かつて、延国全土から集めた武芸者を師としてありとあらゆる武術を身につけた男がいた。名はシキョウ、後の大延国七十五代皇帝である。
その天稟をもって武芸百般を窮めたシキョウであったが、ただ一人、どうしても打ち破れぬ相手がいた。名はスイメイ、後に永代剣聖の一人としてたたえられる剣の達人である。
これを不服としたシキョウは、皇位継承権を放棄して出奔、全国に散らばったかつての師のもとをめぐり、スイメイを打ち倒す技を見出そうとした。対するスイメイもまた、摂政から任を受けてシキョウを連れ戻す旅に乗り出した。
しかし、そうした旅の合間には、こうして二人が戦い以外の形で交わることもまた、まれではなかったようである。
「調子が悪いのならしばらく休んだらどうだ。この村にでも逗留して。なんならつき合うぞ」
「朝に夕なにお前の顔を拝めってか。そいつはなんとも気が休まりそうだな」
「そうだろうとも」
「な訳ねえだろ。それに、俺はここに留まるのだけはごめんだ。断じてごめんだ」
「ここがそんなに嫌か? 何か気に障ったのか」
「漣州には二度と足を踏み入れない。断じてだ。お前がなんといおうとダメだからな」
まくしたてるシキョウの勢いは、飄々とした生き様が信条の男には珍しいものである。スイメイはふと閃き、給仕にこっそりと追加の注文を出した。
ほどなく、給仕が山盛りの皿を運んできた。皿を一目見たシキョウはふるえて視線をそらし、スイメイは確信を得て口角をつり上げた。皿に盛られているのは黒光りする甲虫、漣下虫である。漣州人の誇る珍味であり、現地では陸棲甲殻類の一種として扱われている。殻ごと食べられるのが特徴である。
「ここの特産品だそうだ」
シキョウがぶるりと身を震わせるのを、スイメイは確かに目にしていた。
「ああ、どうやらここらじゃ食い物ってことで通ってるらしいな、それ」
「焼いても揚げてもいけるらしいが、通は生で食べると聞いているので生で頼んでみた。お前は食べたことないのか?」
「食ってれば今頃は先祖に面会してるだろうな。おい、頼むからよそへやってくれ」
殊更にシキョウがスイメイの顔に眼を据えるのは、皿の上で蠕く虫を視界から追い出そうとしてのことだ。そう気づいたスイメイは苦笑した。
「もったいない」
「知ったことか」
「せっかく国中をめぐっているのだ、武を究めるのもたまには置いて、少しは各地の食や文化にも目をむければいいのに」
「脇目もふらず精進してなお負けっぱなしの俺に、そんな余裕があるとでも思ってるのか」
「逆だ、シキョウ」
「何がだ」
「そんなに余裕がないから負けるのさ。ことは度量の問題だ」
「言ってくれるな、おい」
ぶすりと横を向いて、シキョウは酒をあおった。