旅人よ、行きて伝えよ
ラケダイモンの人々に
我等かのことばに従い
ここに死すと


■  □  ■  □  ■


一時的にどこかに避難しようといっても、棗鈴が選べる『どこか』は限られていた。

まず、自身のサーヴァント――ランサーの外見が問題だった。
ひとことで言い表すならば、裸マントである――正確には、半裸マントである。
下半身こそかろうじて隠しているが、ほぼ半裸といっていい服装に、マントである。
しかも、顔の大半を覆うような覆面の兜までかぶっている上に、槍と盾まで装備している。
その状態で、昏睡中のマスター――さっき拾った男を背負っているのである。
そんな格好で、公共の施設に出入りできるはずがない。
まして、まだ未成年である鈴に代わってホテルやネットカフェの個室を確保するなどは論外の所業である。
何かしらの現代服を購入して目立たなくしようにも、身長190cm近い長身の上に、全身が筋肉ではちきれんばかりの重量級である彼の衣服を調達する行為自体に、それなりの労力と時間と金銭が伴ってしまうことだろう。

かといって、レオニダスを霊体化させても出入りできる場所は限られている。
なにせ、女子高生が成人男性ひとりを背負ってホテルなり店なりに入ったところで、目立つことには変わらない。
何らかの事件に巻き込まれている――とまで勘ぐられることは無いとしても、善良な店員から『そこの男性は大丈夫なんですか? 体調が悪いのでしたら救急車を呼びましょうか?』とかお節介をかけられる展開にもなったらマズイ。
鈴は決して、追及をかわすような弁が立つ方ではない。
「それに、そっちも不純異性交遊とか誤解されると嫌だろうしね」とはシップを名乗ったサーヴァントの弁だ。
鈴には男女のことなどよく分からないので「誤解ってどういう誤解なんだ???」としか思えなかったが。

そういうわけなので、腰を落ち着けられる場所はひとつしかなかった。



「あら、棗さんどうしたの、そんな大荷物を運び入れて」
「じ………実家の親が持ってきたんだ!」



もともと、元山家への訪問が空振りに終わって帰宅する途中だったのだ。
その元山総帥は、学校から遠くない通学圏内にマンションを借りての一人暮らしだった。
つまり、同じような通学圏内にある建物――棗鈴がロールプレイとして暮らしている『A高校の遠地出身者向け学生寮』――も、鈴がシップ達と出会った路地裏からはそう遠くない所にある。

とはいえ、学生寮と言っても当然、男女は別になっている。
男性を、女子寮へと連れ込んだりしたら見咎められることになっている。
玄関窓口では、大人の管理人が生徒の出入りを見張っている。
そして棗鈴は、大人に見咎められた時に、切り抜けるのが苦手だ。とても苦手だ。
悩んだ。
前の学校だったら、男子に荷物の運び入れを手伝わせるぐらいあっさりとできたのに――そう愚痴をこぼしたことで、閃いた。
寮生活をしていたリトルバスターズのメンバーの一人――能美クドリャフカは、よく理樹たちに手伝ってもらいながら、祖父から届いた大荷物を自室へと運び込んでいたのだ。

こっそりと自室に戻って荷造り用の布団袋を拝借し、寮生共用の台車も持って来る。
拾った男を布団袋の中に滑り込ませて、カモフラージュ用に薄い布団もいっしょに押しこむ。
一応は窒息しないようジッパーを少しだけ開けた。
後は、実家から届いた荷物だと言い切って自室へと運びいれることに成功。
本当は、この世界での『実家』がどうなっているかなんて、鈴はさっぱり知らない。
学費と生活費ぐらいは『あることになっていた』棗家名義の口座から引き出せたので、詮索する気も起こらなかった。

「よ……ようし!」

使っていないベッド(2人部屋を1人で使っている設定だけは元の学校と同じだった)の上へと、布団袋を乗せて『中身』を開放すると、鈴はぐったりと自分のベッドに倒れ込んだ。
シップが霊体化をといて室内に出現し、己のマスターがいる方のベッドへと座る。

「悪いね。うちのマスターが迷惑かけちゃって」

そのマスターがずいぶんと手荒に運ばれたことについては、特に何も言わなかった……注文をつけられる立場ではないと思っているのか、あるいはぞんざいに扱うことに文句が無いのか。

「まったくだ……落ち着くまでの間だけだからな」
「ああ……あたしらも、今夜の宿ぐらいは自分で何とかするよ。
今さら別行動になった隙をついて逃げたりとかはしないからさ」

アンタ達からも即効で信用を無くすほど馬鹿じゃないしね、と付け加える。

「なら、いい。でもなかなか起きないな、そいつ……」

布団袋に詰められる前よりだいぶ顔色が悪くなったようにも見えるその男を、鈴はこわごわという風に観察した。
棗鈴はかなりの人見知りだが、それが『大人の男』になるとその度合いがさらにランクアップする。
実のところ、起きてくれないことにはどうしようもないという気持ちと、起きてしまったらどうすればいいんだろう……という不安が半々だったりもする。

「色々あったからね……さっきまでずっと逃げっぱなしだったし」

シップが枕やクッションを使ってマスターに呼吸が楽な姿勢を取らせている間に、窓の外で待機していた猫たちを迎え入れる。
アカツカ達のような新顔の他に、レノンやドルジのような古株もいた。
猫用の皿に飲み水を用意してやると、鈴自身も朝に買っておいたペットボトルの栓をあけて喉を潤した。
シップにも何か出すべきか迷ったが、サーヴァントは飲食しないと聞いていたので勧めるタイミングを逃す。

「ふむ。では一息ついたところでよろしいですかな?」

全員が息をついたタイミングを見計らったように、レオニダスが二つのベッドの間に立って霊体化を解いた。
ごく落ち着いた声音に、却って猫達が緊張した気配を見せる。

「なんだお前。いつもより頭が良さそうに登場したぞ」
「いえ念話ならともかく、ここでいつもの大声を出すとほかの寮生に聞き咎められますので……あのマスター? これでも私、故国では最も頭が良かったのですが……」
「じゃあお前の国はバカしかいないのか」
「これはまた手厳しい……いえ、バカではあったかもしれませんが、考え無しの戦士はおりません。
ですので、今は頭を働かせる時だと具申いたします。
我々はシップどのが経験した『色々』について大まかに聞いたばかり。
未だに交戦経験のない我々には、他の主従の情報は貴重なものです。
今一度、情報を吟味して情報整理をすべきでしょう」

たしかに、と鈴も考える。
遭遇した時の説明で聞いたのは、あくまでシップ達の簡単な事情であって、『彼女たちが持っている他の主従の情報を根掘り葉掘り聞いた』というワケではない。
鈴の頭にも入ってきたのは、シップのマスターがなんと兄弟で聖杯戦争に喚ばれてしまったことと、敵に襲われ兄の方が命を落としたらしいこと、あとは奇妙なトランプのサーヴァント達のことぐらいだった。

「なるほど、あたしもそれはいい考えのような気がする」
「うん、まぁそうなるよね」

シップもやれやれという風に同意した。
隣で丸くなったレノンを、片手間に撫でながら。

「よし、船のサーヴァント。じょーきょー整理を始める。
全部白状するから、あたしになんでも聞いてくれ」
「マスター、話の流れは!?」
「逆じゃないの? なんでそっちが尋問されるスタンスになってんの?」
「そうか、間違えた。なんでも聞きたい。お前、今までのことを全部話せ」
「はいはい……」

このマスター大丈夫かな、とぼやく声が聞こえたような気がする。
ともあれ、シップはどこから話すべきか記憶を顧みるように、眼を細めて考えこみ始めた。


◆Tips:猫

NPCは聖杯戦争に関わる事象を感知できない。
NPCは『犠牲になる一般市民』という形でしか、聖杯戦争に介入することはできない。
情報提供や、資材の贈与を行うことはあっても、それはあくまで『知り合いが何かに困っているようだから援助した』という一般的な善意でしかなく、
『知り合いを聖杯戦争に勝たせてやろう』などと判断して行動することはない。

これは、人間でない作り物――猫達にとっても例外ではない。

ではなぜ、猫達は『松野一松のことで棗鈴に助けを求める』というアクションを起こしえたのか。
それは、彼等の行為はあくまで『友達が倒れていたから助けを求めた行為』に過ぎなかったためだ。
たとえば、マスターであるか否かに関わらず、路上にヒトが倒れていれば、NPCだって何事かと心配して善意で救急車を呼ぶぐらいはするだろう。
猫たちの為した行為は、あくまでそれと同じ。
人間の友達が倒れていたから、『何かあったら頼るといい』と約束された友達――棗鈴を頼った。それだけの行為だった。
決して『棗鈴というマスターならば、松野一松というマスターを保護してくれるだろう』などと聖杯戦争を感知した上での行為では無かった。
それが幸いした。

棗鈴の部屋で猫達がサーヴァントやマスターの話し合いに同席していられるのも、あくまで『話し合いの内容を理解するだけの知性が無い』ことから聖杯戦争に関わらずに済んでいる、その結果の産物だった。

そんな偶然が、棗鈴と松野一松を引き合わせた。


LOADING…


彼等は本選が始まるまではロールプレイとして再現された我が家でゆるゆると生活していた。
しかし、今日になってやはり家族を万が一の時にも巻き込むまいと家出することを決意した。
そんな経緯を聞いて、鈴がまず抱いた感情は嫉妬だった。

(ずるい、な……)

あたしは独りぼっちだったのに、という理由がその後に続く。
鈴の周囲には、NPCとして再現された仲間たちはいなかった。
兄も、幼なじみも、リトルバスターズの仲間たちも、あの『崩れる世界』に置いて来てしまった。
たとえ偽物だったとしても、この男の周りには家族がいて、いつも通りのあたたかな日常が保証されていたのだ。
それはずるい。ぜいたくだ。
向かいのベッドに寝ころんだまま目覚めない相手のことを、そう思いそうになって。
最初にそいつを見つけた時に、顔に泣いた痕があったことを思い出した。

――違う。

嫉妬するのは違う、と鈴は反省する。
一人では無かったけれど、こいつは兄弟で聖杯戦争をやらされるところだったのだ。
しかも、その末にさっき兄を亡くしたという。
もし鈴が、恭介と一つの椅子を巡って聖杯戦争をすることになったりしたら、そして兄が死んでしまったりしたら――そんなことは考えたくもない。
それを自分とどっちがかわいそうか、なんて比べるのはおかしい。

「それで、あたしらが家を出たのが昼前のことだったんだけど。……続きを話す前に、一ついいかな?」
「なんだ?」

シップは、言葉に迷うように少し時間をおいてから、切り出した。

「こっからは、当然、他のマスターの話も出るんだけど……。
 その中には、あたしたちみたいに『聖杯を狙ってない、巻き込まれただけの子』もいるんだよね。少なくとも一組はそうだった。
 ……それでも、聞きたい?」

気だるそうな眼の中に、鈴を推しはかるような鋭い視線がある。
どういうことだと問い返そうとしたら、レオニダスがその言葉の裏にある意味を尋ねた。

「シップ殿は、彼等の情報を売りたくないということですかな?」
「まさか。あの子達と同盟を組んだわけじゃないけど、不戦関係にあった子達だから、聖杯狙いの連中に売るような真似はしたくないよ。
 でも、『教えてほしい』って言われたら話すよ。マスターを殺されても仕方ないところを保護してもらってる上に、生殺与奪も預けてる。
その上で、アンタ達への恩義より、あの子達への義理を取るとは言えないっしょ」

それを薄情だ、とは言えない。
鈴だって、『いつでも殺していいと言ったし、働くと言ったけれど、情報提供するとは言ってない。でも、マスターを見捨てられるのも嫌だから勘弁してください』なんて主張を聞いたら、ワガママだと思うだろう。
それに、教えて欲しいのは本当のことだ。

「じゃあ、なんでわざわざ中断したんだ?」
「さっき、あたしのことを『いい奴』だって言ってくれたじゃん?
 だったら、他にも『いい』マスターがいるって知ったら、後々が辛いんじゃないかなと思って」
「つまりマスターにお気遣いをいただいたというわけですな」

それは、あの路地でシップとそのマスターを殺せなかった事を言っているのだろう。
他にも自分たちのような『生きて帰りたいだけの被害者』であるマスターがいることを、知る覚悟があるのか、と。

「お心遣いは有難いですが、そういった心配ならば無用です。
 ここで現実を観ずに済ませようとも、いずれ来るべき時は来るのですからな。
ならば、どんどん試練は経験しておいた方がよろしい」
「教えてくれ。ランサーの言ってることは何か怖いけど、そこまで言われたら逆に気になる」
「……わかった」

シップは頷いて、家を出た時のことに話を戻した。
家を出る直前に、大企業の社長である知人(ということになっているNPC)から、身辺調査のアルバイトを持ちかけられ、先立つもの欲しさに引き受けた。
会社の名前はフラッグ・コーポレーション。調査対象は、一条蛍という小学生。
社長の話によれば、仕事上の付き合いがある友人から『理由は明かせないがこの少女の身元について知り得る限りを調べてほしい』という依頼を受けて、既にプロファイルは用意できている、その裏取りをしてほしいとのこと。

「そいつ、ロリコンの変態か?」
「ま、普通はそう勘ぐるよね……で、これがその子の資料なんだけどー」
「……おい、この子あたしより背が高いぞ! 本当にロリコンか?」
「うん、ロリコンじゃなかったら他のマスターを狙うマスターだよねー」

『理由は明かせないけれど調べてほしい』というのがいかにも胡散臭いし、どちらも聖杯戦争の関係者ではないかと疑った。

「ふむ。では、そのご友人から、依頼人とやらの正体を教えていただくことは可能ですかな?」
「どーだろ。さっき会った人たちにも聞かれたけど、いくら友達でも守秘義務とかあるし難しいんじゃないかな。
あ……ただ、その社長さんも『最近、お仕事で付き合うようになった友達』みたいには言ってたかな。
なら、最近この町に来たばっかりで、あの会社と付き合い始めたばかりの金持ちって線から調べられるかもしれない……」
「絞り込むこと自体はまったく不可能ではない、ということですか」

その後に、一条蛍の小学校を訪れたことで疑惑は真実になる。
集団下校を行っていた校庭で、その少女が別のマスターおよびサーヴァントと接触するところを目撃したのだ。

「学校に来たサーヴァントは、黒い軍服っぽいスーツを着てたよ。
見た目は日本人で、ずいぶん若い見た目だったね。
いや見た目に関してはあたしも人の事言えないけど、まだ二十歳も越えてないぐらいだった。
後から名乗ってたけど、クラスはランサーだって」
「ふむ、そのように大勢が集まっている前で姿を現すのは得策とは言えませんな……それとも、他のマスターを誘い出すために敢えてそうしたのでしょうか?」
「敢えてかは分からないけど、実際あたしらは釣られたね。あー、でも釣られたっていうよりもばれたって言った方がいいか」

結果的に尾行がばれた松野一松とシップも、二人のマスター――一条蛍と、東恩納鳴――の話し合いに同席させられることとなり、尾行に至った経緯を白状させられた。
この時に互いのサーヴァントも姿を見せた上での話し合いになり、一条蛍のサーヴァントが『ブレイバー』を名乗る少女だということも分かっている。

「ブレイバー……勇気ある者とは、変わったクラスですな。
英霊は戦う者である以上、大多数が『勇気を示した者』でもある。
それを、敢えてブレイバーというクラスに割り当てられたとなると……」
「本人は『勇者』だって自己紹介してたし、『職業として勇者だった逸話』を持つ英霊ってことになるんだろうね」

小学生のマスター二人は、どちらも『積極的に殺し合うつもりがないマスター』であることが明らかになり、関係は良好なものとなった。
二組で協力して、一条蛍を脅かすマスター、および討伐令を出されたマスター達の打倒にあたろう。
まずは、討伐令を出されたばかりであり、街に害をなそうとする『ヘドラ』を倒そう――そういう方向で話し合いは進んでいた。

「待て。さっきお前、『聖杯を取るつもりがない』子は一組だって言ってなかったか?」
「ああ、一条蛍って子はただ帰りたい派だったけど、鳴っていう子のサーヴァントは違ってた。
あんまり他のマスターを殺したくない考えではあったようだけど、『聖杯が欲しい』って言ってたかな」
「聖杯戦争しないで、どうやって聖杯を取るんだ?」
「一松も同じこと突っ込んだよ……正直、あの感じだとマスターをごまかしてるみたいだったぞ。
鳴って子が殺し合いしたくないから他のマスターを倒そうとは言えないけど、でも聖杯は諦めたくない、みたいな」

ともあれ、そのあたりを一松がつついてしまったせいで鳴のランサーと気まずくなる一幕はあったものの、話し合いそのものは穏便に運んでいた。
しかし、別のサーヴァントが乱入したことで一同はバラバラになる。
日本刀を携えた少女のサーヴァントが、なぜかブレイバーのことを宿敵と定めたように斬りかかってきた。
これをブレイバーはワイヤーのような固有装備で以って応戦し、ランサー(と名乗った割には槍ではなく大剣を使っていた)も共闘する。
一条蛍は、『魔法少女』という姿に変身した鳴によって連れ出されたが、松野一松はシップとともに逃亡しようとして、失敗する。
襲撃したサーヴァントのマスターと思しき人物が、異形の姿に変身して襲い掛かってきたためだ。

「あたしたちとは違って、魔法の力を持ったマスターもいるのか……」
「そりゃあ元はこれ、魔術師同士で戦争するのが前提のルールみたいだしね。
でも、バケモノに変身したり、触ったものを石に変えたりしたのは反則じみてるけど……」
「話を聞く限り、シップ殿達はそのマスターから集中的に狙われたようですが、何か恨まれるようなお心当たりでも?」
「いんや……『我が集中を乱したー』とか言ってたけど、いっちーも初対面だって言ってたし……言いがかりじゃないかな」

ともあれ、下手にそのマスターに応戦すれば和装の狂戦士を令呪で呼びつけられてマスターを空間無視攻撃で斬られるリスクもあり、シップ達は逃走する選択肢を選んだ。
それでも逃げ切れなかったところを、トランプ兵士の衣装をしたサーヴァントが出現し、そのマスターを即座にノックアウトしてしまった。
一時はそのサーヴァントに助けられたかと思ったのだが。



「………………兄貴に殺されかけたのか?」
「それは否定できないね、残念ながら」



もしかすると、この兄弟に同情して損したかもしれない。
『トランプたちのマスターである兄によって、誰とも知らぬマスターに売りとばされかけた挙句に、シップはその場で殺されそうになった』という事実には、それだけの破壊力があった。
幻滅する的な意味で。

「なんか…………そいつ、思ってたよりずっとかわいそうな奴だったんだな…………」

違う意味で、青年が目覚めたらどう接していいのか分からなくなってしまった。
いくらなんでも醜いというか、酷いというか、アレ過ぎる。

「いや、否定はしないけどね……」

しかし、シップは歯切れが悪かった。
あんまりに酷い話過ぎて語りにくいのかもしれないが、しかし鈴としてはそこで話を止められても疑問しか残らないのだ。

「その……言いにくいのかもしれないが、どうやって助かったんだ。
 ぜったいぜつめーのピンチだぞ。それ」

そう訊ねると、シップの様子が変わった。
はっと我に返ったように、真剣な顔に立ち戻ったのだ。

「それが、助けてくれたのもお兄さんだったんだ」
「え?」

それは、マスターを助けてくれるならば、自分は殺してくれて構わないと言った時の顔だった。

「ここから先は、あたしにも分からないことが多いから。だから、見たまま聞いたままを話すよ」

◆Tips:最初の本選脱落者(望月視点)

本選一日目の夕方から夜にかけて、小学校とその周辺の住宅街では、多くの主従が交錯することになった。
シップこと望月と松野一松が逃亡した後に現れたイリヤスフィール達と秋月凌駕達も含めれば、その場所では十組二十名におよぶ主従が入れ替わり立ち替わりに関わっていたことになる。
発端は、公園で三組の主従が話し合っているところにアカネというバーサーカーが『音楽家』を求めて乱入したこと。
そして、松野おそ松プリンセス・デリュージの交渉が限りなく破綻し、双方が別の場所にいる主従たちに狙いをつけたこと。

しかし、状況の推移が激しかったが故に、あの場にいたほとんどの主従が、その戦いで『何が発端となり、どうして襲い襲われ、最終的には誰が散ったのか』を把握していない。
少なくとも、全貌を望月の視点から把握することは不可能だった。

例えば、彼女とマスターの一松は、『シャッフリンの消滅を見届けた』ことからおそ松の死を察しただけで、彼が死ぬところは見ていない。
ランサー――櫻井戒とおそ松達の戦いも、その後のデリュージによる襲撃も、知らない。
実はおそ松のサーヴァント――シャッフリンが未だに消滅していないことも、とうてい予想できない。
まして、一連の出来事の裏にはヴァレリア・トリファというサーヴァントの策謀があったことなど、把握するすべもない。

だが、望月の視点からでも、断片的な手がかりは存在している。

例えば、おそ松の発言から、『田中』と名乗るマスターの少女が、『エクストラクラスのマスターだから』という理由で一松と望月を確保しようとしていたこと。
例えば、『おそ松の振りをして、やってくる田中という少女の眼をごまかし逃げろ』と指示をされたこと。
例えば、一松には信頼できる友達ができた、と判断するや、その友達――望月に、『弟をよろしく』と言い残したこと。

これらを併せて考えれば、望月の視点からでも、推理を立てることは難しくない。

ひとつ。
おそらく松野おそ松と『田中』なるマスターは、どうやってか『松野一松がシップというサーヴァントのマスターである』ことを知った。
(『シャッフリンが見ていた』とか何とか言っていたので、トランプのサーヴァントに監視させることで知った可能性が高い)

ひとつ。
望月を殺そうとした時のおそ松の発言もあわせて考えると、
『田中』からは、『弟とそのサーヴァントの首を差し出せばお前に手は出さないし、何なら当面の協力関係も結んでやる』という条件を出された。
そしてそれは、反故にすれば命が無いぐらいにはリスクのある条件だったのだろう。
『兄弟の命と引き換えに助けてやる』という重い命令(いや松野家にとっては軽いのかもしれないが、常識的には重い命令)が、約束というよりも脅迫のようなニュアンスだったことは予想できる。

ひとつ。
それでも、望月を殺すことを急きょ取りやめて、『田中が接近している』と聞くや、まず弟と入れ替わったというのは――つまり、そういうことなのだろう。
たとえ自身が死ぬつもりはなかったとしても、死地に挑むという意識がわずかなりとあったからこそ、『よろしく』と後を託した――実際のところは知りようがないにせよ、望月はそう受け止める。

まとめると。
望月の見たものだけで構成すれば、『一松達が逃げたあと、おそ松は図書館に戻らなかった田中、もしくは彼女のサーヴァントと再接触をして戦闘になり、弟を逃がしたことで殺されたのではないか』という物語ができる。
そしてそれは、実際の物語と幾つか違うところはあるけれど、『誰が殺したのか』については当たっていた。


LOADING…


シップが見てきた物語に、鈴は何も言えなかった。
一度ショックを受けたエピソードとはいえ、どのようにその人が死んだのかを語られると、直前の酷い話との落差が激しいこともあり、心に堪えるものがある。

鈴に代わって捕捉を求めたのは、仮面に隠れて表情のうかがえないランサーだった。

「失礼。それではシップ殿達は、兵士のサーヴァントが消滅するところを見ただけで、御兄弟の最期を確認されたのではないのですか?」
「うん。でもサーヴァントが消滅したってことは、そういうことでしょ?」
「そうとも限らないのでは? 『何人もいる兵士』とやらがそのサーヴァントの宝具だったとすれば、宝具の解放を中止すれば兵士達は消えます。
 戦闘による魔力の大量消費によって、宝具の使用を取りやめたという可能性もあるのでは?」

宝具、と聞いて鈴も思い出すのに時間がかかった。
そうだ、サーヴァントは皆その『宝具』とか言うのを持っているし、ランサーの宝具も『仲間をたくさん召喚する』みたいなタイプだと聞いたことがある。
だからこそ、シップの話を聞いても安易に『マスターが死んだ』と結びつけることはしなかったのだろう。

「んー。可能性を出してくれるのは嬉しいけど、あれは違うと思う。
あのサーヴァント達、言葉は通じなかったけど意思表示はできたからさ」

トランプ兵士達に向かってシップは『マスターが死んだのでは』と発言したし、一松も『まさかそんなはずはない』と否定を求めた。
しかし彼等は、まるで消滅を受け入れるように頷きあっていたし、一松に向かって別れを告げるような仕草をした。
単に『宝具が停止したから一時的に消えるだけ』であそこまで厳粛な態度は取らないと、シップは察したのだという。

「なるほど……シップ殿の見識を誤り、軽率な発言を致しました。申し訳ない」
「いや、いいよ。あたしの話を信用してくれるだけでも御の字だし?」
「ふむ、ではシップ殿の言葉に信を置く前提で、今ひとつ立ち入ったことをお伺いしてもよろしいかな?」
「あい?」
「そこまではっきりと状況を察しておられたのなら、なぜ最初に『家族が死んでしまった』ではなく『家族に生かされた』と仰らなかったのですか?」

その問いに、シップは面倒くさそうな顔をした。

「……うぁー、それ聞いちゃう?」

そして鈴は、意味するところが分からなかった。

「どういうことだ?」

その反応に、シップはますます面倒くさそうな顔をした。

「……えっとランサー? 質問には答えるから、マスターへの解説は自分でやってね?」
「むぅ……致し方ありますまい」
「……なんだ、このあたしだけがダメみたいなムードは」

そしてランサーは、不満げな鈴にも理解できるように、質問の意図を説明した。
シップは初対面でマスターの事情について説明を求められた時に、『マスターの兄を亡くしてしまった』と言った。
しかし『マスターの兄が自分達を庇って死んだ』とは言わなかった。
打算的な言い方にはなるが、『家族同士で聖杯戦争に巻き込まれて、その家族が死んだ』とだけ言うよりも、『家族同士で聖杯戦争に巻き込まれて、家族の一人がもう一人を助けようとして死んだのだ』と打ち明けた方が、ずっと情に訴える効果が大きいことは疑いない。
たとえ同情を買ってでも、マスターを殺さずに保護してほしいと頼みたい状況だったのだから、なおさらだ。
それを、なぜ言葉を濁すような言い方をしたのか。

「あー……正直、どう説明したらいいのか難しかったのもあるんだけどさ。
ほら、直前までは屑ムーブだったから」
「たしかに」

その理由には、鈴も同意する。
しかしシップには、他にも理由があるかのように言葉を探していた。
そして、口にした。

「それにさ……今はまだ、既成事実みたいな扱いにしたくなかったんだよね」
「きせいじじつ?」
「だってさ、いっちー……マスターからしたら、アレじゃね?
起きたら、『自分が原因で、兄さんが死んだ』扱いになってたりしたら、辛くない?」

振り向き、背を丸めて動かない赤いパーカーを確認して、そう言った。

「それは……確かに、いやだな」

なぜか、あの『みんながいた世界』を出た時のことを思い出した。
あの世界から理樹と鈴を半ば追い出すようにして促したときに、恭介は泣いていた。
どうして泣いていたのか鈴には分からなかったけれど――もしあれが、自分達のせいで泣いていたのだとしたら、すごくイヤだ。
まして、自分のせいでいなくなったりしたら……と思うと、やりきれない。

「とはいえ、いずれ当人もお気づきになるのでは?
今は混乱しておられても、『服を交換して逃げるよう指示された』ことが何を意味するのか、やがて察せないはずがない」
「だろうねぇ……でもさ、それはだんだん受け入れることで、起きてすぐ叩きつけられることじゃないと思う」
「なるほど。では我々もそのように接しましょう。それでいいですね、マスター」
「いい」

ここで拒否するやつは、よほど空気が読めないに決まっている。
そして、もう一つ問わずにいられないことがある。

「でも、お前らはどうして、狙われたんだ?
『えくすとらクラス』って何か意味があるのか?」

シップと接していても、とても外道な取引を持ち掛けた上に、『めちゃくちゃたくさんいる強いトランプのサーヴァント』を動員してまで始末したいほどの重要サーヴァントには見えない。
どうして殺されなければならなかったのか――聖杯戦争の中にいるとはいえ、それでもそう問いたくなってしまう。

「さっぱりだよ。別にあたし強い秘密兵器とか何も持ってないし?
例外的なクラスだからって運営から何か贔屓されてるわけでもないし?」
「ふぅむ……『未知である八番目のクラスについて情報を得たかった』というのは、あくまで副次的な理由であったのかもしれませんね。
シップ殿に心当たりがないと言うのならば、兄の松野氏とやらに、何かしら『田中』との因縁があったのではありませんか?
古代ならばペルシアとミレトス、そしてアテネの関係のように、たとえ小さな勢力であろうとも、目障りな動きを取るうちに縁の連なる者全てを滅ぼさねば気が済まないと敵意を持つのはしばしばあることです」
「それにしたって……あ、ちょっと待って。今の話を聞いて思い出した」

シップは、正確に思い出そうとするかのように目を細めて考え始めた。

「確か、お兄さんの振りをして『田中』さんに会う前に、一松が何て言えばいいのかを覚えさせられたんだけどさ。
その時に『身内を監視対象から引き離す目的は、これで達成したんだから』みたいなことを、言わされてたと思う……」

それはまたまた、よく分からない言葉が出てきた。
レオニダスが解釈をつけようとする。

「身内、とは松野氏の弟である一松殿のことでしょうな。
そのまま解釈すると、『一松殿は、田中にとって監視すべき相手と行動を共にしていた』ということになります。一松殿を彼等から引き離すのが、田中の大きな目的であったと」

松野一松が直前まで共に行動していたマスター。
それならば、候補は二人しかいない。

「それって、狙われてた蛍って子じゃないか?
その子は他のマスターから狙われてただろ。それが田中だったんだ!」

それならば話が繋がる。
鈴としては、かなり自信のある考えだったのだが。

「じゃあお兄さんを殺したのは、身辺調査の依頼人だったってこと?
なんでその人があたし達と蛍ちゃんを引き離す必要があるのさ」
「それは……じ、自分が狙ってた獲物が他のマスターに取られそうだったから、引き離したんだ!」
「そんな動物の縄張り争いじゃないんだから…………それに、田中って顔は隠してたけどまだ女の子だったよ? フラッグ・コーポレーションのお仕事友達って言うには若すぎない?」
「それは…………ほら、あれだ。お前たちを襲った奴みたいに、変身するマスターだったのかもしれないだろ…………」

しどろもどろになりつつあったところを、ランサーがばっさりと否定した。

「いえ、それは無いでしょう。むしろ『田中』の目的は、二人の少女のどちらかを調べ上げて仕留めることではなく、その逆ではないかと考えるべきです」
「逆?逆ってなんだ」

ランサーは右手の指を二本、左手の指を一本立てた。
ちょうど、三人のマスターを示すように。

「もしも、少女二人のどちらかを仕留めるつもりで動向を把握していたのならば、一松殿よりも、もう一人の少女を警戒したはずなのですよ。
 なにせ、その女性達は『自分達を狙ってくる他のマスターを協力して返り討ちにしよう』と同盟をしていたそうですからな。
先ほどの例えで言うならば、ペルシアにとっての標的であるアテネに、スパルタが助力を申し出たようなものです。
だと言うのに、日和見の立場に近かったシップ殿達の方を警戒していたというのはおかしい」
「そっか……むしろ、逆に『監視対象』を守ろうとしていたのなら、どっちつかずの状態だったあたし達を警戒する理由にはなるよね」
「ランサー……なんか急に賢くなってないか? 今までとぜんぜん頭の使い方が違うぞ」
「いや、私、根は理系ですし? 素性も素性ですから、論理的に考えるのは得意なのですよ、本当に」

そう言えばこのランサー、確か槍の英雄であるだけじゃなくて、王様もやっていたのだった。
それなら、筋肉のことだけでなく、人を動かすやり方に詳しくてもおかしくない……のかもしれない。

「田中にとって、二人の少女のどちらかは、死なせたくない対象だった。
そこに、まさに自分が対峙している松野氏のご兄弟が、近づかれていた。
田中はそれを見て、弱みを握られると警戒したのではないでしょうか。
『家族を人質にとって脅迫する』という手段を使うマスターならば、自分が同じことをされるリスクも視野に入れているはずです。
ご兄弟で結託して『監視対象の少女』を人質に取られる真似をされては困ると、先んじて禍根を潰そうとしたのではないでしょうか」
「なるほどね……となると、あの女の子達と距離を置いてるうちは、いくらか安全ってことになるのかな」
「じゃあ、その小学生たちにはもう会いに行かないのか?」

つい、そんな風に鈴は問いかけていた。
シップと松野一松を危険に晒したいわけではなかったが、それでも鈴にとっては初めて得られた、『聖杯を競い合う同士であるマスター』の情報なのだ。
何もアクションを起こさず、これ以上学校に引き籠っているのは違う、と直感が告げているし、
『同じ聖杯を狙う者としても、そういう事をするマスターを見過ごすのは嫌だ』だとか『ここまで話を聞いておいて、こいつらの事情をこれっきりにするのは嫌だ』という幼い正義感もある。

「うーん、あたしはアンタ達の為に働く立場だから、そっちが接触したいなら拒めないけど、またあの子達に会いに行くならいっちーの意向も聞きたいかな。
それに、二人に実際会ってどうするかも聞いておきたい。
少なくとも鳴って子の方とは聖杯を狙う者同士になるけど、倒すつもりなの?」
「それは……」

鈴は答えにつまった。
そう、こういう決断を迫られるからこそ、シップは蛍たちの話をする前に『話してもいいのか』と確認をしてきたのだろう。
まして、シップからの情報によれば『蛍』と『鳴』というマスター達は子どもだ。
あの特別教室で一緒にいた小学生たちと歳も変わらないような、何の罪もない小さな女の子達だ。

「ごめん、言い方が意地悪になっちゃった。
ただ、どっちみち『お兄さんを殺した奴と関係あるかもしれないから会いに行こう』ってだけで後先考えずには動けないよ。
それに、『一条蛍の調査を頼んできた依頼人』の問題もあるからね。
こっちは調査を放棄したようなものだけど、蛍ちゃん達に再接触するつもりなら絡んでくることも考えないといけない」
「いや、あたしこそ簡単に言って、ごめん……」

覚悟だとか、殺意だとか、そもそもそれ以前に自分のスタンスの中途半端さというか、とにかくあたしはいろいろな考えが足りていないのだと再確認させられた気がした。
真人からはバカだバカだと言われていたけれど、ここまで深刻にバカだと自覚すると情けないものがある。

「マスター、そう過度に気を落とさずに。
経験無くして成長無しと考えるその姿勢は正しい。
必要なのは計画性と心構え。そしてまずは目先の脅威から順を追って考えましょう。
まず、その少女達は今宵ヘドラの征伐に赴く予定だったとか。
そちらの結果しだいでは、明日の再会が見込めない状況になっていることも有り得ますし、何なら今宵は共闘するという選択肢もある。
我々も今宵をどう過ごすのか、そこから決めておかなければ、明日の予定は立てられませんな」
「そっか……そっちもあったんだったな……」

そう、元山へのお使いかとシップの保護で後回しになっていた感もあるが、『ヘドラを討伐に行こう』という選択肢に関しては、鈴たちにとっても他人事ではない。

シップのもたらした情報のおかげで、敵の正体――『空母ヲ級』が『深海棲艦』という連中だとも知ることができた。
そして、彼らは水上戦を行う装備こそ自前で有しているものだが、触れるものを汚染する性質までは持ち合わせておらず、それはサーヴァントの神秘に由来するのだろうということも。
――つまり、ヘドラの汚染は物理的な防御でどうこうできるものではない。それは鈴とランサーの主従にとって、痛い。
ランサーは防戦を得意としており、盾の扱いに秀でたサーヴァントではあるが、盾の宝具を持ったサーヴァントではない。
つまり、その盾で跳ね返せるのは物理だけ……らしい。
物理であればサーヴァントの放つ熱線だろうと跳ね除けられるが、魔眼や呪いの類を防ぐことはできない。
つまり、ヘドラに対しては決して優位に立てるサーヴァントではない。

それでもなお討伐令に参加するべきかどうか、決断しなければならなかった。

「んー…………じゃあ、明日のための用事は、今の内に済ませておいていいかな?」

シップがそんなことを言って、マスターと共に持ちこんでいた紙袋の荷物を漁った。
何を取り出すのかと思えば、わずかばかりの小銭だった。
マスターの財布から幾らか勝手に出したらしい。

「む、用事ってなんだ?」

シップは気が進まないことに取り組もうとするように、ため息を吐いてみせた。

「いったん、外に出る。ちょっと電話かけに、ね」


◆tip:田中(プリンセス・デリュージ)

ランサーことレオニダスの推理には、細部において誤りがある。
その中でも主な間違いは、『田中ことプリンセス・デリュージにとって、監視対象ことプリンセス・テンペストは、かならずしも保護対象においた相手ではない』という点だ。

確かにデリュージがテンペストのことを大切に思っており、そこに付け込んだシャッフリンが、テンペストを監視しつつ人質に取ろうとしたことは事実である。
ただ、『聖杯で取り戻したい死者がマスターとして蘇生しており、彼女をも倒して聖杯を取らなければ全員を取り戻すことができない』というデリュージの極めて特異なケースを想定できるサーヴァントはそういない。
これはただ、それだけの食い違いだった。


LOADING… 


霊体化したままでは小銭を持ち運べないので、寮の窓から実体化したままえっちらおっちらと抜け出し、やや走ったところにある公衆電話から電話をした。

「ふう……」

どうにか伝えるべきことを伝えて、受話器に充てていた制服の袖布を外し、ガチャンと電話を戻す。
電話をかけた先は、フラッグ・コーポレーションの本社ビルだ。

そして、電話の内容は、一言で言えば脅迫電話だ。
考えて、考えて、頭をひねって考え抜いて、その頭脳労働だけで普段なら根を上げている程度には頭を回転させて、思いついた脅迫電話だった。

(これ以上、一松の家族が巻き込まれないために……)



『今すぐ、一条蛍の身辺を嗅ぎまわるのを止めろ。
 調査員の自宅に爆弾を仕掛けた』



要約すると、そういう脅迫だった。

目的はひとつ。
松野おそ松および一松の家族を、あの家から早急に避難させることだ。

すでに『田中』には、松野おそ松と一松が、一卵性の兄弟であることは割れてしまっている。
そして田中の視点では、一松は『仕留め損ねたマスター』であり、『そうでなくても、聖杯戦争を勝ち残る上でいずれは始末する相手』なのだ。
電話帳で『松野』という氏をたどる等して松野家に辿り着いた田中(仮)が、松野家で一松の帰宅を狙って襲撃したとしても何らおかしくない。
なにせ彼等兄弟は、初見での見分けがつかないのだ。
NPCを害することに躊躇しないタイプのマスターならば『とりあえず同じ顔の兄弟は全員殺しておこう』といった凶行をしでかさないとも限らない。

だから、松野家の人々には、少なくとも向こう数日は、あの家を離れてもらう必要がある。
それも、ヘドラ騒動がヤマを迎え、田中も幾らかそちらに気を取られるであろう今夜のうちに、避難してもらう必要がある。

その為の『爆弾を仕掛けた』という脅迫電話だ。
イタズラ電話で流されてしまえば終わりだが、松野家とあの会社の社長は昔なじみだ。
自分が頼んだアルバイトのせいで、友人たちが危険に晒されるかもしれない――ともなればそれなりに真剣に取り合ってくれるはず。
しかも『当の調査員である松野一松と、連絡がつかなくなっている』という状況まで合わされば、その事件性はぐっと増すだろう。
そして――望月にも気分が良いものではないが、夜が明けるまでには、松野おそ松の遺体が一般人にも発見される可能性が高い。
しかも、しかもだ。
本当に気分の良くない話だけれど。

この世界で発見された松野おそ松の遺体は、松野一松の遺体だと誤認される可能性がある。

服装を交換している上に、遺伝子の上では違うところなど存在しないのだ。
たとえ一卵性双生児でも指紋から判別することは可能らしいが、松野家では財布やエロ本さえ勝手に貸し借りするぐらいお互いの所有物に指紋をベタベタつけているので、遺体だけで六つ子の誰なのかを判別する作業は困難になるだろう。
この世界の警察は、現実の警察よりも捜査能力が低いともなれば、なおさらだ。

そうなれば――一松を泣かせたその死を利用するというのが、本当に気分の良いものではないが――事件性は確実なものとなる。
『一条蛍の調査を止めろと言う脅迫があり、調査員の自宅に爆弾が仕掛けられたという電話があったばかりか、調査員が遺体で発見された』ことになるのだ。
そこが警察であれフラッグ・コーポレーションの客室のスイートルームであれ、松野家は当面の間は拘束される。
実際には爆弾など無かったところで、しばらく家に帰れない状況に追われるだろう。
遺族としてはすぐにでも家に戻っての葬儀を希望するかもしれないが、殺人事件ならばしばらく遺体は警察預かりとなるはずだ。
そうなれば、一介のマスターでも松野家の宿泊先をたどることは難しくなるだろう。
もしこの世界のNPCが、『爆弾を仕掛けたぞ』と脅迫をされた家にあっさりと戻って来て暮らし始めるほど鈍感だったならば、その時はまた別の手を講じなければならないが、これで当面の時間稼ぎにはなるはずだ。

(あー……でも、遺体発見のニュースが出たりしたら、あの小学生たちはいっちーが死んだって誤解しないかなぁ……。
上手い事ヘドラのニュースに紛れて、大きく扱われなかったらいいんだけど)

気になると言えば、もうひとつ。
それを聞いた一条蛍を狙う依頼人がどう思うかだ。
『一条蛍には、よほど過激なマスターかサーヴァントが味方しているのだろう』と警戒させることができればかえって都合がいい。
最大の懸念は、『万が一にも、おそ松を殺したマスターと、蛍の調査をしているマスターが同一人物だった場合、すべてのカラクリが見抜かれてしまい、蛍たちともども危険に晒される』ことだった。
しかしレオニダス達と話してみて、その可能性は限りなく低いことが再確認できた。
望月としても、まだ敵対することが決まったわけでもないのに蛍たちの身を危険に晒すことには抵抗があったので、それさえ確かなものとなれば電話をする踏ん切りはついた。

電話ボックスから出て、住宅街の方角の空を見た。
夕暮れから、星空へと移り変わる境目の空だった。
その方角からは、かなり太い煙が立ち昇っているのが目撃できた。
戦いの余波が、まだ鎮火していないのかもしれないと、望月は思った。
あの人の遺体は、火災に飲まれたりせずに無事だろうか、と気に掛った。

しかし、これじゃあ早く遺体が見つかってくれた方が都合がいいと打算的に考えているみたいで、何だか嫌だなと思った。
早く見つかって欲しいのだが、しかし。
例え遺体が家族の元に届けられたとしても、彼はその時に『松野おそ松』として帰還できない可能性が高いのだ。
死んだ後も、あの人は帰れないことになる。
この世界の家にも、本当に家にも。

(ごめんなさい……)

でも、と思う。
一松は、偽の家族とはいえ家族を巻き込まないために家を出た。
そして、彼の兄が守ろうとしたものだって、きっと一松だけではないはずだ。

(でも、その代わり、守るから)

その未帰還を、無意味にしないために。

望月は霊体化して、託されたマスターの元へと急いだ。
松野家の人達は、今ごろ晩御飯を食べているのだろうかと、想像しながら。


◆Tips:住宅街の煙

松野一松と望月が去り、櫻井戒とシャッフリン、プリンセス・デリュージの戦いが終わった直後の公民館で、後から乱入してきた三組の主従による交戦が行われた。
その際に、マシンことハートロイミュードが放った光弾によっておそ松の遺体があった公民館近くの自動車が爆発炎上したことによる煙。

静かな住宅街とはいえ、しばらくすれば煙を見とがめた市民により119番通報が行われると思われる。


LOADING…


松野一松、およびシップなるサーヴァントとの出会いは、棗鈴というマスターにも、色々思うところをもたらした。

「ランサー、あたしは聖杯が欲しい」
「はい」

その気持ちに、ぶれはないつもりだ。
人を殺すかもしれないのを嫌だと思っても、聖杯を取りたいという想いまでが揺らいだことはない。

「聖杯が要るんだ。……だから、田中って奴のことは言えないんだと思う。
聖杯が欲しいなら、他のマスターを倒……殺すことになるから。でも……」

それでも、シップの語ったこれまでの物語を聞いて、『何もそこまで酷いことをしなくてもいいじゃないか』と怒ってしまった。
自分と変わらない歳の少女がそこまで手段を選ばずに他のマスターを蹴落としているという事実に、衝撃を受けてしまった。

「誰かの大切な人だってわかってても殺したり、卑怯な手を使ったり……聖杯を取ろうと思ったら、そうしないといけないのか……あたしも、そういう遣り方をしないと聖杯が獲れないのか?」
「それは違います、マスター」

ランサー――レオニダスというサーヴァントは、しかしあっさりと、それを否定した。

「え?」

不意打ちだった。
目の前のサーヴァントは変態だけど悪い奴ではない。ないけれど――でも、昔のえらい人で、いざとなれば人を殺すことだってできる、その為にいる存在だと思っていた。
だから、人を殺すことが嫌だなんて言ったら、弱い悩みだと思われるのではないかと。
そのはずが、そいつは鈴の前に膝を折って言葉を継いだ。

「良いですか――戦う姿勢には、向き不向きがあるのです。
 誰かの戦い方が上手くいっているからといって、己がその姿勢を無理に合せて戦えるとは限らない。
 そもそも、命を奪うことが怖くないはずがない。生来持ち合わせた優しさを簡単に捨てられるはずがない」

失礼、とランサーは兜を脱いだ。
糸のような細い目に、強い眼光を宿した壮年の男の顔が現れる。
実のところ、鈴は大人の男が苦手なのだが――顔が見えるようになると変態度がだいぶ減るな、と思った。

「マスターは以前、自らの兄上とご友人によって、逃がされてきた身の上だと仰いましたな。
なぜか己だけが新しい世界に旅立つことになり、大切な方々は、ずっと共にいたいという本音を吐きだしながらも、堪えてそれを見送ったのだと。
私にはどういうご事情だったのかは分かりませんが、しかしその行為は尊いものだと感じます。
それもまた、生まれついての戦士には無い強さ――貴女に未来を与えようとする希望がもたらした強さです」

その英霊は、戦いに赴けば己は帰れないと、告げられた者で。
己が未帰還になることと、故郷や家族の未来を天秤にかけた者で。
愛する者を守るために死地に赴いた者だからこそ、その強さを良しと認めた。

故に、私も必ず貴女を生きて帰す、それは大前提ですと、前置きして。

「貴女が恐怖を感じるのは、それだけ大切なものを知っているということです。
その大切なものに従って、マスターはどう在りたいですかな?」

大切なもの。幸せにしてくれるもの。帰った先にあるもの。
そう訊かれると、最初に思い出す言葉がある。



――鈴ちゃんが幸せならわたしも幸せだから。



ああ、そうか。
あたしが最後に笑えなかったら、意味が無いんだ。
つかえていたものが、すとんと身体の中に落ちていった想いがした。

「ランサー、あたしは、巻き込まれただけのヤツらまで殺したくない」

言葉は、素直に口から出てきた。

「バカなやり方かもしれないけど、ただ帰りたいと思ってる奴を騙したり、弱い者いじめして聖杯を取るのは、あたしの『戦う姿勢』じゃない」
「御意」

弱いものを戦わずに保護したところで、何も変わらないかもしれない。
どうやったらこの世界から帰れるのかなんて分からない以上、最後にはその人達とも戦うことになって、辛い思いをするかもしれない。
だけど、それでも、子どもやかわいそうな人達を、今いじめていい理由にはならないじゃないか。

「聖杯が欲しいのはホントだから、聖杯を狙ってたり、聖杯戦争を辞めさせようとするような奴が相手だったら、戦う。
殺すのかは分からないけど、負けないように戦いたい」
「では私は、貴女に勝利を」

その英霊は、兜を外したことで見えるようになった口元で微笑んだ。



ランサーがまた兜をかぶりなおした直後のことだった。
窓をノックしてから、シップがひょいっと侵入する。
霊体化で戻ってこれるのだから窓から入らなくてもいいのにとは思ったが、いきなり出現するのは無礼だろうという気遣いらしい。

「ただいまー……こっちの連絡は終わっ――」

しかし、帰還を告げる声が半端に途切れた。
鈴が座っているベッドではない、もう一つのベッドの方を、凝視している。
しまった一生の不覚、という顔をしている。

鈴たちも、もしやと気付いて向かいのベッドに視線を送った。
先ほどと変わらず、背中を丸めぎみにして眠っているように見える、赤いパーカーの青年……のはず。

しかし、周囲の猫達が、様子を確かめるようにその顔を舐めたり、前足でしきりにつついたりしているのだ。
いくらぐっすりと眠っているとはいえ、こんなことをされてもなお眠っているというのは不自然ではないか……?


シップが恐る恐る、声をかけた。



「あの……いっちー…………もしかして、前から、起きてる?」


そして、時は動き出す。

【B-5・高等学校A女子寮/一日目・夕方】

【棗鈴@リトルバスターズ!】
[状態] 健康
[令呪] 残り三画
[装備] 学校指定の制服
[道具] 学生カバン(教室に保管、中に猫じゃらし)
[所持金] 数千円程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を勝ち残る。脱出を望むマスターまでは倒さないが、聖杯を狙うマスター、聖杯戦争を辞めさせようとするマスターとは戦う
1:ヘドラのことはどうするか、目覚めた一松をどうするか考える
2:『元山』は留守だったし、どうしよう…
3:野良猫たちの面倒を見る
4:他のマスターを殺すなんてことができるのか……は分からないが、帰りたいだけのマスターは殺さない
[備考]
元山総帥とは同じ高校のクラスメイトという設定です。
ファルからの通達を聞きました。

レオニダス一世@Fate/Grand Order】
[状態] 健康
[装備] 槍
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:マスターに従う。マスターを鍛える
1:マスターの方針に従い、シップ達と一先ずは同盟。
2:マスターを勝利させる(マスターを生きて元の世界に帰すこと自体は大前提)

【松野一松@おそ松さん】
[状態] 覚醒
[令呪] 残り三画
[装備] 松パーカー(赤)、猫数匹(一緒にいる)
[道具] 一条蛍に関する資料の写し、財布、猫じゃらし、救急道具、着替え、にぼし、エロ本(全て荷物袋の中)
[所持金] そう多くは無い(飲み代やレンタル彼女を賄える程度)
[思考・状況]
基本行動方針:???
1:???
※フラッグコーポレーションから『一条蛍の身辺調査』の依頼を受けましたが、依頼人については『ハタ坊の知人』としか知りません
※果たしていつ頃から起きていたのか(部屋に運ばれた直後から起きていたのか、望月が電話をかけている間か、あるいはたった今起きたところか)は、後続の書き手さんに任せます。

【望月@艦隊これくしょん】
[状態] 健康、強い決意
[装備] 『61cm三連装魚雷』
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:頑張る
0:もしかして……まずい状況?
1:鈴とランサーに協力しつつ、一松を守る
2:一松を生還させてあげたい
※フラッグコーポレーションに脅迫電話をかけました

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2017年04月15日 17:38