「ヤッ!ヤーッ!」
中央アジアを思わせる地平線まで続く大草原に羊を追う声が響く。
「ヤーッ!ハッ!」
ケンタウロスの羊飼いの少女が穂先にカラカラと鳴る小さな鐘のついた棒を手に羊の群れを追い立てる
「ヤナン!またいつもの仔!群れに戻して!」
ケンタウロスの少女の指示で羊たちの群れの中をまるで牧羊犬のように狗人の少年が素早く駆け回り、時には羊の背を何頭も飛び越えながら群れから外れようとする羊や指示に従わぬ群れを追い立てて流れに戻していく。
「ヤーッ!ヤーッ!」
そうしてしばらく羊を追い立てる声が響き、夕暮れが迫る頃には羊を全て柵の中に追い込んで彼らの一日の仕事を終える。
これが東部
イストモスに暮らす遊牧ケンタウロス部族のごくごく有り触れた日常の光景
そして私はそんな光景を写真に収めている、地球というここではない別の世界から来た旅人だ。
この世界の空の景色はとても美しい。
空だけではなく全ての景色が地球と似ていながらどこか違い新鮮なのだがとりわけ空の美しさは段違いだ。
この世界の工業レベルは一部を除いて産業革命以前であり、そのため工業や製鉄によって発生する煤煙などでの大気汚染が少ないというのが大きな理由だろう。
地平線に沈む太陽と、それと共に刻々と色を変えていく空をカメラのファインダー越しに覗く私の隣に、ふと気配を感じて振り向くと先ほど羊を追って群れの中を駆け回っていた狗人の少年が立っていた。
「やぁヤナン、どうしたんだい?」
私はもうすっかり顔馴染みとなった彼に声をかける。
「・・・・」
少年は無言。まぁいつものことだ。この少年人見知りというわけではないのだが極端に口数が少ない、私がここに来てもう3週間くらいにはなるがその間この少年は必要最低限の言葉を発するところしか見たことがない。
「食事の用意ができたから呼びに来てくれたのかな?」
彼は無言のまま頷く。
「ありがと」
私はヤナンに軽く謝意を述べるとカメラをカメラケースに仕舞っていく、その間彼はずっと私の横に立ってカメラのほうを見ているのが背中越しでも視線や気配でわかった。
「・・・ヤナン、今度写真を撮ってみるかい?」
薄々気がついていたことだが、この際だからと私は彼に思っていたことを切り出してみた。
「・・・・・」
彼は無言のままだったがなんとなく驚いていることがわかった。
「・・・・いいの?」
シッポがパタパタと左右に普段より大きく揺れていることからも彼の感情が読み取れる
「いいよ。夕飯のあとに僕のところに来るといい。カメラの使い方とか教えてあげるよ」
「・・・・うん」
そしてカメラなどを片づけた私はヤナンと連れだって夕食の匂いが漂ってくる家路へとついた。
東部ケンタウロスの住居は地球のモンゴルなどで見かけることができる移動式住居のゲルにとてもよく似ている、というかほとんどそのままだ。
呼び名はゲルではなくマクヤと言う。
規模はかなり大きくケンタウロスの大きな体でもまったく窮屈と思うことなくゆったりと横になり体躯を休めることができる。
床には厚みのある絨毯が何枚も敷かれ、おそらくその下はゲルと同じように断熱の目的で牧草と乾燥した羊のフンが敷かれているのだろう
東部ケンタウロスの一家族の平均的なマクヤの構成は食事など一族が全員集まる場所としての機能をもつ大マクヤを中心に、それを取り囲むように親・子供・一緒に暮らす狗人の家族が寝起きする小マクヤなどが立ち並び、さらに煮炊きなどを行う竈のある専用のマクヤが少し離れた場所に立つという具合だ
家族や血縁での集まりが大きくなればなるほどこの構成が大きくなる。
「サトゥ、ここにはあとどれくらい居られるのかね?」
夕食の席で私は、この地での滞在先を引き受けてくれたシフェリ家の家長であるエイベンさんにそう尋ねられた。
サトゥとは佐藤大輔つまり私のことだ。
大マクヤの中央に湯気の立つ料理が並びそれを囲むようにエイベンさんの家族とシフェリ家と共に暮らす狗人のイム家の家族が並ぶ
客人として招かれている私は家長であるエイベンさんの隣に座り、その横で大きな体に豊かな顎髭という如何にも東部ケンタウロスの家長と言った風貌のエイベンさんが、その大きな体の下にいくつもクッションを敷いてそれに体を預けるようにして座り、周りに座るエイベンさんの家族も同じように色鮮やかな刺繍が施されたいくつものクッションを敷いてくつろいでいる。
前に聞いた話ではこのクッションに施された刺繍には「男柄」と「女柄」があるのだとか
言われて改めて観察するとたしかに男性と女性が使っている物では図柄が異なるのがわかる。
男性は鳥や獣を象った図柄で女性は草花を象った図柄だ。
さらに周囲の様子を詳しく言えばエイベンさんの家族と家族の間に一人ずつイム家の人が座り部屋の中央に置かれた大皿に盛られた料理を木皿に分けて隣に座るシフェリ家の人々に渡している。
ケンタウロスは屈むという動作ができないことはないが苦手だ、だからそういったことは狗人が彼らに代わって引き受けている。大昔から続く共生関係の一端だ。
「そうですね・・・持ってきたフィルムが残り少なくなってきたのであと一週間くらいを考えてます」
横に座ったヤナンに差し出された料理の盛られた木皿を受け取り、中に入った豆と羊肉の煮物をクゥと呼ばれる薄焼きパンをスプーン代わりにして口に運びながら私は応える。
まだ皿と料理が行きわたらずにいるのに自分だけさっさと料理に口をつけるということに日本人である私は最初ためらいを覚えていたが「客人が口をつけなければ家人も料理を口にすることができない」とエイベンさんに教わってからは料理を渡されたら急いで口をつけるようにしている。
文化が違えばいろいろと食事の作法も違うのだ。
「一週間か。もっと居てくれても構わんのだがな」
エイベンさんは残念そうにそう言う。
もっともこういった地域の人たちは客人を歓迎することが重要な行事なので社交辞令で「もっと居てくれても構わない」と言ったりするので鵜呑みにも出来ない。
「そうしたいのは僕も同じなんですが、これも仕事みたいなものなので」
私は彼らのホスピタリティーを傷つけないように言葉を選びながら応える。実際フィルムの残りを考えるとあと一週間程度の滞在が限度だろう。
「残念だ。サトゥから聞く話はどれも面白いし娘やヤナンも君にすっかり懐いている。どうかね?チキュウに帰らずここに住んだら?」
「ははは、魅力的な提案だと本当に思いますが、僕もまだまだ故郷に未練がありますので今回は謹んで辞退させていただきます」
「そうか。つくづく残念だ」
エイベンさんはなんだか今度こそ本気で残念に思っている声色でそう言いながら私に馬乳酒をすすめてくる。
「あ、すみません。今日はちょっと・・・」
そこにさらに追い討ちをかけるようで申し訳なかったのだが私は木のコップの淵に軽く指を置いてエイベンさんに示す。
これがこの地域での丁寧な酒の断り方なのだとシフェリ家に滞在することとなった初日の夜に、勧められるがままに馬乳酒を飲みぶっ倒れた私にエイベンさん自らが教えてくれたことだった。
「ん?食事のあとに何か用事かね?」
それを見たエイベンさんが傾けかけた酒瓶を止め私に尋ねる。
「えぇ、ちょっと」
「ではチキュウの話も今日はお預けか・・・今日は随分と星神の加護が薄い日のようだ」
エイベンさんは寂しそうに注ぐ相手を失った酒の瓶を自分のコップに向けながら不満を漏らす。
「すみません・・・・・」
「エエーーーッ!?サトゥ今日はお話してくれないの!?」
別の方向から声が上がる。先程ヤナンと一緒に羊を追い立てていた少女、エイベンさんの一人娘であるラタさんだ。
「ラタ、お前もやるべきことがあるだろ?滅多にない客人、それもこの世とは別の場所から来たという世にも希な客人ということで今まで大目に見てきたが衣装支度はまだ残っているだろ?」
「それは・・・・」
エイベンさんの言葉に言い淀むラタさん
「まぁまぁ、そう言った話は後にいたしましょう。せっかくの料理が冷めてしまいます」
そう口を開いたのはエイベンさんの隣に座っているヤナンの父親であるヌワンさんだ。
ケンタウロスの中でもかなり大柄だと言うエイベンさんとその隣に座る狗人としては小柄だというヌワンさんの対比はなかなかほほえましい。
しかし、エイベン家のもう一人の主は間違いなくこのヌワンさんであり、その言葉にエイベンさんも
「ん、そうだな。まずは食事を楽しもう」
と頷き。
「はい」
ラタさんもそれに素直に同意する。
その様子からシフェリ家でのヌワンさんがどのような立ち位置かということがわかる
シフェリ家と共に暮らす狗人の一族の家長であり、シフェリ家を影に日向に支える存在がこのヌワンさんなのだ。
そうして再び夕食が始まり、やれどの料理を取ってほしいだ、これは美味しいだとかパンのおかわりは?などという会話がしばし交わされる。
ケンタウロスの食事にかける時間は驚くほど長い
夕刻から食べ初めて会話を交えつつ2~3時間というのはザラだ
さらに男衆の場合はそこから酒が入りさらに数時間ということにもなったりする
ただ彼らの食事は朝と夜の一日二食が基本で、お昼時にあたる時間に軽く食べることはあってもそれは食事には含まれない。我々の感覚でいうオヤツみたいなものだ。
さらに言えばその大きな体ゆえに当然ではあるが皆よく食べる。
最初にエイベンさんの家に招かれた時の歓迎の料理の種類と量にも驚いたが普段の量にもいまだに驚く。
部屋の中央にはドン!ドン!ドン!と山のように料理が盛られた大皿が並び、その横にこれまた塔のように積み重ねられたクゥが置かれ、それが数時間後には跡形もなく彼らの胃袋の中に消えてしまう。
上記の理由から食事の間の会話を楽しむ習慣のある彼らにとって珍しい異国の話などをしてくれる旅人は大変ありがたい存在であり、そこから彼らの旅人へのもてなしの精神が生まれたのではないかと私は思っている。
「日本に居た頃は「早飯の佐藤」なんて言われてたのが、今じゃすっかりスローフードライフだなぁ」
早めに切り上げたとは言えたっぷり一時間以上食事に費やしその場から退席した私は、そんなことを一人呟きながら現在提供され自室として使用している客人用のゲルに戻りガサゴソとリュックの中を漁り準備を始める。
「このカメラは大事な商売道具だからさすがに触らせることはできないから・・・こっちとこっちかな?」
そう言って私は絨毯が敷かれた床の上にもはや日本国内でもあまり見かけなくなった使い捨てカメラと万が一の保険としてもってきたデジカメを置く
「デジカメはこっちに来てほとんど使ってないからまだバッテリーは十分あるし、こっちもまだいくつか残ってるからひとつくらいヤランにあげてもいいだろう、本当はポラロイドでもあれば一番喜ぶんだろうけど使い捨てカメラ以上に今じゃレアで手に入らなかったからなぁ」
無いものは仕方ないと気を取り直してデジカメの本体にバッテリーを入れたり使い捨てカメラを袋から出したりしつつしていると外でガサゴソと誰かが近づいてくる音が聞こえてくる。
「ヤナン?思ってたより早かったね」
「・・・・」
私の声を入室の許可と捉えマクヤの入り口が外から開けられヤナンがマクヤの中へ入ってくる。
「おじゃましま~す」
その背後からラタさんが姿を現す。
「・・・あれ?」
予想外の来訪者に私は驚きの声を漏らす
「・・・・途中で見つかった」
そう短く語る彼の言葉よりも、彼の背後でシュンと垂れさがったシッポが彼の心境を如実に物語っている。
「何かコソコソしてると怪しんでたらこの通り、私に内緒で一人でサトゥと何するつもりだったの?」
「なにも・・・しないよ・・・」
「嘘おっしゃい!あなたが嘘つく時は鼻がヒクヒクするからすぐにわかるわ!」
それを言われた途端ヤナンのシッポがピンとなり自分の鼻を手で覆い隠す。
「嘘よ。どうやら図星みたいね」
「・・・・」
私から言わせれば顔の表情や声色を見るまでもなくシッポの動きでヤナンの心情が丸わかりなのだがこの二人はあえてそこには触れないようにしてるらしい。
「それで?男二人で何をしようとしてたのかしら?」
「いやぁ、ヤナンがカメラに興味があるらしいからカメラの使い方を教えてあげようかなと思ってね」
「私も!私もヤナンと一緒に教えて!」
「・・・やっぱりだ」
ヤナンはさもありなんという口調でボソリと呟く
「何よ!ヤナンだけカメラを教えてもらうなんてズルイわ!」
それに反応したラタさんがヤナンに詰め寄る
「・・・・」
ヤナンはソッポを向いて黙りこむ
「まぁまぁ、ヤナンはカメラに興味があるって知ってたから誘っただけだよ。ラタさんもあまりこういうことを話すこともなかったからカメラに興味あるとは知らなかった」
「父さまがお前はもう子供じゃないんだからあまり殿方と話すのはよくないって・・・」
「あーー・・・」
そこでふと知人との会話を思い出す。
西部イストモスは男性より女性の権威が強く男女同権的な気風が強いらしいのだが東部イストモスは中央アジアやイスラム圏のような価値観が強いのだと聞く
実際シフェリ家に滞在しての三週間の間にエイベンさんやヌワンさんとは毎晩遅くまで酒を飲みながら話すことはあったがシフェリ家やイム家の女性とは数えるほどしか話したことがない。
その話す機会も朝食や夕食など大勢の中でがほとんどで振り返ってみるとサシで会話したということはあっただろうか。
「なるほどたしかに・・・」
私は一人得心する。
「それで?カメラってどうやるの?」
「夕食抜け出してサトゥの部屋に居るのがバレたら怒られるよ・・・?」
ヤナンはいまだラタに諦めさせようとしているのか普段と比較すると信じられないほど口数多く発言している。
「大丈夫よ!父さまも母さまもまだしばらくは食べ終わらないだろうし」
「・・・・」
ヤナンはラタさんの説得は無理とそれ以上言葉を発することを諦めたようだった。
「それでサトゥ、どうすればいいの?」
「まぁ、まずは僕が箕本を見せるからそれを見てほしいかな」
そう言って私はデジカメを手に取り電源をオンにする。比較的最近購入したデジカメのため電源を入れてすぐに使用可能状態となり、背面ディスプレイにヤナンとラタさんを捉えシャッターを押す。
室内の光量がランプと地球からもってきたLEDライトだけということで撮影はどうしてもフラッシュが機能してしまう
「眩しい!」
室内に溢れた光にラタさんもヤナンも眩しげに目を細める。
「ごめん!昼間ならいいんだけどね。夜はどうしてもフラッシュが働いちゃうなぁ・・・」
そう言いながら僕は撮れたばかりの画像をラタさんとヤナンに見せる
「これ私!?」
「僕・・・?」
フラッシュのせいで全体的に白く飛んでる印象が強く二人とも眩しそうな顔をしてはいるがそれは紛れもなく二人の姿だ。
「すごいすごいすごい!シャシンってまるで魔法みたいね!ううん!魔法よりすごい!神様の奇跡みたい!」
「神様の奇跡なんかじゃないけどね。とまぁこんな感じで写真は撮れるわけ」
あまりにもおおげさで素直な表現にこそばゆささえ感じながら今度は使い捨てカメラを手に撮る
「カメラっていろいろあるのね」
絨毯の上に置かれた仕事用のカメラ・デジカメ・使い捨てカメラの三点を見比べながらラタさんが言う。
「うん、地球人はいろいろと写真に撮りたがるからね」
「どうして?」
「どうしてかな・・・思い出を忘れたくない・・・のかな?」
カメラマンという仕事を生業としていながら改めてそんな問いをぶつけられて曖昧な言葉しか答えられない自分に情けなさを覚える。
「カメラマンで生計立ててるのに表現が浅いっていうか・・拙いよなぁ・・・」
落ち込みそうになった気分を切り替えて、手に取った使い捨てカメラの撮影準備をはじめる、久しぶりにジリリジリリとフィルムを巻く音を聞いた瞬間学生時代の修学旅行の思い出が蘇る。
「懐かしいなぁ、使い捨てカメラなんて使うの何年ぶりだろ・・・」
そんなことを言いつつカチリと音がするまでフィルムを巻きあげる。
「さて、これで良し。そして今は夜だからここの部分をこうしてっと・・・」
ストロボが使えるようににパチリと簡素なスイッチをオフからオンにする、ストロボランプが赤く点灯する。
「これで準備OKっと」
準備が整ったカメラをヤナンに渡す。
「あとそこののぞき窓をを覗き込んで撮りたいものを捉えてそこのシャッターを押せば写真が撮れるよ」
「ヤナン、私に最初にやらせて!」
もう待ちきれないとばかりにラタさんが横からカメラに手を伸ばす
「あ!やだよ!サトゥが僕にって渡してくれたじゃないか!」
「あなたにとは言ってないわ!」
「ラタにとも言ってないよ!」
そう言ってカメラをめぐってちょっとしたもみ合いになるヤナンとラタさん
パシャッ!
シャッターの音と眩しいフラッシュの光がマクヤの中を明るく照らす。
「「あ・・・・・」」
もみ合った拍子にシャッターを押してしまったのだろう。ヤナンとタラさんの二人が間の抜けた声を漏らす。
「慌てなくても順番に使い方を教えるから。まずはヤナンからね」
「はい・・・・」
ヤナンとラタさん二人に順番で使い捨てカメラの機能や使い方を簡単に教えてそれぞれフラッシュを焚いた場合とそうでない場合2枚ずつ撮影させる。
「でもコレさっきのと違って絵は見れないのね?」
ラタさんはカメラの裏側を眺めながら不満そうに呟く
「すごく簡単なつくりのカメラだからね。こっちのカメラが特別なんだよ」
ざっくりとした表現で使い捨てカメラとデジカメの違いを説明する。正直私もカメラの撮影方法やメンテナンスの方法の知識があってもデジカメの仕組みなどの知識は無いのだから仕方がない。
「ふ~~~ん」
ラタさんがなおも使い捨てカメラやデジカメを見比べたり持ち誓えたりして違いを観察しているとマクヤの外でガサゴソと誰かがやってくる音が聞こえ
「やっぱり!早くに食事を切り上げてどうしたのかと思って心配したら・・・殿方のマクヤに入って騒ぐなんて婚礼前の娘がすることじゃありませんよ!」
「か、母様!」
マクヤの入り口が開きラタさんのお母さん、つまりエイベンさんの奥さんであるククリラさんが顔を覗かせる。
「サトゥさん娘がご迷惑をおかけしてすみません」
「いえいえ、そんな・・・」
「ヤナン!あなたもあなたですよ?ラタのわがままに流されちゃダメといつも言ってますよね?」
「はい・・・」
ククリラさんの強い口調にヤナンは尻尾だけではなく耳までパタリと倒してシュンとなる。
このあたりはもう家庭の事情なので部外者である私が口を挟めるところではないとただただ見守ることしかできない。
「さぁラタ、衣装支度の準備をしますよ?」
「はぁい・・・」
「サトゥさん、よい星の夜を」
「はい、よい星の夜を」
イストモスでのおやすみという意味の言葉を交わしてククリラさんがマクヤを後にする
ククリラさんに強く促されてラタさんがションボリとマクヤの外へと出て行きガサゴソと二つの足音が遠ざかっていく。
「ラタは次の星神様の祭りの日にお嫁に行くんだ・・・」
ラタさんがククリラさんに連れられて退室してしばらくした後ヤナンが小さく口を開いた。
「そういえば、一年に一度の祭の日に東部全域から部族が集まって合同で式を挙げるんだったね」
「うん、だからラタは今、嫁入り衣装の準備で忙しいんだ」
東部ケンタウロスは一年に一度東部全域からロロカヌイと言うとても綺麗な湖がある場所に家族単位・部族単位で集まり、そこで許婚を決めたり式を挙げたりするのだと前にイストモス各地で数年写真を撮っている知人に酒の席で聞かされたことがあった。
「さっき夕食の席でエイベンさんが言ってた衣装支度ってのがそのこと?」
「うん・・・ラタはああ見えて刺繍も上手いから式までには充分間に合うと思う」
「部族や家族ごとの刺繍が散りばめられたとても奇麗な嫁入り衣装だって聞いたことがあるよ」
「うん、ラタはきっと間違いなく奇麗だと思う・・・」
「そういえばラタさんの結婚相手ってどんな人なんです?」
ふと思った疑問をヤナンに訊ねる。
「小さい頃からの許婚、何度か来たこともある」
心なしかヤナンの口数が減ってきた気がする。
「なるほど・・・こういうところも中央アジアと似てるなぁ・・・」
風土が似ればそこで形成される文化というのも共通性が出てくるのだろうか?それとも過去にも両世界は交流があったという一部の学説のとおり何かしらの文化的交流があったからだろうか
そんなことを考えていると
「僕、帰るよ・・・」
ヤナンがそう言って立ち上がる。
「あ、うん。ヤナン良い星の夜を」
「うん。良い星の夜を」
そう言ってヤナンはマクヤを出ていった。
「はい。これはヤナンに。そしてこれはラタさんに」
「え!?私にも?」
翌日、朝食を終えて後片付けが終わった後、私はヤナンとラタさんに同行して羊に草を食べさせるために出かけ、そこで二人にそれぞれに一つずつ使い捨てカメラを手渡した。
「うん、使い方は昨日教えたから覚えてるね?それで好きなものを撮ってきていいよ」
「ホントに!?」
ラタさんは目を輝かせる
「ただしここにこういう模様が出たらもう写真は撮れないから、そうなったら僕のところに持って来てね?」
そう言って私は彼と彼女の前で地面に0を書く、ケンタウロスの数の数え方や数字を現す記号は地球のものとは異なるからだ。
そう言って手渡したカメラが再び私のところに戻ってきたのはラタさんがわずか1時間後、ヤナンは一日後のことだった。
「あっという間に撮れなくなった・・・」
僕の横に座り物足りないとばかりに不満を口にするラタさん
「まぁ、デジカメのようにパシャパシャ気楽に撮り放題とはいかないよなぁ・・・」
それに対して私は苦笑する。
「それに昨日のと違ってどんなものが撮れたかわからないのもつまんない」
「うん、それは同意する」
どんなものが撮れたか現像されるまでわからないのはそれはそれでフィルムカメラの醍醐味なのだが、彼女にとってはそこが最も不満なことだというのは理解できた。
「まぁ、現像したら今度届けに来るよ」
「本当に!?」
私の言葉にラタさんは大きな声を上げる
「あぁ、でもここから移動しちゃったら見つけられないかもなぁ・・・そうしたら誰か別の人に届けてもらうことになるのかな?」
地球の中央アジアなどで遊牧生活を送っている部族も手紙などのやりとりはかなりアバウトで近くまで行くという人から人へと託されて手渡されるということが今でも多い、それと似たことがこの地域でも当然のように行われているとエイベンさんが前に話してくれた。
「たぶんここにはあと二カ月は居ると思う。それから先はここから東に行った別の場所で三カ月過ごすの」
そう言ってラタさんは東の方角を指差す。
「トレジッキからはますます遠くに行ってしまうね・・・」
この場所から一番近い東部最大の都市の名を口にしながら私もその方角を眺める。
「これから半年はトレジッキからはますます離れていくわね。ラトゥーナのほうが近くなっていくと思う」
「ラトゥーナ・・・西部イストモスか・・・」
ラトゥーナとはトレジッキからは300キロ近く離れた西部イストモスの大都市だ。そんな距離を彼らは一年近くかけて時にその倍以上も家畜と共に移動するのだと改めて感心する。
「サトゥ、また来るっていつ頃になりそう?」
「帰国するまでたぶん順調に行ってもまた一カ月はかかるだろうから、何事もなくもう一度こっちに来ることになったとしても半年以上先かなぁ・・・
「そっか・・・」
「うん」
「あのね、できればでいいんだけどね?私の婚礼に来てほしいんだ」
「星神祭りの日にするっていう?」
「うん・・・来年の星月の中日」
星月とは地球で言う1月のことであり、中日とは第二週の末日を意味する。
「今は5月だから帰国に一カ月、そこから大急ぎで溜まった他の仕事を片付けて、再渡航の申請をして支度をしてこっちに向かって・・・ギリギリ間に合うかなぁ・・・」
頭の中で「何事もなければ」の期間と「何かあった場合」の期間のシミュレーションをする。こっちの世界の交通手段は平気で数週間から数カ月遅延したりが当たり前だから旅行計画はかなり余裕をもっておかないといけないのが常だ。
「うん、だからできれば」
「だけど人馬族の婚礼行事の画ってのは魅力的だよなぁ・・・もちろん撮影許可はしてもらえるよね?」
「もちろん!みんな喜んで撮ってくれって言うと思うわ!」
そう彼女は朗らかに優しく笑って答えた。
それから一ヶ月半後、異世界から無事帰国した私は自宅の暗室で現像作業を続けている。
ゲートが地球と異世界に開いてもう20年以上が過ぎようとしているが地球でのゲートの向こう側についての知識や認識はまだまだ浅くそして偏見も多い。
もちろん人権やら平等やらが叫ばれて久しく、それがあって当たり前な世の中と中世以前とした価値観が当然のものとして考えられている異世界とではその価値観の開きは埋めがたいものがあるのも事実だ。
そんな中で私のようなフリーのカメラマンやジャーナリストと名乗る者が何人も異世界に出向き彼の地のさまざまな場所の風景や人々をカメラに収め記録に収め地球へと持ち帰っている
中には同じカメラマンと一括りにされたくないと思うようなバカもいることはいるのだが概ねの連中は多少の功名心はあっても「ここではない別の場所を知りたい」という前時代の冒険家や開拓者のような気持ちでゲートの向こう側へと足を運ぶ。
もちろん中には不幸なことに二度の母国の土を踏むことができない者もいるとは聞くが私は好運なことに数度の異世界行を五体満足で帰ってこれている。
そんな想いと彼の地での一ヶ月ほどの滞在の日々を振り返りながら次に現像するフィルムをどれにしようかとネガを赤色灯に照らしていてそれに気がつく。
「・・・ん?」
やけに画面のブレた画が何枚も連続しているフィルムがある
「なんだ・・・?」
どうも同じ被写体を追っているようなのだが何を撮ろうとしているのかハッキリしない
「これはたしかヤナンに渡した使い捨てカメラのフィルムだよな・・・」
ネガを引き伸ばして確認していくとほどなくして被写体が何かがわかった。
「・・・なるほどね」
そこには生き生きと羊を追うケンタウロスの少女の姿が映し出されていた。
「うーーーん、使い捨てカメラでこれが撮れちゃうか・・・ちょっと負けた気がするなぁ・・・」
さすが狗人のズバ抜けた動体視力というべきだろうか。ほかにも様々な場面が映り込んでいるがどれもなかなかのものだ。
「とりあえずブレの激しい最初あたりのもの以外は現像かな・・・次はっと・・・」
次に手にとったフィルムにはお世辞にも上手く被写体を捕らえているとは言えないものが多かったが私はそれを見てなんとも心が温かくなる思いを感じた。
「お互いにお互いを大事に思うか・・・」
そこには狗人の少年の姿があり、見切れていたり焦点があっていなかったりとはするものの撮影者がどういう気持ちでこれを撮ったかというのが伝わってくる。
その日、あらかたのフィルムの現像作業を終え、冷蔵庫から冷えたビールを取り出し一息ついた私は郵便受けから郵便物を取り出し確認する
「山崎さんからの手紙だ・・・あの人今はイラクにいるのか・・・」
先輩カメラマンからの久々の生存報告代わりの手紙や公共料金振り込みの封書に紛れて見なれないしかし見覚えのある封書が目に入る
「おー。今回は受理早かったなぁ」
それは日本政府外務省からの渡航申請受理を知らせる封書だった」
急いで中身を確認した私は帰宅してから一部の荷物を抜き取ったりした後、大部分はそのままの状態で置かれた荷物を物置代わりにしている空き部屋から引っ張り出す。
そして再びガサゴソとアレが無いコレが足りないと言いながら荷物の準備を始める。 またイストモスへ、あのケンタウロスの少女と狗人の少年がいる場所を訪ねる準備に取り掛かる。
今度はポラロイドも持っていこう。そしてこの写真も。
そう私は自室のリビングボードの上に置いた写真立ての中に飾った一枚の写真を見やる
そこには草原の中で羊の群れを追う間のひと時の休憩時間に木陰で休むケンタウロスの少女と、その少女に寄り添うように眠る狗人の少年の姿が写っていた。
ふとつい先日再開した知人の顔と声がよぎる
「イストモスはいいとこだろ?お前は私と似てるからな。絶対何度も行きたくなるはずさ」
まったくその通りだよと心の中で賛意し私は再び旅路の準備に手を動かす。
ということでイストモスのお話です。
ファンタジーでケンタウロスで乙嫁語りな話が書きたい!という感じで書いて「表現力がぁ・・・文章力がぁ・・・」と毎度のことのように・・・
連作可能なようなつくりでこの後の展開もボンヤリとは頭の中にあるので機会があればまた続きを
- とても細かくしっかりとイストモス東部の文化が練りこまれているのが読み進めるごとに実感しました。カメラマンという色んな場所へ向かう職業は異世界でも自然に日常に溶け込めるのかなと思いました。淡い二人もそうですが種族の違い姿の違いなど些細なものなのかも知れませんね -- (名無しさん) 2013-03-14 18:14:40
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最終更新:2011年10月17日 12:27