その夜に流れた涙は、ほんの小さな一滴であった。
されど、どの様に小さき涙でも、それが“陽神の涙”である以上は
新たに“座”を選び、石を授けるという事には変わりない。
国が思ったよりも早々に発見されたその涙は、
成人を前に“神児”として評価際立つ若者に、役目と共に授けられた。
彼の名は“クレオ”。 “座”の歴史の中で最年少で選ばれた若人。
“座”に就いて後の彼は、持ち前の溢れる若さで国を駆け巡り
難事災事を解決し、国を善くする事に大いに貢献しました。
彼が“座”に選ばれた理由の中に、
両親が先立ったクレオには、努力と才で培ったものを発揮する事が生き甲斐であったから
とありました。
彼は只管役目をこなしました。
それは他の“座”の者が期待していた以上のものでした。
「何かを求める様に、または何かを忘れたいがために彼はその身をすり減らしているのではないでしょうか?
彼には止まり木が必要でしょう。 でなければ、彼は自らを折り絶えるのではないでしょうか」
当時の王妃が“座”の仕事ぶりを御観あそばれた際の一言とされている。
そして彼はその木を見つける。 それが彼を終らせる事になるとも知らずに。
クレオは闇街の調査に来ていた。
役人章を隠し、人混みに紛れて。
害の多いと街ごと潰すだけならそう難しくも無い。
しかしそれでは何かが国から消えるだけで、益を生む可能性諸共である。
排するよりも理解し、活かす。 それは“座”の示す道の一つでもあった。
ふと彼が呼びかけられ誘われた娼館の一室で出会う。
人買い商により何処からか連れて来られたであろうその娘はダークエルフ。
少女を少し脱した彼女の目は、諦めと辛苦が積もる日々の中でも輝きを失っておらず、
クレオは儚げながらも魂の輝きを抱く力強い彼女に何の迷いも無く惹かれた。
娼婦の名は“ファトラ”。 しかしその名が本当の名であるかは今でも分かってはいない。
役目から外れながらも足繁く娼館へ通うクレオは、ファトラを館から身請けし
共に人生を歩んでいこうと思った。
しかし娼婦の値段は、買いが五倍の請けが百倍と言われるほど
普通の奴隷と比べると破格の値であった。
加えて娼館の主には強欲な者が多く、焦がれる者の足元を見て払えぬと分かる額を提示するのが常。
多分漏れず、クレオの打診にも有り得ない額で応えてきた。
娼婦が想っても、その想いを相手に打ち明けないのは、それが相手を滅ぼしてしまうと悟っているからである。
ファトラも同じくそうであったが、クレオの洞察力と若い熱き想いは何の躊躇も無く、彼をその“失敗”へと後押しした。
役人章である“陽神の涙”を売り、その金でファトラを身請けしたのであった。
彼の中には既に“座”の役目よりも彼女が、これからの二人の人生の方が大きくなっていた。
しかし、“座”はそれを許しはしなかった。
神が世に落とした、憂いを払えという意思であるとされる輝石を売るという事は、
国よりも尚上の、神に叛く行為であると“座”は判断し
独断によりその愚考を“無かった事”にしようとする。
程無くクレオは夜の闇の中で処断され、“陽神の涙”は速やかに“座”の元に戻されたという。
若さ故の、責よりも心に殉じた結末は、知る者全ての口を封じ終った。
── かの様に見えた。
当時でもそういった荒事に精通していない“座”の場当たり的かつ急遽なる行動故、綻びがあった。
クレオと同じ位に事に関わったとされるファトラの行方が掴めなかったのだ。
自らの危機を察したクレオが早々に手を回したのかは定かでは無いが、
秘密裏に事を運ぼうとした“座”の手際の悪さも相俟ってか、ファトラの行方は知れず仕舞いだった。
── 彼女自らが起つまでは。
当時、まだ
ラ・ムールの支配届かぬ地は多く、特に広い砂漠にはまだカーにも従わぬ民も多かった。
そういった不従の民の中でも強大な力を有する蟲人族と殻人族をまとめる双璧、
“針の王”と“棘の王”が突如ラ・ムールへ叛旗を翻したのである。
やがてラ・ムールに一通の文が届く。
差出人は“クレオム=ファトラ(クレオのものであるファトラ)”、
内容は一行にて簡潔なれど凄惨漂う
「我が想いを知れ」
とだけあったと言われている。
どの様な手管を聾したかは分からぬが、今正に不従の民の殆どが国へ攻め込まんとしているのは事実であり、
その事からクレオの処断がカーにまで知られる事に繋がったのである。
事態を重く見たカーは、臣下の制止するのを一喝し、単身で国に迫る群れの本陣に向かったという。
それは、決して不従の民の討伐や双王との決着の為ではなく
ファトラに対して“座”が国がクレオに行った一連の謝罪をする為だった。
武器を持たず、身一つで本陣に現れたカーは、自身の到来よりも先に騒然となっていた場に困惑した。
その騒然の原因は、国を攻める算段の途中で突如“ファトラ”と“針の王”が消えてしまったからというものである。
混乱する場を収めたカーは、以後、不従の民との交渉を多く持ち国を共に良くして行く事を約束し
争いは未然に防がれた。
その後、カーの勅命によりファトラの行方は幾度と無く捜索されたが、見つからず
時の流れる中で事の顛末は国の大事を収めたカーの偉業だけが残ったとされている。
“座”はより一層人選を厳密に行い、登用と任にも強い国礎の理念であたる様になったという。