地面に俯せに倒れ臥したおそ松の体は、もうピクリとも動かない。
その背中には幾つもの刺突痕が痛々しく刻み込まれ、紫パーカーはどす黒い、と形容できる鉄錆に似た色彩で上塗りされている。
いや、現実にはそれどころではない。
魔法少女の真実人外じみた膂力で、何度も何度も槍の穂先を突き立てられた背中はあちこちひしゃげて輪郭が変わり、パーカーの穴からは血液に混じって臓物、背骨の破片らしきものまで溢れ出してきている始末だ。
これで生きているなら、もはやそれは人間とはいえないだろう。そして事実。
松野おそ松の魂は、もう完全にその遺骸から離れてしまっていた。
口を開く度に此方のペースを掻き乱してくるあの鬱陶しい戯言も、奈美を散々苛つかせた馬鹿な言動も、もう二度と披露されることはない。
魔法少女になることで強化されるのは何も身体能力だけではない。
無論身体能力や見た目の可憐さなどは人間体の時とは比べ物にならないほど跳ね上がるが、魔法少女はとにかく健やかでなければやっていけない商売だ。身体的にも、精神的にも。――そう、変身した魔法少女はその精神力までもを著しく向上させるのだ。
例えば、人の死体を見たくらいで正気を失うことはない。
元が気弱でも変身して別人になりさえすれば、激しい戦闘に自ら飛び込んでいくなんて大胆な真似も出来るようになる。
逆に言えば奈美のアーチャーが溢してみせたように、『根本から自分を変える』ことは出来ない。
変身さえ解けてしまえば、もうそこにいるのはただの人間だ。
精神力はたかが知れていて、銃どころか素手でも殺せるような無力な抜け殻しか残らない。
しかし変身が解けて人間の姿に戻っても、先程まで
プリンセス・デリュージだった少女は目の前に転がった死体に罪悪感など欠片も抱かなかった。
その硬い決意は揺るがない。想いの力で現状を変えるというのも、元は人間の専売特許だ。魔法少女にしか出来ないことではない。
青木奈美は、プリンセス・デリュージは、もう決して止まらないだろう。
その手は既に鮮血で染め上げられ、若く青々しかった心は赤い鉄錆に覆い尽くされて見る影もない。
彼女が歩みを止めるときが来るとすれば、それは全てを終えたとき。聖杯に願いをかけ、失ってしまった何もかもを取り戻した時だ。
などと言っても、奈美はまだ中学生。
壮絶な惨劇を当事者として経験したとはいえ、十年ちょっとの人生しか生きていない彼女が、揺れも迷いもせずに決心を貫徹するのは難しいだろう。
それでもこれから奈美は揺れる度、迷う度に思い出す筈だ。
自分が『正しくない魔法少女』として初めて殺した人間の顔を、声を、あの腹立たしい間抜けな笑顔を。
松野おそ松。
最後の最後まで思い通りにならなかった、殺したくて殺したくて仕方のなかった相手。それでもそこだけは感謝してやってもいいと奈美は思う。
故に、そう。
越谷小鞠は、遅かった。
せめてもう数十秒速くこの場に到着できていれば、彼女にも何かを変えることが出来たかもしれないというのに。
「青木さん、だよね……?」
震えた声で、小鞠が問う。
級友の足下に転がった『それ』は背中に空いた穴から赤い血溜まりを止めどなく垂れ流し、現在進行形で歪な地図をアスファルトに描いていた。
その人物こそ、小鞠達が接触しようと思っていたマスター、松野おそ松その人だ。
生まれてこの方小鞠は死体を目にしたことなどただの一度もなかったが、そんな彼女でもあれは死んでいると一目で分かる。
奈美が答えを返す前に、少女剣士、セイバー・リリィが彼女を庇うように一歩前へと出た。
彼女の顔は険しい。後にブリテンの騎士王として世に名を轟かせる彼女は、その類稀なる直感力でいち早く青木奈美の危険さを感じ取っていた。
「……越谷さん」
ゆらり、と緩慢な動作で奈美が小鞠達に向き直る。
その人相は、やはり小鞠がよく知るクラスメイトのものに違いなかったが――違う、と、小鞠は本能的に彼女の変化を感じ取っていた。
一瞬浮かべた驚きの表情をすぐに消し、次に浮かべたのはいつもの無感動な表情ではない。
いつもの彼女らしくない顔で、奈美は小鞠達の方をじっと見つめている。
彼女らしくない、というのはあくまでも小鞠の主観だ。小鞠が見てきたこれまでの青木奈美は、彼女の表向きの顔でしかない。奈美の抱える事情や戦う理由を知る者が見たなら、学校生活を送っている姿の方が余程らしくない異様なものに写ったことだろう。
――そうだ。奈美には戦う理由と覚悟がある。ただ帰りたいだけの小鞠とは違い、自ら望んで聖杯戦争を受け入れている。
そのことは、理由も覚悟もない小鞠にもすぐに分かった。
奈美の目には、今まで見たこともないような感情が滲んでいたからだ。
それを形容する言葉を、血腥さとは無縁の日常を生きてきた小鞠は持たない。
しかし形容は出来ずとも、分かることはある。
あれは危険な感情だ。普通の女の子が持っていちゃいけない類の執念だ。
思いの深さが伝わってくるほど色濃いものなのに、不思議とそこに粘っこさはない。
普段の彼女が見せる冷たさが氷のようなものだとすれば、こちらは刃のような冷たさと言うべきか。
越谷小鞠と青木奈美は、決して親しい間柄だったわけではない。
無口でいつも独りぼっちでいる、どこか冷たい雰囲気の不思議な女の子。奈美にしたって、小鞠は三十人前後居るクラスメイトの一人というだけの存在でしかなかったに違いない。今朝のやり取りが無ければ、顔を覚えられていたかどうかも怪しいだろう。
今だって別に親しくはない。ただ、今は全く無関係な相手ではなかった。
奈美にとって小鞠は、自分が『魔法少女』として助けた最後の相手。
字面だけを見れば重々しいが、彼女はそんな過去はとうに振り切ってしまっている。振り切らざるを得ないようなことが沢山あったからだ。
だが小鞠の方は違う。自分の手を掴んだ温もりも、隣を走っていた時の顔も、克明に覚えている。
今考えれば、あの時点で気付く要素はあった。サーヴァントの危険をいち早く察知して走り出したことに、「貴女には関係ない」という意味深な物言い。
記憶の中にある奈美の顔と、今凶行の跡に佇む少女のそれは一致しない。
魔法少女に変身していないのだから、容姿など服装を除いて変わる筈はないのだが、それでも小鞠は奈美を「別人のようだ」と思った。
「貴女も、だったんですね」
そう口にして、奈美は薄く微笑んだ――ように見えた。
時刻は既に夕方に差し掛かって等しい。
太陽は傾き、作り物の世界は黄昏色に染め上げられつつある。
年頃の少女が二人に、この世ならざる美少女が一人。
絵画に起こしたならさぞ映えるだろう景色の中で、ただ一つ転がった死体だけが浮いている。
赤いパーカーの下から滲み出し、地面を這った血潮の香りが、夕暮れのノスタルジックな独特の匂いを上塗りし、陵辱していく。
「……どうして……?」
重ねて言うが、小鞠は人の死を目にしたことがない。
葬式に参列した経験くらいはあるかもしれないが、よもや床の上で迎える死と、この惨死と呼ぶに相応しい死に様を同一視する者は居ないだろう。
幸いだったのは、死体となったおそ松は俯せになっていることか。
顔が見えないから、どうにか込み上げてくる吐き気と恐怖を堪えられている。
どうにかまだ、この状況に耐えることが出来ている。――今は、まだ。
震える声を精一杯振り絞って、ようやく出せた言葉は消え入りそうなくらいに小さかった。
どうして。どうして、こんなことをするの。そう問うことしか、小鞠には出来なかった。
「どうして? ――分かってるくせに」
帰ってきた言葉は、そんな小鞠の心を無遠慮に突き刺す。
わざわざ説明しなければ分からないのかと、苛立ち混じりに責められたような気すらした。
いや、実際そうなのだろう。サーヴァントを従えてこの場に居るということは、つまり聖杯戦争に参加しているということ。
小鞠が何を考えているにしろ、その時点で"どうして"などと問うのは無意味なことだ。
彼女も、心の底では分かっている。見た目や性格から日頃散々子供扱いされている小鞠だが、そんなことも分からないほど幼くはない。
これは戦争だ。昼間に学校を襲撃してきたバーサーカーも、リリィを援護したというサーヴァントも、K市の海を侵蝕している
ヘドラも――やり方や形は違えど、誰もが何かを願って戦っていた。むしろ、願いはないから帰りたいという自分の方こそ異端なのだ。
此処はそもそも、殺し合いの為に創られた世界。願いを叶える聖遺物の行方を懸けて、殺し殺されの地獄変を演じる為にある箱庭。
だから奈美のやったことは、此処では罪でも何でもない。
勝利を勝ち取る上で出た、必要な犠牲の一つ。それ以上でも以下でもない。
「貴女もサーヴァントのマスターなら分かっている筈です。
気付いているのでしょう? 或いは、既に知識として知っていたのかもしれませんが……この男も私や貴女と同じ、聖杯戦争の参加者でした」
「…………」
「知ってる、って顔ですね。だったら話は早い。
――だから殺しました。聖杯を手に入れる上で、この男は障害だった。それを力を以って排除した。それが事の経緯です」
「そ、そんなの!」
「そんなの、何ですか?」
冷淡に語る奈美の姿は、学校で小鞠が見てきたものとは似ても似つかない。
クラスの隅でいつもぽつんと一人きりの、どこか空虚な雰囲気を漂わせる女の子。
抜け殻だとか根暗だとか、そんな風に揶揄していたクラスメイト達に今の彼女の姿を見せたなら、一人の例外もなく恐怖に顔を引き攣らせたろう。
鬼気迫る、と言っても過言ではない、普通の女の子ではあり得ない迫力が奈美にはあった。
「……ああ、それとも。願いも力もなく、ただ『帰りたい』とだけ考えている越谷さんには、願いのために必死になる人間の気持ちは分かりませんか?」
「っ!」
奈美にとってあの学校生活は確かに退屈で無価値なものだったが、彼女も決してただ無為に時間を浪費していた訳ではない。
生徒の顔をして日常に溶け込んでいる自分のようなマスターが居る可能性を常に頭の片隅に置き、他者の観察に時間を使っていた。
敢えてクラスから自分を浮かせ、悪目立ちするように振る舞っていたのにも意図がある。
要は、誘蛾灯になろうと思ったのだ。
マスターを見つけたと馬鹿面を引っ提げて近付いてきた標的を返り討ちに出来れば、それはとても効率的なことだ。
K市は広い。マスターの数も多い。普通に探しているのでは、正直な所どれだけの時間が掛かるか分かったものではない。
多少の危険を冒してでも、接触の機会を作ることには意味がある。
……結果だけ言ってしまえば奈美の策は越谷小鞠という本命(マスター)には全く通じていなかったが、観察を重ねてきただけあって、彼女の人となりについてはある程度承知していた。怖がりで見た目相応に子供っぽい、典型的な『守られる側』の人間。
とてもじゃないが、聖杯でなければ叶えられないほどの大きな願いを抱いているようには見えない。
この場に小鞠が現れた時点で、奈美は小鞠のスタンスを見抜いていた。
この少女は、帰りたいのだ。聖杯などどうでもいい、早く日常に自分を戻してほしい――そんな甘い考えを抱いている。
そのことが、奈美には手に取るように分かった。
「コマリ、耳を貸さないで下さい。……対話することに意味はありません。彼女と貴女とでは、決定的に聖杯戦争に対する認識が異なっています」
未だ未熟な花の騎士だが、彼女は青木奈美という少女の背負う闇の深さを既に悟っていた。
あれは、対話でどうこうできる次元のものではない。
願いを通り越して妄執の域に近付いている、まさに闇としか言いようのない心の捻れだ。
それに対して小鞠は、『幸せ者』だ。
温かい家族と友人に囲まれて、のんびりと田舎暮らしを送ってきた生涯。
そこには一片の闇もなく、ただ温かい光だけが存在している。
――だから、彼女達は絶対に分かり合えない。奪われることを知らない者には、奪われ尽くした者の憎しみを想像することしか出来ない。
真にその感情を分かち合い、相手を理解することなど、絶対に不可能だ。
「……それでは。ありもしない帰り道を探して、精々頑張って下さいね」
奈美は言うなり、踵を返す。
サーヴァントを前にしているにしては、それはあまりにも不用心が過ぎる行動だ。
しかし奈美は、小鞠の甘さを知っている。人間を後ろから刺すような真似の出来る少女ではない。
かと言って、欲を掻いてこの場で彼女を討ち取ろうなどと間抜けな考えは起こさない。
魔法少女、プリンセス・デリュージに変身すれば、小鞠一人を殺すのには五秒もかかるまい。
だが、サーヴァントは別だ。彼女の従える少女騎士を下した上で小鞠を殺すとなれば、命題は途端に不可能命題へと姿を変える。
アーチャーをわざわざ令呪で呼び、切り札を彼に抜かせてまで倒す必要のある相手とも思えない。
……越谷小鞠はマスターだという情報が得られただけでも上々だ。
彼女を破滅させるくらいのことは、あのアーチャーに掛かれば赤子の手を捻るにも等しいだろう。
要は、いつでも倒せる相手。だから此処で急く必要はない。奈美は、そう判断したのだった。
「……って」
その耳に、蚊の鳴くような声が届いた。
「……待ってよ」
呼び止められた奈美は、一瞬だけ逡巡した。
声に耳を貸さず、そのまま立ち去るか否か。
だが結局は足を止め、無言のままに振り返ることにした。
声をあげたのは小鞠だ。……正直な所、そのことには少しだけ驚いた。
怖がりな彼女のことだから、既に処理能力がパンクしかけているとばかり思っていたのに。
「……何か?」
「その人……家族がいたんだよ」
当たり前だろうと、奈美は心の中で毒づく。
奈美はたまたま例外だったが、家族や親類縁者がNPCとして再現されているマスターだって居るだろうし、むしろそっちの方が多数派だろう。
それに奈美も、そのことについては承知している。
今更そんなことを言われて、心を痛めるとでも思っているのだろうか。
「ちょっと変な人達だったけど、悪い人達じゃなかったのに……」
「それで?」
おそ松の着ているパーカーは紫で、これは小鞠達が目撃したときの服装とは異なっている。
だが、奈美は彼のことをマスターと呼んでいた。
小鞠はまだ、一松がマスターであることを知らない。
電話越しの会話内容からちょっと考えれば行き着いた答えだったかもしれないが、この時点ではそこまでは辿り着けていなかった。
――だから死体となった彼を、すぐに『服を着替えた松野おそ松だ』と認識することが出来た。
こればかりは、無知の生んだ幸運であったと言えよう。
しかしだからと言って、奈美が彼女の主張に心を打たれる、なんて展開はあり得ない。
くだらない。そんな感想が、冷淡な表情の端に滲んでいた。
「家族に囲まれ、想われていた人を殺したことが許せないと?
……もし本気で言っているのだとしたら、流石に笑ってしまいますね。
それは所詮NPC、聖杯によって再現された疑似人格でしかないというのに。
まがい物の家族とやらに配慮して、薄っぺらな正義感で私に聖杯を諦めろと言っているのであれば、貴女は随分と傲慢な人なんですね」
何もかも知られてしまった以上は、オブラートに包む必要もない。
心からの本心でもって、奈美は小鞠を詰る。
松野おそ松の弟達とどんな付き合いがあったかは知らないし、興味もないが、そんな薄い理由で好き勝手宣われるのは、一言不快に尽きた。
戦う覚悟もない癖に、綺麗事をほざくなと張り倒したい気分でさえあった。
「…………ぅ」
小鞠は唇を噛み締める。非難の色を強く含んだ言葉に、思わず瞳に液体が滲む。
反論しようとしても、出来ない。奈美の言うことも一理あると、頭では理解しているからだ。
松野家の変わった弟達も、小鞠の家族も、所詮は偽物、舞台装置でしかない。
皆、聖杯戦争が終わってしまえば消えるだけの存在だ。
あの時垣間見せた人情だって、プログラムされた言動の一環と言われれば言い返せない。
小鞠が勇気を出して言葉に出来たのは、やっぱりただの綺麗事。
奈美のような『戦う覚悟の決まっている人間』にしてみれば、ただただ不快なだけの戯言だった。
「…………でも…………」
でも、何だ。
奈美は小さく舌を打ち、まだ何か言いたげな同級生を見据える。
学校で見ている分には別段何も感じなかったが、こうして相手の正体を知った上で改めて小鞠に向き合うと、確かに湧き出てくる感情がある。
松野おそ松の時は、言葉通りに苛立たされた。
彼の頭のネジが外れているとしか思えない馬鹿さ加減に心底辟易したし、自らの手で殺めても尚、その苛々が消えることはなかった。
越谷小鞠にも、青木奈美は苛立ちを感じている。
だがそれは、思い通りにならないことへの腹立たしさではない。
どちらかと言うと、嫉妬に近い。
彼女には、帰る場所があるのだろう。友人達の待っている、温かい日常があるのだろう。
それは、奈美がかつて失くしたものだ。何も悪いことはしていなかった。ただ、魔法少女として毎日を楽しく過ごしていただけだ。
それなのに、奪われた。突然現れた殺戮者達によって、奈美以外は皆死んだ。
プリズムチェリーも、インフェルノも、クェイクも、……テンペストも。
皆、皆、死んでいった。誰かの身勝手で殺された。
仮にこの聖杯戦争に帰り道なんてものが存在したとして、奈美がそれを使って帰還した先に待ち受けているのは虚無だ。災害の通り過ぎた爪痕だ。
――――この女は嫌いだ。奈美は、心の底からそう思う。
何もかも放り投げて帰ったとしても、帰った先にその何もかもが全部揃っている。
越谷小鞠は、青木奈美が奪われた全部を持っている。
そのことが、今となっては癇に障って堪らない。身勝手な嫉妬と自覚した上で、それでも奈美はその感情が分泌されることを止められずにいた。
――あいつらさえ、あの女王達さえ居なければ。自分だって、こいつのような顔をしていられたのに。何も知らない小娘のまま、魔法少女をやれたのに。
「…………青木さんは、私を助けてくれたじゃん」
「――ッ」
心の柔らかい部分に、ずぶりと何かを突き入れられた気分だった。
自分の投げた言葉の刃が、ブーメランのように回転して戻ってきた。
それは既に振り切ったこと。今更自分で思い返しても、「そんなこともあった」程度の軽さで切り捨てられるような出来事だ。
あの時点ではただのNPCとしか思っていなかった小鞠を助けたこと。
もう何とも思っていなかった過去の『失敗』だが、それを当の助けられた本人に蒸し返されたとなれば、事の意味合いは変わってくる。
小鞠はただ一人、知っているのだ。
この世界でテンペストやあの忌まわしいトランプ集団を除けばただ一人、『正しい魔法少女』としての青木奈美を知っている。
「……黙れ」
そう言葉にするのが精々だった。
正しい魔法少女は、もうどこにも居ない。
奈美(デリュージ)自らの手で、そんなものは抹殺した。
それを知らないし、知っても納得しないから、小鞠は奈美に希望を見ているのだ。
あの時掴んだ手の感触だけを頼りに、暗闇の中で輝く光を見ているのだ。
「……青木さん」
だが悲しきかな、彼女の想いが届くことは決してない。
奈美が小鞠のような日溜まりの側に戻ることはあり得ないし、小鞠がどれだけ頑張った所で、そんな奇跡は起こせないし、起こらない。
それでもそんなことを知らない彼女は、口にしてしまう。
「……帰ろう……?」
その言葉は。
その小さな背丈は。
その幼い声は。
どうしても、『奴ら』に無惨に殺された、風の魔法少女の人間体を思い出させて――――
「――あら。今日は随分と、サーヴァントを見つける日ね」
そこで響いたのは、透き通ったようによく通る、幼子の声だった。
その姿を最初に見た小鞠は、思わず息を呑む。
雪の妖精なんてものが存在するというのなら、きっとこんな外見をしているに違いない。
そう思ってしまうほど、可憐で整った容貌をした、白い白い少女。
だが何を置いても特筆すべきは、その引き連れるサーヴァントであろう。
筋力と耐久のステータスがAランク。言ってしまえば、生粋の武闘派だ。
Cランクのリリィですら相当なものなのに、眼前のサーヴァントはそれよりも高い。
魔術に疎く、戦いを知らない小鞠でも、そのことは容易く理解出来た。
奈美はといえば、隠し切れずに舌打ちを漏らしていた。
迂闊だった。ヘドラを対象とした大規模討伐令のことを鑑みれば、これは予想できた展開だった。
あの時小鞠を無視してこの場を立ち去っていたなら、この状況に立たされることはなかったのに。
感情から犯した失敗に強い憤りを覚えつつも、奈美は逃走経路を確保せんと辺りを見渡す。
この場で事を構えるのは論外だ。ただでさえ一画減った令呪を使いたいとも思わない。
最悪、魔法少女に変身して、脚力に任せて離脱することさえ視野だ。
「どうする。判断は君に任せよう」
「……貴方自身はどう思うの?」
「あのバーサーカーから食らった呪いがまだ抜けていない。深くはないが、手傷も幾つか受けている。此処は休むのが利口、なんだろうな」
その問いに、サーヴァント――エクストラクラス・マシン。ハートロイミュードという男は静かに、だが高鳴る感情の色を滲ませつつ応じた。
「ただ――俺個人としては、『もう少し』だ」
「そう。なら、いいわ」
ハートロイミュードは既に、今日だけで一度の戦闘と一度の乱戦を経ている。
彼ほどの強靭なサーヴァントでも、これだけ立て続けに戦い続ければ疲労が蓄積するのは否めない。
だが、彼は敢えて『休む』という利口な選択を取らなかった。
雷電魔人
ニコラ・テスラとの戦闘でその心に発芽した歓喜の感情。
それはまだ頂点には達していないが、絶えることなく機械の心の中で心音のように脈打っていた。
まだ人類に聞かせるには至らない『歓喜』。彼は此処で、更なる喜びを望む。
黄金の進化を求めて最善手を捨て去り、新たな敵へと向き合うことにしたのだった。
「手早く片付けちゃいなさい、マシン。あまり人目には付きたくないわ」
「分かった。善処するよ」
マシンのマスター、
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが、死刑宣告を下した。
ハートが見据えるは小鞠のサーヴァント、セイバー・リリィ。
リリィはその視線に睥睨で応じ、自らの得物である黄金の剣を黙して構える。
その顔には、一滴の汗が伝っていた。
……強い。このサーヴァントは、相当だ。
なまじ理性が存在する分、昼間に矛を交えたバーサーカーよりも脅威としては上と言っていいだろう。底知れぬ強さをただそこに立つだけで醸し出す、生粋の強者。それが、リリィがハートロイミュードに対して抱いた率直な印象だった。
「り、リリィさん! ――青木さんを!」
「! 分かりました!!」
小鞠の言葉の意味を即座に理解し、リリィは奈美とハートを結ぶ直線の間に立つ。
奈美はそれを確認するなり歯を食いしばりながら踵を返し、今度は振り返ることもなく、路地の向こうへと消えていった。
走り去る彼女の表情を見ることの出来た者は、誰も居ない。
「……察するに、今の少女もマスターか。友好的、という訳ではなかったみたいだが?」
「さあ。それを貴方に説明する義理はありませんよ、エクストラクラス・マシン」
「違いない」
ハートは、無造作に転がったおそ松の死体には一瞥もくれやしない。
眼前のサーヴァントを相手取る上で、余所見をしている余裕はないと判断した為だ。
感じる。分かる。その清澄なる魔力が、幼い体に秘められた高潔なる意思の光が。
間違いなく、強敵だ。半ば戦士としての本能、直感で、ハートはリリィをそう看做した。
耳に痛いほどの静寂の中で、最初に動いたのはリリィの方だった。
それをハートがその強靭なボディで対処する――戦いの火蓋が切って落とされるや否や、息吐く間もなしに二桁に達する数の金属音が炸裂した。
常人には目視すら困難な打ち合い。まさに、これぞサーヴァント同士の戦いと呼ぶべき光景。
小鞠は固唾を呑んでその趨勢を見守り、イリヤスフィールは黙って己の僕の奮戦を見つめる。
だがそこに――音もなく、気配もなく。
状況の監視を打ち切り、走り去った一匹の狼が居たことには、誰も気が付かなかった。
【C-5・公民館前/一日目・夕方】
【越谷小鞠@のんのんびより】
[状態] 健康、不安
[令呪] 残り三画
[装備] 制服
[道具] なし
[所持金] 数千円程度
[思考・状況]
基本行動方針:帰りたい
0:リリィさんが心配。
1:青木さんのことは……
2:これが終わったら帰宅して、ちゃんと夏海を安心させる
【セイバー(
アルトリア・ペンドラゴン<リリィ>)@Fate/Unlimited cords】
[状態] 疲労(中)
[装備] 『勝利すべき黄金の剣』
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを元の世界へと帰す
0:サーヴァント・マシンへの対処。
1:コマリを守る
2:バーサーカーのサーヴァント(ヒューナル)に強い警戒。
3:白衣のサーヴァント(死神)ともう一度接触する機会が欲しい
4:青木奈美に警戒。
【マシン(ハートロイミュード)@仮面ライダードライブ】
[状態] 疲労(中)、右腕、腹部に斬傷、インジュリー状態(体力減少/二時間弱ほどで解除) 、『歓喜』
[装備]『人類よ、この鼓動を聞け』
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:イリヤの為に戦う
0:眼前のセイバーと闘う
1:ニコラ・テスラ、セイヴァー(
柊四四八)への興味。
2:アサシン(ゼファー)への嫌悪。
※ヘドラ討伐令へどう対処するかの方針は、後続の書き手さんにお任せします。
【イリヤスフィール・フォン・アインツベルン@Fate/stay night】
[状態] 疲労(小)
[令呪] 残り三画
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] 城に大量にある
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を取る
1:戦闘の成り行きを見守る
2:アサシン(ゼファー)が理解できない。
3:セイヴァーのマスター、あれ反則でしょ……
※ヘドラ討伐令へどう対処するかの方針は、後続の書き手さんにお任せします。
◆
アサシンのサーヴァント、
ゼファー・コールレインがその場面に出会したのは全くの偶然だった。
午前中の戦いで相当な消耗を強いられた彼が新たな討伐令についてを聞いたのはつい先程のこと。
曰く、海を汚染しながら勢力を拡大し、いずれは陸にもその圧倒的な物量で侵攻してくるだろうライダーのサーヴァント。真名を、ヘドラ。
こればかりは、ゼファーには如何ともし難い問題だ。
アサシンのクラスである以上暗殺はお手の物だが、話に聞くところのヘドラはどう考えても暗殺なんて手段の通じる相手とは思えなかった。
少なくともゼファーの宝具もとい星辰光(アステリズム)では、余程密接した間合いでもない限り打倒するのは困難である。
ファルは全ての主従に接触するだろうし、此処は一度マスターと合流、今後の見通しを立てることが肝要であろうと判断した次第だ。
疾駆、疾駆。時間帯からしてマスターはそろそろ下校している頃だ。帰り道に先回りし、そこで合流とするのが一番恙ない。
……そう思った矢先にあのマシンとかいうサーヴァントとそのマスターを見掛けた時は、誇張抜きに心臓が止まるかと思った。
その時ゼファーは心の底から、自身が気配遮断のスキルを持っていることに感謝した。もう一度アレと事を構えるなど断じて御免だ、命が何個あっても足りない。幸いマシン達は自分の存在には気付かず、彼らはまた別な主従と事を構えるようだった為、ひっそりとゼファーはその場を抜けた訳だ。
『マスター』
「アサシンか――丁度良かった。俺も、お前達に用があったんだ」
小心者で負け犬のゼファーにとっては何とも心臓に悪い数時間だったが、どうにかそれを切り抜けた彼は、こうして無事マスターと合流を果たす。
帰りの道中で通行人の会話を盗み聞いた所、何でも市内の二つの高等学校でテロ事件があったとのことだが、凌駕の様子を見るに、彼の通う学校はテロ……もといサーヴァントの襲撃の標的とはならなかったようであった。
一時は内臓が崩壊し、肋骨も数本逝った満身創痍の有様だったゼファーも星辰奏者としての特性が幸いし、今や目立った傷は全く残っていない。
霊体として語りかける念話の声には僅かな疲れがあったが、苦悶の色は窺えなかった。
『俺の方も同じだ。二つ目の討伐令、その様子だと聞いたみたいだな』
「ああ。さっき、ルーラーの使いが来た。――公害怪獣ヘドラ。クラスはライダー。時代の進歩が齎した技術発展という光に対しての影。……正直、相当厄介なサーヴァントだ。ルーラーが躍起になって討伐令を下すのも頷ける」
『……えらく詳しいな。あの使い魔、そこまで喋ってたか?』
「それはまあ、色々事情があってな。件のライダーについては、少し知識があるんだよ」
あの時は此処までの大事になるとは思っていなかったが、図書室で資料を漁ったのはどうやら正解だったらしい。
だが、楽観は出来ない。出来るはずがない。ヘドラは怪物であり、それ以上に災害である。あんなものを野放しにしていた日には、真実誰の手でもどうしようもない脅威としてこのK市を覆い尽くすだろう。どうにかして手を打つ必要がある。
「これだけ派手にやってくれたんだ。流石に、今回の討伐令に何のアクションも起こさない奴は少数派だと睨んでる」
『……他の主従への接触か』
「実は朝に、ヘドラの末端と戦ったんだ。俺でも撃滅自体は出来たが、あれが山程存在するとなると、流石に対城宝具級の火力がないと難しい」
どの道、黒幕打倒の上で協力できそうな陣営と同盟を結びたいとは思っていたのだ。
此処で上手いこと戦力を増やしつつ、ヘドラの討伐クエストを進めたい。凌駕はそう考えていた。
『…………』
「? どうした、アサシン」
『此処に来る前、この近くでサーヴァント同士の交戦を見た。
片方は確実に話が通じねえし、接触は極力避けたいが、もう片方は分からねえ。
マスターの餓鬼の様子を見るに、話が通じる可能性は高そうだけどな』
「……話が通じないという方の主従は、どんな奴らだった?」
『怪物だ。正直、二度とやり合いたくはない』
それからゼファーは、朝に『御伽の城』付近で経験した戦闘についてを凌駕へ語った。
話を聞けば、成程確かに、相容れない主従のようである。
おまけに戦闘能力も高いと来た。彼の言う通り、相当に厄介な手合いと見える。
ただ凌駕としては、もう片方。ゼファー曰く、話の通じそうな方の主従についてが気掛かりだった。
マスターらしい子供の様子から話が通じそうと判断した所を見るに、件のマスターがどんな人物なのかはある程度予想できる。
聖杯戦争、もとい戦いそのものに慣れていない子供。
……凌駕個人の心境で言わせて貰えば、二重の意味で見過ごしたくはなかった。
「公民館の近く、だったか。……此処から急げば、十分間に合いそうだな」
……もしもこの時アサシンが実体化していたなら、彼の『何を言ってるんだ此奴は』という怪訝な表情を見ることが出来たろう。
これが、最初の前兆だった。
聖杯戦争に逆襲を誓った貪狼と、中庸をこそ愛する怪物が、最終的な方針以外では決して噛み合わない――『相容れない』ことを示唆する、最初の前兆。
秋月凌駕は、ゼファーが危険と判断した機人のサーヴァントが其処に居るにも関わらず……もとい、其処に居るからこそ、剣ヶ峰の公民館前へと向かうつもりなのだ。それは紛れもなく『ただの学生』の行動ではないし、ゼファーに言わせれば、人間の行動ですらない。
人狼の脳裏に過ぎったのは、光だった。
見た者全ての心を灼き尽くした、鮮烈にして悍ましい、英雄譚という名の天霆。
――秋月凌駕は狂っている。彼のような人間が居る筈がない。居るとすれば、それは――
【B-5/路上/一日目・夕方】
【秋月凌駕@Zero infinity-Devil of Maxwell-】
[状態] 修復完了、健康
[令呪] 残り三画
[装備] なし
[道具] 勉強道具一式
[所持金] 高校生程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争から脱し
オルフィレウスを倒す。
0:公民館へ向かい、交戦中の主従へと接触を図る。
1:外部との連絡手段の確保、もしくはこの電脳世界の詳細について調べたい。
2:協力できる陣営がいたならば積極的に同盟を結んでいきたい。とはいえ過度の期待は持たない。
3:討伐令には参加する方針。その為にも、ヘドラの軍勢に対処できる戦力が欲しい。
[備考]
D-2の一軒家に妹と二人暮らし。両親は海外出張という設定。
時刻はファルからの通達が始まるより以前です。学校にいるため、ファルが来訪するには周囲に人影がいなくなるのを待つ必要があるかもしれません。
【アサシン(ゼファー・コールレイン)@シルヴァリオ ヴェンデッタ】
[状態]回復完了、健康
[装備]ゼファーの銀刃@シルヴァリオ ヴェンデッタ
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を蹂躙する
1:?????
◆
青木奈美は、走っていた。
道すがらに通行人に肩がぶつかって睨まれたが、気にしている余裕はない。
苛立ちばかりが募っていく。――あの時、自分は小鞠によって逃がされた。
マシンとか呼ばれていたサーヴァントが自分を狙っていたかどうかなど、問題ではない。
結局のところ小鞠は最後まで、自分のことを『敵』ではなく、『自分を助けてくれたクラスメイト』として見ていた。
大嫌いだと痛感したばかりの女によって、奈美は安全に逃がされ、今はこうして走っている。
「はぁ、はぁ、はぁ、は――……ッ」
煩わしい。
鬱陶しい。
忌まわしい。
自分を見るあの目、あの声、すべてが硬く閉ざした筈の心にするすると入ってくるのが腹立たしい。
自分を恩人――『正しい魔法少女』として見るあの目が、奈美をこんなにも苛つかせる。
「そんなもの、どこにもいない……」
アーチャーと関わる中で、奈美は知った。
自分は正しい魔法少女にはなれない。
そんなものは、もうどこにもいない。
それが、悪辣なる神父の煽動の一環であるなどとは露知らず、奈美は足を急がせる。
最優先すべきはアーチャーとの合流だ。今は何も考えず、この足をとにかく動かせばいい。
奈美はただ、走る。そうしていれば、余計な思考はせずに済む。
【C-5/路上/一日目・夕方】
【青木奈美(プリンセス・デリュージ)@魔法少女育成計画ACES】
[状態] 健康、人間体(変身解除)、強い苛立ち
[令呪] 残り二画
[装備] 制服
[道具] 魔法少女変身用の薬
[所持金] 数万円
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の力で、ピュアエレメンツを取り戻す
0:……今は、アーチャーのもとへ戻る
1:ピュア・エレメンツを全員取り戻すためならば、何だって、する
2:テンペストには会わない。これは、私が選んだこと。
3:ヘドラ、アサシンに対する対処。現状、討伐令に従う主従の排除は保留?
4:越谷小鞠への苛立ち。彼女のことは嫌い。
※アーチャーに『扇動』されて『正しい魔法少女になれない』という思考回路になっています。
※学校に二騎のサーヴァントがいることを理解しました。
※学校に正体不明の一名がいることが分かりました。
※ファルは心からルーラーのために働いているわけではないと思っています
最終更新:2016年10月03日 01:32