【夫婦水入らず】

本作は【クルスベルグからグーテンターク】の筆者であるところのヨハン・ゲーレン視点の作品となっています。
作中に出てくる物のいくつかについてもそちらで触れられていますので未読の方や興味をもたれた方はどうぞ読んでみてください。(マ)
また、本作と部分的に食い違うような記述などがあるかもしれませんが、コラムとするための脚色と考えていただけば幸いです。


「それじゃ私は今夜は友達の家に泊まりますから、あとのことはよろしくお願いしますね」

 そう言ってお義母さんがニコニコとしながら出ていったのは夕方近くのことだった。

「あら、お母さんもう出かけたの?」
「うん、さっきね」
「そう、まぁたまにはそういうのもいいわよね」

 入れ違いに買い物から帰ってきた妻のエーリは何事もないかのようにそう言って家の中に入っていく、横を彼女が通り過ぎる時に微かに石鹸の匂いがしたような気がした。




「さて、どうしたものかなぁ……」

 こじんまりとしながらもどこか可愛らしい、まるで人形遊びに使うような意匠の家具が並ぶリビングの片隅、その一角だけ他の家具とは明らかにサイズの違う書斎机の前で私は腕を組んで考える。

「まぁ、そういうこと、だよねぇ……」

 今のこの家には私と妻しかいない。まぁ、いくら鈍感と知り合いは愚か妻にまで言われる私でもこれがどういう状況かってことくらいは分かる。つまりそういうことだ。

「ヨハン、今晩は何がいい?」

 そう言ってエーリがリビングに顔を覗かせて夕食のリクエストを訊いてくる。
 こちらの女性としてはわりと珍しい短く切り揃えた赤い髪、彼女の性格をよく現している緑の瞳、やや丸みのある顔立ちをしたノームの女性、そんな彼女が私の可愛い新妻だ。
 エーリと私は二年とちょっとの交際の後に少数の身内と私の仕事仲間でのこじんまりとした結婚式を挙げて夫婦となり、今は彼女の母親と共にクルスベルグとドイツとをつなぐゲートのあるホーンベルグ郊外で生活している。

「なんでもいいよ」
「そのなんでもいいよが一番困るのよ」

 即座に言葉を返され思わず苦笑いしてしまう、妻はこういうところは容赦がない。

「じゃあキノコのグラタンがいいな、あれなら毎日でも食べたいよ」
「わかったわ。じゃあそれと白スープでいいわね」

 そう言ってエーリはエプロンの紐をキュッと締め直すと台所に戻っていく。

 台所へと戻っていく妻の後ろ姿を見送り、改めてリビングで一人今晩のことを考える。
 こっちで親しくなったノームの既婚者の知人に以前聞いたことがあるが、結婚したばかりの新婚夫婦のいる家庭ではちょくちょくこうしたことが起きるらしい。

 つまり『ちょっとお友達のところへ泊りがけで出かけてくるわね、いえいえ、そんな気を使わなくても大丈夫よ、その代わり早く孫の顔が見たいわね』というような、まぁ、そういうことらしい。

「とは言っても、ねぇ……」

 正直な話、妻のエーリとは結婚前からそういうことはしていたわけで、そういう意味では今更どうしたということもないはずなのだが、どうにもこうお膳立てされてる感じがあると逆にどうしていいかがわからなくなって落ち着かない。

「気を使ってもらってるってのはわかるんだけど、ね……」

 なんだか心境としては複雑だ。




「ヨハン、暗くなってきたからランプつけてくれる?」
「うん、わかったよ」

 夕方になり日が陰ってくると日差しをよく取り入れる造りになっているノームの家とは言えど屋内は外より暗くなってくる。夕食の支度で手の離せない妻に代わって私が台所とリビングのランプを点す作業を請け負う。

「ありがとう。ヨハンは踏み台使わなくてもいいから楽よね」
「その代わりによく頭をぶつけるけどね」
「そうね、でも、それも最近はだいぶ減ったわね」

 少し手を伸ばし台所の天井の金具に水を注ぐことで光を発する発光石のランプを取り付けながらエーリの言葉に応じながら苦笑し、彼女は私に向ってやや意地悪そうに笑う。
 エーリは私より遥かに身長が低い、というより彼女の属するノームという種族の平均身長は120cmほど、私とエーリとでは並んで立つと大人と子供ほどの身長差となり、エーリがランプを取り扱おうとすると踏み台と鈎のついた棒が必要になる。

「よし、これでいいかな?」
「えぇ、助かったわ」

 淡い光を放つランプを天井に取り付けエーリに念のため尋ね、彼女も問題無しとばかりにお礼を言ってくれる。水を注がれたばかりの発光石は反応が鈍く光も弱いが、水が石の中に浸透すれば光も強くなってくる。

「じゃあリビングのランプも取り付けてくるよ」
「えぇ、お願い」

 今度はリビングのランプを点すために再びリビングへと足を向けようとし、ふと台所の入り口で振り返る。振り返った先では夕飯の支度をするエーリの後姿があり、蝶の羽のように結んだ腰紐がエーリが動くたびに揺れている。




「さて、もうやることが無くなってしまったぞ……」

 リビングのソファーに腰を落として一人呟く。リビングの天井には先ほど水を注ぎいれて淡い光を放ち始めたランプの光があり、リビングの丸い窓から見える外同様に暗くなりりつつあった室内に徐々にではあるが明るさをもたらしてくれている。

「良い匂いがしてきたから夕食はもうすぐだろうけど、まだちょっとかかるかな……」

 既に台所からは腹の虫を刺激する匂いが漂ってきている。なんでもいいよという流れでリクエストしたが、エーリの作るキノコのグラタンは間違いなく私の大好物だ。

「他にランプが必要な場所は……」

 何気なくそんなことを考え、ふと寝室という単語が頭を過ぎる。

「いやいや!それはいくらなんでも、まるで僕が求めているようじゃないか!」

 それに明るすぎるというのもムードがない、少しばかり暗いほうが逆に……いやいや、何を考えてるんだ私は!




「ヨハン、できたわよ~……って、あなた何してるの?」

 食事の用意ができたことを知らせにやって来たエーリがソファーに横たわり、クッションで顔を押さえて悶えている私の姿を見て「何をしているんだコイツは?」という声を発して顔を顰める。

「あ、いや、なんでもないよ!あぁお腹空いたなぁ!アイタッ!」

 なんとかその場を誤魔化そうとし、急いで台所に向おうとして久しぶりに天井の横木に頭をぶつけて悲鳴を上げ、そのままその場に頭を抱えて蹲る。

「ちょっとヨハン大丈夫!?」

 エーリが心配そうな声を上げて蹲った私の傍に屈みこみ、両手で抱え込んだ顔を覗き込んでくる。

「うん、大丈夫だから、イテテ、ちょっと頭をぶつけただけだよ……」

 もう何度も痛い思いをして体で学んだつもりだったけれど、こういう焦ったり浮かれたりして注意が散漫になると決まってこうなるな……

「ちょっと見せて?そうね、タンコブが出来ているだけみたいだから大丈夫そうね、台所に行ったら濡れ布巾で冷やして、お母さんが育ててる腫れ止めの薬草の汁も念のために塗っておきましょうか」
「ありがとうエーリ」
「まったく。あなたは昔から変わらずドジなんだから」

 そう言ってエーリは僕を慰めるようにそう言って腫れた額に優しく手をかざしながら笑う。
 そうだ、私は妻のこの笑顔で彼女が好きになってしまったんだ―――




 妻のエーリと私の最初の出会いは1995年、クルスベルグは短い夏の季節で、ホーンベルグはクルスベルグとドイツとの国交締結交渉のために訪れたドイツ外交使節団と、この地球世界の各国に先駆けての異世界国家との国交締結の瞬間を取材しようというメディア、そして異世界からの使節団を一目見ようという物見高いクルスベルクの人々、そして鍛冶神祭とも重なるかもということで異常なまでにの賑わいを見せていた。

「はじめまして。今日からヨハン様の担当となりましたエーリ・エンリと言います」
「あ、どうもよろしくお願いします」

 私は当時ようやく小さな記事を担当させてもらえるようになった程度の記者だったが、英語と自分で言うのもなんだがかなり怪しい日本語を話せるということでこの世紀の大イベントを取材する記者団の一員としてクルスベルグ入りし、エーリはクルスベルグ側の担当者という関係だった。
 しかし、正直私とエーリの初対面はお世辞にも良いものとは言えず、正直その後のことを考えるとどうしてこうなったと今も頭を捻ることがある。

「あ、あの、初対面でこういう事を訊くのは大変失礼なことだとわかっているのですが……」
「なんでしょうか?」
「あの、見たところ随分お若いようにお見受けしますが、エーリさんはおいくつですか?」

 今振り返ってもとてもデリカシーのある質問とは言えない、それどころか当時の私はクルスベルグに暮らす人々についての知識がひどく乏しかった。
 いや、当時は私に限らずほとんどの地球人がそうだったのだろうけれど、そうしたことは今更言い訳にもならないだろう。
 然るに、自分の担当者だと目の前に現れた彼女の姿は、私が見る限り未成年、それもギムナジウムの前半生ほどではないのかと思ってしまったのだ。

「……今年で30になりますが、それが何か?」
「え!?」

 その時のエーリの表情は今でもハッキリと覚えている。あからさまに「なんだこの失礼な男は」という機嫌を害しているとわかる表情、後に彼女があの時のことを振り返り「とんでもなく失礼な人だと思ったわ、これが街中で仕事でなかったら飛び掛って頬を打つくらいしてたかもしれないわね」と笑いながら話してくれた。
 彼女は優しい女性ではあるが同時に感情がかなりわかりやすく顔に出る上に勝気な性格もしている。

「何を驚かれているのかわかりませんが、ヨハン様の担当になるには年齢が重要なのでしょうか?」

 明らかに気分を害したとわかるキツイ口調、さすがにこれは拙いと理解できた私はなんとかその場を取り繕おうとしたが、あいにくその時の私にはうまくその場を納める言葉が出てこなかった。

「ちなみに、ヨハン様はおいくつでしょう?」
「あ、はい、僕は今年で27です……けど……」
「……そうですか。では、説明をはじめさせていただきたいと思います」
「あ、はい……」

 その時の会話はそのやり取りで途切れ、そこからは極めて事務的な説明に切り替わった。
 その時はなんとかその場をやり過ごせたと私は勝手に思って安堵していたが、後になってエーリに『失礼な若輩者にこれ以上ムキになっても馬鹿らしいと思ったのよ、出来ることなら後で別の人と担当を変わってもらおうと思ってもいたわね』と当時の心境を教えてもらった。
 どうやらこの時点での彼女が抱いた私の印象は最悪だったようだ。

『でも、結局当時は人手不足で、私の勝手なわがままで担当を替えるなんてできなかったのよね、ヨハン?貴方もしかしたら私と結婚できなかったかもしれないのよ?』

 結婚式の夜、そんなことをエーリが悪戯っぽく話してくれたのを思い出す。結果からすると彼女の希望が通ることははなく、彼女は別の担当者と交代することなく不承不承ながらも私の担当を継続することとなった。




「え?エーリさん母子家庭なんですか?」
「えぇ、父は腕の良い彫金職人だったそうですが、私がまだ小さい頃に流行り病で、それからは母が女手ひとつで育ててくれました」

 クルスベルグとドイツの国交締結交渉や、それに付帯する様々な外交交渉が続けられる期間中、私と、私の担当者であるエーリはどうしてもその関係的に共に行動することとなり、最初こそ二人の雰囲気は最悪と言えるものだったが、長い交渉期間中ひたすら沈黙を続けることもできず、どちらからと言わずポツリポツリと会話が成されるようになり、次第に待ち時間の合間、食事の時間などにはお互いの家族関係や思い出話など、他愛もない会話をするような良好な関係となっていた。

「私は文字を書くのと計算が得意だったので、教導院を出てからは家計の助けになればと役所の事務仕事をさせてもらうようになって、今回は人手が足りないってことで私も手伝うことになったんです」

 私はてっきり彼女はクルスベルグ行政府の役人だと思っていたが、彼女は本来ホーンベルグの人間で、今回は特別に応援として私の担当になったということはこうした会話でわかることになった。

「最近の母は家で顔を合わせれば早く相手を見つけろとか口うるさくて……、ハァ、こんな行き遅れをもらってくれるような人がいたら私だってこんな年までって、私何言って!?ちょっとヨハンさん!い、今のはただの独り言ですからね!な、何がそんなにおかしいんですか!?」
「いやいや、こういう話はあっちもこっちも変わらないんだなーって思っただけですよ」

 すでに私と彼女が知り合って一ヶ月ほどが過ぎていた。この頃には随分と砕けた会話が出来るようになり、真面目一辺倒だと思っていた彼女が随分と感情豊かで、そして優しい女性であることがそうした会話でわかるようになっていた。




「ドイツとクルスベルグのこれからの未来を祝って!」
「祝って!」

 二ヶ月に及ぶ国交締結交渉が幾度かの危なげな場面を乗り越えて結ばれたのは鍛冶神祭を目前に控えた短い夏の終わりのことだった。
 両国間のこれからの交流を願い催された祝賀会には両国首脳をはじめ議員や高官、そして名士が集い、そうした光景を取材するために地球側メディアもその場への入場が許され、祝賀会の場は騒がしくも陽性の空気に満ちていた。

「長いようで短いような、振り返ってみればあっという間でしたね」
「そうですね……」

 祝賀会冒頭の両国政府によるセレモニーを終え、後は立食パーティーという運びとなった会場の一角、これからの両国の未来を祝ってクルスベルグ製の見事なグラスにドイツから取り寄せたシャンパンを注ぎ、それを軽く合わせて乾杯をする私とエーリの姿があった。

「覚えてます?最初に会った時のこと」
「いや、それは、ハハ、本当にすみませんでした」
「アハハ、冗談ですよ、もう怒ってませんから謝らないでください」

 一つの大きな節目が無事に超えられたことでの安堵感、そしてこれからの期待で自然と高揚した雰囲気に包まれる会場で、お互いにこの慌しくも充実した二ヶ月間を振り返る。

「でも、ヨハンさんはこれでドイツに帰ってしまうんですよね……」

 会話も進み、それと共にグラスに注がれ飲み干される酒の量も増えていくと、それまで陽気だったエーリにぎこちなさが混じるようになり、ポツリと小さく呟いた。 

「えぇ、まぁ、とりあえずは……」

 ドイツとクルスベルグの国交が正式に結ばれる。それは一つの大きな歴史的節目が成ったということであると同時に、その取材のためにこの地を訪れた私がこの地を去るということでもあった。

「そうですよね、すみません。おかしなことを言ってしまって……」

 そう言った彼女の顔に寂しさのようなものがあったと思ったのは当時の私がすでに彼女に少なからぬ好意を抱くようになっていたからだけではないと思う。

「でも大丈夫です!実は上司に言ってまたすぐクルスベルグに取材に来れることになってますから!」
「え、本当ですか!?」

 予想外に喜色満面に私の顔を見上げたエーリを顔を見て、内心「しまった……」と私は焦っていた。
 たしかに当時、私の上司であり、この取材に同行するように半ば強制的に送り出した人物であるところのテオドール・ゾンマー編集長に今後も継続的にクルスベルグでの取材をさせてほしいと言い続けてはいたが、この時点では実のところまだ正式な了解は得てはいなかった。
 しかし、この二日後に「まぁ、やる気があるならやりたいようにやってみろ」との投げやりとさえ思える言葉と共に私のクルスベルグでの継続取材が許されることとなった。




「ヨハンさん?なんだかちょっと暑くないですか?」
「え?そうですか?」

 祝賀会の会場には多くの人が集まっていたが、異世界に存在する精霊と呼ばれる存在の力を使っての空調に祝賀会場は適度な温度に保たれ、私自身は暑苦しさというものは感じてはいなかったがエーリの顔はアルコールのせいかやや赤くなっているように見えた。

「中庭に涼みに行きましょう」
「え、えぇ、いいですよ」

 そう言って私は顔の赤くなったエーリに腕を引かれるようにして祝賀会会場から小さな庭園となっている中庭へと出た。

「ふぅ、気持ちいい……」

 山岳の国であるクルスベルグは夏の終わりになれば夜風はともすれば肌寒さを感じるほどに涼やかなものとなり、エーリは火照った顔に夜風を受けて気持ちよさそうに声を漏らす。

「飲みすぎましたか?」
「そうかもしれませんね」

 彼女と私は中庭に置かれた石造りのベンチに並んで腰を下ろすと、そのまま夜風に当たりながら話をする。

「最近、母がヨハンさんを一度家に連れて来いって言ってたんです。まぁ、私がつい口を滑らせちゃったのが悪いんですけどね」
「え?私が遊びに言っちゃマズイですか?ノームの家って前から興味あったんですけど……」
「え!?いえ、そんなダメじゃないですよ!ただ、今までは忙しくて暇になったらねって母には言ってて、でも、このままヨハンさんが取材を終えてドイツに帰っちゃったらそれもダメになっちゃうなぁって……」
「あ、なるほど。でもそれなら大丈夫です。一度ドイツには帰らないといけませんけど、また取材に来た時にエーリさんの家に取材ってことで遊びにいかせてください!」
「はい!母もきっと喜びます」

 それから二人して笑いあったが、エーリがなぜか急に視線を外してしまい、それがどうしてか私も分からず戸惑い、それからしばらく二人はベンチに並んで座ったまま祝賀会場から聞こえてくる音楽と、中庭の虫の音色聞いていたのを覚えている。

「ヨハンさん」

 不意にそれまで押し黙っていたエーリに自分の名前を呼ばれ、彼女のほうに顔を向けると、そこにはありえないほどの近さで彼女の顔があり、次の瞬間唇に柔らかな感触が重なった。
 時間にすればほんの数秒のことだったのかもしれない、だが私としてはまるで時間が止まったように感じられる体験だったことを覚えている。

「アハハ、やっぱり私悪酔いしちゃってるのかな」

 唇同士が離れると、今度はまるで自分の心の動揺を誤魔化すようにおどけた感じで彼女はそう言って笑う。

 今ならハッキリと断言できるが、この瞬間、私の心は彼女のその笑顔に奪われたのだと断言できる。




「ヨハン、ねぇヨハンったら」

 つい昔のことを思い出してしまっていた。
 昔と言ってもほんの二年半ほど前のことなのだが。

「あ、うん。おいしいよ」
「そうじゃない!もぉ!私の話上の空だったでしょ!」

 はい、その通りです。
 私とエーリ、向かい合って座る食卓には彼女の手料理、キノコのグラタンとよく灰汁を掬ってとったクァームの骨のスープに根菜類を入れて煮込み、塩と少量の香辛料で味を調えた白スープが並べられている。

「タシアがね、そろそろ髪を伸ばせって言うのよ、ねぇ?ヨハンはどう思う?」

 タシアとは時々家に手製菓子を手土産にやってくるエーリの幼馴染のことだ。たしか4人の子持ちのお母さん、そんな彼女に髪を伸ばせと言われているとはどういうことだろうか?
 エーリは短い髪型を好んでいるのは知っているし、その好みは出会った当時から今にかけて変わってはいない、彼女の勝気な性格とよくあっていると思うし不満は特に無い、しかし、髪の長いエーリはもっと魅力的だと思う。

「髪を伸ばすのも悪くないと思うよ?でも、なんで髪を伸ばすの?」

「それは……赤ちゃんのためって言うか……」
「なるほど」

 なるほどと頷いてはみたが実のよころはよくわからない。よくわからないけれど何かのおまじないみたいなものなのだろう。

「エーリはさ、男の子と女の子、どっちがほしい?」
「え、急にどうしたの?」
「いや、流れ的に聞いてみようかなって」
「それは、女の子ね、かわいい服を作ってあげたり、髪の毛を結ってあげたりもしたいもの」

 なるほど、やはりこういうところは世界も種族もそんなに変わらないんだろうな。
 それからもしばらく夫婦二人きりの会話をしながら食事は続いた。




「ふぅ……ちょっと食べ過ぎたかな……」

 夕食を終え、リビングのソファーに腰掛けて少々窮屈になった腹部を軽く擦る。
 やはりエーリのグラタンは最高の味で、ついつい食べ過ぎてしまった。
 台所ではエーリが夕食の後片付けをする音がかすかに聞こえてくる。

「夫婦水入らず……とは言えどうすればいいのやら……」

 まだ眠るには少々早い時間、とは言えこれからどこかへ出かけるというには遅すぎるという中途半端な時間だ。

「これが地球なら音楽や映画って手もあるんだろうけどね……」

 無いものをねだっても仕方がないことだが、せめて雰囲気の良い音楽でもあればと思わずにはいられない。

「うーーん……やっぱりお義母さんの心遣いは嬉しいけど、こういうことはなるようにしかならないよなぁ」

 つい後ろ向きな言葉が出てしまう。いや、決してエーリとの子供がほしくないわけではないのだけれど、こういうものは巡りあわせなんじゃないかと思ったりもするわけで。
 そんなことを考えていると食後の満腹感も手伝って徐々に瞼が重くなり、遠くでエーリが片付けをする音を耳にしながら意識が遠のいていった。




「ヨハン?ねぇヨハン起きて……」

 体を揺すられ、そこまで深い眠りには落ちていなかった意識が霞がかった夢の向こう側から引き戻される。

「あぁ、うん、ついウトウトしてた……」
「もぉ、こんなところで寝ていると風邪ひいちゃうわよ?」

 目を開けると目の前にはエーリの顔、どうやらソファーに腰掛けた私の膝に腰掛けているらしい。

「それに……今日はお母さんがいないんだし……」

 よく見ればエーリの頬は紅潮し、瞳もやや潤んでいるように見える。

「お母さんが早く孫の顔が見たいからこんなことをしてるって私もわかってるわよ?だけど、こういう日でもないと二人っきりになれないんだし……ね?」

 最後のあたりは私の耳元で囁くように言ってくる。それと共に彼女の髪や体から放たれる甘い石鹸の香りが強く感じられる。
 夕方、買い物から帰ってきた時にすれ違い様に感じた香り、だが、それは彼女が買い物に出かける前には感じなかったものだ。

「エーリ、もしかしてお風呂に入ってきた?」
「……うん」

 どこか恥らうように、小さな声でエーリが頷く。なぜとは訊かない、聞く必要もないことだろう、なぜ彼女がそうしたか、それを考えるだけ熱いものがこみ上げてくる。
 お義母さん!私の今までの考えは間違っておりました!一日も早く孫の顔をみせられるようこのヨハンがんばりたいと思います!
 そう玄関で見送った義母の幻影に向って心の中でドイツ陸軍式の敬礼をすると、私は膝の上に乗ったエーリを素早く、しかし優しく抱き上げると、そのまま寝室へと突撃を敢行した。




「ごめん、ちょっと張り切りすぎた」

 行為を終えて二人ベッドに向き合うように横になっての会話、エーリは私の腕を枕代わりにしている。

「ヨハンがなんで謝るのよ、それなら私のほうこそ……」

 彼女はそう言ってくれているが、こうして横になって体を休めるまでの彼女はまさに息も絶え絶えだった。
 私と彼女とでは体格も体力も相当に異なる、本来は私がそうしたことも気遣わなければならないのだろうとわかってはいるが、どうしてもそうしたことが途中から上の空になり彼女に無理をさせてしまっている。

「エーリは一生懸命僕を受け入れてくれてるよ」

 私はそう言って彼女の汗ばんだ額に張り付いた赤い髪の毛を払い、そして優しく彼女の髪を撫でる。

「ねぇ、ヨハン?」
「何?」
「私、早く赤ちゃんがほしい、お母さんに孫の顔を見せてあげたいとかじゃなくて何より私があなたとの赤ちゃんがほしいって思ってるの」
「うん、僕もだよ」

 この世界には多種多様な異種族が存在しているが、よほどのことがない限りは異種族の間で子供を作ることは可能らしい、ただし、生まれてくる子供は両親どちらかの種族の姿を受け継ぐらしい。

「夕食の時は女の子がいいって言ったけど、元気な子なら女の子でも男の子でも私は嬉しいわ」
「そうだね。男の子でも女の子でもエーリの子ならきっとかわいいに決まってるよ」
「何言ってるのよ、貴方はとても素敵よ?この金色の髪も、その青い瞳も、もちろんあなたという人そのものがとても魅力的なんだから」

 エーリは私の髪を私が彼女にそうしたように撫でながらそう言ってくれる。なんともこそばゆいが悪い気持ちではない。

「ありがとう」

 私はそう言って愛おしさの余り彼女を抱き寄せる。肌と肌が密着し、お互いの息遣いや彼女のやや早い心音がより強く感じられる。

「ヨハンの心臓の音、大きくて大らかで落ち着く……」

 そう言ってエーリは僕の胸の中に納まると、ほどなくしてその息遣いはゆっくりとした寝息に変わった。

「おやすみ、エーリ……」

 私もまた胸の中で寝息を立てる妻の温かさを感じながらほどなくしてその意識は眠りの中に落ちていった。


  • うーんめでたしめでたし。きっと内面に惹かれたんだよねヨハンは。ロリ@ンじゃないよね -- (名無しさん) 2014-04-03 02:12:54
  • これだけ見せ付けられたら記者シリーズのあったか家族も納得ですわ! -- (名無しさん) 2014-04-08 01:02:39
  • 異世界で結婚できる年齢に決まりがあるのか気になる -- (名無しさん) 2014-04-18 20:58:44
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最終更新:2014年04月02日 16:12