーションの如き緩慢な挙動でビルとビルの間を飛んでいた帝白の視界に現れた。


体毛を黄色に染め、威厳溢れる馬のような生物が―

黄金色の唐扇を持ち、異国風ドレスを着る絶世の美女が―

落ち武者と子鬼が融合したかのような顔から手足が生える化物が―

サイケデリックなシャツ等を身に付けるサングラス男が―


いずれも暗夜と豪雨に満ちた空を飛んでいたそれ等が何処から急に出現したのか帝白にはわからない。
僅かに廃ビルから零れる電灯によって何とか姿が映ったと判断した帝白が瞬きした次の瞬間には、異常な光景の主である4つの存在は跡形も無く消え去っていた。


「何だ…今のは?」


着地した廃ビルの屋上で一時停止した帝白は、自分の視界に映った異常な光景についてしきりに首を傾げる。
何者かによる幻影か何かか?はたまた自分の見間違いか?それとも都市伝説が具現化した存在か?
最後の可能性は半ば冗談だが、とはいえいくら考えても答えが出ない帝白は親指と人差し指を使って輪を作り、目に当てながらもう一度一瞬で現れ一瞬で消えた存在がいた地点を凝視しようとしたが、事態は急展開を見せる。


(風ッ!?何と強大!!)


慣性が告げる。能力を扱う自らの感性が警鐘を鳴らす。ここはビルの屋上であり、それなりに風は吹き荒んでいる。
だが、これは自然現象の風では決して無い。雨粒を目晦ましの礫とし、強大な烈風と共に帝白のいる屋上を呑み込まんと雨粒と大気が混じった怒涛が殺到する。


「そいやっ!」


懐から取り出した閉じたままの扇子を上方へ振り上げる。すると、押し寄せる雨と風の怒涛が帝白の前で直角に方向転換し、上空彼方まで吹き上げられる。
風は強大だが帝白の力もまた強大。最早竜巻か何かにまで発展している烈風の余波で屋上の隅に設置されていた腐食が進む小型の給水タンクが巻き添えを食らう。
固定していた金具が一番腐食の進行が早かったのか、給水タンクは烈風の勢いそのままに上空まで吹き飛んでいった。


『やりますなぁ、あんさん。ここまで手応え感じたんは随分久し振りやわ』

(『風力使い』か何かかのう?大気の振動で『声』を作り出すとは、烈風の威力からしても相当な使い手と見た)


未だ攻防が激しく続く屋上に何処からともなく何者かの『声』が発生する。大気の振動を慣性から察知できる帝白は、それが何かしらの能力で生み出された人為的なものであると看破していた。
最も可能性が高いのは『風力使い』だ。となると、強大な風と共に最も警戒しなければならない点について帝白は姿を見せない相手の先手を封じるべく戸惑う事無く叫ぶ。


「言っておくが、わしに酸欠や気体を用いた中毒系の搦め手は通じぬぞ?ここにある大気はわしの手中にある」

『ほんまですか?そりゃすごいなぁ。あっしみたいに風単体を自在に操ってるわけでは無いみたいやけど、さてさてどんなカラクリなんやろな。興味あるわ~』

「さっきわしが目撃したのとぬしが襲って来たのは何か関係があると見ていいんかいの?」

『あっしは別にあんさんへ危害を加えるつもりはあらしません。単純に目晦ましのつもりでなるたけ派手にお披露目しつつあんさんに届く前に横へ逸れるつもりでしたのに、その前にあんさんが奇妙な力で上空へ巻き上げたんや。いやぁ、思いの他あんさんノリがよくて、あっしはこれでも上機嫌や』

「あれは何じゃい?夢か、はたまた現か。果たしてどちらじゃろうの」

『「夢現」…アハハ。どっちでもいいんちゃいますか?ここは学園都市。その手の不思議生物には実のところ事欠きませんやろ?』

「不思議生物?クローンとかキメラとかかのう?残念じゃが、わしはまだ会うた事ないわい」


妙に甲高い愉しげな『声』に特段の敵意や殺気のようなものは感じられなかった。本当に面白そうなオモチャを発見してキャッキャッ騒ぐ子供のような愉快さが根底にあるような『声』。
少しばかり警戒心を解いた帝白は、しかし未だ適度な緊張感を保ったまま『声』の主と烈風と慣性の押し問答を繰り広げる。何故なら、上空へ飛んでいた特大の凶器が今まさに落下を始め、それに伴うように烈風の怒涛が消え去ったからだ。


『次はどんな面白いモンを見せてくれるんや?期待してまっせ唐傘小僧』

「唐傘小僧?…ハッ、散々じじくさいじじくさい言われるこのわしを小僧呼ばわりしてくれるとは、何故だか少し嬉しいのう。ならば、『夢現』殿の大層なご期待に応えるとしようかの」


唐傘を所持する帝白をオバケの一種である唐傘小僧に例えた『声』の期待感溢れる声色に笑みすら零す帝白は、従来であれば一定領域内に存在する対象へ自分が操作する慣性の静止作用を適用する事で我が身へ攻撃を寄せ付けない技術である“天幕”でやり過ごすであろう現状に変化を加える。
浮力の源であった烈風が消え去り、重力に導かれるままに落下速度を速める給水タンクに照準を合わせた帝白は特殊な合成樹脂でできた扇子を広げ、親指の腹で要に触れる。
『慣性統御』により要を押す力に微妙な揺らぎを与える事によって、扇子に存在する幾つかの骨が中ほどからカタッと沈む。
見栄えとしては骨の先端から中ほどまでが沈む事で『先端から中ほど』と『中ほどから根元』の間に段差ができたような形。
そして、空洞となっている『中ほどから根元』部分から大きなビー玉ザイスの球が転がってきた。能力使用を想定して高強度・高靭性を備えるセラミックスもしくはタングステン鋼で出来た球の内、今回は後者の球を使用する。
前者を使用する場合はセラミックスの強大な絶縁性能などが有効活用できる時、後者を使用する場合はタングステン鋼の頑丈さを用いてとにかく強固な防壁を突破する時が想定されている。


「ゆくぞ!!」


扇子の骨をレールとし、慣性を操作しながら球を骨の上で走らせる帝白は振り被った勢いを利用しながら一気に扇いだ。
『慣性統御』により遠心力と同義である慣性力を強化した上で上乗せされながら凄まじい加速力で射出された球は、また同じ運動を行い続けようとする作用に切り替える事で減速など知ったこっちゃないと言わんばかりの等速でもって空気を切り裂きながら突き進む。
タングステン鋼によって造形された球の群れは、腐食が進む給水タンクなど障子の紙を突き破るのと同じ感覚で突き抜ける。
慣性の軌道を変更する事でまるで蛇がうねるかのように曲がるタングステン鋼球によって、給水タンクは八つ裂きの憂き目に遭う。


(あれ、は…砲弾!?)

『アカン!』


これで帝白の芸は滞りなく終了…とはならない。タングステン鋼球によって破壊された給水タンクの中には誰が仕込んでいたのか爆発物や武器弾薬などの危険物が隠されていた。
そこへ超加速したタングステン鋼球が突き刺さり、強烈な摩擦力によって発火した弾薬から周囲の爆発物へ火炎が伝播する。
一瞬の間を置いて強大な爆発が発生し、火炎がどしゃぶりの雨に負けずにあっという間に方々へ押し寄せる…かに見えたが、さっと屋上付近を覆った白い霧によって火炎の光は遮られ、空気を伝播する筈の轟音もか細い掠れた音に置き換わった。
そして。そして。そして。






帝白紫天が目撃した4つの存在が、予期せぬ人間との邂逅を経た後に唱和園高校の屋上へ集った。
どの存在も、醸し出す雰囲気からして異様な生物ならざる生物。彼等は空想生物にして魔獣と呼ばれる存在である。


「何勝手に『創作魔法陣』の外で一人遊んでるのよ風狸。こっちは神出した『神隠し』から逃れる為に色々大変だったのよ?」

「折角風狸を出迎える為に麒麟や獏と一緒に待ってたのに、これじゃ何の為に儂等は君を出迎えたのかわからないな。わざわざ『神隠し』に遭遇しに来たんじゃねーつうの」

「すんまへんな獏。それに反枕。何や面白そうな唐傘小僧見付けましたねん。せやから、ちょちょい遊んどったんですわ。そしたらドッカーン!さしものあっしもびっくり仰天です」

「儂の『火車枕(かしゃまくら)』でワープして君の化け術で目晦ましするというのが手筈だったのに、あれでは自分から正体を明かしにいったも同然じゃねーか」

「その辺は安心してつかあさい。向こうさんはあっしを『風力使い』と勘違いしとりますさかい、同時にブラフを撒いた事も合わせればあっしらの正体がバレる事はまずあらしません。それにしても…」

「ウフフ。そんなにあの唐傘小僧が気に入ったの?」

「あの唐傘小僧、爆発で発生した爆風を逆手に取って逆に火炎を吹き飛ばしてましたわ。しかも、大気に干渉して爆発音を弱める工夫も見せよった。あんな機転が利くとは益々面白い。無論あっしも風や霧に化けて手伝いましたけどな。アハハハハ。今度ちょっかいでも掛けにいってやりますかの」

「それで?この度の件で我等に害が及ぶのか及ばないのか、どちらだ風狸?事と次第によっては、我は貴様を罰せねばならぬが?」

「まぁ大丈夫でっしゃろ。そもそもあっしの『不死空想』なら相手に危害は発生しないも同然。あれくらい、あっしが学園都市の不良に絡まれた際の自衛行動の範疇と同レベルやわ。それに、どっちみち後数年の命や。好きに使わんと、あっしらを生み出してくれた親父殿達に申し訳が立たんわ。せやろ麒麟?」

「…よかろう。『神隠し』も鬼没したようだ。……よく帰った風狸。今宵は久方振りに『四霊装獣』勢揃いだ。各々積もる話もあろう。同胞を出迎えるには生憎の雨模様だが、我等にはさして関係ない。そうだな…我が主と我がかの地で酒を酌み交わしたのも、丁度今夜のような大雨……」

「あら~?妾は文句ありまくりよ。こんなどしゃぶりの雨が酒の肴だなんて嫌になっちゃうわ~。こうなったら、何処かの誰かの夢で雨宿りでもしようかしら?」

「堪忍してぇな獏。あっしはあんさん等みたく夢の中には忍び込めませんのや。そうや、反枕。あんさんの『流転境界』でこの雨何とかなりませんの?」

「儂を便利屋扱いすんじゃねぇ!!ちったぁ自分で何とかしろってんだ!」

「……………誰も我の話を聞いておらん。やれやれ、誰に似たのやら。……そうは思わんか、今は亡き我が主達よ」


他の学校と比較して唱和園高校発祥の『都市伝説』が段違いに多い理由、生徒の間にうわさ話として広がっては消え、
また新たな都市伝説が生まれるといったサイクルを繰り返す理由は全てこの4体の魔獣達に帰結する。
名は『四霊装獣』。科学に染め上げられた学園都市とは違う世界の生き物達。彼等は今日もまた都市伝説蔓延る唱和園を根城に余命数年の命を燃やしながら面白き世を過ごしていく。






「はぁ。良い気分で帰っておったというのに、これは散々な目を最後に、今日を終わらせる事になりそうだの。第十九学区か…今後この周辺をよく回ってみようかの。思わぬ出会いがあるやもしれん」


『百来軒』を後にした直後とは打って変わって溜息を吐く帝白。先頃の爆発による影響は全く無い。『声』の主も手伝ってくれた。
やはり『声』の主は悪い者では無い。茶目っ気がタップリ過ぎるのが色んな意味で傍迷惑っぽいが、案外江城あたりからすれば帝白も同類と見做されるかもしれない。


「ああぁ、誰かわしの愚痴に付き合ってくれんかのう?」


第十九学区の道路をゆっくり走る帝白はチラッと斜め前にあるバス停を見やり、ハザードランプを点けながらゆったりとバス停にバイクを駐車する。
雨避けの屋根の下にバイクを置きながらベンチに腰掛ける帝白は、隣に座っている袖の長い服を着ている男へ話し掛ける。


「どうじゃ風海。おぬしがわしの愚痴を零す相手というのは?」

「僕の顔と名前を一致させている人間は珍しいのに、遠目から見掛けただけで僕を僕と判断できる人間はもっと珍しいな。それも慣性の応用か」

「まぁ誰にも癖というものはある。歩き方、立ち方、息遣いを筆頭に『ある人物を目にした時に無意識の内に体へ緊張が走る』とかでも各々で癖が出る。
そして、そこには必ず特有の慣性が発生する。聞いた事はないか?野球で投手が肩を痛める原因の一つに投球モーションで発生する遠心力がある。
遠心力が矯正されずにそのまま体を流れれば肩は脱臼を起こす。わしぐらいの使い手ともなると内側から骨ごと肉体を引き千切る事もできよう。まぁ、大能力者級の『念動使い』であれば大抵似たような事はできるがの」

「その代わり不得意分野には本当に苦戦するよね。『電撃使い』や『発火能力』とかが顕著だけど」

「対抗策は考えておるが、結局は相性が悪い事には変わりないからの。逃げの一手が一番の有効策よ」


白髪で前髪が目元まで覆い被さる彼の名は風海一季。帝白と同じ白帝学園高校に通い、しかも同じ学年である。
しかし彼の顔と名前を一致させる事ができる人間は少数派である。それは風海が交友関係を一切持たず、会話を持ったとしても必要最低限の事務的な関わりしか無いからだ。
今も風海は帝白と会話をしていない。聞きようによっては会話が成立しているように見えるが、実は風海の吐く言葉は全て独り言である……と帝白は受け止めている。
彼は自分の思考や心情を唯々吐露しているだけだ。他人と会話する時は本当に事務的な言葉しか吐かない。どうしてか。風海一季は『今』に何の興味も無いからだ。


「しかしまぁ、何故おぬしがここにおるんじゃろうな?ぬしとは本当に妙な所で遭遇するの」

「あいつ…何が『やばい事が起きるかもしれないから現場へ急行して』だ。現場付近まで行った途端『何だか杞憂に終わったみたいだがらもう急行しなくていいわよ。ゆっくり処理よろしく』だなんて、僕の事を舐めてるとしか思えない。
事情もよく知らされていなかったみたいだし。偶々本来の任務で近くにいただけの僕を顎で使うような真似なんかして……はぁ。こんなのも僕の『過去』にしないといけないのか」

「何じゃ?今回は本当に偶然だったのか。それはご苦労様だのう。確か、ぬしが勤めておるのは白帝学園が提携する研究機関の私設治安維持部隊じゃったかの?
殆どの者は知らぬ事だし公式に武器の携帯を許可されているとはいえ、学園に堂々と武器を持ち込まれるのはわしとしても複雑だわい。明知出身者としてその手の携帯武器に馴染みがあるとは言ってもの」

(そもそも僕の任務は、白帝学園内部とその周辺において『裏』に首を突っ込んだ人間の始末、または白帝学園において重要度の高い人間の護衛だ。そこに少し前から持ち込まれている仕事…『ある暗部から何処かへ横流しされている武器弾薬の行方の調査』で忙しいのに……いい加減にして欲しいよ)


風海一季が『今』に興味が無くなった原因は彼の『過去』にあるが、それについて風海が自ら明かす事は無いだろう。
逆に風海の『過去』に触れようとする者は彼のナイフの餌食となるに違いない。それだけ風海は『過去』に執着しているのだ。


「帝白紫天会長」

「うん?」

「あなたは白帝学園において最重要人物に挙げられる生徒の一人だ。僕は陰ながらあなたを護衛する任務を仰せ付かっている。余り無茶な行動は謹んで貰いたいものです」

「わしみたいなじじくさい人間が最重要人物とは、おぬしが勤める私設治安維持部隊は見る目が無いんじゃないかのう?もっと目に掛けてやるべき将来性豊かな生徒は多くいるだろうに」

(あの仲介屋はどうしてか僕へ『ある暗部から何処かへ横流しされている武器弾薬の行方の調査』を依頼したと同時に帝白紫天会長を重要人物から最重要人物へ格上げした。『もし彼が「裏」とかその辺に関わる事があっても目を瞑って陰からしっかり護衛しろ』だなんて。もしかして横流し先にある程度目星が付いていて、それに会長が関係しているんじゃ…)

「のう風海」

「何ですか会長?」


自分へ複雑な任務を依頼してきた仲介屋の意図をはっきり察する事ができていない風海に、帝白は少し顔を青褪めながらヒソヒソ話し掛ける。


「その口振りならおぬしも悟ってるとは思うが…さっきな、わしの通った屋上の給水タンクに隠されておった武器弾薬が爆発しおってな。わしは例に漏れずしぶとく生き残ったんじゃが、やはりあれは色々まずかったかの?わしのせいでもあるというか…」

「…とりあえず大丈夫です。本日の僕の任務は、この辺に武器弾薬などが隠蔽されているという匿名情報を元にそれ等を回収及び処理でしたのでご安心下さい。むしろ、会長は被害を最小限に弾薬を処理された……という事にしておきます」

「そ、そっか。なら安心だの」


風海の回答にすっかり安心した帝白は胸を撫で下ろしながら立ち上がり、駐車させていたバイクに跨った。
風海に相乗りを提案したがにべもなく断られ少し落ち込むも、すぐに立ち直った帝白は去り際に風海とこの日最後の言葉を交わす。


「今度わし自らの手で小さなサーカス団を立ち上げるんじゃ。どうじゃ、おぬしも参加してみぬか?」

「遠慮しておきます。僕は任務に学業に多忙なので。僕の人生は僕の為にあります」

「そうか。おぬしも忙しそうじゃからのう。無理は言えんの。…『僕の人生は僕の為』か。良い言葉じゃの。下手をすれば今時の高校生達には馬鹿にされるかもしれん言葉を大真面目に吐くぬしの言葉、しかしわしは確と心に留めたぞ」

「………」

「なら、都合がつく時でよいからわしのサーカスを見にきてくれ。観覧料は当然無料じゃ」

「『先』の事ですか……時間があれば」

「うむ。それじゃあの。風邪ひくんじゃないぞ」

「はい」


ハザードランプを消し、休憩を終えた帝白は再びどしゃぶりの雨の中をバイクに乗って駆け抜けていく。
他人と会話する時は事務的な必要最低限の話しかしない。『今』に関心は無く、『過去』に関心の殆どが集まる。それが風海一季のやり方だ。それは帝白紫天相手でも変わらない。


「下らないと思うかい?いくら暗部に居たからって、何もかもを悟ったような顔で、人生は…なんて。高校生風情が、ってね。…でもさ。仕方ないんだよ。他に何も無かったんだから。…ハハッ、じじくさいあなたは絶対にそんな事は言わないし思ってもいないだろうね。だからかな。帝白紫天会長。『今』に限らず多くの事に無関心になっている僕だけど、あなたにはほんのちょっとだけ関心があるんだ。だから…どうかこの『先』、僕の手で殺されるような事にだけはならないでね。それまでは…僕があなたを護ってあげるよ」


変わらないからこそ、『過去』を大事にするからこそ『過去』に残すものについて風海なりの選別がある。
どうやら帝白紫天は風海一季の琴線に少しばかり触れる存在ではあったようだ。それは風海にとってはとても珍しい事である。
だからこそ風海は願う。『将来』己の手で琴線に少しばかり触れた存在を殺すような事にはならないで欲しいと。少なくとも『今』のところは風海の杞憂のようではあるが。風海は唇を歪めながら思う。やはり『今』を思考する事にさしたる意味は無い。






ゴールデンウィーク中ずっとぐずついていた天候はすっかり回復し、登校時刻となったウィーク明けの早朝に至った現在ではまさに快晴、青空日和となった。
時期は初夏とはいえゴールデンウィーク直後。雨が上がったばかりの今の時間帯では結構肌寒い。
第十八学区に建設されたここ白帝学園でも、その整えられた通路を冷たさが増した風は素知らぬ顔で吹き抜けていく。


「はあああぁぁ~~~。あぁ、いけないいけない。溜息なんて吐かない!うん!」


それなのに、折角の青空の下でうっかり陰鬱な溜息を吐いてしまった江城椎野の顔は、まるで出口が封じられ迷路に閉じ込められた者が浮かべる表情に瓜二つだ。
先日帝白に大見得切ったのはいいものの、やはり数日やそこらで根本的に解決できるような問題では無い。そんな事はわかりきっていたのに、出る溜息は中々止められない。


(副会長の提案に貴道が乗ったのは朗報と言えば朗報。会長のカリスマ性と貴道の辣腕があれば、今以上に事が酷くはならない。生徒会と風紀委員がタッグを組むね。そして…事と次第に応じては現『黄道十二星座』にも協力を仰ぐように調整を進める…か。有益性とリスク両方が存在するわね)


ゴールデンウィーク中に行った貴道と殊玉副会長の直接会談を経て、神輿庭会長の了承も得た。数年ぶりにタッグを組む明知生徒会と明知風紀支部だが、具体的な協力関係作りはこれからだろう。
それはいいとして、江城が気になるのは必要に応じて現『黄道十二星座』を関わらせる内容が差し込まれた事だ。
しかも、急に差し込んだのは神輿庭会長でも無く殊玉副会長でも無く貴道支部長でも無い、話の纏め役として会談の場に立ち会った明知中等教育学院学院長蕩魅召餌である。


(確かにレベル4の現『黄道十二星座』の力を仰げるとしたらそれはすごく有益になる。でも、いくら強力な力を持っていたとしても彼等は所謂『一般生徒』。リスクは現役の風紀委員に比べても高くなる可能性はある。それを学院長直々に挟み込むだなんて…一体何を考えてるの?)


江城は学院長の狙いがずっと読めないでいた。わざわざ明知の看板でもある『黄道十二星座』を宛がわれた生徒を危険な目に遭わせてしまうリスクを学院長が提案した。
『伝説の卒業式』からまだ数ヶ月。『天秤座』を剥奪された斗修のような目に彼等を遭わせでもしたいのか?そんな根拠の無い疑念さえ浮かんで来る。


(…でも、もうここまで来たら流れは止まらない。せめて『黄道十二星座』の皆ができるだけ危険な事に巻き込まれないよう現場ルールの策定に力を…)

「オ~~~~~~イ!!江~~~~~~城~~~~~~~~!!!」

「ンッ!?こ、この声、は…うぉっ!?」

「よっと。おはよう江城。ちょっとわしに付き合え」

「キャッ!?」


少し前から吐く溜息の数を再び数えるようになった江城が、新たな悩みの種が増えた明知の問題に溜息を吐かずに頭を悩ませていたところへ突如頭上から降ってきた聞き覚えがあり過ぎる声。
高層ビルの一角に存在する生徒会室に備え付けられている大きな窓が全開となっており、そこから飛来して来た帝白が江城の首根っこを捕まえ、彼女と共に生徒会室まで一っ飛びし窓から中へ入室した。


「ゲホッ…な、何よGさん!?もしかして『あれ』の事?ちゃんと言ったでしょ?部外者は出しゃばるなって!」

「おぬしが現在抱えておるであろう『ガタガタになった明知支部の建て直しの為の方策』とやらにわしは口を出さぬよ江城?」

「えっ…?ど、どうしてその事を?」


半ば帝白の目論見を想定していた江城は先日言い捨てた言葉と同じような台詞で抗議したが、江城に背中を見せたまま生徒会室の隅で立っている帝白は彼女の予想を超える。


「『伝説の卒業式』…わしの後に『天秤座』に就いた斗修星羅殿を中心に数ヶ月前明知の卒業式で発生した大抗争によって多くの生徒が傷を負った。もしかすれば、大抗争を目にした生徒達にも浅くない心の傷ができてしまったのかものう」

「Gさん…!!誰から…誰から聞いたの!!?緘口令は敷かれていた筈!矯星先輩だって知る事はできない!それをどうしてGさんが…!!?」

「知らんのか江城?老いぼれというのはの、自分に都合が悪い事は全然聞こえんが、知りたい・気になってる事はどんなに潜めた声でも聞き取ってしまう地獄耳なのだぞ?」

「冗談を言ってる場合じゃ無いの!ねぇ、答えてよGさ…ッッ!!」


いつものようにオトボケを発揮する先輩の胸倉を掴んで、必死の形相になって捲くし立てる江城。『伝説の卒業式』の件だけは絶対に帝白に知られたくなかったのに。
知ってしまったら、どんな形であれ帝白は動き出す。昼行灯が猛々しい虎になる。それが帝白紫天という男である事を江城は痛い程知っていた。
部外者である帝白がガチで明知を変えるために直接動き出せば、それによって生じる帝白への悪影響は絶対に避けられなくなる。
それなのに、どうしてこの先輩は自分の事など心配するなと言わんばかりの笑顔を浮かべながら後輩の頭に扇子を乗せるのだろう。
どうして後輩はそれを邪険にせず、あまつさえ心地良さまで感じながら目頭を熱くしているのだろう。


「大変じゃったな江城。よう頑張った。そして、今もずっと頑張っておる。わしの誇るべき後輩じゃよおぬしは。だから…少しは気を緩めるのだ。
支部の中で一番上のおぬしは、混乱していたであろう後輩の風紀委員を支えるのに必死になる余り気を緩める事もできなかったであろう?ならば、ここいらで一服するんじゃ。今日や明日への活力にする為にの。何なら、もう一度にらめっこ三本勝負で笑い転がしてやろうか?ん?」

「……も、もぅ。本当に卑怯よ。女の子に飛び込んでくるは、女の子を笑い転がせるは、女の子の首根っこ捕まえて拉致するわ、終いには…女の子を……私を泣かせるんだからぁ…!」

「あぁ…こりゃ本当にわしには女子との恋や何だは望めそうにないの。さっぱり女心がわかっとらん」

「本当よぉ…!!で、でも……ありが、とう。苦しかった……本当に苦しかったし、すごく悲しかったんだぁ……!」


多感な時期を送る一人の女の子として泣きじゃくる江城の吐露に付き合う帝白は、誇るべき後輩の苦しみや悲しみに触れる事でまた現在の明知の状態を察する要素を得た。
きっと、このまま進めば明知はあの学院長が思い描く『面白味が全く無い箱庭』に変貌してしまうだろう。これは見過ごせない。
とはいえ、本来であれば部外者である帝白が直接何かができるわけでは無い。そんな事は帝白も百も承知。


「のう、江城。少しずつでいい。わしにぬしから見た卒業式の一件を教えてくれ。ついでに移り変わる明知の状態をこれからも内緒で教えてくれ。
わし自ら直接手を出す事はできん。おそらく、それはあの学院長が張っておる罠に自ら引っ掛かるようなもんじゃ。余程の『例外』が起きん限りはの。まぁ、それは彼奴にとっても『予想外』になってしまいそうじゃが」

「罠?学院長の?Gさん。どういう意味よ。まるであの学院長がGさんを貶めようとしている風に聞こえ……」

「おぬしまで耳が遠くなったか?わしはそういう意味で言うたんじゃぞ?」

「…ッ!」


胸に抱えていたあやふやな違和感に確かな輪郭が描かれたような気がした。江城が抱く蕩魅学院長へのモヤモヤを、帝白はずっと前から抱いていた事に江城はようやく気付いたのだ。


「無論わしの見立てが間違っておる可能性もある。故に、江城。おぬしもその目で見たままにあやつを見極めてみぃ。ぬしは察しが良い。現場に立つぬしにしか見えぬ視点もまたあるじゃろうて。この際わしの見方も無視せよ。その方がより真実に近づけるやもしれん」

「…わかった。私は私の判断を信じるよGさん。それが明知の為になるって信じたいから」

「うむ。それと…機が熟してからでよいからの、後々わし自ら接触を図りたい人物がおるんじゃ。すごく忙しいと聞いておるからの、実際に会える日はいつになる事やら」

「誰?Gさんが『直接』会いたい人って?何とかやってみる」

「すまんのう。して、その人物とは…」

「……」

「現明知生徒会会長…神輿庭麟子殿だ。彼女だけは…いずれわし自ら会うて話さなければならん」






前日譚は終幕し、異説もまた終わりを迎える―
だが、物語の登場人物達がその歩みを止める事は無い―
様々な思惑が交錯する複雑怪奇な物語が再びうねり始めるのは―
きっと、きっとこの度の異説とは違う『御伽話』で描かれるのだろう。

Fin

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最終更新:2015年12月12日 01:41