レシエ邸には夜間の間も奉公人が数人ながら残りそれぞれ仕事をしている。
「あの・・・メイド長ちょっといいですか?」
「ん?なんだい?」
この夜も家令を務めるセバスに昼間の事柄など伝達すべき要件を伝え、彼から今後の日中の仕事の内容などを受け取って詰所へと戻り、さてこれから少し一息つこうかと机に座ったメイド長に、付き添いで一緒に行動していたアリアが常々思っていたことを切り出す。
「メイド長ってご家族とかいないんですか?」
「いないよ?私は元々この国の生まれじゃないからね。結婚もしていないから夫も子供もいない。だからこうやってあんた達ヒヨッコがヘマしないように見張れるのさ」
「そうなんですか!?」
未婚というのはなんとなく想像していたが
スラヴィア出身ではないということに驚くアリア
「そんなに驚くことかい?サンターラやピエトだってこの国の生まれじゃないじゃないか」
「それはそうですけど・・・なんかメイド長がこの国の生まれじゃないってまったく想像してなかったから・・・」
彼女の脳裏には難民としてこの島に渡り定住した両親を持つ仕事上の先輩であり友人でもある二人の少女の姿が浮かぶ。
「まぁ故郷で過ごした月日よりスラヴィアで過ごした月日のほうが何倍も長いからね」
「そうなんですか。じゃあ小さい頃にご家族とこの国に?」
「いんや、一人でさ」
「え?一人で?」
アリアは「あれ?」という表情をする、まったくそんな応えが帰ってくるとは思っていなかったのだ。
「あぁ、私ははかなり北のほうの国の生まれでね、ひどく貧しい場所でさ。私の親は私が物心ついた頃は両方おっ死んでてね、遠縁だっていう婆さんに引き取られたんだけど、その婆さんにイモ2籠で人買いに売られてね」
「それって・・・」
当の本人はいたって明るく語ってはいるが、思ってもいなかった重い話にアリアは言葉に窮する。
「なぁに、売られたって分かった時はショックだったけどね、今じゃ感謝してるんだ。そうじゃなかったら今の私はいなかっただろうからね」
そう言ってメイド長は机の上に置かれた水差しを手に取り、自分のコップへと中に入った沸かし水で薄めた葡萄酒を注ぎ入れる。
「それじゃ奴隷船でこの国に?」
「そうさ、今でも時々来てるだろ?あれに乗ってね、ドンブラコッコとやってきたわけさ」
コップを口に運びながらメイド長は応える。
「聞いたことならあります・・・実際に見たことはありませんけど・・・」
奴隷船などの交易船が寄港するのはルゥドというスラヴィア最大の港街で、そこは別の貴族の領地ということでアリア達のようなレシエの領民は特別な許可がない限りは行くことができない。
「この国に来るまでは正直恐ろしかったねぇ、外じゃこの国は化け物どもが蠢く魔境みたいに語られてるからね」
「そんな!?」
アリアは信じられないという顔をする。彼女にとっては貴族とその配下である屍者の居る日常が当然のこととして生まれてからの15年を過ごし、周囲もそれが普通のこととして過ごしているのだからある種それがこの国の平均的な反応だろう。
だがふと先程思い浮かべた友人二人が以前そんなことを冗談半分で言ってたことを思い出す。
「まぁ、外から来た私も最初は驚いたし恐ろしかったからさ、長い間お仕えして今じゃそんなこと思うこともないけど、最初はいつ食い殺されるのかと毎日ビクビクしてた」
「・・・・・」
アリアはそれになんと返答していいか悩んだ末に沈黙することを選んだ。
「だけどね、そんな私を優しく包み込んでくれた御人が居てね・・・右も左もわからず学もない私にこの国のいろんなことを教えてくれて文字の読み書きや数字の数え方そして今の私を形作っている多くのことを与えてくれたんだ・・・」
コップを両手で抱えるように持ちながらメイド長は懐かしいというような表情を浮かべる
「・・・その人とはどうやって出会われたんですか?」
やっと言葉に窮せずに済みそうな話題になったとアリアはここぞとばかりに尋ねる。
「レシエ様に運良く買われた後、私を育てるために子供の居なかった養父母に預けられたんだけどね、もうこんな国に居るなんてまっぴらだって養父母のところから飛び出してさ、裸足で夜道をさ迷ってたら偶然出くわしたのさ、後で聞いたら日課の散歩の途中だったんだと」
「え・・・夜にですか?まさかその人って・・・」
予想外の展開にアリアは思わずメイド長に尋ねる。
「あぁ、屍者様さ・・・怯える私に根気強く付き合ってくれてね、あの方と出会っていなかったらどうなっていたか・・・」
薄い葡萄酒が注がれたコップの中の波紋に昔の記憶を映すかのように眺めながらメイド長はアリアに語る。
「へーーー、あ、そういえばギルベルト様も散歩が趣味ですよね?」
「あ、あぁ・・・そういえばそうだったかね・・・」
突然出てきたギルベルトという名前にメイド長が言い淀んだのをアリアは幸か不幸か気がつかなかった。
「まぁそんな具合で、おかしなことに私が養父母の家を事あるごとに飛び出す度にその人が私を見つけてくれてね、その度に優しかったり口やかましかったりいろいろ私に話したり私の話を聞いたりするようになってね」
「ふんふん」
アリアもすっかりメイド長の話に相槌を打つだけとなっていた。
「そのうち、その人に会いたいためだけに夜に家を抜け出すようになっちまってね・・・今思えば本当に親不孝な娘だったと思うよ」
「アハハ♪」
なんとも可愛らしい話にアリアは子供時代のメイド長を想像して笑みを溢す。
「それから何年か経って子供だった私も丁度今のアリアくらいの歳にこの館に御奉公することになってね、その時は本当に舞い上がるくらい嬉しかったね。ようやく恩返しができる。いつでも会える場所に居られるってね」
「あの・・・それってメイド長その方を・・・」
ふとあることに思い当たりアリアは恐る恐るメイド長に尋ねてしまう。
「信じられないだろ?死んでる人間を好きになるなんて」
「そんなことないです!・・・・ないと思います・・・」
アリアは精いっぱい首を横に振ってまで拒定するが、何をそんなに大げさにやってるのだろうと恥ずかしくなって声を窄ませてしまう。
「最初はただのごっこ遊びみたいなものだったのかもしれない。それがいつの間にか歯止めが利かなくなっちまってね・・・」
「本当にその方を愛してたんですね・・・」
そんなことを言うアリア自身も胸がズキズキと痛いことを感じていた。
「終いには、ここを出よう、二人でどこか別の場所に逃げよう・・・そんなことを真剣に語っちゃったりね」
恥ずかしそうに笑いながらメイド長はコップを口へと運ぶ、その際アリアからは見えなかったがメイド長の顔に一瞬どこか寂しげな表情が過ぎる。
「レシエ様の領地の境にあるアカビアの木があるだろ?」
「昔、その木が欲しいが為だけにレシエ様とランバール様が一騎打ちをしたっていう木ですよね?」
小高い丘の上にまるでその丘全てが自分のものだと主張するかのように生える大木をアリアは思い返す。
「あぁ、あそこで待ち合わせをして遠くに逃げよう、そう約束したのさ」
アリアもこの年頃の娘の例に漏れず思わぬラブロマンスに興奮気味にメイド長の話を聴き入る。
彼女もこの話がいよいよ佳境へと向かっているのはなんとなく理解していた。
「それでどうなったんですか!?」
アリアは思わずメイド長に続きを催促するような勢いで尋ねてしまう。
「来なかった」
「・・・え?」
思ってもいなかった言葉にアリアは絶句する。
当然の結末である。物語の当事者であるメイド長が今もここにいるということはその物語が報われない末路を辿るということを最初から示唆していたのだから。
「待てど暮らせどその約束の日に彼は来なかった。一晩中その場所で待ってたけど彼は来なかった。朝日が昇っても待ってたんだよ?笑っちまうだろ?」
気恥かしいというような表情で語るメイド長だったが、その表情の中に交じる別のものにアリアの胸がチクチクと痛んだ。
「そんな・・・・」
「最初から無理な話だったのさ。屍者が自分の主に逆らって逃げようなんてね。それもわからくなるくらいのぼせちまってたんだねぇ」