「月が綺麗だね」
異世界の夜空とて、月はのぼり夜道を照らす。
それが地球のものとは異なるにせよ、美しいと感じることにかわりは無い。
僕はそう思っていたのだけれど、彼女は違っていたようだ。
僕の傍らに佇む
オークの少女は、僕の言葉を聞いて微かに笑った。
「ふふふ。あ、ごめんなさい。
こちらの月は随分と恐ろしい逸話しか無いものですから」
そう言って笑顔で僕を見つめ返す。
地球での彼女とは違い、こちらではほんの少しだけ饒舌だ。
それは彼女が翻訳の加護を使わずに、自力で地球の言葉を学んでいるからだ。
僕が今聞いている彼女の声は、翻訳された声だ。
ミズハミシマの言葉は僕には理解できない。
「月の女神は恐ろしい方々といいます。
けして3柱揃った夜空を見上げてはならぬと、お母様がよく話していました。
地球のおつきさまとはまるで違いますね」
オークの少女はそう言うと、頭のよこで手をヒラヒラとさせた。
ああ、ウサギのマネなのか。月には兎が居る。常識だな。
「それにしても不思議なものだ。
聞きなれていたのに、翻訳されると君の声がまったく違って聞こえるんだから」
するとオークの少女はイタズラっぽく笑って言った。
「なら、いっしょにべんきょうしましょう」
ああ、聞きなれた声だ。
野営の夜。星々は頭上に輝き、焚火の炎は揺れ踊る。
闇夜の先には何も見えないけれど、最近はかすかに揺れ動く影が見えるようになった。
(・・・私もそろそろ寝ます)
闇精霊が足元でフラフラと揺れている。小さなあくびをひとつ。
闇もまた眠りにつく時間か。
丑三つ時とは、異世界にもあるのだろうか。
ふとそんな事を思い浮かべる。
「そうそう。翻訳の事で面白い話があるんですよ」
肩を抱きしめていたオークの少女が、身じろぎしてこちらを向いて言った。
「こっちと地球が繋がって最初の頃に、お互いの学者が顔をあわせて翻訳の研究をしていた頃です。
ようやく日常会話くらいは翻訳できるようになって、もっと色んな会話を、そんな時期の事でした。
『愛しています』・・・ってどう言うのか。そんな事が議論になったそうです。
面白いのはミズハミシマの種族全部と日本の方とで、まったく違った言葉ばかりになったみたいで。
結局どんな言葉とするのが妥当なのか全然決まらず、1週間もかかったそうです。
それで結局、どうなったと思います?」
急に話を振られて身じろいだ。
愛していますだなんて、それ以外に言葉はあるんだろうか。
「ゴメン。全然想像もつかない」
僕がそう答えると、オークの少女は静かに微笑んで言った。
「ある日本の国語の先生がこう言ったそうですよ。
I LOVE YOUなど無粋の極み。
いにしえの言葉に従って、次のように翻訳すべし・・・」
彼女はクルリと僕を振り返って言った。
「月が綺麗ですね・・・なんですって」
ふと夜空を見上げる。
月の女神が残酷なのだとしても、その美しさには変わりはないだろう。
僕は視線を地上の月へとうつし、月に聞こえぬように静かに言った。
「月すら霞むものを僕は知っているんだよ」
焚木がパチリと恥ずかしそうに弾けた音がした。
- 奥山さんと勇馬君のなんともむず痒い夜の一幕でした。異世界の月の脅威は置いておくとして情緒風情ある奥ゆかしさと言い回しに思わずドキリ -- (名無しさん) 2018-11-18 17:50:08
最終更新:2013年12月15日 03:30