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 特に当てがあるわけじゃない――グレッグは事前にそう白状していた。

「だが、あいつの変わり身はいくらなんでも急すぎる。俺もボビーの交わした通行契約をチェックしてみたが、妙なところは一つもない。何かがあったんだ。俺たちがここの通行権を押さえてから、実際にこの場所にやってくるまでの間に。ああもなりふり構わないやり方に打って出ている以上、仕込みの方もお粗末なもんだろう。そこを突く」

「幸いにも、通行契約によれば、バスの通行者は問題が発生した際、バスが蓄えている各種の記録をある程度まで閲覧することが認められている」とボビーが続けた。

「むろん《声》は渋るだろうが、結局は認めざるを得まい。このレベルの命令セットは相手の基幹アーキテクチャに組み込まれている。断ることは絶大なストレスのもとになるだろう。自壊やそれに伴うリブートさえ引き起こしかねない」

「そうなってくれりゃ、こっちとしても御の字だな」

「えー、でも大丈夫なんですかね」とシーヴ。

「ある程度までって言ったって、膨大な量になりますよね。僕がいなくて大丈夫なんですか? 未加工記憶の束に埋もれて窒息してもママは助けに来てあげられませんよ?」

「段取り通りにやれ。お前はおとなしく死んでればいい」

「だってだって、絶対難しいですよ。バス丸ごとでしょう? ここはやはり僕の秘められたぱうわーをズガっと解放してですね」

「後でな。今はこっちの二人にお出まし願う。頼んだぜ、お二人さん」

 ボビーと私は顔を見合わせ、うなずいた。私にとっては初めての、本格的な活動だ。





 《声》の記憶はところてんに似ていた。

 《声》が解放した記憶領域に格納されているのは、何千もの下位精神に対するリファレンスだった。それらの一つを引き抜くたびに、とりとめのない思い出がゲルのような粘性でもって押し寄せてくる。流路に転がっていた砂の描いたパターン、蟹人の商人がこぼした分解バブルの中身、洞窟内に反響したキャビテーションノイズ。蓄えられていた記憶はすべてが未加工で、だから《声》の狙いもはっきりとしていた。――『好きに調べるがいい。飲み込まれなければの話じゃがな』

 グレッグが口笛を吹いた。

「さて、それじゃおっぱじめるか」

「了解」

 最初に動いたのはボビーだった。

 ボビーは、現実世界で収まっている小さな体ではなく、最初に会った時のように人間大の蟻人の姿を取っていた。ボビーは四本の腕を動かして複雑なパターンを描くと、空中から何かをつかみだした。

 それは一回り小さなボビーだった。大きなボビーの右腕対と左腕対に、それぞれ小さなボビーがぶら下がる。小さなボビーたちは大きなボビーの動作を寸分たがわずコピーし、さらに小さな四体のボビーを生み出した。まるでマトリョーシカを開くように、ボビーが倍々ゲームで増えていく。

「《声》にゃ気の毒だったな」

 グレッグがにんまりと笑った。

「相手が悪かった。何しろ《ハッシュ》のボビーだからな」

 ボビーは架橋者の一族だ。その役目は未知の存在との橋渡しをすること。翻訳者であり、概念の探検家でもあり、模倣と学習を通じて自己を最適化する能力に長けた架橋者にとって、未加工の記憶など慣れ親しんだ餌でしかない。

 加えて、ボビーは《ハッシュ》のオーナー、すなわちアドミンでもある。架橋者にとってホテル業とはデータベースだ。それぞれが全く異なる環境に適応した蟲人のために滞在スペースや食料をあつらえ、時には水と油を共存させることが要求されるホテル業には、相手に対する深い理解が欠かせない。ボビーは管理者として、客の一人一人に対して能力を制限した自分のコピー、すなわち代理自我を割り当てる。代理自我は対象に取り付き、学習を通じて相手と同化した後、ボビーのもとへ完全な理解となって帰ってくる。

 蟻人型の蟲人は独自のアーキテクチャを持つ代理自我、すなわち「働き蟻」の生成とコントロール能力に秀でているが、中でもボビーの能力はずば抜けている。

 ボビーのコマンドに応じて、働き蟻たちが行動を開始した。

 無数に散らばる下位水精の一つ一つに取り付き、顎に当てがって飲み込んでいく。記憶を吸収するにつれて働き蟻たちの体は透き通り、小さなさざ波が体表に走っていく。

 やがて全身が水に置き換わった働きアリたちは、ボビーにひょいと摘み上げられて手元へ戻される。働きアリたちが同化作業をしている間に、ボビーの本体は仮想的な巣穴を作り上げていた。架橋が終わった働き蟻たちをボビーは無造作に穴に押し込んでいく。

 いくらもしないうちに、《声》を構成する精霊たちは分類され、整理されていた。

「よし、ご苦労さん。じゃ、俺たちの番だな」

「何を探す?」とボビー。「仮の処置として、時系列で並べてある。巣穴に近いものほど新しい。我々がバスに新入した時点はここ」と系統樹のように広がる巣穴の一点を指し「何か当てはあるのか?」

「さあな」

「非合理的だ」

「まあそう言いなさんなって。何とかなるさ。こっちにゃ秘密兵器がついてるんだからな」

 グレッグが私にウインクした。いよいよ私の出番だ。私と、私を通じて現れる何百もの仲間の。



 ボビーが作業をしている間、私は配信を通じて協力を呼び掛けていた。私は――私の代理として、私の体験を記録し、編集し、配信者とのコミュニケーションまでこなしている私の自我殻は――当面の仮想敵である《声》に知られてはまずい情報(シーヴが死んでいないことなど)をカットするとともに、私たちの窮状を訴える場を作り出していた。

「あの子ほんとに死んだの?」「バックアップある」「ないよ。聞いてなかったのかよ」「《声》はあんなじゃなかったのに」「自分にはある」「お前の話はしてないだろ」「女王を通じて正式な抗議を発する」「バックアップって何?」「悲嘆」「ほんとひどい」「悲嘆+ほんとひどい=バックアップ」「違う」「意図的な虚偽の発信」「ほんとだよ。《声》は何か隠してる」「バースターだろ。あいつらが怪しい」「根拠薄弱」「不合理」「バースターの宿主は黙ってろ」「女王を通じて正式な抗議を発する」「それで何、俺たちに何ができるって?」「奴らの嘘を暴くんだ」「女王を通じて正式な抗議を」「それじゃ遅いだろ」「探索?」

 彼らはシーヴの唐突な死を悼み、《声》の横暴に憤り、何よりこの刺激的な状況を心の底から楽しんでいた。彼らは参加する機会を求めていた。

 そして彼らは大勢いる。ことは要するに宝探しに近い。つまり、目が多いに越したことはないのだ。

 私は自我殻に代わり、彼らに直接呼びかけることにした。

 私は声を張り上げ、視聴者に向けてまず名乗った。

「みなさん、こんにちは。私は





「私は――何かしら?」

 彼女がいたずらっぽく微笑んだ。

「言わなくてもいいわ。知ってるから。あなたはこの後、集まってくれたみんなに名乗り、そして呼びかけるのよね。たどたどしいけど、心のこもった言葉で。それを聞いた視聴者たちは喜んであなたに協力し、無数に絡まった《声》の記憶の中からアレを見つけ出す手がかりを与えてくれる。そうよね?」

 そうなのだった。私はこのことをはっきりと覚えていた。未来の出来事を。まだ起きていないはずの出来事を。

 出来事に先立つ記憶。

「そんなにおかしなことかしら?」

 記憶は出来事に従属する――そう彼女は歌う。

「けれど、先立つ記憶だってあるんじゃない? 特にここではすべてがそうでしょう。メモリがある。データがロードされ、命令が解釈され、そして計算が実行される。ここでは記憶がすべてに先立つ。記憶がすべてを作り出しているのよ」

 pro――先に。

 gram――書かれたもの。

「だからあなたがここにいる。そして、この私も」

 彼女は笑い、私を抱きしめる。





 私の自我殻は、協力を申し出てきたすべての個体と双方向リンクを確立し、ボビーの協力を得て、彼らが意のままに動かせるリモートを生成した。小さな蟻の形を取ったリモートの頭部には、参加者たちが思い思いのアイコンを張り付けて飾りたてた。リモートたちは仮想巣穴の入り口に詰めかけ、どこが怪しいあちらを探すなどとささやきかわしている。まるでレースの参加者のように見えた。

「準備はいいか?」

 私はうなずき、自らもリモートに接続して巣穴の入り口に立った。



 但し書き
 文中における誤り等は全て筆者に責任があります。

  • かなりSF色濃かったような。ボビーの茶目っ気も増したような -- (名無しさん) 2014-09-21 08:51:19
  • 先に進むというよりはどんどん膨らんではっきりしていっているというような…静かに盛り上がっての次回が楽しみ。 ところでnextはあるけどbeforがページにないシリーズなんですね -- (名無しさん) 2014-09-23 00:40:24
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最終更新:2014年09月23日 14:24