これは、あたしとクーリエが地球の文化調査という名目で行った「コミケ」なるイベントの参加記録である。
事の発端は、クーリエが異様に分厚い書物を持ってきた事だ。
そこに記された膨大な情報量に興味を抱いたあたし達は、ネットでこのイベントの詳細を知り、年末暇だという事で急遽参加する事となった。
こうして、半ば地獄とも言うべきコミケ巡りが始まったのだった…。
AM 5:45
「………なに、この行列」
「まるで何かの儀式に向かう信者共ですね」
神戸から電車を次々と乗り継ぎ、会場前の駅を出たあたし達を迎えたのは、夥しい数の行列だった。
その人の波は、まるで大地に蠢く巨大なワームのように見えた。
「朝だよね…まだ始発からそれほど時間経ってないんだけど…」
「伏兵、という奴ですか」
もはや数えるのすら放棄したくなるような数の人々にあたしは圧倒されたが、クーリエは案の定いつも通りの反応だった。
真冬という事もあって風は冷たく、この日の為に用意したロングコートだけがこの場を凌ぐ切り札である。
一方、クーリエはというとこれまたいつも通りロングスカートのメイド服だった。
一歩間違えれば仮装にも見えるその姿は、周囲の人間の注目を浴び、中にはスマホやケータイで写真撮影する者まで現れた。
そんな連中を氷の矢の如き視線で威嚇するクーリエを引っ張りながら、あたし達は待機列の最後尾まで移動した。
「正直あと5時間ここで待つと思うと地獄だわ~…」
「私は平気ですが」
「まぁ、スラヴィアンだし。寒さとかあんま感じないからじゃない?」
「…寒いのであれば身を寄せて差し上げますが、よろしいですか」
「ごめん、あたしが悪かった。悪かったからこんな時に抱きつかないでちべたい…」
冷えに冷えたクーリエの抱擁攻撃を受けながら、あたしは開場までほぼこの体勢で待つ事となった。
AM 11:31
開場は10時だったが、あまりの人の多さに行列が捌き切れず、あたし達は1時間以上遅れる形での入場となった。
まずあたし達が向かったのは「同人誌」と呼ばれる薄い本が配布されているスペースだ。
会場入り口に入ってから10分、人の波に飲まれながらようやくそのスペースに辿り着いたあたし達を待っていたのは、またしても大勢の人々だった。
「噂通りの密集地帯ですね。どうしますか?」
「ここまで来て手ぶらで帰れるワケないじゃん…いくよ」
正直この時点で体力の半分を使った気はしたが、念願の同人誌まであと少しだと自分に言い聞かせながら、あたし達はこの激流に身を投じた。
入場前の時点でわかりきっていた事だが、この大混雑の中にも異世界から来た亜人の姿が多く見えた。
まるで地球人を含む数々の種族が、コミケという場でひとつの生命になろうとしているような錯覚を覚えたが、今はそんな妄想に耽っている場合ではない。
早速あたしは目当ての同人誌を探しに無数のサークルを見て回り、そのひとつを見つけた。
エルフの女装少年と地球人的な容姿の少年の純愛を描いたファンタジーものだ。言うまでもなく、成人向けである。
「すみませーん、これ1部ください」
まずはひとつ、と胸中で呟いた矢先、サークルの売り子から思わぬ言葉を投げかけられた。
「あの…申し訳ありませんが、年齢確認を…」
「げっ」
そういえばすっかり忘れていた。亜人同士ではあまり意識しなかったが、地球人から見ればあたしは小学校高学年程度にしか見えないのだった。
あたしは慌てて身分証を見せると、どうやら理解してくれたのかやっと同人誌を渡してくれた。
(もっとうまい方法あればいいんだけどなぁ~…毎回コレやるのめんどいし)
そんな事を思いつつ、あたしは次の目標へと歩を進めた。
PM 1:17
同人誌の買い漁りが一段落済んだ所で、あたし達は入り口付近の広場に戻ってきた。
「サツキ様。私は用があるので、2時に3階のコスプレ広場で合流してください」
「えっ、何すんの?」
「それは秘密です」
無表情で口元に指を立てる仕草をした後、クーリエは再び入り口に向かった。
その様子を呆然と見ていたあたしは、とりあえず昼食でも食べようと思い、近くのコンビニに訪れた。
「目の前になるのはいいだけどさ…」
カップサラダとミネラルウォーターを手に取り、レジまで進もうとしたあたしを待ち受けていたのは、またしても行列だった。
「はは…上等じゃないかコノヤロウ」
空腹のあまり自棄になりかけたがなんとか抑え、10分以上もの静かな激闘を制して昼食の確保に成功した。
PM 2:02
約束の時間になったので例のコスプレ広場にきたあたしだったが、クーリエの姿はどこにも見当たらなかった。
座る場所もないので立つしかなかったが、ここに来るまでに長い階段を登って来たせいで少々辛くなってきた。
「あ~もう、一体どこにいんだよ~…あの冷凍マグロ」
「誰が冷凍マグロですか」
ぽつりと愚痴った傍から、後ろでクーリエの冷淡な声が聞こえた。
「ひっ!?」
驚きのあまり短く悲鳴をあげ、恐る恐る後ろを振り向くと、そこには「あの」ミリアちゃんが佇んでいた。
「な…なんでこんな所に…ていうかクーリエどこ?」
この前の件もあってミリアちゃん(のような物体)との距離を離すあたしだったが、ミリアちゃんは両手で頭を抱えると…。
「私です。サツキ様」
頭を持ち上げると、その中からクーリエの顔が見えた。
「それ、一体どうしたの…?」
「はい。この日の為に、特別にオーダーしてもらいました。なかなかの着心地ですよ」
先程の用事とは、この着ぐるみを着て広場で披露する事だったのだろう。サツキはそう察すると、続ける。
「でもそんなおっきぃの、どうやって持ってきたのさ」
「宅配便でここまで運んでもらいました」
「はぁ…」
もはやこれ以上何も言う気にはなれず、あたしはため息をついた。
「さて、サツキ様。そろそろ撮影会に向かいますよ。丁度相方も到着する頃ですし」
「相方?」
頭の被り物を再び被ると、クーリエは広場の中央を指した。
あたしはその指した方向に視線を向けると、こちらに向かって歩いてくる女の子の姿が見えた。
その竜人の少女はポーラちゃん―正確にはポーラちゃんを模した格好をしていたが、あたしには見覚えがあった。
「ルルカちゃん!!!」
あたしがそう叫ぶと、その子は微笑みながらあたしに手を振ってきた。間違いない、十津那学園であたしと同期だった友人だ。
ウィッグのせいで自慢の青髪が隠れて一瞬気づかなかったが、その幼さの残る顔立ちとふくよかな胸でなんとか判別できた。
「サツキくん、久しぶり。…と言ってもクリスマスからそんな経ってないけどね」
「さまかこんな所にいるなんて思わなかったよ~。うんうん、そのカッコも可愛くていいね~」
「ありがと。でもこのコスではやんないからね、これ結構高かったし」
「ま、まっさかぁ~。そんな事思うワケないじゃん、やだなぁ~…」
実は少し期待はしていたが、ルルカにそう言われたのなら仕方がない。あたしは笑って誤魔化すと、現状についての説明を要求した。
「それはそうと、クーリエと一緒に何すんの?なんか相方とか言ってきたし」
それを聞いてルルカは両手を打ち、思い出したかのように話した。
「クーリエさんから聞いてなかったっけ?今日は私達2人でポーラちゃんとミリアちゃんのコスして、サツキくんと3人でコミケを満喫しようって」
「すっごい初耳なんだけど…いや、ちょっと待った」
ルルカの説明を聞いて、あたしは重大な事に気づいた。そう、ルルカと約束していたとはいえ、何故クーリエが唐突にコミケに行こうと言い出したのかを。
「まさか、クーリエにコミケに事吹き込んだのって…」
「うん。前のパーティでコミケの話してたら興味ありそうな顔して聞いてきたからつい…」
ルルカが軽く答えると、あたしは深くため息をついた。
「そういう事です、サツキ様」
「まぁ、事情はわかったけどさ…せめてそう言ってくれればよかったのに~」
「ですが、楽しかったでしょう?」
「………まぁね」
あたしは柵にもたれかかると、そこから下にある入り口付近の様子を眺めた。
もう開会から4時間を越えたというのに、未だ人の波は止まる事はない。座り込んで戦利品を眺める者、あたし達のように仲間内で話し合う者。
そこには地球人と異世界人の区別などなく、コミケという場に集う参加者として交じり合っていた。
「いろんなモノを見れたり買ったりできたし、年の締めに行く所としちゃ悪くはないね」
「私もです、サツキ様。この着ぐるみで存分に暴れまわれるのは確かに気持ちがいいものですね」
あたしの横でクーリエが反復横飛びしながら続けて言ってきたが、あえて後ろを向こうとはしなかった。
「ほら、2人とも。そろそろ広場で撮影に行くからこっち来て!」
ルルカに手招きされ、あたし達は彼女の後をついて行った。
その後はルルカとクーリエの2人を対象とした撮影会が始まり、その姿はカメラやスマホを構えた人達によって次々と写し出された。
あたしもその中に混じって撮影にハマっていたが、ミリアちゃんの元ネタとしてクーリエに引っ張られ、なし崩し的に3人で撮影される事になった。
気がつけば閉会時間となり、辺りは拍手に包まれていった。
祭りの終りを悟ったあたしは寂しさを覚えたが、同時に満たされた気分にもなった。
「また、来れるといいね。クーリエ」
「はい。明日はサツキ様もコスプレしてはいかがでしょうか」
「そうだね~、なんか似合いそうなのがあったら…」
ここであたしは言葉を止めた。明日?
「………ねぇ、クーリエ。まさかコレ、3日間全部行くつもりじゃあ」
「その通りですが、何か?」
「聞いてないって!日帰りのつもりで来たのに、宿とかどーすんの!?」
「ラブホテルくらいなら空いてるかと」
「結局こういうオチになるんだね…はぁ」
こうして、あたしのコミケデビューは一応の終りを迎えた。
あたし達はコミケ開催日の間ラブホテルに泊まる事になり、その間はコミケ疲れと食事疲れがあたしを襲うのであった…。
- 異種族がコミケとかナチュラルコスプレ状態だな。しかしコミケ級の人混みと並ぶという感覚は異世界にあるのだろうか? -- (名無しさん) 2013-12-31 23:27:03
- 地球へやってきた異種族が目の当たりにすればまず驚くであろうコミケの熱気。場外乱闘も含めて十二分にイベントを満喫しているクーリエの底の見えなさはすごいと思いましたが以外と行列に対してすんなり並び待っているサツキ君にも驚き。観察の場としては願ったりかなったりだったのでしょうか -- (名無しさん) 2019-05-26 20:16:02
最終更新:2013年12月29日 22:39