「くそったれだな」
「くそったれですね」
二人の男が顔を見合わせため息をついた。
二人の目の前には土の壁である。左手にそそり立つのは土肌むき出しの崖、右手に広がるのは薄暗い森、足元に伸びるのは峠道、頭上に広がる空は夕暮れの赤から深い青へと転じつつある。空を見上げて、若い方がうめき声をもらした。
「今から戻っても村には着けませんよね」
「無理だろ」
年かさのほうが相槌を打つ。懐から携帯電話を取り出すと、男はしばらくそれをにらみつけた末、ポケットに荒々しく戻した。それを見た若い方が、もの言いたげに年かさのポケットを指差した。
「なんだ」
「それで助け呼ぶとか」
「無理だ。一応一台置いてきたが、通じるかどうかは知れたもんじゃない。仮に通じたところでここには車なんてないんだぞ。歩いてくる奴らがなんか役に立つと思うかよ」
「そうですね」
若い男は恨めしげに土壁を見やると下打ちした。
「にしても土砂崩れなんてついてないですね」
「コンクリでも打って補強してありゃ別なんだろうけどな」
「ここじゃ無理でしょうね、コンクリ工事」
「無理だな。聞いた話じゃ、こっちの世界じゃコンクリが固まらないんだとさ」
「そんな馬鹿な」
「俺だって信じたくないさ。だがそのせいで大手ゼネコンがいくつも進出に失敗して、挙句に調査員がこっちに来て実験したそうだ。全然無理、ついには原料も道具も
ゲート通らなくなったんだと。そうでもなきゃ今頃この辺だって舗装されて、俺たちゃ車に乗って、この辺でコンビニにでも入ってたところだったろうよ」
「そういうところですよね、こっちって」
「仮に固まったって、例の精霊の機嫌がどうとかって理屈でダメにされるんだろうけどな。ブラジルなんかの原住民が開発に文句言うのと一緒さ」
「精霊か。実在するんじゃ仕方ないところもあると思うんですけどね。それこそ原住民みたいなもんで」
「原住民ならおとなしくガラス玉あたりで機嫌直しとけって話だよ、チクショウ」
「全くですね」
若い男はそういうと道端に座り込んだ。年かさの男もその横に座り込み、タバコとライターとを取り出して一服しようとする。しかしライターはいつになっても火花を散らすばかりで一向に着火しようとはしない。業を煮やした年かさはタバコをしまいこむとライターを投げ捨てた。
「火もつかねぇでやんの。まあいいさ、禁煙になると思えば」
ため息をついた年かさが、ふと後ろを振り向く。と、そこには光り輝く小人が宙に浮いていた。小人が差し出しているのはとしかさが先ほど投げ捨てたライターだ。
「もっかい やって」
たどたどしい口調で小人は年かさにせがむ。年かさの男は目をむくと、顔をそらしている若い男に食って掛かった。
「コイツお前のだろ? お前がちゃんと面倒見とけよ」
「あれじゃないですか、火花が出てたのが嬉しかったとかじゃないですか。ちょっとぐらいやったげればどうです。それこそガラス玉で機嫌取るのと一緒ですよ」
「断る。俺はこいつらみたいなのが好かないんだよ」
「俺だって別に好きじゃないですよ」
「きらい?」
「別に嫌いでもないよ。ただもうちょっとしっかりしてくれたらなって思うことはあるけど」
「ごめん なさい」
「そう思うなら今度からせめてまっすぐ進んでおくれよ。光速でさ」
「まっすぐ すすむと ぶつかります」
「そうか、じゃあいいよ。ほら、貸してごらん」
若い男はライターを受け取ると火花を散らし、輝く小人はそれを見て手を叩いて明滅した。
「うれしい です」
「はいはい」
宙を舞い踊る小人――光の精霊は若い男にまとわり着いて嬉しげである。それを眺めていた年かさのほうが皮肉っぽく口の端をゆがめた。
「よくそんなのと仲良く出来るよな。気味悪くねぇのかよ」
「なんだかんだで付き合い長くなってきましたからね」
「ここにきて一年だっけか、あんちゃんは。どうやって食いつないでんだ」
「それが案外木っ端仕事なんかで食ってけるんですよ。漁の手伝い出たり屋台引いたり。ここの字と言葉も覚えましたよ」
「適応できてるねえ。流石はいいとこの大学にいただけのことはあるってわけだ。あれだよ、研究だの文明だのが恋しくならないのかね」
「正直、もう情熱はないですよ」
若い男が空を見上げた。
「大体、理論屋で食ってくのは僕には無理だったんですよ。分かってたけどだらだら大学残って、バイトしながら食いつないでました。そりゃ、科学的大発見をしてやるなんて野心はありましたよ。異世界の物理を研究して解き明かす、なんてね。でもね、そういう野心を抱いてここにきて、いざ研究を始めてみたら馬鹿らしくなりましたよ。だって散々苦労して機材持ち込んで実験してみたら、光電効果すら再現できないんですもん。挙句に実験器具からコイツがでてくるでしょ、もうどうでもいいかなって」
「なんだい、その香典のなんたらって」
「プランク定数って言う、物理の基本的な定数が測定できる簡単な実験です。あの有名なアインシュタインがノーベル賞取った理論の実験なんです」
「あれかい、相対性なんたらってやつかね」
「いいえ、違うんですよ。まあ機材があれば学生でもできるし、基本的な原理は高校生でも分かるような簡単な実験です。そんな手垢のついた実験がぜーんぜん上手く行かない。やるたびに違う結果が出るんです。理由を知ろうとしてうんうん唸ってたら、そのへんの子供が『精霊の機嫌が悪いんじゃないの?』とか言うんですよ。『名前呼んでみたらいいよ』って。で、適当に実験装置のシリアルナンバーなんか読上げてみたらコイツのお出ましですよ。その時、僕が学んできたことでこの世界で役に立つことはなにもないなと悟ったんです。人生棒に振った感じですよ。勢いで大学も辞めちゃいましたよ」
「そこまでしなくてもよかったんじゃないの」
「大見得切って出てきちゃったんですよね。まあ、それなりに満足してますよ」
「若いねぇ、君。まあいいけどさ、どうせ君の人生だ」
年かさの男が鼻を鳴らして地面に寝そべった。
「まあ俺も、大見得切ったって所を笑えた口じゃないんだがね」
辺りはすっかり暗くなり、舞い踊る光精霊だけが周囲を照らし出している。としかさの男の顔に影が揺れた。
「チャンスだと思ったんだよなあ」
「チャンスまだあるんじゃないですか。こっちに移住するリタイア組増えてるって話聞きますよ。そういう人相手の携帯メンテなんかやったらいいじゃないですか」
「そういう連中は大した儲けにゃなんないんだよ。冗談じゃねえ。本当は異世界の連中全員に携帯電話を売りつける予定だったんだぜ。上手くいってりゃこんなところに来ることもなかったのによ」
「その話、会ったときから気になってたんですよ。一体どういうことなんです?」
「どうもこうもねぇよ。こっちの世界じゃ単に電話が動かないってだけだ。んなもん当たり前だ。アンテナなんざ一本も立ってないんだから」
「そうなんですか?」
若い男が懐を探り、携帯電話を取り出した。
「アンテナ三本立ってますけど。さっきの話とも矛盾しますよ」
「そこがこの世界のいかれてるところなんだよ。いいか、こちとらアンテナなんか一本も設置してない。まともに動く機材がゲートを通らないからな。なんでも配線だかなんだかに使われてる微量元素がゲート通らないらしいんだ」
「それはおかしくないですか。それならこの携帯だって内部にレアメタル使われてますよ」
「そうとも、携帯だってつかえねえはずだよ。そのはずだ。ところが動くんだなこれが。俺の調べた限りじゃ、異世界どこででもどこの国でも通じる。地球人どころか隣村の人間だって十年以上見たことねぇってど田舎でも通じた。本来機能しないはずの箱が、だ」
「理由は分かったんですか」
「そんなもんどうでもいいだろ。大事なのはな、兄ちゃん、異世界人に電話売りつけりゃでっかい市場になるってことよ。こういうのは他所が出張ってこないうちに、魚を全部網に入れて引き上げる必要があるだろ? で、隠密裏にことを運ぼうとしたわけさ。金もばら撒いて準備して、いざ異世界で携帯電話解禁! と意気込んでみたはいいものの、ふたを開けてみりゃなんのことはない。異世界じゃ携帯はつかえなかったのさ。あんたも地球のニュースぐらい聞いてないか。日本の大手携帯電話会社が異世界に進出画策したけど失敗したって。あれの責任者おれだよ」
「一応見ましたよ。まさにこっちの世界で、この携帯使って」
「頭おかしい話だよ。いいか、ここじゃな、地球人が握ってる携帯は普通に動作する。どうかすると地球の都市圏並に広い帯域がそこらじゅうで利用できるんだ。それが異世界人に渡したとたん、携帯はただの箱に逆戻りさ。コンピュータなんかも右に同じだ。で、なんじゃこりゃと思ってたら『携帯の通話については地球人のため特別に便宜を図ってやっている』とかなんとかいう神様のありがた~いご託宣が本社に届いたってわけよ。それもファックスでな」
「むちゃくちゃですね」
「まあな。おかげで俺は責任取らされて左遷、こっちの世界じゃつかえもしない箱を売りつけたってんで詐欺師みたいな扱いうけてた時期もある。まあ持ち直しちゃきたがね。とにかく、俺はこっちの世界の理不尽っぷりにゃほとほと呆れたよ」
「それでもこっちに残るんですね」
「地球に戻っても俺の席はないからな、ハハハ。同期の中じゃ出世頭のつもりでいたんだがこのザマだ。チクショウ」
年かさの男は力なく笑うと、寝そべりながら道をふさぐ土砂にちらりと目を向けた。
「とりあえずコイツさえどうにかなりゃいいんだけどな。精霊様とやらもちょっとぐらい気を利かせてくれってんだよ。俺たちの邪魔ばっかりしてないでさ、この土をパーッと除けてくれるとかしてくれりゃいいんだ」
「今晩はここに野宿ですかね」
「あー、やだやだ。信じられないねぇ。こりゃそのうちへんな動物でも来るねこりゃ。そんで俺たちに止めが刺さるって寸法よ」
「そういうのは大丈夫じゃないですか。コイツがどうにか除けてくれますよ。なあ」
若い男が手で示すと、光精霊は強く発光してくるくると踊りまわる。ことさらにユーモラスに振舞ってみせる光精霊に年かさの男も思わず顔を緩め――不意に、その横顔が凍りついた。
男たちのゆくてをさえぎる土の塊に、いまや大きな顔が生じていた。握りこぶしほどもある瞳で飛び回る光精霊を追い、時折満足そうに鼻を鳴らす。その目が、ふと男たちを捉えた。大きな口を開いて、土の精霊がこともなげに声を掛ける。
「なんだいあんたら、こんなところで野宿かい」
「どうもそうなりそうです」
「そりゃ良くないね。風邪引くよ」
「しょうがないですよ。本当はこの先に進みたかったんですけど」
「進めばいいじゃないか」
「何言ってんだ、お前が道をふさいでるんじゃないか」
小さくはき捨てた年かさの男が、はっとしたように口をふさいだ。対する土の精霊は何やら思案すると、重々しげに頷いた。
「それもそうだな。すまんな、どうも最近ゆるんどったから。そうだな、ここは一つ、邪魔したお詫びにお前たちをふもとの村まで送ってやろう。どうしてもここで野宿がしたいというなら別じゃが」
「あ、いいんですか。じゃあお願いできますか」
「おいちょっと待て、送るってどうやって」
「ほいきた」
地面がひとたび大きく揺れた。思わず立ち上がった男たちの足元がゆっくりと隆起し、縁がめくりあがってそりのような形状を取った。
「落ちんようにな」
土精霊がそういうが早いか、土のそりは道の上を飛ぶような勢いで滑り始めた。のぼりも下りも関係なく、そりはすさまじい速度で道をひたすらに進んでいく。縁に捕まって腰を抜かしていた男たちが、ようやく顔を上げた。
「なんかすごいですね、こんなの初めて見ましたよ。良かったですね、助けてもらえて」
「――けっ」
光精霊がそりの頭に立つと力強く発光し、前方を明るく照らし出した。としかさの男はそれを眺めながら、ふとポケットからタバコを取り出し、若い男に手を振った。吹き抜ける風に消されぬよう、若い男がタバコを手で覆ってライターを点けると、ライターはいともあっさりと火を出した。煙を深く吸い込んで吐き出すと、年かさの男は受け取ったライターを眺めて舌打ちした。
「礼なんか言わないからな。言ってたまるか、チクショウが」
土のそりはなおも山道を滑っていく。中天に輝く月と星とが、男たちの乗ったそりを照らしている。ふもとの村までは、あと少しといったところである。
終わり