【drive】

 どうしてここまで強く心惹かれるのだろう。そう自問することもある。

 絵と、その作者に対する執着は際限なく膨らんでいくように思われる。いや、執着と言う段階はすでに通り越してしまっているのだ。これはもはや欲求だ。食欲や性欲、睡眠欲に匹敵する強さで、私はあの絵に引き寄せられている。

 食い荒らされている。そう感じることもある。まるで寄生虫が卵を産み付けるようなイメージが、頭の隅でちらついている。私の執着もまた、何らかの形で植えつけられたのではないか。

 そうした疑念は、しかし長く生き永らえることはない。



 事務所インスタンスは、そのまま乗り物としても使えるようだった。

 グレッグの事務所インスタンスに開口部はなかったが、代わりにスパイム蛾が何匹か外郭に群がり始めていた。スパイム蛾は生きたセンサーの塊だ。大きく発達した目や触覚で周囲を観察し、見たものをネットに流し込んで仲間同士で共有する。スパイム蛾は生きたカメラ代わりとして広く飼われていて、この《真理鉱山》でも日常的に使われているようだった。私がスパイム蛾の視点を見ていることに気づいたシーヴが、蛾をコントロールして事務所を見下ろせる位置に移動させた。礼を言うと、何百ものタグが開かれた口から飛び出し、すぐにまた吸い込まれた。しきりとグレッグを指差して大げさに肩をすくめてみせるシーヴの姿に、私は笑いをこらえた。

 そうして私はスパイム蛾の視点を借りて、移動中の光景を楽しんだ。

 尖塔の間を、土で出来た球の事務所インスタンスが渡っていく。

 子供の頃、テレビでジェットコースターの設計者が話しているのを見たことがある。有名な遊園地のジェットコースターを手がけたデザイナーは、竹ひごで出来た模型を前にして語っていた。言葉を切ったデザイナーがふと小さな鉄球を取り出し、下り坂の始まるところにそっとおくと、鉄球はあっという間にコースを一周し、終着点にたどり着いた。ただの模型だと思っていたものが、小さなジェットコースターとして完成していたことがとても衝撃的だったことを覚えている。

 事務所の移動は、そんなイメージと奇妙に似通っている。

 立ち並ぶ尖塔から、するするとレールが伸びてくる。レールは一本であることもあり、二本が対になっていることもある。レールは他の尖塔に突き刺さって自らを固定すると、まるでむかごのように塔に取り付いている事務所の下にもぐり込んでくる。そうして事務所がレールに乗っかると、事務所は塔から離れ、綱渡りやロープウェイのようにレールの上を滑っていくのだ。塔と塔の間を渡る時、私はスパイム蛾の一体を操作して、事務所の直上から下を見下ろさせた。ここに来た直後に下を見下ろしたとき、見えたのはただの黒い間隙だけだった。今は違う。尖塔の間に充満している色彩が見て取れる。あちらこちらから噴出するタグやフェロモン、ストリームの合間を縫って、目では見えなかったさまざまな存在が飛び交っていくのが分かる。小さな羽虫ほどの大きさしかない明滅スプライトが、尖塔に取り付いた瘤の一つを不法滞在だと怒鳴りつけているのが見える。ゆっくりと移動する瘤はそれ自体が土を纏った芋虫で、内部はくりぬかれて生きた居住空間と化している。中に住む《デコーダ》の夫婦が、瘤の開口部から顔を出して抗議フェロモンを撒き散らしている。フェロモンは空中に散乱して他の《デコーダ》たちにも伝わり、興奮した《デコーダ》たちがスプライトに食って掛かっている。たちまち一触即発の空気が満ちたところに、のんびりと通りかかったビスマス環の一体がスプライトをぱくりと食べた。ビスマス環は咀嚼することもなくスプライトを飲み込むと、今度は方向を変えて私の宿るスパイム蛾にむけて突進してきた。大型の青いムカデが牙をむいてこちらに向かってくる光景に、同じものを見ていたシーヴが少し身体を震わせるのが分かった。あわてて所有権タグをスパイム蛾に付与すると、ビスマス環は興味を失って高度を下げた。肉体を失ったスプライトもまたネットでわめき散らしながら、手近な湧出ストリームに乗ってその場から消えた。湧出ストリームは光り輝く河のように尖塔の間を流れてその表面を洗い、塔を構成する土精霊たちが喜びの歌声を上げる。事務所インスタンスもまた、塔の声にあわせて小さく震えた。

 目もくらむような光景だった。ほんの一時間ほど前には想像すらしていなかった驚異が、今は私の周囲にあふれていた。私は思わずため息をついた。

 そのことが、なにやらシーヴの注意を引いたようだった。

「ですよね! あなたもそう思いますよね!」

 なにが、と問う暇もなく、シーヴは立ち上がってガッツポーズを取っていた。しきりと触角を動かして鼻息を荒くするシーヴに、グレッグが面倒くさそうな目を向けた。シーヴの発言を禁止するかどうかを考えていることは火を見るより明らかだった。私はあわてて、シーヴに水を向けた。シーヴは指を振りかざしながらグレッグに食って掛かった。

「手ぬるいと言っているのです! この牧歌的極まりない遊覧移動にはもううんざりだと言いたいんです! なんですかこの移動速度! こんなのろのろ運転、おじいさんの散歩に僅差で勝つのが関の山ですよ! そんなデッドヒート要らないとは思いませんか! 《ハッシュ》に着くまで永遠の時間を掛ける予定なら、あらかじめスケジュール押さえておいて欲しかったもんですね! 僕だって暇じゃないんですから」

「暇だろうが。それに、この手の観光バスだの遊覧船だのはちんたら走るもんと相場が決まってるんだ」

「地球ではね。フフ、しかしここはどこだと思います? ヒントは『異世界』ですね! 地球の常識は通用しないって意味ですよ! ハイここきわめて重要なヒントがぽろっと出たんですがひょっとしてその面構えは回答見送りですかグレッグさん?」

「ここは俺のドメインだ」

「その回答ですと残念ながら零点、いやマイナスかなーって気がしますね。なんですかそのしかめっ面。奥歯にボールペンでも刺さってるんです? 大体回答の意味が不明瞭ですー」

「俺の事務所がどういう風に移動しようと俺の勝手だ」

「独裁者みたいな発言が出てきましたね! 俺がルールだというわけですか。もうその服脱いだらどうです? それで今後は弾帯と赤い鉢巻だけ身につけてすごすんです。スーパーガイド『グレッグ・ザ・俺がルールだ』爆誕! 全身から噴出す超マッチョなフェロモンは目に染みる極楽タマネギの香り、5メートル先から視線で牡蠣の貝殻をこじ開けるのが趣味のナイスガイというわけです! 子供を隠せ! テーブルも隠せ! パンに挟んで食われるぞ!」

「何が言いたいんだ、お前は」

「ちんたら移動するのはもううんざりですー。ビスマス環みたいなのにまた目をつけられたらいやですし、さっさと移動したいんですー。お腹も空きましたし」

「そうか」

「だからこのインスタンスの全権限を委譲してください」

「断る」

「じゃあ運転させてくれるだけでもいいですー。あと今思い出したんですけど『そうか』って確か地球では全面的な賛成を意味する言葉でしたよね? 根は素直な子だったんですか。ちょっと見直しましたよ」

「もう黙れ」

「むきゃー! これでも喰らえ!」

 叫び声をあげたシーヴの目から涙が噴射されてグレッグを狙ったが、グレッグは鼻を鳴らすだけで避けようともしなかった。涙は勢いを失ってグレッグには届かず、シーヴは目を擦りながら首を捻った。

「散々馬鹿な使い方するからだ。その身体のDRMに関しちゃこっちで届けておく。これ以上手間をかけさせるな」

「そ、そんな! 追徴課税でも喰らったらどうするんですかー」

「当然お前の給料から引く。それはそれとして、確かに腹は減ってきたな」

 床が盛り上がり、ゆったりとしたシートの形を取った。私にも同じシートを作り出して与えながら、グレッグはシートに身を沈めた。私もおなじようにすると、何本もの補助肢がシートから生え出してきて、ベルトのように身体を固定した。

「それじゃあ、少し飛ばすか。ちょっと揺れるから掴まっておいてくれ」

「ちょ、ちょっと待った! ひょっとして自分で運転するおつもりですか!? いいですよ僕がやりますから! ねえってば!」

「それじゃ出発進行」

 シーヴが悲鳴を上げた。がくん、と事務所がゆれ、次の瞬間には落下していた。

 だが自由落下していたのはほんの一瞬のことだった。付近の尖塔から発射されたケーブルが事務所の外郭に突き刺さり、事務所はまるで振り子のように空を滑った。更なるケーブルが何本も伸びて事務所の勢いを殺し、かと思うと次のケーブルが事務所を牽引して発射する。支えもなしに宙を飛んだ事務所を受け止めるのは、尖塔の間に急速に成長した土の網だ。事務所はまるで丸い蜘蛛のように何本もの足を生やし、垂直に渡された網の上を歩くとまたケーブルを発射して飛び出した。速さはさっきまでの比ではなかった。これこそまさにジェットコースターだった。ただし、コースを自ら作り出すジェットコースターだ。

 強烈なGに揺さぶられて、私は息も出来なかった。息どころではないのはシーヴもまた同じようだった。シーヴは付属肢の全てを広げてつっぱり、部屋の中で何とか安定を確保しようとして目を血走らせていた。文句を言うだけの余裕もないらしく、せいぜいが抗議の感情タグをいくつか飛ばす程度だった。ただ一人グレッグだけは楽しげだった。口笛など吹きながら、自由自在に事務所を飛ばしている。そうしてこちらに笑みを向ける。こちらもこの旅を楽しんでいるだろうことを少しも疑っていないようだった。そういえば地球にいたときも、グレッグの運転する車や飛行機には一度も乗っていなかった。

 今後何かを運転するときはシーヴに任せるよう提案しようと、私はひそかに心に誓った。

「着いたぞ」

 そうして数分ほどして、短くも長い旅が終わった。シートから起き上がり、床にへばりついて半分気を失っているシーヴをつま先でつつくと、グレッグは肩をすくめ、まあしばらくすれば起きるだろうと一人ごちた。グレッグが壁に手をかざし、開口部を開けさせると、外からは光が流れ込んできた。わずかに緑がかった、不思議な色合いの輝きだ。

「ようこそ、ホテル《ハッシュ》へ」


 但し書き
 文中における誤り等は全て筆者に責任があります。

  • グレッグは乗り物運転させちゃダメな人だった! -- (名無しさん) 2013-09-08 19:46:53
  • 例え方が想像しやすいな。近未来を感じさせる移動描写と毎回面白く納得できるマセバズアイテムが素晴らしい -- (とっしー) 2013-09-14 21:15:36
  • この二人は自営業しかできなさそうなフリーっぷりでテンション高いいつも。ドライブの風景はまさにバイオなSF -- (としあき) 2013-09-27 21:37:35
  • サイバーパンクSFのような緻密な描写とシーヴとグレッグのホントしょーもない掛け合いの緩急が凄まじい。グレッグのはいはいクマクマ的な投げやりな受け応えが笑える -- (名無しさん) 2013-10-09 01:28:38
  • ネットの風景と昆虫のミクロ世界が同居する異色さは今回も光っています。思考やコミニュケーションはアナログなのにそれを伝える手段がデジタルな表現で面白いながらも説得力のある例え蘊蓄もあります。摩訶不思議な現象と台詞の応酬の中でも着実に目的地へと進むシリーズですがまだ先は長そうですね -- (名無しさん) 2017-05-07 17:46:25
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最終更新:2013年09月08日 18:18