ミィレスはファルコとの記憶(メモリー)を反芻し、涙は止め処なく溢れてとまらない。心を取り戻した彼女は、同時に悲しみや苦しみや寂しさをも取り戻してしまったのだ。
そしてソラリアもカーレンによって記憶回路の修理と記憶(メモリー)のサルベージが完了していた。
ソラリアは頭の中に湧き上がってくる膨大な記憶の奔流に、頭を抑え蹲ってしまう。
「ソラリア、貴女もすぐに記憶が戻るでしょう。貴女の記憶(メモリー)……とても信じがたい事です……」
「あぁ……ああああっ!!」
そんなソラリアの肩をカーレンは強く握り語りかける。
彼女の記憶を取り戻させる過程でカーレンは知ってしまったのだ。ソラリアと言うイレギュラーな存在を。そしてその全ての秘密を。
「なーんだっ、三人になっても大して変わりないじゃんっ」
そう言ってリンネは鍵の笛から口を離し、三人の聖騎士を指差して笑った。
「まいったねこりゃ」
ボロボロのアルトメリアのぼやき通り、三人の聖騎士が力を合わせても魔神リンネ=サンサーラには歯が立たなかったのだ。
その理由の一つには三人はぶっつけ本番の即席チームであり、連携などまるで取れていなかったと言うのがある。
そもそも中央統制機構『元老院』直轄部隊『
聖騎士団』トライアンフ所属聖騎士は、一騎当千の兵であり、他の聖騎士と協力して戦う事自体ほぼあり得ない事だった。
トライアンフの聖騎士に求められる資質は『個の強さ』であり、それはそのまま強烈な個性として表れる。つまり、強すぎる個性は協調や連携を邪魔するのだ。
その為アルトメリア、カイラ、ストレンジャーの三人は三人いながら1+1+1ではなく、1と1と1でしかなかったのだ。
【あの魔神は音、つまり大気を伝わる振動を使って攻撃してるよ】
「じゃあさっきからするこの頭痛や吐き気も毒じゃなく……」
【三半規管に影響する音で相手の状態異常を引き起こしてるみたい】
「やっと本気を出してきた、って所だね」
それでもリンネが本気を出さざるを得ない程度には、戦いはマシになって来ている。
陽が落ちた事によりアルトメリアが真価を発揮出来るようになった事、そしてカイラの風精霊がリンネの『音』に対して有効である事がその理由である。
リンネが再び鍵の笛を吹いた。
その途端、空気の壁のようなものが三人を襲い、周辺の脆い物質から崩壊させてゆく。
リンネの音波による攻撃だが、これをカイラが二人の前に立ち風の壁で軽減、防御する。もう幾たびか続くこうした光景にリンネは小さく舌打ちをした。
【地球のデータベースを検索……『衝撃波』『共振現象』『固有振動数』】
「聞いた事ない言葉ばかり……つまりどう言う事?」
「奴も風使いの一種って事さ!」
ストレンジャーがディルカカネットワークを介して得た分析の結果を二人に伝える。
異世界は精霊文明の為、地球のように科学が発達しなかった。しかし魔神達は魔術と科学を応用した魔科学兵器を使う。こちらの世界では理解できない現象も多々あるのだ。
それに対して蟲人達が使うディルカカネットは、地球の科学文明との接触からその知識を取り込んでいる。異世界の知識、そして地球の知識の両方を使えば、魔神に対抗する手段も見つかるとストレンジャーは考えたのだった。
「作戦会議は終わったかな? じゃあ君から殺しちゃうね☆」
「そう簡単にやられてたまるもんですか! 風よ!」
リンネの攻撃方法は大気を利用した振動による攻撃。ならば風の精霊を使うカイラなら、リンネの攻撃を防げるか?
答えはネガティブだった。この世界の自然現象を司るのは精霊だ。そして魔法はその精霊にお願いして奇跡を起こす事を言う。つまり風の精霊使いカイラが風を使うには精霊を介す必要がある。
だが魔神は、魔神自体が精霊のように奇跡を起こす。そしてその奇跡は精霊のそれより優先される。
加えて魔神は精霊のように自然界の秩序を考慮しない。それは連続して奇跡を起こし続ける事が出来、そして周囲の精霊が死滅する事などお構い無しに魔素を使う事ができる。
もっとも、リンネは全魔神中、最も魔素の消費が少ない環境対応型魔神の完成系。周囲の精霊に及ぼす影響はソラリア達ほど大きくは無いが。
「何これ真空波? ボクの大切なツインテールが半分になっちゃった」
「何なのその服!? どうして服も肌も無傷なのよ!!」
「その程度の攻撃じゃ、バリアコートも人工皮膚の下のネオキチン装甲も傷つけられないよ。大人しく諦めたら?」
カイラがこうして精霊魔法を使い続けられるのも相手がリンネだからなのだが、リンネはカイラやアルトメリア、ストレンジャーの攻撃では傷付けられない化け物でもある。
この魔神に勝つにはもっと他に、そんなものが存在するならばの話だが、弱点を見つけなければ不可能だった。
「風の力を舐めんじゃないわよ! 今度はトルネードテンペスターをお見舞いしてやる!」
「も~、空を飛べるボクに竜巻なんて無意味だって分からないのかなぁ? だんだん面倒になってきた」
「ムカつく~!」
カイラは頑張っているが、今の時間稼ぎがいつまでも続くとは思えなかった。
三人の体力は有限だ。疲れを感じないスラヴィアンのアルトメリアにしても夜明けが来れば即座に殺されるだろう。三人がまだ動ける内に、なんとしても魔神の弱点を突き倒すしか生き残る道は無いのだ。
「今度は全員で同時にかかるんだ。息を合わせて」
【うん】
「分かったわよ!」
アルトメリアは二人に呼びかけ、その牙は岩をも削ると言われる異世界の凶暴魚フライソードフィッシュを召喚した。
ストレンジャーは岩にも刺さる針を持つピラニアンビーを、カイラは再び風精霊に頼んで真空波をリンネに向けて放った。だが……。
「きゃーーーーーー!!」
その全てがリンネの鍵の笛の一吹きで跳ね返されてしまう。
リンネの衝撃波はそのまま三人を襲い、黒い月の表面に叩きつけダメージを与えた。
「ふぅ……パワーもスピードも防御力も、能力まで全て奴が上、普通に考えたら勝ちようが無いねぇ」
「だったらどうするのよ! このままじゃ殺されるだけよ!?」
月明かりを背中にリンネの表情は見えない。
だが先程までのおどけた様な軽口が無くなっている所を見ると、リンネはとうとう三人に飽き、本気で戦いを終わらせようとしている事が分かる。
ガラス玉の様に綺麗で冷たい瞳だけが、月明かりの闇の中爛々と輝き聖騎士達を睨みつけていた。
「フッ、見下してるよ。私らの事なんかムシケラとしか思ってないんだろう」
アルトメリアは空から見下すリンネに対して毒づいた。
彼女は思い出した。三百年前、自分をこんな体にしたスラヴィアンとしての生みの親を。そのスラヴィアンも生者だった自分を自分の所有物、オモチャのようにしか思っていなかった。
弄ばれた彼女が自分のマスターを殺した時、彼女は自由と同時に夢も希望も失い、国を出る事になったのだ。
「だが完全無欠の存在などいない。必ず弱点はある筈さ。そして奴は……」
彼女は知っている。
全て失い放浪した三百年の間、時間を潰す為に読み続けた本が与えてくれた知識――神は星や宇宙でさえも、始まりがあり終わりがあると言う事。
神同士が戦い、勝つ神と破れる神があった事。神が生み出した数々の発明や生命の中にも、失敗作が存在する事。理想とはかけ離れた神や亜神の存在を。
【解った。やってみる】
「ちょっとどう言う事よ? 私にも説明しなさいよ!」
魔神は人に、地球人に作られた存在だ。古代の高度な科学力によって生み出されたモノだ。機械であり、コンピューターであり、魔道具であり、人格を持った人形だ。
ならばその攻略、一か八か地球流の方法でやってみる他無いであろう。
「カイラ、お前さん誰よりも風に愛されてるっていってたよな?」
「当然よ! この空で私に敵う鳥は一人もいないわ!」
「なら、お前さんに任せようかね」
「え?」
アルトメリアは黒い月の表面に立ち、両手を広げ二人の前に出た。
そして己の全てを晒す決意を込めて約束の言葉を詠唱するのだ。
「アルトメリア=リゾルバが命ず! 出でよ眷属 我が血肉 混沌なりし闇の住人 我が力 我が威となりて 共に滅びの道を歩まん 神々の魂すらも打ち砕き」
「ちょっと!? 一体何をするつもり!?」
二人の見る前でアルトメリアの体がモゾモゾとありえない動き方をした。
「私これで死ぬかもしれないから。後の事は宜しくな、ストレンジャー、カイラ」
「え?」
次の瞬間、体の隅々至る所から不規則に絶え間なく、どす黒い何かが細い体を突き破って出て来た。
その形は大小さまざまな獣の形で、数は数百に及んでいる。
これこそがアルトメリアが不死身だった理由。永い年月を生きる内に己の体の欠損部を補う為、喰らい続けた生ある物の数だけ、体内にその魂と血肉を蓄積していったのだ。
「うえー、気持ち悪ーい。……けど、これで分かったよ。君が不死身だった理由」
屍喰い(グール)は生者から生気を吸収できない。吸収するには同じ
アンデッドを食べるしかないのが屍喰いだ。アンデッドを食べるアンデッド。出来損ない。それが屍喰い(グール)だった。
だがアンデッドであってもヒトを食べる事を拒絶するアルトメリアは獣を食し己の血肉とする事で、食べた物を身代わりに外界からのダメージを受けないようにしているのだ。
生気を吸収しない。故にアンデッドとして成長できない。そんな彼女が死なない為に取った生存戦略がこれだったのだ。
「私がここまで見せたんだ……今そのニヤケ面を消してやるぜ、木偶人形!」
そのアルトメリアが全魂を体外に開放し、全使い魔を攻撃に使う。
全使い魔を一度にけしかけて数で圧倒し敵を倒そうと言う、原始的ながら強力な戦法。ネタをばらし弱点を晒し防御を捨てた捨て身の作戦。これがアルトメリアの最終奥義だった。
最終奥義を破られればアルトメリアの命は無い。彼女は決死の覚悟をしていた。
「君、もう謝っても許さないから。絶対に殺す!!」
リンネが黒い月の表面に降り立ち鍵の笛を構える。
今までリンネを傷つけられた使い魔は一体もいない。アルトメリア最後の戦いの幕が切って落とされたのだった。