【ラケルの診療】

心臓の動かない人の国にいる動物に興味があったのでやってきたスラヴィアだったが、意外と動物は普通に生きているものばかり。
夜になると骨だけの馬やもぞもぞと動く何かの塊みたいなものなどお目にかかれたが、病気や怪我とは無縁そうで医者の出番はないと思った。
仕方なく日々の勤労への慰安旅行と変更し、トマトの清涼な香り溢れる街並みを歩き入ったレストランで注文を迷っていると
異世界では珍しい人間男性に助言を受けて赤い料理の数々を堪能した。
談笑の中で彼が美味しかったと太鼓判を押すラケル料理を求めてやってきた領地の一角、見ればただの民家の軒下に掲げられているラケルと思わしき看板が目に入る。
“お持ち帰り”と書かれた窓を叩くと凄味を帯びる大きくふさふさな毛並みに少し垂れた目の猫人が顔を出す。 髭の先が焦げて縮れていた。
「ラケルの炙りかい? あるにはあるが今はちょいと高いぞ?」
後ろで涎を堪え切れず口端からとぽとぽ溢す狗人侍助手を抑えて主人に話しを聞いてみる。
「最近になってラケルの肉質がガタっと落ちてね。領地の目玉の評判を落としてはいけないと領主が流通を一時差し止めているんだよ。
肉屋なうちだから寝かしておいてあるものがあるが、それももうじき尽きてしまう。 在庫が薄くなったら値段も上がってしまう。どこも頭を悩ましているのさ」
成る程納得と旅費と相談する最中、ぺたんぺたんと海月人助手が走ってくる。
「センセセンセー、通りで領主が獣の医者を探してるって看板を見っけタゾー」


 ── パルファンドゥール女伯爵領主館
「成る程、特に与えている食糧である芋類におかしな点はないと」
「そうなのです。なのにラケルの毛も肉も目に見えて質が落ちて… 原因さえ分かれば対処できるのですが」
領主アデーレ・パルファンドゥールが差し出した領内の作付け記録帳は思っていたよりも詳細であり、領地が気を入れて農耕畜産に取り組んでいるのを理解した。
とりあえず診てみないことにはとラケルと呼ばれる羊の毛並みを被った豚の様な動物の牧場にやってきた。
晩ということもあり厩舎にて灯りの下で診察する。
「発汗、痩せこけた頬、眼の周囲の肌質の乾燥、変色した毛元に円形の脱毛…これは…」
「どうでしょうか?」
「典型的なストレス症状ですね。恐らくは寝不足などが原因かと思われます」
「寝不足ですか?ラケル牧場の周辺は獣避けを敷いて遠ざけていますし、夜の牧場は物音なく静かな筈なのですが…」
それならば寝不足は疑問だが、経験と症状からこれは確かに寝不足が原因だとしか思えない。
「アデーレ見つけた♪ あれ?お客さん」
厩舎にスキップで入ってきたのは異世界で珍しい人間、日本人女性。
「ちょっと牧場で面白い影を見つけたんだ♪ひょっとしたらUMAとかかも!」
そういって両手で突き出したのはデジカメ。これまた異世界では珍しい品。
「撮影したのですか?見せてもらってもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ。操作は分かるよね」
「優衣、カメラを持っていたのは素晴らしいタイミングだけど…どうしてなのかしら」
「アデーレの恥態を撮ってメモリアルするためだよっ♪」
カメラのメモリをめくっていく。
夜の牧場、寝静まるラケルの群れの中で跳んだり踊っている小さな人影が見て取れる。 何かを群れの中に蹴り入れたりなどもしている。
「これは…カバディだよ!」
「え?あの競技でもある?」
「それとこれは…髑髏ボールを使ったセパタクローだよ!きっとそう!」
「あの足でボールを扱う球技の?」
どう見てもどう考えてもこれが原因なのだろうと。 ラケルのうんざりして参っている表情にも合点がいった。
「伯爵、夜な夜なこの人影が牧場で奇行をしているとしたら、間違いなくそれが原因でしょう。 どうにかして止めれば改善されると思いますよ」
「う~ん、これって多分、いやきっと…」
「ハァ…、サミュラ様に上申します。 恐らくそれで事態は収まるでしょう」

三日後、牧場にカエルが潰されたような叫び声が響き渡ると、それ以降ぱたりと夜の来訪者は消えたという。
「先生、このラケルの炙りは最高ですな!付け合せと酒との組み合わせが素晴らしいですぞ!」
「ザク君、もうちょっと落ち着いて溢さないように食べて。 領主様の好意で店一番の肉を出してもらっているからはしゃぐのは分かるんだけど」
「いやいや、これだけ本能むき出しで夢中になってくれれば秘蔵の寝かし肉を出した甲斐があるってもんさ。
ラケルも次回の出荷から流通に戻るって話だ、領内の肉屋からのお礼とでも思って存分に食べてくれ」
香ばしい匂いに脳まで涎を流しそうな店内では、日々節制を心がける医者も大いに食べるのは自然な流れ。
「ナッシェリのおかわり、よろしいですか」

その後、店を後にした女医、狗侍、海月人のお腹は子でも入っているのかと思えるくらいにふくれていた。


緋路理女医とザクロ、ツダ一行のスラヴィア旅行の一幕
美味しいラケルをありがとう

  • スラヴィアで起こる厄介ごとの原因はほとんどモルテの仕業なんじゃないだろうか -- (名無しさん) 2014-09-29 23:32:41
  • 異世界にも獣医とかあるのかなと思ったが領地の特産となれば丁寧に扱うのは当然か -- (名無しさん) 2014-09-30 23:04:21
  • お祭りスラヴィアでしっかりした特産商業の形ができあがっているのが面白い -- (名無しさん) 2014-10-07 21:13:48
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最終更新:2014年09月28日 20:14