「それで方針は決まったかの? そっちの意思が決まるまでに永遠の時間をかけてもらうのは結構じゃが――」
言い募る《声》を、グレッグは身振りで制した。
「一ついいか。代理自我なんていったい何に使う? 並べて飾っておくなんてこたないよな?」
「実を言うとそれに近い。まあ、ちっと見せてやろう。そら」と《声》は言った。「こ、ん、な、ぐ、あ、い、じゃ」
そらという言葉を紡いだのは二つの声だった。一つ一つ区切って発されるごとに、声の数は倍になった。私たちの周りに渦巻いている水の一筋一筋が、銀色に輝く意図になって絡み合う。すべてはこのバス、《祈りの海》に流れる水流とつながっていた。水流を構成している水の精霊たちは、それぞれが自らを代表する声を与えられていた。声は互いに呼び交わし、寄り添いあって歌いながら、より大きな声を織り上げている。すなわち、代表知精=《声》だ。
「お嬢さんの代理自我も、これに加わってもらうことになる。すべてこのバスを通行するもののために働いてもらうのじゃ」
「見たところ、プロキシですらないな、こいつらは」グレッグが声の一つをつかみ上げ、引き伸ばして調べ上げる。ゴムのようにのばされた声が、抗議するように身を震わせてグレッグの手から逃げ出した。
「まあな。正直、細流の一つを任せるに足る精神すらめったにでてこん。質より量で賄わせてもらっとるのじゃ。基本的には、よこされた精神もそんなに長続きせん。うたかたのように破れてしまいよる。そのことを悲しく思うだけの知性は残っとらんのが普通じゃがな。どんどん壊れてどんどん取り替える、それがここのやり方じゃ」
「補充ぬきじゃそのうちすべてが崩壊するってわけか。いいぜ。そういうことなら俺たちも協力させてもらおう。よろこんでプロキシの一部を提供する」
「そういうわけにはいかんな。大体はそれで済むんじゃが、時にはより上等な知性の持ち主が必要になることもある。お前さんたちの連れとるシーヴとかいうお嬢ちゃんは実にぴったりじゃ。極めて高い能力を持ち、しかも可塑性と耐久性の両方に富んでおる。ついでに言えば話しておって面白い。そりゃお前さんたちにとってひと財産であることは百も承知じゃが、イニシアチヴを握っとるのがどっちか思い出してほしいもんじゃな。それに、何も唯一の本体をよこせなんて言うとりゃせんぞ。完全なコピーですらない。機能の劣る代理自我で勘弁してやろうと言うておるのじゃ。細かいこと言いっこなしで行くのがお互いのためだとは思わんか」
だんだんと聞くに堪えなくなってきた。これは脅迫そのものだ。異世界ではこれが普通のやり取りかもしれないというおためごかしは、ここにきてすっかり消えてしまっていた。私は息をひそめて、出番が来るのを待った。
「わかった」とグレッグが言った。
「そんなに言うんじゃ仕方がない。あんたの言うとおりにしよう」
「そうじゃろうとも」
「そういうことだから、シーヴ、お前も覚悟を決めて――おっと」
一世一代の名演技だと私には思えた。混じりっ気なしの驚きを、タグの形で放出してさえいたのだから。私もすぐに真似をして、シーヴに縋り付きさえした。「こういうのはやりすぎるぐらいがいいんだ」とグレッグは計画段階で言っていたし、《声》の狼狽ぶりを見れば、効果のほどは明らかだった。
そしてシーヴはといえば、ほとんど限界までやりすぎていた。
腐敗さえ始まっていた。あらぬ方向に折れ曲がった腕、弛緩した体。だらしなく開いた口からは正体不明の期間が覗いていて、見る間にもろもろと崩れていった。この《祈りの海》でガベージコレクタの役割を果たしていると思しき小エビが、シーヴの現実世界の体におずおずと近づいている。バブルヘッドのアヴァターが、シーヴの垂れ下がった触角をつんつんつついていた。私の体に取り付いていたクリーナバグが這い出してきて、シーヴの体に興味を示すようにみーみー鳴いていた。
「なんじゃこりゃ」と《声》が言った。
「見てわかんねえのか! 死んでるじゃねえか!」
「なんでまた? 寿命かの? 見たところ身体にかなりの改造が施されておるようじゃ。そういう個体は往々にして無理がたたって長生きできん。まあ、お気の毒じゃの」
「他人事みたいに言ってくれるじゃねえか。お前の責任だ」
「はあ? なんでまた」
「うちのシーヴは繊細なんだ。お前みたいなやつに奴隷にされるとあって将来を悲観したにきまってるだろうが」
「奴隷とはなんじゃ。ただの代理人格じゃろうが」
「十分個人の侵害だ。そもそもお前には利用者の安全を確保する義務が――待てよ」
グレッグはシーヴからのメッセージをチェックした。正確には、そのふりだ。中身を読み終えたふりをしたグレッグは怒号をあげながら内容を《声》に転送した。
「見ろ!」
グレッグが展開したのは、シーヴの生体モニターの記録だった。内蔵の活動や感覚入力、外部接続端子からの入出力ストリームなどを含む完全な記録だ。グレッグはそこで、シーヴの身体コントロールを示す場所をハイライトしていた。《祈りの海》に入るまでには、シーヴは体を100パーセント自分で掌握していた。《海》に入ってからは、一部を《声》に明け渡している。オートパイロットのためだ。
ところが、ほんの先ほどから、《声》の支配する領域はどんどん広がっていた。随意筋のほとんど、循環器、中枢神経系さえも掌握してしまっている。そしてある一点で記録は途切れていた。小さなタグが付属している。「このメッセージを目にしているということは僕はもう死ん」
「お前が押し入ってきたせいでシーヴが死んだ! 自我を保てるだけの計算能力も割り当ててないじゃねえか! こっちが信頼して任せてるのをいいことになんてことしてくれてんだ!」
グレッグは怒り狂う演技を心の底から楽しんでいるようだった。私も、動転しているふりをしなければならなかった。難しい作業ではあった。特に、死んだはずのシーヴが横で野次を飛ばしまくっているとすればなおさらだ。
「いいぞ! そこだ! もっと言ってやれクソ上司! いやもう、この際クソのところは撤回してもいいですよ! あのセクハラというか生存ハラスメント爺に自分のしたことを思い知らせてやってください! そのために必要な記録はしっかり作っておきましたからね。見てくださいこの死にっぷり! 今までの人生でこんなに死んでたことないですよ。いや、それにしても僕の仕事ぶりもなかなかですけど、グレッグのあの切れっぷり見ましたか! お見せできないですよこんなの。どこに出しても恥ずかしいクレーマーぶりが板につきすぎていて本業なんですかクイズの正解率は何と2%以下(シーヴ調べ・調査対象はランダム抽出したそのへんの水・有効回答率3%)ですよ! こういう時は人間性が出ますね。この人が味方でよかったですね。ほんと人にいちゃもんつけて回るのがガイドの仕事だと思ってもらっちゃ困りますけど、この上司に関しちゃあたりですよ。よしよし相手はひるんでますよ! そこで畳みかけろ! 前の担当者はお前と違ってちゃんとしていた論法で相手を威圧――あーもしもし、そこのエビ? ちゃん? 僕は死んでるふりをしてるだけで、本当には死んでるわけじゃないんですよ。だからかじるのはちょっとやめてください。止めろ。止めてってば! 聞く耳もちませんってかー! エビですもんね仕方ない仕方がイテテテテテテテテ」
ヒートアップしてしゃべり続けている半透明のシーヴは、息絶えたように見える現実世界の体の横で飛び跳ねている。まるで幽霊のようだ。マセ=バズークにも幽霊はいるのだろうかなんて疑問はとりあえず脇において、私はひそかにバブルヘッドを拾い上げた。手のリサイズに縮まり、シーヴのそばで所在無げにしていたルミナス号の補助肢を操作して、エビたちを追い払った。
死んだふりをしようというのはグレッグのアイディアだった。シーヴがこれまでにもやっていた欺瞞の業を、こんどは相手を陥れるために使うのだ。《声》がシーヴの中に差し入れているプロセスから逆にリクエストを流し込み、誤認を引き起こす。ありもしないアクセス記録をでっち上げ、情感たっぷりの遺言までこしらえたその手際は、グレッグが世間話で相手の樹をそらしている間にやってのけたことからも明らかだ。シーヴはただでさえこの手のことには達人で、おまけに憎い相手に一泡吹かせられるとあって、仕事に妥協は一切ない。
なおも罵声を浴びせながら飛び跳ねるシーヴの姿は《声》にも、そしてグレッグにも見えていない。私に感知できるのは緊急時の連絡役だからだ。私はグレッグをなだめるタグを送りながら、「問題なし」と暗号化されたメッセージを送り付けた。グレッグの勢いに火が付いた。計画の第二段階だ。
「とにかく、《声》さんよ。こうなっちゃn取引はご破算だな。なにしろ死んじまった」
「バックアップぐらいあるじゃろ。そっちで構わんよ」
「そんなもんはない。ここじゃ一回死んだら死ぬんだ。もうお前の欲しがってたシーヴは永遠に消えちまった。きれいさっぱりな。それもこれもお前がシーヴに入り込みすぎたせいだ」
「そんなもんは知らんぞ。まあいい、運賃を出せんというなら降りてもらうのが当然というものじゃ。元いたところまで送り返して――」
「しらばっくれる気か? お前は利用者の安全を保障する規定に違反してる。損害賠償を要求する」
「あり得ん。わしは一切関知しとらん」
「こっちには証拠がある。俺はこれを《ミリオンズネスト》に提出する。そして《祈りの海》の信頼性評価に対する疑問を突き付けてやるつもりだ。たしか俺の知ってるところじゃ、《ネスト》は《祈りの海》で、特に知性化建材と付属作業員の輸送、それから最近は観光業でも保険で高い利益を上げてるそうだな? 得体の知れない理由で利用者が傷ついたとあっちゃ、《ネスト》もほっとかねえだろうな」
「そしてお前らの言いがかりが言いがかりだと明らかになるというわけじゃ」
「どうだかな。言いがかりをつけてきたのはそっちのほうだろうが。とんでもないぼったくりだ。なんだか通行させたくない理由でもあるのかってぐらいに」
「何をでたらめな」
「でたらめか。証拠のそろったでたらめなんてあるのかね。大体そんなに言うなら、証拠を見せてもらおうじゃねえか。そっちの記憶を」
こっちは出すもんだしたんだからな――とグレッグはサメのように笑う。
「前言撤回当たり前のぶつぎれ精霊がどれだけ言葉を並べたところで無意味だ。お前だって多少は自己連続性を保ってるんだろうが。自分を維持するための記録を必ずどこかに着けてるはずだ。それを出せ。お前がやったことの記録を提出するよう要求する。そうすりゃ、《ネスト》には黙っといてやるぜ」
《声》は沈黙した。
固唾をのまずには見ていられなかった。シーヴが死んだふりをするのは《声》にいちゃもんをつけるため。そして《声》にいちゃもんをつけるのは、あくまでこの記録を閲覧するのが目的のトリックに過ぎないからだ。本命はここから。そして《声》は迷っていた。もし相手が挑発に乗らずにへそを曲げるか、あるいはもっと悪いことに、これがすべて欺瞞だということに気が付いたらすべてがおじゃんになる。
長いにらみ合いだった。
「よかろう」
ついに、《声》がそういった。
「好きに調べるがいい。飲み込まれなければの話じゃがな」
そうして、《声》がほどけはじめた。
但し書き
文中における誤り等は全て筆者に責任があります。
- SFが濃くなってきた。やり取りの根っこは単純なので理解しやすい。精霊とSFの合体は興味深い -- (名無しさん) 2014-08-21 23:11:14
- 死んでるからの怒涛のプッシュ、理詰めとおいちゃんと死んでろ盛大に吹いた。 声の正体が遂に?! -- (名無しさん) 2014-08-23 04:16:09
- めちゃくちゃ面白い!続き楽しみに待ってます -- (名無しさん) 2014-09-17 03:44:38
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最終更新:2014年09月17日 23:30