【ディセトで閑話休題 ある役人と娼婦】

 昼間の偽者騒ぎにも何ら動じず“座(マール)”のウズィと名乗った猫人は、すんなりと打ち合わせの段取りに乗ってきた。
 陽が爪先を隠す夕方を背負う娼館に、“座”の証である“陽神の涙”で作られた役人章を提げて彼がやって来る。
見ようによっちゃあキャバレー接待にも見えなくもないねぇ。
「これが今回のスライム路の敷設工事の全容図です」
 美織が差し出した筒から音も無く大判図面を取り出し、これまた音も無く広げて見やる。
「成程。 規模は街全体に及ぶ大掛かりなものですが、水路との併設と大動脈路との交錯具合を善く考えておいでだ。
これならば地精霊を徒に騒がせる事も無いでしょう。 着工を許可します」
「ふぇふぇ。お国の大役人様のお墨付きが出たのぅ」
「予定していた資材と人夫の発注は速やかに行っておこう」
 歯の所々抜けたにこやかな笑顔ででか鼻を擦るアンダーバの隣、
 左腕一本で器用に紙とペンを同時に繰り指示を書き並べ、背後のスフリに渡すブレア。
「しっかし姐さん、この能面みたいな猫役人!こんだけ周囲にキレイどころが行ったり来たりしてるってのに眉一つ動かさないスよ!?
俺は役人の『私は何でも出来る完璧超人ですよー』みたいな空気がホント気に食わないんスよね!」
「魅力を感じないのー?」
「おっきなおっぱいじゃなきゃだめー?」
通りがかった二人のハーピーが控えめな胸を擦って見せた。
 確かに娼館入ってすぐの大ホールの片隅の机。周囲背後には館の美嬢達が忙しなく行き交っている。
 男であれば眉の一つ髭の一本でも動かして見せるのがマナーとも思えるが。
 能面と揶揄されたウズィの糸の様な目から鋭く冷たい眼光が覗いたのは、
 昼間の偽役人の喉を握り潰そうとした時から、まだ一度も無い。
「そういう事は思ってても口に出さない」
 筒でおでこをあうちと叩かれた与市は逆にムキになり再度ウズィを指差すも、
 能面たる彼の眉はぴくりともしなかった。 ──が、
「いえいえ。 いくら民から選りすぐられた我ら“座”の者と言えども人であることには変わりませんよ。
人である以上、失敗は必ずあります。
重要なのは起こしてしまった失敗を理解、把握し、次にそれを起こさぬ様、次の次に活かす事です」
「これは意外だねぇ。 私もてっきり失敗など御座いませぬと言うものとばかり。
どの役人にも有無を言わぬ特権を与えられ、国の礎を築くために奔走する全ての民の下にいる者達ってのは伊達じゃないってわけだ」
 ウズィの差し返す図面を受け取る美織が本当に意外そうな目で茶縞の顔を見つめる。
「はっはー!失敗するってあれだ、役人サマにありがちなカネとオンナってとこだろ?!」
 ごつん
「お前はちったぁ己の失敗を反省せんかい」
 段碌の岩拳骨が、調子を吹く軽頭を諌める。思わずその場に蹲る。
「その通りですよ。 我々“座”の史の中で最も大きな失敗とされているのがそれ、
女絡みで金による失敗なのですよ。 善く分かりましたね」
 一人小躍りしてはしゃぐ与市に何の機微も見せずに淡々と続く。
「とは言っても二千年…ほど前の話で、“座”でも事例と言うよりも訓話の様なものになっていますが」
「それはちょっと興味あるわねー。 是非聞きたいねぇ」
 美織の、何の気無しに小声での呟きに眉が動く。
「分かりました。 嘘と誤魔化しは人の本質を堕するもの。
我々“座”は常に真実の元に在るが絶対。
訪ねられたからには、御応えしましょう。 彼の者の失敗と、その顛末を ──


 その夜に流れた涙は、ほんの小さな一滴であった。
 されど、どの様に小さき涙でも、それが“陽神の涙”である以上は
 新たに“座”を選び、石を授けるという事には変わりない。
 国が思ったよりも早々に発見されたその涙は、
 成人を前に“神児”として評価際立つ若者に、役目と共に授けられた。
 彼の名は“クレオ”。 “座”の歴史の中で最年少で選ばれた若人。
 “座”に就いて後の彼は、持ち前の溢れる若さで国を駆け巡り
 難事災事を解決し、国を善くする事に大いに貢献しました。
 彼が“座”に選ばれた理由の中に、
 両親が先立ったクレオには、努力と才で培ったものを発揮する事が生き甲斐であったから
 とありました。
 彼は只管役目をこなしました。
 それは他の“座”の者が期待していた以上のものでした。
 「何かを求める様に、または何かを忘れたいがために彼はその身をすり減らしているのではないでしょうか?
 彼には止まり木が必要でしょう。 でなければ、彼は自らを折り絶えるのではないでしょうか」
 当時の王妃が“座”の仕事ぶりを御観あそばれた際の一言とされている。
 そして彼はその木を見つける。 それが彼を終らせる事になるとも知らずに。
 クレオは闇街の調査に来ていた。
 役人章を隠し、人混みに紛れて。
 害の多いと街ごと潰すだけならそう難しくも無い。
 しかしそれでは何かが国から消えるだけで、益を生む可能性諸共である。
 排するよりも理解し、活かす。 それは“座”の示す道の一つでもあった。
 ふと彼が呼びかけられ誘われた娼館の一室で出会う。
 人買い商により何処からか連れて来られたであろうその娘はダークエルフ。
 少女を少し脱した彼女の目は、諦めと辛苦が積もる日々の中でも輝きを失っておらず、
 クレオは儚げながらも魂の輝きを抱く力強い彼女に何の迷いも無く惹かれた。
 娼婦の名は“ファトラ”。 しかしその名が本当の名であるかは今でも分かってはいない。
 役目から外れながらも足繁く娼館へ通うクレオは、ファトラを館から身請けし
 共に人生を歩んでいこうと思った。
 しかし娼婦の値段は、買いが五倍の請けが百倍と言われるほど
 普通の奴隷と比べると破格の値であった。
 加えて娼館の主には強欲な者が多く、焦がれる者の足元を見て払えぬと分かる額を提示するのが常。
 多分漏れず、クレオの打診にも有り得ない額で応えてきた。
 娼婦が想っても、その想いを相手に打ち明けないのは、それが相手を滅ぼしてしまうと悟っているからである。
 ファトラも同じくそうであったが、クレオの洞察力と若い熱き想いは何の躊躇も無く、彼をその“失敗”へと後押しした。
 役人章である“陽神の涙”を売り、その金でファトラを身請けしたのであった。
 彼の中には既に“座”の役目よりも彼女が、これからの二人の人生の方が大きくなっていた。
 しかし、“座”はそれを許しはしなかった。
 神が世に落とした、憂いを払えという意思であるとされる輝石を売るという事は、
 国よりも尚上の、神に叛く行為であると“座”は判断し
 独断によりその愚考を“無かった事”にしようとする。
 程無くクレオは夜の闇の中で処断され、“陽神の涙”は速やかに“座”の元に戻されたという。
 若さ故の、責よりも心に殉じた結末は、知る者全ての口を封じ終った。
 ── かの様に見えた。
 当時でもそういった荒事に精通していない“座”の場当たり的かつ急遽なる行動故、綻びがあった。
 クレオと同じ位に事に関わったとされるファトラの行方が掴めなかったのだ。
 自らの危機を察したクレオが早々に手を回したのかは定かでは無いが、
 秘密裏に事を運ぼうとした“座”の手際の悪さも相俟ってか、ファトラの行方は知れず仕舞いだった。
 ── 彼女自らが起つまでは。
 当時、まだラ・ムールの支配届かぬ地は多く、特に広い砂漠にはまだカーにも従わぬ民も多かった。
 そういった不従の民の中でも強大な力を有する蟲人族と殻人族をまとめる双璧、
 “針の王”と“棘の王”が突如ラ・ムールへ叛旗を翻したのである。
 やがてラ・ムールに一通の文が届く。
 差出人は“クレオム=ファトラ(クレオのものであるファトラ)”、
 内容は一行にて簡潔なれど凄惨漂う
 「我が想いを知れ」
 とだけあったと言われている。
 どの様な手管を聾したかは分からぬが、今正に不従の民の殆どが国へ攻め込まんとしているのは事実であり、
 その事からクレオの処断がカーにまで知られる事に繋がったのである。
 事態を重く見たカーは、臣下の制止するのを一喝し、単身で国に迫る群れの本陣に向かったという。
 それは、決して不従の民の討伐や双王との決着の為ではなく
 ファトラに対して“座”が国がクレオに行った一連の謝罪をする為だった。
 武器を持たず、身一つで本陣に現れたカーは、自身の到来よりも先に騒然となっていた場に困惑した。
 その騒然の原因は、国を攻める算段の途中で突如“ファトラ”と“針の王”が消えてしまったからというものである。
 混乱する場を収めたカーは、以後、不従の民との交渉を多く持ち国を共に良くして行く事を約束し
 争いは未然に防がれた。
 その後、カーの勅命によりファトラの行方は幾度と無く捜索されたが、見つからず
 時の流れる中で事の顛末は国の大事を収めたカーの偉業だけが残ったとされている。
 “座”はより一層人選を厳密に行い、登用と任にも強い国礎の理念であたる様になったという。


「と、言う事ですよ。 私としては一人の者に国を担う責以上の何かを感じるという事が理解出来ませんがね」
「う~ん熱いねぇ。 私は分からなくもないわよ?全てを相手にしてでも貫き通したい想いってのは」
「情熱的ー」
「でもファトラはどこいっちゃったのー?」
「…私であればもう少し時をかけ策を練り、必倒が見えてから攻め込むが。
 相手がカーを含む国全体であれば、その国から崩して行くのも良い」
「こわっ! 姐さん、ダークエルフってマジ怖いスね」
「おいおい、物騒な話をしているじゃないかブレア。
何処に国の耳が立っているか分からない状況で、そういう物言いは誤解を生んでしまうよ」
「ブレア、目の前にいるお役人様を忘れては駄目よ?」
「おぉ、エンジェル。今晩も美しいね」
「…リチャード、皆の前ではそう呼ばないでって何度も言ったのに」
 話を聞いた者の中で、誰がどうしたら良かったとか自分ならどうするだとか騒がしくなる。
「“名”を忘れて欲しくなかったんじゃろうのぅ…
自分が想った者を、自分を想ってくれた者の名を忘れないで、と。
本気で国をどうこうしてやろうなどとは思っておらなんだろう。 多分、じゃがのぅ」
「言うねー婆さん! ちょっと染みたスよ」
「…成程。 その言葉、今後の参考にさせていただきましょう」
「「アンダーバも熱い想いとかあったのー?」」

 ハーピーの問いかけに言葉無く、唯でか鼻を擦るだけで応えたアンダーバは、
 相変わらずな笑顔のままで奥へとぼとぼと歩き去った。


時系列的にはディセトで仕事が始まる直前くらいのものなのですが
ちょっと間wiki活動が出来なくなるのでフライングで出してみました
ダークエルフの娼婦は何処へ消えたのか? それは異世界の誰にも分からない

  • クレオパトラがゲート転移したダークエルフ説?どんなご褒美ですか?何だかもっと色んな地球のものを異世界と関連付けれそうに思えてきた -- (としあき) 2013-02-10 03:44:54
  • アンダ婆さんの過去に一体何があったんだろう。本編(?)の方にも期待 -- (名無しさん) 2013-02-10 16:03:10
  • 世界の歴史でも謎めいてたり神秘性のある人物はひょっとしたら亜人や異種族だった?というのはイレヴン世界ではよくあることなのかも -- (名無しさん) 2013-02-12 04:16:38
  • 舞台をディセトカリマに置いてのラムール展開は規模を収めやすくて上手いなと思った -- (としあき) 2013-02-13 06:50:00
  • 娼館がとても楽しそうな雰囲気で後ろめたい気負いもなしで気軽に入っていけそうだ -- (名無しさん) 2013-02-15 07:41:25
  • 個々のキャラがしっかりしているので読んでいて迷わないのが面白いですね。地球の歴史と異世界の歴史が交錯し混ざるのも交流の姿のひとつでしょうか。アンダーバの過去が少し気になりました -- (名無しさん) 2016-02-07 18:08:05
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最終更新:2013年03月25日 23:56