「ふぇふぇ…これは一体全体どういう事じゃ?」
陽も全身を輝かせる眩い朝。砂漠のオアシス街 ディセト・カリマの朝。
街のオアシスの畔に建つ街一番の娼館、“砂漠の薔薇”にも等しく朝は訪れ、館開きの準備で人が行き交う正面入り口大ホール。
ゴブリンの老婆はその中心にありて困惑していた。
下より伸び出る様々な手が腕が服を髪を鼻を掴み、老婆を抗う事もままならぬ奔流へと誘う。
無邪気なる歓喜の渦は更に思考を混濁させ、精神と肉体の境界は曖昧になる。
背より無垢なる塊が圧し掛かり、老婆を終(つい)に地へと沈めようかとした瞬、救いの手が ──
「どっちの世界も子供はやっぱり元気ねー」
揉みくちゃにされるアンダーバからひょいひょいひょいと種族様々な子供を引き剥がす美織。
「これは一体全体どういう事じゃ!」
息荒く両手を掲げるアンダーバの鼻がひくひく震えると、それに飛びつこうと狗人の赤子が精一杯何度も飛び跳ねるが
後ろ足は地から離れるまでに至らない。
宴会でもショーでも開催出来る広いホールに響く歓声は、
それまでの娼館では聞いた事の無い声であった。
「朝からとても賑やかね。それが美織の言っていた頼み事かしら?」
ホールへと降りる螺旋階段を優雅に刻むヒール。手摺りを上品に撫でながら下るダークエルフの表情は
右目を覆う物々しさに反して柔和で穏やかである。
「あ、ベルマさんおはようございます。
この子達が夕方まで護衛して欲しい“VIP”というわけです」
思い思いにはしゃぐ子供達の声に引き寄せられ、館の従業員達もちらほらと集まってくる。
普段は目にしても触れる事のほとんど無い子供に、好奇心で手を伸ばす従業員に
同じく好奇心で触れ返す子供。
ディセト・カリマ全域への敷設を計画した“スライム送路”工事
管路埋設のための調査と平行して行われた街南部のバラック地帯の大改装住宅建造工事もひと段落
人夫の募集と教練、居住場所の確保も兼ねた住宅工事は予想を越えた成果で、
本題の管路工事を行うのに十分な人数と資材確保ルートを実現した
満を持して始まった管路工事であるが、当初想定していたよりも多くの共働き、子持ちの人夫がおり
家や宿泊施設があるとは言え、日中の大半を子供だけにしておくのは街の特性上からも色々考える事があると
人夫の子供達を就業中に預かる事になったのである
工事の監督者である美織は、その受け皿として本格的営業時間までの娼館を利用したいと願い出ていたのだが ──
「確かにお客様が来るのは夕刻から後が多いのだけれども…」
ベルマは一つ思案気な顔で腕を組み、胸を支えながら人差し指で顎のラインをなぞる。
眼下のホールは愈々以って阿鼻叫喚となりつつあったが、
群がる子供を枯れ木の様な腕で払い投げ、無闇やたらとしがみ付いたり引っ張ったりする子らに言い含めるアンダーバ。
顔を隠す包帯をあれよあれよと解き奪われ上下左右に子供がしがみ付き、ぐったりとした表情で樹になるスフリ。
飛びかかろうと周囲に群がった子らをひと睨みで射竦め、整然と並ばせて既に何かを教授始めているブレア。
その他寄って来た従業員達とも戯れる子供達。
「そうね、ホールも部屋も夕方までは空いているので使っても構わないわ。
外に、と言うのなら庭に出るのも良いわ」
「それでは?」
「ええ。街もここ最近は落ち着いているし警備に出る数をこちらに回しても問題なさそうね。
工事の期間中ならというお試しという事なら引き受けるわ」
階段を下りて美織の隣まで歩み寄るベルマが、了承の微笑みを湛える。
「ありがとうございます。 子供らの扱いはそちらにお任せしてもよろしいですか?
工事の合間には私も応援に来させてもらいますので」
一応の合意を取り付けた美織は頬を赤らめて息荒く笑うアンダーバの肩を叩く。
「アンダーバさん!もしこの児童預かりが上手くいけば、今後は働く子持ちの層からの需要が見込める商いになりますよ!」
「むむ、言われてみれば…」
「子供と触れ合う事は従業員や裏方の皆の心のケアにもなるかも知れませんし、娼館の業務にも良い影響を期待できそうですよ」
思わぬ所から沸いて出た商売のタネに目を閃かせ、抱きかかえる赤子の頭を撫でながら長鼻をひくつかせる。
『話は上手くいったみたいね』
日中は入り口の扉を開き、砂避けの垂れ幕だけにして陽と空気を取り込んでいる娼館。
遅れてやって来たのはウルと、その手に繋がれた蟲人の小さな子と少しかがんで逆の手を繋ぐカナヘビ。
「この子もついでに頼むぜ」
「?貴方の子なのに蟲人なのは何故かしら」
「違う違う!この子は他所の子だ!」
「分かっているわよ、冗談よ」
ベルマの冗談に思わず慌てるカナヘビではあるが、確かに子供がいてもおかしくは無い歳と二枚目である鱗人。
『夕方になったら大きな人が迎えにきてくれるから、それまでは皆と仲良くね?』
両手で優しく蟲人の子の小さな羽根も未熟な背中を押すウルの微笑みに、頷き二つで応えた後、子供達の中に入っていく。
「トゥーロって言うんだ。蟷螂族の子でまだ言葉は喋れないがこっちの言う事は大まかに理解はしてくれる」
「カナヘビ、お前も一緒に子供の世話でもしてみないか? 正直これは手に余る」
頭上両肩にも子を乗せて身動きの取れなくなったスフリが平静を崩しそうになりながら打診する。
「勘弁してくれよ。俺にとっては大甲虫とやり合うよりも厄介事だ」
トゥーロが輪の中に入っていくのを見届けると、カナヘビはそそくさと娼館を後にした。
「ベルマ、ぬしが許可を出すという事はアクナに話は通っておるんじゃろう?」
微笑みで応えるベルマ。
「ブレア!夜勤で寝ている者以外と娼婦で手すきの者に声をかけとくれ。
子供らの相手じゃが、仕事ぶりと時間によってはそれなりの手当ては出すぞぃ、と」
「分かった」
俄か漫ろに騒がしくなる娼館“砂漠の薔薇”
吹き込んで来た新たな風は、どの様な花を育むのか
時系列順では少し進んでいますが娼館の新たな展開を
育児や保育に縁遠かった者も多い中で何が起こるのか
続いたら続きます
ラ・ムール周辺のキャラシェアから御登場願いました
- なんだかんだで嬉しそうなアンダーバ婆さんがかわいい。子育ての経験者っているのかな -- (とっしー) 2013-05-26 18:37:32
- 娼館と子供という組み合わせもディセトの面々となると微笑ましいですね。種族の性質上子供と触れ合うことの滅多にないダークエルフがこの仕事でどんな変化があるのか色々と想像します -- (名無しさん) 2016-10-23 17:46:04
最終更新:2013年05月25日 17:48