十津那学園には巨大な図書館がある。
近隣姉妹校の摂津西カトリック大学との共同管理がなされており、異世界から持ち込まれた書籍も数多く、
地下十数層にまで掘り下げられた書庫には、まるで迷宮のように書架が並んでいる。
平安期以前の蔵書も多くおさめられ、彼の弥勒子乃昆原書も収蔵されているという噂がある。
故に特別な管理体制が必要となり、特権を持った教師と学園全ての生徒から編成される図書館管理委員によって
極めて厳格な管理体制がなされているのである。本来ならば。
「で、お前は一体何を読んでんだよ」
十津那大学1年の地球人、唐船疾風が不満そうに目の前の女子に話しかける。
女子学生は少しだけ楽しそうに本を見せびらかす。
十津那大学1年、図書館管理委員の菱田恵那だ。
「ちょっと珍しい本を見つけたんだ。『亜神目録』だってさ。
2層下の大古書の書架にあったのに、これ思いっきり偽書だよ。
偽書は偽書なりの価値があったって事なのかな」
パラパラとページをめくりながら彼女がいう。
真面目に仕事を続けてきた成果が出たため、彼女は今『地下2層』まで書庫を利用していい権限が与えられている。
そこで今まで見た事もないような本にふれる事が出来るようになったのだ。
ただし、持ち出しまでは権限が及ばない。彼女は許可なく勝手に持ち出してきたのだ。
それくらいは許されるだろう。そんなことまでうるさく言う者もいないだろう。
世の中とは、そういうものじゃあないのだろうか。
「ちょっと翻訳精霊の調子が悪いみたいだな。
チキュウジン同士なのに何いってんだか1ミリも理解できん」
「それはキミがバカだからだよ。
さっさと課題を終わらせなさいな。
その間、私はこれ読んで時間つぶしてるから」
「はいはいバカで悪かったな」
菱田恵那はそのまま『亜神目録』を読み進めていた。
翻訳精霊とて限界はある。本来ならば大古書と呼ばれるほど古い文献は翻訳できないはずなのだ。
だが、この『亜神目録』は菱田恵那が目を通すと他の異世界文書と同じく翻訳されて読める。
あまり気にしても仕方ないだろう。自分の予想通り偽書なのだろう。
『神代樹』ヤハクシュ、『大船喰』ムーヴ・ディアーク、『神気楼』ワタツヒラヌヒ
『大鋼神』ズィープツェーン、『落地星』ミンバンゼン、『理外骸』コリオリ
『七福耳』ナハトサリーア、『深淵飛』夕闇に吼える群青色、『虚言緑』鼓動天君
『死考神』フラグレス、『永久鼠』デスティニー・ウォルト・・・
中身は本当に酷いものだった。
小学生が描いたかのような稚拙な図解つきの、怪獣大百科を読んでいる気分になってきた。
くだらない。そう思って本を閉じようとした瞬間、そのページが目に入った。
『兆里眼』“後ろ暗き”ベアド。
ページ全てがベッタリと黒い墨で塗りつぶされ、血走った眼玉が宙に浮いている。
全てを見通す永遠の監視者。
ディルカカの気まぐれで生じた、情報網に巣食う狂乱の魔王。
人の心の裏側を覗きこむ視線。どんなに離れても無意味だ。1兆里の、無限の彼方から世界を見通す。
神力の範囲が異世界のみと誰が決めた。地球のネットワークとて神の御手のうちにあるのなら。
インターネットも、スマートフォンも、放送局も、新聞も、出版社も、全てが、全てが。
「おい、ボーっとしてんなよ。
そろそろ図書館も閉館の時間だってさ。
お前も仕事に戻った方がいいんじゃないのか?」
唐船に声をかけられて、菱田は我にかえった。
「あ、ああ、うん。
それじゃ私は本の整理してあがるから。それじゃあね」
「お前さ、大丈夫?なんか顔色悪いぞ」
「大丈夫だって。ほらほら帰った帰った」
菱田はあらためて本を開く気にはなれなかった。怖ろしいのだ。
あんな稚拙な絵ですら見たくない。馬鹿馬鹿しくも思うが、気持ちが悪いのだ。
こんな本、さっさと元の場所に戻してしまえばいい。
元の場所?元の場所ってどこだろう。思い出せない。一体どこからこれを持ち出した。
菱田は慌てて図書館の端末に『亜神目録』と本のタイトルを打ち込んだ。
ディスプレイにはnot foundの文字のみが出力された。
「え?何で」
菱田がそう呟いた次の瞬間、画面の文字は滝のようにガラガラと崩れ去り、
『兆里眼』“後ろ暗き”ベアドの文字で埋め尽くされていった。
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「やめろ!見るな!あたしを見るなぁー!」
菱田はディスプレイに亜神目録を投げつけた。
ガシャンと大きな音が図書館フロア内に響き渡る。
「ちょっと!菱田さん、何があったの!」
菱田と同じく図書館管理委員会の
ノーム、サンテ・ミロンが慌てて駆け寄るも、菱田は人事不省に陥っていた。
サンテ・ミロンがどうしたものかと一瞬途方に暮れると、破損したディスプレイがショートして、亜神目録に燃え移った。
「ま、まずい!まずは消火しなきゃ!誰か手を貸してくれ!」
ケンタウロスがふたり騒ぎを聞いて駆けつけてきてくれたおかげで、幸いにも火は燃え広がらなかった。
菱田もケンタウロスの背に乗せられて十津那大学病院に行き、1時間ほど眠ったのち目を覚ました。
「まだ安静にしていた方がいい。何せ原因不明で君は倒れていたんだから」
地球人の医師が彼女に話しかけた。
亜人全般の診察をし続けている、激務という表現ではあまりにも軽い困難を抱えた医師だ。
「ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です」
やや抑揚を欠く口調で彼女は返答をした。
「いや、まだ寝ていたまえ。左目の眼振が治まっていない」
確かに彼女の左眼だけ、上下左右にグリグリと動き続けている。
医師は眼振の状況について淡々と説明を続けた。
だが、それはまったく彼女には届いていないようでもあった。
「大丈夫です。ちゃんと『見えて』いますから。それでは」
そういうと、彼女は病室からスウと立ち去ってしまった。
「お、おい。まだ退院の許可を出すわけにはいかない。待ちたまえ」
医師が慌てて廊下に出ると、既にそこには彼女の姿はなく、長い廊下の奥に闇があるだけだった。
図書館ではノームのサンテ・ミロンが困り果てていた。
このボヤ騒ぎはディスプレイがショートした火花で本が燃えた事で発生したはずなのだ。
本は既に黒焦げになってしまっている。だからその本が何かを調べなければならなかったのだ。
だが、該当する書籍が見当たらない。
上席の委員を読んで、3層下の書架まで調べたにも関わらず見つからなかったのだ。
その場に居合わせた委員の総意として、この本は菱田女史が持ち込んだものだと結論づけた。
無駄な事に時間を費やしているヒマはない。本来ならばもう閉館時間だ。
やらなければならない事は山ほどあるのだ。その時はそう思えたのだ。
後ろ暗き事があれば、後ろを見ればいい。眼が君を見ている。
- 書物の回覧や保管以外の目的もありそうな図書館だけど誰が本を集めてきたんだろうという疑問が -- (名無しさん) 2013-05-23 14:57:05
- 菱田さん備品破壊ですね。文章に隠された仕掛けがありそうで気になって仕方がない -- (名無しさん) 2013-05-24 03:12:03
- ああ!目玉半分とかそんなのか。筋に合わせた面白い試みに脱帽 -- (とっしー) 2013-05-26 18:36:16
- 本から解き放たれPCに移りそして人へ…?ネットの海に亜神が放たれたと考えると… -- (名無しさん) 2014-08-16 03:36:54
最終更新:2014年08月31日 02:05