ゲートが開く時、少なくない不幸があった。
カナダ南西部、ブリティッシュコロンビア州に長くうねる渓谷の底にオカナガン湖がある。
世界でも珍しいフィヨルドによって形成された淡水湖で、地質に詳しければ地球の隆起と活動を伺いしることができる。
風光明媚でワイン産地のこの湖南端に、突如ゲートは開いた。
ミック・ストラドリンは2歳の時、この湖畔へ家族ともに訪れた。
父親は得意のブルース・ハープを奏で、母親は息子を抱く。
オカナガンの湖は、静かにただ静かに三人を乗せたボートを浮かばせていた。
突如、異変が襲った。
不愉快な耳鳴りと共に周囲の水鳥は慌てて飛び立ち、遅れて湖面は漣を立て始めた。
危険を悟ったミックの両親は、二人で息子を抱えてボートの上で身を竦めた。
抱く腕の間からミックは、湖面から立ち上る雲のごとき黒い影を見た。まるで悪魔が口をあけて湖の水を飲み干そうとしているかのようだった。
弾ける黒い影からの衝撃によって、ボートは木の葉のように吹き飛ばされた。
この時、ゲートが開いた。
まったくもってストラドリン一家に迷惑なことに。
ただ一人、湖畔に流れ着いたミックは水を吐き終えると、未だ漣を立てる湖に振り返った。
大きく開いたゲートを見上げながら、ミックはパックリと開いた額を抑えた。血は出ていない。
両親は浮かんでこなかった。
この時から彼の瞳は濁った。
そして今に至る。
エヌの首を刎ねたミックは、マチェットを構えなおして狼狽するパパハイドンを見据えた。
パパハイドンはただの人間に首の一つを取られたことに混乱したのか、誰を真正面に据えるかを言い合いながらクルクルとその場を廻っていた。
しかし槍は十分危険だ。無闇には近づけない。
ミックは腰を落とし、エヌの顔にマチェットを突きたてると、手首を返しつつ上に跳ね上げた。
「あら?」
肺が無いのに驚きの声をあげ、エヌの生首はパパハイドンへと飛んでいく。
慌ててパパハイドンは回転をやめ、ダブルは槍を手放してエヌを首を両手で捕らえた。これはパパハイドンの失態であった。
悠々と間合いを詰めたミックの無造作な一撃により、四体一身の胴体は腰から見事に切り分けられた。
小気味良い音と共に真横に上下に泣き分かれたパパハイドンは、床に転がり呆然とミックに連れ出される女奴隷を見送った……。
「ちょ……。アンタ! これをあたしに着ろっていうの!」
現金なもので、助けがくるとジェシカはいつもの元気を取り戻していた。
未だ足元が震えてはいるが、ミックに対する態度はいつも通りだ。明るい声にも震えが潜んでいるが、どちらかというと歓喜の震えが大きい。
さてミックの手渡した衣装は、中東の踊り子が着るかのようなつくりだが、どこからみても布切れであった。
さほど隠すには苦労しないジェシカの胸だが、薄絹一枚では心もとない。一応、ブラらしき縫製はされているが薄さはどうしようもない。さらに問題なのが下だ。
端的にパンツがない。ただの前垂れと巻きスカートだ。
文句をいいながらも裸ではすまないので、ジェシカはミックの背中を見ながらそれを着た。
「助けにくるならししし下着くらい持ってきなさいよ! べ、別にうちのタンスあけてこいって意味じゃないわよ! どこかでそれらしいの持ってきなさいよ。ねえ、聞いてる?」
ジェシカが着替え終わると、まるで興味などないようにミックは子爵邸の廊下を突き進む。少しくらい艶かしいジェシカの姿に反応があってもいいだろうに、彼はいつもこの調子だ。
とはいえ、今はホッケーマスクをつけてるので表情は分からないが。
未だ文句を並べるジェシカの手を引きながら、吹き抜けのエントランス二階に出ると突如ミックは何かに下から突き上げられるように跳ね上がり、側面の壁に叩きつけられた。
「ミック! だ、大丈夫!」
慌てて抱き起こそうとするジェシカの足元で、ずるずると何が引き摺られるような音がした。
果たしてそれはミックを突き飛ばしたものであった。
それは
オークの生首。ジェシカはオークなど知らないので醜い豚が下品な笑みを浮かべているように思えた。
「げへへ、丸見えだぜぇ」
驚いて床に座り込むジェシカの下半身をいやらしく眺めながら、オークの生首はずりずりと引き摺られていく。
切断された首には細い鎖がついており、その先は一階エントランスへと続いている。
引き摺られる生首の先。
そこには全方位子爵を越える、おぞましい女が立ってた。
「なにかしら? せっかく父上母上へご挨拶と思ったら何かしら? 何かしら? まるで強盗に入られたかのようじゃない」
ミックが倒したであろう番人が散らばる一階の中央に、女デュラハンが蹲踞していた。
首なし騎士は、四角い箱のようなものに腰を下ろし、オークの生首に繋がった鎖を引き寄せている。
「あなた、新しい奴隷でしょ? だめよ逃げちゃ。おいたしたらおしおきよ」
女デュラハンはそういって立ち上がると、座っていた四角い箱を抱え上げて首の上に乗せた。
否、それは首であった。
まるでルービックキューブの一面に九つの首を嵌めた四角い首。その首箱は、実に45の首が収まっていた。
老若男女からトロールや鬼、顔は人間だが
ケンタウロスやらもいることだろう。果ては蟲人の首まで収まっている。
自らの首は小脇に抱え、本来の首が乗るべきところには首箱を載せる。
ニュースに負けず劣らず、彼女は恐ろしい感性の持ち主であった。
「奴隷に名乗る名前なんて無いけど、あなた可愛いわね。気に入ったわ。私はエルネ・パパハイドン。お出かけ用の入れ替え首にしてあげるからいらっしゃいな」
引き寄せたオークの生首を横面右下納めると、女デュラハンは名乗りを上げた。
立ちすくむジェシカに代わり、のっそりと何事もなく立ち上がったミックが庇い立つ。
ミックはホッケーマスクを外すと、とんとんと自らの額を指差した。
「あら、そこにもう一撃欲しいの? せっかく女の子みたいに整った顔をしてるんだから、わざわざ潰すこともないでしょう?」
四角い首箱をくるっと半回転させると、そこには鬼やオーク、蟲人などの角や硬い殻をもった首が収まっている。
「まあいいわ。ぱっと開いた首もたまには欲しいから、お望みどおり砕いてあげるわ」
そういうや、首箱から一斉に首が射出された。さながらロケットランチャーである。
襲いくる首のミサイルを迎えうつミック。
一番のオークに頭突き! 二番の鬼に頭突き! 三番のシカに頭突き! さらに頭突き! 足りぬなら両手での正拳!
全ては叩き落とされ、一階のエントランスへと落下した。
「うがー、いってー!」
「なんて石頭……」
「ららぁ星が見えるよ」
無様に散らばる首たちを引き戻しながら、エルネは小脇の首で平然とするミックを睨みかえした。
「あんた! 何者だい? 屍人でもないのにその……まるで……」
エルネはミックから溢れる生を見咎めた。
まるで無尽蔵。死を拒否する屍人とはまったく逆の、死を無縁である生気の塊。
「なーんか、嫌なモンみちまったかねぇ……」
首を引き寄せることも忘れ、エルネは恐怖で肩を抱いた。
へたり込むジェシカを立たせると、ミックは階段をゆっくり下りた。
エルネは首箱全ての叩き潰され、腹には蜀台を深く突きこまれ、そのまま壁に縫い付けられていた。
「あんた、どうやって帰るんだい?」
エルネも然る者。そんな状況でも平然と会話ができる。
首は床に転がっているが。
「……帰る」
ミックに代わり、ジェシカが答える。
「だからどうやって?」
「……絶対、帰る」
壁に縫い付けられたエルネの体が身を竦めておどけてみせた。
「恋人がいるなら、どこでもいいじゃない。あたしんところの領地で暮らさない?」
「帰る。……ああああとここ恋人って誰よ!」
しっかりとミックの腕に抱きついていながら、言動不一致のジェシカである。
馬鹿らしいとエルネは嘆息一つ。
「はいはい、いいからいきな。あたしの父上母上はしっつこいからせいぜい気をつけんだよ。あんたの首は予約しておくから」
ミックもジェシカも去り、誰か降ろしてくれないかなとエルネが思っていると、子爵が滑稽な姿となって二階から降りてきた。
エヌの首無し上半身は、八つのジャマダハルで蜘蛛のように床を突きながら歩いてきた。
追いかけるように、顔の割れたエヌの生首を乗せた下半身が走ってくる。
「なんだいそれは、酷いもんだね」
「お前は人のことをいえた姿ではないだろう。壁の花よ」
エスの呆れた顔は珍しい。いつもはどこか飄々としているのに。
「追いかけるのかい? 父上母上」
「当然であろう!」
そういって娘を救出することを忘れ、子爵は刃で石畳を打ち鳴らしながら館を飛び出した。
「あー、まったく。あのガキにかなうはずないだろ……」
肩を竦めて首を振るしぐさをエルネの身体が動く。もちろん、首がないのでなんとも足りない意思表示だ。
「ありゃー、きっとあれだな……。確かそう……。昔、どこかでみた」
思案顔だったエルネの顔がアハっと明るく栄える。
「ゲートの悪魔。そうだ、ゲートの影とかいう奴だな!」
「あいつはゲートが閉じるまで死なない。ゲートと運命を共にするイレギュラー」
これを誰に報告しようかと、エルネは熟考し始めた。
未だ身体を下ろしてくれる人が訪れなさそうなので……
- 思いがけない過去が明らかになったミックの奮闘に手に汗握りましたがあの過去が無ければここまでの行動を起こせなかったのではとも思いました。ホラーのバーゲンセールからは脱出できたものの無事に元の世界に帰れるのか楽しみです -- (名無しさん) 2013-04-13 19:45:27
最終更新:2013年04月13日 19:42