マセ・バズークの街には四つの道がある。
蟻人など多くの者が歩く地上の道。そして蟻人が住む町に張りめぐらされた地下の道。
そして蜂人が飛ぶ空中。
最後に蜘蛛人が行きかう糸の道。
この糸道は粘着性がない糸が使われ、誰の巣とも関係ない場所を選んで繋がっているため所有権はない。縄張り意識の強い蜘蛛人も、糸道では争いを引っ込める。
その代わり、先達がその時の都合で張った糸道なので誰もが快適に感じるようには出来てない。
かといって張り巡らせば粘着性は無いとえ蜂人たちの通行の邪魔となる。
そんな糸道を沢村はトレリロレロンの踊り靴で滑走していた。
時より訝しげに沢村を睨みつける蜘蛛人もいたが、沢村は軽快に飛び越して突き進む。
燐光を放ちながら蟻人たちの集合都市にたどり着いた沢村は、一際高い蟻塚を目指した。
街は土色で埃っぽい。蟲人と音楽の相性も最悪だが、この環境は歌うにも辛い。
蟻塚は土を固めたもので表面は脆く中が閉まって頑丈と、吸音効果抜群でギターなんて貧弱な楽器を受け付けない。
きっと、蟻塚の中には生半可な音など届かないだろう。
しかし、沢村は演奏する。
スラヴィアで彼は閃いた。
スクエア・ピアノへ教え込んだエチュードの数々。これから沢村は着想を得た。
蟲人。特に蟻人たちが使う言語は純正調音階に近い。純正調音階とはいわば神が作り出した音階だ。
世界に溢れる極々自然な音階。しかし、この純正律のみで造られた音階は特定の和音で酷く濁った音をだす。
だから蟻人たちの会話には、必ずノイズが混じりこむ。
これは美しくない。だが、彼ら蟻人にはそのなんの問題もない事案なのだ。
そして純正律だけで、音楽を演奏する事は出来ない。
人類は…特にピタゴラス以降の天才たちはこの純正調音階を発展させ、平均律音階を完成させた。
平均律は隣の音階と等しい周波数比を持ち、うなりの無い協音は様々な音楽を奏でるのに向いている。否、様々な音楽を表現するために生み出された。
彼ら蟲人は原初の音階で間に合ってしまったため、発展させてこなかった。そして感情の起伏の少ないそれは非常に都合のいいものであった。
心を震わさないが、震える必要もない。
並列化し知能の高い彼らだからこそ音楽は無用だが、音楽の中にある数学に彼らが価値を見出したならば?
沢村は詰らない音階を掻き鳴らす。
スラヴィアで暖めたエチュードは、純正律が平均律に移り変わるその過程を煮詰めた音楽。
いや音楽ですらないだろう。まるで丁寧な音階の繰り返し。濁った音がだんだんと透明になっていく。
これを繰り返し繰り返し、蟻人たちの頭に刷り込む。そして共有化させたところで沢村は歌う。
単なる挨拶の歌を……。
沢村の長い長い演奏が終わったとき、周囲の蟻人たちに変化が訪れた。
蟻人たちは、顎を打ち鳴らした。
拍手ではない。彼らは通信を始めたのだ。
顎を打ち鳴らす音は、街に広がりそして沢村が掻き鳴らした音以上の複雑な音階と和音を繰り返す。
複雑で乱雑な彼らの音を、沢村は座して聞いた。
沢村に出来る事はもうない。
音楽の先人たちが残したテキストはもうこれが精一杯なのだ。
《我々は新たなるプロトコルを得た》
不意に、沢村の後ろに蟻人の一個体が立った。
《我々はお前に感謝する。この儀典をさらに最適化する事によって、我々はより多くの計算処理を行う事ができるであろう》
「そうかい……」
沢村はニヒルな笑いを浮かべ、ギターを抱えた。険のある容貌と四白眼のせいで、凶悪な笑みにも見える。だが、彼は落胆しているのだ。
「歌は届かないかい?」
蟻人は沢村の歌を理解できない。しかし、蟻人は喜びに打ち震えていた。フェロモンがそれをあらわしているが、それは沢村には届かない。
沢村の感性は、そういったフェロモンや単なる人間の表情など表層とは無縁であった。
なぜなら沢村は人間の顔を認識できない。
個人の区別から、単純な表情の違いを一切理解できない。
一緒の脳障害だ。
だから彼は音楽を選んだ。他人の心に触れるための手段として。
叩き込まれた音楽の知識と技術は代替品に過ぎなかったが、沢村がかろうじて人間であるために神が与えたもうた才能は本物である。
しかし、その感性も蟻人には伝わらない。
音楽も蟲人にかかればただの道具だ。
《落胆する事は無い。人間よ》
信じられないことに、蟻人は沢村に慰めの言葉をかけた。
《このプロトコルを共有化することにより、我々の処理には多くの余剰が生まれた。これは平和を意味する》
「平和? だって?」
《肯定する。我々が争った演算領域は、お前の与えた新しい情報処理技術により留保される事が決定した。これは戦争の停止。ひいては平和を意味する》
蟻人は思わぬアプローチで、沢村の功績を称える。
《喜べ人間よ。お前は争いを止めたのだ。その音楽という技術によってだ》
沢村はロッカーだが反戦主義者ではない。
だが、たかが音楽一つで争いを止めた。
嬉しい事だが本懐ではない。
《我らの陛下より伝言がある。心して聞け》
《そなたの贈り物には満足した。汝の元に良き物を下そう
だが、つらつら忘れるでないぞ。
我らが汝のいう感情や感性を得た時、必ずや演算領域は枯渇するであろう。
そして、それは新たなる争いを生むであろう。
さらに残念なことに、その感情が争いを生み、感性の違いが互いの理解を阻むであろう。
汝の思い。済まぬが我らの理性にて封じる》
一方的な通達である。
沢村はふらりと立ち上がると、蟻人たちの街を睥睨した。
「アンヴィバレンツでコンプロマイスか……。お前ら幸せだけど窮屈なんだな」
蟻人は反応しない。
だから沢村は諦めた。
「あーあ、歌を理解してもらえないのに歌で戦争止めちゃったよ。まあ、いいか。ロッカー冥利につきるぜ」
拝啓、ジョン・レノン様。
どうやら、戦争より音楽と心の方が深いようです。
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- 沢村の特異さと奏でる音楽が蟲人の間に起こした変化は友好だけが交流ということでもないのかなと考えさせられました。蟲人からのフェロモンなのが届かないのも異種族同士の壁を演出しているなと思いました -- (名無しさん) 2013-04-13 19:37:46
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最終更新:2011年10月17日 12:18