スラヴィアの夜は深く長い。そして住人たちは相互に静謐さを求めながら、その実、秘めた魂は騒がしい。
無言で行きかう無表情な死霊たちも、一度魂を揺り動かされれば瞬く間に目覚め、騒々しく夜を過ごすことだろう。
そんなスラヴィアの片隅、さらにさほど目立たない場所、極めつけに小さな領地。そこにディスコールダンツ男爵邸がある。
ディスコールダンツ家は古い貴族でありながら、スラヴィアらしい騒々しさと猛々しさ、そして特別特異な事に、何かを求めるような欲求に乏しい一族であった。とはいえ、夜の饗宴に消極的というわけではない。しかし、持ち前の気質なのか歴代当主の才覚なのかわからないが、さほど目覚しい戦績を上げるわけではない。
そんな今ひとつな貴族ではあるが、決して侮られているわけではない。
歴代当主は必ずこの二つ名を持つ。
戦線不協和音男爵。
ディスコールダンツ男爵が夜の饗宴に参加するともなれば、観覧者たちは肩を落とす。戦う相手も士気が下がる。
なにしろ盛り上がらない。
ディスコールダンツが参加するだけで凡庸な貴族は道化に、才覚ある貴族の采配すら滑稽に見えるほどの戦線崩壊ぶり。勝者が決まることすら珍しく、ディルコールダンツがそれになることはまず無い。
対戦者は腹立たしくもあるが、逆を言えばディスコールダンツの術中に嵌った事になる。
真面目にやれといわれても、当のディスコールダンツは取り合わない。
「え? なに? 楽しい楽しいゲームを、真面目にやっちゃえと?」
三代目の現当主ディリゲント・ディスコールダンツもその例に漏れない狂乱さだが、少しだけ歴代当主と違った面があった。
ほんの少しだけ、自分の「やり方」に疑問を持つ常識を持った「人間」なのである。
ディスコールダンツは、初代は享楽的なホビットのスケルトン。二代目は屁理屈が好きな
ゴブリンの吸血鬼。三代目は厭世主義のドイツ人。
血族で当主が決まるのではなく、次代を現当主が気分で適当に決めるからだ。
見事にバラバラに不自然極まりなく、まさに不協和音に相応しい歴代当主。
少しは冗句の分かる貴族はそう感心するが、夜の饗宴の悪名と相まってさらに嫌われている。
ディスコールダンツ邸宅は別名、跳ね橋邸宅と呼ばれている。
低い塔が乱立し、互いに跳ね橋が無意味に跨る。居住区である高い塔に到着するにも一苦労するこの邸宅を、好き好んで訪れる者は少ない。
その一室でディスコールダンツは、同郷の他人を前に語る。
「敵が半分も残ってる。この時なんと思うか」
同郷の他人は首を傾げる。彼はディリゲントとは面識ない。スラヴィアにも詳しくない。
急に話しを振られても困ると、頭を掻こうとしたがそれも叶わない。
彼は拘束服を着せられ、両腕は窮屈に後ろに回されていた。
「悲観的で好戦的な貴族はこう言うだろう、もう半分になってしまったと。楽観的で好戦的な貴族はこう言うだろう、まだ半分もいる! と」
ワインを傾けながら、ディリゲントは不敵に笑う。
「すかさず私ならこう言うだろう。ああ、まだ半分もいるぞ……とな」
「つまり、ディスさんは悲観的で非好戦的な貴族ってわけ?」
気安く拘束服の男は答える。
その態度に控えていた骸骨騎士が不機嫌に歯を打ち鳴らしたが、ディリゲントも拘束服の男も意に解さない。
スラヴィアでは囚人などを拘束する事がある場合、口だけは自由にさせる風習がある。
死人は口に金貨と塩を押し込まれ、太い糸で縫われるとアンデットとして復活できないため、それを忌避する貴族たちの間で、自然と口を塞ぐ事をタブーとしたためだ。
そのお陰で、拘束服の男は自慢の喉を封じられずに済んだ。
拘束服の男はスラヴィアに到着するなり、鄙びたディスコールダンツの港で歌い、そして捕まった。
罪状は「なんだか分からないけど、歌を聴いたどっかの死霊が約二名、勝手に昇天しちゃったから真実確認のため逮捕の罪(命名ディリゲント男爵)」である。
「で、俺なにすればいいわけ?」
拘束服の男は沢村 太助と名乗った。ドイツ人のディリゲントは、同郷だが他国の異人種でかつ他人の彼を地下牢から出してやった。
別に同郷のよしみではない。
ディリゲントの頭を悩ます物が、この邸宅にあるからだ。
「そこに古いピアノがあるだろう?」
「ああ、スクエア・ピアノッスね」
横に弦を張り、長方形の長辺に鍵盤が並んだ現代では珍しいピアノだ。
「あれは、演奏がヘタクソなのだ」
「……あれって? 誰?」
「あのピアノは自分で演奏をする。ヘタクソだがな」
そういわれて腹を立てたのか、スクエア・ピアノは不快そうに鍵盤を打ち鳴らして不協和音を部屋に響かせた。
「聴いたろう。なかなかのものだ。まるでなってない。とはいえ、私も音楽はからっきしなのだがな。何を思ったのか初代当主が、金に物をいわせて作ったグレーターアーティファクトガラクタだ」
いまだ不協和音を奏でるピアノの音に頭痛でもするのか、ディリゲントは額を押さえた。
「そうかなぁ。結構、いいソウルが入ってるみたいだけど?」
事もなさげに沢村は呟く。
「簡単にいうな。実はアレをなんとかして欲しい。壊すわけにもいかんので、いろいろな音楽家や調律師に頼んだのだが……」
「ああ、なんかひどい目にあうんだ」
「くわしく聞くかね?」
「ノーサンキュー」
おどけて断る沢村に、ディリゲントは首を傾げる。
「私は今から君にアイツの調教を頼むつもりだぞ。指を喰われるくらいならいい。弦で縊り殺されてもしらんぞ」
「いや、だってあのピアノは歌いたいだけだし、そう難しい話しじゃないでしょ」
さらりと沢村は言う。
「どうせ、いままで音楽家はいい曲弾こうとか、音を無理やり調律しようとかしたんでしょ?」
うむとディリゲントは頷く。
「あいつは歌い方を知らない、歌好きの音楽好きの音楽しかない可哀想な奴だ。どの不協和音も歌いたい。俺の歌を聴いてくれって叫んでる」
ディリゲントは沢村の言い分を理解できる。しかし、本当にピアノがそんなつもりで鍵盤を叩いているようには感じない
不審に思うディリゲントを余所に、沢村は椅子から転げ落ちて芋虫のように転がりながらピアノの元へ辿り着く。
「よう、兄弟。あんた何を歌いたいんだ?」
ピアノは高い音を立てる。しかし、耳障りだ。
「へえ、月が綺麗だ真ん丸だ? ついでに男爵は頭が悪い?」
ピアノは中音を響かせる。虫歯に来る音だ。
「おい、サワムラ。何か言ったか?」
「ピアノが言ったんだって、いやマジで」
口を挟んだディリゲントにフォローを入れながら、再び沢村はピアノに問う。
「エチュードだ。お前に必要なのは、勉強だ。お綺麗な音楽を聴くことじゃない。お前の綺麗な鍵盤は誰か音楽が奏でるためのじゃない。お前の声。お前の心。お前の魂のためだ」
低音が響く。腹を下しそうな音だ。
「ようし、分かったか。じゃあ、練習だ。俺がお前を弾くのは、お前が歌うための準備だ。しばらく我慢してくれ。俺が手取り足取り歌い方を教えてやる」
沢村の視線を受け、ディリゲントは彼の拘束服を解いてやるように控えていた骸骨騎士に指示した。
「何からいこうか。ショパンのエチュードか、いや基本はツェルニーか」
事もなさげに鍵盤に手を置く。ピアノは拒絶しない。
ディリゲントは驚嘆と共に、聞きほれた。
あのピアノがまともな演奏を受け入れている。面白みのない音楽だというのに。
時間も忘れて聴いていると、やがて聴きなれた曲も混じり始めた。
「それは……練習曲なのか? 誰かの名曲じゃないのか?」
ディリゲントは不審げに訊ねた。お綺麗な曲など、このピアノは嫌いだというのに。
「本当に音楽苦手だね、男爵さん。これはショパンのエチュード。12、12、3。と、27曲もショパンのエチュードはあるんだぜ。しかも名曲扱いで、人気も結構あるってのが何曲もある……、おっとそうだ」
沢村の指が不意に宙を踊った。
「そうだ、兄弟。お前にお似合いの練習曲があるんだ。お前の魂が篭った不協和音を組み込んだエチュード。ハ短調「大洋」。弾いてみるかい?」
ピアノは嬉しそうに黒鍵を叩いた。まるで、こっちの心が軽くなる旋律で。
もはや、さきほどまでのピアノは何処にもない。
喜んで「大洋」を奏で始め、まるでディスコールダンツ邸宅が不協和音と協和音という、うねる大波に飲み込まれてしまったかのようだ。
ディリゲントは考える。
夜の饗宴で整えた団体戦を自分が行ったら、どうなるか?
しかし、笑って済ます。
あのピアノは正しく歌いたかったのだ。
私のような厭世的な魂が、まともなゲームを行ったらなんという旋律が現れるか?
それこそ、不協和音であろう。
ディスコールダンツの不協和音は、既に完成されているのだ。
「私程度の指揮者では、それも叶わん」
次世代の指揮者はどうするか。そろそろ考え始めるべきだろう。
ディリゲントはエチュードに聞惚れながら、朝まで同郷を思った。
追記
スクエア・ピアノは鍵盤少ないから、ショパンの曲弾けないかも……
いや、多分平気だけどさ
- まず驚いたのがディスコールダンツの代替わりに入る種族の突拍子のないことと勝敗よりも勝負を楽しむのに徹底する精神ですね。戦士というよりも芸術家色の魂が沢村と引き合わせたのでしょうか? -- (名無しさん) 2013-03-22 22:14:37
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最終更新:2011年10月17日 12:25