【ドワーフ イン ザ スカイ】

【ドワーフ イン ザ スカイ】

右手の指が岩壁から外れたとき、頭の中は透明だった。
死。それを意識したのは200メートルの絶壁を落下しはじめて三秒。いや二秒かもしれない。
血まみれの自分の姿と、それに群がるコンドルが頭の中を巡る。なぜか目を見開いたまま笑っていた。
自分の両足が絶壁のわずかな張り出しにぶつかり、骨が折れ砕ける音、苦痛と自分の悲鳴。
ふたたび目を覚ましたとき、頬にはうっすらと雪が張り付いていた。

やっちまった。ここはクルスベルグのとりわけ切り立った山峰。
登攀しようともがいた結果は、どうやら遅かれ早かれ自分の命を失うことに終わるらしいと自覚した。
見渡す限りこちらもあちらも絶壁で黒々とした玄武岩を高山の雪がわずかに白く縁取っている。
それも吹き付ける突風にすぐに吹き飛ばされていく。はかない雪。死の瀬戸際。
たった一メートル半の岩の張り出しの上で、折れた両足で転がっている自分もそうなのだと、嫌でも自覚しないわけにはいかない。
高山を駆ける風の精霊はどこまでもひとりの人間に無関心に吹き付けている。

山を登っている最中、あれほど頭の中を満たしていたアドレナリンがすうっと抜けてしまうと、何とも悲しいような空っぽな気分になる。
この日もスリルと征服感のために山を登っていたのだ。そしてスリルはどこかに行ってしまい、今はただの虚無と焦燥。
異世界の雄大な山に敗北感さえ感じる。骨折で痛む足が、骨の髄から冷たくなってきた。
地球出身のロッククライマー。他に何の肩書きもない、貧乏白人の俺はただ水平に遠くを見つめながらぼやいた。

「ジーザス……、冗談じゃないよ。本当(マジ)に」


一時間ほど経ったろうか。吹雪いてきた。


「マジ、冗談じゃない。」

せめて突風に煽られて二度の転落だけは避けようと、岩壁の縁に痛む指を伸ばす。
風と雪に撫でられた岩は氷と同じようなつるつるした感触を返す。
マジでこれは冗談じゃ済まなくなってきた。
九死に一生を得たかと思ったら、どうやら山の風は徹底的によそ者に厳しいらしい。
麓の鉱山町でしかめ面を崩さないドワーフの老人(だかそれとも若者だか)に言われたとおりだ。

「若いの、山の精霊はな、余所者を歓迎しとらんぞ…。」

ジョッキから口を離してたったそれだけの警告だったが、どうやらその通りだったらしい。
警告を無視してまで登ったのは、その、色々あったからだ。
背の低い小人たちの言葉を正直軽視していたし、常に自信満々であれというのが家訓だった。
まあ親父はクライマーでも何でもないブルーカラーだったけどな。
とにかく風の精霊だか何だかは、岩の上にしがみつく俺をあざ笑っているように見える。
むかっ腹が立ってきたが、俺は精霊に語りかける言葉を知らない。果てしなくアウェーだ。
風は木の葉にしがみつく虫のような人間を、今にも振り落としてしまおうかとうずうずしているように見える。

っ!!

またひときわ強い風だ。

「大丈夫?」

畜生、大丈夫なわけないだろ。

「 なっ……?」

目の前にするどいクチバシがあった。
悲鳴を上げて今度こそ本当に谷底へ真っ逆さま……になりそうな俺の足を、巨大な猛禽の爪がむんずとつかむ。
心臓がばくばくしたまま、空中で宙ぶらりんになった。

「大丈夫かって聞いてんのよ!このスカタン野郎!」

「だっ、大丈夫なわけないだろう!足が、足が痛い!骨が!!」

ああ、なんとなく状況を理解した。
オーケー。俺は今、巨大な鷲とライオンがくっついた生き物の前足に捕まって宙吊りになってる。
地球風に言うならグリフォンってやつだ。乗り手の顔は見えないが、声で女だってことはわかる。
彼女は、こんな断崖絶壁で立ち往生してる馬鹿をわざわざ救出に来たのだ。

「あーら、足の骨が折れちゃってる?もしかして?くすっ、いい気味ね。とりあえず安全な場所まで飛ばすわよ。」

両足をもがれそうな痛みで罵りたい俺の口に突風がぶつかり、風の中で景色がなんだかぐるぐると回った。



 ++++++++++



「精霊が知らせてくれたのよ。」

山間の荒削りな小屋の中。
ストーブの前で両足をぐるぐる巻きにした俺を、彼女は冷ややかに見つめてくる。
暖炉の明かりに照らされた白い肌に、両目の空色。ブロンズの髪を三つ編みと宝石入りの髪飾りでまとめた娘。
背は低い。ドワーフだが、髭面の老婆じゃなかった。
丸っこいがまあまあ美人の部類で、背の低い東欧系に見えないこともない。
腰に当てた両手は体格に比べて大きく、彼女の骨格がしっかりとドワーフであるとわかる。
あと、表情は、まあ、怒っている。

「ちょっと。あたしの顔になんかついてる?」

「い、いや別に!そんなんじゃない!そんなんじゃない!」 俺は首を振った。 

「あー…、せ、精霊が?俺の居場所を?」

「そうよ。山の風が、うちの山に余所者の死体が置き去りになっちゃ迷惑だからって。
父様は議会に行ってるし、旅人の世話は盟約の通りだしで、あたしが駆けつけたの。
死んでたと思ったけど、生きてて良かったわね、このへナチン。」


「ヘナチンじゃねえ。」

俺は三つ並べたドワーフ座椅子の上で、毛布をぎゅっと引き寄せた。
下半身を治療されてる間、意識がなかったのが幸いだ。
雪まみれだった俺の登山用ズボンが暖炉のそばで乾かされている。
俺はため息をつき、うめいた。

「その…、ありがとな。マジで死ぬとこだった。えーと…?」

「オラフの娘、アストリッド。」

「アストリッド。君が来なけりゃ俺は本当にあそこから落ちてバラバラだった。
感謝するよ。ジェイソン・マクブライドだ。アメリカ人。」

「アメリカ人って莫迦って聞いてたけど、本当なのね。」

「誰から聞いた!?」

「フランス人よ。一月前に谷に来て、ビアフェスタで飲んだくれながら南に行ったわ。
とにもかくにも自殺しに来たんじゃないのなら、身一つで山に登ろうなんて考えないことよ。
グリフォンでなきゃ越えられないんだから。」

「その話は後でゆっくり聞かせてもらうよ…説教も、うん、三日後くらいでいい。
雪が融けたらでいいや。今はもうちょっとゆっくりぼんやりとだな…」

「だめよ。ちょっと!寝たふりも駄目。
治るまで誰が世話すると思ってるの!放り出されたくなかったら言うこと聞きなさい!」

彼女は本当に怒っていた。こんなに怒られるのはおふくろの大切にしていた花壇を雑草焼却用の火炎放射器でアレした時以来かな。
ちょっとした事故だったんだ。いや、本当にアレは俺じゃなくてトーマスが悪い。
とにもかくにも、やれやれ、絶壁の上で死に掛けるのも最悪だが、こんな年端も行かない娘に母親面であれこれ説教されるのも。
ドワーフの長話ということわざが嘘じゃない証拠に、長々と説教をはじめた彼女。
俺は足の骨の治りが早くなれと念じながら、俺は蜂蜜入りの紅茶をゆっくり飲み干すのだった。



チラ裏:勢いで執筆しました。続きは未定!


  • 地球とは違う異世界の登山の難しさと異世界の山岳救助隊がとてもファンタジーでした。何の保険もないと分かっていても異世界の山々は登山家を魅了するのでしょうか -- (名無しさん) 2013-04-26 18:23:16
  • ゆっくりとした雰囲気がなんとも微笑ましい。種族の違いうんぬんの前に交流が生まれるというのもいい -- (名無しさん) 2014-10-24 23:32:26
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最終更新:2011年10月17日 12:09